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妙一女御返事 (みょういちにょ ごへんじ)
別名、即身成仏法門 (そくしんじょうぶつ ほうもん).
日蓮大 聖人 59歳御作.

 

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みょういちにょ ごへんじ.
妙一女 御返事.

こうあん 3ねん 7がつ 59さい おんさく.
弘安 三年 七月 五十九歳 御作.

とうて いわく.
問うて 云く、.

にほんこくに 6しゅう しちしゅう はっしゅう あり いずれの しゅうに そくしんじょうぶつを たつるや.
日本国に 六宗・ 七宗・ 八宗 有り 何れの 宗に 即身成仏を 立つるや、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

でんぎょうだいしの こころは ただ ほけきょうに かぎり こうぼうだいしの こころは ただ しんごんに かぎれり.
伝教大師の 意は 唯 法華経に 限り 弘法大師の 意は 唯 真言に 限れり.

とうて いわく その しょうこ いかん.
問うて 云く 其の 証拠 如何、.

こたえて いわく でんぎょうだいしの しゅうくに いわく.
答えて 云く 伝教大師の 秀句に 云く.

「まさに しるべし たしゅう しょえの きょうには すべて そくしんにゅう なし.
「当に 知るべし 他宗 所依の 経には 都て 即身入 無し.

いちぶん そくにゅうすと いえども 8じ いじょうに おして ぼんぷしんを ゆるさず.
一分 即入すと 雖も 八地 已上に 推して 凡夫身を 許さず.

てんだいほっけしゅうのみ つぶさに そくにゅうの ぎ あり」うんぬん.
天台法華宗のみ 具に 即入の 義 有り」云云、.

また いわく.
又 云く.

「のうけ しょけ ともに りゃっこう なし みょうほう きょうりき そくしんじょうぶつす」とう うんぬん.
「能化・ 所化 倶に 歴劫 無し 妙法 経力 即身成仏す」等云云、.

また いわく.
又 云く.

「まさに しるべし このもんに じょうぶつする ところの ひとを とうて この きょうの いせいを あらわすなり」と とう うんぬん.
「当に 知るべし 此の 文に 成仏する 所の 人を 問うて 此の 経の 威勢を 顕すなり」と 等 云云、

この しゃくの こころは そくしんじょうぶつは ただ ほけきょうに かぎる なり.
此の 釈の 心は 即身成仏は 唯 法華経に 限る なり。.

とうて いわく こうぼうだいしの しょうこ いかん.
問うて 云く 弘法大師の 証拠 如何、.

こたえて いわく こうぼうだいしの 2きょうろんに いわく.
答えて 云く 弘法大師の 二教論に 云く.

「ぼだいしんろんに いわく ただ しんごん ほうの なかに そくしんじょうぶつ する.
「菩提心論に 云く 唯 真言 法の 中に 即身成仏 する.

ゆえは これ 3まじの ほうを とくなり.
故は 是れ 三摩地の 法を 説くなり.

しょきょうの なかに おいて かいて しるさず.
諸教の 中に 於て 闕いて 書さず、.

さとして いわく この ろんは りゅうじゅ だいしょうの しょぞう せんぶの ろんの なかに ひぞう かんじんの ろん なり.
諭して 曰く 此の 論は 竜樹 大聖の 所造 千部の 論の 中に秘蔵・ 肝心の 論 なり.

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この なかに しょきょうと いうは たじゅゆうしん.
此の 中に 諸教と 謂うは 他受用身.

および へんげしんとうの しょせつの ほう もろもろの けんきょう なり.
及び 変化身等の 所説の 法・ 諸の 顕教 なり、.

これ 3まじの ほうを とくとは じしょう ほっしんの しょせつ ひみつ しんごんの 3まじの ぎょう これなり.
是れ 三摩地の法を 説くとは 自性 法身の 所説・ 秘密 真言の 三摩地の 行 是なり.

こんごうちょう 10まんじゅの きょうとうと いう これなり」.
金剛頂 十万頌の 経等と 謂う 是なり」.

とうて いわく この りょうだいし しょりゅうの ぎ すいかなり いずれを しんぜんや.
問うて 云く 此の 両大師 所立の 義・ 水火なり 何れを 信ぜんや、.

こたえて いわく この 2だいしは ともに だいしょう なり.
答えて 云く 此の 二大師は 倶に 大聖 なり.

