b1079から1089.
兄弟抄 
日蓮大聖人 54歳御作



b1079

きょうだいしょう.
兄弟抄.

ぶんえい 12ねん 4がつ 54さい おんさく.
文永十二年 四月 五十四歳 御作.

あたう いけがみきょうだい みのぶに おいて.
与 池上兄弟 於 身延.

それ ほけきょうと もうすは 8まんほうぞうの かんじん 12ぶきょうの こつずい なり.
夫れ 法華経と 申すは 八万法蔵の 肝心 十二部経の 骨髄 なり、.

さんぜの しょぶつは この きょうを しと して しょうかくを じょうじ.
三世の 諸仏は 此の 経を 師と して 正覚を 成じ.

じっぽうの ぶっだは いちじょうを がんもくと して しゅじょうを いんどうし たまう.
十方の 仏陀は 一乗を 眼目と して 衆生を 引導し 給ふ、.

いま げんに きょうぞうに いって これを みるに ごかんの えいへいより とうの すえに いたるまで.
今 現に 経蔵に 入つて 此れを 見るに 後漢の 永平より 唐の 末に 至るまで.

わたれる ところの いっさいきょうろんに 2ほん あり .
渡れる 所の 一切経論に 二本 あり、.

いわゆる くやくの きょうは 5せん48かん なり.
所謂 旧訳の 経は 五千四十八巻 なり、.

しんやくの きょうは 7せん399かんなり.
新訳の 経は 七千三百九十九巻なり、.

かの いっさいきょうは みな おのおの ぶんぶんに したがって われ だいいち なりと なのれり.
彼の 一切経は 皆 各各・分分に 随つて 我 第一 なりと なのれり、.

しかるに ほけきょうと かの きょうぎょうとを ひきあわせて これを みるに.
然而 法華経と 彼の 経経とを 引き合せて 之を 見るに.

しょうれつ てんちなり こうげ うんでい なり.
勝劣 天地なり 高下 雲泥 なり、.

かの きょうぎょうは しゅうせいの ごとく ほけきょうは つきの ごとし.
彼の 経経は 衆星の 如く 法華経は 月の 如し.

かの きょうぎょうは とうこ せいげつの ごとく ほけきょうは だいにちりんの ごとし.
彼の 経経は 燈炬・星月の 如く 法華経は 大日輪の 如し.

これは そう なり.
此れは 総 なり。.

べっして きょうもんに いって これを み たてまつれば 20の だいじ あり.
別して 経文に 入つて 此れを 見 奉れば 二十の 大事 あり、.

だい1 だい2の だいじは 3ぜんじんてんごう 500じんてんごうと もうす 2つの ほうもん なり.
第一 第二の 大事は 三千塵点劫 五百塵点劫と 申す 二つの 法門 なり、.

その 3ぜんじんてんと もうすは だい3のまき けじょうゆほんと もうす ところに いでて そうろう.
其 三千塵点と 申すは 第三の巻 化城喩品と 申す 処に 出でて 候、.

この 3ぜんだいせんせかいを まっして ちりと なし.
此の 三千大千世界を 抹して 塵と なし.

とうほうに むかって せんの 3ぜんだいせんせかいを すぎて 1じんを くだし.
東方に 向つて 千の 三千大千世界を 過ぎて 一塵を 下し.

また せんの 3ぜんだいせんせかいを すぎて 1じんを くだし.
又 千の 三千大千世界を 過ぎて 一塵を 下し.

かくの ごとく 3ぜんだいせんせかいの ちりを くだしはてぬ.
此くの 如く 三千大千世界の 塵を 下はてぬ、.

さて かえって くだせる 3ぜんだいせんせかいと くださざる 3ぜんだいせんせかいを ともに おしふさねて また ちりとなし.
さて かえつて 下せる 三千大千世界と 下さざる 三千大千世界を ともに おしふさねて 又 塵となし、.

この もろもろの ちりを もて ならべおきて 1じんを 1こうとして へつくしては.
此の 諸の 塵を もて ならべをきて 一塵を 一劫として 経尽しては、.

また はじめ また はじめ かくのごとく かみの しょじんの つくし へたるを 3ぜんじんでんとは もうすなり.
又 始め 又 始め かくのごとく 上の 諸塵の 尽し 経たるを 三千塵点とは 申すなり、.

いま 3しゅうの しょうもんと もうして しゃりほつ かしょう あなん らうんなんど もうす ひとびとは.
今 三周の 声聞と 申して 舎利弗・迦葉・阿難・羅云なんど 申す 人人は.

かこおんのんごう 3ぜんじんでんごうの そのかみ だいつうちしょうぶつと もうせし ほとけの だい16の おうじにて おわせし ぼさつ ましましき.
過去遠遠劫・三千塵点劫の そのかみ 大通智勝仏と 申せし 仏の 第十六の 王子にて をはせし 菩薩 ましましき、.

かの ぼさつより ほけきょうを ならいけるが あくえんに すかされて ほけきょうを すつる こころ つきに けり.
かの 菩薩より 法華経を 習いけるが 悪縁に すかされて 法華経を 捨つる 心 つきに けり、.

かくして あるいは けごんきょうへ おち あるいは はんにゃきょうへ おち.
かくして 或は 華厳経へ をち 或は 般若経へ をち.

あるいは だいじゅっきょうへ おち あるいは ねはんぎょうへ おち.
或は 大集経へ をち 或は 涅槃経へ をち.

あるいは だいにちきょう あるいは じんみつきょう あるいは かんぎょうとうへ おち.
或は 大日経・或は 深密経・或は 観経等へ をち.

あるいは あごんしょうじょうきょうへ おちなんど しける ほどに しだいに おちゆきて.
或は 阿含小乗経へ をちなんど しける ほどに 次第に 堕ちゆきて.

のちには にんでんの ぜんこん のちに あくに おちぬ.
後には 人天の 善根・後に 悪に をちぬ、.

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かくのごとく おち ゆく ほどに 3ぜんじんてんごうが あいだ.
かくのごとく 堕ち ゆく 程に 三千塵点劫が 間、.

たぶんは むけんじごく しょうぶんは 7だいじごく.
多分は 無間地獄 少分は 七大地獄.

たまたまには いっぴゃくよの じごく.
たまたまには 一百余の 地獄.

まれには がき ちくしょう しゅらなんどに うまれ.
まれには 餓鬼・畜生・修羅なんどに 生れ.

だいじんでんごう なんどを へて にんてんには うまれ そうらいけり.
大塵点劫 なんどを 経て 人天には 生れ 候けり。.

されば ほけきょうの だい2の まきに いわく.
されば 法華経の 第二の 巻に 云く.

「つねに じごくに しょすること おんかんに あそぶが ごとく よの あくどうに あること おのが しゃたくの ごとし」とう うんぬん.
「常に 地獄に 処すること 園観に 遊ぶが 如く 余の 悪道に 在ること 己が 舎宅の 如し」等 云云、.

10あくを つくる ひとは とうかつこくじょうなんど もうす じごくに おちて 5ひゃくしょう あるいは いっせんさいを へ.
十悪を つくる 人は 等活黒繩なんど 申す 地獄に 堕ちて 五百生 或は 一千歳を 経、.

5ぎゃくを つくれる ひとは むけんじごくに おちて 1ちゅうこうを へて のちは また かえりて しょうず.
五逆を つくれる 人は 無間地獄に 堕ちて 一中劫を 経て 後は 又 かへりて 生ず、.

いかなる ことにや そうろうらん.
いかなる 事にや 候らん.

ほけきょうを すつる ひとは すつる ときは さしも ふぼを ころす なんどの ように おびただしくは みえ そうらわねども.
法華経を すつる 人は・すつる 時は さしも 父母を 殺す なんどの やうに をびただしくは・みへ 候はねども.

