b1276から1283.
教行証御書 (きょうぎょうしょう ごしょ).
日蓮大聖人 54歳 御作.

 

b1276

きょうぎょうしょう ごしょ.
教行証 御書.

ぶんえい 12ねん 3がつ 54さい おんさく.
文永 十二年 三月 五十四歳 御作.

あたう さんみぼう にっしん みのぶに おいて.
与 三位房 日進 於 身延.

それ しょうぞう 2000ねんに しょうじょう ごんだいじょうを じえして.
夫れ 正像 二千年に 小乗 権大乗を 持依して.

その こうを いれて しゅぎょう せしかば だいたい その やく あり.
其の 功を 入れて 修行 せしかば 大体 其の 益 有り.

しかりといえども かれがれの きょうぎょうを しゅぎょうせし ひとびとは.
然りと 雖も 彼れ彼れの 経経を 修行せし 人人は.

じえの きょうぎょうにして やくを うると おもえども.
自依の 経経にして 益を 得ると 思へども.

ほけきょうを もって その こころを さぐれば いちぶんの やく なし.
法華経を 以て 其の 意を 探れば 一分の 益 なし.

ゆえんは いかん.
所以は 何ん.

ほとけの ざいせにして ほけきょうに けつえん せしが.
仏の 在世にして 法華経に 結縁 せしが.

その きの じゅくひに より えんきじゅんじゅくの ものは ざいせにして ほとけに なれり.
其の 機の 熟否に 依り 円機純熟の 者は 在世にして 仏に 成れり.

こんきびれつの ものは しょうほうに たいてんして.
根機微劣の 者は 正法に 退転して.

ごんだいじょうきょうの じょうみょう しやく かんぎょう にんおう はんにゃきょう とうにして.
権大乗経の 浄名 思益 観経 仁王 般若経 等にして.

その しょうかを とれる こと ざいせの ごとし.
其の 証果を 取れる こと 在世の 如し.

されば しょうほうには きょうぎょうしょうの みつともに けんび せり.
されば 正法には 教行証の 三つ 倶に 兼備 せり.

ぞうほうには きょうぎょう のみ あって しょう なし.
像法には 教行 のみ 有つて 証 無し.

いま まっぽうに いりては きょう のみ あって ぎょうしょう なく.
今 末法に 入りては 教 のみ 有つて 行証 無く.

ざいせ けちえんの もの ひとりも なし.
在世 結縁の 者 一人も 無し.

ごんじつの にき ことごとく うせり.
権実の 二機 悉く 失せり.

この ときは じょくあくたる とうせいの ぎゃくぼうの ふたりに はじめて.
此の 時は 濁悪たる 当世の 逆謗の 二人に 初めて.

ほんもんの かんじん じゅりょうほんの なんみょうほうれんげきょうを もって げしゅと なす.
本門の 肝心 寿量品の 南無妙法蓮華経を 以て 下種と 為す.

「この よき りょうやくを いま とどめて これに おく.
「是の 好き 良薬を 今 留めて 此に 在く.

なんじ とって ふくすべし.
汝 取つて 服す可し.

いえじと うれうる なかれ」とは これなり.
差えじと 憂る 勿れ」とは 是なり.

むかし かこの いおんのうぶつの ぞうほうに さんぽうを しる ものひとりも なかりしに.
乃往 過去の 威音王仏の 像法に 三宝を 知る 者 一人も 無かりしに.

ふぎょうぼさつ しゅつげんして きょうしゅ とき おき たまいし にじゅうよじを.
不軽菩薩 出現して 教主 説き 置き 給いし 二十四字を.

いっさいしゅじょうに むかって となえしめしが ごとし.
一切衆生に 向つて 唱えしめしが ごとし.

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b1277

かの にじゅうよじを ききし ものは ひとりも なく.
彼の 二十四字を 聞きし 者は 一人も 無く.

また ふぎょうだいしに あって やくを えたり.
亦 不軽大士に 値つて 益を 得たり.

これ すなわち まえの もんぽうを げしゅと せし ゆえなり.
是れ 則ち 前の 聞法を 下種と せし 故なり.

いまも また かくの ごとし.
今も 亦 是くの 如し.

かれは ぞうほう これは じょくあくの まっぽう.
彼は 像法 此れは 濁悪の 末法.

かれは しょずいきの ぎょうじゃ これは みょうじの ぼんぷ.
彼は 初随喜の 行者 此れは 名字の 凡夫.

かれは にじゅうよじの げしゅ これは ただ ごじ なり.
彼は 二十四字の 下種 此れは 唯 五字 なり.

とくどうの じせつ ことなりと いえども じょうぶつの しょせんは ぜんたい これ おなじかるべし.
得道の 時節 異なりと 雖も 成仏の 所詮は 全体 是れ 同じかるべし.

とうて いわく かみに あぐる ところの しょうぞう まっぽうの きょうぎょうしょう かくべつ なり.
問うて 云く 上に 挙ぐる 所の 正像 末法の 教行証 各別 なり.

なんぞ みょうらくだいしは 「まっぽうの はじめ みょうり なきに あらず.
何ぞ 妙楽大師は 「末法の 初 冥利 無きに あらず.

しばらく だいきょうの りゅうこう すべき ときに よる」と しゃくし たもうや いかん.
且く 大教の 流行 すべき 時に 拠る」と 釈し 給うや 如何.

こたえて いわく とくいに いわく.
答えて 云く 得意に 云く.

しょうぞうに やくを えし ひとびとは けんやく なるべし.
正像に 益を 得し 人人は 顕益 なるべし.

ざいせ けちえんの じゅくせる ゆえに.
在世 結縁の 熟せる 故に.

いま まっぽうには はじめて げしゅ す.
今 末法には 初めて 下種 す.

みょうやく なるべし.
冥益 なるべし.

すでに しょうじょう ごんだいじょう にぜん しゃくもんの きょうぎょうしょうに にるべくも なし.
已に 小乗 権大乗 爾前 迹門の 教行証に 似るべくも なし.

