b1065から1069.
曾谷二郎入道殿御返事 (そやじろうにゅうどうどの ごへんじ).
日蓮大聖人 60歳 御作.

 

b1065

そやじろうにゅうどうどの ごへんじ.
曾谷二郎入道殿 御返事.

こうあん 4ねん しちかつ 60さい おんさく.
弘安 四年 七月 六十歳 御作.

にちれん.
日蓮.

いぬる しちがつ 19にちの しょうそく どう みそか とうらい す.
去る 七月 十九日の 消息 同 卅日 到来 す.

せけんの ことは しばらく これを おく.
世間の 事は 且らく 之を 置く.

もっぱら ぶっぽうに さからうこと ほけきょうの だい2に いわく.
専ら 仏法に 逆うこと 法華経の 第二に 云く.

「ごにんみょうじゅう にゅうあびごく」とう うんぬん.
「其人命終 入阿鼻獄」等 云云.

とうて いわく その ひととは なんらの ひとを さすや.
問うて 云く 其の 人とは 何等の 人を 指すや.

こたえて いわく つぎかみに いわく.
答えて 云く 次上に 云く.

「ただ われ ひとりのみ よく くごを なす また きょうしょうすと いえども しんじゅ せず」と.
「唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受」と.

また いわく 「にゃくにんふしん」と.
又 云く 「若人不信」と.

また いわく 「あるいは また ひんしゅくして」.
又 云く 「或復顰蹙」.

また いわく「きょうを どくじゅし しょじ すること あらん ものを みて きょうせん ぞうしつして けっこんを いだかん」と.
又 云く 「見有読誦書持経者 軽賤憎嫉 而懐結恨」と.

また だい5に いわく 「うたがいを しょうじて しんぜる こと あらば すなわち まさに あくどうに おつべし」と.
又 第五に 云く「生疑不信者 即当堕悪道」と.

だい8に いわく 「もし ひと あって これを きょうきして なんじはきょうじん なるのみ むなしく この ぎょうを なして ついに えること なからんと いわば」とう うんぬん.
第八に 云く 「若有人軽毀之言 汝狂人耳 空作是行終無所獲」等 云云.

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そのひととは これらの ひとびとを さすなり.
其人とは 此れ等の 人人を 指すなり.

かの しんたんこくの てんだいだいしは なんぼく じっしらを さすなり.
彼の 震旦国の 天台大師は 南北 十師等を 指すなり.

この にほんこくの でんぎょうだいしは 6しゅうの ひとびとと さだめたるなり.
此の 日本国の 伝教大師は 六宗の 人人と 定めたるなり.

いま にちれんは こうぼう じかく ちしょう とうの さんだいし.
今 日蓮は 弘法 慈覚 智証 等の 三大師.

ならびに さんがい どうしゃく ぜんどうらを さして そのひとと いうなり.
並びに 三階 道綽 善導等を 指して 其の 人と 云うなり.

にゅうあびごくとは ねはんぎょう だい19に いわく.
入阿鼻獄とは 涅槃経 第十九に 云く.

「たとい ひとり ばかり その ごくに おち.
「仮使い 一人 独り 是の 獄に 堕ち.

その み ちょうだいにして 80000ゆえん なり.
其の 身 長大にして 八万由延 なり.

その ちゅうかんに へんまんして むなしき ところ なし.
其の 中間に 遍満して 空しき 処 無し.

その み しゅうそうして しゅじゅの くを うく.
其の 身 周匝して 種種の 苦を 受く.

たとい たにん あって み また へんまんすとも あいぼう げせず」.
設い 多人 有つて 身 亦 遍満 すとも 相い妨 碍せず」.

どう 36に いわく 「ちんもつして あびじごくに あって うくる ところの しんぎょう.
同三十六に 云く 「沈没して 阿鼻地獄に 在つて 受くる 所の身 形.

じゅうこう 8まん4000ゆじゅん ならん」 とう うんぬん.
縦広 八万四千由旬 ならん」 等 云云.

ふげんきょうに いわく 「ほうとうきょうを ぼうずる この だいあくほう.
普賢経に 云く 「方等経を 謗ずる 是の 大悪報.

あくどうに おつべき こと ぼううにも すぎ.
悪道に 堕つべき こと 暴雨にも 過ぎ.

