b1213-2.
日妙聖人御書
(にちみょうしょうにんごしょ)
日蓮大聖人 51歳御作


 
b1213-2

にちみょうしょうにん ごしょ.
日妙聖人 御書.

ぶんえい 9ねん 5がつ 51さい おんさく.
文永 九年 五月 五十一歳 御作.

かこに ぎょうぼうぼんじと もうす もの ありき.
過去に 楽法梵志と 申す 者 ありき、.

じゅうにねんの あいだ おおくの くにを めぐりて にょらいの きょうほうを もとむ.
十二年の 間・ 多くの 国を めぐりて 如来の 教法を 求む、.

ときに すべて ぶっぽうそうの さんぽう ひとつも なし.
時に 総て 仏法僧の 三宝 一つも なし、.

この ぼんじの こころは かっして みずを もとめ うえて しょくを もとむるがごとく ぶっぽうを たずね たまいき.
此の 梵志の 意は 渇して 水を もとめ 飢えて 食を もとむるがごとく 仏法を 尋ね 給いき、.

ときに ばらもん あり もとめて いわく.
時に 婆羅門 あり 求めて 云く.

われ しょうきょうを いちげ もてり もし じつに ぶっぽうを ねがわば まさに あたうべし.
我れ 聖教を 一偈 持てり 若し 実に 仏法を 願はば 当に あたふべし、.

ぼんじ こたえて いわく しかなり.
梵志 答えて 云く しかなり、.

ばらもんの いわく.
婆羅門の 云く.

じつに こころざし あらば かわを はいで かみとし ほねを くだいて ふでとし ずいを くだいて すみとし ちを いだして みずとして かかんと いわば ほとけの げを とかん.
実に 志あらば 皮を はいで 紙とし・ 骨を くだいて 筆とし・ 髄を くだいて 墨とし・ 血を いだして 水として 書かんと 云はば 仏の 偈を 説かん、.

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ときに この ぼんじ よろこびを なして かれが もうす ごとくして.
時に 此の 梵志 悦びを なして 彼が 申すごとくして.

かわを はいで ほして かみとし ないし ひとことをも たがえず.
皮を はいで ほして 紙とし 乃至 一言をも たがへず、.

ときに ばらもん こつねんとして うせぬ.
時に 婆羅門・ 忽然として 失ぬ、.

このぼんじ てんに あおぎ ちに ふす.
此の 梵志・ 天に あふぎ・ 地に ふす、.

ぶっだ これを かんじて かほうより わきいでて といて いわく.
仏陀 此れを 感じて 下方より 湧出て・説て 云く.

「にょほうは まさに しゅぎょう すべし ひほうは ぎょうず べからず こんぜ もしは ごせい ほうを ぎょうずる ものは あんのんなり」とう うんぬん.
「如法は 応に 修行すべし 非法は 行ず べからず 今世 若しは 後世・ 法を 行ずる 者は 安穏なり」等 云云、.

この ぼんじ しゅゆに ほとけに なる これは にじゅうじ なり.
此の 梵志・ 須臾に 仏に なる・ 此れは 二十字 なり、.

むかし しゃかぼさつ てんりんおう たりし とき.
昔 釈迦菩薩・ 転輪王 たりし 時き.

「ぶしょうちょうししめついらく」の はちじを とうとび たもう ゆえに.
「夫生輙死此滅為楽」の 八字を 尊び 給う 故に.

みを かえて せんどうに ともして この はちじを くようし たまい ひとを.
身を かへて 千燈に ともして 此の 八字を 供養し 給い 人を.

すすめて せきへき ようろに かきつけて みる ひとをして ぼだいしんを おこさしむ.
すすめて 石壁・ 要路に・ かきつけて 見る 人をして 菩提心を おこさしむ、.

この こうみょう とうりてんに いたる.
此の 光明・ トウリ利天に 至る.

てんの たいしゃく ならびに しょてんの ともしびと なり たまいき.
天の 帝釈 並びに 諸天の 燈と なり 給いき。.

むかし しゃかぼさつ ぶっぽうを もとめ たまいき.
昔 釈迦菩薩・ 仏法を 求め 給いき、.

らいにん あり この ひとに むかって.
癩人 あり 此の 人に むかつて.

われ しょうほうを たもてり そのじ 20 なり.
我れ 正法を 持てり 其の 字 二十 なり.

