b1326から1330.
一谷入道御書 (いちのさわにゅうどう ごしょ).
日蓮大聖人 54歳 御作.

 

b1326

いちのさわにゅうどう ごしょ.
一谷入道 御書.

けんじ がんねん 5がつ ようか 54さい おんさく.
建治 元年 五月 八日 五十四歳 御作.

あたう いちのさわにゅうどう にちがくにょうぼう.
与 一谷入道 日学女房.

いぬる こうちょう がんねん たいさい かのととり 5がつ 12にちに ごかんきを こうむって.
去る 弘長 元年 太歳 辛酉 五月 十二日に 御勘気を 蒙つて.

いずの くに いとうの ごうと いう ところに るざい せられたりき.
伊豆の 国 伊東の 郷と 云う 処に 流罪 せられたりき.

ひょうえのすけ よりともの ながされて ありし ところなり.
兵衛の介 頼朝の ながされて ありし 処なり.

さ ありしかども ほどなく どう 3ねん たいさい みずのとい 2がつ 22にちに めし かえされぬ.
さ ありしかども 程無く 同 三年 太歳 癸亥 二月 二十二日に 召し 返されぬ.

また ぶんえい 8ねん たいさい かのとひつじ 9がつ 12にち かさねて ごかんきを こうむりしが.
又 文永 八年 太歳 辛未 九月 十二日 重ねて 御勘気を 蒙りしが.

たちまちに くびを はねらる べきにて ありけるが.
忽に 頸を 刎らる べきにて ありけるが.

いさい ありけるかの ゆえに しばらく のびて.
子細 ありけるかの 故に しばらく のびて.

きたぐに さどの しまを ちぎょう する むさしのぜんじ あずかりて.
北国 佐渡の 嶋を 知行 する 武蔵の前司 預りて.

そのうちの ものどもの さたとして かの しまに いきついて ありしが.
其の内の 者どもの 沙汰として 彼の 嶋に 行き 付いて ありしが.

かのしまの ものども いんがの ことわりをも わきまえぬ.
彼の島の 者ども 因果の 理をも 弁へぬ.

あらえびす なれば あらく あたりし ことは もうす ばかりなし.
あらゑびす なれば あらく あたりし 事は 申す 計りなし.

しかれども いちぶんも うらむる こころ なし.
然れども 一分も 恨むる 心 なし.

その ゆえは にほんこくの しゅ として すこしも どうりを しりぬべき さがみどの だにも.
其の 故は 日本国の 主 として 少しも 道理を 知りぬべき 相模殿 だにも.

くにを たすけんと いうものを しさいも きき ほどかず.
国を たすけんと 云う者を 子細も 聞 ほどかず.

りふじんに しざいに あてがう こと なれば.
理不尽に 死罪に あてがう 事 なれば.

ましてや その すえの ものどもの ことは よきも たのまれず あしきも にくからず.
況や 其の 末の 者どもの 事は よきも たのまれず あしきも にくからず.

この ほうもんを もうし はじめしより いのちをば ほけきょうに たてまつり.
此の 法門を 申し 始めしより 命をば 法華経に 奉り.

なをば じっぽうせかいの しょぶつの じょうどに ながすべしと おもい もうけしなり.
名をば 十方世界の 諸仏の 浄土に ながすべしと 思い 儲けしなり.

こうえんと いいし ものは きみえいの いこうの きもを とりて.
弘演と 云いし 者は 主衛の 懿公の 肝を 取りて.

わが はらを さいて おさめて しにき.
我が 腹を 割いて 納めて 死にき.

よじょうと いいし ものは しゅの ちはくが はじを すすがんが ために.
予譲と 云いし 者は 主の 智伯が 恥を すすがんが ために.

つるぎを のんで しせしぞかし.
剣を 呑んで 死せしぞかし.

これは ただ わずかの せけんの おんを ほうぜんが ためぞかし.
是は 但 わづかの 世間の 恩を 報ぜんが ためぞかし.

いわんや むりょうこう より このかた 6どうに るてんして ほとけに ならざりし ことは.
況や 無量劫 より 已来 六道に 流転して 仏に ならざりし 事は.

ほけきょうの おんために みを おしみ いのちを すてざる ゆえぞかし.
法華経の 御ために 身を 惜み 命を 捨てざる 故ぞかし.

されば きけんぼさつと もうせし ぼさつは.
されば 喜見菩薩と 申せし 菩薩は.

