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最蓮房御返事 (さいれんぼう ごへんじ)
別名、師弟契約御書 (していけいやく ごしょ).
日蓮大聖人 51歳 御作.

 

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さいれんぼう ごへんじ.
最蓮房御返事.

ゆうざりは あいかまえ あいかまえて おんいり そうらえ.
夕ざりは 相構え 相構えて 御入り 候へ.

とくじゅしょくにん くどくほうもん いさい もうし そうらわん.
得受職人 功徳法門 委細 申し 候はん.

おんれいの むね いさい うけたまわり そうらい おわんぬ.
御札の 旨 委細 承り 候い 畢んぬ.

みやこ よりの しゅじゅの もの たしかに たび そうらい おわんぬ.
都 よりの 種種の 物 慥かに 給び 候い 畢んぬ.

かまくらに そうらいし ときこそ つねに かかるものは み そうらいつれ.
鎌倉に 候いし 時こそ 常に かかる 物は 見 候いつれ.

この しまにるざい せられし のちは いまだ みず そうろう.
此の 島に 流罪 せられし 後は 未だ 見ず 候.

これていの ものは へんどの こじまにては よによに めでたき ことに おもい そうろう.
是れ体の 物は 辺土の 小島にては よによに 目出度き 事に 思い 候.

ごじょうに いわく さる2がつの はじめ より みでしと なり.
御状に 云く 去る 二月の 始 より 御弟子と なり.

きふく つかまつり そうろう うえは じこん いごは ひと かず ならず そうろうとも.
帰伏 仕り 候 上は 自今 以後は 人 数 ならず 候とも.

みでしの いちぶんと おぼしめされ そうらわば きょうえつに あいぞんずべく そうろう うんぬん.
御弟子の 一分と 思し食され 候はば 恐悦に 相存ず可く 候 云云.

きょうの もんには 「ざいざいしょぶつの どに つねに しと ともに うまれん」とも.
経の 文には 「在在 諸仏の 土に 常に 師と 倶に 生れん」とも.

あるいは 「もし ほっしに しんごん せば すみやかに ぼさつの みちを えん.
或は 「若し 法師に 親近 せば 速かに 菩薩の 道を 得ん.

この しに ずいじゅんして がくせば ごうしゃの ほとけを み たてまつる ことを えん」とも いえり.
是の 師に 随順して 学せば 恒沙の 仏を 見 たてまつる ことを 得ん」とも 云へり.

しゃくには 「もと この ほとけに したがって はじめて どうしんを はっし.
釈には 「本 此の 仏に 従つて 初めて 道心を 発し.

また この ほとけに したがって ふたいちに じゅうせん」 とも.
亦 此の 仏に 従つて 不退地に 住せん」 とも.

あるいは いわく「はじめ この ほとけ ぼさつに したがって けつえんし.
或は 云く「初此の 仏 菩薩に 従つて 結縁し.

かえって この ほとけ ぼさつに おいて じょうじゅ す」とも いえり.
還つて 此の 仏菩薩に 於て 成就 す」とも 云えり.

この きょうしゃくを あんずるに かこ むりょうこう より このかた していの けいやく ありしか.
此の 経釈を 案ずるに 過去 無量劫 より 已来師弟の 契約 有りしか.

われら まっぽうじょくせに おいて せいを なんえんぶだい にほんこくに うけ.
我等 末法濁世に 於て 生を 南閻浮提 大日本国に うけ.

かたじけなくも しょぶつ しゅっせの ほんかいたる なんみょうほうれんげきょうを くちに となえ.
忝くも 諸仏 出世の 本懐たる 南無妙法蓮華経を 口に 唱へ.

こころに しんじ みに たもち てに もてあそぶ こと.
心に 信じ 身に 持ち 手に 翫ぶ 事.

これ ひとえに かこの しゅくじゅう なるか.
是れ 偏に 過去の 宿習 なるか.

よ にほんの ていを みるに だいろくてんの まおう ちしゃの みに いりて.
予 日本の 体を 見るに 第六天の 魔王 智者の 身に 入りて.

しょうしを じゃしと なし ぜんしを あくしと なす.
正師を 邪師と なし 善師を 悪師と なす.

きょうに 「あっきにゅうごしん」とは これなり.
経に 「悪鬼入其身」とは 是なり.

にちれん ちしゃに あらずと いえども だい6てんの まおう わがみにいらんと するに.
日蓮 智者に 非ずと 雖も 第六天の 魔王 我が 身に 入らんと するに.

かねての ようじん ふかければ みに よせつけず.
兼ての 用心 深ければ 身に よせつけず.

