b142から150.
真言見聞 (しんごん けんもん).
日蓮大聖人 51歳 御作.

 

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しんごん けんもん.
真言 見聞.

ぶんえい 9ねん しちがつ 51さい おんさく.
文永 九年 七月 五十一歳 御作.

あたう さんみぼう にちぎょう.
与 三位房 日行.

とう しんごんぼうこくとは しょうもん いかなる きょうろんに いずるや.
問う 真言亡国とは 証文 何なる 経論に 出ずるや.

こたう ほっけひぼう しょうほうこうはいの ゆえなり.
答う 法華誹謗 正法向背の 故なり.

とう ぼうこくの しょうもん これ なくば いかに しんずべきや.
問う 亡国の 証文 之 無くば 云何に 信ず可きや.

こたう ほうぼうの だんは もちろん なるか.
答う 謗法の 段は 勿論 なるか.

もし ほうぼう ならば ぼうこく だごく うたがい なし.
若し 謗法 ならば 亡国 堕獄 疑い 無し.

およそ ほうぼうとは ぼうぶつ ぼうそう なり.
凡そ 謗法とは 謗仏 謗僧 なり.

さんぽう いったい なる ゆえなり.
三宝 一体 なる 故なり.

これ ねはんぎょうの もん なり.
是れ 涅槃経の 文 なり.

ここを もって ほけきょうには 「すなわち いっさい せけんの ぶっしゅを だんず」と とく.
爰を 以て 法華経には 「則ち 一切世間の 仏種を 断ず」と 説く.

これを すなわち いっせんだいと なづく.
是を 即ち 一闡提と 名づく.

ねはんぎょうの 1と 10と 11とを いさいに みるべきなり.
涅槃経の 一と 十と 十一とを 委細に 見る可きなり.

つみに けいじゅう あれば ごくに せんじんを かまえたり.
罪に 軽重 有れば 獄に 浅深を 構えたり.

せっしょう ちゅうとう とう ないし いちだい3000せかいの しゅじょうを さつがい すれども.
殺生 偸盗 等 乃至 一大三千世界の 衆生を 殺害 すれども.

とうかつごくじょう とうの かみ しちだいじごくの いん として むけんに おつることは すべて なし.
等活黒繩 等の 上 七大地獄の 因 として 無間に 堕つることは 都て 無し.

あびの ごういんは きょうろんの おきては ごぎゃく しちぎゃく いんが はつむ しょうほう ひぼうの ものなり.
阿鼻の 業因は 経論の 掟は 五逆 七逆 因果 撥無 正法 誹謗の 者なり.

ただし ごぎゃくの なかに いちぎゃくを おかす ものは むけんに おつと いえども.
但し 五逆の 中に 一逆を 犯す 者は 無間に 堕つと 雖も.

1ちゅうこうを へて つみを つくして うかぶ.
一中劫を 経て 罪を 尽して 浮ぶ.

いっかいをも おかさず どうしん けんごにして ごせを ねがうと いえども.
一戒をも 犯さず 道心 堅固にして 後世を 願うと 雖も.

ほっけに そむきぬれば むけんに おちて てんでん むすうこうと みえたり.
法華に 背きぬれば 無間に 堕ちて 展転 無数劫と 見えたり.

しかれば すなわち ほうぼうは むりょうの ごぎゃくに すぎたり.
然れば 則ち 謗法は 無量の 五逆に 過ぎたり.

これをもって こっかを いのらんに てんか まさに たいへい なるべしや.
是を以て 国家を 祈らんに 天下 将に 泰平 なるべしや.

しょほうは げんりょうに しかず.
諸法は 現量に 如かず.

じょうきゅうの へいらんの とき かんとうには その よういも なし.
承久の 兵乱の 時 関東には 其の 用意も なし.

こくしゅとして ちょうぶくを くわだて 41にんの きそうに おおせて15だんの ひほうを おこなわる.
国主として 調伏を 企て 四十一人の 貴僧に 仰せて 十五壇の 秘法を 行はる.

そのなかに しゅごきょうの ほうを ししんでんにして おむろ はじめて おこなわる.
其の中に 守護経の 法を 紫宸殿にして 御室 始めて 行わる.

なのかに まんぜし ひ かみがた まけ おわんぬ.
七日に 満ぜし 日 京方 負け 畢んぬ.

ぼうこくの げんしょうに あらずや.
亡国の 現証に 非ずや.

これは わずかに こんじょうの しょうじ なり.
是は 僅に 今生の 小事 なり.

ごんきょう じゃほうに よって あくどうに おちんこと あさましかるべし.
権教 邪法に 依つて 悪道に 堕ちん 事 浅マシかるべし.

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とう ごんきょう じゃしゅうの しょうもんは いかん.
問う 権教 邪宗の 証文は 如何.

すでに しんごんきょうの だいにちかくおうの ひほうは そくしんじょうぶつの おうぞう なり.
既に 真言教の 大日覚王の 秘法は 即身成仏の 奥蔵 なり.

ゆえに じょうげ いちどうに この ほうに きし てんか あまねく だいほうを あおぐ.
故に 上下 一同に 是の 法に 帰し 天下 悉く 大法を 仰ぐ.

かいないを しずめ てんかを おさむる こと ひとえに しんごんの ちから なり.
海内を 静め 天下を 治むる 事 偏に 真言の 力 なり.

ごんきょう じゃほうと いうこと いかん.
権教 邪法と 云う 事 如何.

こたう ごんきょうと いうこと しきょうがんぞう たいほうべんの せつなる きょうもん けんねん なり.
答う 権教と 云う事 四教含蔵 帯方便の 説 なる 経文 顕然 なり.

しかれば しみの しょきょうに どうじて くおんを かくし にじょうを へだつ.
然れば 四味の 諸教に 同じて 久遠を 隠し 二乗を 隔つ.

いわんや じんぎょうじゅの かい とうを のぶれば しょうじょうごんきょう なること うたがいなし.
況んや 尽形寿の 戒 等を 述ぶれば 小乗権教 なる事 疑無し.

ここを もって けんとうの ぎもんに ぜんりんじの こうしゅうこくせいじの ゆいけんの けっぱん.
爰を 以て 遣唐の 疑問に 禅林寺の 広修国清寺の 維ケンの 決判.

ふんみょうに ほうとうぶの せつと いうなり.
分明に 方等部の 摂と 云うなり.

うたがって いわく きょうもんの ごんきょうは しばらく これを おく.
疑つて 云く 経文の 権教は 且く 之を 置く.

とうけつの ことは てんだいの せんとく えんちんだいし これを はす.
唐決の 事は 天台の 先徳 円珍大師 之を 破す.

だいにちきょうの しきに「ほっけ すら なお およばず いわんや じよの おしえおや」うんぬん.
大日経の 指帰に「法華 すら 尚 及ばず 況や 自余の 教をや」云云.

