b1406から1418.
妙法比丘尼御返事 (みょうほうびくに ごへんじ).
日蓮大聖人 57歳 御作.

 

b1406

みょうほうびくに ごへんじ.
妙法比丘尼 御返事.

ごもんに いわく たふかたびら ひとつ あによめにて そうろう.
御文に 云く たふかたびら 一つ あによめにて 候.

にょうぼうの つたうと うんぬん.
女房の つたうと 云云.

また おわりのじろうひょうえどの 6がつ 22にちに しなせ たもうと うんぬん.
又 おはりの次郎兵衛殿 六月 二十二日に 死なせ 給うと 云云.

ふほうぞうきょうと もうす きょうは ほとけ わが めつごに わが ほうを ひろむべき ようを とかせ たまいて そうろう.
付法蔵経と 申す 経は 仏 我が 滅後に 我が 法を 弘むべき やうを説かせ 給いて 候.

その なかに わが めつご しょうほう いっせんねんが あいだ しだいに つかいを つかわすべし.
其の 中に 我が 滅後 正法 一千年が 間 次第に 使を つかはすべし.

だいいちは かしょうそんじゃ 20ねん だいには あなんそんじゃ 20ねん だいさんは しょうなわしゅ 20ねん.
第一は 迦葉尊者 二十年 第二は 阿難尊者 二十年 第三は 商那和修 二十年.

ないし だい23は ししそんじゃ なりと うんぬん.
乃至 第二十三は 師子尊者 なりと 云云.

その だいさんの しょうなわしゅと もうす ひとの おんことを ほとけの とかせ たまいて そうろうようは.
其の 第三の 商那和修と 申す 人の 御事を 仏の 説かせ 給いて 候やうは.

しょうわなしゅと もうすは ころもの な なり.
商那和修と 申すは 衣の 名 なり.

その ひと うまれし とき きぬを きて うまれて そうらいき.
此の 人 生れし 時 衣を きて 生れて 候いき.

ふしぎ なりし ことなり.
不思議 なりし 事なり.

ろくどうの なかに じごくどう より にんどうに いたるまでは いかなる ひとも はじめは あかはだかにて そうろうに.
六道の 中に 地獄道 より 人道に 至るまでは 何なる 人も 始は あかはだかにて 候に.

てんどう こそ きぬを きて うまれ そうらえ.
天道 こそ 衣を きて 生れ 候へ.

たとい いかなる けんじん しょうにんも ひとに うまるる ならいは みな あかはだか なり.
たとひ 何なる 賢人 聖人も 人に 生るる ならひは 皆 あかはだか なり.

いっしょう ふしょの ぼさつ すら なお はだかにて うまれ たまえり.
一生 補処の 菩薩 すら 尚 はだかにて 生れ 給へり.

いかに いわんや その ほかをや.
何かに 況や 其の 外をや.

しかるに この ひとは しょうなえと もうす いみじき きぬに まとわれて うまれさせ たまいしが.
然るに 此の 人は 商那衣と 申す いみじき 衣に まとはれて 生れさせ 給いしが.

この きぬは ちも つかず けがるる ことも なし.
此の 衣は 血も つかず けがるる 事も なし.

たとえば いけに はすの おい おしの はねの みずに ぬれざるが ごとし.
譬えば 池に 蓮の 生ひ をしの 羽の 水に ぬれざるが 如し.

この ひと しだいに せいちょう ありしかば また この ころも しだいに ひろく ながく なる.
此の 人 次第に 生長 ありしかば 又 此の 衣 次第に 広く 長く なる.

ふゆは あつく なつは うすく はるは あおく あきは しろく なり そうろう ほどに.
冬は あつく 夏は うすく 春は 青く 秋は 白く なり 候し 程に.

ちょうじゃにて おわせしかば なにごとも とぼしからず.
長者にて をはせしかば 何事も 乏しからず.

のちには ほとけの しるしおき たまいし こと たがう ことなし.
後には 仏の 記しをき 給いし 事 たがふ 事なし.

ゆえに あなんそんじゃの みでしと ならせ たまいて ごしゅっけ あり しかば.
故に 阿難尊者の 御弟子と ならせ 給いて 御出家 あり しかば.

この きぬ へんじて ごじょう しちじょう きゅうじょう とうの おんけさと なり そうらいき.
此の 衣 変じて 五条 七条 九条 等の 御袈裟と なり 候き.

かかる ふしぎの そうらいし ゆえを ほとけの とかせ たまいし ようは.
かかる 不思議の 候し 故を 仏の 説かせ 給いし やうは.

ないおう かこ あそぎこうの そのかみ この ひとは しょうにんにて ありしが.
乃往 過去 阿僧祇劫の 当初 此の 人は 商人にて 有りしが.

500にんの しょうにんと ともに たいかいに ふねを うかべて あきないを せしほどに うみべに じゅうびょうの ものあり.
五百人の 商人と 共に 大海に 船を 浮べて あきなひを せし程に 海辺に 重病の 者あり.

しかれども ひゃくしぶつと もうして きじん なり.
しかれども 辟支仏と 申して 貴人 なり.

→a1406

b1407

せんごうにてや ありけん.
先業にてや 有りけん.

やまいに かかりて み やつれ こころ おぼれ ふじょうに まとわれて おわせしを.
病に かかりて 身 やつれ 心 をぼれ 不浄に まとはれて をはせしを.

この しょうにん あわれみ たてまつりて ねんごろに かんびょうして いかし まいらせ.
此の 商人 あはれみ 奉りて ねんごろに 看病して 生し まいらせ.

ふじょうを すすぎ すてて そふの しょうなえを きせ まいらせて ありしかば.
不浄を すすぎ すてて ソ布の 商那衣を きせ まいらせて ありしかば.

この しょうにん よろこびて がんじて いわく.
此 聖人 悦びて 願じて 云く.

なんじ われを たすけて みの はじを かくせり.
汝 我を 助けて 身の 恥を 隠せり.

この きぬを こんじょう ごしょうの ころもと せんとて やがて ねはんにいり たまいき.
此の 衣を 今生 後生の 衣と せんとて やがて 涅槃に 入り 給いき.

この くどくに よりて かこ むりょうこうの あいだ にんちゅう てんじょうに うまれ うまるる たびごとに.
此の 功徳に よりて 過去 無量劫の 間 人中 天上に 生れ 生るる 度ごとに.

この ころも みに したがいて はなるる ことなし.
此の 衣 身に 随いて 離るる 事なし.

ないし こんじょうに しゃかにょらいの めつご だいさんの ふぞくを うけて しょうなわしゅと もうす しょうにんと なり.
乃至 今生に 釈迦如来の 滅後 第三の 付嘱を うけて 商那和修と 申す 聖人と なり.

まとらこくの うるだせんと もうす やまに だいがらんを たてて.
摩突羅国の 優留荼山と 申す 山に 大伽藍を 立てて.

むりょうの しゅじょうを きょうけして ぶっぽうを ぐつうし たまいしこと 20ねん なり.
無量の 衆生を 教化して 仏法を 弘通し 給いし 事 二十年 なり.

いわゆる しょうわなしゅびくの いっさいの たのしみ ふしぎは.
所詮 商那和修比丘の 一切の たのしみ 不思議は.

みな かれの きぬ より しゅっしょう せりと こそ とかれて そうらえ.
皆 彼の 衣 より 出生 せりと こそ 説かれて 候へ.

しかるに にちれんは なんえんぶだい にほんこくと もうす くにの ものなり.
而るに 日蓮は 南閻浮提 日本国と 申す 国の 者なり.

この くには ほとけの よに いでさせ たまいし くに よりは ひがしに あたりて.
此の 国は 仏の 世に 出でさせ 給いし 国 よりは 東に 当りて.

20まんりの そと はるかなる かいちゅうの こじま なり.
二十万余里の 外 遙なる 海中の 小島 なり.

しかるに ほとけ ごにゅうめつ ありては すでに 2227ねん なり.
而るに 仏 御入滅 ありては 既に 二千二百二十七年 なり.

がっし かんどの ひとの この くにの ひとびとを み そうらえば.
月氏 漢土の 人の 此の 国の 人人を 見 候へば.

この くにの ひとの いずのおおしま おうしゅうの ひがしの えぞ なんどを みるように こそ そうろうらめ.
此の 国の 人の 伊豆の大島 奥州の 東のえぞ なんどを 見るやうに こそ 候らめ.

しかるに にちれんは にほんこく あわのくにと もうす くにに うまれて そうらいしが.
而るに 日蓮は 日本国 安房の国と 申す 国に 生れて 候しが.

たみの いえ より いでて あたまを そり けさを きたり.
民の 家 より 出でて 頭を そり 袈裟を きたり.

このたび いかにもして ぶっしゅをも うえ しょうじを はなるる みとならんと おもいて そうらいし ほどに.
此の度 いかにもして 仏種をも うへ 生死を 離るる 身と ならんと 思いて 候し 程に.

みな ひとの ねがわせ たもう こと なれば あみだぶつを たのみ たてまつり.
皆 人の 願わせ 給う 事 なれば 阿弥陀仏を たのみ 奉り.

ようしょう より みょうごうを となえ そうらいし ほどに.
幼少 より 名号を 唱え 候し 程に.

いささかの こと ありて この ことを うたがし ゆえに ひとつの がんを おこす.
いささかの 事 ありて 此の 事を 疑いし 故に 一の 願を おこす.

にほんこくに わたれる ところの ぶっきょう ならびに ぼさつの ろんと にんしの しゃくを ならい み そうらわばや.
日本国に 渡れる 処の 仏経 並に 菩薩の 論と 人師の 釈を 習い 見 候はばや.

また くしゃしゅう じょうじつしゅう りっしゅう ほっそうしゅう さんろんしゅう けごんしゅう しんごんしゅう ほっけてんだいしゅうと もうす しゅうども.
又 倶舎宗 成実宗 律宗 法相宗 三論宗 華厳宗 真言宗 法華天台宗と申す 宗ども.

