b1153から1162.
頼基陳状 (よりもと ちんじょう).
日蓮大聖人 56歳 御作.

 

b1153

よりもと ちんじょう.
頼基 陳状.

けんじ 3 ねん 6がつ 56さい おんだいさく.
建治 三年 六月 五十六歳 御代作.

いぬる 6がつ 23にちの おんくだしぶみ.
去ぬる 六月 二十三日の 御下文.

しまだの さえもんにゅうどうどの やましろの みんぶにゅうどうどの.
島田の 左衛門入道殿 山城の 民部入道殿.

りょうにんの おんうけたまわり として.
両人の 御承り として.

どう25にち つつしんで はいけん つかまつり そうらいおわんぬ.
同二十五日 謹んで 拝見 仕り 候い畢んぬ.

みぎ おおせくだしの じょうに いわく.
右 仰せ下しの 状に 云く.

りゅうぞうごぼうの ごせっぽうの ところに まいられ そうらいける しだいを.
竜象御房の 御説法の 所に 参られ 候いける 次第を.

ほかた おんびん ならざる よし けんぶんの ひと あまねく ひとかたならず.
ほかた 穏便 ならざる 由 見聞の 人 遍く 一方ならず.

どうくに もうしあい そうろう こと おどろき いって そうろう.
同口に 申し合い 候 事 驚き 入つて 候.

ととうの じん その かず ひょうじょうを たいして でいりすと うんぬん.
徒党の 仁 其の 数 兵杖を 帯して 出入すと 云云.

この じょう あとかたも なき そらごと なり.
此の 条 跡形も 無き 虚言 なり.

しょせん だれびとの もうしいれ そうろう けるやらん.
所詮 誰人の 申し入れ 候 けるやらん.

おんあいりんを こうむりて めしあわせられ じっぴを きゅうめいされ そうらわば しかるべき ことにて そうろう.
御哀憐を 蒙りて 召し合せられ 実否を 糾明され 候はば 然るべき 事にて 候.

およそ この ことの こんげんは さる 6がつ ここのか.
凡そ 此の 事の 根源は 去る 六月 九日.

にちれんしょうにんの みでし さんみこう よりもとが しゅくしょに きたり もうして いわく.
日蓮聖人の 御弟子 三位公、頼基が 宿所に 来り 申して 云く.

このごろ りゅうぞうぼうと もうす そう きょうと より くだりて.
近日 竜象房と 申す 僧 京都 より 下りて.

だいぶつの もんの にし くわがやつに しじゅうして にちやに せっぽう つかまつるが.
大仏の 門の 西 桑が谷に 止住して 日夜に 説法 仕るが.

もうして いわく げんとうの ため ぶっぽうに ごふしん ぞんぜん ひとは.
申して 云く 現当の 為 仏法に 御不審 存ぜむ 人は.

きたりて もんどう もうすべき むね せっぽう せしむる あいだ.
来りて 問答 申す可き 旨 説法 せしむる 間.

かまくらじゅうの じょうげ しゃくそんの ごとく たっとび たてまつる.
鎌倉中の 上下 釈尊の 如く 貴び 奉る.

しかれども もんどうに およぶ ひと なしと ふうぶんし そうろう.
しかれども 問答に 及ぶ 人 なしと 風聞し 候.

かしこへ いき むかいて もんどうを とげ いっさいしゅじょうの ごしょうの ふしんを はらし そうらわんと おもい そうろう.
彼へ 行き 向いて 問答を 遂げ 一切衆生の 後生の 不審を はらし 候はむと 思い 候.

きき たまわぬかと もうされ しかれども おりふし みやづかえに いとま なく そうらいし ほどに.
聞き 給はぬかと 申され しかども 折節 官仕に 隙 無く 候いし 程に.

おもい たたず そうらいしかども ほうもんの ことと うけたまわりて.
思い 立たず 候いしかども 法門の 事と 承りて.

たびたび まかり むかいて そうらえども よりもとは ぞくけの ぶんにてそうらい ひとことも いださず そうらいし うえは.
たびたび 罷り 向いて 候えども 頼基は 俗家の 分にて 候い 一言も 出さず 候し 上は.

あっくに およばざる こと げんさつ たるべく そうろう.
悪口に 及ばざる 事 厳察 足る可く 候.

ここに りゅうぞうぼう せっぽうの なかに もうして いわく.
ここに 竜象房 説法の 中に 申して 云く.

この けんぶん まんざの おんちゅうに ごふしんの ほうもん あらば おおせらるべくと もうされし ところに.
此の 見聞 満座の 御中に 御不審の 法門 あらば 仰せらる可くと 申されし 処に.

にちれんぼうの でし さんみこう とうて いわく.
日蓮房の 弟子 三位公 問うて 云く.

しょうを うけしより しを まぬかるまじき ことわり.
生を 受けしより 死を まぬかる まじき ことはり.

はじめて おどろくべきに そうらわねども.
始めて をどろくべきに 候はねども.

ことさら とうじ にほんこくの さいげつに しぼう するもの かずを しらず.
ことさら 当時 日本国の 災ゲツに 死亡 する者 数を 知らず.

がんぜんの むじょう ひとごとに おもい しらずと いうこと なし.
眼前の 無常 人毎に 思い しらずと 云ふ事 なし.

しかる ところに きょうと より しょうにん おんくだり あって.
然る 所に 京都 より 上人 御下り あつて.

ひとびとの ふしんを はらし たもうよし うけたまわりて まいりて そうらい つれども.
人人の 不審を はらし 給うよし 承りて 参りて 候 つれども.

ごせっぽうの もなか ほね なくも そうらいなばと ぞんじ そうらいし ところに.
御説法の 最中 骨 無くも 候なばと 存じ 候し 処に.

とう べきこと あらん ひとは おのおの はばからず といたまえと そうらいし あいだ よろこびいり そうろう.
問う べき事 有らむ 人は 各各 憚らず 問い 給へと 候し 間 悦び入り 候.

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b1154

まず ふしんに そうろうことは まっぽうに しょうを うけて へんどのいやしき みに そうらえども.
先づ 不審に 候事は 末法に 生を 受けて 辺土の いやしき 身に 候へども.

ちゅうごくの ぶっぽう さいわいに この くにに わたれり.
中国の 仏法 幸に 此の 国に わたれり.

ぜひ しんじゅ すべき ところに きょうは 5せん7せん あまたなり.
是非 信受 す可き 処に 経は 五千七千 数多なり.

しかも いちぶつの せつ なれば しょせんは いっきょうにて こそ そうらわんに.
然而 一仏の 説 なれば 所詮は 一経にて こそ 候らむに.

けごん しんごん ないし はっしゅう じょうど ぜんとて じっしゅう まで わかれて おわします.
華厳 真言 乃至 八宗 浄土 禅とて 十宗 まで 分れて をはします.

これらの しゅうじゅうも もんは ことなりとも しょせんは ひとつかと さっする ところに.
此れ等の 宗宗も 門は ことなりとも 所詮は 一かと 推する 処に.

こうぼうだいしは わが ちょうの しんごんの がんそ.
弘法大師は 我が 朝の 真言の 元祖.

ほけきょうは けごんきょう だいにちきょうに そうたい すれば もんのことなる のみならず.
法華経は 華厳経 大日経に 相対 すれば 門の 異なる のみならず.

その ことわりは けろんの ほう むみょうの へんいき なり.
其の 理は 戯論の 法 無明の 辺域 なり.

また ほっけしゅうの てんだいだいし とうは じょうとうだいご とう うんぬん.
又 法華宗の 天台大師 等は 諍盗醍醐 等 云云.

ほっそうしゅうの がんそ じおんだいし いわく.
法相宗の 元祖 慈恩大師 云く.

「ほけきょうは ほうべん じんみつきょうは しんじつ むしょううじょうようふじょうぶつ」 うんぬん.
「法華経は 方便、深密経は 真実、無性有情 永不成仏」 云云.

けごんしゅうの ちょうかん いわく.
華厳宗の 澄観云く.

「けごんきょうは ほんきょう ほけきょうは まっきょう あるいは けごんは とんとん ほっけは ぜんとん」とう うんぬん.
「華厳経は 本教、法華経は 末教、或は 華厳は 頓頓、法華は 漸頓」等云云.