すでに そしの しょはん なり だれか これに そむく べきや.
既に 祖師の 所判 なり 誰か 之に 背く 可きや.

けつに いわく「どうりまえの ごとし」.
決に 云く「道理前の 如し」.

えほうふえにんの こころ なり.
依法不依人の 意 なり.

ただし この しゃくを ちしょうの しゃくと いう こと ふしん なり.
但し 此の 釈を 智証の 釈と 云う 事 不審 なり.

その ゆえは じゅけつしゅうの げに いわく.
其の 故は 授決集の 下に 云く.

もし ほっけ けごん ねはん とうの きょうに のぞめば これ しょういんもん」と いえり.
「若し 法華 華厳 涅槃 等の 経に 望めば 是れ 摂引門」と 云へり.

こうしゅう ゆいけんを はする ときは ほっけ なお およばずと かき.
広修 維ケンを 破する 時は 法華 尚 及ばずと 書き.

じゅけつしゅうには これ しょういんもんと いって にぎ そういせり.
授決集には 是れ 摂引門と 云つて 二義 相違せり.

しいきが えんちんの さく ならば じゅけつしゅうは ちしょうの しゃくに あらず.
指帰が 円珍の 作 ならば 授決集は 智証の 釈に 非ず.

じゅけつしゅうが じつ ならば しいきは ちしょうの しゃくに あらじ.
授決集が 実 ならば 指帰は 智証の 釈に 非じ.

いま このことを あんずるに じゅけつしゅうが ちしょうの しゃくと いうこと.
今 此の事を 案ずるに 授決集が 智証の 釈と 云う事.

てんかの ひと みな これを しる うえ くげの にっきにも これを のせたり.
天下の 人 皆 之を 知る 上 公家の 日記にも 之を 載せたり.

しいきは ひと おおく これを しらず くげの にっきにも これ なし.
指帰は 人 多く 之を 知らず 公家の 日記にも 之 無し.

これを もって かれを おもうに のちの ひと つくって ちしょうの しゃくと ごうするか.
此を 以つて 彼を 思うに 後の 人 作つて 智証の 釈と 号するか.

よくよく たずぬべき ことなり.
能く能く 尋ぬ可き 事なり.

じゅけつしゅうは ただしき ちしょうの じひつ なり.
授決集は 正しき 智証の 自筆 なり.

みつけに しくの ごぞうを もうけて じゅうじゅうしんを たて ろんを ひき.
密家に 四句の 五蔵を 設けて 十住心を 立て 論を 引き.

でんを さんごくに よせ いえいえの にっきと ごうし.
伝を 三国に 寄せ 家家の 日記と 号し.

わが しゅうを かざるとも みな これ もうご.
我が 宗を 厳るとも 皆 是れ 妄語.

くおうの ふげんにして そうごんこぎの ほうもん なり.
胸臆の 浮言にして 荘厳己義の 法門 なり.

しょせん ほけきょうは だいにち より さんじゅうの れつ.
所詮 法華経は 大日経 より 三重の 劣.

けろんの ほうにして しゃくそんは むみょうてんばくの ほとけと いうこと.
戯論の 法にして 釈尊は 無明纒縛の 仏と 云う事.

たしかなる にょらいの きんげん きょうもんを たずぬべし.
慥なる 如来の 金言 経文を 尋ぬ可し.

しょうもん なくんば なんと いうとも ほっけひぼうの ざいかを まぬがれず.
証文 無くんば 何と 云うとも 法華誹謗の 罪過を 免れず.

このこと とうけの かんじん なり.
此の事 当家の 肝心 なり.

かえすがえす ぼうしつ すること なかれ.
返す返す 忘失 する事 勿れ.

いずれの しゅうにも しょうほうひぼうの とが これあり.
何れの 宗にも 正法誹謗の 失 之有り.

たいろんの ときは ただ この いちだんに あり.
対論の 時は 但 此の 一段に 在り.

ぶっぽうは じたしゅう ことなると いえども もてあそぶ ほんいは.
仏法は 自他宗 異ると 雖も 翫ぶ 本意は.

どうぞく きせん ともに りくとくらく げんとうにせの ためなり.
道俗 貴賤 共に 離苦得楽 現当二世の 為なり.

ほうぼうに なり ふくして あくどうに おつべくば.
謗法に 成り 伏して 悪道に 堕つ可くば.

もんじゅの ちえ るふなの べんぜつ いちぶんも むやき なり.
文殊の 智慧 富楼那の 弁説 一分も 無益 なり.

むけんに おつる ほどの じゃほうの ぎょうじんにて こっかを きとうせんに.
無間に 堕つる 程の 邪法の 行人にて 国家を 祈祷 せんに.

はた ぜんじを なす べきや.
将た 善事を 成す 可きや.

けんみつ たいはんの しゃくは しばらく これを おく.
顕密 対判の 釈は 且らく 之を 置く.

けごんに ほっけ おとると いうこと よくよく しゆい すべきなり.
華厳に 法華 劣ると 云う事 能く能く 思惟 す可きなり.

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けごんきょうの 12に いわく しじゅうけごん なり.
華厳経の 十二に 云く 四十華厳 なり.

「また かの しょしゅうの いっさい くどく 6ぶんの1 つねに おうに ぞくす.
「又 彼の 所修の 一切 功徳 六分の一 常に 王に 属す.

かくの ごとく しゅう および ぞうを さゆる ふぜんしょゆうの ざいごう.
是くの 如く 修 及び 造を 障る 不善所有の 罪業.

6ぶんの1 かえって おうに ぞくす」.
六分の一 還つて 王に 属す」.

ろくはらみつきょうの 6に いわく.
六波羅蜜経の 六に 云く.

「もし おうの けいだいに さつを おかす もの あれば その おう すなわち だいろくぶんの つみを えん.
「若し 王の 境内に 殺を 犯す 者 有れば 其の 王 便ち 第六分の罪を 獲ん.

ちゅうとう じゃこう および もうごも またまた かくの ごとし.
偸盗 邪行 及び 妄語も 亦復 是くの 如し.

なにを もっての ゆえに もしは ほうも ひほうも おう これ こんぽん なれば.
何を 以ての 故に 若しは 法も 非法も 王 為れ 根本 なれば.

つみに おいても ふくに おいても だい6の1ぶんは みな おうに ぞくする なり」うんぬん.
罪に 於いても 福に 於いても 第六の一分は 皆 王に 属する なり」云云.

さいしょうおうきょうに いわく.
最勝王経に 云く.

「あくにんを あいけいし ぜんにんを じばつ するに よるが ゆえに.
「悪人を 愛敬し 善人を 治罰 するに 由るが 故に.

