b1331から1335.
中興入道消息 (なかおきにゅうどう しょうそく).
日蓮大聖人 58歳 御作.

 

b1331

なかおきにゅうどう しょうそく.
中興入道 消息.

こうあん 2ねん 11がつ 30にち 58さい おんさく.
弘安 二年 十一月 三十日 五十八歳 御作.

あたう なかおきにゅうどうにょうぼう.
与 中興入道女房.

がもく いっかんもん おくり たまい そうらい おわんぬ.
鵞目 一貫文 送り 給い 候い 了んぬ.

みょうほうれんげきょうの ごほうぜんに もうしあげ そうらいおわんぬ.
妙法蓮華経の 御宝前に 申し上げ 候い了んぬ.

そもそも にほんこくと もうす くには しゅみせん よりは みなみ.
抑 日本国と 申す 国は 須弥山 よりは 南.

いちえんぶだいの うち じゅうこう 7000ゆじゅん なり.
一閻浮提の 内 縦広 七千由旬 なり.

そのうちに 8まん4000の くに あり.
其の 内に 八万四千の 国 あり.

いわゆる 5てんじく 16のたいこく 500のちゅうごく 10 1000の しょうこく.
所謂 五天竺 十六の大国 五百の中国 十 千の小国.

むりょうの ぞくさんこく みじんの しまじま あり.
無量の 粟散国 微塵の 島島 あり.

これらの くにぐには みな たいかいの なかに あり.
此等の 国国は 皆 大海の 中に あり.

たとえば いけに このはの ちれるが ごとし.
たとへば 池に このは のちれるが 如し.

この にほんこくは たいかいの なかの こじま なり.
此の 日本国は 大海の 中の 小島 なり.

しお みてば みえず.
しほ みてば 見へず.

ひれば すこし みゆるかの ほどにて そうらいしを.
ひれば すこし みゆるかの 程にて 候いしを.

かみの つき いださせ たまいて のち.
神の つき 出させ 給いて 後.

にんのうの はじめ じんむてんのうと もうせし だいおう おわしましき.
人王の はじめ 神武天皇と 申せし 大王 をはしましき.

それより このかた 30よだいは ほとけと きょうと そうとは ましまさず.
それより このかた 三十余代は 仏と 経と 僧とは ましまさず.

ただ ひとと かみと ばかりなり.
ただ 人と 神と ばかりなり.

ぶっぽう おわしまさねば じごくも しらず.
仏法 をはしまさねば 地獄も しらず.

じょうども ねがわず.
浄土も ねがはず.

ふぼ きょうだいの わかれ あり しかども いかんが なるらん.
父母 兄弟の わかれ あり しかども いかんが なるらん.

ただ つゆの きゆる ように にちがつの かくれさせ たもう ように.
ただ 露の きゆる やうに 日月の かくれさせ 給う やうに.

うちおもいて ありけるか.
うちをもいて ありけるか.

しかるに にんのう だい30だい きんめいてんのうと もうす だいおうの  ぎょうに.
然るに 人王 第三十代 欽明天皇と 申す 大王の 御宇に.

この くに より いぬいの すみに あたりて くだらこくと もうす くに あり.
此の 国 より 戌亥の 角に 当りて 百済国と 申す 国 あり.

かの くに より せいめいおうと もうせし おう.
彼の 国 より せいめい王と 申せし 王.

こんどうの しゃかぶつと この ほとけの とかせ たまえる いっさいきょうと もうす ふみと.
金銅の 釈迦仏と 此の 仏の 説かせ 給へる 一切経と 申す ふみと.

これを よむ そうを わたして ありしかば.
此を よむ 僧を わたして ありしかば.

ほとけと もうす ものも いきたる ものにも あらず.
仏と 申す 物も いきたる 物にも あらず.

きょうと もうす ものも げてんの ふみにも にず.
経と 申す 物も 外典の 文にも にず.

そう ともうす ものも ものは いえども どうりも きこえず.
僧と 申す 物も 物は いへども 道理も きこへず.

かたちも なんにょにも にざりしかば かたがた あやしみ おどろきて.
形も 男女にも にざりしかば かたがた あやしみ をどろきて.

さゆうの だいじん だいおうの おんまえにして とかく せんぎ ありしかども.
左右の 大臣 大王の 御前にして とかう 僉議 ありしかども.

たぶんは もちい まじきにて ありしかば.
多分は もちう まじきにて ありしかば.

