b1307から1308.
阿仏房尼御前御返事(あぶつぼう あまごぜん ごへんじ).
日蓮. 聖人 54歳御作.

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b1307

あぶつぼう あまごぜん ごへんじ.
阿仏房 尼御前 御返事.

けんじ がんねん 9がつ 3か 54さい おんさく.
建治 元年 九月 三日 五十四歳 御作.

あたう せんにちあま.
与 千日尼.

おんふみに いわく.
御文に 云く.

ほうぼうの せんじんきょうじゅうに おいては ざいほう いかが なりや うんぬん.
謗法の 浅深軽重に 於ては 罪報 如何 なりや 云云、.

それ ほけきょうの こころは いっさいしゅじょう かいじょうぶつどうの おんきょう なり.
夫れ 法華経の 意は 一切衆生 皆成仏道の 御経 なり、.

しかりと いえども しんずる ものは じょうぶつを とぐ ぼうずる ものは むけんだいじょうに おつ.
然りと いへども 信ずる 者は 成仏を とぐ 謗ずる 者は 無間大城に 堕つ、.

「もし ひと しんぜずして この きょうを きぼうせば すなわち いっさいせけんの ぶっしゅを だんぜん.
「若し 人 信ぜずして 斯の 経を 毀謗せば 即ち 一切世間の 仏種を 断ぜん、.

ないし その ひと みょうじゅうして あびごくに いらん」とは これなり.
乃至 其の 人 命終して 阿鼻獄に 入らん」とは 是なり、.

ほうぼうの ものにも せんじん きょうじゅうの い あり.
謗法の 者にも 浅深・ 軽重の 異 あり、.

ほけきょうを たもち しんずれども まことに しきしんそうおうの しんじゃ のうじしきょうの ぎょうじゃは まれ なり.
法華経を 持ち 信ずれども 誠に 色心相応の 信者・能持此経の 行者は まれ なり、.

これらの ひとは けに ばかりの ほうぼうは あれども じんじゅうの つみを うくる ことは なし.
此等の 人は 介爾 ばかりの 謗法は あれども 深重の 罪を 受くる 事は なし、.

しんじんは つよく ほうぼうは よわき ゆえ なり.
信心は つよく 謗法は よはき 故 なり、.

たいすいを もって しょうかを けすが ごとし.
大水を 以て 小火を けすが 如し、.

ねはんぎょうに いわく.
涅槃経に 云く.

「もし ぜんびく ほうを やぶる ものを みて おいて かしゃくし くけんし こしょ せずんば.
「若し 善比丘 法を 壊る 者を 見て 置いて 呵責し 駆遣し 挙処 せずんば.

まさに しるべし この ひとは ぶっぽうちゅうの あだ なり.
当に 知るべし、是の 人は 仏法中の 怨 なり、.

もし よく くけんし かしゃくし こしょせば これ わが でし しんの しょうもん なり」うんぬん.
若し 能く 駆遣し 呵責し 挙処せば 是れ 我が 弟子 真の 声聞 なり」云云、.

この きょうもんに せめられ たてまつりて にちれんは しゅじゅの だいなんに あうと いえども.
此の 経文に せめられ 奉りて 日蓮は 種種の 大難に 値うと いへども・.

ぶっぽうちゅうおんの いましめを まぬがれんために もうすなり.
仏法中怨の いましめを 免れんために 申すなり。.

ただし ほうぼうに いたって せんじん あるべし.
但し 謗法に 至つて 浅深 あるべし、.

いつわり おろかにして せめざる ときも あるべし.
偽り 愚かにして せめざる 時も あるべし、.

しんごん てんだいしゅうとうは ほっけ ひぼうの もの いたう かしゃく すべし.
真言・天台宗等は 法華 誹謗の 者 いたう 呵責 すべし、.

しかれども だいちえの もの ならでは にちれんが ぐずうの ほうもん ふんべつ しがたし.
然れども 大智慧の 者 ならでは 日蓮が 弘通の 法門 分別 しがたし、.

しかる あいだ まずまず さしおくこと あるなり りっしょうあんこくろんの ごとし.
然る 間 まづまづ・さしをく事 あるなり 立正安国論の 如し、.

いうと いわざるとの じゅうざい まぬがれ がたし.
いふと・いはざるとの 重罪 免れ 難し、.

いって つみの まぬがるべきを みながら ききながら おいて いましめざる こと.
云つて 罪の まぬがるべきを 見ながら 聞きながら 置いて いましめざる 事・.

げんにの にとく たちまちに やぶれて だいむじひ なり.
眼耳の 二徳 忽に 破れて 大無慈悲 なり、.

しょうあんの いわく「じ なくして いつわり したしむは すなわち これ かれが あだなり」とう うんぬん.
章安の 云く「慈 無くして 詐り 親むは 即ち 是れ 彼が 怨なり」等 云云、.

じゅうざい しょうめつ しがたし いよいよ りやくの こころ もっとも しかる べきなり.
重罪 消滅 しがたし 弥 利益の 心 尤も 然る 可きなり、.

きょうざいの ものをば せむる ときも あるべし.
軽罪の 者をば・ せむる 時も あるべし・.

また せめずして おくも そうろうべし じねんに なおる へん あるべし.
又 せめずして をくも 候べし、自然に なをる 辺 あるべし・.

せめて じたの つみを まぬがれて さて ゆるすべし.
せめて 自他の 罪を 脱れて・さて ゆるすべし、.

