b1125から1132.
呵責謗法滅罪抄 (かしゃくほうぼうめつざいしょう).
日蓮大聖人 52歳御作.

 

b1125

かしゃくほうぼうめつざいしょう.
呵責謗法滅罪抄.

ぶんえい 10ねん 52さい おんさく.
文永 十年 五十二歳 御作.

おんふみ くわしく うけたまわり そうろう.
御文 委く 承り 候.

ほけきょうの おんゆえに いぜんに いずの くにに ながされ そうらいしも
法華経の 御ゆへに 已前に 伊豆の 国に 流され 候いしも.

こうもうせば へらぬ くちと ひとは おぼす べけれども.
かう申せば 謙ぬ 口と 人は おぼす べけれども.

こころ ばかりは よろこび いって そうらいき.
心 ばかりは 悦ば 入つて 候いき.

むし より いらい ほけきょうの おんゆえに.
無始 より 已来 法華経の 御ゆへに.

まことにても そらごとにても とがに あたるならば.
実にても 虚事にても 科に 当るならば.

いかでか かかる つたなき ぼんぷとは うまれ そうろうべき.
争か かかる つたなき 凡夫とは 生れ 候べき.

いったんは わびしき ようなれども ほけきょうの おんため なれば.
一端は わびしき 様なれども 法華経の 御為 なれば.

うれしと おもい そうらいしに すこし せんじょうの つみは きえぬらんと おぼしかども.
うれしと 思い 候いしに 少し 先生の 罪は 消えぬらんと 思しかども.

むし より いらいの じゅうあく しじゅう ろくじゅう はちじゅう じゅうじゅう 5むけん.
無始 より 已来の 十悪 四重 六重 八重 十重 五無間.

ひぼう しょうほう いっせんだいの しゅじゅの じゅうざい.
誹謗 正法 一闡提の 種種の 重罪.

たいざん より たかく たいかいより ふかくこそ そうろうらめ.
大山 より 高く 大海より 深くこそ 候らめ.

ごぎゃくざいと もうすは いちぎゃくを つくる なお いっこう むげんの かを かんず.
五逆罪と 申すは 一逆を 造る 猶 一劫 無間の 果を 感ず.

いっこうと もうすは にんじゅ 8まんさい より 100ねんに 1を めっし.
一劫と 申すは 人寿 八万歳 より 百年に 一を 減し.

かくの ごとく ないし 10さいに なりぬ.
是くの 如く 乃至 十歳に 成りぬ.

また 10さい より 100ねんに 1を くわうれば しだいに まして 8まんさいに なるを いっこうと もうす.
又 十歳 より 百年に 一を 加うれば 次第に 増して 八万歳に なるを 一劫と 申す.

おやを ころす もの これほどの むけんじごくに おちて ひまも なく だいくを うくるなり.
親を 殺す 者 此程の 無間地獄に 堕ちて 隙も なく 大苦を 受くるなり.

ほけきょう ひぼうの ものは こころには おもわざれども.
法華経 誹謗の 者は 心には 思はざれども.

いろにも ねたみ たわむれにも そしるほど ならば.
色にも 嫉み 戯れにも ソシる程 ならば.

きょうにて なけれども ほけきょうに なを よせたる ひとを かろしめぬれば.
経にて 無けれども 法華経に 名を 寄たる 人を 軽しめぬれば.

かみの いっこうを かさねて むすうこう むけんじごくに おち そうろうと みえて そうろう.
上の 一劫を 重ねて 無数劫 無間地獄に 堕ち 候と 見えて 候.

ふぎょうぼさつを めりうちし ひとは はじめこそ さ ありしかども.
不軽菩薩を 罵打し 人は 始こそ さ ありしかども.

のちには しんぶくずいじゅうして ふきょうぼさつを あおぎ とうとぶこと.
後には 信伏随従して 不軽菩薩を 仰ぎ 尊ぶ事.

しょてんの たいしゃくを うやまい われらが にちがつを おそるるが ごとく せしかども.
諸天の 帝釈を 敬ひ 我等が 日月を 畏るるが 如く せしかども.

はじめ そしりし だいじゅうざい きえかねて.
始め ソシりし 大重罪 消えかねて.

せんごう だいあびじごくに いって 200おくごう さんぽうに すてられ たてまつりたりき.
千劫 大阿鼻地獄に 入つて 二百億劫 三宝に 捨てられ 奉りたりき.

→a1125

b1126

ごぎゃくと ほうぼうとを やまいに たいすれば.
五逆と 謗法とを 病に 対すれば.

ごぎゃくは かくらんの ごとくして きゅうに ことを きる.
五逆は 霍乱の 如くして 急に 事を 切る.

ほうぼうは びゃくらいびょうの ごとし はじめは ゆるやかに のち ぜんぜんに だいじ なり.
謗法は 白癩病の 如し 始は 緩に 後 漸漸に 大事 なり.

ほうぼうの ものは おおくは むけんじごくに しょうじ すこしは ろくどうに せいを うく.
謗法の 者は 多くは 無間地獄に 生じ 少しは 六道に 生を 受く.

にんげんに しょうずる ときは びんぐ げせん とう びゃくらいびょう とうと みえたり.
人間に 生ずる 時は 貧窮 下賤 等 白癩病 等と 見えたり.

にちれんは ほけきょうの みょうきょうを もって じしんに ひき むかえたるに すべて くもりなし.
日蓮は 法華経の 明鏡を もつて 自身に 引き 向かへたるに 都て くもりなし.

かこの ほうぼうの わが みに あること うたがいなし.
過去の 謗法の 我が 身に ある事 疑いなし.

この つみを こんじょうに けさずば みらい いかでか じごくの くをば まぬかるべき.
此の 罪を 今生に 消さずば 未来 争か 地獄の 苦をば 免るべき.

かこ おんのんの じゅうざいをば いかにしてか みな あつめて.
過去 遠遠の 重罪をば 何にしてか 皆 集めて.

