b1344から1355.
祈祷抄 (きとう しょう)
日蓮大 聖人 51歳御作

 

b1344

きとうしょう.
祈祷抄 .

ぶんえい9ねん 51さい おんさく.
文永 九年 五十一歳 御作.

ほんちょうしゃもん にちれん せん.
本朝沙門 日蓮 撰.

とうていわく けごんしゅう ほっそうしゅう さんろんしゅう しょうじょうのさんしゅう しんごんしゅう てんだいしゅうの いのりを なさんに.
問うて 云く 華厳宗・法相宗・三論宗・小乗の三宗・真言宗・天台宗の祈を なさんに.

いずれか しるし あるべきや.
いづれか しるし あるべきや、.

こたえて いわく ぶっせつ なれば いずれも いちおうは いのりと なるべし.
答て 云く 仏説 なれば いづれも 一往は 祈と なるべし、.

ただ ほけきょうを もって いのらん いのりは かならず いのりと なるべし.
但 法華経を もつて いのらむ 祈は 必ず 祈と なるべし、.

とうて いわく その ゆえんは いかん.
問うて 云く 其の 所以は 如何、.

こたえて いわく 2じょうは だいち みじんこうを へて さき しみの きょうを ぎょうずとも じょうぶつ すべからず.
答えて 云く 二乗は 大地 微塵劫を 経て 先四味の 経を 行ずとも 成仏 すべからず、.

ほけきょうは しゅゆの あいだ これを きいて ほとけに なれり.
法華経は 須臾の 間 此れを 聞いて 仏に なれり、.

もし しからば しゃりほつ かしょうとうの 1200 万 2000.
若 爾らば 舎利弗・迦葉等の 千二百・万二千.

そうじて いっさいの にじょうかいの ほとけは かならず ほけきょうの ぎょうじゃの いのりを かなうべし.
総じて 一切の 二乗界の 仏は 必ず 法華経の 行者の 祈を かなふべし、.

また ぎょうじゃの くにも かわる べし.
又 行者の 苦にも かわる べし、.

ゆえに しんげほんに いわく.
故に 信解品に 云く.

「せそんは だいおん まします けうの ことを もって れんびんきょうけして われらを りやく したもう.
「世尊は 大恩 まします 希有の 事を 以て 憐愍教化して 我等を 利益し 給う.

むりょうおくごうにも たれか よく ほうずる もの あらん.
無量億劫にも 誰れか 能く 報ずる 者 あらん、.

てあしを もって  きょうきゅうし ずちょうを もって らいぎょうし.
手足を もて 供給し 頭頂を もつて 礼敬し.

いっさいを もって くようすとも みな ほうずること あたわず.
一切を もつて 供養すとも 皆 報ずること 能わず、.

もしは もって ちょうだいし りょうかたに かぶして ごうしゃごうに おいて こころを つくして くぎょうし.
若しは 以て 頂戴し 両肩に 荷負して 恒沙劫に 於て 心を 尽して 恭敬し、.

また びぜん むりょうの ほうえ および もろもろの がぐ しゅじゅの とうやくを もってし.
又 美膳 無量の 宝衣 及び 諸の 臥具 種種の 湯薬を 以てし.

ごずせんだん および もろもろの ちんぽう もって とうびょうを たて.
牛頭栴檀 及び 諸の 珍宝 以つて 塔廟を 起て.

ほうえを ちに しき かくの ごとき とうの こと もって くようする こと.
宝衣を 地に 布き 斯くの 如き 等の 事 もつて 供養する こと.

ごうしゃごうに おいて すとも また ほうずること あたわじ」とう うんぬん.
恒沙劫に 於て すとも 亦 報ずること 能わじ」等 云云、.

この きょうもんは 4だい しょうもんが ひゆほんを ちょうもんして ほとけに なるべき よしを こころえて.
此の 経文は 四大 声聞が 譬喩品を 聴聞して 仏に なるべき 由を 心得て、.

ほとけと ほけきょうの おんの ほうじがたき ことを とけり.
仏と 法華経の 恩の 報じがたき 事を 説けり、.

されば 2じょうの おんためには この きょうを ぎょうずる ものをば.
されば 二乗の 御為には 此の 経を 行ずる 者をば.

ふぼ よりも あいし よりも りょうがん よりも しんみょう よりも だいじに こそ おぼしめすらめ.
父母 よりも 愛子 よりも 両眼 よりも 身命 よりも 大事に こそ おぼしめすらめ、.

しゃりほつ もくれんらの しょだい しょうもんは 1だいせいきょう いずれも さんたんせん ぎょうじゃを.
舎利弗・目連等の 諸大 声聞は 一代聖教 いづれも 讃歎せん 行者を・.

すて おぼす ことは ある べからずとは おもえども.
すて おぼす 事は 有る べからずとは 思へども・.

にぜん のしょきょうは すこし うらみ おぼす ことも あらん.
爾前の 諸経は・すこし・うらみ おぼす 事も 有らん.

「お ぶっぽうちゅう いにょ はいしゅ」なんど したたかに いましめられ たまいし ゆえなり.
「於仏法中已如敗種」なんど・したたかに いましめられ 給いし 故なり、.

いまの けこうにょらい みょうそうにょらい ふみょうにょらい なんど ならせ たまいたる ことは.
今の 華光如来・名相如来・普明如来 なんど ならせ 給いたる 事は・.

おもわざる ほかの さいわい なり.
おもはざる 外の 幸 なり、.

れいせば こんろんざんの くずれて たからの やまに いりたる ここちして こそ おわしぬらめ.
例せば 崑崙山の くづれて 宝の 山に 入りたる 心地して こそ・おはしぬらめ、.

されば りょうげの もんに いわく 「むじょうほうじゅ ふぐじとく とう」 うんぬん.
されば 領解の 文に 云く「無上宝珠 不求自得等」云云。.

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されば いっさいの 2じょうかい ほけきょうの ぎょうじゃを まもり たまわん ことは うたがいある べからず.
されば 一切の 二乗界 法華経の 行者を まほり 給はん 事は 疑ある べからず、.

あやしの ちくしょう なんども おんをば ほうずる ことに そうろう ぞかし.
あやしの 畜生 なんども 恩をば 報ずる 事に 候ぞかし、.

かりと もうす とり あり かならず ははの しなんと する とき こうを なす.
かりと 申す 鳥 あり 必ず 母の 死なんと する 時 孝を なす、.

きつねは つかを あとに せず ちくしょう なお かくの ごとし いわんや じんるい をや.
狐は 塚を 跡に せず 畜生 猶 此くの 如し 況や 人類 をや、.

されば おうじゅと いいし もの みちを いきしに うえ つかれたり しに.
されば 王寿と 云ひし 者・道を 行きしに うえ つかれたり しに、.

みちの あたりに うめの きあり その み おおし いのち とりて しょくして うえ やみぬ.
路の 辺に 梅の 樹あり 其の 実 多し 寿 とりて 食して・うへ やみぬ、.

われ この うめの みを しょくして きりょくを ます その おんを ほうぜずんば ある べからずと もうして.
我れ 此の 梅の 実を 食して 気力を ます 其の 恩を 報ぜずんば・あるべからずと 申して.

ころもを ぬぎて うめに かけて さりぬ.
衣を ぬぎて 梅に 懸けて さりぬ、.

おういんと いいし ものは みちを いくに みずに かっしぬ.
王尹と 云いし 者は 道を 行くに 水に 渇しぬ、.

かわを すぐるに みずを のんで ぜにを かわに いれて これを みずの あたいとす.
河を すぐるに 水を 飲んで 銭を 河に 入れて 是を 水の 直とす、.

りゅうは かならず けさを かけたる そうを まもる.
竜は 必ず 袈裟を 懸けたる 僧を 守る、.

ほとけ より けさを たびて りゅうぐうじょうの あいしに かけさせて こんじちょうの なんを まぬがるる ゆえなり.
仏より 袈裟を 給て 竜宮城の 愛子に 懸け させて 金翅鳥の 難を まぬがるる 故なり、.

こんじちょうは かならず ふぼ こうようの ものを まもる.
金翅鳥は 必ず 父母 孝養の 者を 守る、.

りゅうは しゅみせんを うごかして こんじちょうの あいしを しょくす.
竜は 須弥山を 動かして 金翅鳥の 愛子を 食す、.

こんじちょうは ほとけの おしえに よって ふぼの こうようを なすもの.
金翅鳥は 仏の 教に よつて 父母の 孝養を なす者・.

そうの とる さんばを しゅみの いただきに おきて りゅうの なんを まぬかるる ゆえなり.
僧の とる さんばを 須弥の 頂に をきて 竜の 難を まぬかるる 故なり、.

てんは かならず かいを たもち ぜんを しゅうする ものを まもる.
天は 必ず 戒を 持ち 善を 修する 者を 守る、.

にんげんかいに かいを たもたず ぜんを しゅうする もの なければ にんげんかいの ひと しして おおく しゅらどうに しょうず.
人間界に 戒を 持たず 善を 修する 者なければ 人間界の 人 死して 多く 修羅道に 生ず、.

しゅら たぜい ならば おごりを なして かならず てんを おかす.
修羅 多勢 なれば をごりを なして 必ず 天を をかす、.

にんげんかいに かいを たもちて ぜんを しゅうするの もの おおければ ひと しして かならず てんに しょうず.
人間界に 戒を 持ちて 善を 修するの 者・多ければ 人 死して 必ず 天に 生ず、.

てん おおければ しゅら おそれを なして てんを おかさず.
天 多ければ 修羅を それを なして 天を をかさず、.

ゆえに かいを たもち ぜんを しゅうする もの をば てん かならず これを まもる.
故に 戒を 持ち 善を 修する 者をば 天 必ず 之を 守る、.

