b1252から1254.
妙一尼御前御消息(みょういちあま ごぜん ごしょうそく).
日蓮大 聖人 54歳御作.

 

b1252

みょういちあま ごぜん ごしょうそく.
妙一尼 御前 御消息.

けんじ がんねん 5がつ 54さい おんさく.
建治 元年 五月 五十四歳 御作.

みょういちあま ごぜん.
妙一尼 御前.

それ てんに つき なく ひ なくば そうもく いかでか しょうずべき.
夫れ 天に 月 なく 日 なくば 草木 いかでか 生ずべき.

ひとに ふぼ あり ひとりも かけば しそくら そだち がたし.
人に 父母 あり 一人も かけば 子息等 そだち がたし.

その うえ かこの しょうりょうは あるいは びょうし あり あるいは じょし あり.
其の 上 過去の 聖霊は 或は 病子 あり 或は 女子 あり.

とどめおく ははも かいがいし からず.
とどめをく 母も かいがいし からず.

たれに いい あづけてか めいどに おもむき たまいけん.
たれに いゐ あつけてか 冥途に をもむき 給いけん.

だいかくせそん おん ねはんの とき なげいて のたまわく.
大覚世尊 御 涅槃の 時 なげいて のたまはく.

われ ねはん すべし ただ こころに かかる ことは あじゃせおう のみ.
我 涅槃 すべし 但 心に かかる 事は 阿闍世王 のみ.

かしょうどうじぼさつ ほとけに もうさく.
迦葉童子菩薩 仏に 申さく.

ほとけは びょうどうの じひ なり.
仏は 平等の 慈悲 なり.

いっさいしゅじょうの ために いのちを おしみ たもうべし.
一切衆生の ために いのちを 惜み 給うべし.

いかに かきわけて あじゃせおう ひとりと おおせ あるやらんと とい まいらせ しかば.
いかに かきわけて 阿闍世王 一人と をほせ あるやらんと 問い まいらせ しかば.

その ごへんじに いわく.
其の 御返事に 云く.

「たとえば ひとりに して しちし あり この しちしの なかに いっし やまいに あえり.
「譬えば 一人に して 七子 有り 是の 七子の 中に 一子 病に 遇えり.

ふぼの こころ びょうどう ならざるには あらず.
父母の 心 平等 ならざるには 非ず.

しかれども びょうしに おいては こころ すなわち ひとえに おもきが ごとし」とう うんぬん.
然れども 病子に 於ては 心 則ち 偏に 重きが 如し」等 云云.

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てんだい まかしかんに この きょうもんを しゃくして いわく.
「天台 摩訶止観に 此の 経文を 釈して 云く.

「たとえば しちしの ふぼ びょうどう ならざるには あらず.
「譬えば 七子の 父母 平等 ならざるには 非ず.

しかれども びょうしゃに おいては こころ すなわち ひとえに おもきが ごとし」とう うんぬん.
然れども 病者に 於ては 心 則ち 偏に 重きが 如し」等 云云.

とこそ ほとけは こたえさせ たまいしか.
とこそ 仏は 答えさせ 給いしか.

もんの こころは ひとには あまたの こ あれども ふぼの こころは やまい する こに ありと なり.
文の 心は 人には あまたの 子 あれども 父母の 心は 病 する 子に ありと なり.

ほとけの おんためには いっさいしゅじょうは みな こ なり.
仏の 御ためには 一切衆生は 皆 子 なり.

その なか つみ ふかくして せけんの ふぼを ころし.
其の 中 罪 ふかくして 世間の 父母を ころし.

ぶつ きょうの かたきと なる ものは びょうしの ごとし.
仏 経の かたきと なる 者は 病子の ごとし.

しかるに あじゃせおうは まかだこくの ぬし なり.
しかるに 阿闍世王は 摩竭提国の 主 なり.

わが おおだんな たりし びんばしゃらおうを ころし.
我が 大檀那 たりし 頻婆舎羅王を ころし.

わが てきと なり しかば てんも すてて.
我が てきと なり しかば 天も すてて.

にちがつに へんいで ちも いただかじと ふるい.
日月に 変いで 地も 頂かじと ふるひ.

ばんみん みな ぶっぽうに そむき たこく より まかっこくを せむ.
万民 みな 仏法に そむき 他国 より 摩竭国を せむ.

これらは ひとえに あくにん だいばだったを しと せる ゆえなり.
此等は 偏に 悪人 提婆達多を 師と せる ゆへなり.

けっくは きょう より あくそう みに いでて さんがつの なのか  むけんじごくに おつ べし.
結句は 今日 より 悪瘡 身に 出て 三月の 七日 無間地獄に 堕つ べし.

これが かなしければ われ ねはん せんこと こころに かかると いう なり.
これが かなしければ 我 涅槃 せん こと 心に かかると いう なり.

われ あじゃせおうを すくいなば いっさいの ざいにん あじゃせおうの ごとしと なげかせ たまいき.
我 阿闍世王を すくひなば 一切 の罪人 阿闍世王の ごとしと・ なげかせ 給いき。.

しかるに しょうりょうは あるいは びょうし あり あるいは じょし あり.
しかるに 聖霊は 或は 病子 あり 或は 女子 あり.

われ すてて めいどに ゆきなば かれたる くちきの ようなる としより あまが なげかれぬらんと おぼゆ.
われ すてて 冥途に ゆきなば かれたる 朽木の やうなる としより 尼が なげかれぬらんと おぼゆ.

