じょ
しょうそ けんしゅう 700ねんを きねんする ほうおんぎょうとして
さくねんの 6がつ.に そうかがっかいで ごしょぜんしゅう かんこうの びきょが けってい せられ
その へんさんを よに ぜひとも ひきうけてくれとの ことで あった
それは よが ふじもんかの ちょうろうでも あり
がっきゅうでも あるからで あろうが
ともかく せいじゅは 86で ほうろうが 66で あり
にゅうどういらい ししとして 1にちも かんじくを はなさぬ べんきょうかで あることを
がくしゃなみに みこまれた ものと みゆる
じつは しせいあんぐで いかんがする ことも できぬ
やっと ひとさまの まねぐらいでは とても この たいにんに あたるの うつわでない
よろしく ごじたい もうして たの がくしょうに ゆだねるのが けんさくで あるのに
むぼうにも よろこんで これを じゅだく したのは われながら ふかくで あったが
それには たしょうの ふくりょが あった
ごかいざん にっこうしょうにんに 50だいぶの ごせんていが あり
また ちょうへんの おんふでしゅうが げんぞんして いるが
しょえんを しゃろく されたもので しょうその ぜんぺんではない
じらい 500年 しぎょうに しょうじんするの めいし いでず
ようやく きんこに なって ほそくさだんりんの けしゅで
また たいせきほんざんの がくとうで あった クオンイン にっとうしょうにんが
はじめて しんてい そしょの もくろく だけを つくり
そしょ しゅういの へんしゅうも あったが ぜんぺんでは ない
さらに ほんけぶんしゅう 66かんを せいして もんかを ろうして
はんしたに せいしょ させたが ふこうにして はんこうが できなかった のみでない
しゃでんしゃ すらなく ほんしょが てんてんとして
たいしょうの だいしんかさいで よこはまで うゆうに きしたのは
ごじしゃの そろうを とがめても おいつかぬ ざんねん せんばんの ことである
にっとうしの こうはい みょうどういん にちでんしょうにんは よが おんしで あるが
とうしの しんてい そしょもくろくを しゅうほして
ほんそぶんしゅう 44かん どうぞくしゅう 12かんを しゅうせいし
それが のちに くるめの でんみょうじに おさめて あったが
いつしか けっぽんと なったのを ほじゅうを めいぜられて かんぽんとし
いまは わが セッセンブンコに ある
よ あんぐで とても げんだいの じいん せいかつは おぼつかないので
たいしょう 4ねんから しょうに あわぬ ばんむを ほうげして ほんざんの いちぐうに へいきょし
がっきゅう せいかつに はいってから どう 8 9ねんの ころに
とうきょうじんで みょうどうこじ たい そうたろうしの ほつがんで
ときのがくとう ジカンイン にっちゅうしょうにんを とおして
ごしょ へんさんの くわだてがあった
にっちゅうしょうにんは その しゅにんを じぶんに しょくせられたが
ふがくを はじて かたく じたいした
これと ほぼ どうねんに とうきょうじんの そけいこじ みたに ろくろうしが
さんないに ざいぼうせし じぶぼう にちみょうと ともに きたりて
ぜんしゅう へんさんの しゅにんを こんせい されたが
にわかに これに おうずるの ばんゆうは おこらぬ
そのかわりに しぞうの ざいりょうは
これを ていきょう するに やぶさかでないと したから
じぶぼうは よるをもって ひにつぎ けんさんに つとめて よも おおいに
しりょうを かたむけたが
そけいこじは おもい あきらめず いくどか こんせいを つづけられた
じぶぼうが しなのより とうきょうに てんじて しょうわ 4ねんに
ごしょ しんしゅう はっこうの ことを きいて
ひとたびは おどろき ひとたびは よろこんだ
それは すうねんの あいだ しぎょうの しょうそくを みみに しなかったのと
この こんなんなことを なしとげた ことで あった
さっそく とりよせてみると その せいかの よきに
おおいに はんしたのに きょうがくした
おもうに よ ひきなりとも したしく さんかして いたならば
この くい なかりしかと ざんこん ここに としを ひさしうした ところに
あに はからんや そうかがっかい かいちょう とだ じょうせいしの ねっせいに あわんとは
ここに みだりに この たいにんを じゅたくしたのは まったく いじょうの えんいんが
あったからであり かつ また きょらいと いえば ろうどを
むちうって くれる ぎきょうの がくしょうの かならず あるべきを よきし
さいわいに とうじょうして ある かいごうの おりに
さんかを こんがん したが いずれも はんたの じょうむの ほかに
どう きねんしゅっぱんに とくむを おわせられたり との ことで
ふこうにして ひとりの どうしをも えず
やむなくば まんいち とちゅう しっぱいの ほじょたるべき じん すら
とっさに みあたらず このとき すでに ねんまつまで わずかに
6かげつで ちほうの がくしょうに こうしょう するの よじつも なく
ひゃっぽう けい つきて ひとえに ぶってんの みょうじょを あおぎ
わずかに 1 2の がくとに じょうしゃを たすけしめて
さいまつに せいこう せしは まったく みょうがに よるものと かんきゅうする
ことに がっかいの きょうがくぶに おいて たいきょ こうせいに あたり
せいむを さきて ちょうじつ ちょうとを おうふく せられた こと
および りゃくでん ねんぴょうまで さくせい された ことは
ぼうがいの ぎょうこうで あった
ただし へんさんの せいかに そろう なきや
はたして ほんぶつの めいりょに かなうべきや いなや
きょうくする ところであるが あえて ろうしんの はいきゅうに たくして
その せきにんを かいひ するものでは ない
しょうわ 27ねん 4がつの はじめ いず はたけの せっせんそうにて
にちこう ろうそう しるす |
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