いかに いわんや 2じょうは 6ぼん より かいとくも すぐれ ちえ かしこき ひとびと なり.
何に 況や 二乗は 六凡より 戒徳も 勝れ 智慧 賢き 人人 なり、.

いかでか わが じょうぶつを とげたらん ほけきょうを ぎょうぜん ひとをば すつ べきや.
いかでか 我が 成仏を 遂げたらん 法華経を 行ぜん 人をば 捨つ べきや。.

また いっさいの ぼさつ ならびに ぼんぷは ほとけに ならんが ために.
又 一切の 菩薩 並に 凡夫は 仏に ならんが ために、.

40よねんの きょうぎょうを むりょうこうが あいだ ぎょうぜ しかども ほとけに なる こと なかりき.
四十余年の 経経を 無量劫が 間・行ぜ しかども 仏に 成る 事 なかりき、.

しかるを ほけきょうを ぎょうじて ほとけと なって いま じゅっぽうせかいに おわします ほとけ.
而るを 法華経を 行じて 仏と 成つて 今 十方世界に おはします 仏・.

ほとけの 32そう 80しゅこうを そなえ させ たまいて 9かいの しゅじょうに あおがれて.
仏の 三十二相・八十種好を そなへ させ 給いて 九界の 衆生に あをがれて、.

つきを ほしの めぐれるが ごとく しゅみせんを 8せんの めぐるが ごとく.
月を 星の 回れるが ごとく 須弥山を 八山の 回るが 如く、.

にちりんを 4しゅうの しゅじょうの あおぐが ごとく りんおうを ばんみんの あおぐが ごとく.
日輪を 四州の 衆生の 仰ぐが 如く 輪王を 万民の 仰ぐが 如く、.

あおがれ させ たもうは ほけきょうの おんとくに あらずや.
仰がれ させ 給うは 法華経の 恩徳に あらずや、.

されば ほとけは ほけきょうに いましめて いわく.
されば 仏は 法華経に 誡めて 云く.

「すべからく また しゃりを やすんずる ことを もちいざれ」.
「須らく 復た 舎利を 安ずる ことを もちいざれ」.

ねはんきょうに いわく.
涅槃経に 云く.

「しょぶつの しと する ところ いわゆる ほう なり この ゆえに にょらい きょうけい くようす」とう うんぬん.
「諸仏の 師と する 所 所謂 法 なり 是の 故に 如来 恭敬 供養す」等 云云、.

ほけきょうには わが しゃりを ほけきょうに ならぶ べからず.
法華経には 我 舎利を 法華経に 並ぶ べからず、.

ねはんきょうには しょぶつは ほけきょうを きょうけい くよう すべしと とかせ たまえり.
涅槃経には 諸仏は 法華経を 恭敬 供養 すべしと 説せ 給へり、.

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ほとけ この ほけきょうを さとりて ほとけに なり.
仏 此の 法華経を さとりて 仏に 成り.

しかも ひとに とき きかせ たまわずば ぶっしゅを たたせ たもう とが あり.
しかも 人に 説き 聞かせ 給はずば 仏種を たたせ 給ふ 失 あり、.

この ゆえに しゃかにょらいは この しゃばせかいに いでて とかんと せさせ たまいしを.
此の 故に 釈迦如来は 此の 娑婆世界に 出でて 説かんと せさせ 給いしを、.

がんぽんの むみょうと もうす だい6てんの まおうが いっさいしゅじょうの みに いって.
元品の 無明と 申す 第六天の 魔王が 一切衆生の 身に 入つて、.

ほとけを あだみて とかせ まいらせじと せしなり.
仏を あだみて 説かせ まいらせじと せしなり、.

いわゆる はるりおうの 500人の しゃくしを ころし おうくつまらが ほとけを おい.
所謂 波瑠璃王の 五百人の 釈子を 殺し、鴦崛摩羅が 仏を 追、.

だいばが おおいしを はなち せんしゃばらもんにょが はちを はらに ふせて ほとけの みこと いいし.
提婆が 大石を 放・旃遮婆羅門女が 鉢を 腹にふせて 仏の 御子と 云いし、.

ばらもんじょうには ほとけを いれ たてまつる ものは 500りょうの かねを ひきき.
婆羅門城には 仏を 入れ 奉る 者は 五百両の 金を ひきき、.

されば みちに ほうばらを たて い には ふんを いれ もんには さかむきを ひけり.
されば 道に はうばらを たて・井 には 糞を 入れ 門には さかむきを ひけり・.

しょくには どくを いれし.
食には 毒を 入れし、.

みな これ ほとけを にくむ ゆえに けしきびくにを ころし.
皆 是れ 仏を にくむ 故に、華色比丘尼を 殺し、.

もくれんは ちくじょうげどうに ころされ かるだいは ばふんに うもれし.
目連は 竹杖外道に 殺され、迦留陀夷は 馬糞に 埋れし・.

みな ほとけを あだみし ゆえなり.
皆 仏を あだみし 故なり、.

しかれども ほとけ さまざまの なんを まぬかれて おんとし 72さい.
而れども 仏 さまざまの 難を まぬかれて 御年 七十二歳、.

ぶっぽうを とき はじめられて 42ねんと もうせしに.
仏法を 説き 始められて 四十二年と 申せしに・.

ちゅうてんじく おうしゃじょうの うしとら ぎしゃくっせんと もうす やまに して.
中天竺・王舎城の 丑寅・耆闍崛山と 申す 山に して、.

ほけきょうを とき はじめ られて 8ねん まで とかせ たまいて.
法華経を 説き 始め られて 八年 まで 説かせ 給いて、.

ひがしてんじく くしなじょう ばつだいがの ほとりに して おんとし 80と もうせし.
東天竺 倶尸那城・跋提河の 辺に して 御年 八十と 申せし、.

2がつ 15にちの やはんに おんねはんに いらせ たまいき.
二月 十五日の 夜半に 御涅槃に 入らせ 給いき、.

しかりと いえども おんさとりをば ほけきょうと とき おかせ たまえば.
而りと いへども 御悟りをば 法華経と 説き をかせ 給へば・.

この きょうの もじは そく しゃかにょらいの おんたましい なり.
此の 経の 文字は 即 釈迦如来の 御魂 なり、.

いちいちの もじは ほとけの おんたましい なれば.
一一の 文字は 仏の 御魂 なれば.

この きょうを ぎょうぜん ひとをば しゃかにょらいが わが おんまなこの ごとく まもり たもうべし.
此の 経を 行ぜん 人をば 釈迦如来 我が 御眼の 如く まほり 給うべし、.

ひとの みに かげの そえるが ごとく そわせ たまうらん.
人の 身に 影の そへるが・ごとく・そはせ 給うらん、.

いかでか いのりと ならせ たまわ ざるべき.
いかでか 祈と ならせ 給は ざるべき。.

いっさいの ぼさつは また はじめ けごんきょうより 40よねんの あいだ.
一切の 菩薩は 又 始め 華厳経より 四十余年の 間・.

ほとけに ならんと ねがい たまい しかども かなわずして.
仏に ならんと 願い 給い しかども・かなはずして、.

ほけきょうの ほうべんぽんの りゃっかいさんけんいちの とき.
法華経の 方便品の 略開三顕一の 時.

ほとけを もとむる もろもろの ぼさつ だいすう 8まん あり.
「仏を 求むる 諸の 菩薩 大数 八万 有り、.

また もろもろの まんおくこくの てんりんじょうおうの いたれる がっしょうして けいしんを もって ぐそくの みちを きかんと ほっす」と ねがいしが.
又 諸の 万億国の 転輪聖王の 至れる 合掌して 敬心を 以て 具足の 道を 聞かんと 欲す」と 願いしが、.

こうかいさんけんいちを きいて 「ぼさつ この ほうを きいて ぎもう みな すでに たちぬ」と とかせ たまいぬ.
広開三顕一を 聞いて「菩薩 是の 法を 聞いて 疑網 皆 已に 断ちぬ」と 説かせ 給いぬ、.

そのご じかい たほうの ぼさつ くもの ごとく あつまり ほしの ごとく つらなり たまいき.
其の 後 自界 他方の 菩薩 雲の 如く 集り 星の 如く 列り 給いき、.

ほうとうほんの とき じゅっぽうの しょぶつ おのおの むへんの ぼさつを ぐそくして あつまり たまいき.
宝塔品の 時・十方の 諸仏・各各 無辺の 菩薩を 具足して 集り 給いき、.

もんじゅは うみより むりょうの ぼさつを ぐそくし.
文殊は 海より 無量の 菩薩を 具足し、.

また 80まんおくなゆたの しょぼさつ また か 8ごうがしゃの ぼさつ じゆせんがいの ぼさつ ふんべつくどくほんの 6ぴゃく80まんおくなゆたごうがしゃの ぼさつ.
又 八十万億那由佗の 諸菩薩・又 過 八恒河沙の 菩薩・地涌千界の 菩薩・分別功徳品の 六百八十万億那由佗恒河沙の 菩薩・

また せんばいの ぼさつ また 1せかいの みじんすうの ぼさつ また 3ぜんだいせんせかいの みじんすうのぼさつ また 2せん ちゅう こくどの みじんすうのぼさつ.
又 千倍の 菩薩・復 一世界の 微塵数の 菩薩・復 三千大千世界の 微塵数の 菩薩・復 二千中国土の 微塵数の 菩薩・.

また しょうせんこくどの みじんすうの ぼさつ また ししてんげの みじんすうの ぼさつ.
復 小千国土の 微塵数の 菩薩・復 四四天下の 微塵数の 菩薩・.