こんじょうに しょうめつして みらいの だいくを まぬかれんと かんがえしに.
今生に 消滅して 未来の 大苦を 免れんと 勘えしに.

とうせい ときに あたって ほうぼうの ひとびと くにぐにに じゅうまんせり.
当世 時に 当つて 謗法の 人人 国国に 充満せり.

そのうえ こくしゅ すでに だいいちの ほうぼうの ひとたり.
其の上 国主 既に 第一の 誹謗の 人たり.

このとき この じゅうざいを けさずば いつの ときをか ごすべき.
此の時 此の 重罪を 消さずば 何の 時をか 期すべき.

にちれんが しょうしんを にほんこくに うち おおうて ののしらば.
日蓮が 小身を 日本国に 打ち 覆うて ののしらば.

むりょうむへんの じゃほうの ししゅうら むりょうむへんの くちを もって いちじに そしるべし.
無量無辺の 邪法の 四衆等・ 無量無辺の 口を 以て 一時に ソシるべし.

そのときに こくしゅは ほうぼうの そうらが かとうどとして.
爾の時に 国主は 謗法の 僧等が 方人として.

にちれんを あだみ あるいは くびを はね あるいは るざいに おこなうべし.
日蓮を 怨み 或は 頚を 刎ね 或は 流罪に 行ふべし.

たびたび かかること しゅったいせば むりょうこうの じゅうざい.
度度 かかる事 出来せば 無量劫の 重罪.

いっしょうの うちに きえなんと くわだてたる だいじゅつ すこしも たがうこと なく.
一生の 内に 消なんと 謀てたる 大術 少も 違ふ事 なく.

かかる みと なれば しょがんも まんぞく なるべし.
かかる 身と なれば 所願も 満足 なるべし.

しかれども ぼんぷ なれば ややもすれば くゆる こころ ありぬべし.
然れども 凡夫 なれば 動すれば 悔ゆる 心 有りぬべし.

にちれんだにも かくの ごとく はべるに.
日蓮だにも 是くの 如く 侍るに.

ぜんごも わきまえざる にょにん なんどの おのおの ぶっぽうを みほどかせ たまわぬが.
前後も 弁へざる 女人 なんどの 各 仏法を 見ほどかせ 給わぬが.

いかほどか にちれんに ついて くやしと おぼすらんと こころ くるしかりしに.
何程か 日蓮に 付いて くやしと おぼすらんと 心 苦しかりしに.

あんに そういして にちれんよりも ごうじょうの おんこころざしども ありと.
案に 相違して 日蓮よりも 強盛の 御志ども ありと.

きこえ そうろうは ひとえに ただごとに あらず.
聞へ 候は 偏に 只事に あらず.

きょうしゅ しゃくそんの おのおのの おんこころに いりかわらせ たもうかと おもえば かんるい おさえがたし.
教主釈尊の 各の 御心に 入り替らせ 給うかと 思へば 感涙 押え難し.

みょうらくだいしの しゃくに いわく.
妙楽大師の 釈に 云く.

き7「ゆえに しんぬ まつだい いちじも きくことを う.
記七「故に 知んぬ 末代 一時も 聞くことを 得.

ききおわって しんを しょうずる こと しゅくしゅ なるべし」とう うんぬん.
聞き已つて 信を 生ずる 事 宿種 なるべし」等 云云.

また いわく ぐ2.
又 云く 弘二.

「うん ぞうまつに あって この しんもんを みる.
「運 像末に 在つて 此の 真文を 矚る.

むかしに みょういんを ううるに あらざれば まことに あいがたしと なす」とう うんぬん.
宿に 妙因を 殖うるに 非ざれば 実に 値い難しと 為す」等 云云.

みょうほうれんげきょうの ごじをば 40よねん これを ひし たもう のみにあらず.
妙法蓮華経の 五字をば 四十余年 此れを 秘し 給ふ のみにあらず.

しゃくもん 14ほんに なお これを おさえさせ たまい じゅりょうほんにして.
迹門 十四品に 猶 是を 抑へさせ 給ひ 寿量品にして.

ほんが ほんいんの れんげの 2じを とき あわらわし たもう.
本果 本因の 蓮華の 二字を 説き 顕し 給ふ.

この 5じをば ほとけ もんじゅ ふげん みろく やくおうとうにも ふぞくせさせ たまわず.
此の 五字をば 仏 文殊 普賢 弥勒 薬王等にも 付属せさせ 給はず.

じゆの じょうぎょうぼさつ むへんぎょうぼさつ じょうぎょうぼさつ あんりゅうぎょうぼさつ とうを.
地涌の 上行菩薩 無辺行菩薩 浄行菩薩 安立行菩薩 等を.

じゃっこうの だいちより めしいだして これを ふぞくし たもう.
寂光の 大地より 召し出して 此れを 付属し 給ふ.

→a1126

b1127

ぎしき ただごと ならず.
儀式 ただ事 ならず.

ほうじょうせかいの たほうにょらい だいちより 7ほうの とうに じょうじて ゆげんせさせ たもう.
宝浄世界の 多宝如来 大地より 七宝の 塔に 乗じて 涌現せさせ 給ふ.

さんぜんだいせんせかいの ほかに 400まんおくなゆたの こくどを きよめ.
三千大千世界の 外に 四百万億那由佗の 国土を 浄め.

たかさ ごひゃくゆじゅんの ほうじゅを じんいっせんどうに うえ ならべて.
高さ 五百由旬の 宝樹を 尽一箭道に 殖え 並べて.

ほうじゅ いっぽんの もとに ごゆじゅんの ししの ざを しき.
宝樹 一本の 下に 五由旬の 師子の 座を 敷き.

ならべ じっぽうぶんしんの ほとけ ことごとく きたり ざし たもう.
並べ 十方分身の 仏 尽く 来り 坐し 給ふ.

また しゃかにょらいは くえを ぬいで ほうとうを ひらき たほうにょらいに ならび たもう.
又 釈迦如来は 垢衣を 脱で 宝塔を 開き 多宝如来に 並び 給ふ.