どうねんに にっとうして りょうにん おなじく しんごんの みっきょうを でんじゅす.
同年に 入唐して 両人 同じく 真言の 密教を 伝受す、.

でんぎょうだいしの りょうかいの しは じゅんぎょうわじょう.
伝教大師の 両界の 師は 順暁和尚・.

こうぼうだいしの りょうかいの しは けいかわじょう.
弘法大師の 両界の 師は 慧果和尚・.

じゅんぎょう けいかの 2にん ともに ふくうの みでし なり.
順暁・ 慧果の 二人 倶に 不空の 御弟子 なり、.

ふくうさんぞうは だいにちにょらい 6だいの みでし なり.
不空三蔵は 大日如来 六代の 御弟子 なり、.

そうでんと もうし ほんしんと いい せけんの おもんずる こと にちがつの ごとし.
相伝と 申し 本身といひ 世間の 重んずる 事 日月の ごとし、.

さゆうの しんに ことならず まつがくの はだえに うけて ぜひ しがたし.
左右の 臣に ことならず 末学の 膚に うけて 是非 しがたし、.

さだめて あくめい てんかに じゅうまんし だいなんを そのみに まねくか.
定めて 悪名 天下に 充満し 大難を 其の身に 招くか.

しかりと いえども こころみに なんじて りょうぎの ぜひを きゅうめい せん.
然りと 雖も 試に 難じて 両義の 是非を 糾明 せん、.

とうて いわく こうぼうだいしの そくしんじょうぶつは しんごんに かぎること いずれの きょうもん いずれの ろんぶん ぞや.
問うて 云く 弘法大師の 即身成仏は 真言に 限ること 何れの 経文 何れの 論文 ぞや、.

こたえて いわく こうぼうだいしは りゅうじゅぼさつの ぼだいしんろんに よるなり.
答えて 云く 弘法大師は 竜樹菩薩の 菩提心論に 依るなり、.

とうて いわく その しょうこ いかん.
問うて 云く 其の 証拠 如何、.

こたえて いわく こうぼうだいしの 2きょうろんに ぼだいしんろんを ひいて いわく.
答えて 云く 弘法大師の 二教論に 菩提心論を 引いて 云く.

「ただ しんごん ほうの なか のみ ないし しょきょうの なかに おいて かいて しるさず」うんぬん.
「唯 真言法の 中 のみ 乃至 諸教の 中に 於て 闕いて 書さず」云云、.

とうて いわく きょうもん ありや.
問うて 云く 経文 有りや、.

こたえて いわく こうぼうだいしの そくしんじょうぶつ ぎに いわく.
答えて 云く 弘法大師の 即身成仏 義に 云く.

「6だい むげにして つねに ゆがなり 4しゅの まんだ おのおの はなれず.
「六大 無礙にして 常に 瑜伽なり 四種の 曼荼 各 離れず.

3みつ かじ すれば そくしつに あらわる じゅうじゅうにして ていもうの ごとくなるを そくしんと なづく.
三密 加持 すれば 速疾に 顕る 重重にして 帝網の 如くなるを 即身と 名く、.

ほうねんとして さはにゃを ぐそくす.
法然として 薩般若を 具足す.

しんのう しんじゅ せつじんに すぎたり.
心王 心数 刹塵に 過たり.

おのおの 5ち むさいちを ぐす えんきょうりきの ゆえに じつの かくちなり」とう うんぬん.
各 五智 無際智を 具す 円鏡力の 故に 実の 覚智なり」等 云云、.

うたがって いわく この しゃくは いずれの きょうもんに よるや.
疑つて 云く 此の 釈は 何れの 経文に 依るや、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

こんごうちょうきょう だいにちきょうとうに よる.
金剛頂経 大日経等に 依る、.

もとめて いわく その きょうもん いかん.
求めて 云く 其の 経文 如何、.

こたえて いわく こうぼうだいし その しょうもんを いだして いわく.
答えて 云く 弘法大師 其の 証文を 出して 云く.

「この 3まいを しゅする ものは げんに ぶつぼだいを あらわす」もん.
「此の 三昧を 修する 者は 現に 仏菩提を 証す」文、.

また いわく「この みを すてずして しんきょうつうを たいとくし だいくういに ゆうほして しんひみつを じょうす」もん.
又 云く「此の 身を 捨てずして 神境通を 逮得し 大空位に 遊歩して 身秘密を 成す」文、.