むけんじごくに おちては たこうを へ そうろう.
無間地獄に 堕ちては 多劫を 経 候、.

たとい ふぼを 1にん 2にん 10にん 100にん 1000にん まんにん 10まんにん 100まんにん おくまんにんなんど ころして そうろうとも.
設 父母を 一人・二人・十人・百人・千人・万人・十万人・百万人・億万人なんど 殺して 候とも・.

いかんが 3ぜんじんでんごうをば へ そうろうべき.
いかんが 三千塵点劫をば 経 候べき、.

1ぶつ 2ぶつ 10ぶつ 100ぶつ 1000ぶつ まんぶつ ないし おくまんぶつを ころしたりとも.
一仏・二仏・十仏・百仏・千仏・万仏 乃至 億万仏を 殺したりとも・.

いかんが 5ひゃくじんでんごうをば へ そうろうべき.
いかんが 五百塵点劫をば 経 候べき、.

しかるに ほけきょうを すて そうらいける つみに よりて 3しゅうの しょうもんが 3ぜんじんでんごうを へ.
しかるに 法華経を すて 候いける つみに よりて 三周の 声聞が 三千塵点劫を 経・.

しょだいぼさつの 500じんでんごうを へ そうらいける こと おびただしく おぼえ そうろう.
諸大菩薩の 五百塵点劫を 経 候ける こと・をびただしく をぼへ 候、.

せんずる ところは くぶしを もって こくうを うてば くぶし いたからず.
せんする ところは クブシを もつて 虚空を 打てば・くぶし いたからず.

いしを うてば くぶし いたし.
石を 打てば くぶし いたし、.

あくにんを ころすは つみ あさし ぜんにんを ころすは つみ ふかし.
悪人を 殺すは 罪 あさし 善人を 殺すは 罪 ふかし.

あるいは たにんを ころすは くぶしを もって どろを うつが ごとし.
或は 他人を 殺すは クブシを もつて 泥を 打つが ごとし.

ふぼを ころすは くぶしを もって いしを うつが ごとし.
父母を 殺すは クブシを もつて 石を 打つが ごとし、.

しかを ほうる いぬは こうべ われず ししを ほうる いぬは はらわた くさる.
鹿を ほうる 犬は 頭 われず 師子を 吠る 犬は 腸 くさる.

にちがつを のむ しゅらは こうべ 7ぶんに われ ほとけを うちし だいばは だいち われて いりにき.
日月を のむ 修羅は 頭 七分に われ 仏を 打ちし 提婆は 大地 われて 入りにき、.

しょたいに よりて つみの けいじゅうは ありける なり.
所対に よりて 罪の 軽重は ありける なり。.

されば この ほけきょうは いっさいの しょぶつの がんもく きょうしゅしゃくそんの ほんし なり.
されば この 法華経は 一切の 諸仏の 眼目 教主釈尊の 本師 なり、.

いちじ いってんも すつるひと あれば せんまんの ふぼを ころせる つみにも すぎ.
一字 一点も すつる人 あれば 千万の 父母を 殺せる 罪にも すぎ.

じっぽうの ほとけの みより ちを いだす つみにも こえて そうらいける ゆえに.
十方の 仏の 身より 血を 出す 罪にも こへて 候ける ゆへに.

さんごの じんてんをば へ そうらいける なり.
三五の 塵点をば 経 候ける なり.

この ほけきょうは さておき たてまつりぬ.
此の 法華経は さてをき たてまつりぬ.

また この きょうを きょうの ごとくに とく ひとに あうことは かたきにて そうろう.
又 此の 経を 経の ごとくに とく 人に 値うことは 難にて 候、.

たとい いちげんの かめの うきぎには あうとも.
設い 一眼の 亀の 浮木には 値うとも・.

はちすの いとを もって しゅみせんをば おおぞらに かくとも.
はちすの いとを もつて 須弥山をば 虚空に かくとも.

ほけきょうの きょうの ごとく とく ひとに あいがたし.
法華経を 経の ごとく 説く 人に あひがたし。.

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されば じおんだいしと もうせし ひとは げんじょうさんぞうの みでし たいそうこうていの おんし なり.
されば 慈恩大師と 申せし 人は 玄奘三蔵の 御弟子 太宗皇帝の 御師 なり、.

ぼんかんを そらに うかべ いっさいきょうを むねに たたえ.
梵漢を 空に うかべ 一切経を 胸に たたへ.

ぶっしゃりを ふでの さきより あめふらし きばより ひかりを はなち たまいし しょうにん なり.
仏舎利を 筆の さきより 雨らし 牙より 光を 放ち 給いし 聖人 なり、.

ときの ひとも にちがつの ごとく くぎょうし のちの ひとも がんもくと こそ かつごう せしかども.
時の 人も 日月の ごとく 恭敬し 後の 人も 眼目と こそ 渇仰 せしかども.

でんぎょうだいし これを せめ たもうには すいさんほけきょう げんしほっけしんとう うんぬん.
伝教大師 これを せめ 給うには 雖讃法華経・還死法華心等 云云、.

いうは かの ひとの こころには ほけきょうを ほむと おもえども.
言は 彼の 人の 心には 法華経を ほむと をもへども.

りの さす ところは ほけきょうを ころす ひとに なりぬ.
理の さす ところは 法華経を ころす 人に なりぬ、.

ぜんむいさんぞうは がっしこく うじょうなこくの こくおう なり.
善無畏三蔵は 月支国 うぢやうな国の 国王 なり、.

くらいを すて しゅっけして てんじく 50よの くにを しゅぎょうして けんみつ2どうを きわめ.
位を すて 出家して 天竺 五十余の 国を 修行して 顕密二道を きわめ、.

のちには かんどに わたりて げんそうこうていの おんしと なる.
後には 漢土に わたりて 玄宗皇帝の 御師と なる、.

しな にほんの しんごんし たれか このひとの ながれに あらざる.
尸那 日本の 真言師・誰か 此人の ながれに あらざる、.

かかる とうとき ひと なれども あるとき とんしして えんまの せめに あわせ たまう.
かかる・たうとき 人 なれども 一時に 頓死して 閻魔の せめに あはせ 給う、.

いかなりけるを ゆえとも ひと しらず.
いかなりける・ゆへとも 人 しらず。.

にちれん これを かんがえたるに もとは ほけきょうの ぎょうじゃなりしが だいにちきょうを みて ほけきょうに まされりと いいし ゆえなり.
日蓮 此れを かんがへたるに 本は 法華経の 行者なりしが 大日経を 見て 法華経に まされりと いゐし ゆへなり、.

されば しゃりほつ もくれんらが さんごの じんでんを へしことは 10あく5ぎゃくの つみにも あらず.
されば 舎利弗 目連等が 三五の 塵点を 経しことは 十悪五逆の 罪にも あらず.

むほん 8ぎゃくの とがにても あらず.
謀反・八虐の 失にても あらず、.

ただ あくちしきに あうて ほけきょうの しんじんを やぶりて ごんきょうに うつりし ゆえなり.
但 悪知識に 値うて 法華経の 信心を やぶりて 権経に うつりし ゆへなり、.

てんだいだいし しゃくして いわく.
天台大師 釈して 云く.

「もし あくゆうに あえば すなわち ほんしんを うしなう」うんぬん.
「若し 悪友に 値えば 則ち 本心を 失う」云云、.

ほんしんと もうすは ほけきょうを しんずる こころなり.
本心と 申すは 法華経を 信ずる 心なり、.

うしなうと もうすは ほけきょうの しんじんを ひきかえて よきょうへ うつる こころなり.
失うと 申すは 法華経の 信心を 引きかへて 余経へ うつる 心なり、.

