b1245から1250.
日女御前御返事 (にちにょごぜん ごへんじ).
日蓮大聖人 57歳 御作.

 

b1245

にちにょごぜん ごへんじ.
日女御前 御返事.

こうあん がんねん 6がつ 57さい おんさく.
弘安 元年 六月 五十七歳 御作.

おんふせ しちかんもん おくりたび おわんぬ.
御布施 七貫文 送り給び 畢んぬ.

ぞくるいほんの おんこころは ほとけ こくうに たち たまいて.
属累品の 御心は 仏 虚空に 立ち 給いて.

400まんおくなゆたの せかいに むさしのの すすきの ごとく.
四百万億那由佗の 世界に むさしのの すすきの ごとく.

ふじさんの きの ごとく ぞくぞくと ひざを つめよせて.
富士山の 木の ごとく ぞくぞくと ひざを つめよせて.

あこべを ちに つけ みを まげ てを あわせ あせを ながし.
頭を 地に つけ 身を まげ 掌を あはせ あせを 流し.

つゆしげく おわせし じょうぎょうぼさつ とう もんじゅ とう だいぼんてんのう たいしゃく にちがつ.
つゆしげく おはせし 上行菩薩 等 文殊 等 大梵天王 帝釈 日月.

してんのう りゅうおう じゅうらせつ とうに ほけきょうを ゆずらんがために.
四天王 竜王 十羅刹女 等に 法華経を ゆづらんがために.

さんど まで いただきを なでさせ たもう.
三度 まで 頂を なでさせ 給ふ.

たとえば ひぼの いっしが いただきの かみを なずるが ごとし.
譬えば 悲母の 一子が 頂の かみを なづるが ごとし.

そのときに じょうぎょう ないし にちがつ とう かたじけなき おおせを こうむりて.
爾の時に 上行 乃至 日月 等 忝き 仰せを 蒙りて.

ほけきょうを まつだいに ぐつう せんと ちかい たまいしなり.
法華経を 末代に 弘通 せんと ちかひ 給いしなり.

やくおうほんと もうすは むかし きけんぼさつと もうせし ぼさつ.
薬王品と 申すは 昔 喜見菩薩と 申せし 菩薩.

にちがつじょうみょうとくぶつに ほけきょうを ならわせ たまいて.
日月浄明徳仏に 法華経を 習わせ 給いて.

その しの おんと もうし ほけきょうの とうとさと もうし.
其の 師の 恩と 申し 法華経の たうとさと 申し.

かんに たえかねて まんの じゅうほうを つくさせ たまい しかども.
かんに たへかねて 万の 重宝を 尽くさせ 給い しかども.

なお こころ ゆかずして みに あぶらを ぬりて.
なを 心 ゆかずして 身に 油を ぬりて.

1200さいの あいだ とうじの あぶらに とうしみを いれて たくが ごとく みを たいて ほとけを くようし.
千二百歳の 間 当時の 油に とうしみを 入れて たくが ごとく 身を たいて 仏を 供養し.

のちに 7まん2000さいが あいだ ひじを ともしびとして たきつくし.
後に 七万二千歳が 間 ひぢを ともしびとして たきつくし.

ほけきょうを ごくよう そうらいき.
法華経を 御供養 候き.

→a1245

b1246

されば いま ほけきょうを ご500さいの にょにん くようせば.
されば 今 法華経を 後五百歳の 女人 供養せば.

その くどくを いちぶんも のこさず ゆずるべし.
其の 功徳を 一分も のこさず ゆづるべし.

たとえば ちょうじゃの いっしに いっさいの ざいほうを ゆずるが ごとし.
譬えば 長者の 一子に 一切の 財宝を ゆづるが ごとし.

みょうおんほんと もうすは とうほうの じょうけしゅくおうちぶつの くにに みょうおんぼさつと もうせし ぼさつ あり.
妙音品と 申すは 東方の 浄華宿王智仏の 国に 妙音菩薩と 申せし 菩薩 あり.

むかしの うんらいおんのうぶつの みよに みょうしょうごんおうの きさき じょうとくふじん なり.
昔の 雲雷音王仏の 御代に 妙荘厳王の 后 浄徳夫人 なり.