1200さいの あいだ みを やいて にちがつ じょうみょうとくぶつを くようし.
千二百歳の 間 身を 焼いて 日月 浄明徳仏を 供養し.

7まん2000さいの あいだ ひじを やいて ほけきょうを くようし たてまつる.
七万二千歳の 間 臂を 焼いて 法華経を 供養し 奉る.

その ひとは いまの やくおうぼさつ ぞかし.
其の 人は 今の 薬王菩薩 ぞかし.

ふぎょうぼさつは ほけきょうの おんために たこうの あいだ.
不軽菩薩は 法華経の 御ために 多劫の 間.

めり きにく じょうもくがしゃくに せめられき.
罵詈 毀辱 杖木瓦礫に せめられき.

いまの しゃかぶつに あらずや.
今の 釈迦仏に あらずや.

されば ほとけに なる みちは ときにより しなじなに かわって ぎょうずべきにや.
されば 仏に なる 道は 時により 品品に 替つて 行ずべきにや.

いまの よには ほけきょうは さることにて おわすれども.
今の 世には 法華経は さる事にて おはすれども.

ときに よりて こと ことなる ならい なれば さんりんに まじわりて どくじゅすとも.
時に よりて 事 ことなる ならひ なれば 山林に 交わりて 読誦すとも.

はたまた さとに じゅうして えんぜつすとも じかいにして ぎょうずとも.
将又 里に 住して 演説すとも 持戒にして 行ずとも.

ひじを やいて くようすとも ほとけには なるべからず.
臂を 焼いて 供養すとも 仏には なるべからず.

にほんこくは ぶっぽう さかんなる ようなれども ぶっぽうに ついて ふしぎ あり.
日本国は 仏法 盛なる やうなれども 仏法に ついて 不思議 あり.

ひと これを しらず
人 是を 知らず

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たとえば むしの ひに いり とりの へびの くちに いるが ごとし.
譬えば 虫の 火に 入り 鳥の 蛇の 口に 入るが 如し.

しんごんし けごんしゅう ほっそう さんろん ぜんしゅう じょうどしゅう りっしゅう とうの ひとびとは.
真言師 華厳宗 法相 三論 禅宗 浄土宗 律宗 等の 人人は.

われも ほうを えたり われも しょうじを はなれたる ひととは おもえども.
我も 法を 得たり 我も 生死を 離れたる 人とは 思へども.

たて はじめし ほんし とう えきょうの こころをも わきまえず.
立 始めし 本師 等 依経の 心をも 弁えず.

ただ わが こころの おもいついて ありし ままに.
但 我が 心の 思い付いて 有りし ままに.

その きょうを とり たてんと おもえる はかなき こころ ばかりにてほけきょうに そむけば.
其の 経を 取り 立てんと 思へる 墓無き 心 計りにて 法華経に 背けば.

また ぶついにも かなわざる ことをば しらずして ひろめ ゆく ほどに.
又 仏意にも 叶わざる 事をば 知らずして 弘め 行く 程に.

こくしゅ ばんみん これを しんじぬ また たこくへ わたり また とし ひさしく なりぬ.
国主 万民 是を 信じぬ 又 他国へ 渡り 又 年 久しく 成りぬ.

まつがくの ものども ほんしの あやまりをば しらずして.
末学の 者共 本師の 誤をば 知らずして.

ひろめ ならいし ひとびとをも ちしゃとは おもえり.
弘め 習ひし 人人をも 智者とは 思へり.

みなもと にごりぬれば ながれ きよからず.
源 濁りぬれば 流 浄からず.

み まがりぬれば かげ なおからず.
身 曲りぬれば 影 直からず.

しんごんの がんそ ぜんむいらは すでに じごくに おちぬ べかりしが.
真言の 元祖 善無畏等は 既に 地獄に 堕ちぬ べかりしが.

あるいは かいげして じごくを まぬがれたる ものも あり.
或は 改悔して 地獄を 免れたる 者も あり.

あるいは ただ えきょうを ひろめて ほけきょうの さんたんをも せざれば.
或は 唯 依経を 弘めて 法華経の 讃歎をも せざれば.

しょうじは はなれねども あくどうに おちざる ひとも あり.
生死は 離れねども 悪道に 堕ちざる 人も あり.

しかるを すえずえの もの この ことを しらずして しょにん いちどうに しんを なしぬ.
而るを 末末の 者 此の 事を 知らずして 諸人 一同に 信を なしぬ.