たほうの おんぞく きたり こくじん そうらんに あわん」とう うんぬん.
他方の 怨賊 来り 国人 喪乱に 遭わん」等 云云.

だいしゅうきょうに いわく.
大集経に 云く.

「もし また もろもろの せつり こくおう もろもろの ひほうを なし.
「若し 復 諸の 刹利 国王 諸の 非法を 作し.

せそんの しょうもんの でしを のうらんし.
世尊の 声聞の 弟子を 悩乱し.

もしは もって きめし とうじょう もって だせきし.
若しは 以て 毀罵し 刀杖もて 打斫し.

および いはつ しゅじゅの しぐを うばい.
及び 衣鉢 種種の 資具を 奪い.

もしは たの きゅうせに るなんを なす もの あらば.
若しは 他の 給施に 留難を 作す 者 有らば.

われら かれをして しぜんに にわかに たほうの おんてきを おこさしめ.
我等 彼をして 自然に 卒に 他方の 怨敵を 起さしめ.

および みずからの こくどにも また ひょうき えきびょう ききん ひじふうう とうじょう ごんしょう せしめ.
及び 自の 国土にも 亦 兵起 疫病 饑饉 非時風雨 闘諍 言訟 せしめ.

また その おう ひさしからずして また まさに おのが くにを ぼうしつ すべからしむ」 うんぬん.
又 其の 王 久しからずして 復 当に 己が 国を 亡失 すべからしむ」 云云.

だいさんかいぎに いわく.
大三界義に 云く.

「その ときに しょにん ともに あつまりて しゅうの うちに ひとりの うとくの ひとを たて.
「爾の 時に 諸人 共に 聚りて 衆の 内に 一の 有徳の 人を 立て.

なづけて でんしゅと なして おのおの しょしゅうの もの 6ぶんの1を もって.
名けて 田主と 為して 各 所収の 物 六分の一を 以て.

もって でんしゅに こうゆ す.
以て 田主に 貢輸 す.

ひとりを もって しゅと なし しょうほうを もって これを おさむ.
一人を 以て 主と 為し 政法を 以て 之を 治む.

ここに よって いご せつりしゅを たて たいしゅう きんぎょうして おんそつどに ながる.
ココに 因つて 以後 刹利種を 立て 大衆 欽仰して 恩率土に 流る.

また だいさんまたおうと なづく」.
復 大三末多王と 名づく」.

いじょう くしゃに より これを いだすなり.
已上 倶舎に 依り 之を 出すなり.

けんみつの こと むりょうぎきょう10 くどくほんに いわく.
顕密の 事 無量義経十 功徳品に 云く.

だい4くどくの げ.
第四功徳の 下.

「ふかく しょぶつ ひみつの ほうに いり えんぜつ すべき ところ い なく とが なし」と.
「深く 諸仏 秘密の 法に 入り 演説 す可き 所 違 無く 失 無し」と.

そもそも だいにちの 3ぶを みっきょうと いい.
抑 大日の 三部を 密教と 云ひ.

ほけきょうを けんきょうと いうこと きんげんの しょしゅつを しらず.
法華経を 顕教と 云う事 金言の 所出を 知らず.

しょせん しんごんを みつと いうは この みつは おんみつの みつ なるか.
所詮 真言を 密と 云うは 是の 密は 隠密の 密 なるか.

みみつの みつ なるか.
微密の 密 なるか.

ものを ひするに にしゅ あり.
物を 秘するに 二種 有り.

ひとつには きんぎん とうを くらに こむるは みみつ なり.
一には 金銀 等を 蔵に 籠むるは 微密 なり.

ふたつには きず かたわ とうを かくすは おんみつ なり.
二には 疵 片輪 等を 隠すは 隠密 なり.

しかれば すなわち しんごんを みつと いうは おんみつ なり.
然れば 則ち 真言を 密と 云うは 隠密 なり.

その ゆえは しじょうと とく ゆえに ちょうじゅを かくし.
其の 故は 始成と 説く 故に 長寿を 隠し.

にじょうを へだつる ゆえに きしょう なし.
二乗を 隔つる 故に 記小 無し.

この ふたつは きょうほうの しんずい もんぎの こうこつ なり.
此の 二は 教法の 心髄 文義の 綱骨 なり.

みみつの みつは ほっけ なり.
微密の 密は 法華 なり.

しかれば すなわち もんに いわく 4のまき ほっしほんに いわく.
然れば 則ち 文に 云く 四の巻 法師品に 云く.

「やくおう この きょうは これ しょぶつ ひようの ぞう なり」 うんぬん.
「薬王 此の 経は 是れ 諸仏 秘要の 蔵 なり」 云云.

5のまき あんらくぎょうほんに いわく.
五の巻 安楽行品に 云く.

「もんじゅしり この ほけきょうは しょぶつにょらいひみつの ぞう なり.
「文殊師利 此の 法華経は 諸仏如来秘密の 蔵 なり.

しょきょうの なかに おいて もっとも その かみに あり」うんぬん.
諸経の 中に 於て 最も 其の 上に 在り」 云云.

じゅりょうほんに いわく「にょらいひみつじんつうしりき」うんぬん.
寿量品に 云く 「如来秘密神通之力」云云.

にょらいじんりきほんに いわく.
如来神力品に 云く.

「にょらいいっさい ひようのぞう」うんぬん.
「如来一切 秘要之蔵」云云.

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しかのみならず しんごんの こうそ りゅうじゅぼさつ ほけきょうを ひみつと なづく.
しかのみならず 真言の 高祖 竜樹菩薩 法華経を 秘密と 名づく.

にじょうさぶつ あるが ゆえにと しゃくせり.
二乗作仏 有るが 故にと 釈せり.

つぎに にじょうさぶつ なきを ひみつと せずば しんごんは すなわちひみつの ほうに あらず.
次に 二乗作仏 無きを 秘密と せずば 真言は 即ち 秘密の 法に 非ず.

ゆえんは いかん だいにちきょうに いわく.
所以は 何ん 大日経に 云く.

「ほとけ ふしぎ しんごん そうどうの ほうを といて いっさいの しょうもん えんがくを ともに せず.
「仏 不思議 真言 相道の 法を 説いて 一切の 声聞 縁覚を 共に せず.

また せそん あまねく いっさいしゅじょうの ために するに あらず」うんぬん.
亦 世尊 普く 一切衆生の 為に するに 非ず」 云云.

にじょうを へだつる こと ぜんしみの しょきょうに おなじ.
二乗を 隔つる 事 前四味の 諸教に 同じ.

したがって とうけつには ほうとうぶの しょうと はんず.
随つて 唐決には 方等部の 摂と 判ず.

きょうもんには しきょうがんぞうと みえたり.
経文には 四教含蔵と 見えたり.