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さんしてんげ にしてんげ いちしてんげの みじんすうの ぼさつ また 8せかい みじんすうの しゅじょう やくおうほんの 8まん4せんの ぼさつ.
三四天下 二四天下・一四天下の 微塵数の 菩薩・復 八世界 微塵数の 衆生・薬王品の 八万四千の 菩薩・.

みょうおんぼんの 8まん4せんの ぼさつ また 4まん2せんの てんし ふもんぼんの 8まん4せん だらにほんの 6まん8せんにん みょうそうごんのうほんの 8まん4せんにん.
妙音品の 八万四千の 菩薩・又 四万二千の 天子・普門品の 八万四千・陀羅尼品の 六万八千人・妙荘厳王品の 八万四千人・.

かんぱつぼんの ごうがしゃ とうの ぼさつ 3ぜんだいせんせかい みじんすう とうの ぼさつ.
勧発品の 恒河沙 等の 菩薩 三千大千世界 微塵数等の 菩薩・.

これらの ぼさつを くわしく かぞえば じゅっぽうせかいの みじんの ごとし.
此れ等の 菩薩を 委く 数へば 十方世界の 微塵の 如し、.

じゅっぽうせかいの そうもくの ごとし じゅっぽうせかいの ほしの ごとし じゅっぽうせかいの あめの ごとし.
十方世界の 草木の 如し、十方世界の 星の 如し、十方世界の 雨の 如し、.

これらは みな ほけきょうに して ほとけに ならせ たまいて.
此等は 皆 法華経に して 仏に ならせ 給いて、.

この 3000だいせんせかいの ちじょう ちか こくうの なかに まします.
此の 三千大千世界の 地上・地下・虚空の 中に まします、.

かしょうそんじゃは けいそくせんに あり もんじゅしりは しょうりょうざんに あり.
迦葉尊者は ケイ足山に あり、文殊師利は 清凉山に あり、.

じぞうぼさつは からださんに あり かんのんは ふだらくさんに あり.
地蔵菩薩は 伽羅陀山に あり、観音は 補陀落山に あり、.

みろくぼさつは とそつてんに なんだ とうの むりょうの りゅうおう あしゅらおうは かいてい かいはんに あり.
弥勒菩薩は 兜率天に、難陀 等の 無量の 竜王 阿修羅王は 海底 海畔に あり、.

たいしゃくは とうりてんに ぼんのうは うちょうてんに まけいしゅらは だい6の だかてんに してんのうは しゅみの こしに.
帝釈は トウ利天に 梵王は 有頂天に・魔醯修羅は 第六の 佗化天に・四天王は 須弥の 腰に・.

にちがつ しゅうせいは われらが まなこに みえて ちょうじょうを てらし たもう.
日月・衆星は 我等が 眼に 見へて 頂上を 照し 給ふ、.

こうじん かじん さんじん とうも みな ほけきょうの えじょうの しょそんなり.
江神・河神・山神 等も 皆 法華経の 会上の 諸尊なり。.

ほとけ ほけきょうを とかせ たまいて ねんすう 2せん2ひゃくよねん なり.
仏・法華経を とかせ 給いて 年数 二千二百余年 なり、.

にんげん こそ いのちも みじかき ゆえに ほとけをも み たてまつり そうろう ひとも はべらぬ.
人間 こそ 寿も 短き 故に 仏をも 見 奉り 候 人も 待らぬ、.

てんじょうは にっすうは ながく いのちも ながければ.
天上は 日数は 永く 寿も 長ければ.

しかしながら ほとけを おがみ ほけきょうを ちょうもん せる てん にん かぎり おおく おわする なり.
併ながら 仏を おがみ 法華経を 聴聞せる 天 人 かぎり 多く おはする なり.

にんげんの 50ねんは してんのうの いちにち いちやなり.
人間の 五十年は 四王天の 一日 一夜なり、.

これ 1にち 1やを はじめと して 30にちは 1がつ 12がつは 1ねんに して 500さい なり.
此れ 一日 一夜を はじめと して 三十日は 一月 十二月は 一年に して 五百歳 なり、.

されば にんげんの 2200よねんは しおうてんの 44にち なり.
されば 人間の 二千二百余年は 四王天の 四十四日 なり、.

されば にちがつ ならびに びしゃもんてんおうは ほとけに おくれ たてまつりて 44にち いまだ 2がつに たらず.
されば 日月 並びに 毘沙門天王は 仏に おくれ たてまつりて・四十四日 いまだ二月に たらず、.

たいしゃく ぼんてん なんどは ほとけに おくれ たてまつりて 1がつ いっときにも すきず.
帝釈・梵天 なんどは 仏に おくれ 奉りて 一月 一時にも すきず、.

わずかの あいだに いかでか ぶつぜんの おんちかい ならびに じしん じょうぶつの おんきょうの おんをば わすれて.
わづかの 間に・いかでか 仏前の 御誓 並びに 自身 成仏の 御経の 恩を ばわすれて、.

ほけきょうの ぎょうじゃをば すてさせ たもう べき なんど おもい つらぬれば たのもしき こと なり.
法華経の 行者をば 捨てさせ 給う べき なんど 思い つらぬれば・たのもしき 事 なり、.

されば ほけきょうの ぎょうじゃの いのる いのりは ひびきの おとに おうずるが ごとし.
されば 法華経の 行者の 祈る 祈は 響の 音に 応ずるが ごとし・.

かげの からだに そえるが ごとし すめる みずに つきの うつるが ごとし.
影の 体に そえるが ごとし、すめる 水に 月の うつるがごとし・.

ほうしょの みずを まねくが ごとし じしゃくの てつを すうが ごとし.
方諸の 水を まねくが ごとし・磁石の 鉄を すうが ごとし・.

こはくの ちりを とるが ごとし あきらかなる かがみの ものの いろを うかぶるが ごとし.
琥珀の 塵を とるが ごとし、あきらかなる 鏡の 物の 色を うかぶるが ごとし・.

せけんの ほうには わが おもわざる ことも ふぼ しゅくん ししょう さいし おろか ならぬ とも なんどの もうす ことは.
世間の 法には 我が おもはざる 事も 父母・主君・師匠・妻子 をろか ならぬ 友 なんどの 申す 事は.

はじある ものは いには あわざれども みょうりをも うしない いのちとも なる ことも はべる ぞかし.
恥ある 者は 意には・あはざれども 名利をも うしなひ、寿とも なる 事も 侍る ぞかし、.

いかに いわんや わが こころから おこりぬる ことは.
何に 況や 我が 心から をこりぬる 事は、.

ふぼ しゅくん ししょう なんどの せいしを くわうれども なす こと あり.
父母・主君・師匠 なんどの 制止を 加うれども なす 事 あり。.

→a1347

b1348

されば はんよきと いいし けんじんは わが こうべを きって だに こそ けいかと もうせし ひとには あたえき.
されば はんよきと 云いし 賢人は 我頚を 切つて だに こそ けいかと 申せし人には 与へき、.

きさつと もうせし ひとは やくそくの つるぎを じょの きみが つかの うえに かけたりき.
季札と 申せし 人は 約束の 剣を 徐の 君が 塚の 上に 懸けたりき、.

しかるに りょうぜんえじょうにして そくしんじょうぶつせし りゅうにょは しょうじょうきょうには 5しょうの くも あつく 3じゅうの きづな つよしと きらわれ.
而るに 霊山会上にして 即身成仏せし 竜女は・小乗経には 五障の 雲 厚く 三従の きづな 強しと 嫌はれ、.

40よねんの しょだいじょうきょうには あるいは りゃっこうしゅぎょうに たえずと すてられ.
四十余年の 諸大乗経には 或は 歴劫修行に たへずと 捨てられ、.

あるいは しょほっしんじ べんじょうしょうかくの ことばも うみょう むじつなり しかば にょにんじょうぶつも ゆるさ ざりしに.
或は 初発心時・便成正覚の 言も 有名 無実なり しかば 女人成仏も ゆるさ ざりしに・.

たとい にんげん てんじょうの にょにん なりとも じょうぶつの みちには のぞみ なかりしに.
設い 人間 天上の 女人 なりとも 成仏の 道には 望 なかりしに・.

りゅうちく げせんの みたるに にょにんと だに うまれ とし さえ いまだ たけず わずかに 8さい なりき.
竜畜 下賤の 身たるに 女人と だに 生れ 年 さへ・いまだ・たけず・わづかに 八歳 なりき、.

かたがた おもいも よらざりしに もんじゅの きょうけに よりて かいちゅうに して.
かたがた 思ひも よらざりしに 文殊の 教化に よりて 海中に して・.

ほっし だいばの ちゅうかん わずかに ほうとうほんを とかれし じこくに ほとけに なりたりし ことは ありがたき こと なり.
法師・提婆の 中間 わづかに 宝塔品を 説かれし 時刻に 仏に なりたりし 事は・ありがたき 事 なり、.

いちだい ちょうかの ほけきょうの おんちからに あらずば いかでか かくは そうろうべき.
一代 超過の 法華経の 御力に あらずば・いかでか・かくは 候べき、.

されば みょうらくは 「ぎょうせんこうしん いけんきょうりき」と こそ かかせ たまへ.
されば 妙楽は「行浅功深 以顕経力」とこそ 書かせ 給へ、.

りゅうにょは わが ほとけに なれる きょう なれば ほとけの おんいさめ なくとも いかでか ほけきょうの ぎょうじゃを すてさせ たもうべき.
竜女は 我が 仏に なれる 経 なれば 仏の 御諌 なくとも・いかでか 法華経の 行者を 捨てさせ 給うべき、.

されば じさんたんぶつの げには われ だいじょうの きょうを ひらいて くの しゅじょうを どだつせん」とうと こそ すすませ たまいしか.
されば 自讃歎仏の 偈には「我大乗の 教を 闡いて 苦の 衆生を 度脱せん」等とこそ・すすませさせ 給いしか、.