ゆえに てんま ちから およばずして おうしんを はじめとして.
故に 天魔 力 及ばずして 王臣を 始として.

りょうかん とうの ぐちの ほっしばらに とりついて にちれんを あだむなり.
良観 等の 愚癡の 法師原に 取り付いて 日蓮を あだむなり.

しかるに こんじは しに おいて しょうし じゃし ぜんし あくしの ふどう あることを しって.
然るに 今時は 師に 於て 正師 邪師 善師 悪師の 不同 ある事を 知つて.

じゃあくの しを おんりし しょうぜんの しに しんごん すべきなり.
邪悪の 師を 遠離し 正善の 師に 親近 すべきなり.

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たとい とくは しかいに あまねく ちえは にちがつに おなじくとも.
設い 徳は 四海に 斉く 智慧は 日月に 同くとも.

ほけきょうを ひぼう するの しをば あくし じゃしと しって これにしんごん すべからざる ものなり.
法華経を 誹謗 するの 師をば 悪師 邪師と 知つて 是に 親近 すべからざる 者なり.

ある きょうに いわく「もし ひぼうの ものには きょうじゅう すべからず.
或る 経に 云く「若し 誹謗の 者には 共住 すべからず.

もし しんごんし きょうじゅうせば すなわち あびごくに おもむかん」と いましめ たもう これなり.
若し 親近し 共住せば 即ち 阿鼻獄に 趣かん」と 禁め 給う 是なり.

いかに わが みは しょうじきにして せけん しゅっせの けんじんの なを とらんと ぞんずれども.
いかに 我が 身は 正直にして 世間 出世の 賢人の 名を とらんと 存ずれども.

あくにんに しんごん すれば しぜんに 10どに 2ど 3ど その おしえに したがい.
悪人に 親近 すれば 自然に 十度に 二度 三度 其の 教に 随ひ.

もって いく ほどに ついに あくにんに なるなり.
以て 行く ほどに 終に 悪人に なるなり.

しゃくに いわく「もし にんぽん あくなきも あくにんに しんごん すれば のち.
釈に 云く「若し 人本 悪 無きも 悪人に 親近 すれば 後.

かならず あくにんと なり あくみょう てんかに あまねからん」うんぬん.
必ず 悪人と 成り 悪名 天下に 遍からん」云云.

しょせん その じゃあくの し とは いまの よの ほっけひぼうの ほっし なり.
所詮 其の 邪悪の 師 とは 今の 世の 法華誹謗の 法師 なり.

ねはんぎょうに いわく「ぼさつ あくぞう とうに おいては こころに くふ すること なかれ.
涅槃経に 云く「菩薩 悪象 等に 於ては 心に 恐怖 すること 無かれ.

あくちしきに おいては ふいの こころを しょうぜよ.
悪智識に 於ては 怖畏の 心を 生ぜよ.

あくぞうの ために ころされては さんしゅに いたらず.
悪象の 為に 殺されては 三趣に 至らず.

あくゆうの ために ころさるれば かならず さんしゅに いたらん」.
悪友の 為に 殺さるれば 必ず 三趣に 至らん」.

ほけきょうに いわく 「あくせの なかの びくは じゃちにして こころ てんごく」とう うんぬん.
法華経に 云く 「悪世の 中の 比丘は 邪智にして 心 諂曲」等 云云.

さきざき もうし そうろう ごとく.
先先 申し 候 如く.

ぜんむい こんごうち だるま えか ぜんどう ほうねん.
善無畏 金剛智 達磨 慧可 善導 法然.

とうじの こうぼう おんじょうじのちしょう さんもんのじかく かんとうのりょうかんらの しょしは.
東寺の 弘法 園城寺の智証 山門の慈覚 関東の良観等の 諸師は.

こんきょうの しょうじきしゃほうべんの きんげんを よみ そうろうには しょうじきしゃじっきょう たんせつほうべんきょうと よみ.
今経の 正直捨方便の 金言を 読み 候には 正直捨実教 但説方便教と 読み.

あるいは おしょきょうちゅう さいざいごじょうの きょうもんをば おしょきょうちゅう さいざいごかと.
或は 於諸経中 最在其上の 経文をば 於諸経中 最在其下と.

あるいは ほっけさいだいいちの きょうもんをば ほっけさいだい2 だい3とうと よむ.
或は 法華最第一の 経文をば 法華最第二 第三等と 読む.

ゆえに これらの ほっしばらを じゃあくの しと もうし そうろうなり.
故に 此等の 法師原を 邪悪の 師と 申し 候なり.