むかし ほけきょうを くようして いま みょうおんぼさつと なれり.
昔 法華経を 供養して 今 妙音菩薩と なれり.

しゃかにょらいの しゃばせかいにして ほけきょうを とき たもうに.
釈迦如来の 娑婆世界にして 法華経を 説き 給ふに.

まいりて やくそく もうして まつだいの にょにんの ほけきょうを たもち たもうを まもるべしと うんぬん.
まいりて 約束 申して 末代の 女人の 法華経を 持ち 給うを まもるべしと 云云.

かんのんぼんと もうすは また ふもんぼんと なずく.
観音品と 申すは 又 普門品と 名く.

はじめは かんぜおんぼさつを たもち たてまつる ひとの くどくを ときて そうろう.
始は 観世音菩薩を 持ち 奉る 人の 功徳を 説きて 候.

これを かんのんぼんと なずく.
此を 観音品と 名づく.

のちには かんのんの たもち たまえる ほけきょうを たもつ ひとの くどくを とけり.
後には 観音の 持ち 給へる 法華経を 持つ 人の 功徳を とけり.

これを ふもんぼんと なずく.
此を 普門品と 名く.

だらにほんと もうすは にしょう にてん じゅうらせつにょの ほけきょうの ぎょうじゃを しゅご すべき さまを ときけり.
陀羅尼品と 申すは 二聖 二天 十羅刹女の 法華経の 行者を 守護 すべき 様を 説きけり.

にしょうと もうすは やくおうと ゆぜと なり.
二聖と 申すは 薬王と 勇施と なり.

にてんと もうすは びしゃもんと じこくてんと なり.
二天と 申すは 毘沙門と 持国天と なり.

じゅうらせつにょと もうすは 10にんの だいきじん してんげの いっさいの きじんの はは なり.
十羅刹女と 申すは 十人の 大鬼神女 四天下の 一切の 鬼神の 母 なり.

また じゅうらせつにょの はは あり きしもじん これなり.
又 十羅刹女の 母 あり 鬼子母神 是なり.

おにの ならいとして ひとを しょくす.
鬼の ならひとして 人を 食す.

ひとに 36ぶつ あり.
人に 三十六物 あり.

いわゆる ふんと いばりと つばきと にくと ちと かわと ほねと.
所謂 糞と 尿と 唾と 肉と 血と 皮と 骨と.

5ぞうと ろっぷと かみと けと きと いのち とう なり.
五蔵と 六腑と 髪と 毛と 気と 命 等 なり.

しかるに げぼんの きじんは ふん とうを しょくし.
而るに 下品の 鬼神は 糞 等を 食し.

ちゅうぼんの きじんは ほね とうを しょくす.
中品の 鬼神は 骨 等を 食す.

じょうぼんの きじんは せいきを しょくす.
上品の 鬼神は 精気を 食す.

この じゅうらせつにょは じょうぼんの きじんとして せいきを しょくす.
此の 十羅刹女は 上品の 鬼神として 精気を 食す.

えきびょうの だいきじん なり.
疫病の 大鬼神 なり.

きじんに ふたつ あり.
鬼神に 二 あり.

ひとつには ぜんき ふたつには あっき なり.
一には 善鬼 二には 悪鬼 なり.

ぜんきは ほけきょうの あだを しょくす.
善鬼は 法華経の 怨を 食す.

あっきは ほけきょうの ぎょうじゃを しょくす.
悪鬼は 法華経の 行者を 食す.

いま にほんこくの こぞことしの だいえきびょうは なんとか こころうべきなり.
今 日本国の 去年今年の 大疫病は 何とか 心うべき.

これを こたうべき さまは いちには ぜんき なり.
此を 答ふべき 様は 一には 善鬼 なり.

ぼんのう たいしゃく にちがつ してんの ゆるされ ありて ほけきょうの あだを しょくす.
梵王 帝釈 日月 四天の 許され ありて 法華経の 怨を 食す.

ふたつには あっきが だいろくてんの まおうの すすめに よりて ほけきょうを しゅぎょう する ひとを しょくす.
二には 悪鬼が 第六天の 魔王の すすめに よりて 法華経を 修行 する 人を 食す.