だいろん だい100かんに いわく だい90ほんを しゃくす.
大論 第百巻に 云く 第九十品を 釈す.

「とうて いわく さらに いずれの ほうか.
「問うて 曰く 更に 何れの 法か.

じんじんにして はんにゃに すぐれたる もの あって はんにゃを もって あなんに ぞくるいし.
甚深にして 般若に 勝れたる 者 有つて 般若を 以て 阿難に 嘱累し.

しかも よの きょうをば ぼさつに ぞくるい するや.
而も 余の 経をば 菩薩に 嘱累 するや.

こたえて いわく はんにゃはらみつは ひみつの ほうに あらず.
答えて 曰く 般若波羅蜜は 秘密の 法に 非ず.

しかも ほっけ とうの しょきょうに あらかんの じゅけつさぶつを といて だいぼさつ よく じゅよう す.
而も 法華 等の 諸経に 阿羅漢の 受決作仏を 説いて 大菩薩 能く 受用 す.

たとえば だいやくしの よく どくを もって くすりと なすがごとし」とう うんぬん.
譬えば 大薬師の 能く 毒を 以て 薬と 為すが 如し」等 云云.

げんぎの 6に いわく「たとえば りょういの よく どくを へんじて くすりと なすが ごとく.
玄義の 六に 云く「譬えば 良医の 能く 毒を 変じて 薬と 為すが 如く.

にじょうの こんぱい また ふくする こと あたわず.
二乗の 根敗 反た 復する こと 能わず.

これを なづけて どくと なす.
之を 名づけて 毒と 為す.

こんきょうに きを うるは すなわち これ どくを へんじて くすりと なす.
今経に 記を 得るは 即ち 是れ 毒を 変じて 薬と 為す.

ゆえに ろんに いわく よきょうは ひみつに あらずとは ほっけを ひみつと なせばなり.
故に 論に 云く 余経は 秘密に 非ずとは 法華を 秘密と 為せばなり.

また ほんちの しょせつ あり.
復 本地の 所説 有り.

しょきょうに なき ところ のちに あって まさに ひろく あかすべし」 うんぬん.
諸経に 無き 所 後に 在つて 当に 広く 明すべし」 云云.

せんの 6に いわく.
籤の 六に 云く.

「だい4に いんしょうの なか ろんに いわく とうと いうは だいろんの もんしょう なり.
「第四に 引証の 中、 論に 云く 等と 言うは 大論の 文証 なり.

ひみつと いうは はっきょうの なかの ひみつには あらず.
秘密と 言うは 八教の 中の 秘密には 非ず.

ただ これ まえに いまだ とかざる ところを ひと なし.
但 是れ 前に 未だ 説かざる 所を 秘と 為し.

かいし おわれば ほか なきを みつと なす」.
開し 已れば 外 無きを 密と 為す」.

もんくの 8に いわく.
文句の 八に 云く.

「ほうとう はんにゃに じっそうの ぞうを とくと いえども また いまだ 5じょうの さぶつを とかず.
「方等 般若に 実相の 蔵を 説くと 雖も 亦 未だ 五乗の 作仏を 説かず.

また いまだ ほっしゃくけんぽん せず.
亦 未だ 発迹顕本 せず.

とんぜんの しょきょうは みな いまだ ゆうえ せず.
頓漸の 諸経は 皆 未だ 融会 せず.

ゆえに なづけて ひと なす」.
故に 名づけて 秘と 為す」.

きの 8に いわく.
記の 八に 云く.

「だいろんに いわく ほっけは これ ひみつ もろもろの ぼさつに ふすと.
「大論に 云く 法華は 是れ 秘密 諸の 菩薩に 付すと.

いまの げの もんの ごときは かほうを しめすに なお ほんけんぞくを まつ.
今の 下の 文の 如きは 下方を 召すに 尚 本眷属を 待つ.

あきらけし よは いまだ たえざる ことを」 うんぬん.
験けし 余は 未だ 堪えざる ことを」 云云.

しゅうくの げに りゅうにょの じょうぶつを しゃくして 「しんく みつ なり」と いえり うんぬん.
秀句の 下に 竜女の 成仏を 釈して 「身口 密 なり」と 云えり 云云.

これらの きょうろんしゃくは ふんみょうに ほけきょうを しょぶつは さいだいいちと とき ひみつきょうと さだめ たまえるを.
此等の 経論釈は 分明に 法華経を 諸仏は 最第一と 説き 秘密教と 定め 給へるを.

きょうろんに もんしょうも なき もうごを はき ほっけを けんきょうと なづけて.
経論に 文証も 無き 妄語を 吐き 法華を 顕教と 名づけて.

これを くだし これを ぼうず あに だいほうぼうに あらずや.
之を 下し 之を 謗ず 豈 大謗法に 非ずや.

そもそも とうちょうの ぜんむい こんごうち とう ほけきょうと だいにちきょうの りょうきょうに.
抑も 唐朝の 善無畏 金剛智 等 法華経と 大日経の 両経に.

りどう じしょうの しゃくを つくるは ぼんか りょうごく ともに しょうれつか.
理同 事勝の 釈を 作るは 梵華 両国 共に 勝劣か.

ほけきょうも てんじくには 16りの ほうぞうに あれば むりょうの こと あれども.
法華経も 天竺には 十六里の 宝蔵に 有れば 無量の 事 有れども.

りゅうさ そうれい とうの けんなん 5まん8000り 10まんりの ろじ.
流沙 葱嶺 等の 険難 五万八千里 十万里の 路次.

ようい ならざる あいだ しようをば これを りゃくせり.
容易 ならざる 間 枝葉をば 之を 略せり.

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これらは しかしながら やくしゃの いぎょうに したがって.
此等は 併ながら 訳者の 意楽に 随つて.

こうを このみ りゃくを にくむ ひとも あり.
広を 好み 略を 悪む 人も 有り.

りゃくを このみ こうを にくむ ひとも あり.
略を 好み 広を 悪む 人も 有り.

しかれば すなわち げんじょうは こうを このんで 40かんの はんにゃきょうを ろっぴゃっかんと なし.
然れば 則ち 玄弉は 広を 好んで 四十巻の 般若経を 六百巻と 成し.

らじゅうさんぞうは りゃくを このんで 1000かんの だいろんを ひゃっかんに ちぢめたり.
羅什三蔵は 略を 好んで 千巻の 大論を 百巻に 縮めたり.

いんけい しんごんの まさるると いうこと これを もって わきまえがたし.
印契 真言の 勝るると 云う事 是を 以て 弁え難し.

らじゅう しょやくの ほけきょうには これを むねと せず.
羅什 所訳の 法華経には 是を 宗と せず.

ふくうさんぞうの ほけきょうの ぎきには いん しんごん これ あり.
不空三蔵の 法華の 儀軌には 印 真言 之有り.