さて しょうぜんの しと もうすは しゃくそんの きんげんの ごとく.
さて 正善の 師と 申すは 釈尊の 金言の 如く.

しょきょうは ほうべん ほっけは しんじつと しょうじきに よむを もうすべく そうろうなり.
諸経は 方便 法華は 真実と 正直に 読むを 申す可く 候なり.

けごんの 77の にゅうほうかいほん これを みるべし うんぬん.
華厳の 七十七の 入法界品 之を 見る可し 云云.

ほけきょうに いわく「ぜんちしきは これ だいいんねん なり.
法華経に 云く「善知識は 是れ 大因縁 なり.

いわゆる けどうして ほとけを み たてまつり あのくぼだいを ほっする ことを えせしめる」とう うんぬん.
所謂 化導して 仏を 見 たてまつり 阿耨菩提を 発する ことを 得せしむ」等 云云.

ぶっせつの ごときは しょうじきに しみさんきょう しょうじょう ごんだいじょうの ほうべんの しょきょう.
仏説の 如きは 正直に 四味三教 小乗 権大乗の 方便の 諸経.

ねんぶつ しんごん ぜん りつ とうの しょしゅう ならびに しょえのきょうを すて.
念仏 真言 禅 律 等の 諸宗 並びに 所依の 経を 捨て.

ただ ゆいい1だいじいんねんの みょうほうれんげきょうを とく しを しょうし ぜんしとは もうすべきなり.
但 唯以一大事因縁の 妙法蓮華経を 説く 師を 正師 善師とは 申す可きなり.

しかるに にちれん まっぽうの はじめの 500ねんに せいを にちいきに うけ.
然るに 日蓮 末法の 初の 五百年に 生を 日域に 受け.

にょらいの きもんの ごとく さんるいの ごうてきを こうむり.
如来の 記文の 如く 三類の 強敵を 蒙り.

しゅじゅの さいなんに あいあって しんみょうを おしまずして なんみょうほうれんげきょうと となえ そうろうは.
種種の 災難に 相値つて 身命を 惜まずして 南無妙法蓮華経と 唱え 候は.

しょうしか じゃしか よくよく おんしゆい これ あるべく そうろう.
正師か 邪師か 能能 御思惟 之 有る可く 候.

かみに かかぐる ところの しょしゅうの ひとびとは われこそ ほけきょうの こころを えて.
上に 挙ぐる 所の 諸宗の 人人は 我こそ 法華経の 意を 得て.

ほけきょうを しゅぎょうする ものよと なのり そうらえども.
法華経を 修行する 者よと 名乗り 候へども.

よが ごとく こうちょうには いずのくにに ながされ.
予が 如く 弘長には 伊豆の国に 流され.

ぶんえいには さどがしまに ながされ.
文永には 佐渡嶋に 流され.

あるいは たつのくちの くびのざ とう このほか しゅじゅの なん かずを しらず.
或は 竜口の 頸の座 等 此の外 種種の 難 数を 知らず.

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きょうもんの ごとく ならば よは しょうし なり ぜんし なり.
経文の 如く ならば 予は 正師 なり 善師 なり.

しょしゅうの がくしゃは ことごとく じゃし なり あくし なりと おぼしめし そうらえ.
諸宗の 学者は 悉く 邪師 なり 悪師 なりと 覚し食し 候へ.

このほか ぜんあく にしを ふんべつ する きょうろんの もん とう これ ひろく そうらえども.
此の外 善悪 二師を 分別 する 経論の 文 等 是れ 広く 候へども.

かねて ごぞんちの うえは もうすに およばず そうろう.
兼て 御存知の 上は 申すに 及ばず 候.

ただいまの おんふみに じこんいごは ひごろの じゃしを すて.
只今の 御文に 自今以後は 日比の 邪師を 捨て.

ひとえに しょうしと たのむとの おおせは ふしんに おぼえ そうろう.
偏に 正師と 憑むとの 仰せは 不審に 覚へ 候.

われらが ほんし しゃかにょらい ほけきょうを とかんが ために しゅっせ ましませしには.
我等が 本師 釈迦如来 法華経を 説かんが 為に 出世 ましませしには.

たほうの ほとけ ぼさつ とう らいりん ようごうして しゃくそんの ぎょうげを たすけたもう.
他方の 仏 菩薩 等 来臨 影響して 釈尊の 行化を 助け給う.

されば しゃか たほう じっぽうの しょぶつとうの おんつかいとして.
されば 釈迦 多宝 十方の 諸仏等の 御使として.

きたって けを にちいきに しめし たもうにもや あるらん.
来つて 化を 日域に 示し 給うにもや あるらん.

