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弥源太入道殿御消息 (やげんたにゅうどうどの ごしょうそく)
別名、建長寺道隆事 (けんちょうじどうりゅうの こと).
日蓮大 聖人 57歳 御作.

 

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やげんたにゅうどうどの ごしょうそく.
弥源太入道殿 御消息.

いちにちの おんきろ おぼつかなく そうらいつる ところに おんつかい よろこびいって そうろう.
一日の 御帰路を ぼつかなく 候つる 処に 御使 悦び 入つて 候、.

ごようじの おんこと どもは ほうきどのの おんふみに かかせて そうろう.
御用事の 御事 共は 伯耆殿の 御文に 書かせて 候、.

しかるにどうりゅうの しして みの しゃりと なる よしの こと.
然るに 道隆の 死して 身の 舎利と なる 由の 事、.

これは なんとも ひと しらず もちいまじく そうらえば.
是は 何とも 人 知らず 用いまじく 候へば.

とこう  もうして せんは そうらわず.
兎角 申して 詮は 候はず、.

ただし ほとけの いぜんに 95しゅの げどう ありき.
但し 仏の 以前に 九十五種の 外道 ありき.

おのおの これを しんじて ほとけに なると もうす.
各各 是を 信じて 仏に 成ると 申す

、.

また みな ひとも いちどうに おもいて そうらいし ほどに.
又 皆 人も 一同に 思いて 候し 程に.

ほとけ よに いでさせ たまいて 95しゅは みな じごくに おちたりと とかせ たまい しかば.
仏 世に 出でさせ 給いて 九十五種は 皆 地獄に 堕ちたりと 説かせ 給い しかば・.

ごてんじくの こくおう だいじんらは ほとけは しょせん なき ひと なりと もうす.
五天竺の 国王・ 大臣等は 仏は 所詮 なき 人なりと 申す、.

また げどうの でしどもも わが しの うえを いわれて あくしんを かき そうろう.
又 外道の 弟子どもも 我が 師の 上を 云れて 悪心を かき 候、.

ちくじょうげどうと もうす げどうの もくれんそんじゃを ころせし こと これなり.
竹杖外道と 申す 外道の 目連尊者を 殺せし 事 是なり、.

くとくげどうと もうせし ものを ほとけ しるして いわく.
苦得外道と 申せし 者を 仏 記して 云く.

なのかの うちに しして じきときと なるべしと.
七日の 内に 死して 食吐鬼と 成るべしと.

とかせ たまいしかば げどう いかりを なす.
説かせ 給いしかば 外道 瞋りを なす、.

なのかの うちに じきときと なりたり しかば これを おし かくして.
七日の 内に 食吐鬼と 成りたり しかば 其を 押し 隠して.

とくどうの ひとの おんしゃり かうべしと いいき.
得道の 人の 御舎利 買うべしと 云いき、.

これより ほかに ふしぎ なる こと かずを しらず.
其より 外に 不思議 なる 事 数を 知らず。.

ただし どうりゅうが ことは みぬ ことにて そうらえば いかように そうろうやらん.
但し 道隆が 事は 見ぬ 事にて 候へば 如何様に 候やらん、.

ただし ぐつうする ところの せっぽうは ともに もとごんきょう より おこりて そうらいしを.
但し 弘通 する ところの 説法は 共に 本権教 より 起りて 候しを・.

いまは きょうげべつでんと もうして ものに くるいて われと げどうの ほうと いうか.
今は 教外別伝と 申して 物に くるひて 我と 外道の 法と 云うか、.

このうえ けんちょうじは げんに がんぜんに みえて そうろう.
其の上 建長寺は 現に 眼前に 見へて 候、.

にほんこくの やまでらの かたきとも いいつべき ようなれども.
日本国の 山寺の 敵とも 謂いつべき 様なれども.

ことを ぎょいに よせぬれば みな ひと おそれて いわず.
事を 御威に よせぬれば 皆 人 恐れて 云わず、.

これは こんじょうを おもくして ごしょうは かるく する ゆえなり.
是は 今生を 重くして 後生は 軽く する 故なり.

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されば げんしんに かの てらの ゆえに ぼうこく すべき こと あたりぬ.
されば 現身に 彼の 寺の 故に 亡国 すべき 事 当りぬ、.

にちれんは たびたび しって にほんこくの どうぞくの とがを もうせば.
日蓮は 度度 知つて 日本国の 道俗の 科を 申せば.

これは こんじょうの わざわい ごしょうの さいわい なり.
是は 今生の 禍・ 後生の 福なり、.

ただし どうりゅうの ふるまいは にほんこくの どうぞく しりて そうらえども.
但し 道隆の 振舞は 日本国の 道俗 知りて 候へども.

かみを おそれて こそ たっとみ もうせ.
上を 畏れて こそ 尊み 申せ.

また ないしんは みな うとみて そうろうらん.
又 内心は 皆 うとみて 候らん、.

ぶっぽうの じゃせい こそ ぐにん なれば しらずとも.
仏法の 邪正 こそ 愚人 なれば 知らずとも.

せけんの ことは がんぜん なれば しりぬらん.
世間の 事は 眼前 なれば 知りぬらん、.

また ひとつは もちいずとも ひとの ほねの しゃりと なる ことは やすく しれ そうろう ことにて そうろう.
又 一は 用いずとも 人の 骨の 舎利と 成る 事は 易く 知れ 候 事にて 候、.

ほとけの しゃりは ひに やけず みずに ぬれず.
仏の 舎利は 火に やけず・ 水に ぬれず・.

こんごうの かなづちにて うてども くだけず.
金剛の かなづちにて・ うてども 摧けず、.

ひとつ くだきして みよかし あらやすし あらやすし.
一 くだきして 見よかし・ あらやすし・ あらやすし、.

けんちょうじは しょりょうを とられて まどいたる おとこどもの にゅうどうに なりて.
建長寺は 所領を 取られて・ まどひたる 男どもの 入道に 成りて.

40 50 60 なんどの とき、はしり いりて そうろうが.
四十・ 五十・ 六十 なんどの 時・ 走り 入りて 候が.

ようは これなく どうりゅうが かげにして すぎぬる なり.
用は 之れ無く 道隆が かげにして すぎぬる なり、.

ゆうに かいなく しぬれば ふしぎにて そうろうを.
云うに 甲斐なく 死ぬれば 不思議にて 候を・.

かくして しばらくも すぎき.
かくして 暫くも すぎき。.

または にちれんぼうが ぞんちの ほうもんを ひとに うとませんと こそ たばかりて そうらめ.
又は 日蓮房が 存知の 法門を 人に 疎ませんと こそ たばかりて 候らめ、.

あまりの ことども なれば おうわく あらわれなんとす.
あまりの 事ども なれば 誑惑 顕われなんとす、.

ただし しばらく にんじて ごらんぜよ.
但 しばらく・ 忍じて 御覧ぜよ、.

ね あらわれぬれば えだかれ みなもと かわけば ながれ つくると もうす ことあり.
根 露れぬれば 枝かれ・ 源 渇けば 流 尽くると 申す 事あり、.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言。.

こうあん がんねん つちのえとら 8がつ 11にち.
弘安 元年 戊寅 八月 十一日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

やげんたにゅうどうどの.
弥源太入道殿.

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