b1103から1104.
大夫志殿御返事 (たいふのさかんどのごへんじ).
日蓮大聖人 59歳御作.

 

b1103

たいふのさかんどの ごへんじ.
大夫志殿 御返事.

こうあん 3ねん 59さい おんさく.
弘安 三年 五十九歳 御作.

こそで ひとつ ひたたれ 3ぐ おなじく こし 3ぐ とう うんぬん.
小袖 一つ 直垂 三具 同じく 腰 三具 等 云云.

こそでは しちかん ひたたれ ならびに こしは じっかん いじょう 17かんもんに あたれり.
小袖は 七貫 直垂 並びに 腰は 十貫 已上 十七貫文に 当れり.

それ おもんみれば てんだいだいしの おんくらいを しょうあんだいし あらわして いわく.
夫れ 以れば 天台大師の 御位を 章安大師 顕して 云く.

「しかんの だい1に じょぶんを ひいて いわく.
「止観の 第一に 序文を 引いて 云く.

あんぜんとして けす くらい ごほんに こしたまえり.
安禅として 化す 位 五品に 居したまえり.

ゆえに きょうに いわく 400まんおくなゆたの くにの ひとに ほどこすに.
故に 経に 云く 四百万億那由佗の 国の 人に 施すに.

いちいちに みな しっぽうを あたえ また けして ろくつうを えしむるすら.
一一に 皆 七宝を 与え 又 化して 六通を 得しむるすら.

しょずいきの ひとに しかざること ひゃくせんまんばい せり.
初随喜の 人に 如ざること 百千万倍 せり.

いわんや ごほんをや.
況や 五品をや.

もんに いわく そく にょらいの つかい なり.
文に 云く 即 如来の 使 なり.

にょらいの しょけんとして にょらいの じを ぎょうず」 とう うんぬん.
如来の 所遣として 如来の 事を 行ず」 等 云云.

でんぎょうだいし てんだいだいしを しゃくして いわく.
伝教大師 天台大師を 釈して 云く.

「いま わが てんだいだいしは ほけきょうを とき ほけきょうを しゃくし.
「今 吾が 天台大師は 法華経を 説き 法華経を 釈し.

ぐんに とくしゅうし とうに どっぽ す」 うんぬん.
群に 特秀し 唐に 独歩 す」 云云.

また いわく 「あきらかに しんぬ にょらいの つかい なり.
又 云く 「明かに 知んぬ 如来の 使 なり.

ほむる ものは ふくを あんみょうに つみ そしる ものは つみを むけんに ひらく」と うんぬん.
讃むる 者は 福を 安明に 積み 謗る 者は 罪を 無間に 開く」と 云云.

このごときは しばらく これを おく.
是の如きは 且らく 之を 置く.

めつご 1にち より しょう ぞう まつ 2200よねんの あいだ.
滅後 一日 より 正 像 末 二千二百余年の 間.

ほとけの おんつかい 27にん なり.
仏の 御使 二十七人 なり.

いわゆる だい1は だいかしょう だい2は あなん だい3は までんち.
所謂 第一は 大迦葉 第二は 阿難 第三は 末田地.

だい4は しょうなわしゅ だい5は きくた だい6は だいたか.
第四は 商那和修 第五は キク多 第六は 提多迦.

だい7は みしゃか だい8は ぶつだなんだい だい9は ぶつだみった.
第七は 弥遮迦 第八は 仏駄難提 第九は 仏駄密多.

だい10は きょうびく だい11は ふなしゃ だい12は めみょう.
第十は 脇比丘 第十一は 富那奢 第十二は 馬鳴.

だい13は びら だい14は りゅうじゅ だい15は だいば.
第十三は 毘羅 第十四は 竜樹 第十五は 提婆.

だい16は らご だい17は そうぎゃなんだい だい18は そうぎゃやしゃ.
第十六は 羅ゴ 第十七は 僧ギャ難提 第十八は 僧ギャ耶奢.

だい19は くまらだ だい20は しゃやな だい21は ばんだ.
第十九は 鳩摩羅駄 第二十は 闍夜那 第二十一は 盤駄.

だい22は まぬら だい23は かくろくやしゃ だい24は ししそんじゃ.
第二十二は 摩奴羅 第二十三は 鶴勒夜奢 第二十四は 師子尊者.

この 24人は こんくの しるす ところの ふほうぞうきょうに のす.
此の 二十四人は 金口の 記する 所の 付法蔵経に 載す.

ただし しょうじょう ごんだいじょうきょうの おんつかい なり.
但し 小乗 権大乗経の 御使 なり.

いまだ ほけきょうの おんつかいには あらず.
いまだ 法華経の 御使には あらず.