あまたありと きく うえに ぜんしゅう じょうどしゅうと もうす しゅうも そうろうなり.
あまた有りと きく 上に 禅宗 浄土宗と 申す 宗も 候なり.

これらの しゅうじゅう しようをば こまかに ならわずとも.
此等の 宗宗 枝葉をば こまかに 習はずとも.

しょせん かんようを しる みと ならばやと おもいし ゆえに.
所詮 肝要を 知る 身と ならばやと 思いし 故に.

ずいぶんに はしり まわり 12 16の とし より 32に いたるまで 20よねんが あいだ.
随分に はしり まはり 十二 十六の 年 より 三十二に 至るまで 二十余年が 間.

かまくら きょう えいざん おんじょうじ こうや てんのうじ とうの くにぐに てらでら.
鎌倉 京 叡山 園城寺 高野 天王寺 等の 国国 寺寺.

あらあら ならい めぐり そうらいし ほどに ひとつの ふしぎ あり.
あらあら 習い 回り 候し 程に 一の 不思議 あり.

われらが はかなき こころに すいするに ぶっぽうは ただ いちみ なるべし.
我れ等が はかなき 心に 推するに 仏法は 唯 一味 なるべし.

→a1407

b1408

いずれも いずれも こころに いれて ならい ねがわば しょうじを はなるべしと こそ おもいて そうろうに.
いづれも いづれも 心に 入れて 習ひ 願はば 生死を 離るべしと こそ 思いて 候に.

ぶっぽうの なかに いりて あしく ならい そうらいぬれば.
仏法の 中に 入りて 悪しく 習い 候ぬれば.

ほうぼうと もうす だいなる あなに おちいって じゅうあく ごぎゃくと もうして.
謗法と 申す 大なる 穴に 堕ち入つて 十悪 五逆と 申して.

ひび よよに せっしょう ちゅうとう じゃいん もうご とうを おかすひと よりも.
日日 夜夜に 殺生 偸盗 邪婬 妄語 等を おかす 人 よりも.

ごぎゃくと もうして ふぼ とうを ころす あくにん よりも.
五逆罪と 申して 父母 等を 殺す 悪人 よりも.

びく びくにと なりて みには 250かいを かたく たもち.
比丘 比丘尼と なりて 身には 二百五十戒を かたく 持ち.

こころには 8まんほうぞうを うかべて そうろう ようなる ちしゃ しょうにんの いっしょうが あいだに いちあくをも つくらず.
心には 八万法蔵を うかべて 候 やうなる 智者 聖人の 一生が 間に一悪をも つくらず.

ひとには ほとけの ように おもわれ わが みも また さながらに あくどうには よも おちじと おもう ほどに.
人には 仏の やうに をもはれ 我が 身も 又 さながらに 悪道には よも 堕ちじと 思う 程に.

じゅうあく ごぎゃくの ざいにん よりも つよく じごくに おちて.
十悪 五逆の 罪人 よりも つよく 地獄に 堕ちて.

あびだいじょうを すみかとして ながく じごくを いでぬ ことの そうらいけるぞ.
阿鼻大城を 栖として 永く 地獄を いでぬ 事の 候けるぞ.

たとえば ひと ありて よに あらんがために こくしゅに つかえ たてまつる ほどに.
譬えば 人 ありて 世に あらんがために 国主に つかへ 奉る 程に.

させる あやまちは なけれども わが こころの たらぬ うえ.
させる あやまちは なけれども 我 心の たらぬ 上.

みに あやしき ふるまい かさなるを なお わがみにも とが ありとも しらず.
身に あやしき ふるまひ かさなるを 猶 我身にも 失 ありとも しらず.

また ぼうはいも ふしぎとも おもわざるに きさき とうの おんことに よりて.
又 傍輩も 不思議とも をもはざるに 后 等の 御事に よりて.

あやまつ ことは なけれども しぜんに ふるまい あしく おう なんどに ふしぎに みえ まいらせぬれば.
あやまつ 事は なけれども 自然に ふるまひ あしく 王 なんどに 不思議に 見へ まいらせぬれば.

むほんの もの よりも その とが おもし.
謀反の 者 よりも 其の 失 重し.

この みの とがに かかりぬれば ふぼ きょうだい しょじゅう なんども また.
此の 身 とがに かかりぬれば 父母 兄弟 所従 なんども 又.

かるからざる とがに おこなわるる ことあり.
かるからざる 失に をこなはるる 事あり.

ほうぼうと もうす つみをば われも しらず ひとも とがとも おもわず.
謗法と 申す 罪をば 我れも しらず 人も 失とも 思はず.

ただ ぶっぽうを ならえば たっとしと のみおもいて そうろう ほどに.
但 仏法を ならへば 貴しと のみ思いて 候 程に.

この ひとも また この ひとに したがう でし だんな とうも むけんじごくに おつる ことあり.
此の 人も 又 此の 人に したがふ 弟子 檀那 等も 無間地獄に 堕つる 事あり.

いわゆる しょういびく くがんびく なんど もうせし そうは 250かいを かたく たもち.
所謂 勝意比丘 苦岸比丘 なんど 申せし 僧は 二百五十戒を かたく 持ち.

3000の いぎを ひとつも かけず ありし ひと なれども.
三千の 威儀を 一も かけず ありし 人 なれども.

むけんだいじょうに おちて いづる ご みえず.
無間大城に 堕ちて 出づる 期 見へず.

また かの びくに ちかづきて でしと なり だんなと なる ひとびと.
又 彼の 比丘に 近づきて 弟子と なり 檀那と なる 人人.

ぞんの ほかに だいちみじんの かず よりも おおく じごくに おちて.
存の 外に 大地微塵の 数 よりも 多く 地獄に 堕ちて.

しと ともに くを うけし ぞかし.
師と ともに 苦を 受けし ぞかし.

この ひと こうせいの ために しゅうぜんを しゅうせしより ほかは また こころ なかり しかども.
此の 人 後世の ために 衆善を 修せしより 外は 又 心 なかり しかども.

かかる ふしょうに あいて そうらいしぞかし.
かかる 不祥に あひて 候しぞかし.

かかる ことを み そうらいし ゆえに あらあら きょうろんを かんがえ そうらえば.
かかる 事を 見 候し ゆへに あらあら 経論を 勘へ 候へば.

にほんこくの とうせい こそ それに にて そうらえ.
日本国の 当世 こそ 其に 似て 候へ.

まつだいに なり たまえば せけんの まつりごとの あきらかに つけて.
代末に なり 候へば 世間の まつり 事の あらきに つけても.

よの なか あやうかるべき うえ この にほんこくは たこくにも にず.
世の 中 あやうかるべき 上 此の 日本国は 他国にも にず.

ぶっぽう ひろまりて くに おさまるべきかと おもいて そうらえば.
仏法 弘まりて 国 をさまるべきかと 思いて 候へば.

なかなか ぶっぽう ひろまりて よも いたく おとろえ ひとも おおくあくどうに おつべしと みえて そうろう.
中中 仏法 弘まりて 世も いたく 衰へ 人も 多く 悪道に 堕つべしと 見へて 候.

そのゆえは にほんこくは がっし かんど よりも どうとう とうの おおき なかに だいたいは あみだどう なり.
其の故は 日本国は 月氏 漢土 よりも 堂塔 等の 多き 中に 大体は 阿弥陀堂 なり.

そのうえ いえごとに あみだぶつを もくぞうに つくり がぞうに かき.
其の上 家 ごとに 阿弥陀仏を 木像に 造り 画像に 書き.

ひとごとに 6まん 8まん とうの ねんぶつを もうす.
人毎に 六万 八万 等の 念仏を 申す.

また たほうを なげうちて さいほうを ねがう ぐしゃの まなこにも たっとしと みえ そうろう うえ.
又 他方を 抛うちて 西方を 願う 愚者の 眼にも 貴しと 見え 候 上.

いっさいの ちじんも みな いみじきこ となりと ほめさせ たもう.
一切の 智人も 皆 いみじき 事なりと ほめさせ 給う.

→a1408

b1409

また にんのう 50だい かんむてんのうの ぎょうに こうぼうだいしと もうす しょうにん この くにに うまれて.
又 人王 五十代 桓武天皇の 御宇に 弘法大師と 申す 聖人 此の 国に 生れて.

かんど より しんごんしゅうと もうす めずらしき ほうを ならい つたえ.
漢土 より 真言宗と 申す めずらしき 法を 習い 伝へ.

へいぜい さが じゅんな とうの おうの おんしと なりて とうじ こうやと もうす てらを こんりゅうし.
平城 嵯峨 淳和 等の 王の 御師と なりて 東寺 高野と 申す 寺を 建立し.

また じかくだいし ちしょうだいしと もうす しょうにん おなじく この しゅうを ならい つたえて えいざん おんじょうじに ぐつう せしかば.
又 慈覚大師 智証大師と 申す 聖人 同じく 此 宗を 習い 伝えて 叡山 園城寺に 弘通 せしかば.

にほんこくの やまでら いちどうに この ほうを つたえ.
日本国の 山寺 一同に 此の 法を 伝へ.

いまに しんごんを おこない すずを ふりて くげ ぶけの おんいのりを しそうろう.
今に 真言を 行ひ 鈴を ふりて 公家 武家の 御祈を し候.

いわゆる にかいどう おおみどう わかみや とうの べっとう これなり.
所謂 二階堂 大御堂 若宮 等の 別当 等 是れなり.

これは いにしえも おんたのみ ある うえ とうせいの こくしゅ とう.
是れは 古も 御たのみ ある 上 当世の 国主 等 .

いえには はしら てんには にちがつ かわには はし うみには ふねの ごとく おんたのみ あり.
家には 柱 天には 日月 河には 橋 海には 船の 如く 御たのみ あり.