されば きょうもんに いわく「ねんよりょうやくにふこうふく」とう うんぬん.
されば 経文に 云く「然与良薬而不肯服」等 云云、.

てんだいの いわく.
天台の 云く.

「その こころを うしなう ものは りょうやくを あたうと いえども しかも あえて ふくせず しょうじに るろうし たこくに じょうぜいす」うんぬん.
「其の 心を 失う 者は 良薬を 与うと 雖も 而かも 肯て 服せず 生死に 流浪し 他国に 逃逝す」云云。.

されば ほけきょうを しんずる ひとの おそるべき ものは.
されば 法華経を 信ずる 人の・をそる べきものは.

ぞくにん ごうとう ようち ころう しし とう よりも.
賊人・強盗・夜打ち・虎狼・師子 等 よりも.

とうじの もうこの せめよりも ほけきょうの ぎょうじゃを なやます ひとびと なり.
当時の 蒙古の せめよりも 法華経の 行者を なやます 人人 なり、.

この せかいは だい6てんの まおうの しょりょう なり.
此の 世界は 第六天の 魔王の 所領 なり.

いっさいしゅじょうは むしいらい かの まおうの けんぞく なり.
一切衆生は 無始已来 彼の 魔王の 眷属 なり、.

6どうの なかに 25うと もうす ろうを かまえて いっさいしゅじょうを いるる のみならず.
六道の 中に 二十五有と 申す ろうを かまへて 一切衆生を 入るる のみならず.

めこと もうす ほだしを うち ふぼ しゅくんと もうす あみを そらに はり.
妻子と 申す ほだしを うち 父母 主君と 申す あみを そらに はり.

とんじんちの さけを のませて ぶっしょうの ほんしんを たぼらかす.
貪瞋癡の 酒を のませて 仏性の 本心を たぼらかす、.

ただ あくの さかな のみを すすめて さんあくどうの だいちに ふくが せしむ.
但 あくの さかな のみを・すすめて 三悪道の 大地に 伏臥 せしむ、.

たまたま ぜんの こころあれば しょうげを なす.
たまたま 善の 心あれば 障碍を なす、.

ほけきょうを しんずる ひとをば いかにもして あくへ おとさんと おもうに.
法華経を 信ずる 人をば・いかにもして 悪へ 堕さんと をもうに.

かなわざれば ようやく すかさんが ために そうじせる けごんきょうへ おとしつ.
叶わざれば やうやく すかさんが ために 相似せる 華厳経へ をとしつ・.

とじゅん ちごん ほうぞう ちょうかんら これなり.
杜順・智儼・法蔵・澄観等 是なり、.

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b1082

また はんにゃきょうへ すかし おとす あくゆうは かじょう そうせんら これなり.
又 般若経へ すかし をとす 悪友は 嘉祥・僧詮等 是なり、.

また じんみつきょうへ すかし おとす あくゆうは げんじょう じおん これなり.
又 深密経へ・すかし をとす 悪友は 玄奘・慈恩 是なり、.

また だいにちきょうへ すかし おとす あくゆうは ぜんむい こんごうち ふくう こうぼう じかく ちしょう これなり.
又 大日経へ・すかし をとす 悪友は 善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証 是なり、.

また ぜんしゅうへ すかし おとす あくゆうは だるま えから これなり.
又 禅宗へ すかし をとす 悪友は 達磨・慧可等 是なり、.

また かんぎょうへ すかし おとす あくゆうは ぜんどう ほうねん これなり.
又 観経へ すかし をとす 悪友は 善導・法然 是なり、.

これは だい6てんの まおうが ちしゃの みに いって ぜんにんを たぼらかす なり.
此は 第六天の 魔王が 智者の 身に 入つて 善人を たぼらかす なり、.

ほけきょう だい5の まきに「あっき そのみに いる」と とかれて そうろうは これなり.
法華経 第五の 巻に「悪鬼 其の身に 入る」と 説かれて 候は 是なり。.

たとい とうかくの ぼさつ なれども がんぽんの むみょうと もうす だいあっき みに いって.
設ひ 等覚の 菩薩 なれども 元品の 無明と 申す 大悪鬼 身に 入つて.

ほけきょうと もうす みょうかくの くどくを ささえ そうろう なり.
法華経と 申す 妙覚の 功徳を 障へ 候 なり、.

いかに いわんや そのいげの ひとびとに おいてをや.
何に 況んや 其の 已下の 人人に をいてをや、.

また だい6てんの まおう あるいは さいしの みに いって おやや おっとを たぼらかし.
又 第六天の 魔王 或は 妻子の 身に 入つて 親や 夫を たぼらかし.

あるいは こくおうの みに いって ほけきょうの ぎょうじゃを おどし.
或は 国王の 身に 入つて 法華経の 行者を をどし.

あるいは ふぼの みに いって こうようの こを せむる こと あり.
或は 父母の 身に 入つて 孝養の 子を せむる 事 あり、.

しったたいしは くらいを すてんとし たまい しかば らごら はらまれて おはしませしを.
悉達太子は 位を 捨てんとし 給い しかば 羅ゴ羅 はらまれて・をはしませしを.

じょうぼんのう このこ うまれて のち しゅっけし たまえと いさめられ しかば まが こを おさえて 6ねん なり.
浄飯王 此の子 生れて 後・出家し 給えと・いさめられ しかば 魔が 子を をさへて 六年 なり、.

しゃりほつは むかし ぜんだらぶつと もうせし ほとけの まっせに ぼさつの ぎょうを たてて 60こうを へ たりき.
舎利弗は 昔 禅多羅仏と 申せし 仏の 末世に 菩薩の 行を 立てて 六十劫を 経 たりき、.

すでに 40こう ちかづき しかば 100こうにて ある べかりしを.
既に 四十劫 ちかづき しかば 百劫にて・ある べかりしを.

だい6てんの まおう ぼさつの ぎょうの じょうぜん ことを あぶなしとや おもいけん.
第六天の 魔王・菩薩の 行の 成ぜん 事を あぶなしとや 思いけん、.

ばらもんと なりて まなこを こい しかば そういなく とらせたり しかども.
婆羅門と なりて 眼を 乞い しかば 相違なく・とらせたり しかども.

それより たいする こころ いできて しゃりほつは むりょうこうが あいだ むけんじごくに おちたり ぞかし.
其より 退する 心・出来て 舎利弗は 無量劫が 間・無間地獄に 堕ちたりし ぞかし、.

だいしょうごんぶつの すえの 680おくの だんならは くがんらの 4びくに たぼらかされて.
大荘厳仏の 末の 六百八十億の 檀那等は 苦岸等の 四比丘に・たぼらかされて.

ふじびくを あだみて こそ だいち みじんこうがあいだ むけんじごくを へし ぞかし.
普事比丘を 怨みて こそ 大地 微塵劫が間 無間地獄を 経し ぞかし、.

ししおんのうぶつの すえの なんにょらは しょういびくと もうせし じかいの そうを たのみて.
師子音王仏の 末の 男女等は 勝意比丘と 申せし 持戒の 僧を たのみて.

きこんびくを わらうて こそ むりょうがこうがあいだ じごくに おち つれ.
喜根比丘を 笑うて こそ 無量劫が間・地獄に 堕ち つれ。.

いま また にちれんが でし だんならは これに あたれり.
今 又 日蓮が 弟子 檀那等は 此に あたれり、.

ほけきょうには「にょらいの げんざいに すら なお おんしつ おおし いわんや めつどの のちをや」.
法華経には「如来の 現在に すら 猶 怨嫉 多し 況や 滅度の 後をや」.

また いわく「いっさいせけん あだ おおくして しんじ がたし」.
又 云く「一切世間 怨 多くして 信じ 難し」.