その ゆえは いっこう ほうぼうに なれば まされる だいじゅうざいを うくる なり.
其の 故は 一向 謗法に なれば・まされる 大重罪を 受くる なり、.

かれが ために あくを のぞけば すなわち これ かれが おやなりとは これなり.
彼が 為に 悪を 除けば 即ち 是れ 彼が 親なりとは 是なり。.

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b1308

にちれんが でし だんなの なかにも おおく かくのごとき ことども そうろう.
日蓮が 弟子 檀那の 中にも 多く 此くの 如き 事共 候、.

さだめて あまごぜんも きこしめして そうろうらん.
さだめて 尼御前も・ きこしめして 候らん、.

いちのさわの にゅうどうの こと にちれんが だんなと うちには そうらえども そとは ねんぶつしゃにて そうろうぞ.
一谷の 入道の 事・ 日蓮が 檀那と 内には 候へども 外は 念仏者にて 候ぞ・.

ごしょうは いかんと すべき しかれども ほけきょう 10かん わたして そうらいしなり.
後生は・いかんと すべき、然れども 法華経 十巻 渡して 候いしなり。.

いよいよ しんじんを はげみ たまうべし.
弥 信心を はげみ 給うべし、.

ぶっぽうの どうりを ひとに かたらん ものをば なんにょ そうに かならず にくむべし.
仏法の 道理を 人に 語らむ 者をば 男女 僧尼 必ず にくむべし、.

よし にくまば にくめ.
よし にくまば にくめ.

ほけきょう しゃかぶつ てんだい みょうらく でんぎょう しょうあんらの きんげんに みを まかすべし.
法華経・ 釈迦仏・ 天台・ 妙楽・ 伝教・ 章安等の 金言に 身を まかすべし、.

にょせつしゅぎょうの ひととは これなり.
如説修行の 人とは 是れなり、.

ほけきょうに いわく「くいの よに おいて よく しゅゆも とく」うんぬん.
法華経に 云く「恐畏の 世に 於て 能く 須臾も 説く」云云、.

あくせ まっぽうの とき さんどく ごうじょうの あくにんら あつまりて そうろうとき.
悪世 末法の 時・三毒 強盛の 悪人 等・集りて 候時・.

しょうほうを ざんじも しんじ たもちたらん ものをば てんにん くよう あるべしと いう きょうもん なり.
正法を 暫時も 信じ 持ちたらん 者をば 天人 供養 あるべしと 云う 経文 なり。.

このたび だいがんを たて ごしょうを ねがわせ たまえ.
此の度 大願を 立て 後生を 願はせ 給へ・.

すこしも ほうぼう ふしんの とが そうらわば むけんだいじょう うたがい なかるべし.
少しも 謗法 不信の とが 候はば 無間大城 疑い なかるべし、.

たとえば かいじょうを ふねに のるに ふね おろそかに あらざれども.
譬ば 海上を 船に のるに 船 おろそかに あらざれども・.

あか いりぬれば かならず せんちゅうの ひとびと いちじに しする なり.
あか 入りぬれば 必ず 船中の 人人 一時に 死する なり、.

なわて けんご なれども ありの あな あれば.
なはて 堅固 なれども 蟻の 穴 あれば.

かならず ついに たたえたる みずの たまらざるが ごとし.
必ず 終に 湛へたる 水の たまらざるが 如し、.

ほうぼう ふしんの あかを とり しんじんの なわてを かたむべき なり.
謗法 不信の あかを とり・信心の なはてを・かたむべき なり、.

あさき つみ ならば われより ゆるして くどくを えさすべし.
浅き 罪 ならば 我より ゆるして 功徳を 得さすべし、.

おもき あやまち ならば しんじんを はげまして しょうめつ さすべし.
重き あやまち ならば 信心を はげまして 消滅 さすべし、.

あまごぜんの おんみとして ほうぼうの つみの せんじんきょうじゅうの ぎを とわせ たまう こと.
尼御前の 御身として 謗法の 罪の 浅深軽重の 義を とはせ 給う 事・.

まことに ありがたき にょにんにて おわすなり.
まことに・ありがたき 女人にて おはすなり、.

りゅうにょに あに おとる べきや.
竜女に あに をとる べきや、.

「われ だいじょうの きょうを ひらいて くの しゅじょうを どだつせん」とは これなり.
「我 大乗の 教を 闡いて 苦の 衆生を 度脱せん」とは 是なり、.

「その ぎしゅを とうは これ すなわち かたしと なす」と いって.
「其の 義趣を 問うは 是れ 則ち 難しと 為す」と 云つて.

ほけきょうの ぎりを とう ひとは かたしと とかれて そうろう.
法華経の 義理を 問う 人は・ かたしと 説かれて 候、.

あいかまえて あいかまえて ちから あらん ほどは ほうぼうをば せめさせ たまうべし.
相構えて 相構えて 力 あらん 程は 謗法をば せめさせ 給うべし、.

にちれんが ぎを たすけ たまう こと ふしぎに おぼえ そうろうぞ.
日蓮が 義を 助け 給う 事・不思議に 覚え 候ぞ.

ふしぎに おぼえ そうろうぞ あなかしこ あなかしこ.
不思議に 覚え 候ぞ、穴賢 穴賢。.

9がつ みっか.
九月 三日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

あぶつぼう あまごぜん ごへんじ.
阿仏房 尼御前 御返事.

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