にんのうきょうも らじゅうの しょやくには いん しんごん これ なし.
仁王経も 羅什の 所訳には 印 真言 之 無し.

ふくう しょやくの きょうには これを そえたり.
不空 所訳の 経には 之を 副えたり.

しんぬ これ やくしゃの いぎょう なりと.
知んぬ 是れ 訳者の 意楽 なりと.

そのうえ ほけきょうには 「いせつじっそういん」と といて がっしょうの いん これ あり.
其の上 法華経には 「為説実相印」と 説いて 合掌の 印 之 有り.

ひゆほんには 「わが この ほういん せけんを りやく せんと ほっするが ための ゆえに とく」 うんぬん.
譬喩品には「我が 此の 法印 世間を 利益 せんと 欲するが 為の 故に 説く」云云.

これらの もん いかん ただ こうりゃくの い あるか.
此等の 文 如何 只 広略の 異 あるか.

また ぜっそうの げんご みな これ しんごん なり.
又 舌相の 言語 皆 是れ 真言 なり.

ほけきょうには 「ちせいの さんぎょうは みな じっそうと あい いはいせず」と のべ.
法華経には 「治生の 産業は 皆 実相と 相 違背せず」と 宣べ.

また 「これ ぜんぶっきょうちゅうに とく なり」と とく これらは いかん.
亦 「是れ 前仏経中に 説く 所なり」と 説く 此等は 如何.

しんごん こそ うみょう むじつの しんごん.
真言 こそ 有名 無実の 真言.

みけんしんじつの ごんきょう なれば じょうぶつ とくどう あとかたも なく.
未顕真実の 権教 なれば 成仏 得道 跡形も 無く.

しじょうを だんじて くおん なければ しょうとくほんぬの ぶっしょうも なし.
始成を 談じて 久遠 無ければ 性徳本有の 仏性も 無し.

さんじょうが ほとけの しゅっせを かんずるに 3人に ふたりを すて30にんに 20にんを のぞく.
三乗が 仏の 出世を 感ずるに 三人に 二人を 捨て 三十人に 二十人を 除く.

「みなぶつどうにいらしむ」の ほとけの ほんがん まんぞく すべからず.
「皆令入仏道」の 仏の 本願 満足 す可からず.

じっかいごぐは おもいも よらず.
十界互具は 思いも よらず.

まして ひじょうの うえの しきしんの いんが いかでか とく べきや.
まして 非情の 上の 色心の 因果 争か 説く 可きや.

しからば ちん ずい 2だいの てんだいだいしが ほけきょうの もんを さとりて.
然らば 陳 隋 二代の 天台大師が 法華経の 文を 解りて.

いんけいの うえに たて たまえる じっかいごぐ ひゃっかいせんにょ いちねん3000を.
印契の 上に 立て 給へる 十界互具 百界千如 一念三千を.

ぜんむいは ぬすみ とって わが しゅうの こつもく せり.
善無畏は 盗み 取つて 我が 宗の 骨目と せり.

かの さんぞうは とうの だい7 げんそこうていの かいげん 4ねんに きたる.
彼の 三蔵は 唐の 第七 玄宗皇帝の 開元 四年に 来る.

にょらい にゅうめつ より 1664ねんか.
如来 入滅 より 一千六百六十四年か.

かいこう 17ねん より 120よねん なり.
開皇 十七年 より 百二十余年 なり.

なんぞ 120よねん いぜんに てんだいの たてたまえる 一ねん 3000のほうもんを.
何ぞ 百二十余年 已前に 天台の 立て 給へる 一念三千の 法門を.

ぬすみ とって わが ものと するや.
盗み 取つて 我が 物と するや.

しかるに おのが えきょう たる だいにちきょうには しゅじょうの なかに きを きらい.
而るに 己が 依経 たる 大日経には 衆生の 中に 機を 簡ひ.

ぜんしみの しょきょうに どうじて にじょうを きらえり.
前四味の 諸経に 同じて 二乗を 簡へり.

まして そうもくじょうぶつは おもいも よらず.
まして 草木成仏は 思いも よらず.

されば りを いう ときは ぬすびと なり.
されば 理を 云う 時は 盗人 なり.

また いんけい しんごん いずれかの きょうにか これを かんがえる.
又 印契 真言 何れの 経にか 之を 簡える.

もし しかれば だいにちきょうに これを とくとも きぼ ならず.
若し 爾れば 大日経に 之を 説くとも 規模 ならず.

いちだいに きらわれ しょきょうに すてられたる にじょうさぶつは ほっけに かぎれり.
一代に 簡われ 諸経に 捨てられたる 二乗作仏は 法華に 限れり.

にじょうは むりょうむへんこうの あいだ 1200よそんの いんけい しんごんを ぎょうずとも.
二乗は 無量無辺劫の 間 千二百余尊の 印契 真言を 行ずとも.

ほけきょうに あわずんば じょうぶつ すべからず.
法華経に 値わずんば 成仏す 可からず.

いんは ての よう しんごんは くちの よう なり.
印は 手の 用 真言は 口の 用 なり.

その しゅが じょうぶつ せざれば くちと てと べつに じょうぶつ すべきや.
其の 主が 成仏 せざれば 口と 手と 別に 成仏す 可きや.

いちだいに ちょうかし さんせつに ひいでたる にじょうの じをば ものと ぜず.
一代に 超過し 三説に 秀でたる 二乗の 事をば 物と せず.

じに よる ときは いん しんごんを たっとむ もの れついしょうけんの げどう なり.
事に 依る 時は 印 真言を 尊む 者 劣謂勝見の 外道 なり.

→a146

b147

むりょうぎきょう せっぽうほんに いわく.
無量義経 説法品に 云く.

「しじゅうよねん みけんしんじつ」.
「四十余年 未顕真実」.

1のまきに いわく 「せそんは ほう ひさしくして のち かならず.
一の巻に 云く 「世尊は 法 久くして 後 要ず.

まさに しんじつを とき たもうべし」.
当に 真実を 説き たもうべし」.

また いわく 「いちだいじの いんねんの ゆえに よに しゅっげん したもう」.
又 云く 「一大事の 因縁の 故に 世に 出現 したもう」.

4のまきに いわく 「やくおう いま なんじに つぐ.
四の巻に 云く 「薬王 今 汝に 告ぐ.

わが しょせつの しょきょう あり.
我が 所説の 諸経 あり.

しかも この きょうの なかに おいて ほっけ もっとも だいいち なり」.
而も 此の 経の 中に 於て 法華 最も 第一 なり」.

また いわく 「すでに とき いま とき まさに とかん」.
又 云く 「已に 説き 今 説き 当に 説かん」.