ひとり とどまり この こどもを いかに こころ ぐるし かるらんと.
一人 とどまり 此の 子どもを いかに 心 ぐるし かるらんと.

かの こころの かたがたには または にちれんが こと こころに かからせ たまいけん.
かの 心の・ かたがたには 又は 日蓮が 事 心に かからせ 給いけん.

ぶつご むなし からざれば ほけきょう ひろまらせ たもうべし.
仏語 むなし からざれば 法華経 ひろまらせ 給うべし.

それに ついては この ごぼうは いかなる ことも ありて.
それに ついては 此の 御房は いかなる 事も ありて.

いみじく ならせ たもうべしと おぼしつらんに.
いみじく ならせ 給うべしと おぼしつらんに.

いうかいなく ながし うしない しかば.
いうかいなく ながし 失 しかば.

いかにや いかにや ほけきょう.
いかにや・ いかにや 法華経.

じゅうらせつは とこそ おもわれけんに.
十羅刹は とこそ をもはれけんに.

いままで だにも ながらえ たまい しかば.
いままで だにも ながらえ 給いたり しかば.

にちれんが ゆりて そうらいし とき いかに よろこばせ たまわん.
日蓮が ゆりて 候いし 時 いかに 悦ばせ 給はん.

また いいしこと むなしからずして だいもうここくも よせて.
又 いゐし 事 むなしからずして・ 大蒙古国も よせて.

こくども あやおしげに なりて そうらえば いかに よろこび たまわん.
国土も あやをしげに なりて 候へば いかに 悦び 給はん.

これは ぼんぷの こころ なり.
これは 凡夫の 心 なり.

ほけきょうを しんずる ひとは ふゆの ごとし ふゆは かならず はると なる.
法華経を 信ずる 人は 冬の ごとし 冬は 必ず 春と なる.

いまだ むかし より きかず みず ふゆの あきと かえれる ことを.
いまだ 昔 より きかず みず 冬の 秋と かへれる 事を.

いまだ きかず ほけきょうを しんずる ひとの ぼんぷと なる ことを.
いまだ きかず 法華経を 信ずる 人の 凡夫と なる 事を.

きょうもんには「にゃくうもんぽうしゃ むいちふじょうぶつ」と とかれて そうろう.
経文には 「若有聞法者 無一不成仏」と とかれて 候.

こ しょしょうりょうは ほけきょうに いのちを すてて おわしき.
故 聖霊は 法華経に 命を すてて をはしき.

わずかの しんみょうを ささえし ところを ほけきょうの ゆえに めされしは いのちは すつるに あらずや.
わづかの 身命を ささえし ところを 法華経の ゆへに めされしは 命を すつるに あらずや.

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かの せっせんどうじの はんげの ために みをすて.
彼の 雪山童子の 半偈の ために 身をすて.

やくおうぼさつの ひじを やき たまいしは かれは しょうにん なり.
薬王菩薩の 臂を やき 給いしは 彼は 聖人 なり.

ひに みずを いるるが ごとし.
火に 水を 入るるが ごとし.
 
これは ぼんぷ なり かみを ひに いるるが ごとく.
此れは 凡夫 なり 紙を 火に 入るるが ごとし.
 
これを もって あんずるに しょうりょうは この くどく あり.
此れを もつて 案ずるに 聖霊は 此の 功徳 あり、.

だいがつりんの なかか だいにちりんの なかか.
大月輪の 中か 大日輪の 中か.

てんきょうを もって さいしのみを うかべて 12じに ごらん あるらん.
天鏡を もつて 妻子の 身を 浮べて 十二時に 御らん あるらん.

たとい さいしは ぼんぷ なれば これを みず きかず.
設い 妻子は 凡夫 なれば 此れを みず きかず.

たとえば みみ しいたる ものの かみなりの おとを きかず.
譬へば 耳 しゐたる 者の 雷の 声を きかず.

め つぶれたる ものの にちりんを みざるが ごとし.
目 つぶれたる 者の 日輪を 見ざるが ごとし.

おん うたがい ある べからず さだめて おん まもりと ならせ たまうらん.
御 疑 ある べからず 定めて 御 まほりと ならせ 給うらん.

その うえ さこそ おん わたり あるらめ.
其の 上 さこそ 御 わたり あるらめ.

ちから あらば とい まいらせんと おもう ところに ころもを ひとつたぶじょう ぞんがいの しだい なり.
力 あらば とひ まひらせんと・ をもう ところに 衣を 一つ 給ぶでう 存外の 次第 なり.

ほけきょうは いみじき おんきょうにて おわすれば.
法華経 はいみじき 御経にて をはすれば.

もし こんじょうに いきある みとも なり そうらいなば.
もし 今生に いきある 身とも なり 候いなば.

あまごぜんの いきて おわしませ もしは くさの かげにても ごらんあれ.
尼ごぜんの 生きて をわしませ、もしは 草の かげにても 御らんあれ、.

おさなき きんだちらをば かえり みたて まつるべし.
をさなき きんだち等をば かへり 見たて まつるべし.

さどの くにと もうし これと もうし げにん ひとり つけられて そうろうは いつの よにか わすれ そうろうべき.
さどの 国と 申し これと 申し 下人 一人 つけられて 候は・ いつの 世にか わすれ 候べき.

この おんは かえりて つかえ たてまつり そうろうべし.
此の 恩は かへりて つかへ たてまつり 候べし.

なんみょうほうれんげきょう なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経・

きょうきょうきんげん.
恐恐謹言.

5がつ にちれん かおう.
五月 日蓮 花押.

みょういちあま ごぜん.
妙一尼 御前.

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