たとえば せいてんに にちがつの ならべるが ごとし.
譬えば 青天に 日月の 並べるが 如し.

たいしゃくと ちょうしょうおうとの ぜんほうどうに いますが ごとし.
帝釈と 頂生王との 善法堂に 在すが 如し.

この かいの もんじゅとう たほうの かんのんとう じっぽうの こくうに うんじゅう せること.
此の 界の 文殊等 他方の 観音等 十方の 虚空に 雲集 せる事.

ほしの こくうに じゅうまん するがごとし.
星の 虚空に 充満 するが如し.

このとき このどには けごんきょうの しちしょはちえ じっぽうせかいの だいじょうの るしゃなぶつの でし.
此の時 此の土には 華厳経の 七処八会 十方世界の 台上の 盧舎那仏の 弟子.

ほうえ くどくりん こんごうどう こんごうぞうとうの じっぽうせつど じんてんすうの だいぼさつ うんじゅう せり.
法慧 功徳林 金剛幢 金剛蔵等の 十方刹土 塵点数の 大菩薩 雲集 せり.

ほうとうの だいほうぼう うんじゅうの ぶつぼさつ はんにゃきょうの せんぶつ しゅぼい たいしゃく とう.
方等の 大宝坊 雲集の 仏菩薩 般若経の 千仏 須菩提 帝釈 等.

だいにちきょうの はちようくそんの しぶつ しぼさつ こんごうちょうきょうの さんじゅうしちそん とう.
大日経の 八葉九尊の 四仏 四菩薩 金剛頂経の 三十七尊等.

ねはんぎょうの くしなじょうへ しゅうえせさせ たまいし じっぽうほうかいの ぶつぼさつをば.
涅槃経の 倶尸那城へ 集会せさせ 給いし 十方法界の 仏菩薩をば.

もんじゅ みろくら たがいに けんちして おんものがたり これ ありしかば.
文殊 弥勒等 互に 見知て 御物語り 是 ありしかば.

これらの だいぼさつは しゅっしに ものなれたりと みえ そうろう.
此等の 大菩薩は 出仕に 物狎れたりと 見え 候.

いま この しぼさつ いでさせ たもうて のち.
今 此の 四菩薩 出でさせ 給うて 後.

しゃかにょらいは きゅうだいの ほんし さんぜの ほとけの おんははにて おわする もんじゅしりぼさつも.
釈迦如来には 九代の 本師 三世の 仏の 御母にて おはする 文殊師利菩薩も.

いっしょうふしょと ののしらせ たもう みろく とうも.
一生補処と ののしらせ 給ふ 弥勒 等も.

この ぼさつに あいぬれば ものとも みえさせ たまわず.
此の 菩薩に 値いぬれば 物とも 見えさせ 給はず.

たとえば やまかつが げっけいに まじわり えんこうが ししの ざに つらぬるが ごとし.
譬えば 山かつが 月卿に 交り エン猴が 師子の 座に 列るが 如し.

この ひとびとを めして みょうほうれんげきょうの ごじを ふぞく せさせ たまいき.
此の 人人を 召して 妙法蓮華経の 五字を 付属 せさせ 給いき.

ふぞくも ただならず 10じんりきを げんじ たもう.
付属も 只ならず 十神力を 現じ 給ふ.

しゃかは こうちょうぜつを しきかいの いただきに つけ たまえば.
釈迦は 広長舌を 色界の 頂に 付け 給へば.

しょぶつも またまた かくの ごとく.
諸仏も 亦復 是くの 如く.

よんひゃくまんおくなゆたの こくどの こくうに しょぶつの おんした しゃくこうを ひゃくせんまんおく.
四百万億那由佗の 国土の 虚空に 諸仏の 御舌 赤虹を 百千万億.

ならべたるが ごとく じゅうまん せしかば おびただしかりし ことなり.
並べたるが 如く 充満 せしかば おびただしかりし 事なり.

かくの ごとく ふしぎの 10じんりきを げんじて.
是くの 如く 不思議の 十神力を 現じて.

けっちょうふぞくと もうして ほけきょうの かんじんを ぬき いだして しぼさつに ゆずり.
結要付属と 申して 法華経の 肝心を 抜き 出して 四菩薩に 譲り.

わが めつごに じっぽうの しゅじょうに あたえよと おんごんに ふぞくして.
我が 滅後に 十方の 衆生に 与へよと 慇懃に 付属して.

そのご また ひとつの じんりきを げんじて.
其の後 又 一つの 神力を 現じて.

もんじゅらの じかい たほうの ぼさつ にじょう てんにん りゅうじん とうには.
文殊等の 自界 他方の 菩薩 二乗 天人 竜神 等には.

いっきょう ないし いちだいしょうきょうをば ふぞく せられしなり.
一経 乃至 一代聖教をば 付属 せられしなり.

もとより かげの みに したがって そうろうように つかせ たまいたりし.
本より 影の 身に 随つて 候様に つかせ 給ひたりし.

かしょう しゃりほつ とうにも この ごじを ゆずり たまわず.
迦葉 舎利弗 等にも 此の 五字を 譲り 給はず.

これは さておきぬ.
此れは さてをきぬ.

もんじゅ みろく とうには いかでか おしみ たもうべき きりょう なくとも きらい たもうべからず.
文殊 弥勒 等には 争か 惜み 給うべき 器量 なくとも 嫌い 給うべからず.

かたがた ふしん なるを あるいは たほうの ぼさつは この どに えん すくなしと きらい.
方方 不審 なるを 或は 他方の 菩薩は 此の 土に 縁 少しと 嫌ひ.

あるいは この どの ぼさつ なれども しゃばせかいに けつえんの ひ あさし.
或は 此の 土の 菩薩 なれども 娑婆世界に 結縁の 日 浅し.

→a1127

b1128

あるいは わが でし なれども しょほっしんの でしに あらずと きらわれさせ たもう ほどに.
或は 我が 弟子 なれども 初発心の 弟子に あらずと 嫌はれさせ 給ふ 程に.