ぜんきが ほけきょうの あだを くらうことは かんぴょうの ちょうてきを ばっするが ごとし.
善鬼が 法華経の 怨を 食ふことは 官兵の 朝敵を 罰するが ごとし.

あっきが ほけきょうの ぎょうじゃを くらうは ごうとう やうち とうが かんぴょうを ころすが ごとし.
悪鬼が 法華経の 行者を 食ふは 強盗 夜討 等が 官兵を 殺すが ごとし.

れいせば にほんこくに ぶっぽうの わたりて ありし とき.
例せば 日本国に 仏法の 渡りて ありし 時.

ぶっぽうの かたき たりし もののべのおおむらじ もりやらも えきびょうを やみき.
仏法の 敵 たりし 物部の大連 守屋等も 疫病を やみき.

そがのすくねのうまこらも やみき.
蘇我宿禰の 馬子等も やみき.

きんめい びだつ ようめいの 3だいの こくおうは こころには ぶっぽう しゃかにょらいを しんじ まいらせ たまいて ありしかども.
欽明 敏達 用明の 三代の 国王は 心には 仏法 釈迦如来を 信じ まいらせ 給いて ありしかども.

そとには くにの れいに まかせて てんしょうだいじん くまのさん とうを あおぎ まいらせ たまい しかども.
外には 国の 礼に まかせて 天照太神 熊野山 等を 仰ぎ まいらせさせ 給ひ しかども.

ほとけと ほうとの しんは うすく かみの しんは あつかり しかば.
仏と 法との 信は うすく 神の 信は あつかり しかば.

つよきに ひかれて さんだいの こくしゅ えきびょう ほうそうにして ほうぎょ ならせ たまいき.
強きに ひかれて 三代の 国王 疫病 疱瘡にして 崩御 ならせ 給いき.

→a1246

b1247

これを もって かみの 2きをも いまの よの せけんの ひとびとの えきびょうをも.
此を もて 上の 二鬼をも 今の 代の 世間の 人人の 疫病をも.

にちれんが ほうの やみしぬをも こころうべし.
日蓮が 方の やみしぬをも 心うべし.

されば みを すてて しんぜん ひとびとは やまぬへんも あるべし.
されば 身を すてて 信ぜん 人人は やまぬへんも あるべし.

また やむとも たすかるへんも あるべし.
又 やむとも たすかるへんも あるべし.

また だいあっきに あいなば いのちを うばわるる ひとも あるべし.
又 大悪鬼に 値いなば 命を 奪はるる 人も あるべし.

れいせば はたけやましげただは にほんだいいちの だいりきの たいしょう なり.
例せば 畠山重忠は 日本 第一の 大力の 大将 なり.

しかども たぜいには ついに ほろびぬ.
しかども 多勢には 終に ほろびぬ.

また にほんこくの いっさいの しんごんしの あくりょうと なれると.
又 日本国の 一切の 真言師の 悪霊と なれると.

ならびに ぜんしゅう ねんぶつしゃ とうが にちれんを あだまんが ために くにじゅうに いりみだれたり.
並に 禅宗 念仏者 等が 日蓮を あだまんが ために 国中に 入り乱れたり.

また ぼんしゃく にちがつ じゅうらせつの けんぞく にほんこくに らんにゅう せり.
又 梵釈 日月 十羅刹の 眷属 日本国に 乱入 せり.

りょうほう たがいに せめ とらんと はげむなり.
両方 互に 責め とらんと はげむなり.

しかるに じゅうらせつにょは そうじて ほけきょうの ぎょうじゃを しゅご すべしと ちかわせ たまいて そうらえば.
而るに 十羅刹女は 総じて 法華経の 行者を 守護 すべしと 誓はせ 給いて 候へば.

いっさいの ほけきょうを たもつ ひとびとをば しゅご せさせ たまうらんと おもい そうろうに.
一切の 法華経を 持つ 人人をば 守護 せさせ 給うらんと 思い 候に.