さんろんしゅうの かじょうだいしの いわく.
三論宗の 嘉祥大師の 云く.

「しょだいじょうきょうの なかには はんにゃきょう だいいち」 うんぬん.
「諸大乗経の 中には 般若教 第一」 云云.

じょうどしゅうの ぜんどうわしょう いわく.
浄土宗の 善導和尚 云く.

「ねんぶつは じっそくじっしょう ひゃくそくひゃくしょう ほけきょうとうは せんちゅうむいち」 うんぬん.
「念仏は 十即十生 百即百生、法華経等は 千中無一」 云云.

ほうねんしょうにん いわく.
法然上人 云く.

「ほけきょうを ねんぶつに たいして しゃへいかくほう あるいは ぎょうじゃは ぐんぞく」とう うんぬん.
「法華経を 念仏に 対して 捨閉閣抛 或は 行者は 群賊」等 云云.

ぜんしゅうの いわく 「きょうげべつでん ふりゅうもんじ」 うんぬん.
禅宗の 云く 「教外別伝 不立文字」 云云.

きょうしゅしゃくそんは ほけきょうをば せそんの ほうは ひさしくしてのちに かならず まさに しんじつを とき たもうべし.
教主 釈尊は 法華経をば 世尊の 法は 久しくして 後に 要 当に 真実を 説き たもうべし.

たほうぶつは みょうほうれんげきょうは みな これ しんじつ なり.
多宝仏は 妙法華経は 皆 是 真実 なり.

じっぽうぶんしんの しょぶつは ぜっそう ぼんてんに いたると こそ みえて そうろうに.
十方分身の 諸仏は 舌相 梵天に 至ると こそ 見えて 候に.

こうぼうだいしは ほけきょうをば けろんの ほうと かかれたり.
弘法大師は 法華経をば 戯論の 法と 書かれたり.

しゃくそん たほう じっぽうの しょぶつは みな これ しんじつと とかれて そうろう.
釈尊 多宝 十方の 諸仏は 皆 是 真実と 説かれて 候.

いずれをか しんじ そうろうべき.
いづれをか 信じ 候べき.

ぜんどうわしょう ほうねんしょうにんは ほけきょうをば せんちゅうむいち しゃへいかくほう.
善導和尚 法然上人は 法華経をば 千中無一 捨閉閣抛.

しゃくそん たほう じっぽうぶんしんの しょぶつは ひとりとして じょうぶつ せずと いうこと なし.
釈尊 多宝 十方分身の 諸仏は 一として 成仏 せずと 云う事 無し.

みな ぶつどうを じょうずと うんぬん.
皆 仏道を 成ずと 云云.

さんぶつと どうわしょう ねんしょうにんは すいか なり うんでい なり.
三仏と 導和尚 然上人とは 水火 なり 雲泥 なり.

いずれかを しんじ そうろうべき いずれをか すて そうろうべき.
何れをか 信じ 候べき 何れをか 捨て 候べき.

なかんずく かの ぜん ねん りょうにんの あおぐ ところの そうかんきょうの ほうぞうびくの しじゅうはちがんの なかに.
就中 彼の 導・然 両人の 仰ぐ 所の 雙観経の 法蔵比丘の 四十八願の 中に.

だい18がんに いわく 「たとい われ ほとけを うるとも ただ 5ぎゃくと ひぼうしょうほうとを のぞく」と うんぬん.
第十八願に 云く 「設い 我れ 仏を 得るとも 唯 五逆と 誹謗正法とを 除く」と 云云.

たとい みだの ほんがん まことにして おうじょう すべくとも.
たとひ 弥陀の 本願 実にして 往生 すべくとも.

しょうほうを ひぼうせん ひとびとは みだぶつの おうじょうには のぞかれ たてまつる べきか.
正法を 誹謗せむ 人人は 弥陀仏の 往生には 除かれ 奉る べきか.

また ほけきょうの 2の まきには 「もし ひと しんぜざれば その ひと みょうじゅうして あびごくに いらん」と うんぬん.
又 法華経の 二の 巻には 「若し 人 信ぜざれば 其の 人 命終して阿鼻獄に 入らん」と 云云.

ねんぶつしゅうに せん とする どう ねんの りょうにんは きょうもんまこと ならば あびだいじょうを まぬかれ たもうべしや.
念仏宗に 詮 とする 導、 然の 両人は 経文 実 ならば 阿鼻大城をまぬかれ 給ふべしや.

かの しょうにんの じごくに おち たまわせば まつがく でし だんな とう.
彼の 上人の 地獄に 堕ち 給わせば 末学 弟子 檀那 等.

しぜんに あくどうに おちんこと うたがい なかるべし.
自然に 悪道に 堕ちん事 疑い なかるべし.

これらこそ ふしんに そうらえ.
此等こそ 不審に 候へ.

→a1154

b1155

しょうにんは いかんと とい たまわれ しかば りゅうしょうにん こたえて いわく.
上人は 如何と 問い 給はれ しかば 竜上人 答て 云く.

じょうこの けんてつたちをば いかでか うたがい たてまつるべき.
上古の 賢哲達をば いかでか 疑い 奉るべき.

りゅうぞうらが ごとくなる ぼんそう とうは あおいで しんじ たてまつり そうろうと こたえ たまいしを.
竜象等が 如くなる 凡僧 等は 仰いで 信じ 奉り 候と 答え 給しを.

おしかえして この おおせこそ ちしゃの おおせとも おぼえず そうらえ.
をし返して 此の 仰せこそ 智者の 仰せとも 覚えず 候へ.

だれびとか ときの よに あおがるる にんし とうをば うたがい そうろうべき.
誰人か 時の 代に あをがるる 人師 等をば 疑い 候べき.

ただし ねはんぎょうに ほとけ さいごの ごゆいごん として 「ほうによって にんに よらざれ」と みえて そうろう.
但し 涅槃経に 仏 最後の 御遺言 として 「法に 依つて 人に 依らざれ」と 見えて 候.

にんしに あやまり あらば きょうに よれと ほとけは とかれて そうろう.
人師に あやまり あらば 経に 依れと 仏は 説かれて 候.

ごへんは よも あやまり ましまさじと もうされ そうろう.
御辺は よも あやまり ましまさじと 申され 候.

ごぼうの わたくしの ことばと ほとけの きんげんと くらべんには.
御房の 私の 語と 仏の 金言と 比には.

さんみは にょらいの きんげんに つきまいらせんと おもい そうろうなりと もうされしを.
三位は 如来の 金言に 付きまいらせむと 思い 候なりと 申されしを.

ぞうしょうにんは にんしに あやまり おおしと そうろうは いずれの にんしに そうろうぞと とわれ しかば.
象上人は 人師に あやまり 多しと 候は いづれの 人師に 候ぞと 問はれ しかば.

かみに もうしつる ところの こうぼうだいし ほうねんしょうにん とうのぎに そうらわずやと こたえ たまい そうらいしかば.
上に 申しつる 所の 弘法大師 法然上人 等の 義に 候はずやと 答え給い 候しかば.

ぞうしょうにんは ああ かない そうろうまじ.
象上人は 嗚呼 叶い 候まじ.

わが ちょうの にんしの ことは かたじけなくも もんどう つかまつるまじく そうろう.
我が 朝の 人師の 事は 忝くも 問答 仕るまじく 候.

まんざの ちょうしゅう みなみな その ながれにて おわす.
満座の 聴衆 皆皆 其の 流にて 御座す.

うっぷんも しゅつたいせば さだめて みだりがわしき こと そうろうなん.
鬱憤も 出来せば 定めて みだりがはしき 事 候なむ .

おそれあり おそれありと もうされし ところに さんみぼうの いわく.
恐れあり 恐れありと 申されし 処に 三位房の 云く.

にんしの あやまり だれぞと そうらえば きょうろんに そむく にんしたちを いだし そうらいし はばかり あり.
人師の あやまり 誰ぞと 候へば 経論に 背く 人師達を いだし 候し 憚 あり.

