b1199から1203.
月水御書 (がっすい ごしょ).
日蓮大聖人 43歳 御作.

 

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がっすい ごしょ.
月水 御書.

ぶんえい がんねん 43さい おんさく.
文永 元年 四月 四十三歳 御作.

あたう だいがくさぶろう つま.
与 大学三郎 妻.

つたえ うけたまわる ごしょうそくの じょうに いわく.
伝え 承はる 御消息の 状に 云く.

ほけきょうを ひごとに いっぽんづつ 28にちが あいだに いちぶを よみ まいらせ そうらいしが.
法華経を 日ごとに 一品 づつ 二十八日が 間に 一部を よみ まいらせ 候しが.

とうじは やくおうほんの いっぽんを まいにちの しょさにし そうろう.
当時は 薬王品の 一品を 毎日の 所作にし 候.

ただ もとの ように いっぽん づつを よみ まいらせ そうろうべき やらんと うんぬん.
ただ もとの 様に 一品 づつを よみ まいらせ 候べき やらんと 云云.

ほけきょうは いちにちの しょさに いちぶ はっかん 28ぽん.
法華経は 一日の 所作に 一部 八巻 二十八品.

あるいは いっかん あるいは いっぽん いちげ いっく いちじ.
或は 一巻 或は 一品 一偈 一句 一字.

あるいは だいもく ばかりを なんみょうほうれんげきょうと ただ いっぺん となえ.
或は 題目 ばかりを 南無妙法蓮華経と 只 一遍 となへ.

あるいは また いちごの あいだに ただ いちど となえ.
或は 又 一期の 間に 只 一度 となへ.

あるいは また いちごの あいだに ただ いっぺん となうるを きいて ずいきし.
或は 又 一期の 間に ただ 一遍 唱うるを 聞いて 随喜し.

あるいは また ずいき する こえを きいて ずいきし.
或は 又 随喜 する 声を 聞いて 随喜し.

これていに 50てんでんして すえに なりなば こころざしも うすく なり.
是体に 五十展転して 末に なりなば 志も うすくなり.

ずいきの こころの よわき こと 2 3さいの ようちの もの はかなきが ごとく.
随喜の 心の 弱き 事 二 三歳の 幼穉の 者の はかなきが 如く.

ぎゅうば なんどの ぜんごを わきまえざるが ごとく なりとも.
牛馬 なんどの 前後を 弁へざるが 如く なりとも.

たきょうを がくする ひとの りこんにして ちえ かしこく.
他経を 学する 人の 利根にして 智慧 かしこく.

しゃりほつ もくれん もんじゅ みろくの ごとく なる ひとの しょきょうを むねの うちに うかべ.
舎利弗 目連 文殊 弥勒の 如く なる 人の 諸経を 胸の 内に うかべて.

おわしまさん ひとびとの おんくどく よりも すぐれたる こと 1100まんおくばい なるべきよし.
御坐まさん 人人の 御功徳 よりも 勝れたる 事 百千万億倍 なるべきよし.

きょうもん ならびに てんだい みょうらくの 60かんの なかに みえはべり.
経文 並に 天台 妙楽の 六十巻の 中に 見え 侍り.

されば きょうもんには 「ほとけの ちえを もって たしょうを ちゅうりょうすとも その へんを えず」と とかれて.
されば 経文には 「仏の 智慧を 以て 多少を 籌量すとも 其の 辺を 得ず」と 説かれて.

ほとけの おんちえすら この ひとの くどくをば しろしめさず.
仏の 御智慧すら 此の 人の 功徳をば しろしめさず.

ほとけの ちえの ありがたさは この 3000だいせんせかいに なのか.
仏の 智慧の ありがたさは 此の 三千大千世界に 七日.

もしは 2 しちにち なんど ふる あめの かずをだにも しろしめて おわしそうろう なるが.
若しは 二七日 なんど ふる 雨の 数をだにも しろしめして 御坐候 なるが.

ただ ほけきょうの いちじを となえたる ひとの くどくを のみ しろしめさずと みえたり.
只 法華経の 一字を 唱えたる 人の 功徳を のみ 知しめさずと 見えたり.