ほとけは すてられ そうは いましめられて そうらいし ほどに.
仏は すてられ 僧は いましめられて 候い しほどに.

ようめいてんのうの みこ しょうとくたいしと もうせし ひと.
用明天王の 御子 聖徳太子と 申せし 人.

びだつの 2ねん 2がつ 15にち ひがしに むかいて なむしゃかむにぶつと となえて.
びだつの 二年 二月十五日 東に 向いて 南無釈迦牟尼仏と 唱えて.

おんしゃりを みて より いだし たまいて.
御舎利を 御手 より 出し 給いて.

どう6ねんに ほけきょうを どくじゅし たもう.
同六年に 法華経を 読誦し 給ふ.

それより このかた 700よねん おうは 60よだいに およぶまで.
それより このかた 七百余年 王は 六十余代に 及ぶまで.

ようやく ぶっぽう ひろまり たまいて にほん 66かこく.
やうやく 仏法 ひろまり 候いて 日本 六十六箇国.

ふたつの しまに いたらぬ くにも なし.
二つの 島に いたらぬ 国も なし.

くにぐに ぐんぐん ごうごう りり そんそんに どうとうと もうし てらでらと もうし.
国国 郡郡 郷郷 里里 村村に 堂塔と 申し 寺寺と 申し.

ぶつぽうの じゅうしょ すでに 17まんいっせん37しょ なり.
仏法の 住所 すでに 十七万一千三十七所 なり.

にちがつの ごとく あきらかなる ちしゃ.
日月の 如く あきらかなる 智者.

よよに ぶっぽうを ひろめ しゅうせいの ごとく かがやく.
代代に 仏法を ひろめ 衆星の ごとく かがやく.

けんじん くにぐにに じゅうまん せり.
けんじん 国国に 充満 せり.

→a1331

b1332

かの ひとびとは じぎょうには あるいは しんごんを ぎょうじ.
かの 人人は 自行には 或は 真言を 行じ.

あるいは はんにゃ あるいは にんのう あるいは あみだぶつの みょうごう.
或は 般若 或は 仁王 或は 阿弥陀仏の 名号.

あるいは かんのん あるいは じぞう あるいは 3000ぶつ.
或は 観音 或は 地蔵 或は 三千仏.

あるいは ほけきょう どくじゅ しおる とは もうせども.
或は 法華経 読誦 しをる とは 申せども.

むちの どうぞくを すすむるには ただ なむあみだぶつと もうすべし.
無智の 道俗を すすむるには ただ 南無阿弥陀仏と 申すべし.

たとえば にょにんの おさなごを もうけたるに あるいは ほり あるいは かわ.
譬えば 女人の 幼子を まうけたるに 或は 堀 或は 川.

あるいは ひとり なるには ははよ ははよと もうせば.
或は ひとり なるには 母よ 母よと 申せば.

ききつけぬれば かならず たじを すてて たすくる ならい なり.
ききつけぬれば かならず 他事を すてて たすくる 習 なり.

あむだぶつも また かくの ごとし.
阿弥陀仏も 又 是くの 如し.

われらは おさなご なり あみだぶつは はは なり.
我等は 幼子 なり 阿弥陀仏は 母 なり.

じごくの あな がきの ほり なんどに おちいりぬれば.
地獄の あな 餓鬼の 堀 なんどに をち入りぬれば.

なむあみだぶつと もうせば おとと ひびきとの ごとくかならず きたりて.
南無阿弥陀仏と 申せば 音と 響との 如く 必ず 来りて.

すくい たもう なりと いっさいの ちじんども おしえ たまい しかば.
すくひ 給う なりと 一切の 智人ども 教へ 給い しかば.

わが にほんこく かく もうし ならわして とし ひさしく なり そうろう.
我が 日本国 かく 申し ならはして 年 ひさしく なり 候.

しかるに にちれんは ちゅうごく みやこの ものにも あらず.
然るに 日蓮は 中国 都の 者にも あらず.

へんごくの しょうぐん とうの しそくにも あらず.
辺国の 将軍 等の 子息にも あらず.

おんごくの もの たみが こにて そうらい しかば にほんこく 700よねんに.
遠国の 者 民が 子にて 候い しかば 日本国 七百余年に.

ひとりも いまだ となえ まいらせ そうらわぬ なんみょうほうれんげきょうと となえ そうろう のみならず.
一人も いまだ 唱へ まいらせ 候はぬ 南無妙法蓮華経と 唱え 候 のみならず.