ひつじょうして まさに あびじごくに おつべし」 とうとは あびごくに いる もん なり.
必定して 当に 阿鼻地獄に 堕つべし」 等とは 阿鼻獄に 入る 文 なり.

にちれん いわく それ にほんこくは どうは ななつ くには 68かこく.
日蓮 云く 夫れ 日本国は 道は 七 国は 六十八箇国.

ぐんは 604 ごうは 10000よ.
郡は 六百四 郷は 一万余.

ながさは 3587り にんずうは 45おく8まん9659にん.
長さは 三千五百八十七里 人数は 四十五億八万九千六百五十九人.

あるいは いわく 49おく9まん4828にん なり.
或は 云く 四十九億九万四千八百二十八人 なり.

てらは 1まんいっせん37しょ やしろは 3132しゃ なり.
寺は 一万一千三十七所 社は 三千一百三十二社 なり.

いま ほけきょうの にゅうあびごくとは これらの ひとびとを さすなり.
今 法華経の 入阿鼻獄とは 此れ 等の 人人を 指すなり.

とうて いわく しゅじょうに おいて あくにん ぜんにんの 2るい あり.
問うて 云く 衆生に 於て 悪人 善人の 二類 有り.

しょうしょも また ぜんあくの 2どう あるべし.
生処も 又 善悪の 二道 有る可し.

なんぞ にほんこくの いっさいしゅじょう いちどうに にゅうあびごくのものと さだむるや.
何ぞ 日本国の 一切衆生 一同に 入阿鼻獄の 者と 定むるや.

こたえて いわく にんずう おおしと いえども ごうを つくること これ ひとつ なり.
答えて 云く 人数 多しと 雖も 業を 造ること 是れ 一 なり.

ゆえに おなじく あびごくと さだむるなり.
故に 同じく 阿鼻獄と 定むるなり.

うたがって いわく にほんこくの いっさいしゅじょうの なかに あるいは ぜんにん あるいは あくにん あり.
疑つて 云く 日本国の 一切衆生の 中に 或は 善人 或は 悪人 あり.

ぜんにんとは 5かい じっかい ないし 25かい とう なり.
善人とは 五戒 十戒 乃至 二百五十戒 等 なり.

あくにんとは せっしょう ちゅうとう ないし じゅうあく とう これなり.
悪人とは 殺生 偸盗 乃至 五逆 十悪 等 是なり.

なんぞ いちごうと いうや.
何ぞ 一業と 云うや.

こたえて いわく それ しょうぜん しょうあくは ことなりと いえども.
答えて 云く 夫れ 小善 小悪は 異なりと 雖も.

ほけきょうの ひぼうに おいては ぜんにん あくにん ちしゃ ぐしゃ ともに さまたげ これなし.
法華経の 誹謗に 於ては 善人 悪人 智者 愚者 倶に 妨げ 之れ無し.

そのゆえに おなじく にゅうあびごくと いうなり.
是の故に 同じく 入阿鼻獄と 云うなり.

とうて いわく なにを もってか にほんこくの いっさいしゅじょうを いちどうに ほっけひぼうの ものと いうや.
問うて 云く 何を 以てか 日本国の 一切衆生を 一同に 法華誹謗の 者と 言うや.

こたえて いわく にほんこくの いっさいしゅじょう しゅうた なりと いえども 45おく8万9659にんに すぎず.
答えて 云く 日本国の 一切衆生 衆多 なりと 雖も 四十五億八万九千六百五十九人に 過ぎず.

これらの ひとびと きせん じょうげの しょうれつ ありと いえども かくの ごときの ひとびとの たのむ ところは ただ さんだいしに あり.
此等の 人人 貴賤 上下の 勝劣 有りと 雖も 是くの 如きの 人人の憑む 所は 唯 三大師に 在り.

しと する ところ さんだいしを はなる ことなし.
師と する 所 三大師を 離る 事無し.

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よざんの もの ありと いえども しんぎょう ぜんどうらの いえをいず べからざるなり.
余残の 者 有りと 雖も 信行 善導等の 家を 出ず 可らざるなり.

とうて いわく さんだいしとは だれびと ぞや.
問うて 云く 三大師とは 誰人 ぞや.