ねはんぎょうに いわく.
涅槃経に 云く.

「よこしまに しおうに かかり かしゃく めにく べんじょう へいけい きが こんく かくのごとき とうの げんせの けいほうを うけて じごくに おちず」とう うんぬん.
「横に 死殃に 羅り 訶嘖・罵辱・鞭杖・閉繋・飢餓・困苦・是くの如き 等の 現世の 軽報を 受けて 地獄に 堕ちず」等 云云、.

はつないおんきょうに いわく「えぶく ふそくにして おんじきそそなり たからを もとめるに り あらず.
般泥洹経に 云く「衣服 不足にして 飲食ソ疎なり 財を 求めるに 利 あらず.

ひんせんの いえ および じゃけんの いえに うまれ.
貧賤の 家 及び 邪見の 家に 生れ.

あるいは おうなん および よの しゅじゅの にんげんの くほうに あう.
或いは 王難 及び 余の 種種の 人間の 苦報に 遭う.

げんせに かるく うくるは それ ごほうの くどくりきに よる ゆえなり」とう うんぬん.
現世に 軽く 受くるは 斯れ 護法の 功徳力に 由る 故なり」等 云云、.

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b1083

もんの こころは われら かこに しょうほうを ぎょうじける ものに あだを なして ありけるが.
文の 心は 我等 過去に 正法を 行じける 者に・あだを なして・ありけるが.

いま かえりて しんじゅ すれば かこに ひとを ささえる つみにて みらいに だいじごくに おつ べきが.
今 かへりて 信受 すれば 過去に 人を 障る 罪にて 未来に 大地獄に 堕つ べきが、.

こんじょうに しょうほうを ぎょうずる くどく ごうじょうなれば みらいの だいくを まねぎこして しょうくに あうなり.
今生に 正法を 行ずる 功徳・強盛なれば 未来の 大苦を まねぎこして 少苦に 値うなり、.

この きょうもんに かこの ひぼうに よりて ようようの かほうを うくる なかに.
この 経文に 過去の 誹謗に よりて・やうやうの 果報を うくる なかに.

あるいは ひんけに うまれ あるいは じゃけんの いえに うまれ あるいは おうなんに あうとう うんぬん.
或は 貧家に 生れ 或は 邪見の 家に 生れ 或は 王難に 値う等 云云、.

この なかに じゃけんの いえと もうすは ひぼうしょうほうの いえなり.
この 中に 邪見の 家と 申すは 誹謗正法の 家なり.

おうなんとうと もうすは あくおうに うまれ あうなり.
王難等と 申すは 悪王に 生れ あうなり、.

この 2つの だいなんは おのおのの みに あたって おぼえつ べし.
此 二つの 大難は 各各の 身に 当つて をぼへつ べし、.

かこの ほうぼうの つみを めっせん とて じゃけんの ふぼに せめられさせ たまう.
過去の 謗法の 罪を 滅せん とて 邪見の 父母に せめられさせ 給う、.

また ほけきょうの ぎょうじゃを あだむ こくしゅに あえり.
又 法華経の 行者を あだむ 国主に あへり.

きょうもん めいめいたり きょうもん かっかくたり.
経文 明明たり 経文 赫赫たり、.

わが みは かこに ほうぼうの もの なりける こと うたがい たまう こと なかれ.
我 身は 過去に 謗法の 者 なりける 事 疑い 給う こと なかれ、.

これを うたがって げんせの けいく しのび がたくて じふの せめに したがいて.
此れを 疑つて 現世の 軽苦 忍び がたくて 慈父の せめに 随いて.

ぞんがいに ほけきょうを すつる よし あるならば わがみ じごくに おつる のみならず.
存外に 法華経を すつる よし・あるならば 我身 地獄に 堕つる のみならず.

ひもも じふも だいあびじごくに おちて ともに かなしまん こと うたがい なかるべし.
悲母も 慈父も 大阿鼻地獄に 堕ちて・ともに かなしまん 事 疑い なかるべし、.

だいどうしんと もうすは これなり.
大道心と 申すは これなり。.

おのおの ずいぶんに ほけきょうを しんぜられつる ゆえに かこの じゅうざいを せめいだし たまいて そうろう.
各各・随分に 法華経を 信ぜられつる・ゆへに 過去の 重罪を せめいだし 給いて 候、.

たとえば くろがねを よくよく きたえば きずの あらわるるが ごとし.
たとへば くろがねを よくよく きたへば きずの あらわるるが ごとし、.

いしは やけば はいと なる.
石は やけば はいと なる.

こがねは やけば しんきんと なる.
金は・やけば 真金と なる、.

この たびこそ まことの ごしんようは あらわれて ほけきょうの じゅうらせつも しゅごせさせ たまうべきにて そうろうらめ.
此の 度こそ・まことの 御信用は・あらわれて 法華経の 十羅刹も 守護せさせ 給うべきにて 候らめ、.

せっせんどうじの まえに げんぜし らせつは たいしゃく なり.
雪山童子の 前に 現ぜし 羅刹は 帝釈 なり.

しびおうの はとは びしゃもんてん ぞかし.
尸毘王の はとは 毘沙門天 ぞかし、.

じゅうらせつ こころみ たまわんが ために ふぼの みに いらせ たまいて せめ たまうこともや あるらん.
十羅刹・心み 給わんが ために 父母の 身に 入らせ 給いて せめ 給うこともや・あるらん、.

それに つけても こころ あさからん ことは こうかい あるべし.
それに・つけても、心 あさからん 事は 後悔 あるべし、.

また ぜんしゃの くつがえすは こうしゃの いましめ ぞかし.
又 前車の くつがへすは 後車の いましめ ぞかし、.

いまの よには なにと なくとも どうしん おこりぬ べし.
今の 世には・なにと なくとも 道心 をこりぬ べし、.

この よの ありさま いとうとも よも いとわれじ.
此の 世の ありさま 厭うとも よも 厭われじ

にほんの ひとびと さだんで だいくに あいぬと みえて そうろう.
日本の 人人 定んで 大苦に 値いぬと 見へて 候・.

がんぜんの こと ぞかし.
眼前の 事 ぞかし、.

ぶんえい 9ねん 2がつの 11にちに さかん なりし はなの だいふうに おるるが ごとく.
文永 九年 二月の 十一日に さかん なりし 華の 大風に をるるが・ごとく.

すずしの たいかに やかるるが ごとく なりしに.
清絹の 大火に・やかるるが・ごとく なりしに・.

よを いとう ひとの いかでか なかるらん.
世を いとう 人の いかでか なかるらん.

→a1083

b1084

ぶんえい 11ねんの 10がつ.
文永十一年の 十月.

ゆき つしまの ものども いちじに しにんと なりし ことは いかに ひとの うえと をぼすか.
ゆき つしまの ものども 一時に 死人と なりし 事は・いかに 人の 上と をぼすか.

とうじも かのうってに むかいたる ひとびとの なげき おいたる おや おさなき こ わかき つま めづらしかりし すみか うちすてて.
当時も・かのうてに 向かいたる 人人の なげき 老たる をや をさなき 子 わかき 妻 めづらしかりし すみか うちすてて・.

よしなき うみを まほり くもの みうれば はたかと うたがい つりぶねの みゆれば ひょうせんかと きもこころを けす.
よしなき 海を まほり 雲の・みうれば はたかと 疑い・つりぶねの・みゆれば 兵船かと 肝心を けす、.

ひに いち にど やまへ のぼり よるに さん しど うまに くらを おく.
日に 一 二度 山え のぼり 夜に 三 四度 馬に くらを をく、.

げんしんに しゅらどうを かんぜり.
現身に 修羅道を かんぜり、.