わが らいびょうを さすり いだき ねぶり ひに りょうさんきんの にくを あたえば とくべしと いう.
我が 癩病を さすり いだき ねぶり 日に 両三斤の 肉を あたへば 説くべしと 云う、.

かれが もうす ごとくして 20じを えて ほとけに なりたもう.
彼が 申す ごとくして 二十字を 得て 仏になり 給う、.

いわゆる「にょらいは ねはんを あかし ながく しょうじを だんじ たもう.
所謂「如来は 涅槃を 証し 永く 生死を 断じ 給う、.

もし ししんに きくこと あらば まさに むりょうの らくを うべし」とう うんぬん.
若し 至心に 聴くこと 有らば 当に 無量の 楽を 得べし」等 云云。.

むかし せっせんどうじと もうす ひと ありき.
昔 雪山童子と 申す 人 ありき、.

せっせんと もうす やまにして げどうの ほうを つうたつせ しかども いまだ ぶっぽうを きかず.
雪山と 申す 山にして 外道の 法を 通達せ しかども・ いまだ 仏法を きかず、.

ときに だいきじん ありき といて いわく.
時に 大鬼神 ありき 説いて 云く.

「しょぎょうむじょう ぜしょうめっぽう」とう うんぬん.
「諸行無常是生滅法」等 云云、.

ただ 8じ ばかりを といて あとを とかず.
只 八字 計りを 説いて 後を とかず.

ときに せっせんどうじ この はちじを えて よろこび きわまり なけれども.
時に 雪山童子・ 此の 八字を 得て 悦 きはまり なけれども.

なかばなる にょいしゅを えたるが ごとく はなさき このみ ならざるに にたり.
半なる 如意珠を 得たるが ごとく 華さき 菓ならざるに・ にたり、.

のこりの はちじを きかんと もうす.
残の 八字を・ きかんと 申す、.

ときに だいきじんの いわく.
時に 大鬼神の 云く.

われ すうじつが あいだ うえて しょうねん みだるゆえに あとの 8じを ときがたし.
我れ 数日が 間・飢えて 正念 乱るゆへに 後の 八字を・ ときがたし.

しょくを あたえよ という.
食を あたへよと 云う、.

どうじ とうて いわく なにをか しょくと する.
童子 問うて 云く 何をか 食と する、.

おに こたえて いわく われは ひとの あたたかなる ちにく なり.
鬼 答えて 云く 我は 人の あたたかなる 血肉 なり、.

われ ひこうじざいにして しゅゆの あいだに してんげを まわって たずぬれども あたたかなる ちにく えがたし.
我れ 飛行自在にして 須臾の 間に 四天下を 回つて 尋ぬれども あたたかなる 血肉 得がたし、.

ひとをば てん まもり たもう ゆえに とが なければ さつがいする こと かたし とう うんぬん.
人をば 天 守り 給う 故に 失なければ 殺害する 事 かたし 等 云云、.

どうじの いわく わがみを ふせとして かの 8じを ならい つたえんと うんぬん.
童子の 云く 我が 身を 布施として 彼の 八字を 習い 伝えんと 云云、.

きじんの いわく ちえ はなはだ かしこし われをや すかさんずらん.
鬼神の 云く 智慧 甚だ 賢し 我をや・ すかさんずらん、.

どうじ こたえて いわく.
童子 答えて 云く.

がりゃくに きんぎんを かえんに これを かえざる べしや.
瓦礫に 金銀を かへんに 是を かえざる べしや.

われ いたずらに この やまにして ししなば しきょうころうに くわれて いちぶんの くどく なかるべし.
我れ 徒に 此の 山にして・ 死しなば 鴟梟虎狼に 食はれて 一分の 功徳 なかるべし、.

のちの 8じに かえなば ふんを はんに かえるが ごとし.
後の 八字に かえなば 糞を 飯に かふるが ごとし、.

おにの いわく われ いまだ しんぜず.
鬼の 云く 我 いまだ 信ぜず、.

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どうじの いわく.
童子の 云く.

しょうにん あり かこの ほとけも たて たまいし だいぼんてんのう しゃくだいかんにん にちがつ してんも しょうにんに たち たもうべし.
証人 あり 過去の 仏も・ たて 給いし 大梵天王・ 釈提桓因・ 日月・ 四天も 証人に たち 給うべし、.

この きじん あとの げを とかんと もうす.
此の 鬼神 後の 偈を とかんと 申す、.