ほけきょうを たもつ ひとびとも あるいは だいにちきょうは まされり など もうして.
法華経を 持つ 人人も 或は 大日経は まされり など 申して.

しんごんしが ほけきょうを どくじゅし そうろうは かえりて そしるにて そうろう なり.
真言師が 法華経を 読誦し 候は かへりて そしるにて 候 なり.

また よの しゅうじゅうも これを もって おしはかるべし.
又 余の 宗宗も 此を 以て 押し計るべし.

また ほけきょうをば きょうの ごとく たもつ ひとびとも.
又 法華経をば 経の ごとく 持つ 人人も.

ほけきょうの ぎょうじゃを あるいは とんじんち により.
法華経の 行者を 或は 貪瞋癡 により.

あるいは せけんの ことに より あるいは しなじなの ふるまいに よって あだむ ひと あり.
或は 世間の 事に より 或は しなじなの ふるまひに よつて 憎む 人 あり.

これは ほけきょうを しんずれども しんずる くどく なし.
此は 法華経を 信ずれども 信ずる 功徳 なし.

かえりて ばつを かおる なり.
かへりて 罰を かほる なり.

れいせば ふぼ なんどには むほん とう より ほかは しそく とう の みとして これに そむけば ふこう なり.
例せば 父母 なんどには 謀反 等 より 外は 子息 等の 身として 此に 背けば 不孝 なり.

ちちが わが いとしき めを とり ははが わが いとおしき おとこを うばうとも.
父が 我が いとをしき 婦を とり 母が 我が いとをしき をとこを 奪ふとも.

この み として いちぶんも ちがわば げんせには てんに すてられ.
子の 身 として 一分も 違はば 現世には 天に 捨てられ.

ごしょうには かならず あびじごくに おつる ごう なり.
後生には 必ず 阿鼻地獄に 堕つる 業 なり.

いかに いわんや ふぼに まされる けんのうに そむかんをや.
何に 況や 父母に まされる 賢王に 背かんをや.

いかに いわんや ふぼ こくおうに ひゃくせんまんおくばい まされる せけんの しをや.
何に 況や 父母 国王に 百千万億倍 まされる 世間の 師をや.

なにに いわんや しゅっせけんの しをや.
何に 況や 出世間の 師をや.

なにに いわんや ほけきょうの おんしをや.
何に 況や 法華経の 御師をや.

こうがは 1000ねんに いちど すむと いえり.
黄河は 千年に 一度 すむと いへり.

しょうにんは 1000ねんに いちど いずる なり.
聖人は 千年に 一度 出ずる なり.

ほとけは むりょうこうに いちど しゅっせ したもう.
仏は 無量劫に 一度 出世 し給ふ.

かれには あうと いえども ほけきょうには あいがたし.
彼には 値うと いへども 法華経には 値いがたし.

たとえ ほけきょうに あいたてまつるとも まつだいの ぼんぷ ほけきょうの ぎょうじゃには あいがたし.
設ひ 法華経に 値い奉るとも 末代の 凡夫 法華経の 行者には 値いがたし.

なんぞ なれば まつだいの ほけきょうの ぎょうじゃは.
何ぞ なれば 末代の 法華経の 行者は.

ほけきょうを とかざる けごん あごん ほうどう はんにゃ だいにちきょう とうの 1200よそん よりも.
法華経を 説ざる 華厳 阿含 方等 般若 大日経 等の 千二百余尊 よりも.

まつだいに ほけきょうを とく ぎょうじゃは すぐれて そうろう なるを.
末代に 法華経を 説く 行者は 勝れて 候 なるを.

みょうらくだいししゃくして いわく.
妙楽大師釈して 云く.

「くよう すること あるものは ふくじゅうごうに すぎ もし のうらんするものは こうべ しちぶんに やぶれん」 うんぬん.
「供養 すること 有る者は 福十号に 過ぎ 若し 悩乱 する者は 頭七分に 破れん」 云云.

→a1247

b1248

いま にほんこくの もの こぞことしの えきびょうと いぬる しょうかの えきびょうとは.
今 日本国の 者 去年今年の 疫病と 去 正嘉の 疫病とは.