かなうまじと おおせ そうろうに こそ しんたい きわまりて おぼえ そうらえ.
かなふまじと 仰せ 候に こそ 進退 きはまりて 覚え 候へ.

ほうもんと もうすは よを はばかり よを おそれて ほとけの とき たもうが ごとく.
法門と 申すは 人を 憚り 世を 恐れて 仏の 説き 給うが 如く.

きょうもんの じつぎを もうさざらんは ぐしゃの しごく なり.
経文の 実義を 申さざらんは 愚者の 至極 なり.

ちしゃしょうにんとは おぼえ そうらわず.
智者上人とは 覚え 給はず.

あくほう よに ひろまりて ひと あくどうに おち こくど めっすべしと みえ そうらわんに.
悪法 世に 弘まりて 人 悪道に 堕ち 国土 滅すべしと 見へ 候はむに.

ほっしの みとして いかでか いさめず そうろうべき.
法師の 身として 争か いさめず 候べき.

しかれば すなわち ほけきょうには 「われ しんみょうを おしまず」.
然れば 則ち 法華経には 「我 身命を 愛まず」.

ねはんぎょうには 「むしろ しんみょうを うしなうとも」 とう うんぬん.
涅槃経には 「寧ろ 身命を 喪うとも」 等 云云.

まことの しょうにんにて おわせば いかんが しんみょうを おしみて よにも ひとにも おそれ たもうべき.
実の 聖人にて をはせば 何が 身命を 惜みて 世にも 人にも 恐れ 給うべき.

げてんの なかにも りゅうほうと いいしもの.
外典の 中にも 竜蓬と 云いし者.

ひかんと もうせし けんじんは くびを はなられ むねを さかれ しかども.
比干と 申せし 賢人は 頸を はねられ 胸を さかれ しかども.

かの けつ いんの ちゅうをば いさめて こそ けんじんの なをば ながし そうろうか.
夏の 桀、殷の 紂をば いさめて こそ 賢人の 名をば 流し 候しか.

ないてんには ふぎょうぼさつは じょうもくを かおり ししそんじゃは こうべを はねられ.
内典には 不軽菩薩は 杖木を かほり 師子尊者は 頭を はねられ.

じくの どうしょうは そざんに ながされ ほうどうさんぞうは かおに かなやきを さされて こうなんに はなたれ しかども.
竺の 道生は 蘇山に ながされ 法道三蔵は 面に 火印を さされて 江南に はなたれ しかども.

しょうほうを ひろめて こそ しょうにんの なをば え そうらいしかとなんぜられ そうらいしかば.
正法を 弘めて こそ 聖人の 名をば 得 候しかと 難ぜられ 候しかば.

りゅうしょうにんの いわく さる ひとは まつだいには ありがたし.
竜上人の 云く さる 人は 末代には ありがたし.

われわれは よを はばかり ひとを おそるるものにて そうろう.
我我は 世を はばかり 人を 恐るる者にて 候.

→a1155

b1156

さように おおせらるる ひと とても ことばの ごとくには よも おわしまし そうらわじと そうらいしかば.
さやうに 仰せらるる 人 とても ことばの 如くには よも をはしまし 候はじと 候しかば.

この ごぼうは いかでか ひとの こころをば しり たもうべき.
此の 御房は 争か 人の 心をば 知り 給うべき.

それがし こそ とうじ にほんこくに きこえ たもう にちれんしょうにんの でしとして そうらえ.
某 こそ 当時 日本国に 聞え 給う 日蓮聖人の 弟子として 候へ.

それがしが ししょうの しょうにんは まつだいの そうにて おわし そうらえども.
某が 師匠の 聖人は 末代の 僧にて 御坐 候へども.

とうせいの だいみょう そうの ごとく のぞんで しょうようも せず.
当世の 大名 僧の 如く 望んで 請用も せず.

ひとをも へつらわず いささか ことなる あくみょう もたたず.
人をも 諂はず 聊か 異なる 悪名 もたたず.

ただ この くにに しんごん ぜんしゅう じょうどしゅう とうの あくほう.
只 此の 国に 真言 禅宗 浄土宗 等の 悪法.

ならびに ほうぼうの しょそう みちみちて かみ いちにんを はじめ たてまつりて.
並に 謗法の 諸僧 満ち満ちて 上 一人を はじめ 奉りて.

しも ばんみんに いたるまで ごきえ ある ゆえに.
下 万民に 至るまで 御帰依 ある 故に.

ほけきょう きょうしゅ しゃくそんの だいおんてきと なりて げんせには てんじん ちぎに すてられ.
法華経 教主 釈尊の 大怨敵と 成りて 現世には 天神 地祇に すてられ.

たこくの せめに あい ごしょうには あびだいじょうに おち たもうべき よし.
他国の せめに あひ 後生には 阿鼻大城に 堕ち 給うべき 由.

きょうもんに まかせて たて たまいし ほどに このこと もうさば だいなる あだ なるべし.
経文に まかせて 立て 給いし 程に 此の事 申さば 大なる あだ あるべし.

もうさずんば ほとけの せめ のがれがたし.
申さずんば 仏の せめ のがれがたし.

いわゆる ねはんぎょうに 「もし ぜんびく あって ほうを やぶる ものを みて おいて.
いはゆる 涅槃経に 「若し 善比丘 あつて 法を 壊る 者を 見て 置いて.

かしゃくし くけんし こしょ せずんば まさに しるべし この ひとはぶっぽうの なかの あだ なり」とうと うんぬん.
呵責し 駈遣し 挙処 せずんば 当に 知るべし 是の 人は 仏法の 中の 怨 なり」等と 云云.

よに おそれて もうさずんば わが み あくどうに おつべきと ごらんじて.
世に 恐れて 申さずんば 我が 身 悪道に 堕つべきと 御覧じて.

しんみょうを すてて いぬる けんちょう ねんちゅう より ことし けんじ 3ねんに いたるまで.
身命を すてて 去る 建長 年中 より 今年 建治 三年に 至るまで.

20よねんが あいだ あえて おこたる ことなし.
二十余年が 間 あえて をこたる 事なし.

しかれば わたくしの なんは かずを しらず.
然れば 私の 難は 数を 知らず.

こくおうの かんきは りょうどに およびき.
国王の 勘気は 両度に 及びき.

さんみも ぶんえい 8ねん くがつ 12にちの かんきの ときは.
三位も 文永 八年 九月 十二日の 勘気の 時は.

ぐぶの ひとりにて ありしかば どうざいに おこなわれて こうべを はねらるべきにて ありしは.
供奉の 一人にて 有りしかば 同罪に 行はれて 頸を はねらるべきにて ありしは.

しんみょうを おしむ ものにて そうろうかと もうされ しかば.
身命を 惜む ものにて 候かと 申され しかば.

りゅうぞうぼう くちを とじて いろを かえ そうらいしかば.
竜象房 口を 閉て 色を 変え 候しかば.

この ごぼう もうされしは これほどの おんちえにては ひとの ふしんを はらすべき よしの おおせ むように そうらいけり.
此の 御房 申されしは 是程の 御智慧にては 人の 不審を はらすべき 由の 仰せ 無用に 候けり.

くがんびく しょういびく とうは われ しょうほうを しりて ひとを たすくべき よし ぞんぜられて そうらい しかども.
苦岸比丘 勝意比丘 等は 我れ 正法を 知りて 人を たすくべき 由 存ぜられて 候 しかども.

わが みも でし だんな とうも むけんじごくに おち そうらいき.
我が 身も 弟子 檀那 等も 無間地獄に 堕ち 候き.

ごほうもんの ぶんさいにて そこばくの ひとを すくわんと とき たもうが ごとく ならば.
御法門の 分斉にて そこばくの 人を 救はむと 説き 給うが 如く ならば.

しだん ともに むけんじごくにや おち たまわんずらん.
師檀 共に 無間地獄にや 堕ち 給はんずらむ.

きょう より のちは かくの ごとき ごせっぽうは おんはからい あるべし.
今日 より 後は 此くの 如き 御説法は 御はからひ あるべし.

かようには もうすまじく そうらえども あくほうを もって ひとを じごくに おとさん じゃしを みながら せめ あらわさずば.
加様には 申すまじく 候へども 悪法を 以て 人を 地獄に をとさん 邪師を みながら 責め 顕はさずば.

