b1388-2から1389.
松野殿御返事 (まつのどの ごへんじ)
別名、三界無安御書 (さんがい むあん ごしょ).
日蓮大 聖人 57歳御作.

 

b1388

まつのどの ごへんじ.
松野殿 御返事.

しゅじゅの もの おくり たまい そうらい おわんぬ.
種種の 物 送り 給い 候 畢ぬ.

さんちゅうの すまい おもいやらせ たまうて ゆきの なか ふみわけて おんとぶらい そうろう こと.
山中の すまゐ 思遣せ 給うて 雪の 中 ふみ分けて 御訪い 候 事.

おんこころざし さだめて ほけきょう じゅうらせつも しろしめし そうろうらん.
御志 定めて 法華経 十羅刹も 知し食し 候らん.

さては ねはんぎょうに いわく.
さては 涅槃経に 云く.

「じんめいの とどまらざる ことは さんすいにも すぎたり こんにち そんすと いえども あす たもちがたし」.
「人命の 停らざる ことは 山水にも 過ぎたり 今日 存すと 雖も 明日 保ち難し」.

まやきょうに いわく.
摩耶経に 云く.

「たとえば せんだらの ひつじを かって とけに いたるが ごとく じんめい また かくの ごとく ほほ しちに ちかづく」.
「譬えば 旃陀羅の 羊を 駈て 屠家に 至るが 如く 人命も 亦 是くの 如く 歩歩 死地に 近く」.

ほけきょうに いわく.
法華経に 云く.

「さんがいは やすきこと なし なお かたくの ごとし しゅうく じゅうまんして はなはだ ふい すべし」とう うんぬん.
「三界は 安きこと 無し 猶 火宅の 如し 衆苦 充満して 甚だ 怖畏すべし」等 云云、.

これらの きょうもんは われらが じふ だいかくせそん まつだいの ぼんぷを いさめ たまい.
此れ等の 経文は 我等が 慈父・ 大覚世尊・ 末代の 凡夫を いさめ 給い、.

いとけなき こどもを さし おどろかし たまえる きょうもん なり.
いとけなき 子どもを さし 驚かし 給へる 経文 なり、.

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b1389

しかりと いえども しゅゆも おどろく こころなく せつなも どうしんを おこさず.
然りと 雖も 須臾も 驚く 心なく 刹那も 道心を 発さず、.

のべに すてられなば いちやの なかに はだかに なるべき みを かざらんが ために.
野辺に 捨てられなば 一夜の 中に はだかに なるべき 身を かざらんが ために、.

いとまを いれ ころもを かさねんと はげむ.
いとまを 入れ 衣を 重ねんと はげむ、.

いのち おわりなば 3かの うちに みずと なりて ながれ.
命 終りなば 三日の 内に 水と 成りて 流れ.

ちりと なりて ちに まじわり けむりと なりて てんに のぼり.
塵と 成りて 地に まじはり 煙と 成りて 天に のぼり.

あとも みえず なるべき みを やしなわんとて おおくの たからを たくわう.
あとも みえず なるべき 身を 養はんとて 多くの 財を たくはふ、.

この ことわりは ことふり そうらいぬ.
此の ことはりは 事ふり 候ぬ.

ただし とうせいの ていこそ あわれに そうらえ.
但し 当世の 体こそ 哀れに 候へ、.

にほんこく すうねんの あいだ うち つづき けかち ゆきて えじき たえ.
日本国 数年の 間 打ち 続き けかち ゆきて 衣食 たへ・.

ちくるいをば くいつくし けっく ひとを くらう もの しゅったいして.
畜るひをば 食いつくし・ 結句 人を くらう 者 出来して.

あるいは しにん あるいは しょうに あるいは びょうにんらの にくを さきどりて.
或は 死人 或は 小児 或は 病人等の 肉を 裂取て.

うお しからに くわえて うりしかば ひと これを かい くえり.
魚 鹿等に 加へて 売りしかば 人 是を 買い くへり.

この くに ぞんの ほかに だいあっきと なれり.
此の 国 存の 外に 大悪鬼と なれり、.

また こぞの はるより ことしの 2がつ ちゅうじゅん まで えきびょう くにに じゅうまんす.
又 去年の 春より 今年の 二月 中旬 まで 疫病 国に 充満す、.

10けに 5け 100けに 50け みな やみ しし.
十家に 五家・ 百家に 五十家 皆 やみ 死し.

あるいは みは やまねども こころは だいくに あえり.
或は 身は やまねども 心は 大苦に 値へり.