まさに しょうかの もの これなし.
現に 証果の 者 之無し.

みょうらくの しゃくの ごとくんば みょうやく なれば ひと これを しらず.
妙楽の 釈の 如くんば 冥益 なれば 人 是を 知らず.

みざる なり.
見ざる なり.

とうて いわく まっぽうに かぎりて みょうやくと しる きょうもん これ ありや.
問うて 云く 末法に 限りて 冥益と 知る 経文 之 有りや.

こたえて いわく ほけきょう だいしち やくおうほんに いわく.
答えて 云く 法華経 第七 薬王品に 云く.

「この きょうは すなわち いえんぶだいの ひとの やまいの りょうやく なり.
「此の 経は 則ち 為閻浮提の 人の 病の 良薬 なり.

もし ひと やまい あらんに この きょうを きくことを えば やまいすなわち しょうめつして ふろうふし ならん」とう うんぬん.
若し 人 病 有らんに 是の 経を 聞くことを 得ば 病 即ち 消滅して 不老不死 ならん」等 云云.

みょうらくだいし いわく「しかも 500は しばらく おく いちおうに したがう.
妙楽大師 云く「然も 後の 五百は 且く 一往に 従う.

まつぽうの はじめ みょうり なきに あらず.
末法の 初 冥利 無きに あらず.

しばらく だいきょうの りゅうこう すべき ときに よるが ゆえに 500と いう」とう うんぬん.
且く 大教の 流行 す可き 時に 拠るが 故に 五百と 云う」等 云云.

とうて いわく なんじが ひく ところの きょうもん しゃくは まっぽうの はじめ 500に かぎると ききたり.
問うて 云く 汝が 引く 所の 経文 釈は 末法の 初 五百に 限ると 聞きたり.

ごんだいじょうきょう とうの しゅぎょうの じせつは なお まっぽう まんねんと いえり いかん.
権大乗経 等の 修行の 時節は 尚 末法 万年と 云へり 如何.

こたえて いわく ぜんしゃく すでに しょじゅういちおうと いえり.
答えて 曰く 前釈 已に 且従一往と 云へり.

さいおうは まっぽう まんねんの りゅうこう なるべし.
再往は 末法 万年の 流行 なるべし.

てんだいだいし かみの きょうもんを しゃくして いわく.
天台大師 上の 経文を 釈して 云く.

「ただ とうじ だいりやくを える のみに あらず.
「但 当時 大利益を 獲る のみに 非ず.

ごの 500さい とおく みょうどうに うるおわん」とう うんぬん.
後の 五百歳 遠く 妙道に 沾わん」等 云云.

これ まっぽう まんねんを させる きょうしゃくに あらずや.
是れ 末法 万年を 指せる 経釈に 非ずや.

ほけきょう だい6 ふんべつくどくほんに いわく.
法華経 第六 分別功徳品に 云く.

「あくせ まっぽうの とき よく この きょうを もてるもの」と あんらくぎょうほんに いわく.
「悪世 末法の 時 能く 是の 経を 持てる 者」と 安楽行品に 云く.

まつぽうの なかに おいて その きょうを とかんと ほっす とう うんぬん.
末法の 中に 於て 是の 経を 説かんと 欲す 等 云云.

これらは みな まつぽう まんねんと いう きょうもん なり.
此等は 皆 末法 万年と 云う 経文 なり.

かれがれの きょうぎょうの せつは しじゅうよねん みけんしんじつ なり.
彼れ 彼れの 経経の 説は 四十余年 未顕真実 なり.

あるいは けっしゅうしゃの こころに よるか えよう しがたし.
或は 結集者の 意に 拠るか 依用 し難し.

つたないかな しょしゅうの がくしゃ ほけきょうの げしゅを わすれ 3 5 じんてんの むかしを しらず.
拙いかな 諸宗の 学者 法華経の 下種を 忘れ 三 五 塵点の 昔を 知らず.

じゅんえんの みょうりを すてて また しょうじの くかいに しずまん ことよ.
純円の 妙経を 捨てて 亦 生死の 苦海に 沈まん 事よ.

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えんき じゅんじゅくの くにに しょうを うけて いたずらに むけんだいじょうに かえらん こと ふびんとも もうす ばかり なし.
円機 純熟の 国に 生を 受けて 徒に 無間大城に 還らんこと 不便とも 申す 許り 無し.

こんろんざんに いりし ものの ひとつの たまをも とらずして ひんごくに かえり.
崑崙山に 入りし 者の 一の 玉をも 取らずして 貧国に 帰り.

せんだんりんに いって せんぷくを ふまずして がりゃくの ほんごくにかえる ものに ことならず.
栴檀林に 入つて 瞻蔔を 蹈まずして 瓦礫の 本国に 帰る 者に 異ならず.

だいさんの まきに いわく「けこく より きたりて たちまち だいおうの ぜんに あうが ごとし」.
第三の 巻に 云く「飢国 より 来りて 忽ち 大王の 膳に 遇うが 如し」.

だいろくに いわく「わが この どは あんのん わが じょうどは こわれず」とう うんぬん.
第六に 云く「我が 此の 土は 安穏 我が 浄土は 毀れず」等云 云.

じょうに いわく なんもんに いわく.
状に 云く 難問に 云く.

にぜん とうぶんの とくどう とう うんぬん.
爾前 当分の 得道 等 云云.

ねはんぎょう だいさんに「ぜんなんし おうとうしゅうじゅう」の もんを たつべし.
涅槃経 第三に「善男子 応当修習」の 文を 立つ可し.

これを うけて ぐけつ だいさんに「しょいくおん ひつむだいしゃ」と えして.
之を 受けて 弘決 第三に 「所謂久遠 必無大者」と 会して.

「にぜんの しょきょうにして とくどう せしものは くおんの しょごうに よる なるべし」と いって.
「爾前の 諸経にして 得道せし 者は 久遠の 初業に 依る なるべし」と 云つて.