りゅうにょの ちかいは その しょじゅうの 「ひくしょせん ひしんしょしき」の いっさいの りゅうちくの ちかいなり.
竜女の 誓は 其の 所従の「非口所宣 非心所測」の 一切の 竜畜の 誓なり.

しゃからりゅうおうは りゅうちくの み なれども こを おもう こころざし ふかかりしかば.
娑竭羅竜王は 竜畜の 身 なれども 子を 念う 志 深かりしかば.

たいかい だい1の たから にょいほうじゅをも むすめに とらせて そくしんじょうぶつの おふせに せさせ つれ.
大海 第一の 宝如意宝珠をも むすめに とらせて 即身成仏の 御布施に せさせ つれ.

この たまは あたい 3ぜんだいせかいに かわる たま なり.
此の 珠は 直 三千大千世界に かふる 珠 なり。.

だいばだったは ししきょうおうには まご しゃかにょらいには おじ たりし こくぼんおうの おんし あなんそんじゃの あになり.
提婆達多は 師子頬王には 孫・釈迦如来には 伯父 たりし 斛飯王の 御子・阿難尊者の 舎兄なり、.
ぜんもんちょうじゃの むすめの はらなり.
善聞長者の むすめの 腹なり、.

てんりんじょうおうの ごいちもん なん えんぶだいには いやし からざる ひとなり.
転輪聖王の 御一門・南 閻浮提には 賤し からざる 人なり、.

ざいけに ましましし ときは ふさいと なるべき やすたらにょを しったたいしに おし とられ.
在家に ましましし 時は 夫妻 となるべき やすたら女を 悉達太子に 押し 取られ.

しゅくせの てきと おもいしに しゅっけの のちに にん てん だいえの あつまりし とき.
宿世の 敵と 思いしに、出家の 後に 人 天 大会の 集まり たりし 時・.

ほとけに なんじは ちじん つばきを くらえる ものと のられし うえ.
仏に 汝は 癡人・唾を 食へる 者と のられし 上・.

みょうもんりよう ふかかりし ひと なれば ほとけの ひとに もてなされしを そねみて.
名聞利養 深かりし 人 なれば 仏の 人に・もてなされしを そねみて・.

わが みには 5ほうを ぎょうじて ほとけ よりも たっとげに なし.
我が 身には 五法を 行じて 仏 よりも 尊げに なし・.

くろがねを のして せんぷくりんに つけ ほたるびを あつめて びゃくごうと なし.
鉄を のして 千輻輪に つけ・螢火を 集めて 白毫と なし・.

ろくまんほうぞう はちまんほうぞうを むね うかべ ぞうとうざんに かいじょうを たて.
六万宝蔵・八万宝蔵を 胸に浮べ、象頭山に 戒場を 立て.

おおくの ぶつでしを さそい とり つめに どくを ぬり ほとけの おみあしに ぬらんと くわだて.
多くの 仏弟子を さそひ とり、爪に 毒を 塗り 仏の 御足に ぬらむと 企て・.

れんげびくにを うちころし おおいしを はなって ほとけの おんゆびを あやまちぬ.
蓮華比丘尼を 打殺し・大石を 放て 仏の 御指を あやまちぬ、.

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b1349

つぶさに さんぎゃくを おかし けっくは ごてんじくの あくにんを あつめ.
具に 三逆を 犯し 結句は 五天竺の 悪人を 集め.

ほとけ ならびに おんでし だんな とうに あだを なす ほどに.
仏 並びに 御弟子 檀那 等に あだを なす 程に、.

びんばしゃらおうは ほとけの だい1の おん だんな なり.
頻婆娑羅王は 仏の 第一の 御檀那 なり、.

1にちに 5ひゃくりょうの くるまを おくり ひびに ほとけ ならびに おんでしを くようし たてまつりき.
一日に 五百輛の 車を 送り 日日に 仏 並びに 御 弟子を 供養し 奉りき、.

だいば そねむ こころ ふかくして あじゃせたいしを かたらいて.
提婆 そねむ 心 深くして 阿闍世太子を 語いて.

ちちを ついに 1しゃくの くぎ ななつを もって はりつけに なし たてまつりき.
父を 終に 一尺の 釘 七つを もつて はりつけに なし 奉りき、.

ついに おうしゃじょうの きたもんの だいち われて あびだいじょうに おちにき.
終に 王舎城の 北門の 大地 破れて 阿鼻大城に 墜ちにき、.

3000だいせんせかいの ひと 1りも これを みざる こと なかりき.
三千大千世界の 人 一人も 是を 見ざる 事 なかりき、.

されば だいちみじんこうは すぐとも むけんだいじょうをば いず べからずと こそ おもい そうろうに.
されば 大地微塵劫は 過ぐとも 無間大城をば 出づ べからずと こそ 思ひ 候に・.

ほけきょうに して てんおうにょらいと ならせ たまい けるに こそ ふしぎに とうとけれ.
法華経に して 天王如来と ならせ 給い けるに こそ 不思議に 尊けれ、.

だいばだった ほとけに なり たまわば かたらわれし ところの むりょうの あくにん.
提婆達多・仏に なり 給はば 語らはれし 所の 無量の 悪人、.

1ごう しょかん なれば みな むけんじごくの くは はなれ ぬらん.
一業 所感 なれば 皆 無間地獄の 苦は・はなれ ぬらん、.

これ ひとえに ほけきょうの おんとく なり.
是れ 偏に 法華経の 恩徳 なり、.

されば だいばだった ならびに しょじゅうの むりょうの けんぞくは ほけきょうの ぎょうじゃの いえに こそ すまわせ たもうらめと たのもし.
されば 提婆達多 並びに 所従の 無量の 眷属 は法華経の 行者の 室宅に こそ 住せ 給うらめと たのもし。.

もろもろの だいち みじんの ごとく なる しょぼさつは とうかくの くらいまで せめて がんぽんの むみょう ばかり もちて はべるが.
諸の 大地 微塵の 如く なる 諸菩薩は 等覚の 位まで・せめて 元品の 無明 計り もちて 侍るが・.

しゃかにょらいに あい たてまつる がんぽんの おおいしを わらんと おもうに.
釈迦如来に 値い 奉る 元品の 大石を わらんと 思ふに、.

きょうしゅ しゃくそん 40よねんが あいだは「いんぶんかせつ かぶんふかせつ」と もうして みょうかくの くどくを とき あらわし たまわず.
教主 釈尊・四十余年が 間は「因分可説 果分不可説」と 申して 妙覚の 功徳を 説き 顕し 給はず、.

されば みょうかくの くらいに のぼる ひと ひとりも なかりき ほんい なかりし ことなり.
されば 妙覚の 位に 登る 人・一人も なかりき・本意 なかりし 事なり、.

しかるに りょうぜん 8ねんが あいだに「ゆいいちぶつじょう みょういかぶん」と とき あらわし たまい しかば.
而るに 霊山 八年が 間に「唯一仏乗 名為果分」と 説き 顕し 給い しかば・.

もろもろの ぼさつ みな みょうかくの くらいに のぼりて しゃかにょらいと さとり ひとしく.
諸の 菩薩・皆妙覚の 位に 上りて 釈迦如来と 悟り 等しく・.

しゅみせんの いただきに のぼって しほうを みるが ごとく.
須弥山の 頂に 登つて 四方を 見るが 如く・.

ぢょうやに にちりんの いで たらんが ごとく あかなく ならせ たまいたり しかば.
長夜に 日輪の 出で たらんが 如く・あかなく ならせ 給いたり しかば・.

ほとけの おおせ なくとも ほけきょうを ひろめじ また ぎょうじゃに かわらじ とは おぼしめす べからず.
仏の 仰せ 無くとも 法華経を 弘めじ・又 行者に 替らじとは・おぼしめす べからず、.

されば「がふあいしんみょう たんじゃくむじょうどう ふしゃくしんみょう とうこうせつしきょう」とうと こそ ちかい たまいしか.
されば「我不愛身命 但惜無上道・不惜身命 当広説此経」等と こそ 誓ひ 給いしか。.

その うえ じふの しゃかぶつ ひもの たほうぶつ じひの ふぼ とう おなじく.
其の 上 慈父の 釈迦仏・悲母の 多宝仏・慈悲の 父母 等 同じく.

じょしょうの じゅっぽうの しょぶつ いちざに つらなせ たまいて.
助証の 十方の 諸仏・一座に 列らせ 給いて、.

つきと つきとを あつめたるが ごとく ひと ひとを ならべたるが ごとく ましましし とき.
月と 月とを 集めたるが 如く・日と 日とを 並べたるが 如く・ましましし 時、.

もろもろの たいしゅうに つぐ わが めつどの のち だれか よく このきょうを ごじし どくじゅせん もの なる.
「諸の 大衆に 告ぐ 我が 滅度の 後 誰か 能く 此の 経を 護持し 読誦せん もの なる、.

いま ぶつぜんに おいて おいて みずから せいげんを とけ」と 3ど まで いさめさせ たまいしに.
今 仏前に 於て 自ら 誓言を 説け」と 三度 まで 諌させ 給いしに、.

→a1349

b1350

8ぽう 400まんおくなゆたの こくどに じゅうまん せさせ たまいし しょだいぼさつ みを まげ ていず がっしょうし  つぶさに どうじに こえを あげて.
八方・四百万億那由佗の 国土に 充満 せさせ 給いし 諸大菩薩・身を 曲・低頭 合掌し 倶に 同時に 声を あげて.