どうじ みに きたる しかの かわを ぬいで ざに しき こき がっしょうして この ざに つきたまえと せいす.
童子 身に きたる 鹿の 皮を・ ぬいで 座に しき 踞跪 合掌して 此の 座に つき給へと 請す、.

だいきじん この ざに ついて といて いわく.
大鬼神・ 此の 座に ついて 説て 云く.

「しょうめつめっち じゃくめついらく」とう うんぬん.
「生滅滅已・ 寂滅為楽」等 云云、.

このげを ならい がくして もしは き もしは いしとうに かきつけて みを だいきじんの くちに なげいれ たもう.
此の 偈を 習ひ 学して 若しは 木・ 若しは 石等に 書き付けて 身を 大鬼神の 口に なげいれ 給う、.

かの どうじは いまの しゃくそん かの きじんは いまの たいしゃく なり.
彼の 童子は 今の 釈尊・ 彼の 鬼神は 今の 帝釈 なり。.

やくおうぼさつは ほけきょうの おんまえに ひじを 72000さいが あいだ ともし たまい.
薬王菩薩は・ 法華経の 御前に 臂を 七万二千歳が 間 ともし 給い、.

ふきょうぼさつは たねん があいだ 24じの ゆえに むりょうむへんの ししゅうに めり きにく じょうもく がしゃく にだちょうしせられ たまいき.
不軽菩薩は 多年が 間・ 二十四字の 故に 無量無辺の 四衆に 罵詈・ 毀辱・ 杖木・ 瓦石・ 而打擲之せられ 給いき、.

いわゆる にじゅうよじと もうすは「われふかく なんじらを うやまう あえて きょうまんせず ゆえんは いかん なんだちら みな ぼさつの ぎょうを ぎょうじて まさに さぶつ することを うべし」とう うんぬん.
所謂 二十四字と 申すは「我深く 汝等を敬う 敢て 軽慢せず 所以は 何ん 汝等 皆 菩薩の 道を 行じて 当に 作仏することを 得べし」等 云云、.

かの ふきょうぼさつは いまの きょうしゅ しゃくそん なり.
かの 不軽菩薩は 今の 教主 釈尊 なり、.

むかしの すずだんのうは みょうほうれんげきょうの ごじの ために 1000さいが あいだ あしせんにんに せめつかわれ みを とこと なさせたまいて いまの しゃくそんと なりたもう.
昔の 須頭檀王は 妙法蓮華経の 五字の 為に 千歳が 間・ 阿私仙人に せめつかはれ 身を 床と なさせ給いて 今の 釈尊と なり給う。.

しかるに みょうほうれんげきょうは 8かんなり 8かんをよめば 16かんを よむ なるべし.
然るに 妙法蓮華経は 八巻なり・ 八巻を 読めば 十六巻を 読む なるべし、.

しゃか たほうの にぶつの きょうなる ゆえ 16かんは むりょうむへんの かんじくなり.
釈迦・ 多宝の 二仏の 経なる 故へ、十六巻は 無量無辺の 巻軸なり、.

じっぽうの しょぶつの しょうめいある ゆえに 1じは 2じ なり.
十方の 諸仏の 証明ある 故に 一字は 二字 なり.

しゃか たほうの 2ぶつの じ なる ゆえ 1じは むりょうの じ なり.
釈迦・ 多宝の 二仏の 字 なる 故へ・ 一字は 無量の 字 なり.

じっぽうの しょぶつの しょうめいの おんきょう なる ゆえに.
十方の 諸仏の 証明の 御経 なる 故に、.

たとえば にょいほうしゅの たまは いっしゅ なれども にしゅ ないし むりょうしゅの たからを ふらすこと これ おなじ.
譬えば 如意宝珠の 玉は 一珠 なれども 二珠 乃至 無量珠の 財を ふらすこと・ これ をなじ、.

ほけきょうの もじは 1じは ひとつの たから むりょうの じは むりょうの ほうじゅ なり.
法華経の 文字は 一字は 一の 宝・ 無量の 字は 無量の 宝珠 なり、.

みょうの 1じには ふたつの した まします.
妙の 一字には 二つの 舌 まします.

しゃか たほうの おんしたなり.
釈迦・ 多宝の 御舌なり、.

この 2ぶつの おんしたは はちようの れんげ なり.
此の 二仏の 御舌は 八葉の 蓮華 なり、.

この かさなる れんげの うえに ほうじゅ あり みょうの 1じ なり.
此の 重なる 蓮華の 上に 宝珠 あり 妙の 一字 なり。.