いちぶんの やく なき ことを じじょうして.
一分の 益 之 無き 事を 治定して.

そのご めつごの ぐきょうに おいても またまた かくの ごとく.
其の後 滅後の 弘経に 於ても 亦復 是くの 如く.

しょうぞうの とくやく しょうかの ひとは ざいせの けつえんに よるなるべし とう うんぬん.
正像の 得益 証果の 人は 在世の 結縁に 依る なるべし 等 云云.

また かれが なんども にぜんの とくどうを いわば.
又 彼が 何度も 爾前の 得道を 云はば.

むりょうぎきょうに しじゅうよねんの きょうぎょうを ほとけ われと みけんしんじつと とき たまえば.
無量義経に 四十余年の 経経を 仏 我れと 未顕真実と 説き 給へば.

われらが ごとく みょうじの ぼんぷは ぶっせつに よりて こそ じょうぶつを きすべく そうらえ.
我等が 如き 名字の 凡夫は 仏説に 依りて こそ 成仏を 期すべく 候へ.

にんしの ごんごは むよう なり.
人師の 言語は 無用 なり.

ねはんぎょうには えほうふえにんと とかれて おおいに せいせられて そうらえば なんど たてて.
涅槃経には 依法不依人と 説かれて 大に 制せられて 候へば なんど 立てて.

みけんしんじつと うちすて うちすて しょうじきしゃほうべん せそんほうくご なんどの きょうしゃくをば.
未顕真実と 打ち捨て 打ち捨て 正直捨方便 世尊法久後 なんどの 経釈をば.

ひして さう なく いだす べからず.
秘して 左右 無く 出す べからず.

また なんもんに いわく.
又 難問に 云く.

とくどうの しょせんは にぜんも ほけきょうも これ おなじ.
得道の 所詮は 爾前も 法華経も これ 同じ.

その ゆえは かんぎょうの おうじょう あるいは そのほか れいの ごとし とう うんぬんと たつべし.
其の 故は 観経の 往生 或は 其の外 例の 如し 等 云云と 立つ可し.

また みけんしんじつ そのほか たんにけみょうじ とう うんぬんと.
又 未顕真実 其の外 但 以仮名字 等 云云と.

また どうじの きょう ありと いわば ほっしほんの いこんとうの せつを もって えすべきなり.
又 同時の 経 ありと 云はば 法師品の 已今当の 説を もつて 会す可きなり.

げんぎの3 せんの3の もんを いだすべし.
玄義の三 籤の三の 文を 出す可し.

きょうしゃく よくよく りょうけんして ひすべし.
経釈 能く能く 料簡して 秘す可し.

いちじょうに いわく しんごんしゅう とう うんぬん.
一状に 云く 真言宗 等 云云.

こたう かれが たつる ところの ごとき こうぼうだいしの けろん むみょうの へんいき.
答う 彼が 立つる 所の 如き 弘法大師の 戯論 無明の 辺域.

いずれの きょうもんに よるやと いって かの えきょうを ひかば いうべし.
何れの 経文に 依るやと 云つて 彼の 依経を 引かば 云うべし.

だいにちにょらいは さんぜの しょぶつの なかには いずれぞやと いって.
大日如来は 三世の 諸仏の 中には 何れぞやと 云つて.

ぜんむいさんぞう こんごうち とうの いつわりをば なんじは しれるやと いって.
善無畏三蔵 金剛智 等の 偽りをば 汝は 知れるやと 云つて.

そのご いちぎょうひつじゅの そうじょうを たつべし.
其の後 一行筆受の 相承を 立つ可し.

だいにちきょうには いちねんさんぜん あとを けずれり.
大日経には 一念三千 跡を 削れり.

かんどにて いつわりし なり.
漢土にして 偽りし なり.

なかんずく びゃっけん あり.
就中 僻見 有り.

びるの ちょうじょうを ふむ しょうもんは さんぜの しょぶつの しょせつに これ ありや.
毘盧の 頂上を 蹈む 証文は 三世の 諸仏の 所説に 之 有りや.

そのご かれ いわく とう うんぬん.
其の後 彼 云く 等 云云.

→a1278

b1279

たつべし だいまんばらもんが こうざの あし とう うんぬん.
立つ可し 大慢婆羅門が 高座の 足 等 云云.

かれこれ かくの ごとき しだい いかなる きょうもん ろんぶんに これを いだすやと とう うんぬん.
彼れ此れ 是くの 如き 次第 何なる 経文 論文に 之を 出すやと 等云云.

そのほか つねに おしえし ごとく もんどう たいろん あるべし.
其の外 常に 教へし 如く 問答 対論 あるべし.

たとい いかなる しゅう なりとも しんごんしゅうの ほうもんを いわば しんごんの びゃっけんを せむべく そうろう.
設ひ 何なる 宗 なりとも 真言宗の 法門を 云はば 真言の 僻見を 責む可く 候.

つぎに ねんぶつの どんらんほっしの なんぎょう いぎょう どうしゃくが しょうどう じょうど.
次に 念仏の 曇鸞法師の 難行 易行、道綽が 聖道 浄土.

ぜんどうが ぞうぎょう しょうぎょう ほうねんが しゃへいかくほうの もん.
善導が 雑行 正行、法然が 捨閉閣抛の 文.

これらの ほんきょう ほんろんを たずぬべし.
此等の 本経 本論を 尋ぬべし.

きょうに おいて ごんじつの にきょう あること れいの ごとし.
経に 於て 権実の 二経 有ること 例の 如し.

ろんに おいても また つうべつの にろん あり.
論に 於ても 又 通別の 二論 有り.

こくびゃくの にろん あること ふかく ならうべし.
黒白の 二論 有ること 深く 習うべし.

かの えきょうの じょうどさんぶきょうの なかに かくの ごとき とうの しょせつ ありや.
彼の 依経の 浄土三部経の 中に 是くの 如き 等の 所説 ありや.