かえって ぶっぽうの なかの あだ なるべしと ほとけの おんいましめ のがれがたき うえ.
返つて 仏法の 中の 怨 なるべしと 仏の 御いましめ のがれがたき 上.

ちょうもんの じょうげ みな あくどうに おち そうらわん こと ふびんに おぼえ そうらえば かくの ごとく もうし そうろうなり.
聴聞の 上下 皆 悪道に をち 給はん 事 不便に 覚え 候へば 此くの 如く 申し 候なり.

ちしゃと もうすは くにの あやうきを いさめ.
智者と 申すは 国の あやうきを いさめ.

ひとの じゃけんを もうし とどむる こそ ちしゃにては そうろうなれ.
人の 邪見を 申し とどむる こそ 智者にては 候なれ.

これは いかなる ひがごと ありとも よの おそろしければ いさめじと もうされむ うえは ちから およばず.
是は いかなる ひが事 ありとも 世の 恐しければ いさめじと 申されむ 上は 力 及ばず.

それがしは もんじゅの ちえも るふなの べんぜつも せん そうらわずとて たたれ そうらいしかば.
某は 文殊の 智慧も 富楼那の 弁説も 詮 候はずとて 立たれ 候しかば.

しょにん かんきを なし たなごころを あわせ いま しばらく ごほうもん そうらえかしと とどめ もうされ しかども.
諸人 歓喜を なし 掌を 合せ 今 暫く 御法門 候へかしと 留め 申され しかども.

やがて かえり たま おわんぬ.
やがて 帰り 給い 了んぬ.

→a1156

b1157

この ほかは べつの しさい そうらわず.
此の 外は 別の 子細 候はず.

かつは ごすいさつ あるべし.
且つは 御推察 あるべし.

ほけきょうを しんじ まいらせて ぶつどうを ねがい そうらわん ものの.
法華経を 信じ 参らせて 仏道を 願ひ 候はむ 者の.

いかでか ほうもんの とき あくぎょうを くわだて あっくを むねとし そうろうべき.
争か 法門の 時 悪行を 企て 悪口を 宗とし 候べき.

しかしながら おんきょうざく あるべく そうろう.
しかしながら 御きやうざく 有る可く 候.

そのうえ にちれんしょうにんの でしと なのりぬる うえ.
其上 日蓮聖人の 弟子と なのりぬる 上.

まかり かえりても ごぜんに まいりて ほうもん もんどうの よう かたり もうし そうらいき.
罷り 帰りても 御前に 参りて 法門 問答の 様 かたり 申し 候き.

また その あたりに よりもと しらぬもの そうらわず.
又た 其の 辺に 頼基 しらぬもの 候はず.

ただ よりもとを そねみ そうろう ひとの つくりごとにて そうろうにや.
只 頼基を そねみ 候 人の つくり事にて 候にや.

はやばや めし あわせられん とき その かくれ あるべからず そうろう.
早早 召し 合せられん 時 其の 隠れ 有る可らず 候.

また おおせ くださるる じょうに いわく.
又 仰せ 下さるる 状に 云く.

ごくらくじの ちょうろうは せそんの しゅっせいと あおぎ たてまつると この じょう なんかんの しだいに おぼえ そうろう.
極楽寺の 長老は 世尊の 出世と 仰ぎ 奉ると 此の 条 難かむの 次第に 覚え 候.

そのゆえは にちれんしょうにんは おんきょうに とかれて ましますが ごとくば.
其の故は 日蓮聖人は 御経に とかれて ましますが 如くば.

くじょうにょらいの おんつかい じょうぎょうぼさつの すいしゃく ほっけほんもんの ぎょうじゃ 5 500さいの だいどうしにて おわしそうろう しょうにんを.
久成如来の 御使、上行菩薩の 垂迹、法華本門の 行者、五 五百歳の 大導師にて 御座候 聖人を.

くびを はねらるべき よしの もうしじょうを かきて さつざいに もうし おこなわれ そうらいしが いかが そうらいけん.
頸を はねらるべき 由の 申し状を 書きて 殺罪に 申し 行はれ 候しが いかが 候けむ.

しざいを やめて さどの しままで おんる せられ そうらいしは.
死罪を 止て 佐渡の 島まで 遠流 せられ 候しは.

りょうかんしょうにんの しょぎょうに そうらわずや.
良観上人の 所行に 候はずや.

その そじょうは べっしに これあり.
其の 訴状は 別紙に 之れ有り.

そもそも いきぐさを だに きる べからずと ろくさい にちや せっぽうに たまわれ ながら.
抑 生草を だに 伐る べからずと 六斎 日夜 説法に 給われ ながら.

ほっけ しょうほうを ひろむる そうを だんざいに おこなわるべき むね.
法華 正法を 弘むる 僧を 断罪に 行わる可き 旨.

もうし たてらるるは じごそういに そうらわずや いかん.
申し 立てらるるは 自語相違に 候はずや 如何.

この そう あに てんまの いれる そうに そうらわずや.
此 僧 豈 天魔の 入れる 僧に 候はずや.

ただし この ことの おこりは りょうかんぼう つねの せっぽうに いわく.
但し 此の 事の 起は 良観房 常の 説法に 云く.

にほんこくの いっさいしゅじょうを みな じさいに なして はっさいかいを もたせて.
日本国の 一切衆生を 皆 持斎に なして 八斎戒を 持たせて.

にほんじゅうの せっしょう てんかの さけを とどめんと する ところに.
国中の 殺生 天下の 酒を 止めむと する 処に.

にちれんぼうが ほうぼうに さえられて この ねがい かないがたき よし なげき たまい そうろう あいだ.
日蓮房が 謗法に 障えられて 此の 願 叶い難き 由 歎き 給い 候 間.

にちれんしょうにん この よしを きき たまいて いかがして かれが おうわくの だいまんしんを たおして むけんじごくの だいくを たすけんと おおせ ありしかば.
日蓮聖人 此の 由を 聞き 給いて いかがして 彼が 誑惑の 大慢心を たをして 無間地獄の 大苦を たすけむと 仰せ ありしかば.

よりもとらは この おおせ ほけきょうの おんかとうど だいじひの おおせにては そうらえども.
頼基等は 此の 仰せ 法華経の 御方人 大慈悲の 仰せにては 候へども.

とうじ にほんこく べっして ぶけ りょうしょくの よ きらざる ひとにて おわしますを.
当時 日本国 別して 武家 領食の 世 きらざる 人にて をはしますを.

たやすく おおせ あること いかがかと でしども どうくに おそれ もうし そうらいし ほどに.
たやすく 仰せ ある事 いかがと 弟子共 同口に 恐れ 申し 候し 程に.

いぬる ぶんえい 8ねん 6がつ 18にち だいかんばつの とき.
去る 文永 八年 六月 十八日 大旱魃の 時.

かの ごぼう きうの ほうを おこないて ばんみんを たすけんと もうしつけ そうろう よし.
彼の 御房 祈雨の 法を 行いて 万民を たすけんと 申し付け 候 由.

にちれんしょうにん ききたまいて これていは しょうじ なれども.
日蓮聖人 聞き 給いて 此体は 小事 なれども.

この ついでに にちれんが ほうげんを ばんにんに しらせばやと おおせ ありて.
此の 次でに 日蓮が 法験を 万人に 知らせばやと 仰せ ありて.

りょうかんぼうの ところに つかわすに いわく.
良観房の 所へ つかはすに 云く.

なのかの うちに ふらし たまわば にちれんが ねんぶつむけんと もうす ほうもんを すてて.
七日の 内に ふらし 給はば 日蓮が 念仏無間と 申す 法門 すてて.

りょうかんしょうにんの でしと なりて 250かい たもつべし.
良観上人の 弟子と 成りて 二百五十戒 持つべし.

あめ ふらぬ ほどならば かの ごぼうの じかいげ なるが.
雨 ふらぬ ほどならば 彼の 御房の 持戒気 なるが.

だいおうわく なるは けんねん なるべし.
大誑惑 なるは 顕然 なるべし.