ほうとうほんに いわく 「われ ぶつどうを もって むりょうの どに おいて.
宝塔品に 云く 「我 仏道を 為つて 無量の 土に 於て.

はじめより いまに いたるまで ひろく しょきょうを とく.
始より 今に 至るまで 広く 諸経を 説く.

しかも その なかに おいて この きょう だいいち なり」.
而も 其の 中に 於て 此の 経 第一 なり」.

あんらくぎょうほんに いわく 「この ほけきょうは これ もろもろの にょらい だいいちの せつ なり.
安楽行品に 云く 「此の 法華経は 是れ 諸の 如来 第一の 説 なり.

しょきょうの なかに おいて もっとも これ じんじん なり」.
諸経の 中に 於て 最も 為 甚深 なり」.

また いわく 「この きょうは しょぶつ にょらい ひみつの ぞう なり.
又 云く 「此の 法華経は 諸仏 如来 秘密の 蔵 なり.

しょきょうの なかに おいて もっとも その かみに あり」.
諸経の 中に 於て 最も 其の 上に 在り」.

やくおうほんに いわく 「この ほけきょうも またまた かくの ごとし.
薬王品に 云く 「此の 法華経も 亦復 是くの 如し.

しょきょうの なかに おいて もっとも これ その かみ なり」.
諸経の 中に 於て 最も 為 其の 上 なり」.

また いわく「この きょうも またまたかくの ごとし.
又 云く「此の 経も 亦復 是くの 如し.

しょきょうの なかに おいて もっとも これ その そん なり」.
諸経の 中に 於て 最も 為 其の 尊 なり」.

また いわく 「この きょうも またまた かくの ごとし.
又 云く 「此の 経も 亦復 是の 如し.

しょきょうの なかの おう なり」.
諸経の 中の 王 なり」.

また いわく「この きょうも またまた かくの ごとし.
又 云く「此の 経も 亦復 是の 如し.

いっさいせけんの にょらいの しょせつ もしは ぼさつの しょせつ もしは しょうもんの しょせつ.
一切の 如来の 所説 若しは 菩薩の 所説 若しは 声聞の 所説.

もろもろの きょうほうの なかに さいいだいいち なり」とう うんぬん.
諸の 経法の 中に 最為第一 なり」等 云云.

げんの 10にいわく 「また いこんとうの せつに もっとも これ なんしんなんげ.
玄の 十に 云く 「又 已今当の 説に 最も 為れ 難信難解.

ぜんきょうは これ いせつ なり」.
前経は 是れ 已説 なり」.

しゅうくの げに いわく 「つつしんで あんずるに ほけきょう ほっしほんの げに いわく.
秀句の 下に 云く 「謹んで 案ずるに 法華経 法師品の 偈に 云く.

やくおう いま なんじに つぐ わが しょせつの しょきょう あり.
薬王 今 汝に 告ぐ 我が 所説の 諸経 あり.

しかも この きょうの なかに おいて ほっけ もっとも だいいち なり」.
而も 此の 経の 中に 於て 法華 最も 第一 なり」.

また いわく 「まさに しるべし いせつは しじの きょう なり」.
又 云く 「当に 知るべし 已説は 四時の 経 なり」.

もんくの 8に いわく 「いま ほっけは ほうを ろんずれば」うんぬん.
文句の 八に 云く 「今 法華は 法を 論ずれば」云云.

きの 8に いわく 「ほこに あたる」うんぬん.
記の 八に 云く 「鋒に 当る」云云.

しゅうくの げに いわく 「あきらかに しんぬ.
秀句の 下に 云く 「明かに 知んぬ.

たしゅう しょえの きょうは これ おうちゅうの なかの おう ならず」うんぬん.
他宗 所依の 経は 是れ 王中の 王 ならず」 云云.

しゃか たほう じっぽうの しょぶつ てんだい みょうらく でんぎょうとうは.
釈迦 多宝 十方の 諸仏 天台 妙楽 伝教 等は.

ほけきょうは しんじつ けごんきょうは ほうべん なり.
法華経は 真実 華厳経は 方便 なり.

「いまだ しんじつを あらわさず しょうじきに ほうべんを すてて よきょうの いちげをも うけざれ」.
「未だ 真実を 顕さず 正直に 方便を 捨てて 余経の 一偈をも 受けざれ」.

「もし ひと しんぜずして ないし その ひと みょうじゅうして あびごくに いらん」と うんぬん.
「若し 人 信ぜずして 乃至 其の 人 命終して 阿鼻獄に 入らん」と 云云.

こうぼうだいしは 「ほっけは けろん けごんは しんじつ なり」と うんぬん.
弘法大師は 「法華は 戯論 華厳は 真実 なり」と 云云.

いずれを もちう べきや.
何れを 用う 可きや.

ほうやくに いわく.
宝鑰に 云く.

「かくの ごとき じょうじょうは じじょうに なを えれども のちに のぞめば けろんと なる」.
「此くの 如き 乗乗は 自乗に 名を 得れども 後に 望めば 戯論と 作る」.

また いわく「ぼうにん ほうぼうは さだめて あびごくに だせん」.
又 云く「謗人 謗法は 定めて 阿鼻獄に 堕せん」.

きの 5に いわく 「ゆえに じっそうの ほかは みな けろんと なづく」.
記の 五に 云く 「故に 実相の 外は 皆 戯論と 名づく」.

→a147

b148

ぼんもうきょうの しょに いわく.
梵網経の 疏に 云く.

「だい10に ぼうさんぽうかい または ぼうぼさつかいと いい あるいは じゃけんと いう.
「第十に 謗三宝戒 亦は 謗菩薩戒と 云い 或は 邪見と 云う.

ぼうは これ けはいの な なり.
謗は 是れ 乖背の 名 なり.

すべて これ げ りに かなわず.
すべて 是れ 解 理に 称わず.

ことばは じつに あたらずして いげして とくものを みな なづけて ぼうと なすなり」.
言は 実に 当らずして 異解して 説く 者を 皆 名づけて 謗と 為すなり」.

げんの 3に いわく.
玄の 三に 云く.

「もんしょう なき ものは ことごとく これ じゃぎ かの げどうに おなじ」.
「文証 無き 者は 悉く 是れ 邪偽 彼の 外道に 同じ」.

ぐの 10に いわく.
弘の 十に 云く.

「いまの ひと たの しょいんの きょうろんを しんじて.
「今の 人 他の 所引の 経論を 信じて.

いいて たのみ ありと なして しゅうの みなもとを たずねず.
謂いて 憑み 有りと 為して 宗の 源を 尋ねず.

みょうご なんぞ はなはだしき」.
謬誤 何ぞ 甚しき」.

しゅごしょう じょうの ちゅうに いわく 「もし しょせつの きょうろん みょうもん あらば.
守護章 上の 中に 云く 「若し 所説の 経論 明文 有らば.