また ひとごとに ねんぶつ あみだ とう これを さんす また まえの ごとし.
又 人毎に 念仏 阿弥陀 等 之を 讃す 又 前の 如し.

しょせん わかん りょうごくの ねんぶつしゅう ほけきょうを なんぎょう なんど しゃへいかくほう する ほんきょう ほんろんを たずぬべし.
所詮 和漢 両国の 念仏宗、法華経を 雑行 なんど 捨閉閣抛 する 本経 本論を 尋ぬべし.

もし たしかなる きょうもん なくんば かくの ごとく.
若し 慥なる 経文 なくんば 是くの 如く.

ごんきょう より じっきょうを ぼうずるの かざい.
権経 より 実経を 謗ずるの 過罪.

ほけきょうの ひゆほんの ごとくんば あびだいじょうに だらくして てんでん.
法華経の 譬喩品の 如くば 阿鼻大城に 堕落して 展転.

むすうこうを けいれきし たまわんずらん.
無数劫を 経歴し 給はんずらん.

かの しゅうの びゃくみょうを ほんとして この さんぜしょぶつの かいぜしんじつの きょうもんを すつる.
彼の 宗の 僻謬を 本として 此の 三世諸仏の 皆是真実の 証文を 捨つる.

その つみ まことと しょにんに ひょうばん せさすべし.
其の 罪 実と 諸人に 評判 せさす べし.

こころ あらん ひと だれか じっぴを けっせざらんや.
心 有らん 人 誰か 実否を 決せざらんや.

しかして のちに かの しゅうの にんしを あながちに はすべし.
而して 後に 彼の 宗の 人師を 強に 破すべし.

いっきょうの くいぜを みて まんぎょうの しょうれつを しらざる こと みれん なるものかな.
一経の 株を 見て 万経の 勝劣を 知らざる 事 未練 なる者かな.

そのうえ われと み あきらめずとも しゃくそん ならびに たほう ぶんしんの しょぶつ じょうばんし たまえる きょうもん.
其の上 我と 見 明らめずとも 釈尊 並びに 多宝 分身の 諸仏の 定判し 給へる 経文.

ほけきょう ばかり かいぜしんじつ なるを ふしんじつ みけんしんじつを いけんしんじつと ひがめる まなこは.
法華経 許り 皆是真実 なるを 不真実、未顕真実を 已顕真実と 僻める 眼は.

ぎゅうようの しょけんにも おとれる ものなるべし.
牛羊の 所見にも 劣れる 者なるべし.

ほっしほんの いこんとう むりょうぎきょうの りゃっこうしゅぎょう みけんしんつ いかなる ことぞや.
法師品の 已今当 無量義経の 歴劫修行 未顕真実 何なる 事ぞや.

50よねんの しょきょうの しょうれつ ぞかし.
五十余年の 諸経の 勝劣 ぞかし.

しょきょうの しょうれつは じょうぶつの うむ なり.
諸経の 勝劣は 成仏の 有無 なり.

じかくちしょうの りどうじしょうの まなこ ぜんどうほうねんの よぎょうひきの め.
慈覚 智証の 理同事勝の 眼 善導法然の 余行非機の 目.

ぜんしゅうが きょうげべつでんの しょけんは とうざいどうてんの がんもく なんぼくふべんの もうけん なり.
禅宗が 教外別伝の 所見は 東西動転の 眼目 南北不弁の 妄見 なり.

ぎゅうよう よりも おとり へんぷくちょうにも ことならず.
牛羊 よりも 劣り 蝙蝠鳥にも 異ならず.

えほうふえにんの きょうもん きぼうしきょうの もんをば いかに おそれさせ たまわざるや.
依法不依人の 経文 毀謗此経の 文をば 如何に 恐れさせ 給はざるや.

あっきにゅうごしんして むみょうの あくしゅに よい しずみ たもうらん.
悪鬼入其身して 無明の 悪酒に 酔ひ 沈み 給うらん.

いっさいは げんしょうには しかず.
一切は 現証には 如かず.

ぜんむい いちぎょうが おうなん おうし こうぼう じかくが しきょの ありさま.
善無畏 一行が 横難 横死、弘法 慈覚が 死去の 有様.

まことに しょうほうの ぎょうじゃ かくの ごとくに あるべく そうろうや.
実に 正法の 行者 是くの 如くに 有るべく 候や.

かんぶつそうかいきょう とうの しょきょう ならびに りゅうじゅぼさつのろんぶん いかんが そうろうや.
観仏相海経 等の 諸経 並びに 竜樹菩薩の 論文 如何が 候や.

いちぎょうぜんじの ひつじゅの もうご ぜんむいの たばかり.
一行禅師の 筆受の 妄語 善無畏の たばかり.

こうぼうの けろん じかくの りどうじしょう どんらん どうしゃくが よぎょうひき.
弘法の 戯論 慈覚の 理同事勝 曇鸞道綽が 余行非機.

かくの ごとき ひとびとの しょけんは ごんきょうごんしゅうの こもうの ぶっぽうの ならいにてや そうろうらん.
是くの 如き 人人の 所見は 権経権宗の 虚妄の 仏法の 習いにてや 候らん.

→a1279

b1280

それほどに うらやましくも なき しきょにて そうろうぞやと.
それほどに 浦山敷も なき 死去にて 候ぞやと.

やわらかに また つよく りょうがんを ほそめに み.
和らかに 又 強く 両眼を 細めに 見.

がんぼうに いろを ととのえて しずかに ごんじょう すべし.
顔貌に 色を 調へて 閑に 言上 すべし.

じょうに いわく かれ これの きょうぎょう とくやくの かずを あぐとう うんぬん.
状に 云く 彼 此の 経経 得益の 数を 挙ぐ 等 云云.

これ ふそくに そうろうと まず のぶべし.
是れ 不足に 候と 先ず 陳ぶべし.

