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四条金吾殿 御返事 (しじょうきんごどの ごへんじ)
別名、梵音声 御書 (ぼんのんじょう ごしょ).
日蓮大聖人 51歳 御作.

 

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しじょうきんごどの ごへんじ.
四条金吾殿 御返事.

ぶんえい 9ねん 51さい おんさく.
文永 九年 九月 五十一歳 御作.

それ せいの かんこうと もうせし おう むらさきを このみて き たまいき.
夫れ 斉の 桓公と 申せし 王 紫を このみて 服 給いき.

その しょうおうと いいし おうは おんなの こしの ふとき ことを にくみしかば.
楚の 荘王と 言いし 王は 女の 腰の ふとき 事を にくみしかば.

いっさいの あそびめ こしを ほそからせんが ために がし しけるもの おおし.
一切の 遊女 腰を ほそからせんが ために 餓死 しけるもの おほし.

しかれば いちにんの このむ ことをば わが こころに あわざれども ばんみん したがいし なり.
しかれば 一人の 好む 事をば 我が 心に あはざれども 万民 随いし なり.

たとえば おおかぜの そうもくを なびかし たいかいの しゅうるを ひくが ごとし.
たとへば 大風の 草木を なびかし 大海の 衆流を ひくが 如し.

かぜに たがわざる そうもくは おれ うせざるべしや.
風に したがはざる 草木は をれ うせざるべしや.

しょうが たいかいに おさまらずば いずれの ところに おさまるべきや.
小河 大海に おさまらずば いづれの ところに おさまるべきや.

こくおうと もうすことは せんじょうに ばんみんに すぐれて だいかいを たもち.
国王と 申す事は 先生に 万人に すぐれて 大戒を 持ち.

てんち および しょじん ゆるし たまいぬ.
天地 及び 諸神 ゆるし 給いぬ.

その だいかいの くどくを もちて その すむべき こくどを さだむ.
其の 大戒の 功徳を もちて 其の 住むべき 国土を 定む.

ふたり さんにん とうを おうと せず.
二人 三人 等を 王と せず.

ちおう てんのう かいおう さんおうとう ことごとく らいりんして この ひとを まもる.
地王 天王 海王 山王等 悉く 来臨して この 人を まほる.

いかに いわんや その くにじゅうの しょみん その だいおうを そむくべしや.
いかに いはんや 其の 国中の 諸民 其の 大王を 背くべしや.

この おうは たとい あくぎゃくを おかすとも.
此の 王は たとひ 悪逆を 犯すとも.

いち に さんど とうには そうなく この だいおうを ばっせず.
一 二 三度 等には 左右なく 此の 大王を 罰せず.

ただ しょてんらの みこころに かなわざるは いちおうは てんぺんちよう とうを もちて これを いさむ.
但 諸天等の 御心に 叶わざるは 一往は 天変地夭 等を もちて これを いさむ.

こと かぶんすれば しょてん ぜんじんとう その こくどを しゃりし たもう.
事 過分すれば 諸天 善神等 其の 国土を 捨離し 給う.

もしは この だいおうの かいりき つき ご きたって こくどの ほろぶる ことも あり.
若しは 此の 大王の 戒力 つき 期 来つて 国土の ほろぶる 事も あり.

ぜんあくに ついて くには かならず おうに したがうもの なるべし.
善悪に 付て 国は 必ず 王に 随うもの なるべし.

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せけん かくの ごとし ぶっぽうも また しかなり.
世間 此くの 如し 仏法も 又 然なり.

ぶっだ すでに ぶっぽうを おうほうに ふし たもう.
仏陀 すでに 仏法を 王法に 付し 給う.

しかれば たとい しょうにん けんじんなる ちしゃ なれども.
しかれば たとひ 聖人 賢人なる 智者 なれども.

おうに したがわざれば ぶっぽう るふ せず.
王に したがはざれば 仏法 流布 せず.

