b00. 序 (じょ)
日亨上人 (にちこうしょうにん)


 
じょ.


しょうそ けんしゅう 700ねんを きねんする ほうおんぎょうとして.
聖祖 建宗 七百年を 記念する 報恩行として.

さくねんの 6がつ.に そうかがっかいで ごしょぜんしゅう かんこうの びきょが けってい せられ.
昨年の 六月に 創価学会で 御書全集 刊行の 美挙が 決定 せられ.

その へんさんを よに ぜひとも ひきうけてくれとの ことで あった.
其の 編纂を 予に 是非とも 引き受けてくれとの 事で あつた.

それは よが ふじもんかの ちょうろうでも あり.
其れは 予が 富士門下の 長老でも あり.

がっきゅうでも あるからで あろうが.
学究でも あるからで あろうが.

ともかく せいじゅは 86で ほうろうが 66で あり.
兎も角 世寿は 八十六で 法臘が 六十六 であり.
 
にゅうどういらい ししとして 1にちも かんじくを はなさぬ べんきょうかで あることを.
入道以来 孜孜として 一日も 巻軸を 離さぬ 勉強家で あることを.

がくしゃなみに みこまれた ものと みゆる.
学者並に 見込まれた ものと 見ゆる.

じつは しせいあんぐで いかんがする ことも できぬ.
実は 資性暗愚で 如何する事も 出来ぬ.

やっと ひとさまの まねぐらいでは とても この たいにんに あたるの うつわでない.
やつと 人様の 真似ぐらいでは 迚も 斯の 大任に 当るの 器でない.

よろしく ごじたい もうして たの がくしょうに ゆだねるのが けんさくで あるのに.
宜しく 御辞退 申して 他の 学匠に 委ぬるのが 賢策で あるのに.

むぼうにも よろこんで これを じゅだく したのは われながら ふかくで あったが.
無謀にも 悦んで 此れを 受諾 したのは 吾ながら 不覚で あつたが.

それには たしょうの ふくりょが あった.
其れには 多少の 伏慮が あつた.

ごかいざん にっこうしょうにんに 50だいぶの ごせんていが あり.
御開山 日興上人に 五十大部の 御撰定が あり.

また ちょうへんの おんふでしゅうが げんぞんして いるが.
又 長篇の 御筆集が 現存して 居るが.

しょえんを しゃろく されたもので しょうその ぜんぺんではない.
所縁を 写録 されたもので 聖祖の 全篇ではない.

じらい 500年 しぎょうに しょうじんするの めいし いでず.
爾来 五百年 斯業に 精進するの 名師 出でず.

ようやく きんこに なって ほそくさだんりんの けしゅで.
漸く 近古に なって 細草談林の 化主で.

また たいせきほんざんの がくとうで あった クオンイン にっとうしょうにんが.
又 大石本山の 学頭で あつた 久遠院 日騰上人が.

はじめて しんてい そしょの もくろく だけを つくり.
始めて 新定 祖書の 目録 だけを 作り.
 
そしょ しゅういの へんしゅうも あったが ぜんぺんでは ない.
祖書 拾遺の 編輯も あつたが 全篇では ない.

さらに ほんけぶんしゅう 66かんを せいして もんかを ろうして.
更に 本化文集 六十六巻を 製して 門下を 労して.

はんしたに せいしょ させたが ふこうにして はんこうが できなかった のみでない.
版下に 清書 させたが 不幸にして 版行が 出来なかつた のみで 無い.

しゃでんしゃ すらなく ほんしょが てんてんとして.
写伝者すら 無く 本書が 転転として.

たいしょうの だいしんかさいで よこはまで うゆうに きしたのは.
大正の 大震火災で 横浜で 烏有に 帰したのは.

ごじしゃの そろうを とがめても おいつかぬ ざんねん せんばんの ことである.
護持者の 疎浪を 咎めても 追い付かぬ 残念 千万の 事である.

にっとうしの こうはい みょうどういん にちでんしょうにんは よが おんしで あるが.
日騰師の 後輩 妙道院 日霑上人は 予が 恩師で あるが.

とうしの しんてい そしょもくろくを しゅうほして.
騰師の 新定 祖書目録を 修補して.

ほんそぶんしゅう 44かん どうぞくしゅう 12かんを しゅうせいし.
本祖文集 四十四巻 同続集 十二巻を 集成し.
 
それが のちに くるめの でんみょうじに おさめて あったが.
其れが 後に 久留米の 霑妙寺に 蔵めて あつたが.

いつしか けっぽんと なったのを ほじゅうを めいぜられて かんぽんとし.
何時しか 欠本と 為つたのを 補充を 命ぜられて 完本とし.

いまは わが セッセンブンコに ある.
今は 吾が 雪山文庫に 在る.

よ あんぐで とても げんだいの じいん せいかつは おぼつかないので.
予 暗愚で 迚も 現代の 寺院生活は 覚束ないので.

たいしょう 4ねんから しょうに あわぬ ばんむを ほうげして ほんざんの いちぐうに へいきょし. 
大正 四年から 性に 合わぬ 万務を 放下して 本山の 一隅に 閉居し.

がっきゅう せいかつに はいってから どう 8 9ねんの ころに.
学究生活に 入つてから 同 八 九年の 頃に.

とうきょうじんで みょうどうこじ たい そうたろうしの ほつがんで.
東京人で 妙道居士 田井 惣太郎氏の 発願で.

ときのがくとう ジカンイン にっちゅうしょうにんを とおして.
時の 学頭 慈鑑院 日柱上人を 通して.

ごしょ へんさんの くわだてがあった.
御書 編纂の 企があつた.

にっちゅうしょうにんは その しゅにんを じぶんに しょくせられたが.
日柱上人は 其の 主任を 自分に 嘱せられたが.