また いわく「われ もとより ふしょう なるを さとる」もん.
又 云く「我 本より 不生 なるを 覚る」文、.

また いわく「しょほうは もとより ふしょう なり」うんぬん。.
又 云く「諸法は 本より 不生 なり」云云。.

なんじて いわく.
難じて 云く.

これらの きょうもんは だいにちきょう こんごうちょうきょうの もん なり.
此等の 経文は 大日経 金剛頂経の 文 なり、.

しかりと いえども きょうもんは あるいは だいにちにょらいの じょうしょうがくの もん.
然りと 雖も 経文は 或は 大日如来の 成正覚の 文・.

あるいは しんごんの ぎょうじゃの げんしんに 5つうを うるの もん.
或は 真言の 行者の 現身に 五通を 得るの 文・.

あるいは 10えこうの ぼさつの げんしんに かんきじを しょうとく する もんにして.
或は 十回向の 菩薩の 現身に 歓喜地を 証得 する 文にして.

なお しょうしんとくにんに あらず いかに いわんや そくしんじょうぶつをや.
猶 生身得忍に 非ず 何に 況や 即身成仏をや、.

ただし ぼだいしんろんは ひとつには きょうに あらず.
但し 菩提心論は 一には 経に 非ず.

ろんを もとと せば はいじょう こうげの とが えほう ふえにんの ぶっせつに そういす.
論を 本と せば 背上 向下の 科・ 依法 不依人の 仏説に 相違す。.

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とうじの しんごんし にちれんを あっこうして いわく.
東寺の 真言師 日蓮を 悪口して 云く.

なんじは ぼんぷ なり こうぼうだいしは 3じの ぼさつ なり.
汝は 凡夫 なり 弘法大師は 三地の 菩薩 なり、.

なんじ いまだ しょうしんとくにんに あらず.
汝 未だ 生身得忍に 非ず.

こうぼうだいしは みかどの がんぜんに そくしんじょうぶつを げんず.
弘法大師は 帝の 眼前に 即身成仏を 現ず、.

なんじ いまだ ちょくせんを うけざれば だいしに あらず.
汝 未だ 勅宣を 承けざれば 大師に あらず.

にほんこくの しに あらずとう うんぬん これ 1.
日本国の 師に あらず等 云云 是 一、.

じかくだいしは でんぎょう ぎしんの みでし.
慈覚大師は 伝教・ 義真の 御弟子・.

ちしょうだいしは ぎしん じかくの みでし.
智証大師は 義真・ 慈覚の 御弟子・.

あんねんわじょうは あんねわじょうの みでし なり.
安然和尚は 安慧和尚の 御弟子 なり、.

この 3にんの いわく.
此の 三人の 云く.

ほっけてんだいしゅうは りひみつの そくしんじょうぶつ しんごんしゅうは じりぐみつの そくしんじょうぶつと うんぬん.
法華天台宗は 理秘密の 即身成仏・ 真言宗は 事理倶密の 即身成仏と 云云、.

でんぎょう こうぼうの りょうだいし いずれも おろかならねども しょうにんは へんぱなき ゆえに.
伝教 弘法の 両大師 何れも・ をろかならねども 聖人は 偏頗なき ゆへに・.

じかく ちしょう あんねんの 3しは でんぎょうの やまに すむと いえども その ぎは こうぼう とうじの こころ なり.
慈覚・ 智証・ 安然の 三師は 伝教の 山に 栖むと いへども 其の 義は 弘法 東寺の 心 なり、.

したがって にほんこく 400よねんは いぎ なし.
随つて 日本国・ 四百余年は 異義 なし.

なんじ ふしょうの みとして いかんが この あくぎを ぞんずるや これ 2.
汝 不肖の 身として・ いかんが 此の 悪義を 存ずるや 是 二、.

こたえて いわく あっくを はき あくしんを おこさば なんじに おいては このぎ もうすまじ.
答えて 云く 悪口を はき 悪心を をこさば 汝に をいては 此の義 申すまじ、.

しょうぎを きかんと もうさば もうすべし.
正義を 聞かんと 申さば 申すべし、.

ただし なんだちが ようなる ものは ものを いわずば つまりぬと おもうべし.
但し 汝等が やうなる 者は 物を いはずば・ つまりぬと をもうべし、.