あるいは のちには るふ すれども はじめには かならず だいなん きたる.
或は 後には 流布 すれども 始めには 必ず 大難 来る.

かにしかおうは ほとけの めつご よんひゃくよねんの おう なり.
迦弐志加王は 仏の 滅後 四百余年の 王 なり.

けんだらこくを たなごころの うちに にぎれり.
健陀羅国を 掌の うちに にぎれり.

ごひゃくの あらかんを きえして ばしゃろん にひゃっかんを つくらしむ.
五百の 阿羅漢を 帰依して 婆沙論 二百巻を つくらしむ.

くにじゅう すべて しょうじょう なり.
国中 総て 小乗 なり.

その くにに だいじょう ひろめ がたかりき.
其の 国に 大乗 弘め がたかりき.

ほっしゃみつたらおうは ごてんじんくを したがえて ぶっぽうを うしない しゅうそうの くびを きる.
発舎密多羅王は 五天竺を 随へて 仏法を 失ひ 衆僧の 頚を きる.

だれの ちしゃも かなわず.
誰の 智者も 叶わず.

たいそうは けんのう なり.
太宗は 賢王 なり.

げんじょうさんぞうを しとして ほっそうしゅうを たもち たまいき.
玄奘三蔵を 師として 法相宗を 持ち 給いき.

たれの しんかか そむきし.
誰の 臣下か そむきし.

この ほっそうしゅうは だいじょう なれども ごしょうかくべつと もうして.
此の 法相宗は 大乗 なれども 五性各別と 申して.

ぶっきょうちゅうの おおきなる わざわいと みえたり.
仏教中の おほきなる わざはひと 見えたり.

なお げどうの じゃほうにも すぎ あくほう なり.
なを 外道の 邪法にも すぎ 悪法 なり.

がっし しんたん にほん さんごく ともに ゆるさず.
月支 震旦 日本 三国 共に ゆるさず.

ついに にほんこくにして でんぎょうだいしの みてに かかりて この じゃほう とどめ おわんぬ.
終に 日本国にして 伝教大師の 御手に かかりて 此の 邪法 止め 畢んぬ.

おおいなる わざわい なれども たいそう これを しんこうし たまい しかば.
大なる わざはひ なれども 太宗 これを 信仰し 給い しかば.

たれの ひとか これを そむきし.
誰の 人か これを そむきし.

しんごんしゅうと もうすは だいにちきょう こんごうちょうきょう そしつじきょうに よる.
真言宗と 申すは 大日経 金剛頂経 蘇悉地経に よる.

これを だいにちの さんぶと ごうす.
これを 大日の 三部と 号す.

げんそうこうていの おんとき ぜんむいさんぞう こんごうちさんぞう てんじくより もち きたれり.
玄宗皇帝の 御時 善無畏三蔵 金剛智三蔵 天竺より 将ち 来れり.

げんそう これを そんちょうし たもうこと てんだい けごんしゅう とうにも こえたり.
玄宗 これを 尊重し 給う事 天台 華厳宗 等にも こへたり.

ほっそう さんろんにも すぐれて おぼしめすが ゆえに.
法相 三論にも 勝れて 思し食すが 故に.

かんどは すべて だいにちきょうは ほけきょうに まさると おもい.
漢土は 総て 大日経は 法華経に 勝ると おもひ.

にほんこく とうせいに いたるまで てんだいしゅうは しんごんしゅうに おとるなりと おもう.
日本国 当世に いたるまで 天台宗は 真言宗に 劣るなりと おもふ.

かの しゅうを がくする とうじ てんだいの こうそう とう まん かまんを おこす.
彼の 宗を 学する 東寺 天台の 高僧 等 慢 過慢を おこす.

ただし だいにちきょうと ほけきょうと これを ならべて へんとうを すて.
但し 大日経と 法華経と これを ならべて 偏党を 捨て.

