b1427から1430.
盂蘭盆御書 (うらぼん ごしょ).
日蓮大聖人 56歳 御作.

 

b1427


うらぼん ごしょ.
盂蘭盆 御書.

こめ いっぴょう やきごめ うり なすび とう.
コ牙 一俵 やいごめ うり なすび 等.

ぶつぜんに ささげ もうしあげ そうらいおわんぬ.
仏前に ささげ 申し上 候畢んぬ.

うらぼんと もうし そうろう ことは ほとけの みでしの なかに もくれんそんじゃと もうして.
盂蘭盆と 申し 候 事は 仏の 御弟子の 中に 目連尊者と 申して.

しゃりほつに ならびて ちえ だいいち じんつう だいいちと もうして.
舎利弗に ならびて 智慧 第一 神通 第一と 申して.

しゅみせんに にちげつの ならび だいおうに さゆうの しんの ごとくに おわせし ひと なり.
須弥山に 日月の ならび 大王に 左右の 臣の ごとくに をはせし 人 なり.

この ひとの ちちをば きっせんししと もうし ははをば しょうだいにょと もうす.
此の 人の 父をば 吉懺師子と 申し 母をば 青提女と 申す.

その ははの けんどんの とがに よって がきどうに おちて そうらいしを.
其の 母の 慳貪の 科に よつて 餓鬼道に 堕ちて 候しを.

もくれん そんじゃの すくい たもう より こと おこりて そうろう.
目連尊者の すくい 給う より 事 をこりて 候.

その いんねんは ははわ がきどうに おちて ながき そうらいけれども.
其の 因縁は 母は 餓鬼道に 堕ちて なげき 候けれども.

もくれんは ぼんぷ なれば しること なし.
目連は 凡夫 なれば 知ること なし.

ようしょうにして げどうの いえに いり.
幼少にして 外道の 家に 入り.

しいだ 18だいきょうと もうす げどうの いっさいきょうを ならい つくせども.
四ゐ陀 十八大経と 申す 外道の 一切経を ならい つくせども.

いまだ その ははの しょうしょを しらず.
いまだ 其の 母の 生所を しらず.

そのご 13の とし しゃりほつと ともに しゃかぶつに まいりて みでしと なり.
其の後 十三の とし 舎利弗と ともに 釈迦仏に まいりて 御弟子と なり.

けんわくを だんじて しょかの しょうにんと なり.
見惑を だんじて 初果の 聖人と なり.

しゅうわくを だんじて あらかんと なりて 3みょうを そなえ 6つうを えたまえり.
修惑を 断じて 阿羅漢と なりて 三明を そなへ 六通を へ給へり.

てんげんを ひらいて 3000だいせんせかいを みょうきょうの かげの ごとく ごらんあり しかば.
天眼を ひらいて 三千大千世界を 明鏡の かげの ごとく 御らむあり しかば.

だいちを みとおし さんあくどうを みること こおりの したに そうろう うおを.
大地を みとをし 三悪道を 見る 事 冰の 下に 候 魚を.

あさひに むかいて われらが とおしみるが ごとし.
朝日に むかいて 我等が とをしみるが ごとし.

そのなかに がきどうと もうす ところに わが はは あり.
其の中に 餓鬼道と 申す ところに 我が 母 あり.

のむこと なし くうこと なし.
のむ事 なし 食うこと なし.

かわは きんちょうを むしれるが ごとく.
皮は きんてうを むしれるが ごとく.

ほねは まろき いしを ならべたるが ごとし.
骨は まろき 石を ならべたるが ごとし.

あたまは まりの ごとく くびは いとの ごとし.
頭は まりの ごとく 頸は いとの ごとし.

はらは たいかいの ごとし.
腹は 大海の ごとし.

くちを はり てを あわせて ものを こえる かたちは.
口を はり 手を 合せて 物を こへる 形は.

うえたる ひるの ひとの かを かげるが ごとし.
うへたる ひるの 人の かを かげるが ごとし.

せんじょうの こを みて なかんと する すがた.
先生の 子を みて なかんと する すがた.