みな ひとの ふぼの ごとく にちがつの ごとく.
皆 人の 父母の ごとく 日月の 如く.

しゅくんの ごとく わたりに ふねの ごとく.
主君の 如く わたりに 船の 如く.

かっして みずの ごとく うえて はんの ごとく おもいて そうろう.
渇して 水の ごとく うえて 飯の 如く 思いて 候.

なむあみだぶつを むけんじごくの ごう なりと もうし そうろう ゆえに.
南無阿弥陀仏を 無間地獄の 業 なりと 申し 候 ゆへに.

しょくに いしを たいたる ように がんせきに うまの はねたる ように.
食に 石を たひたる 様に がんせきに 馬の はねたる やうに.

わたりに だいふうの ふききたる ように じゅらくに だいかの つきたる ように.
渡りに 大風の 吹き来たる やうに じゆらくに 大火の つきたる やうに.

にわかに かたきの よせたる ように とわりの きさきに なる ように.
俄に かたきの よせたる やうに とわりの きさきに なる やうに.

おどろき そねみ ねたみそうろう ゆえに.
をどろき そねみ ねたみ 候 ゆへに.

いぬる けんちょう 5ねん 4がつ 28にち より いま こうあん 2ねん11がつ まで.
去ぬる 建長 五年 四月 二十八日 より 今 弘安 二年 十一月 まで.

27ねんが あいだ たいてんなく もうし つより そうろう こと.
二十七年が 間 退転なく 申し つより 候 事.

つきの みつるが ごとく しおの さすが ごとく.
月の みつるが ごとく しほの さすが ごとく.

はじめは にちれん ただ ひとり となえ そうらいし ほどに.
はじめは 日蓮 只 一人 唱へ 候いし ほどに.

みる ひと あう ひと きく ひと みみを ふさぎ まなこを いからし くちを ひそめ.
見る 人 値う 人 聞く 人 耳を ふさぎ 眼を いからかし 口を ひそめ.

てを にぎり はを かみ ふぼきょうだい ししょう ぜんうも かたきと なる.
手を にぎり はを かみ 父母 兄弟 師匠 ぜんうも かたきと なる.

のちには ところの じとう りょうけ かたきと なる.
後には 所の 地頭 領家 かたきと なる.

のちには いっこく さわぎ のちには ばんにん おどろく ほどに.
後には 一国 さはぎ 後には 万人 をどろく ほどに.

あるいは ひとの くちまねをして なんみょうほうれんげきょうと となえ.
或は 人の 口まねをして 南無妙法蓮華経と となへ.

あるいは あっくの ために となえ あるいは しんずるに にて となえ.
或は 悪口の ために となへ 或は 信ずるに 似て 唱へ.

あるいは そしるに にて となえ なんど する ほどに.
或は そしるに 似て 唱へ なんど する 程に.

すでに にほんこく 10ぶんの 1ぶんは いっこう なんみょうほうれんげきょう.
すでに 日本国 十分が 一分は 一向 南無妙法蓮華経.

のこりの きゅうぶんは あるいは りょう.
のこりの 九分は 或は 両方.

あるいは うたがい あるいは いっこうねんぶつしゃ なるものは ふぼのかたき しゅくんの かたき.
或は うたがひ 或は 一向念仏者 なる者は 父母の かたき 主君の かたき.

すくせの かたきの ように ののしる.
宿世の かたきの やうに ののしる.


→a1332

b1333

そんしゅ ごうしゅ こくしゅ とうは むほんの ものの ごとく あだまれたり.
村主 郷主 国主 等は 謀叛の 者の ごとく あだまれたり.

かくの ごとく もうす ほどに たいかいの ふぼくの かぜに したがいて さだめなきが ごとく.
かくの 如く 申す 程に 大海の 浮木の 風に 随いて 定めなきが 如く.

けいもうの こくうに のぼりて じょうげ するが ごとく.
軽毛の 虚空に のぼりて 上下 するが 如く.

にほんこくを おわれ あるく ほどに.
日本国を をはれ あるく 程に.

あるときは うたれ あるときは いましめられ.
或時は うたれ 或時は いましめられ.

あるときは きずを かおり あるときは おんる.
或時は 疵を かほふり 或時は 遠流.