ふがくを はじて かたく じたいした.
膚学を 恥じて 固く 辞退した.

これと ほぼ どうねんに とうきょうじんの そけいこじ みたに ろくろうしが.
此れと 粗 同年に 東京人の 素啓居士 三谷 六郎氏が.

さんないに ざいぼうせし じぶぼう にちみょうと ともに きたりて.
山内に 在坊せし 慈豊房 日明と 共に 来りて.

ぜんしゅう へんさんの しゅにんを こんせい されたが.
全集 編纂の 主任を 懇請 されたが.

にわかに これに おうずるの ばんゆうは おこらぬ.
俄に 之に 応ずるの 蛮勇は 起らぬ.

そのかわりに しぞうの ざいりょうは.
其の代りに 私蔵の 材料は.

これを ていきょう するに やぶさかでないと したから.
此れを 提供 するに 吝かでないと したから.

じぶぼうは よるをもって ひにつぎ けんさんに つとめて よも おおいに.
慈豊房は 夜を以て 日に続ぎ 研鑚に 力めて 予も 大に.

しりょうを かたむけたが.
資料を 傾けたが.

そけいこじは おもい あきらめず いくどか こんせいを つづけられた.
素啓居士は 思い あきらめず 幾度か 懇請を 続けられた.

じぶぼうが しなのより とうきょうに てんじて しょうわ 4ねんに.
慈豊坊が 信濃より 東京に 転じて 昭和 四年に.

ごしょ しんしゅう はっこうの ことを きいて.
御書 新集 発行の 事を 聞いて.

ひとたびは おどろき ひとたびは よろこんだ.
一たびは 驚き 一たびは 喜んだ.

それは すうねんの あいだ しぎょうの しょうそくを みみに しなかったのと.
其れは 数年の 間 斯業の 消息を 耳に しなかつたのと.

この こんなんなことを なしとげた ことで あった.
此の 困難な事を 成し遂げた 事で あつた.

さっそく とりよせてみると その せいかの よきに.
早速 取り寄せて見ると 其の 成果の 予期に.

おおいに はんしたのに きょうがくした.
大に 反したのに 驚愕した.

おもうに よ ひきなりとも したしく さんかして いたならば.
思うに 予 非器なりとも 親しく 参加して 居たならば.

この くい なかりしかと ざんこん ここに としを ひさしうした ところに.
此の 悔い なかりしかと 慙根 茲に 年を 久しうした 処に.

あに はからんや そうかがっかい かいちょう とだ じょうせいしの ねっせいに あわんとは.
豈 図らんや 創価学会 会長 戸田 城聖氏の 熱請に 値はんとは.

ここに みだりに この たいにんを じゅたくしたのは まったく いじょうの えんいんが.
茲に 漫りに 此の 大任を 受諾したのは 全く 已上の 遠因が.

あったからであり かつ また きょらいと いえば ろうどを.
あつたからであり 且 又 去来と 云えば 老駑を.

むちうって くれる ぎきょうの がくしょうの かならず あるべきを よきし.
鞭つて くれる 義キョウの 学匠の 必ず あるべきを 予期し.

さいわいに とうじょうして ある かいごうの おりに.
幸に 東上して ある 会合の 折に.

さんかを こんがん したが いずれも はんたの じょうむの ほかに.
参加を 懇願 したが 何れも 繁多の 常務の 外に.

どう きねんしゅっぱんに とくむを おわせられたり との ことで.
同 記念出版に 特務を 負はせられたり との 事で.

ふこうにして ひとりの どうしをも えず.
不幸にして 一人の 同志をも 得ず.

やむなくば まんいち とちゅう しっぱいの ほじょたるべき じん すら.
止むなくば 万一 途中 失敗の 補助たるべき 仁 すら.

とっさに みあたらず このとき すでに ねんまつまで わずかに.
突嗟に 見当らず 此時 己に 年末まで 僅に.

6かげつで ちほうの がくしょうに こうしょう するの よじつも なく.
六ケ月で 地方の 学匠に 交渉するの 余日も 無く.

ひゃっぽう けい つきて ひとえに ぶってんの みょうじょを あおぎ.
百万 計 尽きて 偏に 仏天の 冥助を 仰ぎ.

わずかに 1 2の がくとに じょうしゃを たすけしめて.
僅に 一 二の 学徒に 浄写を 助けしめて.

さいまつに せいこう せしは まったく みょうがに よるものと かんきゅうする.
歳末に 成稿 せしは 全く 冥加に 依るものと 感泣する.

ことに がっかいの きょうがくぶに おいて たいきょ こうせいに あたり.
殊に 学会の 教学部に 於いて 大挙 校正に 当たり.

せいむを さきて ちょうじつ ちょうとを おうふく せられた こと.
世務を 割きて 長日 長途を 往復 せられた 事.

および りゃくでん ねんぴょうまで さくせい された ことは.
及び 略伝 年表まで 作成 された 事は.

ぼうがいの ぎょうこうで あった.
望外の 僥倖で あつた.

ただし へんさんの せいかに そろう なきや.
但し 編纂の 成果に 麁浪 なきや.

はたして ほんぶつの めいりょに かなうべきや いなや.
将して 本仏の 冥慮に 協ふべきや 否や.

きょうくする ところであるが あえて ろうしんの はいきゅうに たくして.
恐懼する 所であるが 敢て 老身の 廃朽に 託して.

その せきにんを かいひ するものでは ない.
其の 責任を 回避する ものではない.

しょうわ 27ねん 4がつの はじめ いず はたけの せっせんそうにて.
昭和 二十七年 四月の 初め 伊豆 畑毛の 雪山荘にて.

にちこう ろうそう しるす.
日亨 老僧 識す.

 
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