おのおのの せめられ させ たまう ことも せんする ところは こくしゅの ほけきょうの かたきと なれる ゆえなり.
各各の せめられ させ 給う 事も 詮する ところは 国主の 法華経の・かたきと・なれる ゆへなり、.

こくしゅの かたきと なる ことは じさいら ねんぶつ しんごんしらが ほうぼう より おこれり.
国主の かたきと・なる 事は 持斎等・念仏 真言師等が 謗法 より をこれり、.

こんど ねうし くらして ほけきょうの ごりしょう こころみさせ たまえ.
今度 ねうし くらして 法華経の 御利生 心みさせ 給へ、.

にちれんも また ごうじょうに てんに もうしあげ そうろう なり.
日蓮も 又 強盛に 天に 申し上げ 候 なり、.

いよいよ おづる こころね すがた おわす べからず.
いよいよ・をづる 心ね すがた・をはす べからず、.

さだんで にょにんは こころ よわく おわすれば ごぜたちは こころ ひるがえりてや おわすらん.
定んで 女人は 心 よはく・をはすれば・ごぜたちは 心 ひるがへりてや・をはすらん、.

ごうじょうに はがみをして たゆむ こころ なかれ.
がうじやうに はがみをして たゆむ 心 なかれ、.

れいせば にちれんが へいのさえもんのじょうが もとにて うちふるまい いいしが ごとく すこしも おづる こころ なかれ.
例せば 日蓮が 平左衛門の尉が もとにて・うちふるまい・いゐしが ごとく・すこしも・をづる 心 なかれ、.

わだが こと なりしもの わかさのかみが こと なりし まさかど さだとうが ろうじゅうらと なりしもの.
わだが 子と なりしもの・わかさのかみが 子と なりし・将門・貞当が 郎従等と なりし者、.

ほとけに なる みちには あらねども はじを おもえば いのち おしまぬ ならいなり.
仏に なる 道には・あらねども・はぢを・をもへば 命 をしまぬ 習いなり、.

なにと なくとも いちどの しは いちじょう なり.
なにと・なくとも 一度の 死は 一定 なり、.

いろば しあしくて ひとに わらわれさせ たまうなよ.
いろば しあしくて 人に・わらはれさせ 給うなよ。.

あまりに おぼつかなく そうらえば だいじの ものがたり ひとつ もうす.
あまりに・をぼつかなく 候へば・大事の ものがたり 一つ 申す、.

はくい しゅくせいと もうせし ものは こちくこくの おうの 2にんの たいし なり.
白ひ 叔せいと 申せし 者は 胡竹国の 王の 二人の 太子 なり、.

ちちの おう おとの しゅくせいに くらいを ゆづり たまいき.
父の 王・弟の 叔せいに 位を ゆづり 給いき、.

ちち しして のち しゅくせい くらいに つかざりき.
父 しして 後・叔せい 位に つかざりき、.

はくいが いわく くらいに つき たまえ しゅくせいが いわく あに くらいを つぎ たまえ.
白ひが 云く 位に つき 給え 叔せいが 云 く兄 位を 継ぎ 給え.

はくいが いわく いかに おやの ゆいごんをば たがえ たまうぞと もうせ しかば.
白ひが 云く いかに 親の 遺言をば たがへ 給うぞと 申せ しかば.

おやの ゆいごんは さること なれども いかんが あにを おきては くらいには つくべきと じたいせしかば.
親の 遺言は さる事 なれども いかんが 兄を・をきては 位には 即くべきと 辞退せしかば、.

ふたり ともに ふぼの くにを すてて たこくへ わたりぬ.
二人 共に 父母の 国を すてて 他国へ わたりぬ、.

しゅうの ぶんのうに つかえし ほどに ぶんのう いんの ちゅうおうに うたれ しかば.
周の 文王に・つかへし ほどに 文王 殷の 紂王に 打たれ しかば.

ぶおう 100かにちが うちに いくさを おこしき.
武王・百箇日が 内に・いくさを・をこしき、.

はくい しゅくせいは ぶおうの うまの くちに とりつきて いさめて いわく.
白ひ 叔せいは 武王の 馬の 口に・とりつきて・いさめて 云く.

おやの しして のち 3かねんが うちに いくさを おこすは あに ふこうに あらずや.
をやの しして 後・三箇年が 内に いくさを・をこすは あに 不孝に あらずや、.

ぶおう いかりて はくい しゅくせいを うたんと せしかば たいこうぼう せいして うたせざりき.
武王 いかりて 白ひ 叔せいを 打たんと・せしかば 大公望 せいして 打たせざりき、.

ふたりは この おうを うとみて すようと もうす やまに かくれいて わらびを おりて いのちを つぎしかば.
二人は 此の 王を うとみて・すやうと 申す 山に かくれゐて わらびを・をりて命を・つぎしかば、.

ましと もうす もの ゆきあいて いわく.
麻子と 申す 者 ゆきあひて 云く.

いかに これには おわするぞ.
いかに・これには・をはするぞ.

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ふたり かみくだんのことを かたり しかば ましが いわく.
二人 上件の 事を かたり しかば 麻子が 云く.

さるにては わらびは おうのものに あらずや.
さるにては・わらびは 王の物に あらずや、.

ふたり せめられて その ときより わらびを くわず.
二人 せめられて 爾の 時より・わらびを くわず、.

てんは けんじんを すて たまわぬ ならい なれば.
天は 賢人を すて 給わぬ ならひ なれば.

てん はくろくと げんじて ちちを もって 2にんを やしないき.
天・白鹿と 現じて 乳を・もつて 二人を やしなひき、.

はくろく さって のちに しゅくせいが いわく.
白鹿 去つて 後に 叔せいが 云く.

この はくろくの ちちを のむだにも うまし まして にくを くわんと いいしかば.
此の 白鹿の 乳を のむだにも・うまし・まして 肉を くわんと・いゐしかば.

はくい せいし しかども てん これを ききて きたらず ふたり うえて しににき.
白ひ せいし しかども 天 これを・ききて 来らず、二人 うへて 死ににき、.

いっしょうが あいだ けんなりし ひとも 1ごんに みを ほろぼすにや.
一生が 間・賢なりし 人も 一言に 身を ほろぼすにや、.

おのおのも おんこころの うちは しらず そうらえば おぼつかなし おぼつかなし.
各各も 御心の 内は しらず 候へば・をぼつかなし・をぼつかなし。
.
しゃかにょらいは たいしにて おわせし とき.
釈迦如来は 太子にて・をはせし 時・.

ちちの じょうぼんおう たいしを おしみたてまつりて しゅっけを ゆるし たまわず.
父の 浄飯王・太子を・をしみたてまつりて 出家を ゆるし 給はず、.

4もんに 2せんにんの つわものを すえて まほらせ たまい しかども.
四門に 二千人の・つわものを すへて・まほらせ 給ひ しかども、.

ついに おやの みこころを たがえて いえを いでさせ たまいき.
終に・をやの 御心を たがへて 家を・いでさせ 給いき、.

いっさいは おやに したがうべき にて こそ そうらえども ほとけに なる みちは したがわぬが こうようの もとにて そうろうか.
一切は・をやに 随うべき にて こそ 候へども・仏に なる 道は 随わぬが 孝養の 本にて 候か、.

されば しんちかんぎょうには.
されば 心地観経には.

こうようの もとを とかせ たまうには きおんにゅうむい しんじつほうおんしゃとう うんぬん.
孝養の 本を とかせ 給うには 棄恩入無為・真実報恩者等 云云、.

いうこころは まことの みちに いるには ふぼの こころに したがわずして いえを いでて ほとけになるが まことの おんを ほうずるにては あるなり.
言は・まことの 道に 入るには 父母の 心に 随わずして 家を 出て 仏になるが・まことの 恩を ほうずるにては あるなり、.