あるときは でしを ころされ あるときは うちおわれ なんどする ほどに.
或時は 弟子を ころされ 或時は うちをはれ なんどする 程に.

いぬる ぶんえい 8ねん くがつ 12にちには ごかんきを かおりて.
去ぬる 文永 八年 九月 十二日には 御かんきを かほりて.

ほっこく さどの しまに うつされて そうらいし なり.
北国 佐渡の 島に うつされて 候いし なり.

せけんには いちぶんの とがも なかりし み なれども.
世間には 一分の とがも なかりし 身 なれども.

こ さいみょうじにゅうどうどの ごくらくじにゅうどうどのを じごくに おちたりと もうす ほっし なれば.
故 最明寺入道殿 極楽寺入道殿を 地獄に 堕ちたりと 申す 法師 なれば.

むほんの ものにも すぎたりとて そうしゅう かまくら たつのくちと もうす ところにて くびを きらんとし そうらしが.
謀叛の 者にも すぎたりとて 相州 鎌倉 竜口と 申す 処にて 頸を 切らんとし 候いしが.

とがは だいか なれども ほけきょうの ぎょうじゃ なれば さう なくうしないなば いかんがとや おもわれけん.
科は 大科 なれども 法華経の 行者 なれば 左右 なく うしなひなば いかんがとや をもはれけん.

また おんごくの しまに すておきたる ならば いかにも なれかし.
又 遠国の 島に すてをきたる ならば いかにも なれかし.

かみに にくまれたる うえ ばんみんも ふぼの かたきの ように おもいたれば.
上に にくまれたる 上 万民も 父母の かたきの やうに おもひたれば.

みちにても また くににても  もしは ころすか.
道にても 又 国にても 若しは ころすか.

もしは かつえ しぬるかに ならんずらんと あてがわれて ありしに.
若しは かつえ しぬるかに ならんずらんと あてがはれて 有りしに.

ほけきょう じゅうらせつの おんめぐみにや ありけん.
法華経 十羅刹の 御めぐみにや ありけん.

あるいは てん とがなきよしを ごらんずるにや ありけん.
或は 天 とがなきよしを 御らんずるにや ありけん.

しまにて あだむ ものは おおかりしかども なかおきのじろうにゅうどうと もうせし ろうじん ありき.
島にて あだむ 者は 多かりしかども 中興の次郎入道と 申せし 老人 ありき.

かの ひとは とし ふりたる うえ こころ かしこく みも たのしくて.
彼の 人は 年 ふりたる 上 心 かしこく 身も たのしくて.

くにの ひとにも ひとと おもわれたりし ひとの.
国の 人にも 人と をもはれたりし 人の.

この ごぼうは ゆえある ひとにやと もうしけるかの ゆえに しそく とうも いたうも にくまず.
此の 御房は ゆへある 人にやと 申しけるかの ゆへに 子息 等も いたうも にくまず.

この いげの ものども たいし かれらの ひとびとの げにんにて ありしかば.
其の 已下の 者ども たいし 彼等の 人人の 下人にて ありしかば.

うちうち あやまつ ことも なく ただ かみの おんはからいの ままにて ありし ほどに.
内内 あやまつ 事も なく 唯 上の 御計いの ままにて ありし 程に.

みずは にごれども また すみ つきは くも かくせども また はるる ことわり なれば.
水は 濁れども 又 すみ 月は 雲 かくせども 又 はるる ことはり なれば.

とが なき こと すでに あらわれて いいし ことも むなし からざりけるかの ゆえに.
科 なき 事 すでに あらわれて いゐし 事も むなし からざりけるかの ゆへに.

ごいちもん しょだいみょうは ゆるす べからざる よし もうされ けれども.
御一門 諸大名は ゆるす べからざる よし 申され けれども.

さがみどのの おんはからい ばかりにて ついに ゆりて そうらいて のぼりぬ.
相模守殿の 御計らひ ばかりにて ついに ゆりて 候いて のぼりぬ.

ただし にちれんは にほんこくには だいいちの ちゅうの ものなり.
ただし 日蓮は 日本国には 第一の 忠の 者なり.

かたを ならぶる ひとは せんだいにも あるべからず.
肩を ならぶる 人は 先代にも あるべからず.

こうだいにも あるべしとも おぼえず.
後代にも あるべしとも 覚えず.