いうべし あくしんを おこさんよりも あっくを なさんよりも.
いうべし 悪心を・ をこさんよりも 悪口を・ なさんよりも・.

きらきらとして そうろう きょうもんを いだして.
きらきらとして 候 経文を 出して・.

なんじが しんじ まいらせたる こうぼうだいしの ぎを たすけよ.
汝が 信じ まいらせたる 弘法大師の 義を たすけよ、.

あっく あくしんを もて おもうに きょうもんには そくしんじょうぶつ なきか.
悪口・ 悪心を もて・ をもうに 経文には 即身成仏 無きか、.

ただし じかく ちしょう あんねんらの ことは.
但し 慈覚・ 智証・ 安然等の 事は.

これ また かくしょうの りょうだいし にほんにして きょうだいしを しんずと いえども.
此れ 又 覚証の 両大師・ 日本にして 教大師を 信ずと いへども、.

かんどに わたりて ありし とき.
漢土に わたりて 有りし 時・.

げんじょう はっせんらの ぎを しんじて こころには きょうだいしの ぎを すて.
元政・ 法全等の 義を 信じて 心には 教大師の 義を すて、.

みは その やまに じゅうすれども いつわりて ありし なり.
身は 其の 山に 住すれども・ いつわりて ありし なり。.

とうて いわく.
問うて 云く.

なんじが この ぎは いかにして おもい いだし けるぞや.
汝が 此の 義は・ いかにして・ をもひ いだし けるぞや、.

こたえて いわく でんぎょうだいしの しゃくに いわく.
答えて 云く 伝教大師の 釈に 云く.

「まさに しるべし この もんは じょうぶつする ところの ひとを とうて このきょうの いせいを あらわすなり」と かかれて そうろうは.
「当に 知るべし 此の 文は 成仏する 所の 人を 問うて 此の経の 威勢を 顕すなり」と・ かかれて 候は、.

かみの だいばほんの がおかいちゅうの きょうもんを かき のせて あそばして そうろう.
上の 提婆品の 我於海中の 経文を・ かき のせて あそばして 候、.

しゃくの こころは いかに ひと もうすとも そくしんじょうぶつの ひとなくば もちゆべからずと かかせ たまえり.
釈の 心は・ いかに 人 申すとも 即身成仏の 人なくば 用ゆべからずと・ かかせ 給へり、.

いかにも じゅんえん いちじつの きょうに あらずば そくしんじょうぶつは あるまじき どうり あり.
いかにも 純円 一実の 経に あらずば 即身成仏は・ あるまじき 道理 あり、.

だいにちきょう こんごうちょうきょうとうの しんごんきょうには その ひと なし.
大日経・ 金剛頂経等の 真言経には 其の 人 なし・.

また きょうもんを みるに けん たん たい たいの むね ふんみょう なり.
又 経文を 見るに 兼・ 但・ 対・ 帯の 旨 分明 なり、.

2じょうじょうぶつ なし くおんじつじょう あとを けずる.
二乗成仏 なし 久遠実成 あとを けづる、.

じかく ちしょうは ぜんむい こんごうち ふくうさんぞうの しゃくに たぼらかされて おわするか.
慈覚・ 智証は 善無畏・ 金剛智・ 不空三蔵の 釈に たぼらかされて・ をはするか、.

この ひとびとは けんじん しょうにんとは おもえども.
此の 人人は 賢人・ 聖人とは・をもへども.

とおきを とおとんで ちかくを あなづる ひと なり.
遠きを 貴んで 近きを あなづる 人 なり、.

かの 3ぶきょうに いんと しんごんと あるに ばかされて.
彼の 三部経に 印と 真言と あるに・ ばかされて.

だいじの そくしんじょうぶつの みちを わすれたる ひとびと なり.
大事の 即身成仏の 道を わすれたる 人人 なり、.

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しかるを とうじ えいざんの ひとびと.
然るを 当時・ 叡山の 人人・.

ほけきょうの そくしんじょうぶつの ようを もうす よう なれども.
法華経の 即身成仏の やう を申す やう なれども.

じかくだいし あんねんらの そくしんじょうぶつの ぎ なり.
慈覚大師・ 安然等の 即身成仏の 義 なり、.

かの ひとびとの そくしんじょうぶつは うみょうむじつの そくしんじょうぶつ なり.
彼の 人人の 即身成仏は 有名無実の 即身成仏 なり.