たとえば やぶれたる ふねに のって たいかいに うかび.
譬えば 破たる 船に 乗つて 大海に 浮び.

さけに よえる ものの ひの なかに ふせるが ごとし.
酒に 酔る 者の 火の 中に 臥せるが 如し.

にちれん これを みし ゆえに たちまちに ぼだいしんを おこして このことを もうし はじめし なり.
日蓮 是を 見し 故に 忽に 菩提心を 発して 此の 事を 申し 始めし なり.

せけんの ひとびと いかに もうすとも しんずる ことは あるべからず.
世間の 人人 何に 申すとも 信ずる 事は あるべからず.

かえって るざい しざい せらるべしとは かねて しって ありしかども.
還つて 流罪 死罪 せらるべしとは 兼て 知つて ありしかども.

いまの にほんこくは ほけきょうに そむき しゃかぶつを すつる ゆえに.
今の 日本国は 法華経に 背き 釈迦仏を 捨つる 故に.

ごしょうは かならず むけんだいじょうに おちんことは さておきぬ.
後生は 必ず 無間大城に 堕ちん 事は さてをきぬ.

こんじょうにも かならず だいなんに あうべし.
今生にも 必ず 大難に 値うべし.

いわゆる たこく より せめ きたって かみ いちにん より しも ばんみんに いたるまで いちどうの なげき あるべし.
所謂 他国 より 責め 来つて 上一人 より 下万民に 至るまで 一同の 歎き あるべし.

たとえば 1000にんの きょうだいが ひとりの おやを ころしたらんに.
譬えば 千人の 兄弟が 一人の 親を 殺したらんに.

この つみを 1000に わけては うく べからず.
此の 罪を 千に 分ては 受く べからず.

いちいちに みな むけんだいじょうに おちて おなじく いっこうを ふべし.
一一に 皆 無間大城に 堕ちて 同じく 一劫を 経べし.

この くにも またまた かくの ごとし.
此の 国も 又又 是くの 如し.

しゃばせかいは 500じんてんごう より このかた きょうしゅ しゃくそんの ごしょりょう なり.
娑婆世界は 五百塵点劫 より 已来 教主釈尊の 御所領 なり.

だいち こくう さんかい そうもく いちぶんも たぶつの ものならず.
大地 虚空 山海 草木 一分も 他仏の 有ならず.

また いっさいしゅじょうは しゃくそんの みこ なり.
又 一切衆生は 釈尊の 御子 なり.

たとえば じょうこうの はじめ ひとりの ぼんのう くだって 6どうのしゅじょうをば うみて そうろうぞかし.
譬えば 成劫の 始め 一人の 梵王 下つて 六道の 衆生をば 生て 候ぞかし.

ぼんのうの いっさいしゅじょうの おや たるが ごとく.
梵王の 一切衆生の 親 たるが 如く.

しゃかぶつも また いっさいしゅじょうの おや なり.
釈迦仏も 又 一切衆生の 親 なり.

また この くにの いっさいしゅじょうの ためには きょうしゅ しゃくそんは みょうしにて おわするぞかし.
又 此の 国の 一切衆生の ためには 教主釈尊は 明師にて おはするぞかし.

ふぼを しるも しの おん なり.
父母を 知るも 師の 恩 なり.

くろしろを わきまうも しゃくそんの おん なり.
黒白を 弁うも 釈尊の 恩 なり.

しかるを てんまの みに いって そうろう.
而るを 天魔の 身に 入つて 候.

ぜんどう ほうねん なんどが もうすに ついて こくどに あみだどうを つくり.
善導 法然 なんどが 申すに 付いて 国土に 阿弥陀堂を 造り.

あるいは いちぶ いちごう いっそん とうに あみだどうを つくり.
或は 一郡 一郷 一村 等に 阿弥陀堂を 造り.

あるいは ひゃくしょう ばんみんの たく ごとに あみだどうを つくり.
或は 百姓 万民の 宅 ごとに 阿弥陀堂を 造り.

あるいは いえいえ ひとごとに あみだぶつを かき つくり.
或は 宅宅 人人 ごとに 阿弥陀仏を 書 造り.

あるいは ひとごとに くちぐちに あるいは たかごえに となえ.
或は 人 ごとに 口口に 或は 高声に 唱へ.

あるいは 10000べん あるいは 60000べん なんど となうるに.
或は 一万遍 或は 六万遍 なんど 唱うるに.