にんのう はじまりて 90よねんに ならびなき えきびょう なり.
人王 始まりて 九十余代に 並なき 疫病 なり.

しょうにんの くにに あるを あだむ ゆえと みえたり.
聖人の 国に あるを あだむ ゆへと 見えたり.

ししを ほゆる いぬは はらわた きれ.
師子を 吼る 犬は 腸 切れ.

にちがつを のむ しゅらは こうべの やぶれ そうろうなるは これなり.
日月を のむ 修羅は 頭の 破れ 候なるは これなり.

にほんこくの いっさいしゅじょう すでに さんぶんの には やみぬ.
日本国の 一切衆生 すでに 三分が 二は やみぬ.

また はんぶんは ししぬ.
又 半分は 死しぬ.

いま いちぶんは みは やまざれども こころは やみぬ.
今 一分は 身は やまざれども 心は やみぬ.

また こうべも けんにも みょうにも われぬらん.
又 頭も 顕にも 冥にも 破ぬらん.

ばちに よっつ あり.
罰に 四 あり.

そうばち べつばち みょうばち けんばち なり.
総罰 別罰 冥罰 顕罰 なり.

しょうにんを あだめば そうばち いっこくに わたる.
聖人を あだめば 総罰 一国に わたる.

また してんげ また ろくよく しぜんに わたる.
又 四天下 又 六欲 四禅に わたる.

けんじんを あだめば ただ てきじん とう なり.
賢人を あだめば 但 敵人 等 なり.

いま にほんこくの えきびょうは そうばち なり.
今 日本国の 疫病は 総罰 なり.

さだめて しょうにんの くにに あるを あだむか.
定めて 聖人の 国に あるを あだむか.

やまは ぎょくを いだけば そうもく かれず.
山は 玉を いだけば 草木 かれず.

くにに しょうにん あれば その くに やぶれず.
国に 聖人 あれば 其の 国 やぶれず.

やまの そうもくの かれぬは ぎょくの ある ゆえとも ぐしゃは しらず.
山の 草木の かれぬは 玉の ある 故とも 愚者は しらず.

くにの やぶるるは しょうにんを あだむ ゆえとも ぐにんは わきまえざるか.
国の やぶるるは 聖人を あだむ 故とも 愚人は 弁へざるか.

たとい にちがつの ひかり ありとも もうもくの ために もちゆる ことなし.
設ひ 日月の 光 ありとも 盲目の ために 用ゆる 事なし.

たとい こえ ありとも みみしいの ために なにの ようか あるべき.
設ひ 声 ありとも 耳しひの ために なにの 用か あるべき.

にほんこくの いっさいしゅじょうは もうもくと みみしいの ごとし.
日本国の 一切衆生は 盲目と 耳しひの ごとし.

この いっさいの まなこと みみとを くじりて.
此の 一切の 眼と 耳とを くじりて.

いっさいの まなこを あけ いっさいの みみに ものを きかせんは いかほどの くどくか あるべき.
一切の 眼を あけ 一切の 耳に 物を きかせんは いか 程の 功徳か あるべき.

だれの ひとか この くどくをば はかるべき.
誰の 人か 此の 功徳をば 計るべき.

たとえ ふぼ こを うみて まなこ みみ ありとも.
設ひ 父母 子を うみて 眼 耳 有りとも.

ものを おしゆる し なくば ちくしょうの まなこ みみにて こそ あらましか.
物を 教ゆる 師 なくば 畜生の 眼 耳にて こそ あらましか.

にほんこくの いっさいしゅじょうは じっぽうの なかには.
日本国の 一切衆生は 十方の 中には.

さいほうの いっぽう いっさいの ほとけの なかには あみだぶつ いっさいの ぎょうの なかには あみだの みょうごう.
西方の 一方 一切の 仏の 中には 阿弥陀仏 一切の 行の 中には 弥陀の 名号.

この みっつを ほんとして よぎょうをば かねたる ひとも あり.
此の 三を 本として 余行をば 兼ねたる 人も あり.

いっこう なる ひとも ありしに それがし いぬる けんちょう 5ねんより いまに いたるまで.
一向 なる 人も ありしに 某 去ぬる 建長 五年 より 今に 至るまで.