→a1333

b1334

その ゆえは いぬる しょうか ねんちゅうの おおじしん ぶんえい がんねんの だいちょうせいの とき.
其の 故は 去ぬる 正嘉 年中の 大地震 文永 元年の 大長星の 時.

ないがいの ちじん その ゆえを うらない しかども なにの ゆえ.
内外の 智人 其の 故を うらなひ しかども なにの ゆへ.

いかなる ことの しゅったい すべしと もうす ことを しらざりしに.
いかなる 事の 出来 すべしと 申す 事を しらざりしに.

にちれん いっさい きょうぞうに いりて かんがえたるに.
日蓮 一切 経蔵に 入りて 勘へたるに.

しんごん ぜんしゅう ねんぶつ りつ とうの ごんしょうの ひとびとをもって ほけきょうを かろしめ たてまつる ゆえに.
真言 禅宗 念仏 律 等の 権小の 人人を もつて 法華経を かろしめ たてまつる 故に.

ぼんてんたいしゃくの おんとがめにて にしなる くにに おおせつけて.
梵天 帝釈の 御とがめにて 西なる 国に 仰せ付けて.

にほんこくを せむべしと かんがえて こ さいみょうじにゅうどうどのに まいらせ そうらいき.
日本国を せむべしと かんがへて 故 最明寺入道殿に まいらせ 候いき.

このことを しょどうの もの おこづき わらいし ほどに 9かねん すぎて.
此の事を 諸道の 者 をこづき わらひし 程に 九箇年 すぎて.

いぬる ぶんえい 5ねんに だいもうここく より にほんこくを おそうべき よし ちょうじょう わたりぬ.
去ぬる 文永 五年に 大蒙古国 より 日本国を をそうべき よし 牒状 わたりぬ.

この ことの あう ゆえに ねんぶつしゃ しんごんしら あだみて うしなわんと せしなり.
此の 事の あふ 故に 念仏者 真言師等 あだみて 失はんと せしなり.

れいせば かんどに げんそうこうていと もうせし みかどの おんきさきに じょうようじんと もうせし びじん あり.
例せば 漢土に 玄宗皇帝と 申せし 御門の 御后に 上陽人と 申せし 美人 あり.

てんか だいいちの びじんにて ありしかば ようきひと もうす きさきの ごらんじて.
天下 第一の 美人にて ありしかば 楊貴妃と 申す きさきの 御らんじて.

この にんのうへ まいる ならば わが おぼえを とりなんとて せんじなりと もうし かすめて.
此の 人王へ まいる ならば 我が をぼへを とりなんとて 宣旨 なりと 申し かすめて.

ふぼ きょうだい をば あるいは ながし あるいは ころし.
父母 兄弟 をば 或は ながし 或は 殺し.

じょうようじんをば ろうに いれて 40ねん まで せめたりし なり.
上陽人をば ろうに 入れて 四十年 まで せめたりし なり.

これも それに にて そうろう.
此れも それに にて 候.

にちれんが かんもん あらわれて だいもうここくを ちょうぶくし にほんこく かつ ならば.
日蓮が 勘文 あらわれて 大蒙古国を 調伏し 日本国 かつ ならば.

この ほっしは にほん だいいちの そうと なりなん.
此の 法師は 日本 第一の 僧と なりなん.

われらが いとく おとろうべしと おもうかの ゆえに ざんげんを なすをば しろしめさずして.
我等が 威徳 をとろうべしと 思うかの ゆへに 讒言を なすをば しろしめさずして.

かれらが ことばを もちいて くにを ほろぼさんと せらるるなり.
彼等が ことばを 用いて 国を 亡さんと せらるるなり.

れいせば 2せおうは ちょうこうが ざんげんに よりて りしを うしない.
例せば 二世王は 趙高が 讒言に よりて 李斯を 失ひ.

かえりて ちょうこうが ために みを ほろぼされ.
かへりて 趙高が 為に 身を ほろぼされ.

えんぎの みかどは しへいのおとどの ざんげんに よりて かんじょうしょうを うしないて じごくに おち たまいぬ.
延喜の 御門は しへいのをとどの 讒言に よりて 菅丞相を 失いて 地獄に おち 給いぬ.

これも また かくのごとし.
此れも 又 かくの 如し.

ほけきょうの かたきたる しんごんし ぜんしゅう りっそう じさい ねんぶつしゃらが.
法華経の かたきたる 真言師 禅宗 律僧 持斎 念仏者等が.