40よねん ならびに しゃくもん 14ほんの あいだは いちにんも しょほっしんの みでし なし.
四十余年 並びに 迹門 十四品の 間は 一人も 初発心の 御弟子 なし.

この しぼさつこそ ごひゃくじんてんごう より いらい.
此の 四菩薩こそ 五百塵点劫 より 已来.

きょうしゅ しゃくそんの みでしとして しょほっしん より.
教主 釈尊の 御弟子として 初発心 より.

また たぶつに つかずして にもんをも ふまざる ひとびと なりと みえて そうろう.
又 他仏に つかずして 二門をも ふまざる 人人 なりと 見えて 候.

てんだいの いわく「ただ かほうの ほっせいを みる」とう うんぬん.
天台の 云く「但 下方の 発誓を 見る」等 云云.

また いわく「これ わが でしなり まさに わが ほうを ひろむべし」とう うんぬん.
又 云く「是れ 我が 弟子なり 応に 我が 法を 弘むべし」等 云云.

みょうらくの いわく「こ ちちの ほうを ひろむ」とう うんぬん.
妙楽の 云く「子 父の 法を 弘む」等 云云.

どうせん いわく 「ほう これ くじょうの ほう なるに よるが ゆえに くじょうの ひとに ふす」とう うんぬん.
道暹 云く「法 是れ 久成の 法 なるに 由るが 故に 久成の 人に 付す」等 云云.

この みょうほうれんげきょうの 5じをば この よにんに ゆずられ そうろう.
此の 妙法蓮華経の 五字をば 此の 四人に 譲られ 候.

しかるに ほとけの めつご しょうほう いっせんねん ぞうほう いっせんねん まっぽうに いって 220よねんが あいだ.
而るに 仏の 滅後 正法 一千年 像法 一千年 末法に 入つて 二百二十余年が 間.

がっし かんど にほん いちえんぶだいの うちに.
月氏 漢土 日本 一閻浮提の 内に.

いまだ いちども いでさせ たまわざるは いかなる ことにて あるらん.
未だ 一度も 出でさせ 給はざるは 何なる 事にて 有るらん.

ただしくも ゆずらせ たまわざりし もんじゅしりぼさつは.
正くも 譲らせ 給はざりし 文殊師利菩薩は.

ほとけの めつご 450ねんまで この どに おわして だいじょうきょうを ひろめさせ たまい.
仏の 滅後 四百五十年まで 此の 土に おはして 大乗経を 弘めさせ 給ひ.

そのごも こうざん しょうりょうざん より たびたび きたって だいそう とうと なって ほうを ひろめ.
其の後も 香山 清涼山 より 度度 来つて 大僧 等と 成つて 法を 弘め.

やくおうぼさつは てんだいだいしと なり かんぜおんは なんがくだいしと なり.
薬王菩薩は 天台大師となり 観世音は 南岳大師と 成り.

みろくぼさつは ふだいしと なれり.
弥勒菩薩は 傅大士と なれり.

かしょう あなん とうは ほとけの めつご 20ねん 40ねん ほうを ひろめ たもう.
迦葉 阿難 等は 仏の 滅後 二十年 四十年 法を 弘め 給ふ.

ちゃくしとして ゆずられさせ たまえる ひとの いまだ みえさせ たまわず.
嫡子として 譲られさせ 給へる 人の 未だ 見えさせ 給はず.

にせんにひゃくよねんが あいだ きょうしゅ しゃくそんの えぞう もくぞうを けんのう せいしゅは ほんぞんとす.
二千二百余年が 間 教主 釈尊の 絵像 木像を 賢王 聖主は 本尊とす.

しかれども ただ しょうじょう だいじょう けごん ねはん かんぎょう.
然れども 但 小乗 大乗 華厳 涅槃 観経.

ほけきょうの しゃくもん ふげんきょうとうの ほとけ しんごん だいにちきょう とうの ほとけ.
法華経の 迹門 普賢経等の 仏 真言 大日経 等の 仏.

ほうとうほんの しゃか たほうらをば かけども.
宝塔品の 釈迦 多宝等をば 書けども.

いまだ じゅりょうぼんの しゃくそんは さんじしょうじゃに ましまさず.
いまだ 寿量品の 釈尊は 山寺精舎に ましまさず.

いかなる こととも はかりがたし.
何なる 事とも 量りがたし

しゃかにょらいは ごごひゃくさいと しるし たまい しょうぞう にせんねんをば
釈迦如来は 後五百歳と 記し 給ひ 正像 二千年をば

ほけきょう るふの ときとは おおせられず
法華経 流布の 時とは 仰せられず.

てんだいだいしは 「ごの ごひゃくさい とおく みょうどうに うるおわん」と みらいに ゆずり.
天台大師は「後の 五百歳 遠く 妙道に 沾わん」と 未来に 譲り.

でんぎょうだいしは 「しょうぞう やや すぎ おわって まっぽう はなはだ ちかきに」あり とうと かき たまいて.
伝教大師は「正像 稍 過ぎ 已つて 末法 太だ 近きに 有り」等と 書き 給いて.

ぞうほうの まつは いまだ ほけきょう るふの とき ならずと われと ときを きらい たもう.
像法の 末は 未だ 法華経 流布の 時 ならずと 我と 時を 嫌ひ 給ふ.

されば おしはかるに じゆ せんがいの だいぼさつは.
されば をしはかるに 地涌 千界の 大菩薩は.

しゃか たほう じっぽうの しょぶつの おんゆずり おんやくそくを.
釈迦 多宝 十方の 諸仏の 御譲り 御約束を.

むなしく もだして はてさせ たもうべきか.
空く 黙止て はてさせ 給うべきか.

げてんの けんじんすら ときを まつ.
外典の 賢人すら 時を 待つ.

ほととぎすと もうす ちくちょうは うげつ さつきに かぎる.
郭公と 申す 畜鳥は 卯月 五月に 限る.