ぜんしゅうと もうすは また とうせいの じさい とうを けんちょうじとうに あがめさせ たもうて.
禅宗と 申すは 又 当世の 持斎 等を 建長寺 等に あがめさせ 給うて.

ふぼ よりも おもんじ かみ よりも おんたのみ あり.
父母 よりも 重んじ 神 よりも 御たのみ あり.

されば いっさいの しょにん こうべを かたぶけ てを あざう.
されば 一切の 諸人 頭を かたぶけ 手を あざふ.

かかる よに いかなればにや そうろうらん.
かかる 世に いかなればにや 候らん.

てんぺんと もうして すいせい ながく とうざいに わたり.
天変と 申して 彗星 長く 東西に 渡り.

ちようと もうして だいちを くつがえす こと.
地夭と 申して 大地を くつがへす こと.

たいかいの ふねを おおかぜの とき おおなみの くつがえすに にたり.
大海の 船を 大風の 時 大波の くつがへすに 似たり.

おおかぜ ふいて そうもくを からし ききんも ねんねんに ゆき
大風 吹いて 草木を からし 飢饉も 年年に ゆき

えきびょう つきづきに おこり だいかんばつ ゆきて かわ いけ たはた みな かわきぬ.
疫病 月月に おこり 大旱魃 ゆきて 河 池 田畠 皆 かはきぬ.

かくの ごとく さんさい しちなん すうじゅうねん おこりて たみ はんぶんに げんじ.
此くの 如く 三災 七難 数十年 起りて 民 半分に 減じ.

のこりは あるいは ふぼ あるいは きょうだい あるいは つまこに わかれて.
残りは 或は 父母 或は 兄弟 或は 妻子に わかれて.

なげく こえ あきの むしに ことならず.
歎く 声 秋の 虫に ことならず.

いえいえの ちり うする こと ふゆの そうもくの ゆきに せめられたるに にたり.
家家の 散り うする 事 冬の 草木の 雪に せめられたるに 似たり.

あるいは いかなる ことぞと きょうろんを ひき み そうらえば.
是は いかなる 事ぞと 経論を 引き 見 候へば.

ほとけの いわく ほけきょうと もうす きょうを ぼうじ われを もちいざる くに あらば.
仏の 言く 法華経と 申す 経を 謗じ 我れを 用いざる 国 あらば.

かかる こと あるべしと ほとけの しるし おかせ たまいて そうろう.
かかる 事 あるべしと 仏の 記し をかせ 給いて 候.

みことばに すこしも たがい そうらわず.
御言に すこしも たがひ 候はず.

にちれん うたがいて いわく.
日蓮 疑て 云く.

にほんには だれか ほけきょうと しゃかぶつをば ぼうず べきと うたがう.
日本には 誰か 法華経と 釈迦仏をば 謗ず べきと 疑ふ.

また たまさか ぼうずる ものは しょうしょう ありとも.
又 たまさか 謗ずる 者は 少少 ありとも.

しんずる ものこそ おおく あるらめと ぞんじ そうろう.
信ずる 者こそ 多く あるらめと 存じ 候.

ここに この にほんこくに ひとごとに あみだどうを つくり ねんぶつを もうす.
爰に 此の 日本国に 人 ごとに 阿弥陀堂を つくり 念仏を 申す.

その こんぽんを たずぬれば どうしゃくぜんし ぜんどうわしょう ほうねんしょうにんと もうす.
其の 根本を 尋ぬれば 道綽禅師 善導和尚 法然上人と 申す.

さんにんの ことば より いでて そうろう.
三人の 言 より 出でて 候.

これは じょうどしゅうの こんぽん いまの しょにんの おんし なり.
是れは 浄土宗の 根本 今の 諸人の 御師 なり.

この 3にんの ねんぶつを ひろめさせ たまいし ときに のたまわく.
此の 三人の 念仏を 弘めさせ 給いし 時に のたまはく.

みういちにんとくしゃ せんちゅうむいち しゃへいかくほう とう うんぬん.
未有一人得者 千中無一 捨閉閣抛 等 云云.

いう こころは あみだぶつを たのみ たてまつらん ひとは いっさいのきょう いっさいの ほとけ いっさいの かみを すてて.
いふ こころは 阿弥陀仏を たのみ 奉らん 人は 一切の 経 一切の 仏 一切の 神を すてて.

ただ あみだぶつ なむあみだぶつと もうすべし.
但 阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と 申すべし.

→a1409

b1410

その うえ ことに ほけきょうと しゃかぶつを すて まいらせよと すすめ しかば.
其の 上 ことに 法華経と 釈迦仏を 捨て まいらせよと すすめ しかば.

やすき ままに あんも なく ばらばらと つき そうらいぬ.
やすき ままに 案も なく ばらばらと 付き 候ぬ.

ひとり つき はじめ しかば ばんにん みな つき そうらいぬ.
一人 付き 始め しかば 万人 皆 付き 候いぬ.

ばんにん つきしかば かみは こくしゅ なかは だいじん しもは まんみん.
万人 付きしかば 上は 国主 中は 大臣 下は 万民.

ひとりも のこる ことなし.
一人も 残る 事なし.

さるほどに この くに ぞんの ほかに しゃかぶつ ほけきょうの おんてきじんと なりぬ.
さる程に 此の 国 存の 外に 釈迦仏 法華経の 御敵人と なりぬ.

そのゆえは 「いま この さんがいは みな これ わが う なり.
其故は 「今 此 三界は 皆 是れ 我が 有 なり.

その なかの しゅじょうは ことごとく これ わがこ なり.
其の 中の 衆生は 悉く 是れ 吾が子 なり.

しかも いま このところは もろもろの げんなん おおし.
而も 今 此処は 諸の 患難 多し.

ただ われ ひとり のみ よく くごを なす」と といて.
唯 我れ 一人 のみ 能く 救護を 為す」と 説いて.

この にほんこくの いっさいしゅじょうの ためには しゃかぶつは しゅなり し なり おや なり.
此の 日本国の 一切衆生の ためには 釈迦仏は 主 なり 師 なり 親 なり.

てんじん しちだい ちじん 5だい にんのう 90だいの かみと おうと すら.
天神 七代 地神 五代 人王 九十代の 神と 王と すら.

なお しゃかぶつの しょじゅう なり.
猶 釈迦仏の 所従 なり.

いかに いわんや その かみと おうとの けんぞく とうをや.
何かに 況や 其の 神と 王との 眷属 等をや.

いま にほんこくの だいち さんが たいかい そうもく とうは.
今 日本国の 大地 山河 大海 草木 等は.

みな しゃくそんの おんたから ぞかし.
皆 釈尊の 御財 ぞかし.

まったく いちぶんも やくしぶつ あみだぶつ とうの たぶつの ものには あらず.
全く 一分も 薬師仏 阿弥陀仏 等の 他仏の 物には あらず.

また にほんこくの てんじん ちじん 90よだいの こくしゅ ならびに ばんみん ぎゅうば.
又 日本国の 天神 地神 九十余代の 国主 並に 万民 牛馬.

いきと いきる しょう ある ものは みな きょうしゅ しゃくそんの いっし なり.
生と 生る 生 ある 者は 皆 教主 釈尊の 一子 なり.

また にほんこくの てんじん ちじん しょおう ばんみん とうの てんち すいか.
又 日本国の 天神 地神 諸王 万民 等の 天地 水火.

ふぼ しゅくん なんにょ さいし こくびゃく とうを わきまえ たもうは.
父母 主君 男女 妻子 黒白 等を 弁え 給うは.

みな きょうしゅ しゃくそんの おんきょうの し なり.
皆 教主 釈尊 御教の 師 なり.

まったく やくし あみだ とうの おんきょうには あらず.
全く 薬師 阿弥陀 等の 御教には あらず.

されば この ほとけは われらが ためには だいち よりも あつく こくう よりも ひろく.
されば 此の 仏は 我等が ためには 大地 よりも 厚く 虚空 よりも 広く.

てん よりも たかき ごおん まします ほとけ ぞかし.
天 よりも 高き 御恩 まします 仏 ぞかし.

かかる ほとけ なれば おうしん ばんみん ともに ひと ごとに.
かかる 仏 なれば 王臣 万民 倶に 人 ごとに.

ふぼ よりも おもんじ かみ よりも あがめ たてまつるべし.
父母 よりも 重んじ 神 よりも あがめ 奉るべし.

かくだにも そうらわば いかなる だいか ありとも てんも しゅごして よも すて たまわじ.
かくだにも 候はば 何なる 大科 有りとも 天も 守護して よも すて 給はじ.

ちも いかり たもう べからず.
地も いかり 給う べからず.

しかるに かみ いちにん より しも ばんみんに いたるまで あみだどうを たて.
然るに 上 一人 より 下 万人に 至る まで 阿弥陀堂を 立て.

あみだぶつを ほんぞんと もてなす ゆえに てんちの おんいかり あるかと みえ そうろう.
阿弥陀仏を 本尊と もてなす 故に 天地の 御いかり あるかと 見え 候.

たとえば このくにの ものが かんど こうらい とうの しょこくの おうに こころ よせ なりとも.
譬えば 此の 国の 者が 漢土 高麗 等の 諸国の 王に 心 よせ なりとも.

この くにに おうに そむき そうろうなば その みは たもち がたかるべし.
此の 国の 王に 背き 候なば 其の 身は たもち がたかるべし.

いま にほんこくの いっさいしゅじょうも かくの ごとし.
今 日本国の 一切衆生も 是くの 如し.

さいほうの こくしゅ あみだぶつには こころ よせ なれども.
西方の 国主 阿弥陀仏には 心 よせ なれども.

わが こくしゅ しゃかぶつに そむき たてまつる ゆえに.
我 国主 釈迦仏に 背き 奉る 故に.

この くにの しゅごしん いかり たもうかと ぐあんに かんがえ そうろう.
此の 国の 守護神 いかり 給うかと 愚案に 勘へ 候.