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じょうだいも きうに つけて しょうぶを けっしたる れい これ おおし.
上代も 祈雨に 付て 勝負を 決したる 例 これ 多し.

いわゆる ごみょうと でんぎょうだいしと しゅびんと こうぼうと なり.
所謂 護命と 伝教大師と 守敏と 弘法と なり.

よって りょうかんぼうの もとへ すおうぼう いりさわのにゅうどうと もう すねんぶつしゃを つかわす.
仍て 良観房の 所へ 周防房、入沢の入道と 申す 念仏者を 遣わす

ごぼうと にゅうどうは りょうかんが でし また ねんぶつしゃ なり.
御房と 入道は 良観が 弟子 又 念仏者 なり.

いまに にちれんが ほうもんを もちうる ことなし.
いまに 日蓮が 法門を 用うる 事なし.

これを もって しょうぶと せん.
是を 以て 勝負と せむ.

なのかの うちに あめ ふる ならば もとの はっさいかい ねんぶつを もって おうじょう すべしと おもうべし.
七日の 内に 雨 降る ならば 本の 八斎戒 念仏を 以て 往生 すべしと 思うべし.

また ふらずば いっこうに ほけきょうに なるべしと いわれ しかば.
又 雨らずば 一向に 法華経に なるべしと いはれ しかば.

これら よろこびて ごくらくじの りょうかんぼうに この よしを もうし そうらいけり.
是等 悦びて 極楽寺の 良観房に 此の 由を 申し 候けり.

りょうかんぼう よろこびないて なのかの うちに あめ ふらすべき よしにて.
良観房 悦びないて 七日の 内に 雨 ふらすべき 由にて.

でし 120よにん こうべ より けむりを いだし こえを てんに ひびかし.
弟子 百二十余人 頭 より 煙を 出し 声を 天に ひびかし.

あるいは ねんぶつ あるいは せいうきょう あるいは ほけきょう.
或は 念仏 或は 請雨経 或は 法華経.

あるいは はっさいきょうを ときて しゅじゅに きせいす.
或は 八斎戒を 説きて 種種に 祈請す.

し ごにち まで あめのけ なければ たましいを うしないて.
四 五日 まで 雨の気 無ければ たましゐを 失いて.

たほうじの でしら すうひゃくにん よびあつめて ちからを つくし いのりたるに.
多宝寺の 弟子等 数百人 呼び集めて 力を 尽し 祈りたるに.

なのかの うちに つゆ ばかりも あめ ふらず.
七日の 内に 露 ばかりも 雨 降らず.

そのとき にちれんしょうにん つかいを つかわす こと さんどに およぶ.
其の時 日蓮聖人 使を 遣す 事 三度に 及ぶ.

いかに いずみしきぶと いいし いんにょ のういんほっしと もうせしはかいの そう.
いかに 泉式部と 云いし 婬女 能因法師と 申せし 破戒の 僧.

きょうげんきごの みそひともじを もって たちまちに ふらせし あめを.
狂言綺語の 三十一字を 以て 忽に ふらせし 雨を.

じかい じりつの りょうかんぼうは ほっけ しんごんの ぎりを きわめ.
持戒 持律の 良観房は 法華 真言の 義理を 極め.

じひ だいいちと きこえ たもう しょうにんの すうひゃくにんの しゅうとを ひきいて.
慈悲 第一と 聞へ 給う 上人の 数百人の 衆徒を 率いて.

なのかの あいだに いかに ふらし たまわぬやらん.
七日の 間に いかに ふらし 給はぬやらむ.

これを もって おもい たまえ.
是を 以て 思ひ 給へ.

いちじょうの ほりを こえざるもの にじょう さんじょうの ほりを こえてんや.
一丈の 堀を 越えざる 者 二丈 三丈の 堀を 越えてんや.

やすき あめをだに ふらし たまわず.
やすき 雨をだに ふらし 給はず.

いわんや かたき おうじょう じょうぶつ をや.
況や かたき 往生 成仏 をや.

しかれば いまよりは にちれん あだみ たもう じゃけんをば.
然れば 今よりは 日蓮 怨み 給う 邪見をば.

これを もって ひるがえし たまえ.
是を 以て 翻えし 給へ.

ごしょう おそろしく おぼし たまわば やくそくの ままに いそぎ きたり たまえ.
後生 をそろしく をぼし 給はば 約束の ままに いそぎ 来り 給へ.

あめ ふらす ほうと ほとけに なる みち おしえ たてまつらん.
雨 ふらす 法と 仏に なる 道 をしへ 奉らむ.

なのかの うちに あめ こそ ふらし たまわざらめ.
七日の 内に 雨 こそ ふらし 給はざらめ.

かんばつ いよいよ こうじょうに はっぷう ますます ふき かさなりてたみの なげき いよいよ ふかし.
旱魃 弥 興盛に 八風 ますます 吹き 重りて 民の なげき 弥弥 深し.

すみやかに その いのり やめたまえと.
すみやかに 其の いのり やめ給へと.

だいしちにちの さるの とき ししゃ ありのままに もうす ところに.
第七日の 申の 時 使者 ありのままに 申す 処に.

りょうかんぼうは なみだを ながす.
良観房は 涙を 流す.

でし だんな おなじく こえを おしまず くやしがる.
弟子 檀那 同じく 声を おしまず 口惜しがる.

にちれん ごかんきを こうむる とき このこと おんたずね ありしかば.
日蓮 御勘気を 蒙る 時 此の事 御尋ね 有りしかば.

ありの ままに もうし たまいき.
有りの ままに 申し 給いき.

しかれば りょうかんぼう みのうえの はじを おもわば あとを くらまして さんりんにも まじわり.
然れば 良観房 身の上の 恥を 思はば 跡を くらまして 山林にも まじはり.

やくそくの ままに にちれんが でしとも なりたらば どうしんの すこしにても あるべきに.
約束の ままに 日蓮が 弟子とも なりたらば 道心の 少にても あるべきに.

さわなくして むじんの ざんげんを かまえて さつざいに もうし おこなわんと せしは.
さはなくして 無尽の 讒言を 構えて 殺罪に 申し 行はむと せしは.

とうとき そうかと にちれんしょうにん かたり たまいき.
貴き 僧かと 日蓮聖人 かたり 給いき.

また よりもとも みきき そうらいき.
又 頼基も 見聞き 候き.

たじに おいては かけはくも しゅくんの おんこと おそれいり そうらえども.
他事に 於ては かけはくも 主君の 御事 畏れ入り 候へども.

このことは いかに おもい そうろうとも.
此の事は いかに 思い 候とも.

いかでかと おもわれ そうろうべき.
いかでかと 思はれ 候べき.

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おおせくだしの じょうに いわく.
仰せ下しの 状に 云く.

りゅうぞうぼう ごくらくじの ちょうろう けんざんの のちは しゃか みだと あおぎ たてまつると うんぬん.
竜象房 極楽寺の 長老 見参の 後は 釈迦 弥陀と あをぎ 奉ると 云云.

この じょう また おそれいり そうろう.
此の 条 又 恐れ入り 候.

かの りゅうぞうぼうは らくちゅうにして ひとの こつにくを あさゆうの しょくもつと する よし.
彼の 竜象房は 洛中にして 人の 骨肉を 朝夕の 食物と する 由.

ろけん せしむるの あいだ さんもんの しゅうと ほうきして.
露顕 せしむるの 間 山門の 衆徒 蜂起して.

よ まつだいに およびて あっき くにじゅうに しゅつげん せり.
世 末代に 及びて 悪鬼 国中に 出現 せり.

さんのうの おんちからを もって たいじを くわえんとて.
山王の 御力を 以て 対治を 加えむとて.

じゅうしょを しょうしつし その みを ちゅうばつ せんと する ところに.
住所を 焼失し 其の 身を 誅罰 せむと する 処に.

しぜんに とうしつし ゆくえを しらざる ところに.
自然に 逃失し 行方を 知らざる 処に.

たまたま かまくらの なかに また ひとの にくを くらうの あいだ こころ ある ひと きょうふ せしめて そうろうに.
たまたま 鎌倉の 中に 又 人の 肉を 食の 間 情 ある 人 恐怖 せしめて 候に.