いかに いわんや われら ぎゃくざいの ぼんぷの この くどくを しり そうらいなんや.
何に 況や 我等 逆罪の 凡夫の 此の 功徳を しり 候いなんや.

しかりと いえども にょらいめつご 2200よねんに およんで 5じょく さかん なりて.
然りと 云えども 如来滅後 二千二百余年に 及んで 五濁 さかりに なりて.

とし ひさし ことに ふれて ぜん なること ありがたし.
年 久し 事に ふれて 善 なる事 ありがたし.

たとい ぜんを なす ひとも ひとつの ぜんに 10の あくを つく りかさねて.
設ひ 善を 作人も 一の 善に 十の 悪を 造り 重ねて.

けっくは しょうぜんに つけて だいあくを つくり.
結句は 小善に つけて 大悪を 造り.

こころには だいぜんを しゅうしたりと いう まんしんを おこす よと なれり.
心には 大善を 修したりと 云ふ 慢心を 起す 世と なれり.

しかるに にょらいの よに いでさせ たまいて そうらいし くに よりしては.
然るに 如来の 世に 出でさせ 給いて 候し 国 よりしては.

20まんりの さんかいを へだてて ひがしに よれる にちいき へんどのこじまに うまれ.
二十万里の 山海を へだてて 東に よれる 日域 辺土の 小嶋に うまれ.

5しょうの くも あつうして さんじゅうの きずなに つながれ たまえる にょにん なんどの おんみ として.
五障の 雲 厚うして 三従の きづなに つながれ 給へる 女人 なんどの 御身 として.

ほけきょうを ごしんよう そうろうは ありがたし なんど とも もうすに かぎりなく そうろう.
法華経を 御信用 候は ありがたし なんど とも 申すに 限りなく 候.

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およそ いちだい しょうきょうを ひらき みて けんみつ 2どうを きわめ たまえる ようなる ちしゃ がくしょう だにも.
凡そ 一代聖教を 披き 見て 顕密 二道を 究め 給へる 様なる 智者 学匠 だにも.

このごろは ほけきょうを すて ねんぶつを もうし そうろうに いかなる ごしゅくぜん ありてか.
近来は 法華経を 捨て 念仏を 申し 候に 何なる 御宿善 ありてか.

この ほけきょうを いちげ いっくも あそばす おんみと うまれさせ たまいけん.
此の 法華経を 一偈 一句も あそばす 御身と 生れさせ 給いけん.

されば この ごしょうそくを はいし そうらえば うどんげを みたる まなこ よりも めずらしく.
されば 此の 御消息を 拝し 候へば 優曇華を 見たる 眼 よりも めづらしく.

いちげんの かめの ふぼくの あなに あえる よりも すくなき ことかなと.
一眼の 亀の 浮木の 穴に 値へる よりも 乏き 事かなと.

こころ ばかりは ありがたき おんことに おもい まいらせ そうろう あいだ.
心 ばかりは 有がたき 御事に 思い まいらせ 候 間.

いちごん いってんも ずいきの ことばを くわえて ぜんこんの よけいにもやと はげみ そうらえども.
一言 一点も 随喜の 言を 加えて 善根の 余慶にもやと はげみ 候へども.

ただ おそらくは くもの つきの かくし ちりの かがみを くもらすが ごとく.
只 恐らくは 雲の 月を かくし 塵の 鏡を くもらすが 如く.

みじかく つたなき ことばにて しゅしょうに めでたき おんくどくを.
短く 拙き 言にて 殊勝に めでたき 御功徳を.

もうし かくし くもらす ことにや そうろうらんと いたみ おもい そうろう ばかりなり.
申し 隠し くもらす 事にや 候らんと いたみ 思ひ 候 ばかりなり.

しかりと いえども きめい もだす べきにあらず.
然りと 云えども 貴命 黙止す べきにあらず.

いってきを こうかいに くわえ しゃっかを にちがつに そえて.
一滴を 江海に 加へ シャッ火を 日月に そへて.

みずを まし ひかりを そなうると おぼしめすなり.
水を まし 光を 添ふると 思し食すべし.