これを みれば だいにちきょうは ほたるびの ごとく ほけきょうは めいげつの ごとく.
是を 見れば 大日経は 螢火の 如く 法華経は 明月の 如く.

しんごんしゅうは しゅうせいの ごとく てんだいしゅうは にちりんの ごとし.
真言宗は 衆星の 如く 天台宗は 日輪の 如し.

へんしゅうの ものの いわく.
偏執の 者の 云く.

なんじ いまだ しんごんしゅうの じんぎを ならい きわめずして かの むじんの とがを もうす.
汝 未だ 真言宗の 深義を 習い きはめずして 彼の 無尽の 科を 申す.

ただし しんごんしゅう かんどに わたって600よねん にほんに ひろまりて.
但し 真言宗 漢土に 渡つて 六百余年 日本に 弘まりて.

400よねん この あいだの にんしの なんとう あらあら これを しれり.
四百余年 此の 間の 人師の 難答 あらあら これを しれり.

でんぎょうだいし いちにん この ほうもんの こんげんを わきまえ たもう.
伝教大師 一人 此の法門の 根源を わきまへ 給う.

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しかるに とうせい にほんこく だいいちの とが これなり.
しかるに 当世 日本国 第一の 科 是なり.

しょうを もって れつと おもい れつを もって しょうと おもうの ゆえに.
勝を 以て 劣と 思い 劣を 以て 勝と 思うの 故に.

だいもうここくを ちょうぶく する とき かえって おそわれんと ほっす これなり.
大蒙古国を 調伏 する 時 還つて 襲われんと 欲す 是なり.

けごんしゅうと もうすは ほうぞうほっしが しょりゅうの しゅう なり.
華厳宗と 申すは 法蔵法師が 所立の 宗 なり.

そくてんこうごうの ごきえ ありしに より しょしゅう かたを ならべ がたかりき.
則天皇后の 御帰依 ありしに よりて 諸宗 肩を ならべ がたかりき.

しかれば おうの いせいに よりて そうの しょうれつは ありけり.
しかれば 王の 威勢に よりて 宗の 勝劣は ありけり.

ほうに したがって しょうれつ なき ようなり.
法に 依つて 勝劣 なき やうなり.

たとい じんぎを えたる ろんし にんし なりと いえども.
たとひ 深義を 得たる 論師 人師 なりと いふとも.

おうほうには かちがたき ゆえに たまたま かたんとせし じんは だいなんに あえり.
王法には 勝がたき ゆへに たまたま 勝んとせし 仁は 大難に あへり.

いわゆる ししそんじゃは だんみらおうの ために くびを はねらる.
所謂 師子尊者は 檀弥羅王の ために 頚を 刎ねらる.

だいばぼさつは げどうの ために さつがい せらる.
提婆菩薩は 外道の ために 殺害 せらる.

じくの どうしょうは そざんに ながされ.
竺の 道生は 蘇山に 流され.

ほうどうさんぞうは かおに かなやき おされて こうなんに はなたれたり.
法道三蔵は 面に 火印 をされて 江南に 放たれたり.

しかるに にちれんは ほけきょうの ぎょうじゃにも あらず.
而るに 日蓮は 法華経の 行者も あらず.

また そうりょの かずにも いらず.
又 僧侶の 数にも いらず.

しかり しかして よの ひとに したがいて あみだぶつの みょうごうを たもちし ほどに.
然り 而して 世の 人に 随て 阿弥陀仏の 名号を 持ちし ほどに.

あみだぶつの けしんと ひびかせ たもう.
阿弥陀仏の 化身と ひびかせ 給う.

ぜんどうわじょうの いわく.
善導和尚の 云く.

「じっそくじっしょう ひゃくそくひゃくしょう ないし せんちゅうむいち」と.
「十即十生 百即百生 乃至 千中無一」と.

せいしぼさつの けしんと あおがれ たもう.
勢至菩薩の 化身と あをがれ 給う.