「せそんの みことのりの ごとく まさに つぶさに ぶぎょうし たてまつる べし」と 3どまで こえを おしまず よばわり しかば.
「世尊の 勅の 如く 当に 具さに 奉行し たてまつる べし」と 三度まで・声を 惜まず・よばわり しかば、.

いかでか ほけきょうの ぎょうじゃには かわらせ たまわ ざるべき.
いかでか 法華経の 行者には・かわらせ 給は ざるべき、.

はんよきと いいし もの けいかに こうべを とらせ.
はんよきと 云いし もの けいかに 頭を 取せ・.

きさつと いいし もの じょの きみが つかに かたなを かけし やくそくを たがえじが ため なり.
きさつと 云いし もの 徐の 君が 塚に 刀を かけし、約束を 違へじが ため なり、.

これらは しんたん へんどの えびすの ごとく なるもの ども だにも ともの やくそくに いのちをも ほろぼし みに かえて おもう かたなをも つかに かくる ぞかし.
此れ等は 震旦・辺土の えびすの 如く なるもの ども・だにも 友の 約束に 命をも 亡ぼし 身に 代へて 思ふ 刀をも 塚に 懸くる ぞかし、.

まして しょだいぼさつは もとより だいひ だいじゅ くの ちかい ふかし.
まして 諸大菩薩は 本より 大悲 代受 苦の 誓ひ 深し・.

ほとけの おんいさめ なしとも いかでか ほけきょうの ぎょうじゃを すて たもう べき.
仏の 御諌 なしとも・いかでか 法華経の 行者を 捨て 給う べき、.

その うえ わが じょうぶつの きょうたる うえ ほとけ いんぎんに いさめ たまい しかば.
其の 上 我が 成仏の 経たる 上・仏・慇懃に 諌め 給い しかば・.

ぶつぜんの おんちかい ていねい なり ぎょうじゃを たすけ たもう こと うたがう べからず.
仏前の 御誓・丁寧 なり 行者を 助け 給う 事 疑う べからず。.

ほとけは にんてんの しゅ いっさいしゅじょうの ふぼ なり しかも かいどうの し なり.
仏は 人天の 主・一切衆生の 父母 なり・而も 開導の 師 なり、.

ふぼ なれども いやしき ふぼは しゅくんの ぎを かねず.
父母 なれども 賤き 父母は 主君の 義を かねず、.

しゅくん なれども  ふぼ ならざれば おそろしき へんも あり.
主君 なれども 父母 ならざれば おそろしき 辺も あり、.

ふぼ しゅくん なれど ししょう なる ことは なし.
父母・主君 なれども 師匠 なる 事は なし・.

しょぶつは また せそんにて ましませば しゅくん にては ましませども.
諸仏は 又 世尊にて ましませば 主君 にては・ましませども・.

しゃばせかいに いで させ たまわ ざれば ししょうに あらず.
娑婆世界に 出で させ 給は ざれば 師匠に あらず・.

また「ごちゅうしゅじょう しつぜごし」とも なのらせ たまわず.
又「其中衆生 悉是吾子」とも 名乗らせ 給はず・.

しゃかぶつ ひとり しゅししんの 3ぎを かね たまえり.
釈迦仏独・主師親の 三義を かね 給へり、.

しかれども 40よねんの あいだは だいばだったを のり たまい.
しかれども 四十余年の 間は 提婆達多を 罵 給ひ.

もろもろの しょうもんを そしり ぼさつの かぶんの ほうもんを おしみ たまいしかば.
諸の 声聞を そしり 菩薩の 果分の 法門を 惜み 給しかば、.

ほとけ なれども より よりは てんま はじゅん ばしの われらを なやますかの うたがい.
仏 なれども・より よりは 天魔・破旬 ばしの 我等を なやますかの 疑ひ・.

ひとには いわざれども こころの なかには おもいし なり.
人には・いはざれども 心の 中には 思いし なり、.

この こころは 40よねん より ほけきょうの はじめまで うせず.
此の 心は 四十余年 より 法華経の 始まで 失せず、.

しかるを りょうぜん 8ねんの あいだに ほうとう こくうに げんじ.
而るを 霊山 八年の 間に 宝塔・虚空に 現じ.

2ぶつ にちげつの ごとく ならび しょぶつ だいちに つらなり たいざんを あつめたるが ごとく.
二仏・日月の 如く 並び・諸仏 大地に 列り 大山を あつめたるが ごとく、.

じゆせんがいの ぼさつ こくうに ほしの ごとく つらなり たまいて.
地涌千界の 菩薩・虚空に 星の 如く 列り 給いて、.

しょぶつの かぶんの くどくを はき たまい しかば.
諸仏の 果分の 功徳を 吐き 給い しかば・.

ほうぞうを かたぶけて ひんにんに あたうるが ごとく こんろんざんの くずれたるに にたりき.
宝蔵を かたぶけて 貧人に あたうるが ごとく・崑崙山の くづれたるに にたりき、.

しょにん この たまを のみ ひろうが ごとく この 8かねんが あいだ.
諸人 此の 玉を のみ 拾うが 如く 此の 八箇年が 間・.

めずらしく とうとき こと しんずいにも とおり しかば.
珍しく 貴き 事 心髄にも・とをり しかば・.

しょぼさつ しんみょうも おしまず ことばを はぐくまず ちかいを なせし ほどに.
諸菩薩・身命も 惜まず 言を はぐくまず 誓を なせし 程に・.

ぞくるいほんにして しゃかにょらい ほうとうを いでさせ たまいて とびらを おしたて たまい しかば.
属累品にして 釈迦如来・宝塔を 出でさせ 給いて とびらを 押したて 給い しかば.

しょぶつは くにぐにへ かえり たまいき.
諸仏は 国国へ 返り 給ひき、.

もろもろの ぼさつ とうも しょぶつに したがい たてまつりて かえらせ たまいぬ.
諸の 菩薩 等も 諸仏に 随ひ 奉りて 返らせ 給ひぬ。.

→a1350

b1351

ようよう こころ ぼそく なりし ほどに.
やうやう 心 ぼそく なりし 程に.

「きゃくごみつき とうはつねはん」と となえさせ たまいし こと こそ こころ ぼそく みみ おどろかし かりしかば.
「郤後三月 当般涅槃」と 唱えさせ 給いし 事 こそ 心 ぼそく 耳 をどろかし かりしかば.

しょぼさつ 2じょう にん てん とう ことごとく ほけきょうを ちょうもんして ほとけの おんとく しんかんに そみて.
諸菩薩 二乗 人 天 等 ことごとく 法華経を 聴聞して 仏の 恩徳 心肝に そみて、.

しんみょうをも ほけきょうの おんために なげて ほとけに みせ まいらせんと おもいしに.
身命をも 法華経の 御ために 投て 仏に 見せ まいらせんと 思いしに・.

ほとけの おおせの ごとく もし ねはん せさせ たまわば いかに あさまし からんと むなさわぎして ありし ほどに.
仏の 仰の 如く 若し 涅槃 せさせ 給はば・いかに・あさまし からんと 胸さはぎして・ありし 程に・.

ほとけの おんとし まん 80と もうせし 2がつ 15にちの とらうの とき.
仏の 御年・満 八十と 申せし 二月 十五日の 寅卯の 時・.

ひがしてんじく しゃえいこく くしなじょう ばつだいがの ほとりに して ほとけ ごにゅうめつ なるべき よしの おんおと.
東天竺・舎衛国・倶尸那城・跌提河の 辺に して 仏 御入滅 なるべき 由の 御音・.

うえは うちょう よこには 3000だいせんせかいまで ひびきたりし こそ めもくれ こころも きえ はてぬれ.
上は 有頂・横には 三千大千界まで・ひびきたりし こそ 目もくれ・心も きえ はてぬれ、.

5てんじく 16の たいこく 500の ちゅうごく 10 1000の しょうこく むりょうの ぞくさんこく とうの しゅじょう.
五天竺・十六の 大国・五百の 中国・十 千の 小国・無量の 粟散国 等の 衆生・.

ひとりも いしょくを ととのえず じょうげを きらわず.
一人も 衣食を 調へず・上下を きらはず、.

ぎゅうば ろうく ちょうじゅ みんもうとうの 52るいの 1るいの かず だいちみじん をも つくしぬ べし いわんや 52るい をや.
牛馬・狼狗・チョウ鷲・ミンモウ 等の 五十二類の 一類の 数・大地微塵 をも・つくしぬ べし・況や 五十二類 をや、.

この たぐい みな はな こう い しょくを そなえて さいごの くようと あてがいき.
此の 類 皆 華 香 衣 食を そなへて 最後の 供養と あてがひき、.

いっさいしゅじょうの たからの はし おれなんとす いっさいしゅじょうの まなこ ぬけなんとす.
一切衆生の 宝の 橋 おれなんとす・一切衆生の 眼 ぬけなんとす.

いっさいしゅじょうの ふぼ しゅくん ししょう しなんとす なんど もうす こえ ひびき しかば.
一切衆生の 父母・主君・師匠 死なんとす なんど 申す こえ・ひびき しかば・.

みの けの いよ たつ のみならず なみだを ながす なんだを ながす.
身の 毛の いよ 立 のみならず・涙を 流す、なんだを・ながす.

のみならず あたまを たたき むねを おさえ こえも おしまず さけび しかば.
のみならず・頭を たたき 胸を をさへ 音も 惜まず 叫び しかば・.

ちの なみだ ちの あせ くしなじょうに おおあめ よりも しげく ふり たいが よりも おおく ながれ たりき.
血の 涙・血の あせ・倶尸那城に 大雨 よりも・しげく ふり・大河 よりも 多く 流れ たりき、.