こたえて いわく こうぼう じかく ちしょうの さんだいし なり.
答えて 曰く 弘法 慈覚 智証の 三大師 なり.

うたがって いわく この さんだいしは いかなる じゅうか あるに よって.
疑つて 云く 此の 三大師は 何なる 重科 有るに 依つて.

にほんこくの いっさいしゅじょうを きょうもんの その ひとの うちに いるや.
日本国の 一切衆生を 経文の 其の 人の 内に 入るや.

こたえて いわく この さんだいしは だいしょうじょう じかいの ひと.
答えて 云く 此の 三大師は 大小乗 持戒の 人.

おもてには 8まんの いぎを そなえ あるいは 3000 とう これを ぐす.
面には 八万の 威儀を 備え 或は 三千 等 之を 具す.

けんみつ けんがくの ちしゃ なり.
顕密 兼学の 智者 なり.

しかれば すなわち にほんこく 400よねんの あいだ かみ いちにん より しも ばんみんに いたるまで.
然れば 則ち 日本国 四百余年の 間 上 一人 より 下 万民に 至るまで.

これを あおぐ こと にちがつの ごとく これを たっとむ こと せそんの ごとし.
之を 仰ぐこと 日月の 如く 之を 尊むこと 世尊の 如し.

なお とくの たかき こと しゅみにも こえ.
猶徳の 高き こと 須弥にも 超え.

ちえの ふかき ことは そうかいにも すぎたるが ごとし.
智慧の 深き ことは 蒼海にも 過ぎたるが 如し.

ただ うらむらくは ほけきょうを だいにち しんごんきょうに そうたいして しょうれつを はんずる ときは.
但 恨むらくは 法華経を 大日真言経に 相対して 勝劣を 判ずる 時は.

あるいは けろんの ほうと いい あるいは だい2 だい3と いい.
或は 戯論の 法と 云い 或は 第二 第三と 云い.

あるいは きょうしゅを むみょうの へんいきと なずけ あるいは ぎょうじゃをば ぬすっとと なずく.
或は 教主を 無明の 辺域と 名け 或は 行者をば 盗人と 名く.

かの だいしょうごんぶつの まつの 604まんのくなゆたの ししゅうの ごとき おのおのの ごういん ことなりと いえども.
彼の 大荘厳仏の 末の 六百四万億那由佗の 四衆の 如き 各各の 業因異りと 雖も.

しの くがん とうの 4にんと ともに おなじく むけんじごくに いりぬ.
師の 苦岸 等の 四人と 倶に 同じく 無間地獄に 入りぬ.

また ししおんのうぶつの まっぽうの むりょうむへんの でし とうの なかにも.
又 師子音王仏の 末法の 無量無辺の 弟子 等の 中にも.

きせんの ことなり ありと いえども おなじく しょういが でしと なるが ゆえに.
貴賤の 異 有りと 雖も 同じく 勝意が 弟子と 為るが 故に.

いちどうに あびだいじょうに おちぬ.
一同に 阿鼻大城に 堕ちぬ.

いま にほんこく またまた かくの ごとし.
今 日本国 亦復 是くの 如し.

さる えんりゃく こうにん ねんちゅう でんぎょうだいし 6しゅうの でし だんな とうを かしゃく する ことばに いわく.
去る 延暦 弘仁 年中 伝教大師 六宗の 弟子檀那 等を 呵責する 語に 云く.

「その しの おつる ところ でし また おつ でしの おつる ところだんおつ また おつ.
「其の 師の 堕つる 所 弟子 亦 堕つ 弟子の 堕つる 所 檀越 亦 堕つ.

きんくの みょうせつ つつしまざる べけんや つつしまざる べけんや」とう うんぬん.
金口の 明説 慎まざる 可けんや 慎まざる 可けんや」 等 云云.

うたがって いわく なんじが ぶんざい なにを もって さんだいしを はするや.
疑つて 云く 汝が 分斉 何を 以て 三大師を 破するや.

こたえて いわく よは あえて かの さんだしを はせざるなり.
答えて 云く 予は 敢て 彼の 三大師を 破せざるなり.

とうて いわく なんじが かみの ぎは いかん.
問うて 云く 汝が 上の 義は 如何.

こたえて いわく がっし より かんど ほんちょうに わたる ところのきょうろんは 5000 7000よかん なり.
答えて 云く 月氏 より 漢土 本朝に 渡る 所の 経論は 五千七千余巻 なり.