すこしも ちえ ある ものは いよいよ これを すすむ.
少しも 智慧 ある 者は いよいよ これを すすむ.

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たとえば ひに かれたる くさを くわえ みずに かぜを あわせたるに にたり.
譬へば 火に かれたる 草を くわへ 水に 風を 合せたるに 似たり.

この くにの ひとびとは ひとりも なく きょうしゅ しゃくそんの みでし みたみ ぞかし.
此の 国の 人人は 一人も なく 教主釈尊の 御弟子 御民 ぞかし.

しかるに あみだ とうの たぶつを いちぶつも つくらず かかず ねんぶつも もうさず.
而るに 阿弥陀 等の 他仏を 一仏も つくらず かかず 念仏も 申さず.

あるものは あくにん なれども しゃかぶつを すて たてまつる.
ある者は 悪人 なれども 釈迦仏を 捨て 奉る.

いろは いまだ あらわれず.
色は 未だ 顕れず.

いっこうに あみだぶつを ねんずる ひとびとは すでに しゃかぶつを すて たてまつる いろ けんねん なり.
一向に 阿弥陀仏を 念ずる 人人は 既に 釈迦仏を 捨て 奉る 色 顕然 なり.

かの ひとびとの はかなき ねんぶつを もうす ものは あくにんにて ある ぞかし.
彼の 人人の 墓無き 念仏を 申す 者は 悪人にて ある ぞかし.

ふぼにも あらず しゅくん ししょうにても おわせぬ.
父母にも あらず 主君 師匠にても おはせぬ.

ほとけをば いとおしき つまの ように もてなし.
仏をば いとをしき 妻の 様に もてなし.

げんに こくしゅ ふぼ みょうしたる しゃかぶつを すて.
現に 国主 父母 明師たる 釈迦仏を 捨て.

めのとの ごとく なる ほけきょうをば くちにも じゅし たてまつらず.
乳母の 如く なる 法華経をば 口にも 誦し 奉らず.

これ あに ふこうの ものに あらずや.
是れ 豈 不孝の 者に あらずや.

この ふこうの ひとびと ひとり ふたり 100にん 1000にん ならず.
此の 不孝の 人人 一人 二人 百人 千人 ならず.

いっこく にこく ならず.
一国 二国 ならず.

かみ いちにん より しも ばんみんに いたる まで にほんこく みな こぞりて.
上 一人 より 下 万民に 至るまで 日本国 皆 こぞりて.

ひとりも なく さんぎゃくざいの もの なり.
一人も なく 三逆罪の 者 なり.

されば にちがつは いろを へんじて これを にらめ.
されば 日月は 色を 変じて 此れを にらめ.

だいちも いかりて おどりあがり だいすいせい そらに はびこり.
大地も 瞋りて をどりあがり 大彗星 天に はびこり.

たいか くにに じゅうまん すれども ひがごと ありとも おもわず.
大火 国に 充満 すれども 僻事 ありとも おもはず.

われらは ねんぶつに ひまなし.
我等は 念仏に ひまなし.

そのうえ ねんぶつどうを つくり あみだぶつを たもち たてまつる なんど じさん するなり.
其の上 念仏堂を 造り 阿弥陀仏を 持ち 奉る なんど 自讃 するなり.

これは かしこき ようにて はかなし.
是は 賢き 様にて 墓無し.

たとえば わかき ふさいらが おっとは おんなを あいし おんなは おっとを いとおしむ ほどに.
譬えば 若き 夫妻等が 夫は 女を 愛し 女は 夫を いとおしむ 程に.

ふぼの ゆくえを しらず.
父母の ゆくへを しらず.

ふぼは ころも うすけれども われは ねや あつし.
父母は 衣 薄けれども 我は ねや 熱し.

ふぼは しょくせざれども われは はらに あきぬ.
父母は 食せざれども 我は 腹に 飽きぬ.

これは だいいちの ふこう なれども かれらは とが とも しらず.
是は 第一の 不孝 なれども 彼等は 失 とも しらず.

いわんや ははに そむく つま ちちに さかえる おっと ぎゃくじゅうざいに あらずや.
況や 母に 背く 妻 父に さかへる 夫 逆重罪に あらずや.

あみだぶつは じゅうまんおくの あなたに あって この しゃばせかいには いちぶんも えん なし.
阿弥陀仏は 十万億の あなたに 有つて 此の 娑婆世界には 一分も 縁なし.