これ ひとえに ほけきょうに して ほとけに なりしかば ほとけの おんの ほうずる こと かたかりし なり.
是れ 偏えに 法華経に して 仏に なりしかば 仏の 恩の 報ずる 事 かたかりし なり。.

かかる なげきの にわにても ほけきょうの かたきをば したを きるべき よし.
かかる なげきの 庭にても 法華経の 敵をば 舌を・きるべき よし・.

ざに つらなる まじき よしの のしり はべりき.
座に つらなる まじき よしの のしり 侍りき、.

かしょうどうじぼさつは ほけきょうの かたきの くにには そうばくと なるべしと ちかい たまいき..
迦葉童子菩薩は 法華経の 敵の 国には 霜雹と なるべしと 誓い 給いき、

その とき ほとけは ふしどより おきて よろこばせ たまいて よきかな よきかなと ほめ たまいき.
爾の 時 仏は 臥より をきて・よろこばせ 給いて 善哉 善哉と 讃め 給いき、.

しょぼさつは ほとけの おんこころを すいして ほけきょうの かたきを うたんと もうさば.
諸菩薩は 仏の 御心を 推して 法華経の 敵を うたんと 申さば、.

しばらくも いき たまい なんと おもいて いちいちの ちかいは なせし なり.
しばらくも・いき 給い なんと 思いて 一一の 誓は・なせし なり、.

されば しょぼさつ しょてんにん とうは ほけきょうの かたきの しゅったい せよかし.
されば 諸菩薩・諸天人 等は 法華経の 敵の 出来 せよかし.

ぶつぜんの おんちかい はたして しゃかそん ならびに たほうぶつ しょぶつ にょらいにも げに ぶつぜんに して ちかいしが ごとく.
仏前の 御誓 はたして・釈迦尊 並びに 多宝仏・諸仏・如来にも・げに 仏前に して 誓いしが 如く、.

ほけきょうの おんためには なをも しんみょうをも おしまざり けりと おもわれ まいらせんと こそ おぼすらめ.
法華経の 御ためには 名をも 身命をも 惜まざり けりと 思はれ まいらせんと・こそ・おぼすらめ。.

いかに もうす ことは おそき やらん.
いかに 申す 事は・をそき やらん、.

→a1351

b1352

だいちは ささば はずるるとも おおぞらを つなぐ ものは ありとも.
大地は ささば はづるる とも 虚空を つなぐ 者は ありとも・.

しおの みちひぬ ことはあり とも ひは にしより いずるとも.
潮の みちひぬ 事は あり とも 日は 西より 出づる とも・.

ほけきょうの ぎょうじゃの いのりの かなわぬ ことは ある べからず.
法華経の 行者の 祈りの かなはぬ 事は ある べからず、.

ほけきょうの ぎょうじゃを もろもろの ぼさつ にんてん はちぶ とう にしょう にてん じゅうらせつ とう せんに ひとつも きたって まもり たまわぬ こと はべらば.
法華経の 行者を 諸の 菩薩・人天・八部 等・二聖・二天・十羅刹 等・千に 一も 来つて まほり 給はぬ 事 侍らば、.

かみは しゃか しょぶつを あなずり たてまつり しもは 9かいを たぼらかす とがあり.
上は 釈迦 諸仏を あなづり 奉り 下は 九界を たぼらかす 失あり、.

ぎょうじゃは かならず ふじつ なりとも ちえは おろか なりとも みは ふじょう なりとも かいとくは そなえずとも.
行者は 必ず 不実 なりとも・智慧は をろか なりとも・身は 不浄 なりとも・戒徳は 備へずとも・.

なんみょうほうれんげきょうと もうさば かならず しゅごし たまうべし.
南無妙法蓮華経と 申さば 必ず 守護し 給うべし、.

ふくろ きたなし とて こがねを すつる こと なかれ いらんを にくまば せんだん ある べからず.
袋 きたなし とて 金を 捨る 事 なかれ・伊蘭を にくまば 栴檀 ある べからず、.

たにの いけを ふじょう なりと きらわば はすを とらざる べし.
谷の 池を 不浄 なりと 嫌はば 蓮を 取らざる べし、.

ぎょうじゃを きらい たまわば ちかいを やぶり たまいなん.
行者を 嫌い 給はば 誓を 破り 給いなん、.

しょうぞう すでに すぎ ぬれば じかいは いちの なかの とらの ごとし ちしゃは りんかく よりも まれ ならん.
正像 既に 過ぎ ぬれば 持戒は 市の 中の 虎の 如し・智者は 麟角 よりも 希 ならん、.

つきを まつ までは あかりを たのむべし ほうじゅの なき ところには きんぎんも たから なり 
月を 待つ までは 灯を 憑べし 宝珠の なき 処には 金銀も 宝 なり、
 
はくちょうの おんをば こくちょうに ほうず べし せいそうの おんをば ぼんそうに ほうず べし.
白烏の 恩をば 黒烏に 報ず べし・聖僧の 恩をば 凡僧に 報ず べし、.

とくとく りしょうを さずけ たまえと ごうじょうに もうす ならば いかでか いのりの かなわざる べき.
とくとく 利生を さづけ 給へと 強盛に 申す ならば・いかでか 祈りの かなはざる べき。.

とうて いわく かみに かかせ たもう どうり もんしょうを はいけん するに.
問うて 云く 上に かかせ 給ふ 道理・文証を 拝見 するに・.

まことに にちげつの てんに おわします ならば だいちに そうもくの おうる ならば.
まことに 日月の 天に・おはします ならば 大地に 草木の おふる ならば、.

ちゅうやの こくどに あるならば だいち だにも はんぷく せずば たいかいの しお だにも みちひる ならば.
昼夜の 国土に あるならば 大地 だにも 反覆 せずば 大海の しほ だにも みちひる ならば、.

ほけきょうを しんぜん ひと げんせの いのり ごしょうの ぜんしょは うたがい なかる べし
法華経を 信ぜん 人 現世の いのり 後生の 善処は 疑い なかる べし、.

しかりと いえども この 20よねんが あいだの てんだい しんごんとうの めいしょう おおく だいじの いのりを なすに.
然りと 雖も 此の 二十余年が 間の 天台・真言等の 名匠・多く 大事の いのりを なすに・.

はかばかしく いみじき いのり ありとも みえず.
はかばかしく いみじき いのり ありとも みえず、.

なお げてんの ものども よりも つたなき ように うち おぼえて みゆる なり.
尚 外典の 者ども より もつたなき やうに うち をぼへて 見ゆる なり、.

おそらくは きょうもんの そらごと なるか ぎょうじゃの おこないの おろか なるか.
恐らくは 経文の そらごと なるか・行者の をこなひの をろか なるか・.

じきの かなわ ざるかと うたがわれて ごしょうも いかんと おぼう それは さて おきぬ.
時機の かなは ざるかと、うたがはれて 後生も いかんと をぼう。それは・さて をきぬ・.

ごぼうは さんそうの おんでしと うけたまわる ちちの つみは こに かかり.
御房は 山僧の 御弟子と うけ 給はる 父の 罪は 子に かかり・.

しの つみは でしに かかると うけ たまわる .
師の 罪は 弟子に かかると うけ 給はる、.

えいざんの そうとの おんじょう さんもんの どうとう ぶつぞう きょうかん すうせんまんを やきはらわせ たもうが.
叡山の 僧徒の 薗城・山門の 堂塔・仏像・経巻・数千万を やきはらはせ 給うが、.

ことに おそろしく せけんの ひとびとも さわぎ うと みあえるは.
ことに おそろしく 世間の 人人も さわぎ うと みあへるは・.

いかに まえにも しょうしょう うけたまわり そうらいぬ れども こんど くわしく きき ひらき そうらわん.
いかに・前にも 少少 うけ 給はり 候ぬ れども 今度 くわしく・きき ひらき 候はん、.

ただし ふしんなる ことは かかる あくそうども なれば 3ぽうの みこころにも かなわず てんちにも うけられ たまわず して.
但し 不審なる ことは・かかる 悪僧ども なれば 三宝の 御意にも・かなはず 天地にも・うけられ 給はず して、.

いのりも かなわざる やらんと おぼえ そうろうは いかに.
祈りも 叶はざる やらんと・をぼへ 候は いかに、.

こたえて いわく せんぜんも しょうしょう もうし ぬれども こんど また あらあら もうす べし.
答て 云く せんぜんも 少少 申し ぬれども 今度 又 あらあら 申す べし、.

→a1352

b1353

にほんこくに おいては このこと たいせつ なり.
日本国に をいては 此の 事 大切 なり、.

これを しらざる ゆえに おおくの じんこうに ざいごうを つくる.
これを しらざる 故に 多くの 人口に 罪業を つくる、.

まず さんもん はじまりし ことは この くにに ぶっぽう わたって 200よねん.
先づ 山門 はじまりし 事は 此の 国に 仏法 渡つて 二百余年、.

かんむてんのうの ぎょうに でんぎょうだいし たて はじめ たまいし なり.
桓武天皇の 御宇に 伝教大師 立て 始め 給いし なり、.

とうじの きょうとは むかし しょうとくたいし おうけ ありと そうし たまい しかども.
当時の 京都は 昔 聖徳太子・王気 ありと 相し 給い しかども・.

てんだいしゅうの わたらん ときを まち たまいし あいだ みやこを たて たまわず.
天台宗の 渡らん 時を 待ち 給いし 間・都を たて 給はず、.

また じょうぐうたいしの きに いわく 「わがめつご 200よねんに ぶっぽう にほんに ひろまる べし」うんぬん.
又 上宮太子の 記に 云く「我が 滅後 二百余年に 仏法 日本に 弘まる 可し」云云、.