よ ほぼ これを みるに こうぼう じかく ちしょうに おいては せけんの とがは しばらく これを おく.
予 粗之を 見るに 弘法 慈覚 智証に 於ては 世間の 科は 且く 之を 置く.

ぶっぽうに いっては ほうぼう だいいちの ひとびとと もうすなり.
仏法に 入つては 謗法 第一の 人人と 申すなり.

だいじょうを ひぼう する ものは やを いる より はやく じごくにだすとは にょらいの きんげん なり.
大乗を 誹謗 する者は 箭を 射るより 早く 地獄に 堕すとは 如来の 金言なり.

はたまた ほうぼうざいの じんじゅうは こうぼう じかくら いちどう さだめ たまい おわんぬ.
将又 謗法罪の 深重は 弘法 慈覚等 一同 定め 給い 畢んぬ.

ひとの ことばは しばらく これを おく.
人の 語は 且く 之を 置く.

しゃか たほうの 2ぶつの きんげん こもう ならずんば.
釈迦 多宝の 二仏の 金言 虚妄 ならずんば.

こうぼう じかく ちしょうに おいては さだめて むけんだいじょうに いり.
弘法 慈覚 智証に 於ては 定めて 無間大城に 入り.

じっぽう ぶんしんの しょぶつの した だらく せずんば.
十方 分身の 諸仏の 舌 堕落 せずんば.

にほんこくじゅうの 45おく8まん9659にんの いっさいしゅじょうは.
日本国中の 四十五億八万九千六百五十九人の 一切衆生は.

かの くがん とうの でし だんな とうの ごとく あびじごくに おちて.
彼の 苦岸 等の 弟子 檀那 等の 如く 阿鼻地獄に 堕ちて.

ねってつの うえに おいて あおぎ ふして 900まん おくさい ふくがして 900まんおくさい.
熱鉄の 上に 於て 仰ぎ 臥して 九百万億歳 伏臥して 九百万億歳.

ひだりわきに ふして 900まんおくさい みぎわきに ふして 900まんおくさい.
左脇に 臥して 九百万億歳 右脇に 臥して 九百万億歳.

かくの ごとく ねってつの うえに あって 3600まんおくさい なり.
是くの 如く 熱鉄の 上に 在つて 三千六百万億歳 なり.

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しかして のち この あび より てんじて たほうに うまれ.
然して 後 此の 阿鼻 より 転じて 他方に 生れて.

だいじごくに ありて むすう 100せんまんのくなゆたさい だいくのうを うけん.
大地獄に 在りて 無数 百千万億那由佗歳 大苦悩を 受けん.

かれは しょうじょうきょうを もって ごんだいじょうを はせしも つみを うくる こと かくの ごとし.
彼は 小乗経を 以て 権大乗を 破せしも 罪を 受くる こと 是くの 如し.

いわんや いま さんだいしは みけんしんじつの きょうを もって.
況や 今 三大師は 未顕真実の 経を 以て.

さんぜの ぶっだの ほんかいの せつを はする のみに あらず.
三世の 仏陀の 本懐の 説を 破する のみに 非ず.

あまつさえ いっさいしゅじょう じょうぶつの みちを うしなう.
剰さえ 一切衆生 成仏の 道を 失う.

じんじゅうの つみは か げん みらいの しょぶつも いかでか これをきわむ べけんや.
深重の 罪は 過 現 未来の 諸仏も 争か 之を 窮む べけんや.

いかでか これを すくう べけんや.
争か 之を 救う 可けんや.

ほけきょうの だい4に いわく.
法華経の 第四に 云く.

「すでに とき いま とき まさに とくべし しかも そのなかに おいて この ほけきょうは もっとも これ なんしん なんげ なり」.
「已 説 今 説 当説 而於其中 此法華経 最為難信難解」.

また いわく 「もっとも その うえに あり」.
又 云く 「最在其上」.

ならびに 「やくおうじゅうゆ」 とう うんぬん.
並に 「薬王十喩」 等 云云.

たきょうに おいては けごん ほうどう はんにゃ じんみつ だいうん みつごん こんきょうみょうきょう とうの.
他経に 於ては 華厳 方等 般若 深密 大雲 密厳 金光明経 等の.