なにと いうとも ゆえも なきなり.
なにと 云うとも 故も なきなり.

うまに うしを あわせ いぬに さるを かたらいたるが ごとし.
馬に 牛を 合せ 犬に 猿を かたらひたるが 如し.

ただ にちれん ひとり ばかり このことを しりぬ.
但 日蓮 一人 計り 此の事を 知りぬ.

いのちを おしみて いわずば こくおんを ほうぜぬ うえ.
命を 惜みて 云はずば 国恩を 報ぜぬ 上.

きょうしゅ しゃくそんの おんてきと なるべし.
教主 釈尊の 御敵と なるべし.

これを おそれずして ありのままに もうす ならば しざいと なるべし.
是を 恐れずして 有の ままに 申す ならば 死罪と なるべし.

たとい しざいは まぬがるとも るざいは うたがい なかるべしとは.
設ひ 死罪は 免るとも 流罪は 疑 なかるべしとは.

かねて しって ありしかども.
兼て 知つて ありしかども.

ほとけの おん おもきが ゆえに ひとを はばからず もうしぬ.
仏の 恩 重きが 故に 人を はばからず 申しぬ.

あんに たがわず りょうどまで ながされて そうらいし なかに.
案に たがはず 両度まで 流されて 候いし 中に.

ぶんえい 9ねんの なつの ころ さどの くに いしだのごう いちのさわと いいし ところに ありしに.
文永 九年の 夏の 比 佐渡の国 石田の郷 一谷と 云いし 処に 有りしに.

あずかりたる なぬしらは おおやけと いい わたくしと いい.
預りたる 名主等は 公と 云ひ 私と 云ひ.

ふぼの かたき よりも しゅくせの かたき よりも にくげに ありしに.
父母の 敵 よりも 宿世の 敵 よりも 悪げに ありしに.

やどの にゅうどうと いい つまと いい つかう ものと いい.
宿の 入道と 云ひ 妻と 云ひ つかう 者と 云ひ.

はじめは おじ おそれ しかども せんせの ことにや ありけん.
始は おぢ をそれ しかども 先世の 事にや ありけん.

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ないない ふびんと おもう こころ つきぬ.
内内 不便と 思ふ 心 付きぬ.

あずかり より あずかる しょくは すくなし つける でしは おおく ありしに.
預り より あづかる 食は 少し 付ける 弟子は 多く ありしに.

わずかの はんの ふたくち みくち ありしを.
僅の 飯の 二口 三口 ありしを.

あるいは おしきに わけ あるいは てに いれて くいしに.
或は おしきに 分け 或は 手に 入て 食しに.

あるじ ないない こころ あって そとには おそるるよう なれども.
宅主 内内 心 あつて 外には をそるる様 なれども.

うちには ふびんげに ありし こと いつの よにか わすれん.
内には 不便げに ありし 事 何の 世にか わすれん.

われを うみて おわせし ふぼ よりも とうじは だいじと こと おもいしか.
我を 生みて おはせし 父母 よりも 当時は 大事と こそ 思いしか.

いかなる おんをも はげむべし.
何なる 恩をも はげむべし.

まして やくそく せしこと たがうべしや.
まして 約束せし 事 たがうべしや.

しかれども にゅうどうの こころは ごせを ふかく おもいて ある もの なれば.
然れども 入道の 心は 後世を 深く 思いて ある 者 なれば.

ひさしく ねんぶつを もうし つもりぬ.
久しく 念仏を 申し つもりぬ.

そのうえ あみだどうを つくり たはたも その ほとけの もの なり.
其の上 阿弥陀堂を 造り 田畠も 其の 仏の 物 なり.

じとうも また おそろし なんど おもいて ただちに ほけきょうには ならず.
地頭も 又 をそろし なんど 思いて 直ちに 法華経には ならず.

これは かの みには だいいちの どうり ぞかし.
是は 彼の 身には 第一の 道理 ぞかし.

しかれども また むけんだいじょうは うたがい なし.
然れども 又 無間大城は 疑 無し.

たとい これより ほけきょうを つかわしたりとも せけんも おそろしければ.
設ひ 是より 法華経を 遣したりとも 世間も をそろしければ.

ねんぶつ すつ べからず なんど おもわば ひに みずを あわせたるが ごとし.
念仏 すつ べからず なんど 思はば 火に 水を 合せたるが 如し.