そのご なんじらが しゅうじゅうの えきょうに さんぶつの しょうじょう これ ありや.
其の後 汝等が 宗宗の 依経に 三仏の 証誠 之 有りや.

いまだ きかず よも たほう ぶんしんは おんきたり そうらわじ.
未だ 聞かず よも 多宝 分身は 御来り 候はじ.

この ほとけは ほけきょうに きたり たまいし あいだ いちぶつ にごんは はやわか おわし そうろう べきと.
此の 仏は 法華経に 来り 給いし 間 一仏 二言 はやはか 御坐 候べきと.

つぎに ろくなんくい いかなる きょうの もんに これ ありや.
次に 六難九易 何なる 経の 文に 之 有りや.

もし ほとけ めつごの ひとびとの ぎきょうは しらず.
若し 仏 滅後の 人人の 偽経は 知らず.

しゃくそんの じっせつ 50ねんの せっぽうの うちには いちじ いっくも あるべからず そうろうなんど たつべし.
釈尊の 実説 五十年の 説法の 内には 一字 一句も 有るべからず 候なんど 立つ可し.

500じんてんの けんぽん これ ありや.
五百塵点の 顕本 之 有りや.

3000じんてんの けつえん せっぽう ありや.
三千塵点の 結縁 説法 ありや.

いちねんしんげ 50てんでんの くどく いかなる きょうもんに とき たまえるや.
一念信解 五十展転の 功徳 何なる 経文に 説き 給へるや.

かの よきょうには 1 2 3 ないし 10くどく すら これなし.
彼の 余経には 一 二 三 乃至 十功徳 すら 之無し.

50てんでん までは よも とき たまい そうらわじ.
五十展転 までは よも 説き 給い 候はじ.

よきょうには 1 2の じんじゅを あげず.
余経には 一 二の 塵数を 挙げず.

いかに いわんや 500 3000をや.
何に 況や 五百 三千をや.

にじょうの じょうふじょう りゅうちく げせんの そくしんじょうぶつ いまの きょうに かぎれり.
二乗の 成不成 竜畜 下賤の 即身成仏 今の 経に 限れり.

けごん はんにゃ とうの しょだいじょうきょうに これ ありや.
華厳 般若 等の 諸大乗経に 之 有りや.

にじょうさぶつは はじめて こんきょうに あり.
二乗作仏は 始めて 今経に 在り.

よも てんだいだいし ほどの めいてつ こうぼうじかくの ごとき むもんむぎの いつわりは.
よも 天台大師 程の 明哲の 弘法慈覚の 如き 無文無義の 偽りは.

おわし たまわじと われらは おぼえ そうろうぞ.
おはし 給はじと 我等は 覚え 候.

また あくにんの だいば てんどうこくの じょうどう.
又 悪人の 提婆 天道国の 成道.

ほけきょうに ならびて いかなる きょうにか これ ありや.
法華経に 並びて 何なる 経にか 之 有りや.

しかりと いえども まんの なんを さしおいて いかなる きょうにか じっぽうかいの かいえ とう そうもくじょうぶつ これ ありや.
然りと 雖も 万の 難を 閣いて 何なる 経にか 十法界の 開会 等 草木成仏 之 有りや.

てんだい みょうらくの むひちゅうどう わくにきょうしんの しゃくは.
天台 妙楽の 無非中道 惑耳驚心の 釈は.

じかく ちしょうの りどう じしょうの いけんに これを るいすべく そうろうや.
慈覚 智証の 理同事勝の 異見に 之を 類す可く 候や.

すでに てんだい とうは さんごく でんとうの にんし ふげん かいはつの しょうし てんしん はつめいの ごんじゃ なり.
已に 天台 等は 三国 伝灯の 人師 普賢 開発の 聖師 天真 発明の 権者 なり.

あに きょうろん なきことを いつわり しゃくし たまわんや.
豈 経論に なき事を 偽り 釈し 給はんや.

かれがれの きょうぎょうに いかなる いちだいじか これ あるや.
彼れ彼れの 経経に 何なる 一大事か 之 有るや.

この きょうには 20の だいじ あり.
此の 経には 二十の 大事 あり.

なかんずく 500じんてん けんぽんの じゅりょうに いかなる ことを とき たまえるとか ひとびとは おぼしめし そうろう.
就中 五百塵点 顕本の 寿量に 何なる 事を 説き 給へるとか 人人は 思召し 候.

われらが ごとき ぼんぷ むし いらい しょうじの くていに ちんりんして.
我等が 如き 凡夫 無始 已来 生死の 苦底に 沈淪して.

ぶつどうの ひがんを ゆめにも しらざりし しゅじょうかいを むさほんがくの さんじんと なし.
仏道の 彼岸を 夢にも 知らざりし 衆生界を 無作本覚の 三身と 成し.

じつに いちねんさんぜんの ごくりを とく なんど せんじんを たつべし.
実に 一念三千の 極理を 説く なんど 浅深を 立つべし.

ただし こうじょう ならば しかるべし.
但し 公場 ならば 然るべし.

わたくしに もんちゅう すべからず.
私に 問註 すべからず.

たしかに この ほうもんは なんじらが ごとき ものは ひとごとに ざごとに ひごとに.
慥に 此の 法門は 汝等が 如き 者は 人毎に 座毎に 日毎に.

だんずべくんば さんぜしょぶつの おんばつを こうむるべきなり.
談ずべくんば 三世諸仏の 御罰を 蒙るべきなり.

にちれん こしょうなりと つねに もうせし これなり.
日蓮 己証なりと 常に 申せし 是なり.

だいにちきょうに これ ありや.
大日経に 之 有りや.

じょうどさんぶきょうの じょうぶついらい ぼんりゃく じっこう これに るいす べきや なんど.
浄土三部経の 成仏已来 凡歴 十劫 之に 類す 可きや なんど.

ぜんごの もん みだれず いちいちに えすべし.
前後の 文 乱れず 一一に 会す可し.

そのご また いうべし.
其の後 又 云うべし.