ほとけ ぼさつと おおせ たもう こと しょじゅうの みとして いかでか しゅくんの おんあやまりを いさめ もうさず そうろうべき.
仏 菩薩と 仰せ 給う 事 所従の 身として 争か 主君の 御あやまりを いさめ 申さず 候べき.

みうちの おとなしき ひとびと いかに こそ ぞんじ そうらえ.
御内の をとなしき 人人 いかに こそ 存じ 候へ.

おなじき くだし じょうに いわく.
同じき 下し 状に 云く.

ぜひに つけて しゅしんの しょぞんには あいしたがわん こそ.
是非に つけて 主親の 所存には 相随わん こそ.

ぶっしんの みょうにも せけんの れいにも てほんと うんぬん.
仏神の 冥にも 世間の 礼にも 手本と 云云.

このこと さいだいいちの だいじにて そうらえば わたくしの もうしじょう おそれいり そうろう あいだ.
此の事 最第一の 大事にて 候へば 私の 申し状 恐れ入り 候 間.

ほんもんを ひくべく そうろう.
本文を 引くべく 候.

こうきょうに いわく「こ もって ちちに あらそわずんば あるべからず.
孝経に 云く「子 以て 父に 争わずんば あるべからず.

しん もって くんに あらそわずんば あるべからず.
臣 以て 君に 争わずんば あるべからず」.

ていげん いわく 「くんぷ ふぎ あらんに しんし いさめざるは すなわち ぼうこく はけの みち なり」.
鄭玄 曰く 「君父 不義 有らんに 臣子 諫めざるは 則ち 亡国 破家の 道 なり」.

しんじょに いわく「しゅの ぼうを いさめざれば ちゅうしんに あらざるなり.
新序に 曰く「主の 暴を 諫めざれば 忠臣に 非ざるなり.

しを おそれて いわざるは ゆうしに あらざるなり」.
死を 畏れて 言わざるは 勇士に 非ざるなり」.

でんぎょうだいし いわく「およそ ふぎに あたっては すなわち こ もってちちに あらそわずんば あるべからず.
伝教大師 云く「凡そ 不誼に 当つては 則ち 子 以て 父に 争わずんば あるべからず.

しん もって あらそわずんば あるべからず.
臣 以て 君に 争わずんば あるべからず.

まさに しるべし くんしん ふし してい もって しに あらそわずんば あるべからず」.
当に 知るべし 君臣 父子 師弟 以て 師に 争わずんば あるべからず」.

ほけきょうに いわく「われ しんみょうを おしまず ただ むじょうどうを おしむ」.
法華経に 云く「我れ 身命を 愛まず 但 無上道を 惜む」.

ねはんぎょうに いわく 「たとえば おうの つかいの よく だんろんしほうべん たくみにして いのちを たこくに ほうずるに.
涅槃経に 云く 「譬えば 王の 使の 善能 談論し 方便に 巧にして 命を 他国に 奉ずるに.

むしろ しんみょうを うしなうとも ついに おうの しょせつの げんきょうを かくさざるが ごとし.
寧ろ 身命を 喪うとも 終に 王の 所説の 言教を 匿さざるが 如し.

ちしゃも また しかり」.
智者も 亦 爾り」.

しょうあんだいし いわく「むしろ しんみょうを うしなうとも おしえを かくさざれとは.
章安大師 云く「寧ろ 身命を 喪うとも 教を 匿さざれとは.

みは かるく ほうは おもし みを しして ほうを ひろむ」.
身は 軽く 法は 重し 身を 死して 法を 弘む」.

また いわく「ぶっぽうを えらん するは ぶっぽうの なかの あだ なり.
又 云く「仏法を 壊乱 するは 仏法の 中の 怨なり.

じ なくして いつわり したしむは すなわち これ かれが あだ なり.
慈 無くして 詐り 親むは 則ち 是れ 彼が 怨なり.

よく きゅうじ するものは かれの ために あくを のぞく.
能く 糺治 する者は 彼の 為めに 悪を 除く.

すなわち これ かれが おや なり.
則ち 是れ 彼が 親 なり」.

よりもとをば ぼうはい こそ ぶれい なりと おもわれ そうらめども.
頼基をば 傍輩 こそ 無礼 なりと 思はれ 候らめども.

よの ことにおき そうらいては ぜひ ふぼ しゅくんの おおせに したがい まいらせ そうろうべし.
世の 事にをき 候ては 是非 父母 主君の 仰せに 随い 参らせ 候べし.

それにとて じゅうおんの しゅの あくほうに たぼらかされ ましまして.
其にとて 重恩の 主の 悪法の 者に たぼらかされ ましまして.

あくどうに おち たまわんを なげく ばかりなり.
悪道に 堕ち 給はむを なげく ばかりなり.

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あじゃせおうは だいば6しを しとして きょうしゅ しゃくそんを かたきと せしかば.
阿闍世王は 提婆六師を 師として 教主 釈尊を 敵と せしかば.

まかだこく みな ぶっきょうの かたきと なりて じゃおうの けんぞく 58まんにん.
摩竭提国 皆 仏教の 敵と なりて 闍王の 眷属 五十八万人.

ぶつでしを かたきと する なかに ぎば だいじん ばかり ほとけの でし なり.
仏弟子を 敵と する 中に 耆婆 大臣 計り 仏の 弟子 なり.

だいおうは かみの よりもとを おぼしめすが ごとく.
大王は 上の 頼基を 思し 食すが 如く.

ぶつでし たることを みこころ よからず おぼしめし しかども.
仏弟子 たる事を 御心 よからず 思し食し しかども.

さいごには 6だいしんの じゃぎを すてて.
最後には 六大臣の 邪義を すてて.

ぎばが しょうほうに こそ つかせ たまい そうらいしか.
耆婆が 正法に こそ つかせ 給い 候しか.

そのごとく おんさいごをば よりもとや すくい まいらせ そうらわん ずらん.
其の如く 御最後をば 頼基や 救い 参らせ 候はん ずらむ.

かくのごとく もうさしめ そうらえば あじゃせおうは ごぎゃくざいの もの なり.
此の如く 申さしめ 候へば 阿闍世は 五逆罪の 者 なり.

かれに たいするかと おぼしめしぬべし.
彼に 対するかと 思し食しぬべし.

おそれにては そうらえども かれには ひゃくせんまんばいの じゅうざいにて おわすべしと.
恐れにては 候へども 彼には 百千万倍の 重罪にて 御座すべしと.

おんきょうの もんには けんねんに みえさせ たまいて そうろう.
御経の 文には 顕然に 見えさせ 給いて 候.

いわゆる 「いま この さんがいは みな これ わが う なり.
所謂 「今 此の 三界は 皆 是れ 我 有 なり.

そのなかの しゅじょうは ことごとく これ わがこ なり」.
其中の 衆生は 悉く 是れ 吾子 なり」.

もんの ごとくば きょうしゅしゃくそんは にほんこくの いっさいしゅじょうの ふぼ なり ししょう なり しゅくん なり.
文の 如くば 教主釈尊は 日本国の 一切衆生の 父母 なり 師匠 なり 主君 なり.

あみだぶつは この みつの ぎ ましまさず.
阿弥陀仏は 此の 三の 義 ましまさず.

しかるに さんとくの ほとけを さしおいて たぶつを ちゅうや ちょうぼに しょうみょうし.
而るに 三徳の 仏を 閣いて 他仏を 昼夜 朝夕に 称名し.

6まん 8まんの みょうごうを となえ まします.
六万 八万の 名号を 唱え まします.

あに ふこうの ごしょさに わたらせ たまわずや.
あに 不孝の 御所作に わたらせ 給はずや.

みだの がんも しゃかにょらいの とかせ たまい しかども.
弥陀の 願も 釈迦如来の 説かせ 給い しかども.

ついに くいかえし たまいて ゆいがいちにんと さだめ たまいぬ.
終に くひ返し 給いて 唯我一人と 定め 給いぬ.

そのごは まったく ににん さんにんと みえ そうらわず.
其の後は 全く 二人 三人と 見え 候はず.

したがって ひとにも ふぼ ふたり なし.
随つて 人にも 父母 二人 なし.