この だいぼさつも まっぽうに いずべしと みえて そうろう.
此の 大菩薩も 末法に 出ずべしと 見えて 候.

いかんと そうろうべきぞ ずいそうと もうす ことは ないてん げてんに ついて.
いかんと 候べきぞ 瑞相と 申す 事は 内典 外典に 付いて.

かならず あるべき ことの さきに げんずるを いうなり.
必ず 有るべき 事の 先に 現ずるを 云うなり.

→a1128

b1129

くも かかって よろこびごと きたり かささぎ ないて きゃくじん きたると もうして.
蜘蛛 かかつて 喜事 来り カサ鵲 鳴いて 客人 来ると 申して.

しょうじすら しるし さきに げんず いかに いわんや だいじをや.
小事すら 験 先に 現ず 何に 況や 大事をや.

されば ほけきょう じょほんの ろくずいは いちだい ちょうかの だいずい なり.
されば 法華経 序品の 六瑞は 一代 超過の 大瑞 なり.

ゆじゅっぽんは また これには にるべくも なき だいずい なり.
涌出品は 又 此れには 似るべくも なき 大瑞 なり.

ゆえに てんだいの いわく.
故に 天台の 云く.

「あめの たけきを みては りゅうの おおきなる ことを しり.
「雨の 猛きを 見ては 竜の 大きなる 事を 知り.

はなの さかんなるを みては いけの ふかきことを しる」と かかれて そうろう.
華の 盛なるを 見ては 池の 深き事を 知る」と 書かれて 候.

みょうらく いわく「ちじんは きを しり じゃは みずから じゃを しる」と うんぬん.
妙楽 云く「智人は 起を 知り 蛇は 自ら 蛇を 知る」と 云云.

いま にちれんも これを すいして ちじんの いちぶんと ならん.
今 日蓮も 之を 推して 智人の 一分と ならん.

さる しょうか がんねん たいさい ひのとみ 8がつ 23にち いぬいの こくの おおじしんと.
去る 正嘉 元年 太歳 丁巳 八月 二十三日 戌亥の 刻の 大地震と.

ぶんえい がんねん たいさい きのえね 7がつ 4かの だいすいせい.
文永 元年 太歳 甲子 七月 四日の 大彗星.

これらは ぶつめつご 2200よねんのあいだ いまだ しゅつげんせざる だいずい なり.
此等は 仏滅後 二千二百余年の 間 未だ 出現せざる 大瑞 なり.

この だいぼさつの この だいほうを たもちて しゅつげんし たもうべき せんずい なるか.
此の 大菩薩の 此の 大法を 持ちて 出現し 給うべき 先瑞 なるか.

しゃくの いけには じょうの なみ たたず ろ ぎんずるに かぜ ならず.
尺の 池には 丈の 浪 たたず 驢 吟ずるに 風 鳴らず.

にほんこくの まつりごと みだれ ばんみん なげくに よっては この だいずい げんじがたし.
日本国の 政事 乱れ 万民 歎くに 依つては 此の 大瑞 現じがたし.

たれか しらん ほけきょうの めつ ふめつの だいずい なりと.
誰か 知らん 法華経の 滅 不滅の 大瑞 なりと.

にせんよねんの あいだ あくおうの ばんみんに そしらるる むほんの ものの しょにんに あだまるる とう.
二千余年の 間 悪王の 万人に ソシらるる 謀叛の 者の 諸人に あだまるる 等.

にちれんが とがも なきに たかきにも ひくきにも.
日蓮が 失も なきに 高きにも 下きにも.

めり きにく とうじょう がりゃくとう ひまなき こと 20よねん なり.
罵詈 毀辱 刀杖 瓦礫等 ひまなき 事 二十余年 なり.

ただごとには あらず.
唯事には あらず.

かこの ふぎょうぼさつの いおんのうぶつの まつに たねんの あいだ めり せられしに あいにたり.
過去の 不軽菩薩の 威音王仏の 末に 多年の 間 罵詈 せられしに 相似たり.

しかも ほとけ かの れいを ひいて いわく.
而も 仏 彼の 例を 引いて 云く.

わが めつごの まっぽうにも しかるべし とうと しるされて そうろうに.
我が 滅後の 末法にも 然るべし 等と 記せられて 候に.

ちかくは にほん とおくは かんど とうにも ほけきょうの ゆえに かかる こと ありとは.
近くは 日本 遠くは 漢土 等にも 法華経の 故に かかる 事 有りとは.

いまだ きかず ひとは にくんで これを いわず.
未だ 聞かず 人は 悪んで 是を 云はず.

われと これを いわば じさんに にたり.
我と 是を 云はば 自讃に 似たり.

いわずば ぶつごを むなしくなす とが あり.
云わずば 仏語を 空くなす 過 あり.

みを かろんじて ほうを おもんずるは けんじんにて そうろう なれば もうす.
身を 軽んじて 法を 重んずるは 賢人にて 候 なれば 申す.

にちれんは かの ふぎょうぼさつに にたり.
日蓮は 彼の 不軽菩薩に 似たり.

こくおうの ふぼを ころすも たみが ちちははを がいするも.
国王の 父母を 殺すも 民が 考妣を 害するも.

じょうげ ことなれども いちいん なれば むけんに おつ.
上下 異なれども 一因 なれば 無間に おつ.

にちれんと ふぎょうぼさつとは くらいの じょうげは あれども.
日蓮と 不軽菩薩とは 位の 上下は あれども.

どうごう なれば かれの ふぎょうぼさつ じょうぶつし たまわば.
同業 なれば 彼の 不軽菩薩 成仏し 給はば.

にちれんが ぶっか うたがうべきや.
日蓮が 仏果 疑うべきや.

かれは 250かいの じょうまんの びくに のられたり.
彼は 二百五十戒の 上慢の 比丘に 罵られたり.

にちれんは じかい だいいちの りょうかんに ざんそ せられたり.
日蓮は 持戒 第一の 良観に 讒訴 せられたり.