せけんの ほうにも ふぼの むほん なんどを おこすには したがわぬが こうようと みえて そうろう ぞかし.
世間の 法にも 父母の 謀反 なんどを・をこすには 随わぬが 孝養と みへて 候 ぞかし、.

こうきょうと もうす きょうに みえて そうろう.
孝経と 申す 経に 見へて 候、.

てんだいだいしも ほけきょうの さんまいに いらせ たまいて・おわせし ときは ふぼ さゆうの ひざに じゅうして ぶつどうを さえんとし たまいし なり.
天台大師も 法華経の 三昧に 入らせ 給いて・をはせし 時は 父母・左右の ひざに 住して 仏道を さえんとし 給いし なり、.

これは てんまの ふぼの かたちを げんじて さうるなり.
此れは 天魔の 父母の かたちを げんじて さうるなり。.

はくい しゅくせいが いんねんは さきに かき そうらいぬ.
白ひ すくせいが 因縁は・さきに かき 候ぬ、.

また だい1の いんねん あり.
又 第一の 因縁 あり、.

にほんこくの にんのう だい16だいに おう おわしき おうじんてんのうと もうす いまの はちまんだいぼさつ これなり.
日本国の 人王・第十六代に 王 をはしき 応神天王と 申す 今の 八幡大菩薩 これなり.

この おうの みこ ふたり まします.
この 王の 御子 二人 まします.

いろえのみこをば にんとく いろとのみこは うじおうじてんのう.
嫡子をば 仁徳・次男は 宇治王子天王・.

つぎの うじの みこに くらいを ゆずり たまいき.
次男の 宇治の 王子に 位を ゆづり 給いき、.

おう ほうぎょならせ たまいて のち うじの みこの いわく いろえ くらいに つき たまうべし.
王 ほうぎよならせ 給いて 後・宇治の 王子の 云く 兄 位に つき 給うべし、.

あにの いわく いかに おやの おんゆずりをば もちいさせ たまわぬぞ.
兄の 云く、いかに・をやの 御ゆづりをば・もちゐさせ 給わぬぞ、.

かくのごとく たがいに ろんじて 3かねんが あいだ くらいに おう おわせざりき.
かくのごとく・たがいに ろむじて、三箇年が間・位に 王 をはせざりき、.

ばんみんの なげき いうばかりなし.
万民の なげき・いうばかりなし・.

てんかの さいにて ありしほどに うじの みこ いわく.
天下の さいにて・ありしほどに、宇治の 王子 云く.

われ いきて あるゆえに あに くらいに つき たまわずと いって かくれさせ たまいにき.
我 いきて・あるゆへに あに 位に 即き 給わずと いつて 死させ 給いにき、.

にんとく これを なげかせ たまいて また ふし しずませ たまい しかば.
仁徳 これを・なげかせ 給いて 又 ふし しづませ 給い しかば、.

うじの みこ いきかえりて ようように おおせ おかせ たまいて また ひきいらせ たまいぬ.
宇治の 王子 いきかへりて・やうやうに・をほせ をかせ 給いて・又 ひきいらせ 給いぬ、.

→a1085

b1086

さて にんとく くらいに つかせ たまいたり しかば.
さて 仁徳・位に つかせ 給いたり しかば.

くに おだやかなる うえ しんら ひゃくさい こうらいも にほんこくに したがいて.
国 をだやかなる 上 しんら・はくさひ・かうらいも 日本国に したがひて・.

ねんぐを 80そう そなえけると こそ みえて そうらえ.
ねんぐを 八十そう そなへけると・こそ みへて 候へ。.

けんのうの なかにも きょうだい おだやかならぬ れいも ある ぞかし.
賢王の なかにも・兄弟 をだやかならぬ れいも ある ぞかし・.

いかなる ちぎりにて きょうだい かくは おわするぞ.
いかなる ちぎりにて 兄弟 かくは・をはするぞ.

じょうぞう じょうげんの ふたりの たいしの うまれかわりて おわするか.
浄蔵・浄眼の 二人の 太子の 生れかはりて・をはするか・.

やくおう やくじょうの ふたりか.
薬王・薬上の 二人か、.

たいふのさかんどのの おんおやの ごかんきは うけ たまわり しかども ひょうえのさかんどのの ことは.
大夫志殿の 御をやの 御勘気は うけ 給わり しかども ひやうへの志殿の 事は.

こんどは よも あにには つかせ たまわじ.
今度は・よも・あにには・つかせ 給はじ・.

さるにては いよいよ たいふのさかんどのの おやの ごふしんは おぼろげにては ゆりじなんど おもって そうらえば.
さるにては・いよいよ 大夫志殿の をやの 御不審は・をぼろげにては・ゆりじなんど・をもつて 候へば・.

この わらわの もうし そうろうは まことにてや そうろうらん.
この わらわの 申し 候は・まことにてや 候らん、.

ごどうしんと もうし そうらえば あまりの ふしぎさに べつの おんふみを まいらせ そうろう.
御同心と 申し 候へば・あまりの・ふしぎさに 別の 御文を まいらせ 候、.

みらい までの ものがたり なにごとか これに すぎ そうろうべき.
未来 までの・ものがたり なに事か・これに すぎ 候べき。.

さいいきと もうす ふみに かきて そうろうは.
西域と 申す 文に かきて 候は.

がっしに はらなっしこく せろくりんと もうすところに ひとりの いんし あり.
月氏に 婆羅痆斯国・施鹿林と 申すところに 一の 隠士 あり.

せんの ほうを じょうぜんと おもう.
仙の 法を 成ぜんと をもう、.

すでに がりゃくを へんじて たからと なし じんちくの かたちを かえけれども.
すでに 瓦礫を 変じて 宝となし 人畜の 形を かえけれども.

いまだ ふううんに のって せんぐうには あそばざりけり.
いまだ 風雲に のつて 仙宮には あそばざりけり、.

この ことを じょうぜんが ために ひとりの れっしを かたらい ちょうとうを もたせて だんの すみに たてて いきを かくし ことばを たつ.
此の 事を 成ぜんが ために 一の 烈士を かたらひ 長刀を もたせて 壇の 隅に 立てて 息を かくし 言を たつ、.

よいより あしたに いたるまで ものいわずば せんのほう じょうずべし.
よひより あしたに いたるまで・ものいはずば 仙の法・成ずべし、.

せんを もとむる いんしは だんの なかに ざして てに ちょうとうを とって くちに しんじゅを じゅうす.
仙を 求る 隠士は 壇の 中に 坐して 手に 長刀を とつて 口に 神呪を ずうす.

やくそくして いわく たとい しなんとする こと ありとも もの いうこと なかれ.
約束して 云く 設ひ 死なんとする 事 ありとも 物 言う事 なかれ.

れっし いわく しすとも もの いわじ.
烈士 云く 死すとも 物 いはじ、.

この ごとくして すでに よなかを すぎて よる まさに あけんとする とき.
此の 如くして 既に 夜中を 過ぎて 夜 まさに あけんとする 時、.

いかんが おもいけん れっし おおいに こえを あげて よばわる すでに せんのほう じょうぜず.
如何が 思いけん 烈士 大に 声を あげて 呼はる、既に 仙の法 成ぜず、.

いんし れっしに いって いわく.
隠士 烈士に 言つて 云く.

いかに やくそくをば たがうるぞ くちおしき ことなりと いう.
何に 約束をば たがふるぞ 口惜しき 事なりと 云う、.

れっし なげいて いわく.
烈士 歎いて 云く.

すこし ねむって ありつれば むかし つかえし しゅじん みずから きたりて せめつれども.
少し 眠つて ありつれば 昔し 仕へし 主人 自ら 来りて 責めつれども.