ほうぼうの たいか ほけきょうを しんずる しょうかを けさん こと うたがい なかるべし.
謗法の 大水 法華経を 信ずる 小火を けさん 事 疑 なかるべし.

にゅうどう じごくに おつる ならば かえって にちれんが とがに なるべし.
入道 地獄に 堕つる ならば 還つて 日蓮が 失に なるべし.

いかんがせん いかんがせんと おもい わずらいて いままで ほけきょうを わたし たてまつらず.
如何んがせん 如何んがせんと 思い わづらひて 今まで 法華経を 渡し 奉らず.

わたし まいらせんが ために もうけ まいらせて ありつる ほけきょうをば.
渡し 進せんが 為に まうけ まいらせて 有りつる 法華経をば.

かまくらの しょうぼうに とり うしない まいらせて そうろう よし もうす.
鎌倉の 焼亡に 取り 失ひ 参せて 候 由 申す.

かたがた にゅうどうの ほけきょうの えんは なかりけり.
旁 入道の 法華経の 縁は なかりけり.

やくそく もうしける わが こころも ふしぎ なり.
約束 申しける 我が 心も 不思議 なり.

また われとは すすまざりしを かまくらの あまの かえりの ようとに.
又 我とは すすまざりしを 鎌倉の 尼の 還りの 用途に.

なげきし ゆえに くちいれ ありし こと なげかし.
歎きし 故に 口入 有りし 事 なげかし.

もとせんに りぶんを そえて かえさんと すれば.
本銭に 利分を 添えて 返さんと すれば.

また でしが いわく おんやくそく たがい なんど もうす.
又 弟子が 云く 御約束 違ひ なんど 申す.

かたがた しんたい きわまりて そうらえども ひとの おもわん さまは おうわくの よう なるべし.
旁 進退 極りて 候へども 人の 思わん 様は 狂惑の 様 なるべし.

ちから およばずして ほけきょうを いちぶ 10かん わたし たてまつる.
力 及ばずして 法華経を 一部 十巻 渡し 奉る.

にゅうどう よりも うばにて ありし ものは ないない こころ よせ なりしかば これを たもち たまえ.
入道 よりも うばにて ありし 者は 内内 心 よせ なりしかば 是を 持ち 給へ.

にちれんが もうす ことは おろか なる ものの もうす こと なれば もちいず.
日蓮が 申す 事は 愚なる 者の 申す 事 なれば 用ひず.

されども いぬる ぶんえい 11ねん さいたい さるいぬ 10がつに もうここく より つくしに よせて ありしに.
されども 去る 文永 十一年 太歳 甲戌 十月に 蒙古国 より 筑紫に よせて 有りしに.

つしまの もの かためて ありしに そうそうまのじょう にげければ.
対馬の 者 かためて 有りしに 宗総馬尉 逃ければ.

ひゃしょうらは おとこをば あるいは ころし あるいは いけどりにし.
百姓 等は 男をば 或は 殺し 或は 生取にし.

おんなをば あるいは とり あつめて てを とおして ふねに ゆいつけ あるいは いけどりに す.
女をば 或は 取り 集めて 手を とをして 船に 結い付け 或は 生け取に す.

ひとりも たすかる もの なし.
一人も 助かる 者 なし.

いきに よせても また かくの ごとし.
壱岐に よせても 又 是くの 如し.

ふね おしよせて ありけるには ぶぎょうにゅうどう ぶぜんのぜんじは にげて おちぬ.
船 おしよせて 有りけるには 奉行入道 豊前前司は 逃げて 落ちぬ.

まつらがとうは すうひゃくにん うたれ あるいは いけどりに せられ しかば.
松浦党は 数百人 打たれ 或は 生け取に せられ しかば.

よせたりける うらうらの ひゃくしょうども いき つしまの ごとし.
寄せたりける 浦浦の 百姓ども 壱岐 対馬の 如し.

また こんどは いかが あるらん.
又 今度は 如何が 有るらん.

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かの くにの ひゃくせんまんおくの つわもの.
彼の 国の 百千万億の 兵.

にほんこくを ひき めぐらして よせて あるならば いかに なるべきぞ.
日本国を 引 回らして 寄せて 有るならば 如何に 成るべきぞ.

きたの ては まず さどのしまに ついて じとう しゅごをば しゅゆに うちころし.
北の 手は 先ず 佐渡の島に 付いて 地頭 守護をば 須臾に 打ち殺し.