しょにんは すいりょうも そうらえ.
諸人は 推量も 候へ.

かくの ごとく いみじき おんきょうにして そうらえば こそ たほう えんらいして しょうじょうを くわえ.
是くの 如く いみじき 御経にて 候へば こそ 多宝 遠来して 証誠を 加え.

ぶんしん らいしゅうして さんぶつの おんしたを ぼんてんに つけ.
分身 来集して 三仏の 御舌を 梵天に 付け.

ふこもうとは ののしらせ たまいしか.
不虚妄とは 罵しらせ 給いしか.

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じゆ せんがい しゅつげんして じょくあく まつだいの とうせいに.
地涌 千界 出現して 濁悪 末代の 当世に.

べつふぞくの みょうほうれんげきょうを いちえんぶだいの いっさいしゅじょうに とりつぎ たもうべき ほとけの ちょくし なれば.
別付属の 妙法蓮華経を 一閻浮提の 一切衆生に 取り次ぎ 給うべき 仏の 勅使 なれば.

80まんおくの しょだいぼさつをば やみね ぜんなんしと きらわせ たまいしか とう うんぬん.
八十万億の 諸大菩薩をば 止 善男子と 嫌はせ 給しか 等 云云.

また かの じゃしゅうの ものどもの ならいとして あながちに しょうもんを たづぬること これあり.
又 彼の 邪宗の 者どもの 習いとして 強に 証文を 尋ぬる事 之有り.

ゆじゅっぽん ならびに もんぐの くきの 9の ぜん3 ご3の しゃくを いだすべし.
涌出品 並びに 文句の 九記の 九の 前三 後三の 釈を 出すべし.

ただ にちれんが もんけの だいじ これに しかず.
但 日蓮が 門家の 大事 之に 如かず.

また しょしゅうの ひと だいろんの じほうあいぜんの もんを もんなん とせば.
又 諸宗の 人 大論の 自法愛染の 文を 問難 とせば.

だいろんの たてばを たずねて のち しゅうごんぼうじつの かざいをばりゅうじゅは ぞんち なく そうらいけるか.
大論の 立所を 尋ねて 後 執権謗実の 過罪をば 竜樹は 存知 無く 候いけるか.

「よきょうは ひみつに あらず ほっけ これ ひみつ」と おおせられ.
「余経は 秘密に 非ず 法華 是れ 秘密」と 仰せられ.

ひにょだいやくしと この きょう ばかり じょうぶつの しゅしと さだめて.
譬如大薬師と 此の 経 計り 成仏の 種子と 定めて.

また くいかえして 「じほうあいぜん ふめんだあくどう」と おおせられ そうろうべきか.
又 悔い返して 「自法愛染、不免堕悪道」と 仰せられ 候べきか.

さであらば ぶつごには 「しょうじきしゃほうべん ふじゅよきょういちげ」なんど.
さで有らば 仏語には 「正直捨方便 不受余経一偈」 なんど.

ほけきょうの じつごには おおいに いはい せり.
法華経の 実語には 大に 違背 せり.

よも さにては そうらわじ.
よも さにては 候はじ.

もし まっぽうの とうせい じこく そうおうせる ほけきょうを ぼうじたる こうぼう どんらん なんどを.
若し 末法の 当世 時剋 相応せる 法華経を 謗じたる 弘法 曇鸞 なんどを.

ふほうぞうの ろんし しゃくそんの ごきもんに わたらせ たもう ぼさつ なれば.
付法蔵の 論師 釈尊の 御記文に わたらせ 給う 菩薩 なれば.

かんちしてや しるせられたる ろんぶん なるらん.
鑒知してや 記せられたる 論文 なるらん.

おぼつかなし なんど あざむくべし.
覚束無し なんど あざむくべし.

ほへんや ふめんだあくどうの まつがく なるらん.
御辺や 不免堕悪道の 末学 なるらん.

いたわしく そうろう.
痛敷 候.

みらいむすうこうの にんずうにてや あるらんと たつべし.
未来無数劫の 人数にてや 有るらんと 立つ可し.

また りっしゅうの りょうかんが いわく.
又 律宗の 良観が 云く.

ほうこうじどのへ そじょうを たてまつる.
法光寺殿へ 訴状を 奉る.

その じょうに いわく にんしょう としごろ なげいて いわく.
其の 状に 云く 忍性 年来 歎いて 云く.

とうせい にちれんほっしと いえるもの よに あり.
当世 日蓮法師と 云える者 世に 在り.

さいかいは だごくす うんぬん.
斎戒は 堕獄す 云云.

しょせん いかなる きょうろんに これ ありや.
所詮 何なる 経論に 之 有りや.

また いわく とうせい にほんこく じょうげ だれか ねんぶつ せざらん.
又 云く 当世 日本国 上下 誰か 念仏 せざらん.

ねんぶつは むけんの ごうと うんぬん.
念仏は 無間の 業と 云云.

これ いかなる きょうもんぞや.
是れ 何なる 経文ぞや.

たしかなる しょうもんを にちれんぼうに たいして これを きかん.
慥なる 証文を 日蓮房に 対して 之を 聞かん.

そうじて これていの にぜん とくどうの うむの ほうもん ろっかじょう うんぬん.
総じて 是体の 爾前 得道の 有無の 法門 六箇条 云云.

しかるに すいちするに ごくらくじりょうかんが いぜんの ごとく.
然るに 推知するに 極楽寺良観が 已前の 如く.

にちれんに あいおうて しゅうろん あるべきの よし ののしる こと これ あらば.
日蓮に 相値うて 宗論 有る可きの 由 罵る 事 之 有らば.

めやすを あげて ごくらくじに たいして もうすべし.
目安を 上げて 極楽寺に 対して 申すべし.

それがしの し にて そうろう ものは いぬる ぶんえい 8ねんに ごかんきを こうむり さしゅうへ うつされ たもうて のち.
某の 師 にて 候 者は 去る 文永 八年に 御勘気を 蒙り 佐州へ 遷され 給うて 後.