まず ほけきょうと もうすは はっかん いっかん いっぽん いちげ いっく.
先 法華経と 申すは 八巻 一巻 一品 一偈 一句.

ないし だいもくを となうるも くどくは おなじ ことと おぼしめすべし.
乃至 題目を 唱ふるも 功徳は 同じ 事と 思し食すべし.

たとえば たいかいの みずは いってき なれども むりょうの こうがのみずを おさめたり.
譬えば 大海の 水は 一滴 なれども 無量の 江河の 水を 納めたり.

にょいほうじゅは いちじゅ なれども まんぽうを ふらす.
如意宝珠は 一珠 なれども 万宝を ふらす.

ひゃくせんまんおくの てきじゅも また これ おなじ.
百千万億の 滴珠も 又 これ 同じ.

ほけきょうは いちじも ひとつの てきじゅの ごとし.
法華経は 一字も 一の 滴珠の 如し.

ないし まんおくの じも また まんおくの てきじゅの ごとし.
乃至 万億の 字も 又 万億の 滴珠の 如し.

しょきょう しょぶつの いちじ いちみょうごうは こうがの いってきの みず
諸経 諸仏の 一字 一名号は 江河の 一滴の 水.

さんかい いっせきの ごとし.
山海の 一石の 如し.

いってきに むりょうの みずを そなえず.
一滴に 無量の 水を 備えず.

いっせきに むすうの いしの とくを そなえ もたず.
一石に 無数の 石の 徳を そなへ もたず.

もし しからば この ほけきょうは いずれの ほんにても おわしませ.
若し 然らば 此の 法華経は 何れの 品にても 御坐しませ.

ただ ごしんようの おわさん ほん こそ めずらしくは そうらえ.
只 御信用の 御坐さん 品 こそ めづらしくは 候へ.

そうじて にょらいの しょうきょうは いずれも もうごの おわしますとは うけたまわり そうらわねども.
総じて 如来の 聖教は 何れも 妄語の 御坐すとは 承り 候はねども.

ふたたび ぶっきょうを かんがえたるに にょらいの きんげんの なかにも.
再び 仏教を 勘えたるに 如来の 金言の 中にも.

だいしょう ごんじつ けんみつ なんど もうす こと きょうもん よりこと おこりて そうろう.
大小 権実 顕密 なんど 申す 事 経文 より 事 起りて 候.

したがって ろんし にんしの しゃくぎに あらあら みえたり.
随つて 論師 人師の 釈義に あらあら 見えたり.

せんを とって もうさば しゃくそんの 50よねんの しょきょうの なかに.
詮を 取つて 申さば 釈尊の 五十余年の 諸教の 中に.

さき 40よねんの せっきょうは なお うたがわしく そうろうぞかし.
先 四十余年の 説教は 猶 うたがはしく 候ぞかし.

ほとけ みずから むりょうぎきょうに 「40よねん いまだ しんじつを あらわさず」と もうす きょうもん.
仏 自ら 無量義経に 「四十余年 未だ 真実を 顕さず」と 申す 経文.

まのあたり とかせ たまえる ゆえなり.
まのあたり 説かせ 給へる 故なり.

ほけきょうに おいては ほとけ みずから いっくの もじを.
法華経に 於ては 仏 自ら 一句の 文字を.

「しょうじきに ほうべんを すてて ただ むじょうどうを とく」と さだめさせ たまいぬ.
「正直に 方便を 捨てて 但だ 無上道を 説く」と 定めさせ 給いぬ.

そのうえ たほうぶつ だいちより わき いでさせ たまいて.
其の上 多宝仏 大地より 涌 出でさせ 給いて.

「みょうほけきょう かいぜしんじつ」と しょうめいを くわえ.
「妙法華経 皆是真実」と 証明を 加へ.

じっぽうのしょぶつ みな ほけきょうの ざに あつまりて したを いだして.
十方の 諸仏 皆 法華経の 座に あつまりて 舌を 出して.

ほけきょうの もじは いちじ なりとも もうご なるまじき よし じょせいを そえ たまえり.
法華経の 文字は 一字 なりとも 妄語 なるまじき よし 助成を そえ 給へり.