ひゃくしょうらは きたやまへ にげん ほどに あるいは ころされ.
百姓等は 北山へ にげん 程に 或は 殺され.

あるいは いけどられ あるいは やまにして しぬべし.
或は 生け取られ 或は 山にして 死ぬべし.

そもそも これほどの ことは いかがとして おこる べきぞと すいすべし.
抑 是れ程の 事は 如何として 起る べきぞと 推すべし.

さきに もうしつるが ごとく この くにの ものどもは ひとりも なくさんぎゃくざいの ものなり.
前に 申しつるが 如く 此の 国の 者は 一人も なく 三逆罪の 者なり.

これは ぼんのう たいしゃく にちがつ してんの かの もうここくの だいおうの みに いらせ たまいて せめ たもうなり.
是は 梵王 帝釈 日月 四天の 彼の 蒙古国の 大王の 身に 入らせ 給いて 責め 給うなり.

にちれんは おろか なれども しゃかぶつの おんつかい.
日蓮は 愚 なれども 釈迦仏の 御使.

ほけきょうの ぎょうじゃ なりと なのり そうろうを.
法華経の 行者 なりと なのり 候を.

もちい ざらんだにも ふしぎ なるべし.
用い ざらんだにも 不思議 なるべし.

その とがに よって くに やぶれなんとす.
其の 失に 依つて 国 破れなんとす.

いわんや あるいは くにぐにを おい あるいは ひっぱり あるいは ちょうちゃくし.
況や 或は 国国を 追ひ 或は 引はり 或は 打擲し.

あるいは るざいし あるいは でしを ころし あるいは しょりょうを とる.
或は 流罪し 或は 弟子を 殺し 或は 所領を 取る.

げんの ふぼの つかいを かくせん ひとびと よかるべしや.
現の 父母の 使を かくせん 人人 よかるべしや.

にちれんは にほんこくの ひとびとの ふぼ ぞかし しゅくん ぞかし みょうし ぞかし.
日蓮は 日本国の 人人の 父母 ぞかし 主君 ぞかし 明師 ぞかし.

これを そむかん ことよ.
是を 背ん 事よ.

ねんぶつを もうさん ひとびとは むけんじごくに おちん こと けつじょう なるべし.
念仏を 申さん 人人は 無間地獄に 堕ちん 事 決定 なるべし.

たのもし たのもし.
たのもし たのもし.

そもそも もうここく より せめん ときは いかが せさせ たもうべき.
抑 蒙古国 より 責めん 時は 如何が せさせ 給うべき.

この ほけきょうを いただき くびに かけさせ たまいて きたやまへ のぼらせ たもうとも.
此の 法華経を いただき 頸に かけさせ 給いて 北山へ 登らせ 給うとも.

としごろ ねんぶつしゃを やしない ねんぶつを もうして.
年比 念仏者を 養ひ 念仏を 申して.

しゃかぶつ ほけきょうの おんてきと ならせ たまいて ありし ことは ひさしし.
釈迦仏 法華経の 御敵と ならせ 給いて 有りし 事は 久しし.

また もし いのちとも なるならば ほけきょうばし うらみさせ たもうなよ.
又 若し 命とも なるならば 法華経ばし 恨みさせ 給うなよ.

また えんまおうきゅうにしては なんとか おおせ あるべき.
又 閻魔王宮にしては 何とか 仰せ あるべき.

おこがましき こととは おぼすとも その ときは にちれんが だんな なりと こそ おおせ あらんずらめ.
おこがましき 事とは おぼすとも 其の 時は 日蓮が 檀那 なりと こそ仰せ あらんずらめ.

また これは さておきぬ.
又 是は さてをきぬ.

この ほけきょうをば がくじょうぼうに つねに ひらかせ たもうべし.
此の 法華経をば 学乗房に 常に 開かさせ 給うべし.

ひといかに いうとも ねんぶつしゃ しんごん じさい なんどにばし ひらかさせ たもう べからず.
人 如何に 云うとも 念仏者 真言師 持斎 なんどにばし 開かさせ 給う べからず.

また にちれんが でしと なのるとも にちれんが はんを もたざらん ものをば おんもちい ある べからず.
又 日蓮が 弟子と なのるとも 日蓮が 判を 持ざらん 者をば 御用いある べからず.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言.

5がつ ようか.
五月 八日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

いちのさわにゅうどうにょうぼう.
一谷入道女房.

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