おなじき ぶんえい 11ねん しょうがつの ころ ごめんきょを こうむり かまくらへ かえる.
同じき 文永 十一年 正月の 比 御免許を 蒙り 鎌倉に 帰る.

そのご へいのきんごに たいして ようようの しだい もうし ふくませ たまいて.
其の後 平金吾に 対して 様様の 次第 申し 含ませ 給いて.

かいのくにの しんざんに とじこもらせ たまいて のちは.
甲斐の国の 深山に 閉籠らせ 給いて 後は.

いかなる しゅじょう にょいんの ぎょい たりと いえども.
何なる 主上 女院の 御意 たりと 云えども.

やまのうちを いで しょしゅうの がくしゃに ほうもん ある べからざる よし おおせ そうろう.
山の内を 出で 諸宗の 学者に 法門 ある べからざる 由 仰せ 候.

したがって その でしに じゃくはいの ものにて そうらえども.
随つて 其の 弟子に 若輩の ものにて 候へども.

しの にちれんの ほうもん きゅうぎゅうが いちもうをも まなび およばず そうろうと いえども.
師の 日蓮の 法門 九牛が 一毛をも 学び 及ばず 候と いへども.

ほけきょうに ついて ふしん ありと おおせらるる ひと わたらせ たまわば.
法華経に 付いて 不審 有りと 仰せらるる 人 わたらせ 給はば.

ぞんじ そうろう なんど いって そのごは ずいもんにとうの ほうもん もうすべし.
存じ 候 なんど 云つて 其の後は 随問而答の 法門 申す可し.

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また ぜん ろっかじょうの いちいちの なんもん かねがね もうせしが ごとく.
又 前 六箇条 一一の 難問 兼兼 申せしが 如く.

にちれんが でし とうは おくびょうにては かなうべからず.
日蓮が 弟子 等は 臆病にては 叶うべからず.

かれがれの きょうぎょうと ほけきょうと しょうれつ せんじん じょうぶつ ふじょうぶつを はんぜん とき.
彼れ彼れの 経経と 法華経と 勝劣 浅深 成仏 不成仏を 判ぜん 時.

にぜん しゃくもんの しゃくそん なりとも ものの かず ならず.
爾前 迹門の 釈尊 なりとも 物の 数 ならず.

いかに いわんや その いげの とうかくの ぼさつをや.
何に 況や 其の 以下の 等覚の 菩薩をや.

まして ごんしゅうの ものどもをや.
まして 権宗の 者どもをや.

ほけきょうと もうす だいぼんのうの くらいにて たみとも くだし きちく なんどと くだしても.
法華経と 申す 大梵王の 位にて 民とも 下し 鬼畜 なんどと 下しても.

その とが あらんやと こころを えて しゅうろん すべし.
其の 過 有らんやと 意を 得て 宗論 すべし.

また かの りっしゅうの ものどもが はかい なる こと やまかわの くずるる よりも なお むかい なり.
又 彼の 律宗の 者どもが 破戒 なる 事 山川の 頽るる よりも 尚 無戒 なり.

じょうぶつ までは おもいも よらず にんてんの しょうを うくべしや.
成仏 までは 思もよらず 人天の 生を 受くべしや.

みょうらくだいし いわく 「もし いっかいを たもてば にんちゅうに しょうずる ことを う.
妙楽大師 云く 「若し 一戒を 持てば 人中に 生ずる ことを 得.

もし いっかいを やぶれば かえって さんずに だす」と.
若し 一戒を 破れば 還て 三途に 堕す」と.

そのほか さいほうきょう しょうほうねんきょう とうの せいほう あごんきょう とうの だいしょうじょうきょうの さいほう さいかい.
其の外 斎法経 正法念経 等の 制法 阿含経 等の 大小乗経の 斎法 斎戒.

いまほどの りっしゅう にんしょうが いっとう だれか いっかいをも たもてる.
今程の 律宗 忍性が 一党 誰か 一戒をも 持てる.

げんださんずは うたがい なし.
還堕三途は 疑 無し.

もしは むけんじごくにや おちんずらん.
若しは 無間地獄にや 落ちんずらん.

ふびん なんど たてて ほうとうほんの じかいぎょうじゃと これを ののしるべし.
不便 なんど 立てて 宝塔品の 持戒行者と 是を 罵しるべし.

そのご ややあって この ほけきょうの ほんもんの かんじん みょうほうれんげきょうは.
其の後 良有つて 此の 法華経の 本門の 肝心 妙法蓮華経は.

さんぜの しょぶつの まんぎょう まんぜんの くどくを あつめて 5じと なせり.
三世の 諸仏の 万行 万善の 功徳を 集めて 五字と 為せり.

この 5じの なかに あに まんかいの くどくを おさめざらんや.
此の 五字の 内に 豈 万戒の 功徳を 納めざらんや.

ただし この ぐそくの みょうかいは いちど たもって のち ぎょうじゃ やぶらんと すれど やぶれず.
但し 此の 具足の 妙戒は 一度 持つて 後 行者 破らんと すれど 破れず.

これを こんごうほうきかいとや もうしけん なんど たつべし.
是を 金剛宝器戒とや 申しけん なんど 立つ可し.

さんぜの しょぶつは この かいを たもって ほっしん ほうしん おうじん なんど.
三世の 諸仏は 此の 戒を 持つて 法身 報身 応身 なんど.

いずれも むしむしゅうの ほとけに ならせ たもう.
何れも 無始無終の 仏に 成らせ 給ふ.

これを 「しょきょうの なかに おいて これを ひして つたえず」とは てんだいだいしは かきた まえり.
此れを 「諸教の 中に 於て 之を 秘して 伝へず」とは 天台大師は 書き 給へり.

いま まっぽう とうせいの うち むち ざいけ しゅっけ じょうげ ばんにん.
今 末法 当世の 有智 無智 在家 出家 上下 万人.