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たとえば だいおうと きさきと ちょうじゃらの いちみ どうしんに やくそくを なせるが ごとし.
譬えば 大王と 后と 長者等の 一味 同心に 約束を なせるが 如し.

もし ほけきょうの いちじをも となえん なんにょ とう.
若し 法華経の 一字をも 唱えん 男女 等.

じゅうあく ごぎゃく しじゅう とうの むりょうの じゅうごうに ひかれて あくどうに おつる ならば.
十悪 五逆 四重 等の 無量の 重業に 引かれて 悪道に おつる ならば.

にちがつは ひがしより いでさせ たまわぬ ことは ありとも.
日月は 東より 出でさせ 給はぬ 事は ありとも.

だいちは はんぷく する ことは ありとも.
大地は 反覆 する 事は ありとも.

たいかいの しおは みちいぬ ことは ありとも.
大海の 潮は みちひぬ 事は ありとも.

われたる いしは あうとも こうがの みずは たいかいに いらずとも.
破たる 石は 合うとも 江河の 水は 大海に 入らずとも.

ほけきょうを しんじたる にょにんの せけんの つみに ひかれて あくどうに おつる ことは あるべからず.
法華経を 信じたる 女人の 世間の 罪に 引かれて 悪道に 堕つる 事は あるべからず.

もし ほけきょうを しんじたる にょにん ものを ねたむ ゆえ はらのあしき ゆえ.
若し 法華経を 信じたる 女人 物を ねたむ 故 腹の あしき ゆへ.

とんよくの ふかき ゆえ なんどに ひかれて あくどうに おつる ならば.
貪欲の 深き ゆへ なんどに 引れて 悪道に 堕つる ならば.

しゃかにょらい たほうぶつ じっぽうの しょぶつ むりょうこうごう より このかた.
釈迦如来 多宝仏 十方の 諸仏 無量曠劫 より このかた.

たもち きたり たまえる ふもうご かい たちまちに やぶれて.
持ち 来り 給へる 不妄語 戒 忽に 破れて.

ちょうだつが こおうざいにも すぐれ くぎゃりが だいもうごにも こえたらん.
調達が 虚誑罪にも 勝れ 瞿伽利が 大妄語にも 超えたらん.

いかでか しかるべきや.
争か しかるべきや.

ほけきょうを たもつ ひと たのもしく ありがたし.
法華経を 持つ 人 憑しく 有りがたし.

ただし いっしょうが あいだ いちあくをも おかさず.
但し 一生が 間 一悪をも 犯さず.

5かい はっかい じっかい じゅうぜんかい 250かい 500かい むりょうの かいを たもち.
五戒 八戒 十戒 十善戒 二百五十戒 五百戒 無量の 戒を 持ち.

いっさいきょうを そらに うかべ いっさいの しょぶつ ぼさつを くようし.
一切経を そらに 浮べ 一切の 諸仏 菩薩を 供養し.

むりょうの ぜんこんを つませ たもうとも ほけきょう ばかりを ごしんよう なく.
無量の 善根を つませ 給うとも 法華経 計りを 御信用 なく.

また ごしんようは ありとも しょきょう しょぶつにも ならべて おぼしめし.
又 御信用は ありとも 諸経 諸仏にも 並べて 思し食し.

また ならべて おぼしめさずとも たの ぜんこんをば ひまなく ぎょうじて ときどき ほけきょうを ぎょうじ.
又 並べて 思し食さずとも 他の 善根をば 隙なく 行じて 時時 法華経を 行じ.

ほけきょうを もちいざる ほうぼうの ねんぶつしゃ なんどにも かたらいを なし.
法華経を 用ひざる 謗法の 念仏者 なんどにも 語らひを なし.

ほけきょうを まつだいの きに かなわずと もうす ものを とがとも おぼしめさずば.
法華経を 末代の 機に 叶はずと 申す 者を 科とも 思し食さずば.

いちごの あいだ ぎょうじさせ たもう ところの むりょうの ぜんこんも たちまちに うせ.
一期の 間 行じさせ 給う 処の 無量の 善根も 忽に うせ.