ほうねんしょうにん この しゃくを りょうけんして いわく.
法然上人 此の 釈を 料簡して 云く.

「まつだいに ねんぶつの ほかの ほけきょうとうを まじうる ねんぶつに おいては.
「末代に 念仏の 外の 法華経等を 雑ふる 念仏に おいては.

せんちゅうむいち いっこうに ねんぶつせば じっそくじっしょう」と うんぬん.
千中無一一向に 念仏せば 十即十生」と 云云.

にほんこくの うち むち あおいで このぎを しんじて いまに 50よねん.
日本国の 有智 無智 仰いで 此の義を 信じて 今に 五十余年.

いちにんも うたがいを くわえず.
一人も 疑を 加へず.

ただ にちれんの しょにんに かわる ところは.
唯 日蓮の 諸人に かはる 所は.

あみだぶつの ほんがんには 「ただ ごぎゃくと ひぼうしょうほうとを のぞく」と ちかい.
阿弥陀仏の 本願には「唯 五逆と 誹謗正法とを 除く」と ちかひ.

ほけきょうには「もし ひと しんぜずして この きょうを きぼうせば すなわち いっさいせけんの ぶっしゅを だんず.
法華経には「若し 人 信ぜずして 此の 経を 毀謗せば 則ち 一切世間の 仏種を 断ず.

ないし その ひと みょうじゅうして あびごくに いらん」と とかれたり.
乃至 其の 人 命終して 阿鼻獄に 入らん」と 説かれたり.

これ ぜんどう ほうねん ほうぼうの もの なれば.
此れ 善導 法然 謗法の 者 なれば.

たのむ ところの あみだぶつに すてられ おわんぬ.
たのむ ところの 阿弥陀仏に すてられ をはんぬ.

よぶつ よきょうに おいては われと なげうちぬる うえは すくい たまうべきに およばず.
余仏 余経に おいては 我と 抛ちぬる 上は 救い 給うべきに 及ばず.

ほけきょうの もんの ごときは むけんじごく うたがいなしと うんぬん.
法華経の 文の 如きは 無間地獄 疑なしと 云云.

しかるを にほんこくは おしなべて かれらが でしたる あいだ この だいなん まぬかれがたし.
而るを 日本国は をしなべて 彼等が 弟子たる あひだ 此の 大難 まぬかれがたし.

むじんの ひけいを めぐらして にちれんを あだむ これなり.
無尽の 秘計を めぐらして 日蓮を あだむ 是なり.

さきざきの しょなんは さておき そうらいぬ.
先先の 諸難は さておき 候いぬ.

こぞ 9がつ 12にち ごかんきを かおりて.
去年 九月 十二日 御勘気を かほりて.

その よるの うちに こうべを はねらる べきにて ありしが.
其の 夜の うちに 頭を はねらる べきにて ありしが.

いかなる ことにや よりけん かの よるは のびて この くにに きたりて いままで そうろうに.
いかなる 事にや よりけん 彼の 夜は 延びて 此の 国に 来りて いままで 候に.

せけんにも すてられ ぶっぽうにも すてられ てんにも とぶらわれず. 
世間にも すてられ 仏法にも すてられ 天も とぶらはれず.

にとに かけたる すてもの なり.
二途に かけたる すてもの なり.

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しかるを いかなる おんこころざしにて これまで おつかいを つかわし.
而るを 何なる 御志にて これまで 御使を つかはし.

おんみには いちごの だいじたる ひもの ごついぜん.
御身には 一期の 大事たる 悲母の 御追善.

だいさんねんの ごくようを おくり つかわされたる りょうみっかは うつつとも おぼえず.
第三年の 御供養を 送り つかはされたる 両三日は うつつとも おぼへず.

かの ほうしょうじの しゅぎょうが いおうがしまにて.
彼の 法勝寺の 修行が いはをが嶋にて.