さんろんしゅうの いわく「どうろうきちぞうは ほとけの つかい なり」.
三論宗の 云く 「道朗吉蔵は 仏の 使 なり」.

ほっそうしゅうの いわく 「げんじょう じおんは ほとけの つかい なり」.
法相宗の 云く 「玄奘 慈恩は 仏の 使 なり」.

けごんしゅうの いわく 「ほうぞう ちょうかんは ほとけの つかい なり」.
華厳宗の 云く 「法蔵 澄観は 仏の 使 なり」.

しんごんしゅうの いわく 「ぜんむい こんごうち ふくう えか こうぼう とうは ほとけの つかい なり」.
真言宗の 云く 「善無畏 金剛智 不空 慧果 弘法 等は 仏の 使 なり」.

にちれん これを かんがえて いわく まったく ほとけの つかいに あらず.
日蓮 之を 勘えて 云く 全く 仏の 使に 非ず.

まったく だいしょうじょうの つかいにも あらず.
全く 大小乗の 使にも 非ず.

これを くようせば わざわいを まねき これを ぼうぜば ふくを いたさん.
之を 供養せば 災を 招き 之を 謗ぜば 福を 至さん.

とう なんじの じぎか.
問う 汝の 自義か.

こたえて いわく.
答えて 云く.

たとい じぎ なりと いえども うもん うぎ ならば なんの とが あらん.
設い 自義 為りと 雖も 有文 有義 ならば 何の 科 あらん.


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しかりと いえども しゃく あり でんぎょうだいし いわく.
然りと 雖も 釈 有り 伝教大師 云く.

「だれか ふくを すて つみを したう もの あらんや」 うんぬん.
「誰か 福を 捨て 罪を 慕う 者 あらんや」 云云.

ふくを すてるとは てんだいだいしを すてる ひと なり.
福を 捨てるとは 天台大師を 捨てる 人 なり.

つみを したうとは かみに かかぐる ところの ほっそう さんろん けごん しんごんの がんそ とう なり.
罪を 慕うとは 上に 挙ぐる 所の 法相 三論 華厳 真言の 元祖 等なり.

かの しょしを すて いっこうに てんだいだいしを くよう する ひとの その ふくを いま もうすべし.
彼の 諸師を 捨て 一向に 天台大師を 供養 する 人の 其の 福を 今 申すべし.

3000だいせんせかいと もうすは とうざいなんぼく 1しゅみせん 6よくぼんてんを 1してんげと なずく.
三千大千世界と 申すは 東西南北 一須弥山 六欲 梵天を 一四天下と なづく.

ひゃくおくの しゅみせん ししゅう とうを しょう1000と いう.
百億の 須弥山 四州 等を 小千と 云う.

しょう1000の1000を ちゅう1000と いう.
小千の千を 中千と 云う.

ちゅう1000の1000を だい1000と もうす.
中千の千を 大千と 申す.

この 3000だいせんせかいを ひとつにして.
此の 三千大千世界を 一にして.

400ひゃくまんなゆたこくの 6どうの しゅじょうを 80ねん やしない.
四百万億那由佗国の 六道の 衆生を 八十年 やしなひ.

ほけきょう より ほかの いこんとうの いっさいきょうを いちいちの しゅじょうに どくじゅ せさせて.
法華経 より 外の 已今当の 一切経を 一一の 衆生に 読誦 せさせて.

3みょう6つうの あらかん ひゃくしぶつ とうかくのぼさつと なせる ひとりの だんなと.
三明六通の 阿羅漢 辟支仏 等覚の菩薩と なせる 一人の 檀那と.

せけん しゅっせの たからを いちぶんも ほどこさぬ ひとの ほけきょう ばかりを.
世間 出世の 財を 一分も 施さぬ 人の 法華経 計りを.

いちじ いっく いちげ たもつ ひとと そうたいして くどくを ろんずるに.
一字 一句 一偈 持つ 人と 相対して 功徳を 論ずるに.

ほけきょうの ぎょうじゃの くどく すぐれたる こと ひゃくせんまんおくばい なり.
法華経の 行者の 功徳 勝れたる 事 百千万億倍 なり.

てんだいだいし これに まされたる こと 5ばい なり.
天台大師 此れに 勝れたる 事 五倍 なり.

かかる ひとを くよう すれば ふくを しゅみせんに つみ たもうなりと.
かかる 人を 供養 すれば 福を 須弥山に つみ 給うなりと.

でんぎょうだいし ことわらせ たまいて そうろう.
伝教大師 ことはらせ 給ひて 候.

この よしを にょうぼうには もうさせ たまえ.
此の 由を 女房には 申させ 給へ.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言.

たいふのさかんどの ごへんじ.
大夫志殿 御返事.

かおう.
花押.

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