きょうに いわく 「われ よこくに おいて けにんを つかわして それが ために ちょうほうの しゅうを あつめ また けを つかわして ずいじゅんして さからわじ」.
経に 云く 「我於余国遣化人 為其集聴法衆 亦遣化随順不逆」.

この きょうもんに びくと もうすは きへんの ことなり.
此の 経文に 比丘と 申すは 貴辺の 事なり.

その ゆえは もんぽうしんじゅ ずいじゅんふぎゃく げんぜん なり.
其の 故は 聞法信受 随順不逆 眼前 なり.

いかでか これを うたがい たてまつるべきや.
争か 之を 疑い 奉るべきや.

たとい また ざいざいしょぶつど じょうよしぐしょうの ひと なりともさんしゅうの しょうもんの ごとく.
設い 又 在在諸仏土 常与師倶生の 人 なりとも 三周の 声聞の 如く.

げしゅの のちに たいだいしゅしょうして 5どう 6どうに ちんりんし たまいしが.
下種の 後に 退大取小して 五道 六道に 沈淪し 給いしが.

じょうぶつの ご らいしして じゅんじに とくだつ せしむべき ゆえにや.
成仏の 期 来至して 順次に 得脱 せしむべき ゆへにや.

ねんぶつ しんごん とうの じゃほう じゃしを すてて.
念仏 真言 等の 邪法 邪師を 捨てて.

にちれんが でしと なり たまうらん.
日蓮が 弟子と なり 給うらん.

ありがたき ことなり.
有り難き 事なり.

いずれの へんに ついても よが ことごとく しょしゅうの ほうぼうを せめ.
何れの 辺に 付いても 予が 如く 諸宗の 謗法を 責め.

かれらをして しゃじゃ きしょう せしめ たまいて.
彼等をして 捨邪 帰正 せしめ 給いて.

じゅんじに さんぶつざを ならべたもう じょうじゃっこうどに まいりて.
順次に 三仏座を 並べたもう 常寂光土に 詣りて.

しゃかたほうの ごほうぜんに おいて われら むし より いらい.
釈迦多宝の 御宝前に 於て 我等 無始 より 已来.

していの けいやく ありけるか なかりけるか.
師弟の 契約 有りけるか 無かりけるか.

また しゃくそんの おんつかいとして きたって けし たまえるか.
又 釈尊の 御使として 来つて 化し 給へるか.

さぞと おおせを こうむって こそ わが こころにも しられ そうらわんずれ.
さぞと 仰せを 蒙つて こそ 我が 心にも 知られ 候はんずれ.

いかようにも はげませ たまえ はげませ たまえ.
何様にも はげませ 給へ はげませ 給へ.

なんとなくとも きへんに さる 2がつの ころより だいじの ほうもんを おしえ たてまつりぬ.
何となくとも 貴辺に 去る 二月の 比より 大事の 法門を 教へ 奉りぬ.

けっくは うづき ようか やはん とらのときに みょうほうの ほんえんかいを もって.
結句は 卯月 八日 夜半 寅の時に 妙法の 本円戒を 以て.

じゅしきかんじょう せしめ たてまつる ものなり.
受職灌頂 せしめ 奉る 者なり.

この じゅしきを えるの ひと いかでか げんざい なりとも.
此の 受職を 得るの 人 争か 現在 なりとも.

みょうかくの ほとけを じょうぜざらん.
妙覚の 仏を 成ぜざらん.

もし こんじょう みょうかく ならば ごしょう あに とうかくとうの いんぶん ならんや.
若し 今生 妙覚 ならば 後生 豈 等覚 等の 因分 ならんや.

じつに むしこうごうの けいやく じょうよしぐしょうの ことわり ならば.
実に 無始曠劫の 契約 常与師倶生の 理 ならば.

にちれん こんど じょうぶつ せんに きへん あに あいはなれて あくしゅに だざい したもう べきや.
日蓮 今度 成仏 せんに 貴辺 豈 相離れて 悪趣に 堕在 したもう 可きや.

にょらいの きもん ぶついの へんに おいては せ しゅっせに おいて さらに もうご なし.
如来の 記文 仏意の 辺に 於ては 世 出世に 就いて 更に 妄語 無し.

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しかるに ほけきょうには 「わが めつどの のちに おいて まさに この きょうを じゅじ すべし.
然るに 法華経には 「我が 滅度の 後に 於て 応に 斯の 経を 受持すべし.

この ひと ぶつどうに おいて けつじょうして うたがい あること なけん」.
是の 人 仏道に 於て 決定して 疑 有ること 無けん」.