しょきょうの なかに きょうぎょうの しょうれつを とくと いえども.
諸教の 中に 経経の 勝劣 之を 説くと 雖も.

あるいは しょうじょうきょうに たいして この きょうを だいいちと いい.
或は 小乗経に 対して 此の 経を 第一と 曰い.

あるいは しんぞく 2たいに たいして ちゅうどうを だいいちと いい.
或は 真俗 二諦に 対して 中道を 第一と 曰い.

あるいは いん しんごん とうを とくを もって だいいちと なす.
或は 印 真言 等を 説くを 以て 第一と 為す.

これらの せつ ありと いえども まったく いこんとうの だいいちに あらざるなり.
此等の 説 有りと 雖も 全く 已今当の 第一に 非ざるなり.

しかるに すえの ろんし にんし とう みょうしゅうの とし つもり もんと また はんた なり.
然而るに 末の 論師 人師 等 謬執の 年 積り 門徒 又 繁多 なり.

ここに にちれん かの えきょうに なきの よしを せむる あいだ.
爰に 日蓮 彼の 依経に 無きの 由を 責むる 間.

いよいよ しんにを いだいて ぜひを きゅうめい せず.
弥よ 瞋恚を 懐いて 是非を 糺明 せず.

ただ だいもうごを かまえて こくしゅ こくじん とうを おうわくし にちれんを そんぜんと ほっす.
唯 大妄語を 構えて 国主 国人 等を 誑惑し 日蓮を 損ぜんと 欲す.

しゅう 1000のなんを こうむらしむる のみに あらず.
衆 千の難を 蒙らしむる のみに 非ず.

りょうどの るざい あまつさえ くびのざに およぶ これなり.
両度の 流罪 剰え 頸の座に 及ぶ 是なり.

これらの だいなん しのび がたき こと ふぎょうの じょうもくにも すぎ.
此等の 大難 忍び 難き 事 不軽の 杖木 にも 過ぎ.

はたまた かんじの とうじょうにも こえたり.
将又 勧持の 刀杖にも 越えたり.

また ほっしほんの ごときは 「まつだいに ほけきょうを ぐずう せんものは にょらいの つかい なり.
又 法師品の 如きは 「末代に 法華経を 弘通 せん者は 如来の 使 なり.

この ひとを きょうせん するの やからの つみは きょうしゅ しゃくそんを いっちゅうこう べつじょ するに すぎたり」 とう うんぬん.
此の 人を 軽賤 するの 輩の 罪は 教主 釈尊を 一中劫 蔑如 するに 過ぎたり」 等 云云.

いまに ほんこくは だいばだった だいまんばらもんらが ごとく.
今 日本国には 提婆達多 大慢婆羅門等が 如く.

むけんじごくに おつべき ざいにん くにじゅう 3587りの あいだに みつる ところの.
無間地獄に 堕つ可き 罪人 国中 三千五百八十七里の 間に 満つる 所の.

45おく8まん9659にんの しゅじょう これあり.
四十五億八万九千六百五十九人の 衆生 之れ有り.

かの だいば だいまん とうの むごくの じゅうざいを この にほんこく 45おく8まん9659にんに たいせば.
彼の 提婆 大慢 等の 無極の 重罪を 此の 日本国 四十五億八万九千六百五十九人に 対せば.

けいざいちゅうの けいざい なり.
軽罪中の 軽罪 なり.

とう その ことわり いかん.
問う 其の 理 如何.

こたう かれらは あくにん なりと いえども まったく ほけきょうを ひぼう するものには あらざるなり.
答う 彼等は 悪人 為りと 雖も 全く 法華を 誹謗 する者には 非ざるなり.

また だいばだったは ごうが だい2の ひと だい2は いっせんだい なり.
又 提婆達多は 恒河 第二の 人 第二は 一闡提 なり.

いま にほんこく 45おく8まん9659にんは みな ごうが だいいちの ざいにん なり.
今 日本国 四十五億八万九千六百五十九人は 皆 恒河 第一の 罪人 なり.

しかれば すなわち だいばが 3ぎゃくざいは けいもうの ごとし.
然れば 則ち 提婆が 三逆罪は 軽毛の 如し.