としごろ つかいける わらべに あいたりし ここち なり.
としごろ つかひける 童に あひたりし 心地 なり.

ここくの えびす ようこうと いいしもの かんどに いけどられて.
胡国の 夷 陽公と いひしもの 漢土に いけどられて.

きた より みなみへ いでけるに とびまいける かりを みて なげきけんも.
北 より 南へ 出けるに 飛びまひける 雁を 見て なげきけんも.

これには しかじと おぼえたり.
これには しかじと おぼへたり.

ただし ほけきょうに いわく.
但し 法華経に 云く.

「もし ぜんなんし ぜんにょにん わが めつどの のちに.
「若し 善男子 善女人 我が 滅度の 後に.

よく ひそかに いちにんの ためにも ほけきょうの ないし いっくを とかん.
能く 竊かに 一人の 為にも 法華経の 乃至 一句を 説かん.

まさに しるべし この ひとは すなわち にょらいの つかい にょらいの しょけんとして にょらいの じを ぎょうずる なり」とう うんぬん.
当に 知るべし 是の 人は 則ち 如来の 使 如来の 所遣として 如来の 事を 行ずる なり」等 云云.

ほけきょうを いちじ いっくも となえ また ひとにも かたり もうさんものは きょうしゅ しゃくそんの おんつかい なり.
法華経を 一字 一句も 唱え 又 人にも 語り 申さんものは 教主 釈尊の 御使 なり.

しかれば にちれん いやしきみ なれども きょうしゅ しゃくそんの ちょくせんを ちょうだいして この くにに きたれり.
然れば 日蓮 賤身 なれども 教主 釈尊の 勅宣を 頂戴して 此の 国に 来れり.

これを いちごんも そしらん ひとびとは つみを むげんに ひらき.
此れを 一言も そしらん 人人は 罪を 無間に 開き.

いちじ いっくも くようせん ひとは むすうの ほとけを くよう するにも すぎたりと みえり.
一字 一句も 供養せん 人は 無数の 仏を 供養 するにも すぎたりと 見えたり.

きょうしゅ しゃくそんは いちだいの きょうしゅ いっさいしゅじょうの どうし なり.
教主釈尊は 一代の 教主 一切衆生の 導師 なり.

はちまんほうぞうは みな きんげん 12ぶきょうは みな しんじつ なり.
八万法蔵は 皆 金言 十二部経は 皆 真実 なり.

むりょうおっこうより いらい たもち たまいし ふもうごかいの しょせんは いっさいきょう これなり.
無量億劫より 以来 持ち 給いし 不妄語戒の 所詮は 一切経 是なり.

いずれも うたがうべきに あらず.
いづれも 疑うべきに あらず.

ただ これは そうそう なり.
但 是は 総相 なり.

べっして たずぬれば にょらいの こんくより しゅったいして しょうじょう だいじょう けんみつ ごんきょう じっきょう これあり.
別して たづぬれば 如来の 金口より 出来して 小乗 大乗 顕密 権経 実経 是あり.

いま この ほけきょうは「しょうじきしゃほうべんとう ないし せそん ほうくご ようとうせつしんじつ」と.
今 この 法華経は「正直捨方便等 乃至 世尊 法久後 要当説真実」と.

とき たもう ことなれば たれの ひとか うたがうべき なれども.
説き 給う 事なれば 誰の 人か 疑うべき なれども.

たほうにょらい しょうみょうを くわえ しょぶつ したを ぼんてんに つけ たもう.
多宝如来 証明を 加へ 諸仏 舌を 梵天に 付け 給う.

されば この おんきょうは いちぶなれども さんぶ なり.
されば 此の 御経は 一部なれども 三部 なり.

いっく なれども さんく なり.
一句 なれども 三句 なり.

いちじ なれども さんじ なり.
一字 なれども 三字 なり.