ならびに ほけきょうの おんくどくも しばらく かくれさせ たまいて.
並に 法華経の 御功徳も 且く 隠れさせ 給いて.

あびだいじょうに おちさせ たまわん こと.
阿鼻大城に 堕ちさせ 給はん 事.

あめの そらに とどまらざるが ごとく.
雨の 空に とどまらざるが 如く.

みねの いしの たにへ ころぶが ごとしと おぼしめすべし.
峰の 石の 谷へ ころぶが 如しと 思し食すべし.

じゅうあく ごぎゃくを つくれる もの なれども ほけきょうに そむくこと なければ.
十悪 五逆を 造れる 者 なれども 法華経に 背く 事 なければ.

おうじょう じょうぶつは うたがい なき ことに はべり.
往生 成仏は 疑 なき 事に 侍り.

いっさいきょうを たもち しょぶつ ぼさつを しんじたる じかいの ひと なれども.
一切経を たもち 諸仏 菩薩を 信じたる 持戒の 人 なれども.

ほけきょうを もちいる こと なければ あくどうに おつる こと うたがい なしと みえたり.
法華経を 用る 事 無ければ 悪道に 堕つる 事 疑 なしと 見えたり.

よが ぐけんを もって きんらいの せけんを みるに おおくは ざいけしゅっけ ひぼうの もの のみあり.
予が 愚見を もつて 近来の 世間を 見るに 多くは 在家 出家 誹謗の 者 のみあり.

ただし ごふしんの こと.
但し 御不審の 事.

ほけきょうは いずれの ほんも さきに もうしつる ように おろか ならねども.
法華経は 何れの 品も 先に 申しつる 様に 愚か ならねども.

ことに にじゅうはっぽんの なかに すぐれて めでたきは ほうべんぽんと じゅりょうほんにて はべり.
殊に 二十八品の 中に 勝れて めでたきは 方便品と 寿量品にて 侍り.

よほんは みな しようにて そうろう なり.
余品は 皆 枝葉にて 候 なり.

されば つねの ごしょさには.
されば 常の 御所作には.

ほうべんぽんの ちょうぎょうと じゅりょうほんの ちょうぎょうとを ならい よませ たまい そうらえ.
方便品の 長行と 寿量品の 長行とを 習い 読ませ 給い 候へ.

また べつに かき いだしても あそばし そうろうべく そうろう.
又 別に 書き 出しても あそばし 候べく 候.

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よの にじゅうろっぽんは みに かげの したがい たまに たからの そなわるが ごとし.
余の 二十六品は 身に 影の 随ひ 玉に 財の 備わるが 如し.

じゅりょうほん ほうべんぽんを よみ そうらえば しぜんに よほんは よみ そうらわねども そなわり そうろうなり.
寿量品 方便品を よみ 候へば 自然に 余品は よみ 候はねども 備はり 候なり.

やくおうほん だいばほんは にょにんの じょうぶつ おうじょうを とかれて そうろう ほん にては そうらえども.
薬王品 提婆品は 女人の 成仏 往生を 説かれて 候 品 にては 候へども.

だいばほんは ほうべんぽんの しよう やくおうほんは ほうべんぽんと じゅりょうほんの しようにて そうろう.
提婆品は 方便品の 枝葉 薬王品は 方便品と 寿量品の 枝葉にて 候.

されば つねには この ほうべんぽん じゅりょうほんの にほんを あそばし そうらいて.
されば 常には 此の 方便品 寿量品の 二品を あそばし 候て.

よの ほんをば ときどき おんいとまの ひまに あそばすべく そうろう.
余の 品をば 時時 御いとまの ひまに あそばすべく 候.

また ごしょうそくの じょうに いわく.
又 御消息の 状に 云く.

ひごとに さんど ずつ 7つの もじを はいし まいらせ そうろう ことと.
日ごとに 三度 づつ 七つの 文字を 拝し まいらせ 候 事と.

なむいちじょうみょうてんと いちまんべん もうし そうろう こととをば ひごとにし そうろうが.
南無一乗妙典と 一万遍 申し 候 事とをば 日ごとにし 候が.