しの おん あつければ しのんで もの いわず.
師の 恩 厚ければ 忍で 物 いはず、.

かの しゅじん いかって くびを はねんと いう.
彼の 主人 怒つて 頚を はねんと 云う、.

されど また ものいわず ついに くびを きりつ ちゅういんに おもむく.
然而 又 ものいはず、遂に 頚を 切りつ 中陰に 趣く.

わが しかばねを みれば おしく なげかし されども もの いわず
我が 屍を 見れば 惜く 歎かし 然而 物 いはず、

ついに みなみいんどの ばらもんの いえに うまれぬ にゅうたい しゅったいするに だいく しのびがたし.
遂に 南印度の 婆羅門の 家に 生れぬ 入胎 出胎するに 大苦 忍びがたし.

されど いきを いださず.
然而 息を 出さず、.

また ものいわず すでに かんじゃと なりて つまを とつぎぬ.
又 物いはず 已に 冠者と なりて 妻を とつぎぬ、.

また おや しぬ また こを もうけたり.
又 親 死ぬ 又 子を まうけたり、.

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b1087

かなしくも あり よろこばしくも あれども もの いわず.
かなしくも あり よろこばしくも あれども 物 いはず.

かくの ごとくして とし 60ゆう5に なりぬ.
此くの 如くして 年 六十有五に なりぬ、.

わがつま かたりて いわく.
我が妻 かたりて 云く.

なんじ もし ものいわず なんじが いとおしみの こを ころさんと いう.
汝 若し 物いはずば 汝が いとをしみの 子を 殺さんと 云う、.

ときに われ おもわく われ すでに とし おとろえぬ このこを もし ころされなば また こを もうけがたしと おもいつる ほどに.
時に 我 思はく 我 已に 年 衰へぬ 此の子を 若し 殺されなば 又 子を まうけがたしと 思いつる 程に.

こえを おこすと おもえば おどろきぬと いいければ.
声を おこすと・をもへば・をどろきぬと 云いければ、.

しが いわく ちから およばず われも なんじも まに たぼらかされぬ ついに このこと じょうぜずと いいければ.
師が 云く 力 及ばず 我も 汝も 魔に・たぼらかされぬ 終に 此の事 成ぜずと 云いければ、.

れっし おおいに なげきけり.
烈士 大に 歎きけり.

われ こころ よわくして しの せんぽうを じょうぜずと いいければ.
我 心 よはくして 師の 仙法を 成ぜずと 云いければ、.

いんしが いわく わが とがなり かねて いましめざりける ことをと くゆ.
隠士が 云く 我が 失なり 兼て 誡めざりける 事をと 悔ゆ、.

しかれども れっし しの おんを ほうぜざりける ことを なげきて ついに おもいじにに ししぬと かかれて そうろう.
然れども 烈士 師の 恩を 報ぜざりける 事を 歎きて 遂に 思ひ死に ししぬと かかれて 候、.

せんのほうと もうすは かんどには じゅけより いで がっしには げどうの ほうの いちぶん なり.
仙の法と 申すは 漢土には 儒家より 出で 月氏には 外道の 法の 一分 なり、.

いうに かいなき ぶっきょうの しょうじょうあごんきょうにも およばず いわんや つうべつえんをや.
云うに かひ無き 仏教の 小乗阿含経にも 及ばず 況や 通別円をや.

いわんや ほけきょうに およぶべしや.
況や 法華経に 及ぶべしや、.

かかる あさき ことだにも じょうぜんと すれば しま きそって じょうじかたし.
かかる 浅き 事だにも 成ぜんと すれば 四魔 競て 成じかたし、.

いかに いわんや ほけきょうの ごくり なんみょうほうれんげきょうの 7じを はじめて たもたん.
何に 況や 法華経の 極理・南無妙法蓮華経の 七字を 始めて 持たん.

にほんこくの ぐづうの はじめならん ひとの でし だんなと ならん.
日本国の 弘通の 始ならん 人の 弟子 檀那と ならん.

ひとびとの だいなんの きたらん ことをば ことばを もって つくし がたし.
人人の 大難の 来らん 事をば 言を もつて 尽し 難し.

こころを もって おしはかるべしや.
心を もつて・をしはかるべしや。.

されば てんだいだいしの まかしかんと もうす ふみは てんだい いちごの だいじ.
されば 天台大師の 摩訶止観と 申す 文は 天台 一期の 大事・.

いちだいしょうぎょうの かんじん ぞかし.
一代聖教の 肝心 ぞかし、.

ぶっぽう かんどに わたって 500よねん なんぼくの 10し ちは にちがつに ひとしく.
仏法 漢土に 渡つて 五百余年・南北の 十師・智は 日月に 斉く.

とくは しかいに ひびき しかども.
徳は 四海に 響き しかども.

いまだ いちだいしょうぎょうの せんじん しょうれつ ぜんご しだいには めいわくしてこそ そうらいしが.
いまだ 一代聖教の 浅深・勝劣・前後・次第には 迷惑してこそ 候いしが、.

ちしゃだいし ふたたび ぶっきょうを あきらめさせ たまう のみならず.
智者大師 再び 仏教を あきらめさせ 給う のみならず、.

みょうほうれんげきょうの 5じの くらの なかより いちねんさんぜんの にょいほうじゅを とりいだして
妙法蓮華経の 五字の 蔵の 中より 一念三千の 如意宝珠を 取り出して

3ごくの いっさいしゅじょうに あまねく あたえ たまえり
三国の 一切衆生に 普く 与へ 給へり、

この ほうもんは かんどに はじまる のみならず がっしの ろんじまでも あかし たまわぬ こと なり.
此の 法門は 漢土に 始る のみならず 月氏の 論師までも 明し 給はぬ 事 なり、.

しかれば しょうあんだいしの しゃくに いわく.
然れば 章安大師の 釈に 云く.

「しかんの みょうじょうなる ぜんだいに いまだ きかず」うんぬん.
「止観の 明静なる 前代に 未だ 聞かず」云云、.

また いわく「てんじんの だいろん なお その たぐいに あらず」とう うんぬん.
又 云く「天竺の 大論 尚 其の 類に 非ず」等 云云、.

そのうえ まかしかんの だい5の まきの いちねんさんぜんは いま いちじゅう たちいりたる ほうもん ぞかし.
其の上 摩訶止観の 第五の 巻の 一念三千は 今 一重 立ち入たる 法門 ぞかし、.

この ほうもんを もうすには かならず ま しゅったい すべし.
此の 法門を 申すには 必ず 魔 出来 すべし.

ま きそわずは しょうほうと しる べからず.
魔 競はずは 正法と 知る べからず、.

だい5の まきに いわく.
第五の 巻に 云く.

「ぎょうげ すでに つとめぬれば さんしょうしま ふんぜんとして きそい おこる.
「行解 既に 勤めぬれば 三障四魔 紛然として 競い 起る.

ないし したがう べからず おそる べからず.
乃至 随う 可らず 畏る 可らず.

これに したがえば まさに ひとを して あくどうに むかわしむ.
之に 随えば 将に 人 をして 悪道に 向わしむ.

これを おそれば しょうほうを しゅうすることを さまたぐ」とう うんぬん.
之を 畏れば 正法を 修することを 妨ぐ」等 云云、.

この しゃくは にちれんが みに あたる のみならず もんかの めいきょう なり.
此の 釈は 日蓮が 身に 当る のみならず 門家の 明鏡 なり.

つつしんで ならいつたえて みらいの しりょうと せよ.
謹んで 習い伝えて 未来の 資糧と せよ。.

→a1087

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この しゃくに さんしょうと もうすは ぼんのうしょう ごうしょう ほうしょう なり.
此の 釈に 三障と 申すは 煩悩障・業障・報障 なり、.