かれは きえせ しかども せんごう あびごくに おつ.
彼は 帰依 せしかども 千劫 阿鼻獄に おつ.

これは いまだ かつごうせず しらず むすうこうをや へんずらん.
此れは 未だ 渇仰せず 知らず 無数劫をや 経んずらん.

ふびんなり ふびんなり.
不便なり 不便なり.

うたがって いわく.
疑つて 云く.

しょうかの おおじしん とうの ことは いぬる ぶんおう がんねん たいさい かのえさる 7がつ 16にち.
正嘉の 大地震 等の 事は 去る 文応 元年 太歳庚申 七月 十六日.

やどやのにゅうどうに つけて こ さいみょうじにゅうどうどのに たてまつるところの かんもん.
宿屋の入道に 付けて 故 最明寺入道殿へ 奉る所の 勘文.

りっしょうあんこくろんには ほうねんが せんちゃくに ついて にほんこくの ぶっぽうを うしなう ゆえに てんち いかりを なし.
立正安国論には 法然が 選択に 付いて 日本国の 仏法を 失ふ 故に 天地 瞋を なし.

じかいほんぎゃくなんと たこくしんぴつなん おこるべしと かんがえたり.
自界叛逆難と 他国侵遍難 起るべしと 勘へたり.

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b1130

ここには ほけきょうの るふすべき ずいなりと もうす せんごの そうい これ あるか いかん.
此には 法華経の 流布すべき 瑞なりと 申す 先後の 相違 之 有るか 如何.

こたえて いわく なんじ よく これを とえり.
答えて 云く 汝 能く 之を 問えり.

ほけきょうの だい4に いわく.
法華経の 第四に 云く.

「しかも この きょうは にょらい げんざいすら なお おんしつ おおし いわんや めつどの のちをや」とう うんぬん.
「而も 此の 経は 如来 現在すら 猶 怨嫉 多し 況や 滅度の 後をや」等 云云.

どう だい7に きょうめつどごを かさねて といて いわく.
同 第七に 況滅度後を 重ねて 説いて 云く.

「わが めつどの のち ごの 500さいの なかに えんぶだいに こうせんるふ せん」とう うんぬん.
「我が 滅度の 後 後の 五百歳の 中に 閻浮提に 広宣流布 せん」等 云云.

ほとけの めつごの たおんは ご500さいに みょうほうれんげきょうの るふせん ときと みえて そうろう.
仏 滅後の 多怨は 後五百歳に 妙法蓮華経の 流布せん 時と 見えて 候.

つぎしもに また いわく.
次ぎ下に 又 云く.

「あくま まみん しょてんりゅう やしゃ くはんだ」とう うんぬん.
「悪魔 魔民 諸天竜 夜叉 鳩槃荼」等 云云.

ぎょうまんざす でんぎょうだいしを みて いわく.
行満座主 伝教大師を 見て 云く.

「せいご くちず いま この ひとに あえり.
「聖語 朽ちず 今 此の 人に 遇えり.

われ ひえつ する ところの ほうもん にほんこくの あじゃりに じゅよ す」とう うんぬん.
我れ 披閲 する 所の 法門 日本国の 阿闍梨に 授与 す」等 云云.

いまも また かくの ごとし.
今も 又 是くの 如し.

まっぽうの はじめに みょうほうれんげきょうの 5じを るふして.
末法の 始に 妙法蓮華経の 五字を 流布して.

にほんこくの いっさいしゅじょうが ほとけの げしゅを かいにん すべき とき なり.
日本国の 一切衆生が 仏の 下種を 懐妊 すべき 時 なり.

れいせば げじょが おうしゅを かいにん すれば しょじょ いかりを なすが ごとし.
例せば 下女が 王種を 懐妊 すれば 諸女 瞋りを なすが 如し.

げせんの ものに おうちょうの たまを じゅよせんに だいなん きたらざるべしや.
下賤の 者に 王頂の 珠を 授与せんに 大難 来らざるべしや.

いっさいせけん たおんなんしんの きょうもん これなり.
一切世間 多怨難信の 経文 是なり.

ねはんぎょうに いわく.
涅槃経に 云く.

「しょうにんに なんを いたせば たこく より その くにを おそう」と うんぬん.
「聖人に 難を 致せば 他国 より 其の 国を 襲う」と 云云.

にんのうきょうも またまた かくの ごとし.
仁王経も 亦復 是くの 如し.

にちれんを せめて いよいよ てんち しほうより だいさい あめの ごとく ふり.
日蓮を せめて 弥よ 天地 四方より 大災 雨の 如く ふり.

いずみの ごとく わき なみの ごとく よせ きたるべし.
泉の 如く わき 浪の 如く 寄せ 来るべし.

くにの おおいなむしたる しょそうら おうしんらが にちれんを ざんそ する.
国の 大蝗虫たる 諸僧等 近臣等が 日蓮を 讒訴 する.

いよいよ さかんならば だいなん ますます きたるべし.
弥よ 盛ならば 大難 倍 来るべし.

たいしゃくを いる しゅらは や かえって おのれが まなこに たち.
帝釈を 射る 修羅は 箭 還つて 己が 眼に たち.

あなばだった りゅうを おかさんと する こんじちょうは みずから ひを いだして じしんを やく.
阿那婆達多 竜を 犯さんと する 金翅鳥は 自ら 火を 出して 自身を やく.

ほけきょうを たもつ ぎょうじゃは たいしゃく あなばだった りゅうに おとるべきや.
法華経を 持つ 行者は 帝釈 阿那婆達多 竜に 劣るべきや.

しょうあんだいしの いわく.
章安大師の 云く.

「ぶっぽうを えらん するは ぶっぽうの なかの あだ なり.
「仏法を 壊乱 するは 仏法の 中の 怨 なり.

じ なくして いつわり したしむは すなわち これ かれが あだなり」とう うんぬん.
慈 無くして 詐わり 親むは 即ち 是れ 彼が 怨なり」等 云云.