ごんじつ だいしょう へんえん はんまんを かんちゃくす べし」.
権実 大小 偏円 半満を 簡択す 可し」.

げんの 3に いわく「ひろく きょうろんを ひいて こぎを そうごん す」.
玄の 三に 云く「広く 経論を 引いて 己義を 荘厳 す」.

そもそも こうぼうの ほけきょうは しんごん より さんじゅうの れつ.
抑弘法の 法華経は 真言 より 三重の 劣.

けろんの ほうにして なお けごんにも おとると いうこと.
戯論の 法にして 尚 華厳にも 劣ると 云う事.

だいにちきょう 6かんに くようほうの まきを くわえて 7かん 31ほん.
大日経 六巻に 供養法の 巻を 加えて 七巻 三十一品.

あるいは 36ほんには いずれの ほん いずれの まきに みえたるや.
或は 三十六品には 何れの 品 何れの 巻に 見えたるや.

しか のみならず そしっちきょう 34ほん こんごうちょうきょう 3かん 3ほん.
しか のみならず 蘇悉地経 三十四品 金剛頂経 三巻 三品.

あるいは いっかんに まったく みえざる ところ なり.
或は 一巻に 全く 見えざる 所 なり.

また だいにちきょう ならびに さんぶの ひきょうには.
又 大日経 並びに 三部の 秘経には.

いずれの まき いずれの ほんにか じっかいごぐ これ ありや すべて なきなり.
何れの 巻 何れの 品にか 十界互具 之 有りや 都て 無きなり.

ほけきょうには じり ともに あるなり.
法華経には 事理 共に 有るなり.

いわゆる くおんじつじょうは じ なり にじょうさぶつは り なり.
所謂 久遠実成は 事 なり 二乗作仏は 理 なり.

ぜんむいらの りどうじしょうは おくせつ なり.
善無畏等の 理同事勝は 臆説 なり.

しんよう すべからざる ものなり.
信用す 可からざる 者なり.

およそ しんごんの あやまり おおき なか.
凡そ 真言の 誤り 多き 中.

ひとつ じゅうじゅうしんに だい8ほっけ だい9けごん だい10しんごん うんぬん.
一、十住心に 第八法華 第九華厳 第十真言 云云.

いずれの きょうろんに いでたるや.
何れの 経論に 出でたるや.

ひとつ ぜんむいの しくと こうぼうの じゅうじゅうしんと がんぜん いもく なり.
一、善無畏の 四句と 弘法の 十住心と 眼前 違目 なり.

なんぞ してい てきたい するや.
何ぞ 師弟 敵対 するや.

ひとつ 5ぞうを たつる とき ろくはらみつの だらにぞうを.
一、五蔵を 立つる 時 六波羅蜜経の 陀羅尼蔵を.

なんぞ かならず わがやの しんごんと いうや.
何ぞ 必ず 我が家の 真言と 云うや.

ひとつ しんたんの にんし あらそって だいごを ぬすむ という.
一、震旦の 人師 争つて 醍醐を 盗むと 云う.

ねんき なんぞ そうい するや.
年紀 何ぞ 相違 するや.

その ゆえは かいこう 17ねん より.
其の 故は 開皇 十七年 より.

とうの とくそうの じょうげん 4ねん ぼしんの としに いたるまで192ねん なり.
唐の 徳宗の 貞元 四年 戊辰の 歳に 至るまで 百九十二年 なり.

なんぞ てんだい にゅうめつ 192ねんの のちに わたれる ろくはらみつの だいごを ぬすみ たもう べきや.
何ぞ 天台 入滅 百九十二年の 後に 渡れる 六波羅蜜経の 醍醐を 盗み 給う 可きや.

けんねんの いもく なり.
顕然の 違目 なり.

もし しかれば ぼうじん ほうぼう じょうだあびごくと いうは じせき なるや.
若し 爾れば 謗人 謗法 定堕阿鼻獄と いうは 自責 なるや.

ひとつ こうぼうの しんきょうの ひけんに なんぞ ほっけを せっするや.
一、弘法の 心経の 秘鍵の 五分に 何ぞ 法華を 摂するや.

よくよく たづぬ べき ことなり.
能く能く 尋ぬ 可き 事なり.

→a148

b149

しんごん しちじゅうなん.
真言 七重難.

ひとつ、しんごんは ほけきょう より ほかに だいにちにょらいの しょせつ なり うんぬん.
一、真言は 法華経 より 外に 大日如来の 所説 なり 云云.

もし しかれば だいにちの しゅっせじょうどう せっぽうりしょうは.
若し 爾れば 大日の 出世成道 説法利生は.

しゃくそん より まえか あとか いかん.
釈尊 より 前か 後か 如何.

たいき せっぽうの ほとけは はっそうさぶつ す.
対機説法の 仏は 八相作仏 す.

ふぼは だれぞ みょうじは いかに.
父母は 誰れぞ 名字は 如何に.

しゃばせかいの ほとけと いわば よに にぶつ なく.
娑婆世界の 仏と 云はば 世に 二仏 無く.

くにに にしゅ なきは しょうきょうの つうはん なり.
国に 二主 無きは 聖教の 通判 なり.

ねはんぎょうの 35の まきを みる べきなり.
涅槃経の 三十五の 巻を 見る 可きなり.

もし たどの ほとけなりと いわば なんぞ わが しゅししんの しゃくそんを ないがしろにして.
若し 他土の 仏なりと 云はば 何ぞ 我が 主師親の 釈尊を 蔑にして.

たほう そえんの ほとけを あがむるや.
他方 疎縁の 仏を 崇むるや.

ふちゅう なり ふこう なり ぎゃくろがやだ なり.
不忠 なり 不孝 なり 逆路伽耶陀 なり.

もし いったいと いわば なんぞ べつぶつと いうや.
若し 一体と 云はば 何ぞ 別仏と 云うや.

もし べつぶつ ならば なんぞ わが じゅうおんの ほとけを すつるや.
若し 別仏 ならば 何ぞ 我が 重恩の 仏を 捨つるや.

とうぎょうは おい おとろえたる ははを うやまい.
唐堯は 老い 衰へたる 母を 敬ひ.

ぐしゅんは かたくななる ちちを あがむ.
虞舜は 頑なる 父を 崇む.

6はらみつきょうに いわく.
六波羅蜜経に 云く.

「いわゆる かこ むりょうごうがしゃの しょぶつ せそんの しょせつの しょうほう.
「所謂 過去 無量ゴウ伽沙の 諸仏 世尊の 所説の 正法.

われ いま また まさに かくの ごとき せつを なすべし.
我 今 亦 当に 是の 如き 説を 作すべし.