しかるを この くにの ひとびと あみだぶつを あるいは きん あるいは ぎん あるいは どう.
而るを 此の 国の 人人 阿弥陀仏を 或は 金 或は 銀 或は 銅.

あるいは もくぞう とうに こころざしを つくし たからを つくし ぶつじを なし.
或は 木画 等に 志を 尽し 財を 尽し 仏事を なし.

ほけきょうと しゃかぶつをば あるいは ぼくが あるいは もくぞうに はくを ひかず.
法華経と 釈迦仏をば 或は 墨画 或は 木像に はくを ひかず.

あるいは そうどうに つくり なんどす.
或は 草堂に 造り なんどす.

れいせば たにんをば こころざしを かさね さいしをば もてなして ふぼに おろかなるが ごとし.
例せば 他人をば 志を 重ね 妻子をば もてなして 父母に おろかなるが 如し.

→a1410

b1411

また しんごんしゅうと もうす しゅうは かみ いちにん より しも ばんみんに いたるまで.
又 真言宗と 申す 宗は 上 一人 より 下 万民に 至るまで.

これを あおぐ こと にちがつの ごとし.
此れを 仰ぐ 事 日月の 如し.

これを おもんずる こと ちんぽうの ごとし.
此れを 重んずる 事 珍宝の 如し.

この しゅうの ぎに いわく だいにちきょうには ほけきょうは にじゅう さんじゅうの れつ なり.
此の 宗の 義に 云く 大日経には 法華経は 二重 三重の 劣 なり.

しゃかぶつは だいにちにょらいの けんぞく なりなんど もうす.
釈迦仏は 大日如来の 眷属 なり なんど 申す.

この ことは こうぼう じかく ちしょうの おおせられし ゆえに.
此の 事は 弘法 慈覚 智証の 仰せられし 故に.

いま 400よねんに えいざん とうじ おんじょう にほんこくの ちじんいちどうの ぎ なり.
今 四百余年に 叡山 東寺 園城 日本国の 智人 一同の 義 なり.

また ぜんしゅうと もうす しゅうは しんじつの しょうほうは きょうげべつでん なり.
又 禅宗と 申す 宗は 真実の 正法は 教外別伝 なり.

ほけきょう とうの きょうぎょうは きょうない なり.
法華経 等の 経経は 教内 なり.

たとえば つきを さす ゆび わたりの のちの ふね.
譬えば 月を さす 指 渡りの 後の 船.

ひがんに いたりて なにかせん.
彼岸に 到りて なにかせん.

つきを みては ゆびは ようじ ならず とう うんぬん.
月を 見ては 指は 用事 ならず 等 云云.

かの ひとびと ほうぼうとも おもわず.
彼の 人人 謗法とも をもはず.

ならい つたえたる ままに ぞんの ほかに もうすなり.
習い 伝えたる ままに 存の 外に 申すなり.

しかれども この ことばは しゃかぶつを あなずり ほけきょうを うしない たてまつる いんねんと なりて.
然れども 此の 言は 釈迦仏を あなづり 法華経を 失ひ 奉る 因縁と なりて.

この くにの ひとびと みな いちどうに ごぎゃくざいに すぎたる だいざいを おかし ながら しかも つみとも しらず.
此の 国の 人人 皆 一同に 五逆罪に すぎたる 大罪を 犯しながら 而も 罪とも しらず.

この だいか しだいに つもりて にんのう 82だい おきの ほうおうともうせし おう.
此 大科 次第に つもりて 人王 八十二代 隠岐の 法皇と 申せし 王.

ならびに さどのいん とうは わが そうでんの けにんにも およばざりし.
並びに 佐渡の院 等は 我が 相伝の 家人にも 及ばざりし.

そうしゅう かまくらの よしときと もうせし ひとに よを とられさせ たまいし のみならず.
相州 鎌倉の 義時と 申せし 人に 代を 取られさせ 給いし のみならず.

しまじまに はなたれて なげかせ たまいしが.
島島に はなたれて 歎かせ 給いしが.

ついには かの しまじまにして かくれさせ たまいぬ.
終には 彼の 島島にして 隠れさせ 給いぬ.

たましいは あくりょうと なりて じごくに おち そうらいぬ.
神ひは 悪霊と なりて 地獄に 堕ち 候いぬ.

その めしつかわれし だいじん いかは あるいは こうべを はねられ あるいは すいかに いり.
其の 召仕はれし 大臣 已下は 或は 頭を はねられ 或は 水火に 入り.

その つまこ とうは あるいは おもいじに しに あるいは たみの つまと なりて.
其の 妻子 等は 或は 思い死に 死に 或は 民の 妻と なりて.

いま 50よねん そのほかの しそんは たみの ごとし.
今 五十余年 其外の 子孫は 民の ごとし.

これ ひとえに しんごんと ねんぶつ とうを もてなして ほけきょう しゃかぶつの だいおんてきと なりし ゆえに.
是れ 偏に 真言と 念仏 等を もてなして 法華経 釈迦仏の 大怨敵と なりし 故に.

てんしょうだいじん しょうはちまん とうの てんじん ちぎ じっぽうの さんぽうに すてられ たてまつりて.
天照太神 正八幡 等の 天神 地祇 十方の 三宝に すてられ 奉りて.

げんしんには わが しょじゅう とうに せめられて ごしょうには じごくに おち そうらいぬ.
現身には 我が 所従 等に せめられ 後生には 地獄に 堕ち 候ぬ.

しかるに また よ あずまに うつりて としを ふるままに.
而るに 又 代 東に うつりて 年を ふるままに.

かの こくしゅを うしないし しんごん とうの ひとびと かまくらに くだり.
彼の 国主を 失いし 真言宗 等の 人人 鎌倉に 下り.

そうしゅうの そっかに くぐり いりて ようように たばかる ゆえに.
相州の 足下に くぐり 入りて やうやうに たばかる 故に.

もとは じょうろう なればとて すかされて かまくらの しょどうの べっとうと なせり.
本は 上﨟 なればとて すかされて 鎌倉の 諸堂の 別当と なせり.

また ねんぶつしゃをば ぜんちしきと たのみて だいぶつ ちょうらくじごくらくじ とうと あがめ.
又 念仏者をば 善知識と たのみて 大仏 長楽寺 極楽寺 等と あがめ.

ぜんしゅうをば じゅふくじ けんちょうじ とうと あがめおく.
禅宗をば 寿福寺 建長寺 等と あがめをく.

おきのほうおうの かほうの つき たまいし とが より.
隠岐の法皇の 果報の 尽き 給いし 失 より.

ひゃくせんまんおくばい すぎたる だいか かまくらに しゅったいせり.
百千万億倍 すぎたる 大科 鎌倉に 出来せり.

→a1411

b1412

かかる だいか ある ゆえに てんしょうだいじん しょうはちまん とうの てんじん.
かかる 大科 ある 故に 天照太神 正八幡 等の 天神.

ちぎ しゃか たほう じっぽうの しょぶつ いちどうに おおいに とがめさせ たもう ゆえに.
地祇 釈迦 多宝 十方の 諸仏 一同に 大に とがめさせ 給う 故に.

りんごくに しょうにん ありて ばんこくの つわものを あつめたる だいおうに おおせ つけて.
隣国に 聖人 有りて 万国の 兵を あつめたる 大王に 仰せ 付けて.

にほんこくの おうしん ばんみんを いちどうに ばっせんと たくませ たもうを.
日本国の 王臣 万民を 一同に 罰せんと たくませ 給うを.

にちれん かねて きょうろんを もって かんがえ そうらいし ほどに.
日蓮 かねて 経論を 以て 勘へ 候いし 程に.

これを ありの ままに もうさば こくしゅも いかり ばんみんも もちいざる うえ.
此れを 有りの ままに 申さば 国主も いかり 万民も 用ひざる 上.

ねんぶつしゃ ぜんしゅう りっそう しんごんし とう さだめて いかりを なして あだを ぞんじ.
念仏者 禅宗 律僧 真言師 等 定めて 忿りを なして あだを 存じ.

おうしん とうに ざんそうして わが みに だいなん おこりて.
王臣 等に 讒奏して 我が 身に 大難 おこりて.

でし ないし だんな までも すこしも にちれんに こころ よせる ひと あらば とがに なし.
弟子 乃至 檀那 までも 少しも 日蓮に 心 よせなる 人 あらば 科に なし.

わが みも あやうく いのちにも およばんずらん.
我が 身も あやうく 命にも 及ばんずらん.

いかが あんも なく もうし いだすべきと やすらいし ほどに.
いかが 案も なく 申し 出すべきと 休らひし 程に.

げてんの けんじんの なかにも よの ほろぶべき ことを しり ながら もうさぬは.
外典の 賢人の 中にも 世の ほろぶべき 事を 知りながら 申さぬは.

ゆしんとて へつらえる もの ふちおんの ひと なり.
諛臣とて へつらへる 者 不知恩の 人 なり.

されば けん なりし りゅうほう ひかん なんど もうせし けんじんはくびを きられ むねを さかれ しかども.
されば 賢 なりし 竜逢 比干 なんど 申せし 賢人は 頸を きられ 胸を さかれ しかども.

くにの だいじ なる ことをば はばからず もうし そうらいき.
国の 大事 なる 事をば はばからず 申し 候いき.

ぶっぽうの なかには ほとけ いましめて いわく.
仏法の 中には 仏 いましめて 云く.

ほけきょうの かたきを みて よを はばかり おそれて もうさずば.
法華経の かたきを 見て 世を はばかり 恐れて 申さずば.

しゃかぶつの おんてき いかなる ちじん ぜんにん なりとも かならず むけんじごくに おつべし.
釈迦仏の 御敵 いかなる 智人 善人 なりとも 必ず 無間地獄に 堕つべし.

たとえば ふぼを ひとの ころさんと せんを この みとして ふぼに しらせず.
譬へば 父母を 人の 殺さんと せんを 子の 身として 父母に しらせず.