うえたる かたち たとえを とるに およばず.
うへたる かたち たとへを とるに 及ばず.

いかんが かなしかりけん.
いかんが かなしかりけん.

ほっしょうじの しぎょう しゅんかんが いおうのしまに ながされて.
法勝寺の 執行 舜観が いわうの嶋に ながされて.

はだかにて かみ くび つきに うちおい やせ おとろえて.
はだかにて かみ くび つきに うちをい やせ をとろへて.

うみべに やすらいて もくずを とりて.
海へんに やすらいて もくづを とりて.

こしに まき うおを ひとつ みつけて みぎの てに とり くちに かみける とき.
こしに まき 魚を 一 みつけて 右の 手に とり 口に かみける 時.

もと つかいし わらわの たずね ゆきて みし ときと もくれんそんじゃが ははを みしと.
本 つかいし わらわの たづね ゆきて 見し 時と 目連尊者が 母を 見しと.

いずれか おろか なるべき かれは いますこし かなしさは まさりけん.
いづれか をろか なるべき かれは いますこし かなしさわ まさりけん.

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もくれんそんじゃは あまりの かなしさに だいじんつうを げんじ たまい.
目連尊者は あまりの かなしさに 大神通を げんじ 給ひ.

はんを まいらせたり しかば はは よろこびて みぎの てには はんを にぎり.
飯を まいらせたり しかば 母 よろこびて 右の 手には 飯を にぎり.

ひだりの て にては はんを かくして くちに おしいれ たまいしかば.
左の 手 にては 飯を かくして 口に をし入れ 給いしかば.

いかんが したりけん はん へんじて ひと なり やがて もえあがり.
いかんが したりけん 飯 変じて 火と なり やがて もへあがり.

とうしびを あつめて ひを つけたるが ごとく ぱっと もえあがり.
とうしびを あつめて 火を つけたるが ごとく ぱと もへあがり.

ははの みの ごこごこと やけ そうらいしを もくれん み たまいて.
母の 身の ごこごこと やけ 候しを 目連 見 給いて.

あまり あわて さわぎ だいじんつうを げんじて だいなる みずを かけ そうらいしかば.
あまり あわて さわぎ 大神通を 現じて 大なる 水を かけ 候しかば.

その みず たきぎと なりて いよいよ ははの みの やけ そうらいしこと こそ あわれには そうらいしか.
其の 水 たきぎと なりて いよいよ 母の 身の やけ 候し 事 こそあはれには 候しか.

そのとき もくれん みずからの じんつう かなわざり しかば.
其の時 目連 みづからの 神通 かなわざり しかば.

はしり かえり しゅゆに ほとけに まいりて なげき もうせし ようは.
はしり かへり 須臾に 仏に まいりて なげき 申せし やうは.

わがみは げどうの いえに うまれて そうらいしが.
我が身は 外道の 家に 生れて 候しが.

ほとけの みでしに なりて あらかんの みを えて 3がいの しょうを はなれ.
仏の 御弟子に なりて 阿羅漢の 身を へて 三界の 生を はなれ.

3みょう6つうの らかんとは なりて そうらえども.
三明六通の 羅漢とは なりて 候へども.

ははの だいくを すくわんとし そうろうに かえりて だいくに あわせて そうろうは.
乳母の 大苦を すくはんとし 候に かへりて 大苦に あわせて 候は.

こころうしと なげき そうらいしかば ほとけ といて いわく.
心うしと なげき 候しかば 仏け 説いて 云く.

なんじが ははわ つみ ふかし なんじ ひとりが ちから およぶ べからず.
汝が 母は つみふかし 汝 一人が 力 及ぶ べからず.

また たにん なりとも てんじん ちじん じゃま げどう.
又 多人 なりとも 天神 地神 邪魔 外道.

どうし してんのう たいしゃく ぼんのうの ちからも およぶ べからず.
道士 四天王 帝釈 梵王の 力も 及ぶ べからず.