この ほけきょうの いちじの くどくは しゃか たほう じっぽうの しょぶつの おんくどくを いちじに おさめ たもう.
此の 法華経の 一字の 功徳は 釈迦 多宝・ 十方の 諸仏の 御功徳を 一字に おさめ 給う.

たとえば にょいほうしゅの ごとし.
たとへば 如意宝珠の 如し.

いっしゅも ひゃくしゅも おなじき ことなり.
一珠も 百珠も 同じき 事なり.

いっしゅも むりょうの たからを ふらす.
一珠も 無量の 宝を 雨す.

ひゃくしゅも また むじんの たから あり.
百珠も 又 無尽の 宝 あり.

たとえば ひゃくそうを すりて いちがん ないし ひゃくがんと なせり.
たとへば 百草を 抹りて 一丸 乃至 百丸と なせり.

いちがんも ひゃくがんも ともに やまいを じする こと これ おなじ.
一丸も 百丸も 共に 病を 治する 事 これ をなじ.

たとえば たいかいの いったいも しゅうるを そなえ いっかいも ばんるの あじを もてるが ごとし.
譬へば 大海の 一タイも 衆流を 備へ 一海も 万流の 味を もてるが 如し.

みょうほうれんげきょうと もうすは そうみょう なり.
妙法蓮華経と 申すは 総名 なり.

28ぽんと もうすは べつみょう なり.
二十八品と 申すは 別名 なり.

がっしと もうすは てんじくの そうみょうなり べっしては ごてんじく これなり.
月支と 申すは 天竺の 総名なり 別しては 五天竺 是なり.

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にほんと もうすは そうみょう なり.
日本と 申すは 総名 なり.

べっしては 66しゅう これあり.
別しては 六十六州 これあり.

にょいほうしゅと もうすは しゃかぶつの おんしゃり なり.
如意宝珠と 申すは 釈迦仏の 御舎利 なり.

りゅうおうに これを たまいて ちょうじょうに ちょうだいして たいしゃく これを たもちて たからを ふらす.
竜王に これを 給いて 頂上に 頂戴して 帝釈 是を 持ちて 宝を ふらす.

ほとけの しんこつの にょいほうしゅと なれるは むりょうこうらい たもつ ところの だいかい.
仏の 身骨の 如意宝珠と なれるは 無量劫来 持つ 所の 大戒.

みに くんじて ほねに そみ いっさいしゅじょうを たすける たまと なるなり.
身に 薫じて 骨に そみ 一切衆生を たすける 珠と なるなり.

たとえば いぬの きばの とらの ほねに とく うおの ほねの うの いきに きゆるが ごとし.
たとへば 犬の 牙の 虎の 骨に とく 魚の 骨の ウの 気に 消ゆるが 如し.

ないし ししの すじを ことの いとに かけて これを ひけば.
乃至 師子の 筋を 琴の 絃に かけて これを 弾けば.

よの いっさいの けものの すじの いと みな きらざるに やぶる.
余の 一切の 獣の 筋の 絃 皆 きらざるに やぶる.

ほとけの せっぽうをば ししくと もうす.
仏の 説法をば 師子吼と 申す.

ないし ほけきょうは ししくの だいいち なり.
乃至 法華経は 師子吼の 第一 なり.

ほとけには 32そう そなわり たもう.
仏には 三十二相 そなはり 給う.

いちいちの そう みな ひゃくふく そうごん なり.
一一の 相 皆 百福 荘厳 なり.

にっけい びゃくごう なんど もうすは かの ごとし.
肉髻 白毫 なんど 申すは 菓の 如し.

いんにの けの くどくとうと なって 32そうを そなえ たもう.
因位の 華の 功徳等と 成つて 三十二相を 備え 給う.

ないし むけんちょうそうと もうすは しゃかぶつの おんみは じょうろく なり.
乃至 無見頂相と 申すは 釈迦仏の 御身は 丈六 なり.