おうを あやまち たてまつらんと する ひとの あらんを しんかの みとして しりながら.
王を あやまち 奉らんと する 人の あらむを 臣下の 身 として 知りながら.

よを おそれて もうさざらんが ごとし なんど うましめられて そうろう.
代を おそれて 申さざらんが ごとし なんど 禁られて 候.

されば ほとけの おんつかい たりし だいば ぼさつは げどうに ころされ.
されば 仏の 御使 たりし 提婆菩薩は 外道に 殺され.

ししそんじゃは だんみらおうに こうべを はねられ.
師子尊者は 檀弥羅王に 頭を はねられ.

じくの どうしょうは そざんへ ながされ.
竺の 道生は 蘇山へ 流され.

ほうどうは かおに かなやきを あてられき.
法道は 面にか なやきを あてられき.

これらは みな ぶっぽうを おもんじ おうほうを おそれざりし ゆえぞかし.
此等は 皆 仏法を 重んじ 王法を 恐れざりし 故ぞかし.

されば けんのうの ときは ぶっぽうを つよく たつれば おう りょうほうを きき あきらめて.
されば 賢王の 時は 仏法を つよく 立つれば 王 両方を 聞 あきらめて.

すぐれ たもう ちしゃを しと せしかば くにも あんのん なり.
勝れ 給う 智者を 師と せしかば 国も 安穏 なり.

いわゆる ちん ずいの だいおう かんむ さが とうは てんだいちしゃだいしを なんぼくの がくしゃに めしあわせ.
所謂 陳 隋の 大王、桓武 嵯峨 等は 天台智者大師を 南北の 学者に 召し合せ.

さいちょうを しょうを なんとの 14にんに たいろん させて ろんじ かち たまい しかば.
最澄和尚を 南都の 十四人に 対論 せさせて 論じ かち 給い しかば.

てらを たてて しょうほうを ぐつうしき.
寺を たてて 正法を 弘通しき.

だいぞくおう うだえんおう ぶそう きんそう きんめい ようめい.
大族王 優陀延王 武宗 欽宗 欽明 用明.

あるいは きじん げどうを すうちょうし あるいは どうしを きえし あるいは かみを あがめし ゆえに.
或は 鬼神 外道を 崇重し 或は 道士を 帰依し 或は 神を 崇めし 故に.

しゃかぶつの だいおんてきと なりて みを ほろぼし よも あんのん ならず.
釈迦仏の 大怨敵と なりて 身を 亡ぼし 世も 安穏 ならず.

そのときは しょうにん たりし そうりょ だいなんに あえり.
其の時は 聖人 たりし 僧侶 大難に あへり.

いま にほんこく すでに だいほうぼうの くにと なりて たこくに やぶらるべしと みえたり.
今 日本国 すでに 大謗法の 国と なりて 他国に やぶらるべしと 見えたり.

これを しりながら もうさずば たとい げんざいは あんのん なりとも.
此れを 知りながら 申さずば 縦ひ 現在は 安穏 なりとも.

ごしょうには むけんだいじょうに おつべし.
後生には 無間大城に 堕つべし.

ごしょうを おそれて もうす ならば るざい しざいは いちじょう なりと おもいさだめて.
後生を 恐れて 申すならば 流罪 死罪は 一定 なりと 思い定めて.

いぬる ぶんおうの ころ こ さいみょうじにゅうどうどのに もうしあげぬ.
去ぬる 文応の 比 故 最明寺入道殿に 申し上げぬ.


→a1413

b1413

されども もちい たもうこと なかり しかば ねんぶつしゃ とう このよしを ききて.
されども 用い 給う事 なかり しかば 念仏者 等 此の 由を 聞きて.

じょうげの しょにんを かたらい うちころさんと せしほどに かなわざり しかば.
上下の 諸人を かたらひ 打ち 殺さんと せし程に かなはざり しかば.

ながとき むさしのかみどのは ごくらくじどのの みこ なりし ゆえに.
長時 武蔵の守殿は 極楽寺殿の 御子 なりし 故に.

おやの みこころを しりて りふじんに いずのくにへ ながし たまいぬ.
親の 御心を 知りて 理不尽に 伊豆の国へ 流し 給いぬ.

されば ごくらくじどのと ながときと かの いちもん みな ほろぶるを おのおの ごらん あるべし.
されば 極楽寺殿と 長時と 彼の 一門 皆 ほろぶるを 各 御覧 あるべし.

そのご いかほども なくして めしかえされて のち また きょうもんの ごとく いよいよ もうし つよる.
其の後 何程も なくして 召し返されて 後 又 経文の 如く 弥よ 申し つよる.

また いぬる ぶんえい 8ねん 12にちに さどの くにへ ながさる.
又 去ぬる 文永 八年 九月 十二日に 佐渡の 国へ 流さる.

にちれん ごかんきの とき もうせしが ごとく どうしうち はじまりぬ.
日蓮 御勘気の 時 申せしが 如く どしうち はじまりぬ.

それを おそるるかの ゆえに また めしかえされて そうろう.
それを 恐るるかの 故に 又 召し返されて 候.

しかれども もちゆる こと なければ ばんみんも いよいよ あくしん さかんなり.
しかれども 用ゆる 事 なければ 万民も 弥弥 悪心 盛んなり.

たとい いのちを ごとして もうしたりしとも こくしゅ もちいずば くに やぶんれん こと うたがい なし.
縦ひ 命を 期として 申したりとも 国主 用いずば 国 やぶれん 事 疑 なし.

つみ しらせて のち もちいずば わが とがには あらずと おもいて.
つみ しらせて 後 用いずば 我が 失には あらずと 思いて.

いぬる ぶんえい 11ねん 5がつ 12にち そうしゅう かまくらを いでて.
去ぬる 文永 十一年 五月 十二日 相州 鎌倉を 出でて.

6がつ 17にち より この しんざんに きょじゅうして もん いっちょうを いでず.
六月 十七日 より 此の 深山に 居住して 門 一町を 出でず.

すでに 5かねんを へたり.
既に 五箇年を へたり.

もとは ぼうしゅうの ものにて そうらいしが じとう とうじょうさえもんのじょう かげのぶと もうせし もの.
本は 房州の 者にて 候いしが 地頭 東条左衛門尉 景信と 申せし もの.

ごくらくじどの とうじさえもんにゅうどう いっさいの ねんぶつしゃに かたらわれて.
極楽寺殿 藤次左衛門入道 一切の 念仏者に かたらはれて.

たびたびの もんちゅう ありて けっくは かっせん おこりて そうろう うえ.
度度の 問註 ありて 結句は 合戦 起りて 候 上.

ごくらくじどのの おんかとうど りを まげられ しかば.
極楽寺殿の 御方人 理を まげられ しかば.

とうじょうの ぐん ふせがれて いる ことなし.
東条の 郡 ふせがれて 入る 事なし.

ふぼの はかを みずして すうねん なり.
父母の 墓を 見ずして 数年 なり.

また こくしゅ より ごかんき 2ど なり.
又 国主 より 御勘気 二度 なり.

だいにどは そとには おんると きこえ しかども うちには くびを きるべしとて.
第二度は 外には 遠流と 聞こへ しかども 内には 頸を 切るべしとて.

かまくら たつのくちと もうす ところに 9がつ 12にちの うしのときに くびのざに ひきすえられて そうらいき.
鎌倉 竜の口と 申す 処に 九月 十二日の 丑の時に 頸の座に 引きすへられて 候いき.

いかがして そうらいけん.
いかがして 候いけん.

つきの ごとくに おわせしもの えのしま より とびいでて つかいの こうべへ かかり そうらい しかば.
月の 如くに をはせし物 江の島 より 飛び 出でて 使の 頭へ かかり 候い しかば.

つかい おそれて きらず.
使 おそれて きらず.

とこうせし ほどに しさいども あまた ありて その よるの くびは のがれぬ.
とかうせし 程に 子細ども あまた ありて 其の 夜の 頸は のがれぬ.

また さどの くににて きらせんと せしほどに にちれんが もうせしが ごとく.
又 佐渡の 国にて きらんと せし程に 日蓮が 申せしが 如く.

かまくらに どうしうち はじまりぬ.
鎌倉に どしうち 始まりぬ.

つかい はしり くだりて くびを きらず.
使 はしり 下りて 頸を きらず.

けっくは ゆるされぬ.
結句は ゆるされぬ.

いまは この やまに ひとり すみ そうろう.
今は 此の 山に 独り すみ 候.

さどの くにに ありし ときは さと より はるかに へだたれる のとやまとの ちゅうかんに.
佐渡の 国に ありし 時は 里 より 遙に へだたれる 野と 山との 中間に.

つかはらと もうす おんさんまいしょ あり.
つかはらと 申す 御三昧所 あり.

かしこに いっけん しめんの どう あり.
彼処に 一間 四面の 堂 あり.

そらは いたま あわず しへきは やぶれたり.
そらは いたま あわず 四壁は やぶれたり.

あめは そとの ごとし ゆきは うちに つもる.
雨は そとの 如し 雪は 内に 積もる.

ほとけは おわせず むしろたたみは いちまいも なし.
仏は おはせず 筵畳は 一枚も なし.

しかれども わが こんぽん より たもち まいらせて そうろう.
然れども 我が 根本 より 持ち まいらせて 候.

きょうしゅ しゃくそんを たて まいらせ ほけきょうを てに にぎり.
教主 釈尊を 立て まいらせ 法華経を 手に にぎり.

みのを き かさを さして いたり しかども.
蓑を き 笠を さして 居たり しかども.

ひとも みえず しょくも あたえずして よんかねん なり.
人も みへず 食も あたへずして 四箇年 なり.

→a1413

b1414

かの そぶが ここくに とめられて 19ねんが あいだ.
彼の 蘇武が 胡国に とめられて 十九年が 間.

みのを き ゆきを しょくとして ありしが ごとし.
蓑を き 雪を 食として ありしが 如し.

いま また この やまに 5かねん あり.
今 又 此山に 五箇年 あり.