また いわく「かれが ために あくを のぞくは すなわち これ かれが おやなり」とう うんぬん.
又 云く「彼が 為に 悪を 除くは 即ち 是れ 彼が 親なり」等 云云.

にほんこくの いっさいしゅじょうは ほうねんが しゃへいかくほうと.
日本国の 一切衆生は 法然が 捨閉閣抛と.

ぜんしゅうが きょうげべつでんとの おうげんに たぼらかされて.
禅宗が 教外別伝との 誑言に 誑かされて.

いちにんも なく むけんだいじょうに おつべしと かんがえて.
一人も なく 無間大城に 堕つべしと 勘へて.

こくしゅ ばんみんを はばからず だいおんじょうを いだして 20よねんが あいだ よばわりつるは.
国主 万民を 憚からず 大音声を 出して 二十余年が 間 よばはりつるは.

りゅうほうと ひかんとの じきしんにも おとるべきや.
竜逢と 比干との 直臣にも 劣るべきや.

だいひ せんじゅかんのんの いちじに むけんじごくの しゅじょうを とり いだすに にたるか.
大悲 千手観音の 一時に 無間地獄の 衆生を 取り 出すに 似たるか.

ひの なかの すうしを ふぼが いちじに とり いださんと おもうに.
火の 中の 数子を 父母が 一時に 取り 出さんと 思ふに.

て すくなければ じひ ぜんご あるに にたり.
手 少なければ 慈悲 前後 有るに 似たり.

ゆえに せんじゅ まんじゅ おくじゅある ふぼにて おわすなり.
故に 千手 万手 億手ある 父母にて 在すなり.

にぜんの きょうぎょうは いっしゅ にしゅとうに にたり.
爾前の 経経は 一手 二手等に 似たり.

ほけきょうは「いっさいしゅじょうを けして みな ぶつどうに いらしむ」と むすうしゅの ぼだい これなり.
法華経は「一切衆生を 化して 皆 仏道に 入らしむ」と 無数手の 菩提 是なり.

にちれんは ほけきょう ならびに しょうあんの しゃくの ごとく ならば.
日蓮は 法華経 並びに 章安の 釈の 如く ならば.

にほんこくの いっさいしゅじょうの じひの ふぼ なり.
日本国の 一切衆生の 慈悲の 父母 なり.

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b1131

てん たかけれども みみ とければ きかせ たもうらん.
天 高けれども 耳 とければ 聞かせ 給うらん.

ち あつけれども まなこ はやけば ごらん あるらん.
地 厚けれども 眼 早ければ 御覧 あるらん.

てんち すでに しろしめしぬ.
天地 既に 知し食しぬ.

また いっさいしゅじょうの ふぼを めり するなり ふぼを るざい するなり.
又 一切衆生の 父母を 罵詈 するなり 父母を 流罪 するなり.

この くに この りょう3ねんが あいだの らんせいは せんだいにも きかず.
此の 国 此の 両三年が 間の 乱政は 先代にも きかず.

ほうに すぎてこそ そうらえ.
法に 過ぎてこそ 候へ.

そもそも ひもの こうようの こと おおせ つかわされ そうろう かんるい おさえがたし.
抑 悲母の 孝養の 事 仰せ 遣され 候 感涙 押へ難し.

むかし げんじゅうらの ごどうは ごぐんの いせいの たにん なり.
昔 元重等の 五童は 五郡の 異性の 他人 なり.

きょうだいの ちぎりを なして たがいに あいそむかざりしかば たから 3000を かさねたり.
兄弟の 契りを なして 互に 相背かざりしかば 財 三千を 重ねたり.

われら おやと いう もの なしと なげきて とちゅうに ろうじょを もうけて.
我等 親と 云う 者 なしと 歎きて 途中に 老女を 儲けて.

ははと あがめて いちぶんも こころに たがわずして 24ねん なり.
母と 崇めて 一分も 心に 違はずして 二十四年 なり.

はは たちまちに やまいに しずんで もの いわず.
母 忽に 病に 沈んで 物 いはず.

5し てんに あおいで いわく.
五子 天に 仰いで 云く.

われら こうようの かん なくして はは もの いわざる やまい あり.
我等 孝養の 感 無くして 母 もの 云わざる 病 あり.

ねがわくは てん こうの こころを うけたまわば この ははに もの いわせ たまえと もうす.
願くは 天 孝の 心を 受け給はば 此の 母に 物 いはせ 給へと 申す.

そのときに はは 5しに かたって いわく.
其の時に 母 五子に 語つて 云く.

われは もと これ たいげんの ようもうと いうものの むすめ なり.
我は 本 是れ 大原の 陽猛と 云うものの 女 なり.

どうぐんの ちょうぶんけんに かす ぶんけん しにき.
同郡の 張文堅に 嫁す 文堅 死にき.

われに ひとりの こ あり.
我に 一人の 児 あり.

なをば ういと いいき.
名をば 烏遺と 云いき.

かれが 7さいの とき らんに おうて いく ところを しらず.
彼が 七歳の 時 乱に 値うて 行く 処を しらず.

なんじら 5しに やしなわれて 24ねん このことを かたらず.
汝等 五子に 養はれて 二十四年 此の事を 語らず.

わがこは むねに 7せいの もん あり.
我が子は 胸に 七星の 文 あり.

みぎの あしの したに こくし ありと かたり おわって しす.
右の 足の 下に 黒子 ありと 語り 畢つて 死す.

5し ほうむりを なす とちゅうにして こくれいの いくに あいぬ.
五子 葬を なす 途中にして 国令の 行くに あひぬ.

かの ひと ものきする ふくろを おとせり.
彼の 人 物記する 嚢を 落せり.

この 5どうが とれるに なして いましめ おかれたり.
此の 五童が 取れるに なして 禁め 置かれたり.

れい きたって とうて いわく なんじらわ いずくの ものぞ.
令 来つて 問うて 云く 汝等は 何くの 者ぞ.

5どう こたえて いわく かみに いえるが ごとし.
五童 答えて 云く 上に 言えるが 如し.