もうす ことを おんもちい ありて にちれんを あだみ たもう ゆえに.
申す 事を 御用い ありて 日蓮を あだみ 給う ゆへに.

にちれんは いやし けれども しょじの ほけきょうを しゃか たほう じっぽうの しょぶつ.
日蓮は いやし けれども 所持の 法華経を 釈迦 多宝 十方の 諸仏.

ぼんてん たいしゃく にちがつ してん りゅうじん てんしょうだいじん はちまんだいぼさつ.
梵天 帝釈 日月 四天 竜神 天照太神 八幡大菩薩.

ひとの まなこを おしむが ごとく しょてんの たいしゃくを うやまうが ごとく.
人の 眼を おしむが ごとく 諸天の 帝釈を うやまうが ごとく.

ははの こを あいするが ごとく まもり おもんじ たもう ゆえに.
母の 子を 愛するが ごとく まほり おもんじ 給う ゆへに.

ほけきょうの ぎょうじゃを あだむ ひとを ばっしたもう こと.
法華経の 行者を あだむ 人を 罰し 給う 事.

ふぼの かたき よりも ちょうてき よりも おもく だいかに おこない たもうなり.
父母の かたき よりも 朝敵 よりも 重く 大科に 行ひ 給うなり.

しかるに きへんは こ じろうにゅうどうの みこにて おわする なり.
然るに 貴辺は 故 次郎入道殿の 御子にて をはする なり.

→a1334

b1335

ごぜんは また よめ なり.
御前は 又 よめ なり.

いみじく こころ かしこ かりし ひとの こと よめと におわすればや.
いみじく 心 かしこ かりし 人の 子と よめと にをはすればや.                                      

こ にゅうどうの あとを つぎ こくしゅも おんもちい なき ほけきょうを おんもちい ある のみならず.
故 入道殿の あとを つぎ 国主も 御用い なき 法華経を 御用い ある のみならず.

ほけきょうの ぎょうじゃを やしなわせ たまいて としどしに せんりの みちを おくりむかえ.
法華経の 行者を やしなはせ 給いて としどしに 千里の 道を おくりむかへ.

いぬる おさなごの むすめ ごぜんの 13ねんに じょうろくの そとばを たてて.
去ぬる 幼子の むすめ 御前の 十三年に 丈六の そとばを たてて.

その おもてに なんみょうほうれんげきょうの しちじを あらわして おわしませば.
其の 面に 南無妙法蓮華経の 七字を 顕して をはしませば.

きたかぜ ふけば なんかいの いろくず その かぜに あたりて たいかいの くを はなれ.
北風 吹けば 南海の いろくづ 其の 風に あたりて 大海の 苦を はなれ.

とうふう きたれば にしやまの ちょうろく その かぜを みに ふれて.
東風 きたれば 西山の 鳥鹿 其の 風を 身に ふれて.

ちくしょうどうを まぬかれて とそつの ないいんに うまれん.
畜生道を まぬかれて 都率の 内院に 生れん.

いわんや かの そとばに ずいきを なし てを ふれ まなこに み まいらせ そうろう じんるいをや.
況や かの そとばに 随喜を なし 手を ふれ 眼に 見 まいらせ 候人類をや.

かこの ふぼも かの そとばの くどくに よりて てんの にちがつの ごとく じょうどを てらし.
過去の 父母も 彼の そとばの 功徳に よりて 天の 日月の 如く 浄土を てらし.

こうようの ひと ならびに さいしは げんせには いのちを 120ねん たもちて.
孝養の 人 並びに 妻子は 現世には 寿を 百二十年 持ちて.

ごしょうには ふぼと ともに りょうぜんじょうどに まいり たまわん こと.
後生には 父母と ともに 霊山浄土に まいり 給はん 事.

みず すめば つき うつり つづみを うてば ひびきの あるが ごとしと おぼしめし そうらえと とう うんぬん.
水 すめば 月 うつり つづみを うてば ひびきの あるが ごとしと をぼしめし 候へ 等 云云.

これより のちのちの おんそとばにも ほけきょうの だいもくを あらわし たまえ.
此れより 後後の 御そとばにも 法華経の 題目を 顕し 給へ.

こうあん 2ねん きぼう 11がつ 30にち.
弘安 二年 己卯 十一月 卅日.

みのぶさん にちれん かおう.
身延山 日蓮 花押.

なかおきにゅうどうどのにょうぼう.
中興入道殿女房.

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