ぼんのうしょうと もうすは とんじんち とうに よりて しょうげ しゅったい すべし.
煩悩障と 申すは 貪瞋癡 等に よりて 障礙 出来 すべし、.

ごうしょうと もうすは さいしらに よりて しょうげ しゅったい すべし.
業障と 申すは 妻子等に よりて 障礙 出来 すべし、.

ほうしょうと もうすは こくしゅ ふぼらに よりて しょうげ しゅったい すべし.
報障と 申すは 国主 父母等に よりて 障礙 出来 すべし、.

また しまの うちに てんしまと もうすも かくの ごとし.
又 四魔の 中に 天子魔と 申すも 是くの 如し.

いま にほんこくに われも しかんを えたり われも しかんを えたりと いう ひとびと たれか さんしょうしま きそえる ひと あるや.
今 日本国に 我も 止観を 得たり 我も 止観を 得たりと 云う 人人 誰か 三障四魔 競へる 人 あるや、.

これに したがえば まさに ひとをして あくどうに むかわしむと もうすは.
之に 随えば 将に 人をして 悪道に 向わしむと 申すは.

ただ さんあくどう のみならず にんてん きゅうかいを みな あくどうと かけり.
只 三悪道 のみならず 人天・九界を 皆 悪道と かけり、.

されば ほけきょうを のぞきて けごん あごん ほうとう はんにゃ ねはん だいにちきょう とう なり.
されば 法華経を 除きて 華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経 等 なり、.

てんだいしゅうを のぞきて よの 7しゅうの ひとびとは ひとを あくどうに むかわしむる ごくそつ なり.
天台宗を 除きて 余の 七宗の 人人は 人を 悪道に 向わしむる 獄卒 なり、.

てんだいしゅうの ひとびとの なかにも ほけきょうを しんずる ようにて ひとを にぜんへ やるは あくどうに ひとを つかわす ごくそつ なり.
天台宗の 人人の 中にも 法華経を 信ずる やうにて 人を 爾前へ やるは 悪道に 人を つかはす 獄卒 なり。.

いま ふたりの ひとびとは いんしと れっしとの ごとし.
今 二人の 人人は 隠士と 烈士との ごとし.

ひとりも かけなば じょうず べからず.
一も かけなば 成ず べからず、.

たとえば とりの 2つの はね ひとの りょうがんの ごとし.
譬えば 鳥の 二つの 羽 人の 両眼の 如し、.

また ふたりの ごぜたちは この ひとびとの だんな ぞかし.
又 二人の 御前達は 此の 人人の 檀那 ぞかし.

にょにんと なる ことは ものに したがって ものを したがえる み なり.
女人と なる 事は 物に 随つて 物を 随える 身 なり.

おとこ たのしくば つまも さかうべし.
夫 たのしくば 妻も さかふべし.

おとこ ぬすびと ならば つまも ぬすびと なるべし.
夫 盗人 ならば 妻も 盗人 なるべし、.

これ ひとえに こんじょう ばかりの ことには あらず.
是れ 偏に 今生 計りの 事には あらず.

せぜ しょうじょうに かげと みと はなと このみと ねと はとの ごとくにて おわする ぞかし.
世世・生生に 影と 身と 華と 果と 根と 葉との 如くにて おはする ぞかし、.

きに すむ むしは きを はむ みずに ある うおは みずを くらう.
木に すむ 虫は 木を はむ・水に ある 魚は 水を くらふ・.

しば かるれば らん なく まつ さかうれば かしわ よろこぶ そうもくすら かくの ごとし.
芝 かるれば 蘭 なく 松 さかうれば 柏 よろこぶ、草木すら 是くの 如し、.

ひよくと もうす とりは みは 1つにて かしら 2つ あり.
比翼と 申す 鳥は 身は 一つにて 頭 二つ あり.

2つの くちより いる もの いっしんを やしなう.
二つの 口より 入る 物・一身を 養ふ、.

ひほくと もうす うおは 1もくづつ ある ゆえに いっしょうが あいだ はなるる こと なし.
ひほくと 申す 魚は 一目づつ ある 故に 一生が 間 はなるる 事 なし、.

おっとと つまとは かくの ごとし.
夫と 妻とは 是くの 如し.

この ほうもんの ゆえには たとい おっとに がいせらるるとも くゆる こと なかれ.
此の 法門の ゆへには 設ひ 夫に 害せらるるとも 悔ゆる 事 なかれ、.

いちどうして おっとの こころを いさめば りゅうにょが あとを つぎ まつだい あくせの にょにんの じょうぶつの てほんと なり たまうべし.
一同して 夫の 心を いさめば 竜女が 跡を つぎ 末代悪世の 女人の 成仏の 手本と 成り 給うべし、.

かくの ごとく おわさば たとい いかなる こと ありとも.
此くの 如く おはさば 設ひ いかなる 事 ありとも.

にちれんが 2しょう 2てん 10らせつ しゃか たほうに もうして じゅんじしょうに ほとけに なし たてまつるべし.
日蓮が 二聖・二天・十羅刹・釈迦・多宝に 申して 順次生に 仏に なし・たてまつるべし、.

こころの しとは なるとも こころを しと せざれとは ろくはらみつきょうの もん なり.
心の 師とは・なるとも 心を 師とせざれとは 六波羅蜜経の 文 なり。.

たとい いかなる わずらわしき こと ありとも ゆめに なして ただ ほけきょうの ことのみ さわぐらせ たまうべし.
設ひ・いかなる・わづらはしき 事 ありとも 夢に なして 只 法華経の 事のみ さはぐらせ 給うべし、.

なかにも にちれんが ほうもんは いにしえこそ しんじ かたかりしが.
中にも 日蓮が 法門は 古へこそ 信じ かたかりしが.

いまは さきざき いいおきし こと すでに あいぬれば よしなく ぼうぜし ひとびとも くゆる こころ あるべし.
今は 前前 いひをきし 事 既に あひぬれば よしなく 謗ぜし 人人も 悔る 心 あるべし、.

たとい これよりのちに しんずる なんにょ ありとも おのおのには かえ おもう べからず.
設ひ これより 後に 信ずる 男女 ありとも 各各には かへ 思ふ べからず、.

はじめは しんじて ありしかども せけんの おそろしさに すつる ひとびと かずを しらず.
始は 信じて ありしかども 世間の をそろしさに すつる 人人 かずを しらず、.

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その なかに かえって もとより ぼうずる ひとびとよりも ごうじょうに そしる ひとびと また あまたあり.
其の 中に 返つて 本より 謗ずる 人人よりも 強盛に そしる 人人 又 あまたあり、.

ざいせにも ぜんしょうびくらは はじめは しんじて ありしかども のちに すつる のみならず.
在世にも 善星比丘等は 始は 信じて ありしかども 後に すつる のみならず.

かえって ほとけを ぼうじ たてまつりし ゆえに ほとけにも かない たまわず むけんじごくに おちにき.
返つて 仏を はうじ 奉りし ゆへに 仏も 叶い 給はず 無間地獄に をちにき、.

この おんふみは べっして ひょうえのさかんどのへ まいらせ そうろう.
此の 御文は 別して ひやうへの志殿へ まいらせ 候、.

また たいふのさかんどのの にょうぼう ひょうえのさかんどのの にょうぼうに よくよく もうし きかせさせた まうべし きかせさせ たまうべし.
又 太夫志殿の 女房 兵衛志殿の 女房に よくよく 申しき かせさせ 給うべし・きかせさせ 給うべし・.

なんみょうほうれんげきょう なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。.

ぶんえい 12ねん 4がつ 16にち.
文永 十二年 四月 十六日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

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