れいの ことに なって そうろう ほどは おんきょうをば よみ まいらせ たまわず.
例の 事に 成つて 候 程は 御経をば よみ まいらせ 候はず.

はいし まいらせ そうろう ことも いちじょうみょうてんと もうし そうろう ことも.
拝し まいらせ 候 事も 一乗妙典と 申し 候 事も.

そらにし そうろうは くるしかるまじくや そうろうらん.
そらにし 候は 苦しかるまじくや 候らん.

それも れいの ことの にっすうの ほどは かのうまじくや そうろうらん.
それも 例の 事の 日数の 程は 叶うまじくや 候らん.

いくにち ばかりにて よみ まいらせ そうらわんずる とうと うんぬん.
いく日 ばかりにて よみ まいらせ 候はんずる 等と 云云.

この だんは いっさいの にょにん ごとの ごふしんに つねに とわせたまい そうろう おんことにて はべり.
此の 段は 一切の 女人 ごとの 御不審に 常に 問せ 給い 候 御事にて 侍り.

また いにしえも にょにんの ごふしんに ついて もうしたる ひとも おおく そうらえども.
又 古へも 女人の 御不審に 付いて 申したる 人も 多く 候へども.

いちだいしょうきょうに さして とかれたる ところの なきかの ゆえに.
一代聖教に さして 説かれたる 処の なきかの 故に.

しょうもんふんみょうに だしたる ひとも おわせず.
証文分明に 出したる 人も おはせず.

にちれん ほぼ しょうきょうを み そうろうにも しゅにく 5しん いんじ なんどの ように.
日蓮 粗 聖教を 見 候にも 酒肉 五辛 婬事 なんどの 様に.

ふじょうを ふんみょうに にちがつを さして いましめたる ように.
不浄を 分明に 月日を さして 禁めたる 様に.

がっすいを いみたる きょうろんを いまだ かんがえず そうろうなり.
月水を いみたる 経論を 未だ 勘へず 候なり.

ざいせの とき おおく さかんの にょにん あまに なり ぶっぽうを ぎょうぜ しかども.
在世の 時 多く 盛んの 女人 尼に なり 仏法を 行ぜ しかども.

がっすいの ときと もうして きらわれたる ことなし.
月水の 時と 申して 嫌はれたる 事なし.

これを もって おしはかり はべるに がっすいと もうす ものは そとより きたれる ふじょうにも あらず.
是を もつて 推し量り 侍るに 月水と 申す 物は 外より 来れる 不浄にも あらず.

ただ にょにんの くせ かたわ しょうじの たねを つぐべき ことわりにや.
只 女人の くせ かたわ 生死の 種を 継ぐべき 理にや.

また ながわずらいの ようなる ものなり.
又 長病の 様なる 物なり.

れいせば しにょう なんどは ひとの み より いずれども.
例せば 屎尿 なんどは 人の 身 より 出れども.

よく きよく なしぬれば べつに いみも なし.
能く 浄く なしぬれば 別に いみも なし.

これていに はべる ことか.
是体に 侍る 事か.

されば いんど しな なんどにも いたく いむ よしも きこえず.
されば 印度 尸那 なんどにも いたく 忌む よしも 聞えず.

ただし にほんこくは しんこく なり.
但し 日本国は 神国 なり.

この くにの ならいとして ほとけ ぼさつの すいじゃく ふしぎに きょうろんに あいにぬ ことも おおく はべるに.
此の 国の 習として 仏 菩薩の 垂迹 不思議に 経論に 相似ぬ 事も多く 侍るに.

これを そむけば まさに とうばち あり.
是を そむけば 現に 当罰 あり.

いさいに きょうろんを かんがえ みるに ぶっぽうの なかに ずいほうびにと もうす かいの ほうもんは これに あたれり.
委細に 経論を 勘へ 見るに 仏法の 中に 随方毘尼と 申す 戒の 法門は 是に 当れり.

この かいの こころは いとうこと かけざる ことをば しょうしょう ぶっきょうに たがうとも.
此の 戒の 心は いたう事 かけざる 事をば 少少 仏教に たがふとも.