そのぎ もっぱら でんぎょうだいしの ぎに そういせり.
其の義 専ら 伝教大師の 義に 相違せり、.

きょうだいしは ぶんだんの みを すてても すてずしても.
教大師は 分段の 身を 捨てても 捨てずしても.

ほけきょうの こころにては そくしんじょうぶつ なり.
法華経の 心にては 即身成仏 なり、.

かくだいしの ぎは ぶんだんの みを すつれば そくしんじょうぶつに あらずと おもわれたるが.
覚大師の 義は 分段の 身を すつれば 即身成仏に あらずと・ をもはれたるが・.

あえて そくしんじょうぶつの ぎを しらざる ひとびと なり.
あへて 即身成仏の 義を しらざる 人人 なり。.

もとめて いわく じかくだいしは でんぎょうだいしに あい たてまつりて ならい そうでん せり.
求めて 云く 慈覚大師は 伝教大師に 値い 奉りて 習い 相伝 せり・.

なんじは 400よねんの ねんきを へだてたり いかん.
汝は 四百余年の 年紀を へだてたり 如何、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

しの くちより つたうる ひと かならず あやまりなく のちに たずね.
師の 口より 伝うる 人 必ず あやまりなく 後に たづね・.


あきらめたる ひと おろそか ならば きょうもんを すてて 4えの ぼさつに つくべきか.
あきらめたる 人 をろそか ならば 経文を すてて 四依の 菩薩に つくべきか、.

ふぼの ゆずりじょうを すてて くでんを もちゆべきか.
父母の 譲り状を すてて 口伝を 用ゆべきか、.

でんぎょうだいしの おんしゃく むよう なり.
伝教大師の 御釈 無用 なり.

じかくだいしの くでん しんじつ なるべきか.
慈覚大師の 口伝 真実 なるべきか、.

でんぎょうだいしの しゅうくと もうす ごもんに いっさいきょうに なき ことを 10 いだされて そうろうに.
伝教大師の 秀句と 申す 御文に 一切経に なき 事を 十 いだされて 候に・.

だい8に そくしんじょうぶつ けどうしょうと かかれて つぎしもに.
第八に 即身成仏 化導勝と かかれて 次下に.

「まさに しるべし この もん じょうぶつする ところの ひとを とうて この きょうの いせいを あらわすなり.
「当に 知るべし 此の 文 成仏する 所の 人を 問うて 此の 経の 威勢を 顕すなり、.

ないし まさに しるべし たしゅう しょえの きょうには すべて そくしんにゅう なし」とう うんぬん.
乃至 当に 知るべし 他宗 所依の 経には 都て 即身入 無し」等 云云、.

この しゃくを そむきて かくだいしの じりぐみつの だいにちきょうの そくしんじょうぶつを もちゆべきか.
此の 釈を 背きて 覚大師の 事理倶密の 大日経の 即身成仏を 用ゆべきか。.

もとめて いわく.
求めて 云く.

きょうだいしの しゃくの なかに ぼだいしんろんの ゆいの じを もちいざる しゃく ありや いなや.
教大師の 釈の 中に 菩提心論の 唯の 字を 用いざる 釈 有りや 不や、.

こたえて いわく しゅうくに いわく.
答えて 云く 秀句に 云く.

「のうけ しょけ ともに りゃっこう なく みょうほう きょうりき そくしんじょうぶつ す」とう うんぬん.
「能化 所化 倶に 歴劫 無く 妙法 経力 即身成仏 す」等 云云、.

この しゃくは ぼだいしんろんの ゆいの じを もちいずと みえて そうろう.
此の 釈は 菩提心論の 唯の 字を 用いずと 見へて 候、.

とうて いわく.
問うて 云く.

ぼだいしんろんを もちいざるは りゅうじゅを もちいざるか.
菩提心論を 用いざるは 竜樹を 用いざるか.

こたえて いわく.
答えて 云く.

ただ おそらくは やくしゃの こくえ しじょうの こころ なり.
但 恐くは 訳者の 曲会 私情の 心 なり、.

うたがって いわく.
疑つて 云く.

やくしゃを もちいざれば ほけきょうの らじゅうをも もちゆ べからざるか.
訳者を 用いざれば 法華経の 羅什をも 用ゆ 可からざるか、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

らじゅうには げんしょう あり ふくうには げんしょう なし.
羅什には 現証 あり 不空には 現証 なし、.