いわゆる 8まん4000の もろもろの みょうほう おん なり.
所謂 八万四千の 諸の 妙法 蘊 なり.

しかも あなんだ とうの しょだいでしをして.
而も 阿難陀 等の 諸大弟子をして.

ひとたび みみに きいて みな ことごとく おくじ せしむ」うんぬん.
一たび 耳に 聞いて 皆 悉く 憶持 せしむ」云云.

この なかの だらにぞうを こうぼう わが しんごんと いえる.
此の 中の 陀羅尼蔵を 弘法 我が 真言と 云える.

もし しかれば この だらにぞうは しゃかの せつに あらざるか.
若し 爾れば 此の 陀羅尼蔵は 釈迦の 説に 非ざるか.

その せつに いす.
此の 説に 違す.

およそ ほけきょうは むりょう1000まんおくの いせつ こんせつ とうせつに もっとも だいいち なり.
凡そ 法華経は 無量千万億の 已説 今説 当説に 最も 第一 なり.

しょぶつの しょせつ ぼさつの しょせつ しょうもんの しょせつに この きょう だいいち なり.
諸仏の 所説 菩薩の 所説 声聞の 所説に 此の 経 第一 なり.

しょぶつの なかに だいにち もる べきや.
諸仏の 中に 大日 漏る 可きや.

ほけきょうは しょうじきむじょうどうの せつ.
法華経は 正直無上道の 説.

だいにち とうの しょぶつ ちょうぜつを ぼんてんに つけて しんじつと しめし たもう.
大日 等の 諸仏 長舌を 梵天に 付けて 真実と 示し 給う.

いぎぎょうしききょうに 「しんそう おうごんしょくにして つねに まんげつりんに あそび.
威儀形色経に 「身相 黄金色にして 常に 満月輪に 遊び.

じょうえちけんの いん ほけきょうを しょうじょう す」と.
定慧智拳の 印 法華経を 証誠 す」と.

また ごぶっしょうの ほとけも ほけきょう だいいちと みえたり.
又 五仏章の 仏も 法華経 第一と 見えたり.

「ようを もって これを いわば にょらいの いっさいしょゆうの ほう.
「要を 以て 之を 云わば 如来の 一切所有の 法.

ないし みな このきょうに おいて せんじ けんぜつ す」うんぬん.
乃至 皆 此の経に 於て 宣示 顕説 す」云云.

これらの きょうもんは しゃか しょせつの しょきょうの なかに だいいち なる のみに あらず.
此等の 経文は 釈迦 所説の 諸経の 中に 第一 なる のみに 非ず.

さんぜの しょぶつの しょせつの なかに だいいち なり.
三世の 諸仏の 所説の 中に 第一 なり.

この ほか いちぶつ にぶつの しょせつの きょうの なかに ほけきょうに すぐれたる きょう ありと いわば もちゆ べからず.
此の 外 一仏 二仏の 所説の 経の 中に 法華経に 勝れたる 経 有りと 云はば 用ゆ 可からず.

ほけきょうは さんぜふえの きょうなる ゆえなり.
法華経は 三世不壊の 経なる 故なり.

また だいにちきょう とうの しょきょうの なかに ほけきょうに まさるる きょうもん これなし.
又 大日経 等の 諸経の 中に 法華経に 勝るる 経文 之無し.

しゃくそん ごにゅうめつ より いご てんじくの ろんし 24にんの ふほうぞう.
釈尊 御入滅 より 已後 天竺の 論師 二十四人の 付法蔵.

そのほか だいごんの すいじゃく しんたんの にんし なん3ほくしちのじゅっし さんろんほっそうの せんしの なかに.
其の外 大権の 垂迹 震旦の 人師 南三北七の 十師 三論法相の 先師の 中に.

てんだいしゅう より ほかに じっかいごぐ 100かいせんにょ いちねん3000と だんずる ひと これなし.
天台宗 より 外に 十界互具 百界千如 一念三千と 談ずる 人 之無し.

もし いちねん3000を たてざれば しょうあくの ぎ これなし.
若し 一念三千を 立てざれば 性悪の 義 之無し.

しょうあくの ぎ なくば ほとけ ぼさつの ふげんしきしん しんごん りょうかいの まんだら.
性悪の 義 無くば 仏 菩薩の 普現色身 真言 両界の 漫荼羅.

500 700の しょそんは ほんむこんぬの げどうの ほうに どうぜんか.
五百 七百の 諸尊は 本無今有の 外道の 法に 同ぜんか.

→a149

b150

もし じっかいごぐ ひゃっかいせんにょを たてば.
若し 十界互具 百界千如を 立てば.

ほんきょう いずれの きょうにか じっかいかいじょうの むね これを とけるや.
本経 何れの 経にか 十界皆成の 旨 之を 説けるや.

てんだいえんしゅう けんぶんの のち じゃちそうごんの ために ぬすみとれる ほうもん なり.
天台円宗 見聞の 後 邪智荘厳の 為に 盗み 取れる 法門 なり.

さいげいを じゅし ふげんを はくには よるべからず.
才芸を 誦し 浮言を 吐くには 依る可からず.

ただしき きょうもん きんげんを たずぬべきなり.
正しき 経文 金言を 尋ぬ可きなり.

ねはんぎょうの 35に いわく 「われ しょしょの きょうの なかに おいて といて いわく.
涅槃経の 三十五に 云く 「我 処処の 経の中に 於て 説いて 言く.

ひとり しゅっせ すれば たにん りやく す.
一人 出世 すれば 多人 利益 す.

いっこくの なかに ふたつの りんてんおう あり.
一国土の 中に 二の 転輪王 あり.

いちせかいの なかに にぶつ しゅっせすと いわば この ことわり あること なし」.
一世界の 中に 二仏 出世すと いわば 是の 処 有ること 無し」.

だいろんの 9に いわく 「じっぽう ごうがしゃの 3000だいせんせかいを.
大論の 九に 云く 「十方 恒河沙の 三千大千世界を.

なづけて いちぶつせかいと なす.
名づけて 一仏世界と 為す.

この なかに さらに よぶつ なし.
是の 中に 更に 余仏 無し.

じつには ひとりの しゃかむにぶつ なり」.
実には 一りの 釈迦牟尼仏 なり」.

きの いちに いわく 「よには にぶつ なく くにには にしゅ なし
記の 一に 云く 「世には 二仏 無く 国には 二主 無し

いちぶつの きょうがいには ふたつの そんごう なし」
一仏の 境界には 二の 尊号 無し」

じちろんに いわく 「よに にぶつ なく くにに にしゅ なく.
持地論に 云く 「世に 二仏 無く 国に 二主 無く.

いちぶつの きょうがいに ふたつの そんごう なし」.
一仏の 境界に 二の 尊号 無し」.

しちがつ にち.
七月 日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

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