いずれの きょうに みだは この くにの ちち いずれの ろんに ははたる むね みえて そうろう.
何の 経に 弥陀は 此の 国の 父 何れの 論に 母たる 旨 見へて 候.

かんぎょう とうの ねんぶつの ほうもんは ほけきょうを とかせ たまわん ための しばらくの しつらい なり.
観経 等の 念仏の 法門は 法華経を 説かせ 給はむ 為の しばらくの しつらひ なり.

とう くまん ための あししろの ごとし.
塔 組まむ 為の 足代の 如し.

しかるを ぶっぽう なれば しじゅう あるべしと おもう ひと だいびゃくあん なり.
而るを 仏法 なれば 始終 あるべしと 思う 人 大僻案 なり.

とう たてて のち あししろを とうとぶ ほどの はかなき ものなり.
塔 立てて 後 足代を 貴ぶほどの はかなき 者なり.

また ひ よりも ほしは あきらかと もうす ものなるべし.
又 日 よりも 星は 明と 申す 者なるべし.

この ひとを きょうに といて いわく.
此の 人を 経に 説いて 云く.

「また きょうしょうすと いえども しかも しんじゅ せず.
「復 教詔すと 雖も 而も 信受 せず.

その ひと みょうじゅうして あびごくに いらん」.
其の 人 命終して 阿鼻獄に 入らん」.

とうせい にほんこくの いっさいしゅじょうの しゃかぶつを なげうって あみだぶつを ねんじ.
当世 日本国の 一切衆生の 釈迦仏を 抛つて 阿弥陀仏を 念じ.

ほけきょうを なげうって かんぎょう とうを しんずる ひと.
法華経を 抛つて 観経 等を 信ずる 人.

これは かくの ごとき ほうぼうの ものを くようせん ぞくなん ぞくにょ とう.
或は 此くの 如き 謗法の 者を 供養せむ 俗男 俗女 等.

ぞんがいに ごぎゃく しちぎゃく はちぎゃくの つみを おかせる ものを.
存外に 五逆 七逆 八虐の 罪を をかせる 者を.

ちしゃと かつごう する もろもろの だいみょう そう ならびに こくしゅ とう なり.
智者と 竭仰 する 諸の 大名 僧 並びに 国主 等 なり.

にょぜ てんでんし むしゅこうとは これなり.
如是 展転至 無数劫とは 是なり.

かくの ごとき ひがごとを なまじいに うけたまわりて そうろう あいだ.
此くの 如き 僻事を なまじゐに 承りて 候 間.

つぎを もって もうせしめ そうろう.
次を 以て 申せしめ 候.

みやづかえを つかまつる もの じょうげ ありと もうせども.
官仕を つかまつる 者 上下 ありと 申せども.

ぶんぶんに したがって しゅくんを おもんぜざるは そうらわず.
分分に 随つて 主君を 重んぜざるは 候はず.

かみの おんため げんせ ごせ あしく わたらせ たもうべき ことを ひそかにも うけたまわりて そうらわんに.
上の 御ため 現世 後生 あしく わたらせ 給うべき 事を 秘かにも 承りて 候はむに.

ぼうはい よに はばかりて もうしあげざらんは よどうざいに こそ そうろうまじきか.
傍輩 世に 憚りて 申し上ざらむは 与同罪に こそ 候まじきか.

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したがって よりもとは ふし にだい いのちを きみに まいらせたる こと けんねん なり.
随つて 頼基は 父子 二代 命を 君に まいらせたる 事 顕然 なり.

こ おやちち なかつかさ ぼう こ くんの ごかんき こうらせ たまいける とき.
故 親父 中務 某 故 君の 御勘気 かふらせ 給いける 時.

すうひゃくにんの みうちの しん とう こころがわりし そうらいけるに.
数百人の 御内の 臣 等 心がはりし 候けるに.

なかつかさ ひとり さいごの おんぐぶして いずのくに まで まいりて そうらいき.
中務 一人 最後の 御供奉して 伊豆の国 まで 参りて 候き.

よりもとは さる ぶんえい 11ねん 2がつ 12にちの かまくらの かっせんの とき.
頼基は 去る 文永 十一年 二月 十二日の 鎌倉の 合戦の 時.

おりふし いずのくにに そうらい しかば とうかの さるの ときに うけたまわりて.
折節 伊豆の国に 候 しかば 十日の 申の 時に 承りて.

ただ ひとり はこねやまを いちじに はせこえて ごぜんに じがい すべき 8にんの うちに そうらいき.
唯 一人 筥根山を 一時に 馳せ越えて 御前に 自害 すべき 八人の 内に 候き.

しぜんに よ しずまり そうらい しかば いまに きみも あんのんに こそ わたらせ たまい そうらえ.
自然に 世 しづまり 候 しかば 今に 君も 安穏に こそ わたらせ 給い 候へ.

じらい だいじ しょうじに つけて おんこころ やすき ものに こそ おもい ふくまれて そうろう.
爾来 大事 小事に 付けて 御心 やすき 者に こそ 思い 含まれて 候.

よりもとが いまさらに いかに つけて そえんに おもい まいらせ そうろうべき.
頼基が 今更 何に つけて 疎縁に 思い まいらせ 候べき.

ごしょう までも ずいじゅうし まいらせて よりもと じょうぶつし そうらわば.
後生 までも 随従し まいらせて 頼基 成仏し 候はば.

きみをも すくい まいらせ きみ じょうぶつし ましまさば.
君をも すくひ まいらせ 君 成仏し ましまさば.

よりもとも たすけられ まいらせんと こそ ぞんじ そうらえ.
頼基も たすけられ まいらせむと こそ 存じ 候へ.

それに ついて しょそうの せっぽうを ちょうもん つかまつりて.
其れに 付ひて 諸僧の 説法を 聴聞 仕りて.

いずれか じょうぶつの ほうと うかがい そうろう ところに.
何れか 成仏の 法と うかがひ 候 処に.

にちれんしょうにんの ごぼうは さんがいの しゅ いっさいしゅじょうの ふぼ.
日蓮聖人の 御房は 三界の 主 一切衆生の 父母.

しゃかにょらいの おんつかい じょうぎょうぼさつにて おわし そうらいける ことの.
釈迦如来の 御使 上行菩薩にて 御坐 候ける 事の.

ほけきょうに とかれて ましましけるを しんじ まいらせたるに そうろう.
法華経に 説かれて ましましけるを 信じ まいらせたるに 候.

いまこそ しんごんしゅうと もうす あくほう にほんこくに わたりて 400よねん.
今こそ 真言宗と 申す 悪法 日本国に 渡りて 四百余年.

いぬる えんりゃく 24ねんに でんぎょうだいし にほんこくに わたし たまいたり しかども.
去る 延暦 二十四年に 伝教大師 日本国に わたし 給いたり しかども.

この くにに あしかりなんと おぼしめし そうろう あいだ.
此の 国に あしかりなむと 思し食し 候 間.

しゅうの じを ゆるさず.
宗の 字を ゆるさず.

てんだいほっけしゅうの ほうべんと なしたまい おわんぬ.
天台法華宗の 方便と なし給い 畢んぬ.

そのご でんぎょうだいし ごにゅうめつの ついでを うかがいて.
其の後 伝教大師 御入滅の 次を うかがひて.

こうぼうだいし でんぎょうに へんしゅうして しゅうの じを くわえ しかども.
弘法大師 伝教に 偏執して 宗の 字を 加え しかども.

えいざんは もちうる こと なかりし ほどに.
叡山は 用うる 事 なかりし ほどに.

じかく ちしょう たんさいにして ふたりの みは とうざんに いながら.
慈覚 智証 短才にして 二人の 身は 当山に 居ながら.

こころは とうじの こうぼうに どうい するかの ゆえに.
心は 東寺の 弘法に 同意 するかの 故に.

わが だいしには そむいて はじめて えいざんに しんごんしゅうを たてぬ.
我が 大師には 背いて 始めて 叡山に 真言宗を 立てぬ.

にほん ぼうこくの おこり これなり.
日本 亡国の 起り 是なり.

じらい 300よねん あるいは しんごん すぐれ ほっけ すぐれ.
爾来 三百余年 或は 真言 勝れ 法華 勝れ.