その くにの ふうぞくに ちがう べからざるよし.
其の 国の 風俗に 違う べからざるよし.

ほとけ ひとつの かいを とき たまえり.
仏 一つの 戒を 説き 給へり.

この よしを しらざる ちしゃども かみは きじん なれば うやまう べからず なんど もうす きょうぎを もうして.
此の 由を 知ざる 智者共 神は 鬼神 なれば 敬ふ べからず なんど申す 強義を 申して.

おおくの だんなを そんずる こと ありと みえて そうろうなり.
多くの 檀那を 損ずる 事 ありと 見えて 候なり.

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もし しからば この くにの みょうじん たぶんは この がっすいを いませ たまえり.
若し 然らば 此の 国の 明神 多分は 此の 月水を いませ 給へり.

せいを この くにに うけん ひとびとは おおいに いみ たもうべきか.
生を 此の 国に うけん 人人は 大に 忌み 給うべきか.

ただし にょにんの ひの しょさは くるしかる べからずと おぼえ そうろうか.
但し 女人の 日の 所作は 苦しかる べからずと 覚え 候か.

もとより ほけきょうを しんぜざる ようなる ひとびとが きょうを いかにしても いい うとめんと おもうが.
元より 法華経を 信ぜざる 様なる 人人が 経を いかにしても 云い うとめんと 思うが.

さすがに ただちに きょうを すてよとは いいえずして.
さすがに ただちに 経を 捨てよとは 云いえずして.

みの ふじょう なんどに つけて ほけきょうを とおざからしめんと おもう ほどに.
身の 不浄 なんどに つけて 法華経を 遠ざからしめんと 思う 程に.

また ふじょうの とき これを ぎょうずれば きょうを おろかにし まいらする なんど.
又 不浄の 時 此れを 行ずれば 経を 愚かにし まいらする なんど.

おどして つみを えさせ そうろうなり.
おどして 罪を 得させ 候なり.

この ことをば いっさい おんこころえ そうろうて.
此の 事をば 一切 御心得 候て.

がっすいの おんときは しちにち までも その けの あらん ほどは おんきょうをば よませ たまわずして.
月水の 御時は 七日 までも 其の 気の 有らん 程は 御経をば よませ 給はずして.

そらに なんみょうほうれんげきょうと となえ させたまい そうらえ.
暗に 南無妙法蓮華経と 唱え させ給い 候へ.

らいはいをも きょうに むかわせ たまわずして はいせさせ たもうべし.
礼拝をも 経に むかはせ 給はずして 拝せさせ 給うべし.

また ふりょに りんじゅう なんどの ちかずき そうらわんには.
又 不慮に 臨終 なんどの 近づき 候はんには.

ぎょちょう とり なんどを ふくせさせ たもうても そうらえ.
魚鳥 なんどを 服せさせ 給うても 候へ.

よみぬべくば きょうをも よみ.
よみぬべくば 経をも よみ.

および なんみょうほうれんげきょうとも となえさせ たまい そうろうべし.
及び 南無妙法蓮華経とも 唱えさせ 給い 候べし.

また がっすい なんどは もうすに および そうらわず.
又 月水 なんどは 申すに 及び 候はず.

また なむいちじょうみょうてんと となえさせ たもうこと これ おなじことには はべれども.
又 南無一乗妙典と 唱えさせ 給う事 是れ 同じ 事には 侍れども.

てんじんぼさつ てんだいだいし とうの となえさせ たまい そうらいしが ごとく.
天親菩薩 天台大師 等の 唱えさせ 給い 候しが 如く.

ただ なんみょうほうれんげきょうと となえさせ たもうべきか.
只 南無妙法蓮華経と 唱えさせ 給うべきか.

これ しさい ありて かくの ごとくは もうし そうろうなり.
是れ 子細 ありて かくの 如くは 申し 候なり.

あなかしこ あなかしこ.
穴賢 穴賢.

ぶんえい がんねん きのえね しがつ 17にち.
文永 元年 甲子 四月 十七日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

だいがくさぶろうどの みうち ごほう.
大学三郎殿 御内 御報.

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