7がつ 15にちに じっぽうの しょうそうを あつめて.
七月 十五日に 十方の 聖僧を あつめて.

ひゃくみ おんじき ととのえて ははの くは すくうべしと うんぬん.
百味 をんじき ととのへて 母の くは すくうべしと 云云.

もくれん ほとけの おおせの ごとく おこない しかば.
目連 仏の 仰せの ごとく 行い しかば.

その ははわ がきどう いっこうの くを のがれ たまいきと.
其の 母は 餓鬼道 一劫の 苦を 脱れ 給いきと.

うらぼんきょうと もうす きょうに とかれて そうろう.
盂蘭盆経と 申す 経に とかれて 候.

それに よって めつご まつだいの ひとびとは 7がつ 15にちに このほうを おこない そうろうなり.
其に よつて 滅後 末代の 人人は 七月 十五日に 此の 法を 行い 候なり.

これは つねの ごとし.
此は 常の ごとし.

にちれん あんじて いわく もくれんそんじゃと もうせし ひとは じっかいの なかに しょうもんどうの ひと.
日蓮 案じて 云く 目連尊者と 申せし 人は 十界の 中に 声聞道の 人.

250かいを かたく たもつこと いしの ごとし.
二百五十戒を かたく 持つ 事 石の ごとし.

3000の いぎを そなえて かけざる ことは 15やの つきの ごとし.
三千の 威儀を 備えて かけざる 事は 十五夜の 月の ごとし.

ちえは ひに にたり.
智慧は 日に にたり.

じんつうは しゅみせんを 14 そうまき たいざんを うごかせし ひと ぞかし.
神通は 須弥山を 十四 さうまき 大山を うごかせし 人 ぞかし.

かかる しょうにん だにも じゅうほうの ははの おん ほうじがたし.
かかる 聖人 だにも 重報の 乳母の 恩 ほうじがたし.

あまさえ ほうぜんと せしかば だいくを まし たまいき.
あまさへ ほうぜんと せしかば 大苦を まし 給いき.

いまの そうらの 250かいは なばかりにて.
いまの 僧等の 二百五十戒は 名計りにて.

ことを かいに よせて ひとを たぼらかし いちぶんの じんつうも なし.
事を かいに よせて 人を たぼらかし 一分の 神通も なし.

おおいしの てんに のぼらんと せんが ごとし.
大石の 天に のぼらんと せんが ごとし.

ちえは うしに るいし ひつじに ことならず.
智慧は 牛に るいし 羊に ことならず.

たとい 1000まんにんを あつめたりとも ふぼの いっくを すくうべしや.
設い 千万人を あつめたりとも 父母の 一苦 すくうべしや.

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せんずる ところは もくれんそんじゃが ははの くを すくわざりし ことは.
せんずる ところは 目連尊者が 乳母の 苦を すくわざりし 事は.

しょうじょうの ほうを しんじて 250かいと もうす じさいにて ありし ゆえぞかし.
小乗の 法を 信じて 二百五十戒と 申す 持斎にて ありし ゆへぞかし.

されば じょうみょうきょうと もうす きょうには じょうみょうこじと もうす おとこ.
されば 浄名経と 申す 経には 浄名居士と 申す 男.

もくれんぼうを せめて いわく.
目連房を せめて 云く.

なんじを くよう するものは さんあくどうに おつ うんぬん.
汝を 供養 する者は 三悪道に 堕つ 云云.

もんの こころは 250かいの とうとき もくれんそんじゃを.
文の 心は 二百五十戒の たうとき 目連尊者を.

くようせん ひとは さんあくどうに おつべしと うんぬん.
くやうせん 人は 三悪道に 堕つべしと 云云.

これ また ただ もくれん ひとりが きく みみには あらず.
此 又 ただ 目連 一人が きく みみには あらず.

いっさいの しょうもん ないし まつだいの じさい とうが きく みみ なり.
一切の 声聞 乃至 末代の 持斎 等が きく みみ なり.