きたは みのぶさんと もうして てんに はしだて.
北は 身延山と 申して 天に はしだて.

みなみは たかとりと もうして けいそくせんの ごとし.
南は たかとりと 申して 鶏足山の 如し.

にしは なないたがれと もうして てつもんに にたり.
西は なないたがれと 申して 鉄門に 似たり.

ひがしは てんしがたけと もうして ふじの みやまに たいし たり.
東は 天子がたけと 申して 富士の 御山に 太子 たり.

よつの やまは びょうぶの ごとし.
四の 山は 屏風の 如し.

きたに たいが あり はやかわと なずく.
北に 大河 あり 早河と 名づく.

はやき こと やを いるが ごとし.
早き 事 箭を いるが 如し.

みなみに かわ あり はきいがわと なずく.
南に 河 あり 波木井河と 名づく.

おおいしを このはの ごとく ながす.
大石を 木の葉の 如く 流す.

ひがしには ふじがわ きたより みなみへ ながれたり.
東には 富士河 北 より 南へ 流れたり.

1000の ほこを つくが ごとし.
千の ほこを つくが 如し.

うちに たき あり みのぶの たきと もうす.
内に 滝 あり 身延の 滝と 申す.

しらぬのを てん より ひくが ごとし.
白布を 天 より 引くが 如し.

このうちに いささかの ち あり にちれんが あんしつ なり.
此の 内に 狭小の 地 あり 日蓮が 庵室 なり.

しんざん ふかければ ひるも ひを み たてまつらず.
深山 なれば 昼も 日を 見 奉らず.

よるも つきを ながむる ことなし.
夜も 月を 詠むる 事なし.

みねには はこうの さる かまびすしく.
峯には はかうの 猿 かまびすしく.

たにには なみの くだる おと つづみを うつが ごとし.
谷には 波の 下る 音 鼓を 打つが ごとし.

ちには しかざれども おおいし おおく やまには がりゃく より ほかには ものも なし.
地には しかざれども 大石 多く 山には 瓦礫 より 外には 物も なし.

こくしゅは にくみ たもう ばんみんは とぶらわず.
国主は にくみ 給ふ 万民は とぶらはず.

ふゆは ゆき みちを ふさぎ なつは くさ おいしげり.
冬は 雪 道を 塞ぎ 夏は 草 をひしげり.

しかの とおね うらめしく せみの なく こえ かまびすし.
鹿の 遠音 うらめしく 蝉の 鳴く 声 かまびすし.

おとのう ひと なければ いのちも つぎがたし.
訪う 人 なければ 命も つぎがたし.

はだを かくす ころもも そうらわざり つるに.
はだへを かくす 衣も 候はざり つるに.

かかる ころもを おくらせ たまえる こそ いかにもとも もうす ばかりなく そうらえ.
かかる 衣を をくらせ 給える こそ いかにとも 申す ばかりなく 候へ.

みし ひと ききし ひとだにも あわれとも もうさず.
見し 人 聞きし 人だにも あはれとも 申さず.

としごろ なれし でし つかえし げにんだにも みな にげうせ とぶらわざるに.
年比 なれし 弟子 つかへし 下人だにも 皆 にげ失 とぶらはざるに.

ききもせず みもせぬ ひとの おんこころざし あわれなり.
聞きもせず 見もせぬ 人の 御志 哀なり.

ひとえに これ わかれし わが ふぼの うまれ かわらせ たまいけるか.
偏に 是れ 別れし 我が 父母の 生れ かはらせ 給いけるか.

じゅうらせつの ひとの みに いり かわりて おもい よらせ たもうか.
十羅刹の 人の 身に 入り かはりて 思い よらせ 給うか.

とうの だいそうこうていの よに ほうししょうぐんと もうせし ひとの みこ.
唐の 代宗皇帝の 代に 蓬子将軍と 申せし 人の 御子.

りじょせんしょうぐんと もうせし ひと ちょくじょうを こうむりて.
李如暹将軍と 申せし 人 勅定を 蒙りて.

きたの こちを せめし ほどに わが ぐんぜい 10まんきは うちとられ.
北の 胡地を 責めし 程に 我が 勢数 十万騎は 打ち取られ.

ここくに いけどられて 40ねん ようやく へしほどに.
胡国に 生け取られて 四十年 漸く へし程に.

つまを かたらい こを もうけたり.
妻を かたらひ 子を まうけたり.

こちの ならい いけどりをば かわの ころもを きせ けおびを かけさせて そうろうが.
胡地の 習い 生取をば 皮の 衣を 服せ 毛帯を かけさせて 候が.

ただ しょうがつ ついたち ばかり とうの いかんを ゆるす.
只 正月 一日 計り 唐の 衣冠を ゆるす.

いちねん ごとに かんどを おもいて きもを きり なみだを ながす.
一年 ごとに 漢土を 恋いて 肝を きり 涙を ながす.

さるほどに とうの いくさ おこりて とうの つわもの こちを せめし とき.
而る 程に 唐の 軍 おこりて 唐の 兵 胡地を せめし 時.

ひまを えて こちの さいしを ふりすてて にげしかば.
ひまを えて 胡地の 妻子を ふりすてて にげしかば.

とうの つわものは こちの えびすとて とらえて くびを きらんと せしほどに.
唐の 兵は 胡地の えびすとて 捕へて 頸を きらんと せし程に.

とこうして とくそこうていに まいらせて ありしかば.
とかうして 徳宗皇帝に まいらせて ありしかば.

いかに もうせども ききも ほどかせ たまわずして.
いかに 申せども 聞も ほどかせ 給はずして.

みなみのくに ごえつと もうす かたへ ながされぬ.
南の国 呉越と 申す 方へ 流されぬ.

→a1414

b1415

りじょせん なげいて いわく.
李如暹 歎いて 云く.

すすんでは りょうげんの ふるさとを みることを えず.
進では 涼原の 本郷を 見ることを 得ず.

しりぞいては こちの さいしに あうことを えず うんぬん.
退ては 胡地の 妻子に 逢ふことを 得ず 云云.

この こころは こちの さいしをも すて また もろこしの ふるき すみかをも みず.
此の 心は 胡地の 妻子をも すて 又 唐の 古き 栖をも 見ず.

あらぬ くにに ながされたりと なげくなり.
あらぬ 国に 流されたりと 歎くなり.

わがみには だいちゅう ありしかども かかる なげき あり.
我が 身には 大忠 ありしかども かかる 歎き あり.

にちれんも また かくの ごとし.
日蓮も 又 此くの 如し.

にほんこくを たすけばやと おもう こころに よりて もうし いだす ほどに.
日本国を 助けばやと 思う 心に 依りて 申し 出す 程に.

わが うまれし くにをも せかれ また ながされし くにをも はなれぬ.
我が 生れし 国をも せかれ 又 流されし 国をも 離れぬ.

すでに この しんざんに こもりて そうろうが かの りじょせんに にて そうろうなり.
すでに 此の 深山に こもりて 候が 彼の 李如暹に 似て 候なり.

ただし ふるさとにも ながされし ところにも さいし なければ なげく ことは よもあらじ.
但し 本郷にも 流されし 処にも 妻子 なければ 歎く 事は よもあらじ.

ただ ふぼの はかと なれし ひとびとの いかが なるらんと おぼつかなしとも もうす ばかりなし.
唯 父母の はかと なれし 人人の いかが なるらんと をぼつかなしとも 申す 計りなし.

ただ うれしき ことは ぶしの ならい きみの おんために うじせたを わたし.
但 うれしき 事は 武士の 習ひ 君の 御為に 宇治勢多を 渡し.

まえを かけ なんどして ありし ひとは.
前を かけ なんどして ありし 人は.

たとい みは しすれども なを こうだいに あげ そうろうぞかし.
たとひ 身は 死すれども 名を 後代に 挙げ 候ぞかし.

にちれんは ほけきょうの ゆえに たびたび ところを おわれ いくさをし.
日蓮は 法華経の ゆへに 度度 所を おはれ 戦をし.

みに てを おい でしらを ころされ りょうど まで おんる せられ すでに くびに およべり.
身に 手を おひ 弟子等を 殺され 両度 まで 遠流 せられ 既に 頸に 及べり.

これ ひとえに ほけきょうの おんため なり.
是れ 偏に 法華経の 御為 なり.

ほけきょうの なかに ほとけ とかせ たまわく.
法華経の 中に 仏 説かせ 給はく.

わが めつどの のち ごの 500さい 2200よねん すぎて.
我が 滅度の 後 後の 五百歳 二千二百余年 すぎて.

この きょう えんぶだいに るふせん とき てんまの ひとの みに いり かわりて.
此の 経 閻浮提に 流布せん 時 天魔の 人の 身に 入り かはりて.

この きょうを ひろめさじとて たまたま しんずる ものをば.
此の 経を 弘めさせじとて たまたま 信ずる 者をば.

あるいは のり うち ところを うつし あるいは ころし なんどすべし.
或は のり 打ち 所を うつし 或は ころし なんどすべし.

そのとき まず さきをして あらん ものは さんぜじっぽうの ほとけを くよう する くどくを うべし.
其の 時 先をして あらん 者は 三世十方の 仏を 供養 する 功徳を 得べし.

われ また いんいの なんぎょう くぎょうの くどくを ゆずるべしと とかせ たもう.
我れ 又 因位の 難行 苦行の 功徳を 譲るべしと 説かせ 給う.

されば かこの ふぎょうぼさつは ほけきょうを ぐつうし たまいしに.
されば 過去の 不軽菩薩は 法華経を 弘通し 給いしに.

びく びくに とうの ちえ かしこく 250かいを たもてる だいそうども あつまりて.
比丘 比丘尼 等の 智慧 かしこく 二百五十戒を 持てる 大僧ども 集まりて.

うばそく うばいを かたらいて ふぎょうぼさつを のり うち せしかども.
優婆塞 優婆夷を かたらひて 不軽菩薩を のり 打ち せしかども.