ちくじょう げどうは しゃくそんの みたけを はからず.
竹杖外道は 釈尊の 御長を はからず.

おんいただきを みたて まつらんと せしに おんいただきを みたて まつらず.
御頂を 見 奉らんと せしに 御頂を 見たて まつらず.

おうじ ぼさつも おんいただきを みたて まつらず.
応持菩薩も 御頂を 見たて まつらず.

だいぼんてんのうも おんいただきをば みたて まつらず.
大梵天王も 御頂をば 見たて まつらず.

これは いかなる ゆえぞと たずぬれば.
これは いかなる ゆへぞと たづぬれば.

ふぼ ししょう しゅくんを いただきを ちに つけて くぎょうし たてまつりし ゆえに この そうを かんとく せり
父母 師匠 主君を 頂を 地に つけて 恭敬し 奉りし ゆへに 此の 相を 感得 せり

ないし ぼんのんじょうと もうすは ほとけの だいいちの そう なり
乃至 梵音声と 申すは 仏の 第一の 相 なり..

しょうおう だいおう てんりんおう とう この そうを いちぶん そなえたる ゆえに.
小王 大王 転輪王 等 此の 相を 一分 備へたる ゆへに.

この おうの いちごんに くにも やぶれ くにも おさまる なり.
此の 王の 一言に 国も 破れ 国も 治まる なり.

せんじと もうすは ぼんのんじょうの いちぶん なり.
宣旨と 申すは 梵音声の 一分 なり.

ばんみんの ばんげん いちおうの いちごんに およばず.
万民の 万言 一王の 一言に 及ばず.

すなわち さんぷん ごてん なんど もうすは しょうおうの みこと なり.
則ち 三墳 五典 なんど 申すは 小王の 御言 なり.

この しょうこくを おさめ ないし だいぼんてんのう さんがいの しゅじょうを したがうる こと.
此の 小国を 治め 乃至 大梵天王 三界の 衆生を 随ふる 事.

ほとけの だいぼんてんのう たいしゃく とうを したがえ たもう ことも この ぼんのんじょう なり.
仏の 大梵天王 帝釈 等を したがへ 給う 事も この 梵音声 なり.

これらの ぼんのんじょう いっさいきょうと なって いっさいしゅじょうを りやく す.
此等の 梵音声 一切経と 成つて 一切衆生を 利益 す.

そのなかに ほけきょうは しゃかにょらいの かき あらわして.
其の中に 法華経は 釈迦如来の 書き 顕して.

この みこえをもんじと なしたまう ほとけの みこころは この もんじに そなわれり.
此の 御音を 文字と 成し給う 仏の 御心は この 文字に 備れり.

たとえば たねと なえと くさと いねとは かわれども こころは たがわず.
たとへば 種子と 苗と 草と 稲とは かはれども 心は たがはず.

しゃかぶつと ほけきょうの もんじとは かわれども こころは ひとつ なり.
釈迦仏と 法華経の 文字とは かはれども 心は 一つ なり.

しかれば ほけきょうの もんじを はいけん せさせ たもうは.
然れば 法華経の 文字を 拝見 せさせ 給うは.

しょうしんの しゃかにょらいに あい まいらせ たりと おぼしめすべし.
生身の 釈迦如来に あひ 進らせ たりと おぼしめすべし.

この こころざし さどの くにまで おくり つかわされたる こと.
此の 志 佐渡の 国まで おくり つかはされたる 事.

すでに しゃかぶつ しろしめし おわんぬ まことに こうようの せん なり.
すでに 釈迦仏 知し食し 畢んぬ、 実に 孝養の 詮 なり.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言.

ぶんえい 9ねん がつ にち.
文永 九年  月  日.

にちれん ざいごはん.
日蓮 在御判 .

しじょうさぶろうさえもんのじょうどの ごへんじ.
四条三郎左衛門尉殿 御返事.

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