でんぎょうだいし えんりゃく ねんちゅうに えいざんを たて たもう かんむてんのうは たいらの みやこを たて たまいき .
伝教大師・延暦 年中に 叡山を 立て 給ふ 桓武天皇は 平の 京都を たて 給いき、.

たいしの きもん たがわざる ゆえなり.
太子の 記文 たがはざる 故なり、.

されば さんもんと おうけとは まつと かしわとの ごとし らんと しばとに にたり.
されば 山門と 王家とは 松と 栢との ごとし、蘭と 芝とに にたり、.

まつ かるれば かならず かしわ かれ らん しぼめば また しば しぼむ.
松 かるれば 必ず 栢 かれ らん しぼめば 又 しば しぼむ、.

おうほうの さかえは やまの よろこび おういの おとろえは やまの なげきと みえしに.
王法の 栄へは 山の 悦び・王位の 衰へは 山の 歎きと 見えしに・.

すでに よ かんとうに うつりし こと なにとか おぼし めしけん.
既に 世・関東に 移りし 事 なにとか 思 食しけん。.

ひほう 41にんの ぎょうじゃ.
秘法 四十一人の 行者・.

しょうきゅう 3ねん かのとみ 4がつ 19にち きょう えびす みだれし とき.
承久 三年 辛巳 四月 十九日 京 夷 乱れし 時.

かんとう ちょうぶくの ため おきの ほうこうの せんじに よって はじめて おこなわれ.
関東 調伏の 為め 隠岐の 法皇の 宣旨に 依つて 始めて 行はれ.

ごしゅうほう 15だんの ひほう.
御修法 十五壇の 秘法、.

1じ こんりんほう.
一字 金輪法.

(てんだいざしゅ じえんそうじょう ばんそう 12くち かんぱく どの もとみちの おんさた).
(天台座主 慈円僧正・伴僧十二口・関白殿 基通の 御沙汰).

4てんのうほう.
四天王法.

(じょうこうじの みや そうじょう そうばん 8くちひろせどのに おいて しゅうみょうもんいんの おんさた).
(成興寺の 宮僧正・僧伴 八口広瀬殿に 於て 修明門院の 御沙汰).

ふどうみょうおうほうじょう.
不動明王法.

(ほうそうじょう ばんそう8くち かざんいん ぜんもんの おんさた だいいとくほうかんげんそうじょう ばんそう8くち しちじょういんの おんさた).
(成宝僧正・伴僧八口・花山院 禅門の 御沙汰・大威徳法観厳僧正・伴僧八口・七条院の 御沙汰).

てんりんじょうおうほう.
転輪聖王法.

(じょうけんそうじょう ばんそう8くち どういんの おんさた).
(成賢僧正・伴僧八口・同院の 御沙汰).

10だんだいいとくほう.
十壇大威徳法.

(ばんそう6くち かくちょうそうじょう しゅんしょうほういん えいしんほういん ごうえんほういん ゆうえんそうず  じけんそうず けんじょうそうず せんそんそうず ぎょうへんそうず じっかくほうげん いじょう 10にん だいしほんぼうに おいて これを しゅうす).
(伴僧六口・覚朝僧正・俊性法印・永信法印・豪円法印・猷円僧都・慈賢僧正・賢乗僧都・仙尊僧都・行遍僧都・実覚法眼・已上 十人 大旨本坊に 於て 之を 修す).

にょいりんぽう.
如意輪法.

(みょうこういんそうじょう ばんそう8くち ぎしゅうもんいんの おんさた).
(妙高院僧正・伴僧八口 宜秋門院の 御沙汰).

びしゃもんほう.
毘沙門法.

(じょうじゅういん そうじょう みい ばんそう6くち しちんの おんさた).
(常住院 僧正・三井・伴僧六口・資賃の 御沙汰).

ごほんぞん 1ちにち これを つくらせ らる ちょうぶくの ぎょうぎは にょほう あいぜんおうほう.
御本尊 一日 之を 造らせ らる・調伏の 行儀は 如法 愛染王法.

(にんなじ おむろの ぎょうほう 5がつ 3か これを はじめて ししんでんに おいて 27にち これを しゅうせらる).
(仁和寺 御室の 行法・五月 三日 之れを 始めて 紫宸殿に 於て 二七日 之を 修せらる).

ぶつげんほう.
仏眼法.

(だいせいそうじょう 3 7にち これを しゅうす).
(大政僧正・三 七日 之を 修す).

6じほう(かいが そうず).
六字法(快雅 僧都).

あいぜんおうほう (かいげんそうじょう なのか これを しゅうす).
愛染王法(観厳僧正・七日 之を 修す).

ふどうほう(かんしゅうじの そうじょう ばんそう8くち みな そうごう).
不動法(勧修寺の 僧正・伴僧八口・皆 僧綱).

だいいとくほう(あきの そうじょう).
大威徳法(安芸 僧正).

こんごうどうじほう(どうにん).
金剛童子法(同人).

いじょう 15だんの ほう おわれり.
已上 十五壇の 法 了れり、.

5がつ 15にち いがたろう ほうがん みつとき きょうに して うたれ.
五月 十五日 伊賀太郎 判官 光季 京に して 討たれ、.

どう 19にち かまくらに きこえ.
同 十九日 鎌倉に 聞え、.

どう 21にち たいぜい ぐんぴょう のぼると きこえ しかば のこる ところの ほう 6がつ 8か これを おこない はじめらる.
同 二十一日 大勢 軍兵 上ると 聞え しかば 残る 所の 法・六月 八日 之れを 行ひ 始めらる、.
 
そんせいおうほう(かくちょう そうじょう).
尊星王法(覚朝 僧正).

だいげんほう(ぞうう そうず).
太元法(蔵有 僧都).

ごだんほう(だいせいそうず えいしんほういん ぜんそんそうず ゆうえんそうず ぎょうへんそうず).
五壇法(大政僧正・永信法印・全尊僧都・猷円僧都・行遍僧都).

しゅごきょうほう(おむろ これを おこなわ せらる わが ちょう 2ど これを おこなう).
守護経法(御室 之を 行は せらる 我 朝 二度 之を 行う).

5がつ 21にち むさしの こうどのが かいどう より じょうらくし.
五月 二十一日 武蔵の 守殿が 海道 より 上洛し.

かいげんじは さんどうを のぼる しきぶどのは ほくりくどうを のぼり たまう.
甲斐源氏は 山道を 上る 式部殿は 北陸道を 上り 給う、.

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b1354

6がつ 5か おおつを かたむる て かいげんじに やぶられ おわんぬ.
六月 五日・大津を かたむる 手・甲斐源氏に 破られ 畢んぬ、.

どう 6がつ 13にち 14か うじはしの かっせん どう 14かに きょうがた やぶられ おわんぬ.
同 六月 十三日 十四日 宇治橋の 合戦・同 十四日に 京方 破られ 畢んぬ、.

どう 15にち むさしこうどの 6じょうへ いり たもう しょにん いり おわんぬ.
同 十五日に 武蔵守殿 六条へ 入り 給ふ 諸人 入り 畢んぬ、.

7がつ 11にちに ほんいんは おきの くにへ ながされ たまい ちゅういんは あわの くにへ ながされ たまい だい3いんは さどの くにへ ながされ たもう.
七月 十一日に 本院は 隠岐の 国へ 流され 給ひ・中院は 阿波の 国へ 流され給ひ・第三院は 佐渡の 国へ 流され 給ふ、.

てんじょうびと 7にん ちゅうさつ せられ おわんぬ.
殿上人 七人 誅殺 せられ 畢んぬ、.

かかる だいあくほう としを へて ぜんぜんに かんとうに おち くだりて しょどうの べっとう ぐそうと なり れんれんと これを おこなう.
かかる 大悪法・年を 経て 漸漸に 関東に 落ち 下りて 諸堂の 別当・供僧と なり 連連と 之を 行う、.

もとより きょうほうの じゃしょう しょうれつ をば しろし めさず.
本より 教法の 邪正 勝劣 をば 知 食さず、.

ただ 3ぽうをば あがむべき ことと ばかり おぼしめす ゆえに しぜんと して これを もちい きたれり .
只 三宝をば・あがむべき 事と・ばかり・おぼしめす 故に 自然として 是を 用ひ きたれり、.

かんとうの くにぐに のみならず えいざん とうじ おんじょうじの ざす べっとう みな かんとうの おんはからいと なりぬる ゆえに.
関東の 国国 のみならず 叡山・東寺・薗城寺の 座主・別当・皆 関東の 御計と 成りぬる 故に.

にかの ほうの だんなと なり たまいぬる なり.
彼の 法の 檀那と 成り 給いぬる なり。.

とうて いわく しんごんの おしえを あながちに じゃきょうと いう こころ いかん.
問て 云く 真言の 教を 強に 邪教と 云う 心 如何、.

こたえて いわく こうぼうだいし いわく.
答えて 云く 弘法大師 云く
.
だい1 だいにちきょう だい2 けごんきょう だい3 ほけきょうと よくよく この しだいを あんずべし.
第一 大日経・第二 華厳経・第三 法華経と 能能 此の 次第を 案ずべし、.

ほとけは いかなる きょうにか この 3ぶきょうの きょうの しょうれつを とき はんじ たまえるや.
仏は 何なる 経にか 此の 三部の 経の 勝劣を 説き 判じ 給へるや、.

もし だい1 だいにちきょう だい2 けごんきょう だい3 ほけきょうと とき たまえる きょう あるならば もっとも しかるべし.
若し 第一 大日経・第二 華厳経・第三 法華経と 説き 給へる 経 あるならば 尤も 然るべし、.

その ぎ なくんば はなはだ もって えよう しがたし.
其の 義 なくんば 甚だ 以て 依用し 難し、.