20よねんの あいだ とおくは いちだいしょうきょうの しょうれつ せんご せんじんを たて.
二十余年の 間 遠くは 一代聖教の 勝劣 先後 浅深を 立て.

ちかくは みだねんぶつと ほけきょうの だいもくとの こうげを たて もうす ほどに.
近くは 弥陀念仏と 法華経の 題目との 高下を 立て 申す 程に.

かみ いちにん より しも ばんみんに いたるまで このことを もちいず.
上 一人 より 下 万民に 至るまで 此の事を 用ひず.

あるいは ししに とい あるいは しゅしゅに うったえ あるいは ほうばいに かたり.
或は 師師に 問い 或は 主主に 訴へ 或は 傍輩に かたり.

あるいは わが みの つまこ けんぞくに もうす ほどに.
或は 我が 身の 妻子 眷属に 申す 程に.

くにぐに ぐんぐん ごうごう そんそん じじ しゃしゃに さた ある ほどに.
国国 郡郡 郷郷 村村 寺寺 社社に 沙汰 ある 程に.

ひとごとに にちれんが なを しり ほけきょうを ねんぶつに たいして.
人ごとに 日蓮が 名を 知り 法華経を 念仏に 対して.

ねんぶつの いみじき よう ほけきょう かないがたき こと しょにんのいみじくき よう.
念仏の いみじき 様 法華経 叶ひがたき 事 諸人の いみじき 様.

にちれん わろき ようを もうす ほどに かみも あだみ しもも にくむ.
日蓮 わろき 様を 申す 程に 上も あだみ 下も 悪む.

にほん いちどうに ほけきょうと ぎょうじゃとの だいおんてきと なりぬ.
日本 一同に 法華経と 行者との 大怨敵と なりぬ.

こう もうせば にほんこくの ひとびと ならびに にちれんが かたの なかにも.
かう 申せば 日本国の 人人 並に 日蓮が 方の 中にも.

ものに おぼえぬ ものは ひとに しんぜられんと あらぬ ことを いうと おもえり.
物に おぼえぬ 者は 人に 信ぜられんと あらぬ 事を 云うと 思へり.

これは ぶっぽうの どうりを しんじたる なんにょに しらせんりょうに もうす.
此は 仏法の 道理を 信じたる 男女に 知らせんれうに 申す.

おのおのの こころに まかせ たもうべし.
各各の 心に まかせ 給うべし.

→a1248

b1249

みょうしょうごんのうほんと もうすは ことに にょにんの おんために もちうる ことなり.
妙荘厳王品と 申すは 殊に 女人の 御ために 用る 事なり.

つまが おっとを すすめたる ほん なり.
妻が 夫を すすめたる 品 なり.

まつだいに およびても にょうぼうの おとこを すすめんは.
末代に 及びても 女房の 男を すすめんは.

なこそ かわりたりとも くどくは ただ じょうとく ふじんの ごとし.
名こそ かわりたりとも 功徳は 但 浄徳夫人の ごとし.

いわんや これは にょうぼうも おとこも ともに ごしんよう あり.
いはうや 此は 女房も 男も 共に 御信用 あり.

とりの ふたつの はね そなわり くるまの ふたつの わ かかれり.
鳥の 二の 羽 そなはり 車の 二つの 輪 かかれり.

なにごとか じょうぜざるべき.
何事か 成ぜざるべき.

てん あり ち あり ひ あり つき あり.
天 あり 地 あり 日 あり 月 あり.

ひてり あめふる くどくの そうもく はな さき このみ なるべし.
日てり 雨ふる 功徳の 草木 花 さき 菓 なるべし.

つぎに かんぼつほんと もうすは しゃかぶつの みでしの なかには そうは あまた ありしかども.
次に 勧発品と 申すは 釈迦仏の 御弟子の 中に 僧は あまた ありしかども.

かしょう あなん さゆうに おわしき おうの さゆうの しんの ごとし.
迦葉 阿難 左右に おはしき 王の 左右の 臣の 如し.

これは しょうじょうきょうの ほとけ なり.
此は 小乗経の 仏 なり.