この みょうの たまは むかし しゃかにょらいの だんはらみつと もうして.
此 妙の 珠は 昔 釈迦如来の 檀波羅蜜と 申して.

みを うえたる とらに かいし くどく はとに かいし くどく.
身を うえたる 虎に かひし 功徳・ 鳩に かひし 功徳、.

しらはらみつと もうして しゅだまおうとして そらことせざりし くどく とう.
尸羅波羅蜜と 申して 須陀摩王として・ そらことせざりし 功徳 等、.

にんにくせんにんとして かりおうに みを まかせし くどく.
忍辱仙人として・ 歌梨王に 身を まかせし 功徳、.

のうせたいし しょうじゃりせんにん とうの 6どの くどくを みょうの 1じに おさめ たまいて.
能施太子・ 尚闍梨仙人 等の 六度の 功徳を 妙の 一字に をさめ 給いて.

まつだいあくせの われら しゅじょうに いちぜんも しゅうせざれども ろくどまんぎょうを まんぞくする くどくを あたえ たもう.
末代悪世の 我等 衆生に 一善も 修せざれども 六度万行を 満足する 功徳を あたへ 給う、.

こんしさんがい かいぜがう ごちゅうしゅじょう しつぜごし これなり.
今此三界・ 皆是我有・ 其中衆生・ 悉是吾子 これなり、.

われら ぐばくの ぼんぷ たちまちに きょうしゅ しゃくそんと くどく ひとし.
我等 具縛の 凡夫 忽に 教主 釈尊と 功徳 ひとし.

かの くどくを ぜんたい うけとる ゆえなり.
彼の 功徳を 全体 うけとる 故なり、.

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きょうに いわく「わがごとく ひとしくして ことなる こと なし」 とう うんぬん.
経に 云く「如我等無異」等 云云、.

ほけきょうを こころえるものは しゃくそんと さいとうなりと もうす もんなり.
法華経を 心得る 者は 釈尊と 斉等なりと 申す 文なり、.

たとえば ふぼ わごうして こを うむ この みは ぜんたい ふぼの み なり.
譬えば 父母 和合して 子を うむ 子の 身は 全体 父母の 身 なり.

だれか これを あらそうべき.
誰か 是を 諍うべき、.

ごおうの こは ごおうなり いまだ ししおうと ならず.
牛王の 子は 牛王なり いまだ 師子王と ならず、.

ししおうの こは ししおうと なる いまだ にんおう てんのう とうと ならず.
師子王の 子は 師子王となる・ いまだ人王・ 天王 等と ならず、.

いま ほけきょうの ぎょうじゃは ごちゅうしゅじょう しつぜごしと もうして きょうしゅ しゃくそんの みこ なり.
今 法華経の 行者は 其中衆生 悉是吾子と 申して 教主 釈尊の 御子 なり、.

きょうしゅ しゃくそんの ごとく ほうおうと ならんこと かたかる べからず.
教主 釈尊の ごとく 法王と ならん事・ 難かる べからず、.

ただし ふこうの ものは ふぼの あとを つがず.
但し 不孝の 者は 父母の 跡を つがず.

ぎょうおうには たんしゅと いう たいし あり.
尭王には 丹朱と 云う 太子 あり.

しゅんおうには しょうきんと もうす おうじ あり.
舜王には 商均と 申す 王子 あり、.

ふたり ともに ふこうの ものなれば ちちの おうに すてられて げんしんに たみと なる.
二人 共に 不孝の 者なれば 父の 王に すてられて 現身に 民と なる、.

ちょうかと うとは ともに たみの こなり.
重華と 禹とは 共に 民の 子なり・.

こうようの こころ ふかかりしかば ぎょうしゅんの 2おう めして くらいを ゆずり たまいき.
孝養の 心 ふかかりしかば 尭舜の 二王・ 召して 位を ゆづり 給いき、.

たみの み たちまち ぎょくたいに ならせ たまいき.
民の 身・ 忽ち 玉体に ならせ 給いき、.

たみの げんしんに おうと なると ぼんぷの たちまちに ほとけと なると おなじ こと なるべし.
民の 現身に 王と なると 凡夫の 忽に 仏と なると 同じ 事 なるべし、.

いちねんさんぜんの かんじんと もうすは これなり.
一念三千の 肝心と 申すは これなり、.

なお いかにとしてか この くどくをば うべきぞ.
なを いかにとしてか 此 功徳をば うべきぞ、.