ほけきょうに いわく「やくおう いま なんじに つぐ われ しょせつの しょきょう しかも この きょうの なかに おいて ほっけ もっとも だい1 なり」うんぬん.
法華経に 云く「薬王 今 汝に 告ぐ 我 所説の 諸経 而かも 此の 経の 中に於て 法華 最も 第一なり」云云、.

ほとけ まさしく しょきょうを あげて その なかに おいて ほっけ だい1と とき たもう.
仏 正く 諸教を 挙げて 其の 中に 於いて 法華第一と 説き 給ふ、.

ほとけの せっぽうと こうぼうだいしの ふでとは すいかの そういなり たずね きわむ べき こと なり.
仏の 説法と 弘法大師の 筆とは 水火の 相違なり 尋ね 究む べき 事 なり、.

この ふでを すう100ねんが あいだ ぼんそう こうそう これを がくし.
此 筆を 数百年が 間・凡僧・高僧・是を 学し.

きせん じょうげ これを しんじて だいにちきょうは いっさいきょうの なかに だい1と あげめける こと ぶついに かなわず.
貴賤・上下・是を 信じて 大日経は 一切経の 中に 第一と あがめける 事 仏意に 叶はず、.

こころ あらん ひとは よくよく おもい さだむ べきなり.
心 あらん 人は 能く能く 思い 定む べきなり、

もし ぶついに あい かなわぬ ふで ならば しんずとも あに じょうぶつ すべきや.
若し 仏意に 相 叶はぬ 筆 ならば 信ずとも 豈 成仏 すべきや、.

また これを もって こくどを いのらんに まさに ふしょうを おこさざる べきや.
又 是を 以て 国土を 祈らんに 当に 不祥を 起さざる べきや、.

また いわく 「しんたんの にんし とう あらそって だいごを ぬすむ」うんぬん.
又 云く「震旦の 人師 等 諍て 醍醐を 盗む」云云、.

もんの いは てんだいだいし とう しんごん きょうの だいごを ぬすんで ほけきょうの だいごと なづけ たまえる ことは この ふで さいだい1の しょうじ なり.
文の 意は 天台大師 等・真言 教の 醍醐を 盗んで 法華経の 醍醐と 名け 給へる 事は、此の 筆 最第一の 勝事 なり、.

ほけきょうを だいごと なづけ たまえる ことは てんだいだいし ねはんきょうの もんを かんがえて いっさいきょうの なかには ほけきょうを だいごと なづくと はんじ たまえり.
法華経を 醍醐と 名け 給へる 事は、天台大師・涅槃経の 文を 勘へて 一切経の 中には 法華経を 醍醐と 名くと 判じ 給へり、.

しんごんきょうの てんじくより とうどへ わたる ことは てんだい しゅっせの いご 200よねん なり.
真言教の 天竺より 唐土へ 渡る 事は 天台 出世の 以後 二百余年 なり、.

されば 200よねんの のちに わたる べき しんごんの だいごを ぬすみて ほけきょうの だいごと なづけ たまいけるか.
されば 二百余年の 後に 渡る べき 真言の 醍醐を 盗みて 法華経の 醍醐と 名け 給ひけるか.

この こと ふしんなり ふしんなり.
此の 事 不審なり 不審なり、.

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b1355

しんごん いまだ わたらざる いぜんの 200よねんの ひとびとを ぬすびとと かき たまえる こと しょうこ いずれぞや.
真言 未だ 渡らざる 以前の 二百余年の 人人を 盗人と かき 給へる 事・証拠 何れぞや、.

こうぼうだいしの ふでをや しんずべき.
弘法大師の 筆をや 信ずべき、.

ねはんぎょうに ほけきょうを だいごと とけるおや しんずべき.
涅槃経に 法華経を 醍醐と 説けるをや 信ずべき、.

もし てんだいだいし ぬすびと ならば ねはんぎょうの もんをば いかんが こころうべき.
若し 天台大師 盗人 ならば 涅槃経の 文をば 云何が こころうべき、.

さては ねはんぎょうの もん しんじつに して こうぼうの ふで じゃぎならば じゃぎの おしえを しんぜん ひとびとは いかん.
さては 涅槃経の 文・真実に して 弘法の 筆・邪義 ならば 邪義の 教を 信ぜん 人人は 云何、.

ただ こうぼうだいしの ふでと ほとけの せっぽうと かんがえ あわせて せいぎを しんじ はべる べしと もうす ばかり なり.
只 弘法大師の 筆と 仏の 説法と 勘へ 合せて 正義を 信じ 侍る べしと 申す 計り なり。.

うたがって いわく だいにちきょうは だいにちにょらいの せっぽう なり.
疑て 云く 大日経は 大日如来の 説法 なり・.

もし しからば しゃくそんの せっぽうを もって だいにちにょらいの きょうほうを うちたる こと すべて どうりに あい かなわず いかん.
若し 爾らば 釈尊の 説法を 以て 大日如来の 教法を 打ちたる 事・都て 道理に 相 叶はず 如何、.

こたえて いわく だいにちにょらいは いかなる ひとを ふぼとして いかなる くに にいで だいにちきょうを とき たまける やらん.
答えて 云く 大日如来は 何なる 人を 父母として 何なる 国に 出で 大日経を説き 給ける やらん、.

もし ふぼ なくして しゅっせし たもう ならば しゃくそん にゅうめつ いご じそん しゅっせ いぜん 56おく7せんまんさいが ちゅうかんに ほとけ いでて せっぽう すべしと いうこと いかなる きょうもんぞや.
もし 父母 なくして 出世し 給う ならば 釈尊 入滅 以後、慈尊 出世 以前、五十六億七千万歳が 中間に 仏 出でて 説法 すべしと 云う 事 何なる 経文ぞや、.

もし しょうこ なくんば だれびとか しんず べきや.
若し 証拠 なくんば 誰人か 信ず べきや、.

かかる ひがごとを のみ かまえ もうす あいだ じゃきょうとは もうす なり.
かかる 僻事を のみ 構へ 申す 間・邪教とは 申す なり、.

その めいびゆう つくしがたし わずか 1 2を いだす なり.
其の 迷謬 尽しがたし 纔か 一二を 出す なり、.

しかのみならず ならびに ぜんしゅう ねんぶつとうを これを もちいる.
加之 並びに 禅宗・念仏 等を 是を 用る、
.
これらの ほうは みな みけんしんじつの ごんきょう ふじょうぶつの ほう むけんじごくの ごうなり.
此れ等の 法は 皆 未顕真実の 権教 不成仏の 法・無間地獄の 業なり、.

かの ぎょうにん また ほうぼうの もの なり いかでか ごきとう かなう べきや.
彼の 行人 又 謗法の 者 なり 争でか 御祈祷 叶ふ べきや、.

しかるに こくしゅと なり たもう ことは かこに しょうほうを たもち ほとけに つかうるに よって.
然るに 国主と 成り 給ふ 事は 過去に 正法を 持ち 仏に 仕ふるに 依つて.

だいしょうの おう みな ぼんのう たいしゃく にちがつ してんとうの おんはからいと して ぐんごうを りょうし たまえり.
大小の 王・皆梵王・帝釈・日月・四天 等の 御計ひと して 郡郷を 領し 給へり、.

いわゆる きょうにいわく 「われ いま 5げんを もて あきらかに 3ぜを みるに いっさいの こくおう みな.
所謂 経に 云く「我 今 五眼を もて 明に 三世を 見るに 一切の 国王 皆.

かこせに 500の ほとけに じするに よって ていおう しゅと なる ことを えたり」とう うんぬん.
過去世に 五百の 仏に 侍するに 由つて 帝王 主と 為る ことを 得たり」等 云云、.

しかるに ほけきょうを そむきて しんごん ぜん ねんぶつ とうの じゃしに ついて もろもろの ぜんこんを しゅうせらるる とも あえて ぶついに かなわず.
然るに 法華経を 背きて 真言・禅・念仏 等の 邪師に 付いて 諸の 善根を 修せらるる とも、敢て 仏意に 叶はず・.

しんりょにも いする ものなり よくよく あん あるべき なり.
神慮にも 違する 者なり・能く能く 案 あるべき なり、.

にんげんに せいを える こと すべて まれなり たまたま せいを うけて ほうの じゃしょうを きわめて みらいの じょうぶつを きせざらん こと かえすがえす ほんいに あらざる もの なり.
人間に 生を 得る 事・都て 希なり 適 生を 受けて 法の 邪正を 極めて 未来の 成仏を 期せざらん 事・返返 本意に 非ざる 者 なり、.

また じかくだいし ごにっとう いご ほんし でんぎょうだいしに そむかせ たまいて えいざんに しんごんを ひろめんが ために おん きしん ありしに.
又 慈覚大師・御入唐 以後・本師 伝教大師に 背かせ 給いて 叡山に 真言を 弘めんが 為に 御 祈請 ありしに・.

ひを いるに にちりん どうてんすと いう むそうを ごらんじて 400よねんの あいだ しょにん これを きちむと おもえり.
日を 射るに 日輪 動転すと 云う 夢想を 御覧じて、四百余年の 間・諸人 是を 吉夢と 思へり、.

にほんこくは ことに いむべき ゆめ なり.
日本国は 殊に 忌むべき 夢 なり、.

いんの ちゅうおう にちりんを まとに して いるに よって み ほろびたり.
殷の 紂王・日輪を 的に して 射るに 依つて 身 亡びたり、.

この おん むそうは ごんけの こと なりとも よくよく しゆい あるべきか.
此の 御 夢想は 権化の 事 なりとも 能く能く 思惟 あるべきか、.

よって きゅうぎゅうの 1もう ちゅうする ところ くだんの ごとし.
仍つて 九牛の 一毛 註する 所件の 如し。.

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