また ふげん もんじゅと もうすは いっさいの ぼさつ おおしと いえども きょうしゅ しゃくそんの さゆうの しん なり.
又 普賢 文殊と 申すは 一切の 菩薩 多しと いへども 教主 釈尊の 左右の 臣 なり.

しかるに いちだいちょうかの ほけきょう はっかねんが あいだ.
而るに 一代超過の 法華経 八箇年が 間.

じっぽうの しょぶつ ぼさつ とう だいち みじん よりも おおく あつまり そうらいしに.
十方の 諸仏 菩薩 等 大地 微塵 よりも 多く 集まり 候しに.

さゆうの しん たる ふげんぼさつの おわせざりしは ふしぎ なりし ことなり.
左右の 臣 たる 普賢菩薩の おはせざりしは 不思議 なりし 事なり.

しかれども みょうしょうごんのうほんを とかれて さて おわりぬ べかりしに.
而れども 妙荘厳王品を とかれて さて おはりぬ べかりしに.

とうほうほういとくじょうおうぶつの くに より まんおくの ぎがくを そうし.
東方宝威徳浄王仏の 国 より 万億の 伎楽を 奏し.

むすうの はちぶしゅうを いんそつして おくればせして まいらせ たまいしかば.
無数の 八部衆を 引率して おくればせして 参らせ 給いしかば.

ほとけの おんきそくや あしからんずらんと おもいし ゆえにや.
仏の 御きそくや あしからんずらんと 思ひし 故にや.

いろかえて まつだいに ほけきょうの ぎょうじゃを しゅごすべき ようを ねんごろに もうし あげられ しかば.
色かへて 末代に 法華経の 行者を 守護すべき やうを ねんごろに 申し 上られ しかば.

ほとけも ほけきょうを えんぶに るふ せんこと.
仏も 法華経を 閻浮に 流布 せんこと.

ことに ねんごろ なるべきと もうすにや めでさせ たまいけん.
ことに ねんごろ なるべきと 申すにや 愛でさせ 給いけん.

かえって かみの じょうい よりも ことに ねんごろに ほとけ ほめさせ たまえり.
返つて 上の 上位 よりも ことに ねんごろに 仏 ほめさせ 給へり.

かかる ほけきょうを まつだいの にょにん.
かかる 法華経を 末代の 女人.

28ほんを ぼんぼん ごとに くよう せばやと おぼしめす.
二十八品を 品品 ごとに 供養 せばやと おぼしめす.

ただごとには あらず.
但事には あらず.

ほうとうほんの おんときは たほうにょらい しゃかにょらい じっぽうのしょぶつ.
宝塔品の 御時は 多宝如来 釈迦如来 十方の 諸仏.

いっさいの ぼさつ あつまらせ たまいぬ.
一切の 菩薩 あつまらせ 給いぬ.

この ほうとうほんは いずれの ところにか ただいま ましますらんと かんがえ そうらえば.
此の 宝塔品は いづれの ところにか 只今 ましますらんと かんがへ 候へば.

にちにょごぜんの おんむねの あいだ はちようの こころ.
日女御前の 御胸の 間 八葉の 心.

れんげの うちに おわしますと にちれんは み まいらせて そうろう.
蓮華の 内に おはしますと 日蓮は 見 まいらせて 候.

れいせば はすの みに れんげの あるが ごとく.
例せば 蓮の みに 蓮華の 有るが ごとく.

きさきの おんはらに たいしを かいにん せるが ごとし.
后の 御腹に 太子を 懐妊 せるが ごとし.

10ぜんを もてる ひと たいしと うまれんとして きさきの おんはらに ましませば.
十善を 持てる 人 太子と 生んとして 后の 御腹に ましませば.

しょてん これを しゅご す ゆえに たいしをば てんしと ごうす.
諸天 此を 守護 す 故に 太子をば 天子と 号す.

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ほけきょう 28ほんの もじ 6まん9384じ.
法華経 二十八品の 文字 六万九千三百八十四字.

ひとつひとつの もじは じごとに たいしの ごとし.
一一の 文字は 字ごとに 太子の ごとし.