にほんこくの かみに かかぐる ところの ひとびとの じゅうざいは なお たいせきの ごとし.
日本国の 上に 挙ぐる 所の 人人の 重罪は 猶 大石の 如し.

さだめて ぼんじゃくも にほんこくを すて どうしょう どうみょうも くにじゅうの ひとを はなれ.
定めて 梵釈も 日本国を 捨て 同生 同名も 国中の 人を 離れ.

てんしょうだいじん はちまんだいぼさつも いかでか この くにを しゅごせん.
天照太神 八幡大菩薩も 争か 此の 国を 守護せん.

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いぬる じしょう とうの 81 2 3 4 5だいの 5にんの だいおうと.
去る 治承 等の 八十一 二 三 四 五代の 五人の 大王と.

よりとも よしときと この くにを おんあらそい あって てんしと たみとの かっせん なり.
頼朝 義時と 此の 国を 御諍い 有つて 天子と 民との 合戦 なり.

なお ようしゅんと こんちょうとの しょうぶの ごとく なれば.
猶 鷹駿と 金鳥との 勝負の 如く なれば.

てんし よりともらに かたんこと ひつじょうなり けつじょう なり.
天子 頼朝等に 勝たんこと 必定なり 決定 なり.

しかりと いえども 5にんの だいおうは まけ おわんぬ.
然りと 雖も 五人の 大王は 負け 畢んぬ.

うさぎ ししおうに かちしなり.
兎 師子王に 勝ちしなり.

まくる のみに あらず あまつさえ あるいは そうかいに しずみ あるいは しまじまに はなたれ.
負くる のみに 非ず 剰え 或は 蒼海に 沈み 或は 島島に 放たれ.

ほうぼう ほっけ いまだ ねんさいを つまざる とき なお もって かくの ごとし.
誹謗 法華 未だ 年歳を 積まざる 時 猶 以て 是くの 如し.

こんどは かれに にるべからず.
今度は 彼に 似る可らず.

かれは ただ くにじゅうの わざわい ばかりなり.
彼は 但 国中の 災い 許りなり.

その ゆえは あらあら これを みるに もうこの ちょうじょう いぜんに.
其の 故は 粗 之を 見るに 蒙古の 牒状 已前に.

いぬる しょうか ぶんえい とうの おおじしん だいすいせいの つげに よって.
去る 正嘉 文永 等の 大地震 大彗星の 告げに 依つて.

さいさん これを そうすと いえども こくしゅ あえて しんよう なし.
再三 之を 奏すと 雖も 国主 敢て 信用 無し.

しかるに にちれんが かんもん ほぼ ぶっちに かなうかの ゆえに この かっせん すでに こうじょう なり.
然るに 日蓮が 勘文 粗 仏意に 叶うかの 故に 此の 合戦 既に 興盛 なり.

この くにの ひとびと こんじょうには いちどうに しゅらどうに だし.
此の 国の 人人 今生には 一同に 修羅道に 堕し.

ごしょうには みな あびだいじょうに いらん こと うたがい なき ものなり.
後生には 皆 阿鼻大城に 入らん 事 疑い 無き 者なり.

ここに きへんと にちれんとは しだんの いちぶん なり.
爰に 貴辺と 日蓮とは 師檀の 一分 なり.

しかりと いえども うろの えしんは こくしゅに したがうが ゆえに この なんに あわんと ほっするか.
然りと 雖も 有漏の 依身は 国主に 随うが 故に 此の 難に 値わんと 欲するか.

かんるい おさえ がたし.
感涙 押え 難し.

いずれの よにか たいめんを とげんや.
何れの 代にか 対面を 遂げんや.

ただ いっしんに りょうぜん じょうどを ごせらるべきか.
唯 一心に 霊山浄土を 期せらる可きか.

たとい みは この なんに あうとも こころは ぶっしんに おなじ.
設い 身は 此の 難に 値うとも 心は 仏心に 同じ.

こんじょうは しゅらどうに まじわるとも ごしょうは かならず ぶっこくに こせん.
今生は 修羅道に 交わるとも 後生は 必ず 仏国に 居せん.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言.

こうあん 4ねん うるう しちがつ ついたち.
弘安 四年 閏 七月 一日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

そやじろうにゅうどうどの ごへんじ.
曾谷二郎入道殿 御返事.

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