とうて いわく そのしょう いかん.
問うて 云く 其の証 如何、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

したの やけざる しょうなり つぶさには きくべし.
舌の 焼けざる 証なり 具には 聞くべし、.

もとめて いわく かく しょうとうは この ことを しらざるか.
求めて 云く 覚・ 証等は 此の 事を 知らざるか、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

この りょうにんは むいとうの さんぞうを しんずる ゆえに でんぎょうだいしの せいぎを もちいざるか.
此の 両人は 無畏等の 三蔵を 信ずる 故に 伝教大師の 正義を 用いざるか、.

これ すなわち ひとを しんじて ほうを すてたる ひとびと なり.
此れ 則ち 人を 信じて 法を すてたる 人人 なり。.

とうて いわく
問うて 云く

にほんこくに いまだ かく しょう ねんとうを はしたる ひとを きかず いかん
日本国に いまだ 覚・ 証・ 然等を 破したる 人を きかず 如何、

こたえて いわく.
答えて 云く.

こうぼうだいしの もんけは かく しょうを もちゆべしや.
弘法大師の 門家は 覚・ 証を 用ゆべしや・.

かく しょうの もんけは こうぼうだいしを もちゆべしや.
覚・ 証の 門家は 弘法大師を 用ゆべしや。.

→a1258

b1259

とうて いわく.
問うて 云く.

りょうほうの ぎ そういすと いえども なんじが ぎの ごとく すいか ならず.
両方の 義 相違すと いへども 汝が 義の ごとく 水火 ならず.

ひぼう しょうほうとは いわず いかん.
誹謗 正法とは いわず 如何、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

ひぼう しょうほうとは その そうみょう いかん.
誹謗 正法とは 其の 相貌 如何・.

げどうが ぶっきょうを そしり しょうじょうが だいじょうを そしり.
外道が 仏教を そしり・ 小乗が 大乗を そしり・.

ごんだいじょうが じつだいじょうを くだし じつだいじょうが ごんだいじょうに ちからを あわせ.
権大乗が 実大乗を 下し・ 実大乗が 権大乗に 力を あわせ・.

せんずる ところは しょうを れつと いう.
詮ずる ところは 勝を 劣と いう・.

ほうに そむくが ゆえに ほうぼうとは もうすか.
法に そむくが ゆへに 謗法とは 申すか、.

こうぼうだいしの だいにちきょうを ほけきょう けごんきょうに すぐれたりと もうす しょうもん ありや.
弘法大師の 大日経を 法華経 華厳経に 勝れたりと 申す 証文 ありや、.

ほけきょうには けごんきょう だいにちきょう とうを くだす もん ふんみょう なり.
法華経には 華厳経・ 大日経 等を 下す 文 分明 なり、.

いわゆる いこんとうとう なり.
所謂 已今当等 なり、.

こうぼう とうとしと いえども しゃか たほう じっぽう ぶんしんの しょぶつに そむく.
弘法 尊しと 雖も 釈迦 多宝 十方 分身の 諸仏に 背く.

だいか まぬがれ がたし ことを けんもんに よせて.
大科 免れ 難し 事を 権門に 寄せて.

にちれんを おどさんより ただ ただしき もんを いだせ.
日蓮を をどさんより 但 正しき 文を 出だせ、.

なんだちは ひとを かとうどと せり.
汝等は 人を かたうどと せり・.

にちれんは にちがつ たいしゃく ぼんのうを かとうどと せん.
日蓮は 日月・ 帝釈・ 梵王を・ かたうどと せん、.

にちがつ てんげんを ひらいて ごらん あるべし.
日月・ 天眼を 開いて 御覧 あるべし、.

はたまた にちがつの きゅうでんには ほけきょうと だいにちきょうと けごんきょうと おわすと きょうしあわせて ごらん そうらえ.
将又 日月の 宮殿には 法華経と 大日経と 華厳経と をはすと・ けうしあわせて 御覧 候へ、.

こうぼう じかく ちしょう あんねんの ぎと にちれんが ぎとは いずれが すぐれて そうろう.
弘法・ 慈覚・ 智証・ 安然の 義と 日蓮が 義とは 何れが すぐれて 候、.

にちれんが ぎ もし 100 せんに ひとつも どうり かないて そうらわば.
日蓮が 義 もし 百 千に 一つも 道理に 叶いて 候はば・.