ぎょうぼうぼんじ せっせんどうじ とうの ごとく かわを はぐべきか みを なぐべきか ひじを やくべきか とう うんぬん.
楽法梵志・ 雪山童子 等の ごとく 皮を はぐべきか・ 身を なぐべきか 臂を やくべきか 等 云云、.

しょうあんだいしいわく「しゅしゃ よろしきを えて いっこうに すべからず」とう これなり.
章安大師云く「取捨 宜しきを 得て 一向に すべからず」等 これなり、.

しょうほうを しゅうして ほとけに なる ぎょうは ときに よるべし.
正法を 修して 仏に なる 行は 時に よるべし、.

にほんこくに かみ なくば かわを はぐべし.
日本国に 紙 なくば 皮を はぐべし、.

にほんこくに ほけきょう なくて しれる きじん ひとり しゅったいせば みを なぐべし.
日本国に 法華経 なくて 知れる 鬼神 一人 出来せば 身を なぐべし、.

にほんこくに あぶら なくば ひじをも ともすべし.
日本国に 油なくば 臂をも・ ともすべし、.

あつき かみ くにに じゅうまんせり かわを はいで なにかせん.
あつき 紙・ 国に 充満せり 皮を・ はいで・ なにかせん、.

しかるに げんじょうは せいてんに ほうを もとめて 17ねん 10まんりに いたれり.
然るに 玄奘は 西天に 法を 求めて 十七年・ 十万里に いたれり、.

でんぎょう ごにゅうとう ただ 2ねんなり.
伝教 御入唐 但 二年なり.

はとう さんぜんりを へだてたり.
波涛 三千里を へだてたり。.

これらは だんしなり じょうこなり けんじんなり しょうにん なり.
此等は 男子なり・ 上古なり・ 賢人なり・ 聖人 なり・.

いまだきかず にょにんの ぶっぽうを もとめて せんりの みちを わけし ことを.
いまだきかず 女人の 仏法を もとめて 千里の 路を わけし 事を、.

りゅうにょが そくしんじょうぶつも まかはじゃはだいびくにの きべつに あずかりしも しらず.
竜女が 即身成仏も 摩訶波闍波提比丘尼の 記ベツに あづかりしも、しらず.

ごんげにや ありけん また ざいせの こと なり.
権化にや・ ありけん、又 在世の 事 なり、.

だんし にょにん その せい もとより わかれたり.
男子・ 女人 其の 性 本より 別れたり・.

ひは あたたかに みずは つめたし.
火は あたたかに・ 水は つめたし.

あまは さかなを とるに たくみなり かりうどは しかを とるに かしこし.
海人は 魚を とるに・ たくみなり・ 山人は 鹿を とるに・ かしこし、.

にょにんは ものを そねむに かしこしと こそ きょうもんには あかされて そうらえ.
女人は 物を そねむに・ かしこしと こそ 経文には・ あかされて 候へ、.

いまだきかず ぶっぽうに かしこしとは にょにんの こころを せいふうに たとえたり.
いまだきかず 仏法に・ かしこしとは、 女人の 心を 清風に 譬えたり.

かぜは つなぐとも とりがたきは にょにんの こころなり.
風は つなぐとも・ とりがたきは 女人の 心なり、.

にょにんの こころをば みずに えがくに たとえたり.
女人の 心をば 水に ゑがくに 譬えたり、.

すいめんには もじ とどまらざる ゆえなり.
水面には 文字 とどまらざる ゆへなり、.

にょにんをば おうにんに たとえたり あるときは じつ なり あるときは きょ なり.
女人をば 誑人に たとへたり、或時は 実 なり 或時は 虚 なり、.

にょにんをば かわに たとえたり いっさい まがられる ゆえなり.
女人をば 河に 譬えたり・ 一切 まがられる・ ゆへなり、.

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しかるに ほけきょうは しょうじきしゃほうべん とう かいぜしんじつ とう しちじきいにゅうなん とう にゅうわしちじきしゃ とうと もうして.
而るに 法華経は・ 正直捨方便 等・ 皆是真実 等・ 質直意柔ナン 等・ 柔和質直者 等と 申して.

しょうじきなる こと ゆみの げんの はれるが ごとく.
正直なる 事・ 弓の 絃の はれるが ごとく・.

すみの なわを うつが ごとくなる ものの しんじ まいらする おんきょう なり.
墨の なはを・ うつが ごとくなる 者の 信じ まいらする 御経 なり、.