たいてんの こころ なく ひろめさせ たまい しかば ついには ほとけと なりたもう.
退転の 心 なく 弘めさせ 給い しかば 終には 仏と なり給う.

むかしの ふぎょうぼさつは いまの しゃかぶつ なり.
昔の 不軽菩薩は 今の 釈迦仏 なり.

それを そねみ うち なんどせし だいそうどもは 1000ごう あびじごくに おちぬ.
それを そねみ 打ち なんどせし 大僧どもは 千劫 阿鼻地獄に 堕ちぬ.

かの ひとびとは かんぎょう あみだきょう とうの すうせんの きょう.
彼の 人人は 観経 阿弥陀経 等の 数千の 経.

いっさいの ぶつみょう あみだぶつを もうし ほけきょうを ちゅうやに よみ しかども.
一切の 仏名 阿弥陀念仏を 申し 法華経を 昼夜に 読み しかども.

まことの ほけきょうの ぎょうじゃを あだみ しかば ほけきょう ねんぶつ かい とうも たすけ たまわず.
実の 法華経の 行者を あだみ しかば 法華経 念仏 戒 等も 助け 給はず.

1000ごう あびじごくに おちぬ.
千劫 阿鼻地獄に 堕ちぬ.

かの びくらは はじめには ふぎょうぼさつを あだみ しかども.
彼の 比丘 等は 始には 不軽菩薩を あだみ しかども.

のちには こころを ひるがえして みを ふぎょうぼさつに つかうる こと.
後には 心を ひるがへして 身を 不軽菩薩に 仕うる 事.

やっこの しゅに したがうが ごとく ありしかども むけんじごくを まぬかれず.
やつこの 主に 随うが ごとく 有り しかども 無間地獄を まぬかれず.

→a1415

b1416

いま また にちれんに あだを せさせ たもう にほんこくの ひとびとも かくの ごとし.
今 又 日蓮に あだを せさせ 給う 日本国の 人人も 此くの 如し.

これは かれには にるべくも なし.
此は 彼には 似るべくも なし.

かれは のり うち しかども こくしゅの るざいは なし.
彼は 罵り 打ち しかども 国主の 流罪は なし.

じょうもく がしゃくは ありしかども きずを かおり くび までには およばず.
杖木 瓦石は ありしかども 疵を かほり 頸 までには 及ばず.

これは あっく じょうもくは 20よねんが あいだ ひま なし.
是は 悪口 杖木は 二十余年が 間 ひま なし.

きずを かおり るざい くびに およぶ.
疵を かほり 流罪 頸に 及ぶ.

でしらは あるいは しょりょうを めされ あるいは ろうに いれ.
弟子等は 或は 所領を 召され 或は ろうに 入れ.

あるいは おんるし あるいは その うちを いだし あるいは たはたを うばい なんど すること.
或は 遠流し 或は 其の 内を 出だし 或は 田畠を 奪ひ なんど する 事.

やうち ごうとう かいぞく さんぞく むほん とうの もの よりも はげしく おこなわる.
夜打 強盗 海賊 山賊 謀叛 等の 者 よりも はげしく 行はる.

これ また ひとえに しんごん ねんぶつしゃ ぜんしゅう とうの だいそうらの うったえ なり.
此れ 又 偏に 真言 念仏者 禅宗 等の 大僧等の 訴 なり.

されば かの ひとびとの おんとがは だいち よりも あつければ.
されば 彼の 人人の 御失は 大地 よりも 厚ければ.

この だいちは たいふうに たいかいに ふねを うかべるが ごとく どうてん す.
此の 大地は 大風に 大海に 船を 浮べるが 如く 動転 す.

てんは 8まん4000の ほし いかりを なし ちゅうやに てんぺん ひまなし.
天は 八万四千の 星 瞋を なし 昼夜に 天変 ひまなし.

その うえ にちがつ おおいに へん おおし.
其の 上 日月 大に 変 多し.

ほとけ めつご すでに 2227ねんに なり そうろうに.
仏滅後 既に 二千二百二十七年に なり 候に.

だいぞくおうが 5てんの てらを やき 16の たいこくの そうの くびを きり.
大族王が 五天の 寺を やき 十六の 大国の 僧の 頸を 切り.

ぶそうこうていの かんどの てらを うしない ぶつぞうを くだき.
武宗皇帝の 漢土の 寺を 失ひ 仏像を くだき.

にほんこくの もりやが しゃかぶつの こんどうの ぞうを すみびを もって やき.
日本国の 守屋が 釈迦仏の 金銅の 像を 炭火を 以て やき.

そうにを うち せめては げんぞく せさせし ときも これほどの すいせい おおじしんは いまだ なし.
僧尼を 打ち せめては 還俗 せさせし 時も 是れ程の 彗星 大地震は いまだ なし.

かれには しゃくせんまんばい すぎて そうろう だいあく にてこそ そうらいぬれ.
彼には 百千万倍 過ぎて 候 大悪 にてこそ 候いぬれ.

かれは おう ひとりの あくしん だいじん いかは こころ より おこる ことなし.
彼は 王 一人の 悪心 大臣 以下は 心 より 起る 事なし.

また ごんぶつと ごんきょうの かたき なり.
又 権仏と 権経との 敵 なり.

そうも ほけきょうの ぎょうじゃには あらず.
僧も 法華経の 行者には あらず.

これは いっこうに ほけきょうの かたき おう ひとり のみならず.
是は 一向に 法華経の 敵、 王 一人 のみならず.

いっこくの ちじん ならびに ばんみん とうの こころ より おこれる だいあくしん なり.
一国の 智人 並びに 万民 等の 心 より 起れる 大悪心 なり.

たとえば にょにん ものを ねためば むねの うちに だいか もゆる ゆえに.
譬えば 女人 物を ねためば 胸の 内に 大火 もゆる 故に.

み へんじて あかく みの け さかさまに たち ごたい ふるい.
身 変じて 赤く 身の 毛 さかさまに たち 五体 ふるひ.

かおに ほのお あがり かおは しゅを さしたるが ごとし.
面に 炎 あがり かほは 朱を さしたるが 如し.

まなこ まろに なりて ねこの まなこの ねずみを みるが ごとし.
眼 まろに なりて ねこの 眼の ねづみを みるが 如し.

て わななきて かしわの はを かぜの ふくに にたり.
手 わななきて かしわの 葉を 風の 吹くに 似たり.

かたわらの ひと これを みれば だいきじんに ことならず.
かたはらの 人 是を 見れば 大鬼神に 異ならず.

にほんこくの こくしゅ しょそう びく びくに とうも また かくの ごとし.
日本国の 国主 諸僧 比丘 比丘尼 等も 又 是くの 如し.

たのむ ところの あみだぶつをば にちれんが むけんじごくの ごうと いうを きき.
たのむ ところの 弥陀念仏をば 日蓮が 無間地獄の 業と 云うを 聞き.

しんごんは ぼうこくの ほうと いうを きき じさいは てんまの しょいと いうを きいて.
真言は 亡国の 法と 云うを 聞き 持斎は 天魔の 所為と 云うを 聞いて.

ねんじゅを くりながら はを くいちがえ すずを ふるに くび おどりたり.
念珠を くりながら 歯を くひちがへ 鈴を ふるに くび をどりたり.

かいを たもち ながら あくしんを いだく.
戒を 持ち ながら 悪心を いだく.

ごくらくじの いきぼとけの りょうかんしょうにん おりがみを ささげて かみへ うったえ.
極楽寺の 生仏の 良観聖人 折紙を ささげて 上へ 訴へ.

けんちょうじの どうりゅうしょうにんは こしに のりて ぶぎょうにんに ひざまずく.
建長寺の 道隆聖人は 輿に 乗りて 奉行人に ひざまづく.

もろもろの 500かいの あまごぜん とうは はくを つかいて でんそうを なす.
諸の 五百戒の 尼御前 等は はくを つかひて でんそうを なす.

これ ひとえに ほけきょうを よみて よまず きいて きかず.
是れ 偏に 法華経を 読みて よまず 聞いて きかず.

ぜんどう ほうねんが せんちゅうむいちと こうぼう じかく だるまらの.
善導 法然が 千中無一と 弘法 慈覚 達磨等の.

みな これ けろん きょうげべつでんの あまき ふるざけに よわせ たまいて.
皆 是 戯論 教外別伝の あまき ふる酒に えはせ 給いて.

さかぐるいにて おわするなり.
さかぐるひにて おはするなり.

→a1416

b1417

ほっけ さいだいいちの きょうもんを みながら だいにちきょうは ほけきょうに すぐれたり.
法華 最第一の 経文を 見ながら 大日経は 法華経に 勝れたり.

ぜんしゅうは さいじょうの ほう なり りっしゅう こそ とうとけれ.
禅宗は 最上の 法 なり 律宗 こそ 貴けれ.

ねんぶつ こそ われらが ぶんには かないたれと もうすは さけに よえる ひとに あらずや.
念仏 こそ 我等が 分には かなひたれと 申すは 酒に 酔える 人に あらずや.

ほしを みて つきに すぐれたり いしを みて こがねに まされり.
星を 見て 月に すぐれたり 石を 見て 金に まされり.

ひがしを みて にしと いい てんを ちと もうす.
東を 見て 西と 云い 天を 地と 申す.

ものぐるいを もととして つきと こがねは ほしと いしとには すぐれたり.
物ぐるひを 本として 月と 金は 星と 石とには 勝れたり.

ひがしは とうてんは そら なんど ありの ままに もうす ものをば.
東は 東天は 天 なんど 有りの ままに 申す 者をば.

あだませ たまわば いきおいの おおきに つくべきか.
あだませ 給はば 勢の 多きに 付くべきか.

ただ ものぐるいの おおく あつまれる なり.
只 物ぐるひの 多く 集まれる なり.