この みょうほうれんげきょうを たもって せつの ごとく しゅぎょうせんに.
此の 妙法蓮華経を 持つて 説の 如く 修行せんに.

あに ぶっかを えざらんや.
豈 仏果を 得ざらんや.

さてこそ けつじょうむうぎとは めつご じょくあくの ほけきょうの ぎょうじゃを じょうはん せさせ たまえり.
さてこそ 決定無有疑とは 滅後濁悪の 法華経の 行者を 定判 せさせ 給へり.

さんぶつの じょうはんに もれたる ごんしゅうの ひとびとは けつじょうして むけん なるべし.
三仏の 定判に 漏れたる 権宗の 人人は 決定して 無間 なるべし.

かくの ごとく いみじき かい なれば にぜん しゃくもんの しょかいは いま いちぶんの くどく なし.
是くの 如く いみじき 戒 なれば 爾前 迹門の 諸戒は 今 一分の 功徳 なし.

くどく なからんに いちにちの さいかいも むよう なり.
功徳 無からんに 一日の 斎戒も 無用 なり.

ただ この ほんもんの かいを ひろまらせ たまわんには かならず ぜんだいみもんの だいずい あるべし.
但 此の 本門の 戒を 弘まらせ 給はんには 必ず 前代未聞の 大瑞 あるべし.

いわゆる しょうかの ちどう ぶんえいの ちょうせい これなるべし.
所謂 正嘉の 地動 文永の 長星 是なるべし.

そもそも とうせいの ひとびと いずれの しゅうじゅうにか ほんもんの ほんぞん かいだん とうを ぐつう せる.
抑 当世の 人人 何の 宗宗にか 本門の 本尊 戒壇 等を 弘通 せる.

ほとけ めつご 2220よねんに ひとりも そうらわず.
仏 滅後 二千二百二十余年に 一人も 候はず.

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b1283

にほん にんのう 30だい きんめいてんのうの ぎょうに ぶっぽう わたって.
日本 人王 三十代 欽明天皇の 御宇に 仏法 渡つて.

いまに 700よねん ぜんだいみもんの だいほう この くにに るふして.
今に 七百余年 前代未聞の 大法 此の 国に 流布して.

がっし かんど いちえんぶだいの うちの いっさいしゅじょう ほとけに なるべき ことこそ ありがたけれ ありがたけれ.
月氏 漢土 一閻浮提の 内の 一切衆生 仏に 成るべき 事こそ 有り難けれ 有り難けれ.

また いぜんの じゅう まっぽうには きょうぎょうしょうの みっつ ともに そなわれり.
又 已前の 重 末法には 教行証の 三つ 倶に 備われり.

れいせば しょうほうの ごとし とう うんぬん.
例せば 正法の 如し 等 云云.

すでに じゆの だいぼさつ じょうぎょう いでさせ たまいぬ.
已に 地涌の 大菩薩 上行 出でさせ 給いぬ.

けっちょうの だいほう また ひろまらせ たもうべし.
結要の 大法 亦 弘まらせ 給うべし.

にほん かんど ばんこくの いっさいしゅじょうは こんりんじょうおうの しゅつげんの せんちょうの うどんげに あえる なるべし.
日本 漢土 万国の 一切衆生は 金輪聖王の 出現の 先兆の 優曇華に 値える なるべし.

ざいせ 42ねん ならびに ほけきょうの しゃくもん 14ほんに これをひして.
在世 四十二年 並びに 法華経の 迹門 十四品に 之を 秘して.

とかせ たまわざりし だいほう ほんもん しょうしゅうに いたって とき あらわし たもうのみ.
説かせ 給はざりし 大法 本門 正宗に 至つて 説き 顕し 給うのみ.

りょうかんぼうが ぎに いわく.
良観房が 義に 云く.

かの りょうかんが にちれん おんごくへ げこうと きく ときは.
彼の 良観が 日蓮 遠国へ 下向と 聞く 時は.

しょにんに むかって いそぎいそぎ かまくらへ のぼれかし.
諸人に 向つて 急ぎ急ぎ 鎌倉へ 上れかし.

ために しゅうろんを とげて しょにんの ふしんを はらさん なんど .
為に 宗論を 遂げて 諸人の 不審を 晴さん なんど.

じさんきた するよし その きこえ そうろう.
自讃毀他 する由 其の 聞え 候.

これらも かいほうにてや あらん.
此等も 戒法にてや 有らん.

あながちに たずぬべし.
強に 尋ぬ可し.

また にちれん かまくらに まかり のぼる ときは もんこを とじて うちへ いるべからずと これを せいほうし.
又 日蓮 鎌倉に 罷 上る 時は 門戸を 閉じて 内へ 入るべからずと 之を 制法し.

あるいは かぜけなんど けびょうして まかりすぎぬ.
或は 風気なんど 虚病して 罷り過ぎぬ.

それがしは にちれんに あらず.
某は 日蓮に 非ず.

その でしにて そうろうまま すこし ことばの なまり.
其の 弟子にて 候まま 少し 言の なまり.

ほうもんの さいかくは みだれがわしくとも りっしゅう こくぞく かわる べからずと いうべし.
法門の 才覚は 乱れがはしくとも 律宗 国賊 替る べからずと 云うべし.

こうじょうにして りうんの ほうもん もうし そうらえばとて.
公場にして 理運の 法門 申し 候へばとて.

ぞうげん ごうげん じさんげなる てい ひとめに みす べからず.
雑言 強言 自讃気なる 体 人目に 見す べからず.

あさましき ことなるべし.
浅マしき 事なるべし.

いよいよ しんくいを ととのえ つつしんで しゅじんに むかうべし しゅじんに むかうべし.
弥 身口意を 調え 謹んで 主人に 向うべし 主人に 向うべし.

3がつ 21にち.
三月 二十一日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

さんみぼうあじゃり ごぼうへ これを つかわす.
三位阿闍梨 御房へ 之を 遣はす.

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