いちどう なんど じょうろん こときれざり しかば.
一同 なむど 諍論 事きれざり しかば.

おうほうも さう なく つきざりき.
王法も 左右 なく 尽きざりき.

にんのう 77だい ごしらかわほうおうの ぎょうに てんだいの ざす みょううん いっこうに しんごんの ざすに なり しかば.
人王 七十七代 後白河法皇の 御宇に 天台の 座主 明雲 一向に 真言の 座主に なり しかば.

みょううんは よしなかに ころされぬ.
明雲は 義仲に ころされぬ.

ずはさしちぶん これなり.
頭破作七分 是なり.

だい82だい おきのほうおうの おんとき ぜんしゅう ねんぶつしゅう しゅったいして.
第八十二代 隠岐の法皇の 御時 禅宗 念仏宗 出来つて.

しんごんの だいあくほうに くわえて こくどに るふ せしかば.
真言の 大悪法に 加えて 国土に 流布 せしかば.

てんしょうだいじん しょうはちまんの ひゃくおう ひゃくだいの おんちかい やぶれて おうほう すでに つきぬ.
天照太神 正八幡の 百王 百代の 御誓 やぶれて 王法 すでに 尽きぬ.

かんとうの ごんの たいふ よしときに てんしょうだいじん しょうはちまんの おんはからいとして こくむを つけ たまい おわんぬ.
関東の 権の 大夫 義時に 天照太神 正八幡の 御計いとして 国務を つけ 給い 畢んぬ.

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ここに かの みっつの あくほう かんとうに おちくだりて ぞんがいに ごきえ あり.
爰に 彼の 三の 悪法 関東に 落ち下りて 存外に 御帰依 あり.

ゆえに ぼんしゃく にてん にちがつ してん いかりを なし.
故に 梵釈 二天 日月 四天 いかりを 成し.

せんだい みうの てんぺんちようを もって いさむれども.
先代 未有の 天変 地夭を 以て いさむれども.

もちい たまわざれば りんごくに おおせつけて ほけきょう ひぼうの ひとを じばつし たもう あいだ.
用い 給はざれば 鄰国に 仰せ付けて 法華経 誹謗の 人を 治罰し 給う 間.

てんしょうだいじん しょうはちまんも ちから および たまわず.
天照太神 正八幡も 力 及び 給はず.

にちれんしょうにん ひとり この ことを しろしめせり.
日蓮聖人 一人 此の 事を 知し食せり.

かくの ごとき げんじゅうの ほけきょうにて おわして そうろう あいだ.
此くの 如き 厳重の 法華経にて をはして 候 間.

しゅくんも みちびき まいらせんと ぞんじ そうろう ゆえに.
主君をも 導き まいらせむと 存じ 候 故に.

むりょうの しょうじを わすれて いまに つかわれ まいらせ そうろう.
無量の 小事を わすれて 今に 仕われ まいらせ 候.

よりもとを ざんげん もうす じんは きみの おんため ふちゅうの ものに そうらわずや.
頼基を 讒言 申す 仁は 君の 御為 不忠の 者に 候はずや.

みうちを まかり いでて そうらわば きみ たちまち むけんじごくに おちさせ たもうべし.
御内を 罷り 出て 候はば 君 たちまちに 無間地獄に 堕ちさせ 給うべし.

さては よりもと ほとけに なり そうろうても かい なしと なげき ぞんじ そうろう.
さては 頼基 仏に 成り 候ても 甲斐 なしと なげき 存じ 候.

そもそも かの しょうじょうかいは ふるなと もうせし だいあらかん しょてんの ために 250かいを とき そうらいしを.
抑 彼の 小乗戒は 富楼那と 申せし 大阿羅漢 諸天の 為に 二百五十戒を 説き 候しを.

じょうみょうこじ たんじて いわく.
浄名居士 たんじて 云く.

「さいじきを もって ほうきに おく ことなかれ」とう うんぬん.
「穢食を 以て 宝器に 置く こと無れ」等 云云.

おうくつまらは もんじゅを かしゃくし ああ もんぜいの ぎょうは だいじょうくうの ことわりを しらずと.
鴦崛摩羅は 文殊を 呵責し 嗚呼 蚊蚋の 行は 大乗空の 理を 知らずと.

また しょうじょうかいをば もんじゅは じゅうしちの とがを いだし.
又 小乗戒をば 文殊は 十七の 失を 出だし.

にょらいは はっしゅの ひゆを もって これを そしり たもうに.
如来は 八種の 譬喩を 以て 是を そしり 給うに.

ろにゅうと とき がまに たとえられたり.
驢乳と 説き 蝦蟆に 譬えられたり.

これらをば がんじんの まつでしは でんぎょうだいしをば あっくの ひとと こそ.
此れ 等をば 鑒真の 末弟子は 伝教大師をば 悪口の 人と こそ.

さがてんのうには そうし もうし そうらい しかども きょうもん なれば ちから および そうらわず.
嵯峨天皇には 奏し 申し 候 しかども 経文 なれば 力 及び 候はず.

なんとの そうじょう やぶれて えいざんの だいかいだん たち そうらいし うえは.
南都の 奏状 やぶれて 叡山の 大戒壇 立ち 候し 上は.

すでに すてられ そうらいし しょうじょうに そうらわずや.
すでに 捨てられ 候し 小乗に 候はずや.

よりもとが りょうかんぼうを か あぶ がまの ほっしなりと もうすとも.
頼基が 良観房を 蚊 蚋 蝦蟆の 法師 なりと 申すとも.

きょうもん ふんみょうに そうらわば おんとがめ ある べからず.
経 文分明に 候はば 御とがめ ある べからず.

あまつさえ きしょうに およぶべき よし.
剰へ 起請に 及ぶべき 由.

おおせを こうむるの じょう ぞんがいに なげき いって そうろう.
仰せを 蒙むるの 条 存外に 歎き 入て 候.

よりもと ふほうじ やまいにて きしょうを かき そうろう ほどならば.
頼基 不法時 病にて 起請を 書き 候 程ならば.

きみ たちまちに ほけきょうの おんばつを こうむらせ たもうべし.
君 忽に 法華経の 御罰を 蒙らせ 給うべし.

りょうかんぼうが ざんそに よりて しゃかにょらいの おんつかい にちれんしょうにんを るざいし たてまつり しかば.
良観房が 讒訴に 依りて 釈迦如来の 御使 日蓮聖人を 流罪し 奉り しかば.

しょうにんの もうし たまいしが ごとく ひゃくにちが うちに かっせん しゅったいして そこばくの むしゃ めつぼうせし なかに.
聖人の 申し 給いしが 如く 百日が 内に 合戦 出来して 若干の 武者 滅亡せし 中に.

なごえの きんだち おうしに あわせ たまいぬ.
名越の 公達 横死に あはせ 給いぬ.

これ ひとえに りょうかんぼうが うしないたるに たてまつるに そうらわずや.
是れ 偏に 良観房が 失ひ 奉りたるに 候はずや.

いま また りゅうぞう りょうかんが こころに ようい せさせ たまいて.
今 又 竜象 良観が 心に 用意 せさせ 給いて.

よりもとに きしょうを かかしめ おわさば.
頼基に 起請を 書かしめ 御座さば.

きみ また その つみに あたらせ たまわざるべしや.
君 又 其の 罪に 当らせ 給はざるべしや.

かくの ごとき どうりを しらざる ゆえか.
此くの 如き 道理を 知らざる 故か.

また きみを あだし たてまつらんと おもう ゆえか.
又 君を あだし 奉らむと 思う 故か.

よりもとに ことを よせて だいじを いださんと たばかり そうろう.
頼基に 事を 寄せて 大事を 出さむと たばかり 候.

ひと とう おんたずね あって めし あわせらるべく そうろう.
人 等 御尋ね あつて 召し 合わせらるべく 候.

きょうこう きんげん.
恐惶 謹言.

けんじ 3ねん ひのとうし 6がつ 25にち.
建治 三年 丁丑 六月 二十五日.

しじょう なかつかさ よりもと.
四条 中務 尉頼基.

うけぶみ.
請文.

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