じごとに ほとけの みたね なり.
字毎に 仏の 御種子 なり.

やみの なかに かげ あり ひと これを みず.
闇の 中に 影 あり 人 此を みず.

こくうに とりの とぶ あと あり ひと これを みず.
虚空に 鳥の 飛跡 あり 人 此を みず.

たいかいに さかなの みち あり ひと これを みず.
大海に 魚の 道 あり 人 これを みず.

つきの なかに してんげの じんぶつ ひとつも かけず ひと これを みず.
月の 中に 四天下の 人物 一も かけず 人 此を みず.

しかりと いえども てんげんは これを みる.
而りと いへども 天眼は 此を みる.

にちにょごぜんの おんみの ないしんに ほうとうほん まします.
日女御前の 御身の 内心に 宝塔品 まします.

ぼんぷは みずと いえども しゃか たほう じっぽうの しょぶつは ごらんあり.
凡夫は 見ずと いへども 釈迦 多宝 十方の 諸仏は 御らんあり.

にちれん また これを すいす.
日蓮 又 此を すいす.

あら とうとし とうとし.
あら たうとし たうとし.

しゅうのぶんおうは おいたる ものを やしないて いくさに かち.
周の文王は 老たる 者を やしなひて いくさに 勝ち.

その すえ 37だい 800ねんの あいだ すえずえには ひがごと ありしかども.
其の 末 三十七代 八百年の 間 すゑずゑには ひが事 ありしかども.

こんぽんの こうに よりて さかえさせ たもう.
根本の 功に よりて さかへさせ 給ふ.

あじゃせおうは だいあくにん たりしかども.
阿闍世王は 大悪人 たりしかども.

ちち びんばさらおうの ほとけを すうねん やしない まいらせし ゆえに.
父 びんばさら王の 仏を 数年 やしなひ まいらせし 故に.

90ねんの あいだ くらいを たもち たまいき.
九十年の 間 位を 持ち 給いき.

とうせいも また かくのごとく ほけきょうの おんかたきに なりて そうろう よ なれば.
当世も 又 かくの如く 法華経の 御かたきに 成りて 候 代 なれば.

しゅゆもも もつべしとは みえねども.
須臾も 持つべしとは みえねども.

こ ごんのたゆうどの むさしの ぜんじにゅうどうの おんまつりごと.
故 権の大夫殿 武蔵の 前司入道殿の 御まつりごと.

いみじくして しばらく あんのん なるか.
いみじくて 暫く 安穏 なるか.

それも しゅうしは ほけきょうの かたきと なりなば かなう まじきにや.
其も 始終は 法華経の 敵と 成りなば 叶う まじきにや.

この ひとびとの おんびゃくあんには ねんぶつしゃ とうは ほけきょうに ちいんなり.
此の 人人の 御僻案には 念仏者 等は 法華経に ちいんなり.

にちれんは ねんぶつの かたき なり.
日蓮は 念仏の 敵 なり.

われらは いずれをも しんじたりと うんぬん.
我等は 何れをも 信じたりと 云云.

にちれん つめて いわく よに だいか なくば.
日蓮 つめて 云く 代に 大禍 なくば.

いにしえに すぎたる えきびょう きが だいひょうらんは いかに.
古に すぎたる 疫病 飢饉 大兵乱は いかに.

めしも けっせずして ほけきょうの ぎょうじゃを にどまで だいかに おこないしは いかに.
召も 決せずして 法華経の 行者を 二度まで 大科に 行ひしは いかに.

ふびん ふびん.
不便 不便.

しかるに にょにんの おんみとして ほけきょうの おんいのちを つがせたもうは.
而るに 女人の 御身として 法華経の 御命を つがせ 給うは.

しゃか たほう じっぽうの しょぶつの おんふぼの おんいのちを つがせ たもうなり.
釈迦 多宝 十方の 諸仏の 御父母の 御命を つがせ 給うなり.

この くどくを もてる ひと いちえんぶだいに あるべしや.
此の 功徳を もてる 人 一閻浮提に 有るべしや.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言.

6がつ 25にち.
六月 二十五日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

にちにょごぜん ごへんじ.
日女御前 御返事.

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