されば これらを もととせし いうに かいなき なんにょの みな じごくに おちん ことこそ あわれに そうらえ.
されば 此等を 本とせし 云うに かひなき 男女の 皆 地獄に 堕ちん 事こそ あはれに 候へ.

ねはんぎょうには ほとけ とき たまわく.
涅槃経には 仏 説き 給はく.

まっぽうに いって ほけきょうを ぼうじて じごくに おつる ものは だいち みじん よりも おおく.
末法に 入つて 法華経を 謗じて 地獄に 堕つる 者は 大地 微塵 よりも 多く.

しんじて ほとけに なるものは つめの うえの ど よりも すくなしと とかれたり.
信じて 仏に なる者は 爪の 上の 土 よりも 少しと 説かれたり.

これを もって はからせ たもうべし.
此れを 以つて 計らせ 給うべし.

にほんこくの しょにんは つめの うえの ど.
日本国の 諸人は 爪の 上の 土.

にちれん ひとりは じっぽうの みじんにて そうろうべきか.
日蓮 一人は 十方の 微塵にて 候べきか.

しかるに いかなる しゅくじゅうにて おわすれば おんころもをば おくらせ たもうぞ.
然るに 何なる 宿習にて をはすれば 御衣をば 送らせ 給うぞ.

つめの うえの どの かずに いらんと おぼすか.
爪の 上の 土の 数に 入らんと をぼすか.

また ねはんぎょうに いわく.
又 涅槃経に 云く.

「だいちの うえに はりを たてて おおかぜの ふかん とき だいぼんてん より いとを くださんに.
「大地の 上に 針を 立てて 大風の 吹かん 時大 梵天 より 糸を 下さんに.

いとの はし すぐに くだりて はりの あなに いる ことは ありとも.
糸の はし すぐに 下りて 針の 穴に 入る 事は ありとも.

まつだいに ほけきょうの ぎょうじゃには あいがたし」.
末代に 法華経の 行者には あひがたし」.

ほけきょうに いわく 「たいかいの そこに かめ あり.
法華経に 云く 「大海の 底に 亀 あり.

3000ねんに いちど かいじょうに あがる.
三千年に 一度 海上に あがる.

せんだんの うきぎの あなに ゆきあいて やすむべし.
栴檀の 浮木の 穴に ゆきあひて やすむべし.

しかるに この かめ いちげん なるが ゆえに しかも ひがめにて.
而るに 此の 亀 一目 なるが 而も 僻目にて.

にしの ものを ひがしと み ひがしの ものを にしと みるなり」.
西の 物を 東と 見 東の 物を 西と 見るなり」.

まつだい あくせに うまれて ほけきょう ならびに なんみょうほうれんげきょうの あなに みを いるる なんにょに たとえ たまえり.
末代 悪世に 生れて 法華経 並びに 南無妙法蓮華経の 穴に 身を 入るる 男女に たとへ 給へり.

いかなる かこの えんにて おわすれば この ひとを とうらんと おぼしめす.
何なる 過去の 縁にて をはすれば 此の 人を とふらんと 思食す.

おんこころは つかせ たまい けるやらん.
御心は つかせ 給い けるやらん.

ほけきょうを み まいらせ そうらえば しゃくそんの その ひとの おんみに いらせ たまいて.
法華経を 見 まいらせ 候へば 釈迦仏の 其の 人の 御身に 入らせ 給いて.

かかる こころは つくべしと とかれて そうろう.
かかる 心は つくべしと 説かれて 候.

たとえば なにとも おもわぬ ひとの さけを のみて よいぬれば あらぬ こころ いできたり.
譬へば なにとも 思はぬ 人の 酒を のみて えいぬれば あらぬ 心 出来り.

ひとに ものを とらせばや なんど おもう こころ いできたる.
人に 物を とらせばや なんど 思う 心 出来る.

これは いっしょう けんどんにして がきに おつべきを.
此れは 一生 慳貪にして 餓鬼に 堕つべきを.

その ひとの さけの えんに ぼさつの いりかわらせ たもうなり.
其の 人の 酒の 縁に 菩薩の 入りかはらせ 給うなり.

じょくすいに たまを いれぬれば みず すみ つきに むかい まいらせぬれば ひとの こころ あこがる.
濁水に 珠を 入れぬれば 水 すみ 月に 向い まいらせぬれば 人の 心 あこがる.

えに かける おにには こころ なけれども おそろし.
画に かける 鬼には 心 なけれども おそろし.

とわりを えに かけば わが おっとをば とらねども そねまし.
とわりを 画に かけば 我が 夫をば とらねども そねまし.

にしきの しとねに おろちを おれるは ふくせんとも おもわず.
錦の しとねに 蛇を 織れるは 服せんとも 思はず.

みの あつきに あたたかなる かぜ いとわし.
身の あつきに あたたかなる 風 いとはし.

ひとの こころも かくの ごとし.
人の 心も 此くの 如し.

ほけきょうの かたへ おんこころを よせさせ たもうは にょにんの おんみ なれども.
法華経の 方へ 御心を よせさせ 給うは 女人の 御身 なれども.

りゅうにょが おんみに いらせ たもうか.
竜女が 御身に 入らせ 給うか.

→a1417

b1418

さては また おわりの じろう ひょうえのじょうどのの おんこと.
さては 又 尾張の 次郎 兵衛尉殿の 御事.

けんざんに いりて そうらいし ひと なり.
見参に 入りて 候いし 人 なり.

にちれんは この ほうもんを もうし そうらえば たにんには にず.
日蓮は 此の 法門を 申し 候へば 他人には  にず.

おおくの ひとに みて そうらえども いとおしと もうす ひとは 1000にんに ひとりも ありがたし.
多くの 人に 見て 候へども いとをしと 申す 人は 千人に 一人も ありがたし.

かの ひとは よも こころ よせには おもわれたらじ なれども じたいひとがらに くげなる ふりなく.
彼の 人は よも 心 よせには 思はれたらじ なれども 自体 人がらにくげなる ふりなく.

よろずの ひとに なさけ あらんと おもいし ひと なれば こころの なかには うけず こそ おぼし つらめども.
よろづの 人に なさけ あらんと 思いし 人 なれば 心の 中は うけず こそ をぼし つらめども.

けんざんの ときは いつわり おろかにて ありし ひと なり.
見参の 時は いつはり をろかにて 有りし 人 なり.

また にょうぼうの しんじたる よし ありしかば まこととは おもい そうらわざり しかども.
又 女房の 信じたる よし ありしかば 実とは 思い 候はざり しかども.

また いとう ほけきょうに そむく ことは よも おわせじ なれば たのもしき へんも そうろう.
又 いたう 法華経に 背く 事は よも をはせじ なれば たのもしき へんも 候.

されども ほけきょうを うしなう ねんぶつ ならびに ねんぶつしゃを しんじ.
されども 法華経を 失ふ 念仏 並びに 念仏者を 信じ.

わが みも たぶんは ねんぶつしゃにて おわせ しかば.
我が 身も 多分は 念仏者にて をはせ しかば.

ごしょうは いかがかと おぼつかなし.
後生は いかがと をぼつかなし.

たとえば こくしゅは みやずかいへの ねんごろ なるには.
譬えば 国主は みやづかへの ねんごろ なるには.

おんの あるも あり また なきも あり.
恩の あるも あり 又 なきも あり.

すこしも おろか なること そうらえば とがに なること うたがい なし.
少しも をろか なる事 候へば とがに なる事 疑 なし.

ほけきょうも また かくの ごとし.
法華経も 又 此くの 如し.

いかに しんずるよう なれども ほけきょうの おんかたきにも しれ しられざれ.
いかに 信ずるやう なれども 法華経の 御かたきにも 知れ 知らざれ.

まじわりぬれば むけんじごくは うたがい なし.
まじはりぬれば 無間地獄は 疑 なし.

これは さておき そうらいぬ.
是は さてをき 候ぬ.

かの にょうぼうの おんなげき いかがかと おしはかるに あわれなり.
彼の 女房の 御歎 いかがと をしはかるに あはれなり.

たとえば ふじの はなの さかんなるが まつに かかりて おもうことも なきに まつの にわかに たおれ.
たとへば ふぢの はなの さかんなるが 松に かかりて 思う事も なきに 松の にはかに たふれ.

つたの かきに かかれるが かきの やぶれたるが ごとくに おぼすらん.
つたの かきに かかれるが かきの 破れたるが 如くに をぼすらん.

うちへ いれば あるじ なし.
内へ 入れば 主 なし.

やぶれたる いえの はしら なきが ごとし.
やぶれたる 家の 柱 なきが 如し.

きゃくじん きたれども そとに いでて あい しらうべき ひとも なし.
客人 来れども 外に 出でて あひ しらうべき 人も なし.

よるの くらきには ねや すさまじく はかを みれば しるしは あれども こえも きこえず.
夜の くらきには ねやすさまじく はかを みれば しるしは あれども 声も きこへず.

また おもいやる しでの やま さんずの かわをば だれとか こえ たもうらん.
又 思いやる 死出の 山 三途の 河をば 誰とか 越え 給うらん.

ただ ひとり なげき たまもうらん.
只 独り 歎き 給うらん.

とどめおきし ごぜんたち いかに われをば ひとり やるらん.
とどめをきし 御前たち いかに 我をば ひとり やるらん.

さは ちぎりざりとや なげかせ たもうらん.
さは ちぎらざりとや 歎かせ 給うらん.

かたがた あきの よるの ふけゆく ままに ふゆの あらしの おとずるる こえに つけても.
かたがた 秋の 夜の ふけゆく ままに 冬の 嵐の をとづるる 声に つけても.

いよいよ おんなげき かさなり そうろうらん.
弥弥 御歎き 重り 候らん.

なんみょうほうれんげきょう なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経.

こうあん がんねん つちのえとら 9がつ むいか.
弘安 元年 戊寅 九月 六日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

→a1418

 
→a1406
→c1406
 ホームページトップ
inserted by FC2 system