やむ ものよりも おそろし.
やむ 者よりも 怖し、.

たまたま いきのこれたれども あるいは かげの ごとく そいし.
たまたま 生残たれども 或は 影の 如く そいし.

こも なく まなこの ごとく かおを ならべし ふうふも なく.
子も なく 眼の 如く 面を ならべし 夫婦も なく・.

てんちの ごとく みし ふぼも おわせず いきても なにかせん.
天地の 如く 憑し 父母も をはせず 生きても 何にかせん・.

こころ あらん ひとびと いかでか よを いとわざらん.
心 あらん 人人 争か 世を 厭はざらん、.

さんがい むあんとは ほとけ ときたまいて そうらえども ほうに すぎて みえ そうろう.
三界 無安とは 仏 説き 給て 候へども 法に 過ぎて 見え 候。.

しかるに よは ぼんぷにて そうらえども.
然るに 予は 凡夫にて 候へども.

かかるべき ことを ほとけ かねて ときおかせ たまいて そうろうを.
かかるべき 事を 仏 兼て 説きをかせ 給いて 候を.

こくおうに もうし きかせ まいらせ そうらいぬ.
国王に 申し きかせ 進らせ 候ぬ、.

それに つけて おんもちいは なくして いよいよ あだを なせしかば.
其れに つけて 御用は 無くして 弥 怨を なせしかば.

ちから およばず この くに すでに ほうぼうと なりぬ.
力 及ばず 此の 国 既に 謗法と 成りぬ、.

ほけきょうの かたきに なり そうらえば さんぜ じっぽうの ぶっしんの かたきと なれり.
法華経の 敵に 成り 候へば 三世 十方の 仏神の 敵と 成れり、.

おんこころにも すいせさせ たまい そうらえ.
御心にも 推せさせ 給い 候へ.

にちれん いかなる だいか ありとも ほけきょうの ぎょうじゃ なるべし.
日蓮 何なる 大科 有りとも 法華経の 行者 なるべし、.

なむあみだぶつと もうさば いかなる だいか ありとも ねんぶつしゃにて なしとは もうしがたし.
南無阿弥陀仏と 申さば 何なる 大科 有りとも 念仏者にて 無しとは 申しがたし、.

なんみょうほうれんげきょうと わが くちにも となえ そうろう ゆえに.
南無妙法蓮華経と 我が 口にも 唱へ 候 故に.

のられ うちはられ ながされ いのちに および しかども.
罵られ 打ちはられ 流され 命に 及び しかども、.

すすめ もうせば ほけきょうの ぎょうじゃ ならずや.
勧め 申せば 法華経の 行者 ならずや、.

ほけきょうには ぎょうじゃを あだむ ものは あびじごくの ひとと さだむ.
法華経には 行者を 怨む 者は 阿鼻地獄の 人と 定む、.

4の まきには ほとけを 1ちゅうこう のるよりも.
四の 巻には 仏を 一中劫・ 罵るよりも.

まつだいの ほけきょうの ぎょうじゃを にくむ つむ ふかしと とかれたり.
末代の 法華経の 行者を 悪む 罪・ 深しと 説かれたり、.

7の まきには ぎょうじゃを かろしめし ひとびと せんごう あびじごくに いると ときたまえり.
七の 巻には 行者を 軽しめし 人人・ 千劫 阿鼻地獄に 入ると 説き給へり、.

5の まきには わが まっせ まっぽうに いって ほけきょうの ぎょうじゃ あるべし.
五の 巻には 我が 末世 末法に 入つて 法華経の 行者 有るべし、.

そのとき そのくにに じかい はかいとうの むりょう むへんの そうら あつまりて.
其の時 其の国に 持戒・ 破戒等の 無量無辺の 僧等・ 集りて.

こくしゅに ざんげんして ながし うしなうべしと とかれたり.
国主に 讒言して 流し 失ふべしと 説かれたり、.

しかるに かかる きょうもん かたがた ふごうし そうらい おわんぬ.
然るに かかる 経文 かたがた 符合し 候 畢んぬ.

みらいに ほとけ なり そうらわん こと うたがいなく おぼえ そうろう.
未来に 仏に 成り 候はん 事 疑いなく 覚え 候、.

いさいは けんざんの とき もうすべし.
委細は 見参の 時 申すべし。.

けんじ 4ねん つちえのとら 2がつ 13にち.
建治 四年 戊寅 二月十三日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

まつのどの ごへんじ.
松野殿 御返事.

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