ふんを せんだんと もうすとも せんだんの かおり なし.
糞を 栴檀と 申すとも 栴檀の 香 なし、.

もうごの ものを ふもうごと もうすとも ふもうごには あらず.
妄語の 者を 不妄語と 申すとも 不妄語には あらず、.

いっさいきょうは みな ほとけの こんくの せつ ふもうごの おんことば なり.
一切経は 皆 仏の 金口の 説・ 不妄語の 御言 なり、.

しかれども ほけきょうに たいし まいらすれば もうごの ごとし.
然れども 法華経に 対し・ まいらすれば 妄語の ごとし・.

きごの ごとし あっくの ごとし りょうぜつの ごとし.
綺語の ごとし・悪口の ごとし・ 両舌の ごとし、.

この おんきょうこそ じつごの なかの じつごにて そうらえ.
此の 御経こそ 実語の 中の 実語にて 候へ、.

じつごの おんきょうをば しょうじきの もの こころえ そうろうなり.
実語の 御経をば・ 正直の 者 心得 候なり、.

いま じつごの にょにんにて おわすか.
今 実語の 女人にて・ おはすか、.

まさに しるべし しゅみせんを いただきて たいかいを わたる ひとをば みるとも この にょにんをば みる べからず.
当に 知るべし 須弥山を いただきて 大海を わたる 人をば 見るとも 此の 女人をば 見る べからず、.

すなを むして めしと なす ひとをば みるとも この にょにんをば みる べからず.
砂 をむして 飯と なす 人をば 見るとも 此の 女人をば 見る べからず、.

まさに しるべし しゃかぶつ たほうぶつ じっぽうぶんしんの しょぶつ じょうぎょう むへんぎょう とうの だいぼさつ だいぼんてんのう たいしゃく しおう とう.
当に 知るべし 釈迦仏・ 多宝仏・ 十方分身の 諸仏・ 上行・ 無辺行 等の 大菩薩・ 大梵天王・ 帝釈・ 四王 等・.

この にょにんをば かげの みに そうが ごとく まもり たまうらん.
此 女人をば 影の 身に・ そうが ごとく・ まほり 給うらん、.

にほん だいいちの ほけきょうの ぎょうじゃの にょにんなり.
日本 第一の 法華経の 行者の 女人なり、.

ゆえに なを 1つ つけ たてまつりて ふぎょうぼさつの ぎに なぞらえん.
故に 名を 一つ つけ たてまつりて 不軽菩薩の 義に なぞらへん・.

にちみょうしょうにん とう うんぬん.
日妙聖人 等 云云。.

そうしゅう かまくらより ほっこく さどの くに その ちゅうかん いっせんよりに およべり.
相州 鎌倉より 北国 佐渡の 国・ 其の 中間・ 一千余里に 及べり、.

さんかい はるかに へだて やまは がが うみは とうとう ふうう ときに したがう こと なし.
山海 はるかに・ へだて 山は 峨峨・ 海は涛涛・ 風雨・ 時に したがふ 事 なし、.

さんぞく かいぞく じゅうまん せり.
山賊・ 海賊・ 充満 せり、.

しゅくしゅく とまり とまり たみの こころ とらの ごとし いぬの ごとし.
宿宿 とまり・ とまり・ 民の 心・ 虎の ごとし・犬の ごとし、.

げんしんに さんあくどうの くを ふるか.
現身に 三悪道の 苦を ふるか、.

そのうえ とうせは よ みだれ こぞより むほんの もの くにに じゅうまんし.
其の 上 当世は 世 乱れ 去年より 謀叛の 者・ 国に 充満し.

ことし 2がつ 11にち かっせん それより いま 5がつの すえ いまだ せけん あんのん ならず.
今年 二月 十一日 合戦、其れより 今 五月の すゑ・ いまだ 世間 安穏 ならず、.

しかれども ひとりの おさなご あり.
而れども 一の 幼子 あり・.

あずくべき ちちも たのもしからず りべつ すでに ひさし.
あづくべき 父も・ たのもしからず・ 離別 すでに 久し。.

かた がた ふでも およばず こころ わきまえ がたければ とどめ おわんぬ.
かた・ がた 筆も 及ばず 心 弁へ がたければ とどめ 畢んぬ。.

ぶんえい9ねん たいさい みずのえさる 5がつ 25にち.
文永 九年 太歳壬申 五月 二十五日.

にちれん かおう.
日蓮 花押 .

にちみょうしょうにん.
日妙聖人.

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