そのときに れい うえより まろび くだりて てんに あおぎ ちに なく.
爾の時に 令 上より まろび 下て 天に 仰ぎ 地に 泣く.

5にんの なわを ゆるして わが ざに ひきのぼせて.
五人の 縄を ゆるして 我が 座に 引き上せて.

ものがたりして いわく われは これ うい なり.
物語りして 云く 我は 是れ 烏遺 なり.

なんじらは わが おやを やしないける なり.
汝等は 我が 親を 養いける なり.

この 24ねんの あいだ おおくの たのしみに あえども.
此の 二十四年の 間 多くの 楽みに 値へども.

ひもの ことをのみ おもいいでて たのしみも たのしみならず.
非母の 事をのみ 思い出でて 楽みも 楽しみならず.

ないし だいおうの けんざんに いれて 5けんの しゅと なせりき.
乃至 大王の 見参に 入れて 五県の 主と 成せりき.

たにん つどって たの おやを やしなうに かくの ごとし.
他人 集つて 他の 親を 養ふに 是くの 如し.

いかに いわんや どうふ どうぼの おとうと いもうとらが いういうたるを かえりみば.
何に 況や 同父 同母の 舎弟 妹女等が いういうたるを 顧みば.

てんも いかでか ごのうじゅ なからんや.
天も 争か 御納受 なからんや.

じょうぞう じょうげんは ほけきょうを もって じゃけんの じふを みちびき.
浄蔵 浄眼は 法華経を もつて 邪見の 慈父を 導びき.

だいばだったは ほとけの おんてき 40よねんの きょうぎょうにて すてられ.
提婆達多は 仏の 御敵 四十余年の 経経にて 捨てられ.

りんじゅう わるくして だいち やぶれて むけんじごくに いき しかども.
臨終 悪くして 大地 破れて 無間地獄に 行き しかども.

ほけきょうにて めしかえして てんのうにょらいと しるせらる.
法華経にて 召し還して 天王如来と 記せらる.

あじゃせおうは ちちを ころせども ほとけ ねはんの とき.
阿闍世王は 父を 殺せども 仏 涅槃の 時.

ほけきょうを きいて あびの だいくを まぬがれき.
法華経を 聞いて 阿鼻の 大苦を 免れき.

→a1131

b1132

れいせば この さどの くには ちくしょうの ごとくなり.
例せば 此の 佐渡の 国は 畜生の 如くなり.

また ほうねんが でし じゅうまんせり.
又 法然が 弟子 充満せり.

かまくらに にちれんを にくしみしより ひゃくせんまんおくばいにて そうろう.
鎌倉に 日蓮を 悪みしより 百千万億倍にて 候.

いちにちも いのち あるべしとも みえねども.
一日も 寿 あるべしとも 見えねども.

おのおの おんこころざし ある ゆえに いままで いのちを ささえたり.
各 御志 ある 故に 今まで 寿を 支へたり.

これを もって はかるに ほけきょうをば しゃか たほう じっぽうの しょぶつ だいぼさつ.
是を 以て 計るに 法華経をば 釈迦 多宝 十方の 諸仏 大菩薩.

くよう くぎょう せさせ たまえば この ほとけ ぼさつは おのおのの ちち ははに.
供養 恭敬 せさせ 給へば 此の 仏 菩薩は 各各の 慈父 慈母に.

ひび よよ じゅうにじに こそ つげさせ たまわめ.
日日 夜夜 十二時に こそ 告げさせ 給はめ.

とうじの しゅの おんおぼえの いみじく おわするも.
当時 主の 御おぼえの いみじく おはするも.

ちち ははの かごにや あるらん.
慈父 悲母の 加護にや 有るらん.

きょうだいも きょうだいと おぼす べからず ただ こと おぼせ.
兄弟も 兄弟と おぼす べからず 只 子と おぼせ.

こ なりとも きょうちょうと もうす とりは ははを くらう.
子 なりとも 梟鳥と 申す 鳥は 母を 食ふ.

はけいと もうす けものの ちちを くわんと うかがう.
破鏡と 申す 獣の 父を 食わんと うかがふ.

わが こ しろうは ふぼを やしなう こ なれども あしくば なにかせん.
わが 子 四郎は 父母を 養ふ 子 なれども 悪くば なにかせん.

たにん なれども かたらいぬれば いのちにも かわるぞかし.
他人 なれども かたらひぬれば 命にも 替るぞかし.

おとうとらを こと せられたれば こんじょうの かとうど ひとめ もうす ばかりなし.
舎弟等を 子と せられたらば 今生の 方人 人目 申す 計りなし.

いもうとらを むすめと おもわば などか こうよう せられざるべき.
妹等を 女と 念はば などか 孝養 せられざるべき.

これへ ながされしには いちにんも とぶらう ひとも あらじと こそ おぼせしかども.
是へ 流されしには 一人も 訪う 人も あらじと こそ おぼせしかども.

どうこう しち はちにん よりは すくなからず.
同行 七 八人 よりは 少からず.

じょうげの かても おのおのの おんはからい なくば いかがせん.
上下の くわても 各の 御計ひ なくば いかがせん.

これ ひとえに ほけきょうの もじの おのおのの おんみに いりかわらせ たまいて.
是れ 偏に 法華経の 文字の 各の 御身に 入り替らせ 給いて.

おんたすけ あるとこそ おぼゆれ.
御助け あるとこそ 覚ゆれ.

いかなる よの みだれにも おのおのをば ほけきょう じゅうらせつ たすけ たまえと.
何なる 世の 乱れにも 各各をば 法華経 十羅刹 助け 給へと.

しめれる きより ひを いだし かわける つちより みずを もうけんが ごとく ごうじょうに もうすなり.
湿れる 木より 火を 出し 乾ける 土より 水を 儲けんが 如く 強盛に 申すなり.

こと しげければ とどめ そうろう.
事 繁ければ とどめ 候.

しじょう きんごどの ごへんじ.
四条 金吾殿 御返事.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

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