いかに たすけさせ たまわぬぞ.
いかに・ たすけさせ 給はぬぞ.

かの ひとびとの おんぎ もし じゃぎ ならば.
彼の 人人の 御義 もし 邪義 ならば・.

いかに にほんこくの いっさいしゅじょうの むげんの むくいを え そうらわんをば ふびんとは おぼせ そうらわぬぞ.
いかに 日本国の 一切衆生の 無眼の 報を へ 候はんをば 不便とは をぼせ 候はぬぞ。.

にちれんが 2どの るざい けっくは くびに およびしは.
日蓮が 二度の 流罪 結句は 頚に 及びしは.

しゃか たほう じっぽうの しょぶつの おんくびを きらんと する ひと ぞかし.
釈迦・ 多宝・ 十方の 諸仏の 御頚を 切らんと する 人 ぞかし.

にちがつは ひとりにて おわせども してんげの いっさいしゅじょうの まなこ なり いのち なり.
日月は 一人にて をはせども 四天下の 一切衆生の 眼 なり 命なり、.

にちがつは ぶっぽうを なめて いこう せいりきを まし たまうと みえて そうろう.
日月は 仏法を なめて 威光 勢力を 増し 給うと 見へて 候、.

ぶっぽうの あじわいを たがうる ひとは にちがつの おんちからを うばう ひと いっさいしゅじょうの かたきなり.
仏法の あぢわいを たがうる 人は 日月の 御力を うばう 人・ 一切衆生の 敵なり、.

いかに にちがつは ひかりを はなちて かれらが いただきを てらし.
いかに 日月は 光を 放ちて 彼等が 頂を てらし.

じゅみょうと いしょくとを あたえて やしない たまうぞ.
寿命と 衣食とを・ あたへて・ やしなひ 給うぞ、.

かの 3だいしの みでしらが ほけきょうを ひぼう するは.
彼の 三大師の 御弟子等が 法華経を 誹謗 するは.

ひとえに にちがつの おんこころを いれさせ たまいて ほうぜさせ たまうか.
偏に 日月の 御心を 入れさせ 給いて 謗ぜさせ 給うか、.

その ぎ なくして にちれんが ひがごと ならば.
其の 義 なくして 日蓮が・ ひが事 ならば.

にってんも しめし かれらにも しめしあわせ.
日天も しめし 彼等に もめしあはせ・.

その りに まけて ありとも その こころ ひるがえらずば.
其の 理に まけて ありとも 其の 心 ひるがへらずば・.

てんじゅをも めしとかれし.
天寿をも・ めしとれかし。.

その ぎは なくして ただ りふじんに.
其の 義は なくして ただ 理不尽に.

これらに さるの こを いぬに あずけ ねずみの こを ねこに たぶように.
彼等に さるの 子を 犬に あづけ ねづみの 子を 猫に たぶやうに・.

うちあずけて さんざんに せめさせ たまいて.
うちあづけて・ さんざんに せめさせ 給いて.

かれらを ばっし たまわぬ こと こころ えられず.
彼等を 罰し 給はぬ 事・ 心 へられず、.

にちれんは にちがつの おんためには おそらくは だいじの おんかたき なり.
日蓮は 日月の 御ためには・ をそらくは 大事の 御かたき なり、.

きょうしゅ しゃくそんの おんまえにて かならず うったえ もうすべし.
教主 釈尊の 御前にて・ かならず・ うたへ 申すべし、.

その とき うらみさせ たまうなよ.
其の 時 うらみさせ 給うなよ、.

にちがつに あらずとも ちじんも かいじんも きかれよ にほんの しゅごしんも きかるべし.
日月に あらずとも 地神も 海神も・ きかれよ 日本の 守護神も・きかるべし、.

あえて にちれんが こくいは なきなり.
あへて 日蓮が 曲意は なきなり、.

いそぎ いそぎ おんはからい あるべし.
いそぎ いそぎ 御計らい あるべし、.

ちちせさせ たまいて にちれんを うらみさせ たまうなよ.
ちちせさせ 給いて 日蓮を うらみさせ 給うなよ、.

なんみょうほうれんげきょう なんみょうほうれんげきょう きょうきょう.
南無妙法蓮華経・ 南無妙法蓮華経、 恐恐。.

7がつ 14にち にちれん かおう.
七月 十四日 日蓮 花押.

みょういちにょ ごへんじ.
妙一女 御返事.

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