あるいは 「そくいしつとく むじょうぶつどう」 とう うんぬん.
或は 「速為疾得 無上仏道」 等 云云.

この きもん むなしくして われらが じょうぶつ こんど もうげん ならば.
此の 記文 虚くして 我等が 成仏 今度 虚言 ならば.

しょぶつの おんしたも きれ たほうの とうも やぶれおち.
諸仏の 御舌も きれ 多宝の 塔も 破れ落ち.

にぶつ びょうざは むけんじごくの ねってつの ゆかと なり.
二仏 並座は 無間地獄の 熱鉄の 牀と なり.

ほう じつ じゃくの さんどは じ が ちくの さんどうと へんじ そうろうべし.
方 実 寂の 三土は 地 餓 畜の 三道と 変じ 候べし.

いかでか さること そうろうべきや.
争か さる事 候べきや.

あら たのもしや たのもしや.
あら たのもしや たのもしや.

かくの ごとく おもいつづけ そうらえば.
是くの 如く 思いつづけ 候へば.

われらは るにん なれども しんしん ともに うれしく そうろうなり.
我等は 流人 なれども 身心 共に うれしく 候なり.

だいじの ほうもんをば ちゅうやに さたし.
大事の 法門をば 昼夜に 沙汰し.

じょうぶつの ことわりをば じじ こくこくに あじわう.
成仏の 理をば 時時 刻刻に あぢはう.

かくの ごとく すぎゆき そうらえば ねんげつを おくれども ひさしからず.
是くの 如く 過ぎ行き 候へば 年月を 送れども 久からず.

すぐる じこくも ほどあらず.
過ぐる 時刻も 程あらず.

れいせば しゃか たほうの にぶつ とうちゅうに びょうざして.
例せば 釈迦 多宝の 二仏 塔中に 並座して.

ほっけの みょうりを うなずきあい たまいし とき.
法華の 妙理を うなづき合い 給いし 時.

50しょうこう ほとけの じんりきの ゆえに もろもろの たいしゅうをして.
五十小劫 仏の 神力の 故に 諸の 大衆をして.

はんにちの ごとしと おもわしむと いいしが ごとくなり.
半日の 如しと 謂わしむと 云いしが 如くなり.

こっしょ より このかた ふぼ しゅくんとうの ごかんきを こうむり.
劫初 より 以来 父母 主君 等の 御勘気を 蒙り.

おんごくの しまに るざい せらるるの ひと われらが ごとく.
遠国の 島に 流罪 せらるるの 人 我等が 如く.

よろこび みに あまりたる もの よもあらじ.
悦び 身に 余りたる 者 よもあらじ.

されば われらが きょじゅうして いちじょうを しゅぎょうせんの ところは いずれの ところにても そうらえ.
されば 我等が 居住して 一乗を 修行せんの 処は 何れの 処にても 候へ.

じょうじゃっこうの みやこ たるべし.
常寂光の 都 為るべし.

われらが でし だんなと ならん ひとは いっぽを いかずして てんじくの りょうぜんを み.
我等が 弟子 檀那と ならん 人は 一歩を 行かずして 天竺の 霊山を 見.

ほんぬの じゃっこうどへ ちゅうやに おうふく したもう こと うれしとも.
本有の 寂光土へ 昼夜に 往復し 給ふ 事 うれしとも.

もうす ばかり なし もうすばかり なし.
申す 計り 無し 申す計り 無し.

あまりに うれしく そうらえば けいやく ひとつ もうし そうらわん.
余りに うれしく 候へば 契約 一つ 申し 候はん.

きへんの ごかんき とくとく ゆりさせ たまいて みやこへ おんのぼり そうらわば.
貴辺の 御勘気 疾疾 許させ 給いて 都へ 御上り 候はば.

にちれんも かまくらどのは ゆるさじと のたまい そうろうとも しょてん とうに もうして.
日蓮も 鎌倉殿は ゆるさじと の給ひ 候とも 諸天 等に 申して.

かまくらに かえり きょうとへ おとずれ もうすべく そうろう.
鎌倉に 帰り 京都へ 音信 申す可く 候.

またにちれん さきだって ゆり そうらいて かまくらへ かえり そうらわば.
又 日蓮 先立つて ゆり 候いて 鎌倉へ 帰り 候はば.

きへんをも てんに もうして こきょうへ かえし たてまつるべく そうろう.
貴辺をも 天に 申して 古京へ 帰し 奉る可く 候.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言.

しがつ 13にち.
四月十三日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

さいれんぼうどの ごへんじ.
最蓮房 御返事.

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