この じょうみょうきょうと もうすは ほけきょうの おんためには すう10ばんの まつへの ろうじゅうにて そうろう.
此の 浄名経と 申すは 法華経の 御ためには 数十番の 末への 郎従にて 候.

せんずる ところは もくれんそんじゃが じしんの いまだ ほとけに ならざる ゆえぞかし.
詮ずる ところは 目連尊者が 自身の いまだ 仏に ならざる ゆへぞかし.

じしん ほとけに ならずしては ふぼをだにも すくいがたし.
自身 仏に ならずしては 父母をだにも すくいがたし.

いわんや たにんをや.
いわうや 他人をや.

しかるに もくれんそんじゃと もうす ひとは ほけきょうと もうす きょうにて しょうじきしゃほうべんとて.
しかるに 目連尊者と 申す 人は 法華経と 申す 経にて 正直捨方便とて.

しょうじょうの 250かい たちどころに なげすてて.
小乗の 二百五十戒 立ちどころに なげすてて.

なんみょうほうれんげきょうと もうせしかば やがて ほとけに なりて.
南無妙法蓮華経と 申せしかば やがて 仏に なりて.

みょうごうをば たまらばせんだんこうぶつと もうす.
名号をば 多摩羅跋栴檀香仏と 申す.

このときこそ ふぼも ほとけに なり たまえ.
此の時こそ 父母も 仏に なり 給へ.

ゆえに ほけきょうに いわく.
故に 法華経に 云く.

わが ねがい すでに みち しゅうの のぞみも また たる うんぬん.
我が 願 既に 満ち 衆の 望も 亦 足る 云云.

もくれんが しきしんは ふぼの いたい なり.
目連が 色心は 父母の 遺体 なり.

もくれんが しきしん ほとけに なりしかば ふぼの みも また ほとけに なりぬ.
目連が 色心 仏に なりしかば 父母の 身も 又 仏に なりぬ.

れいせば にほんこく 81だいの あんとくてんのうと もうせし おうの ぎょうに.
例せば 日本国 八十一代の 安徳天皇と 申せし 王の 御宇に.

へいしの たいしょう あきのかみ きよもりと もうせし ひと おわしき.
平氏の 大将 安芸の守 清盛と 申せし 人 をはしき.

たびたびの かっせんに こくてきを ほろぼして.
度度の 合戦に 国敵を ほろぼして.

かみだじょうだいじん まで しんいを きわめ とうぎんは まごと なり.
上太政大臣 まで 臣位を きわめ 当今は 孫と なり.

いちもんは うんかつ げっけいに つらなり.
一門は 雲客 月卿に つらなり.

にほん 66こく しま 2つを ての うちに かい にぎりて そうらしが.
日本 六十六国 島 二を 掌の 内に かい にぎりて 候いしが.

ひとを したがうこと おおかぜの そうもくを なびかしたる ようにて そうらいし ほどに.
人を 順うこと 大風の 草木を なびかしたる やうにて 候し ほどに.

こころ おごり み あがり けっくは しんぶつを あなずりて.
心 をごり 身 あがり 結句は 神仏を あなづりて.

じにんと しょそうを てに にぎらむと せしほどに.
神人と 諸僧を 手に にぎらむと せしほどに.

さんそうと しちじとの しょそうの かたきと なりて.
山僧と 七寺との 諸僧の かたきと なりて.

けっくは さる じしょう 4ねん 12がつ 22にちに.
結句は 去る 治承 四年 十二月 二十二日に.

しちじの うちの とうだいじ こうふくじの りょうじを やきはらいて ありしかば.
七寺の 内の 東大寺 興福寺の 両寺を 焼きはらいて ありしかば.

その だいじゅうざい にゅうどうの みに かかりて かえる とし.
其の 大重罪 入道の 身に かかりて かへる とし.

ようわ がんねん うるう 2がつ よっか.
養和 元年 潤 二月 四日.

みは すみの ごとく ちは ひの ごとく すみの おこれるが ようにて.
身は すみの ごとく 血は 火の ごとく すみの をこれるが やうにて.

けっくは ほのお み より いでて あっちじにに しににき.
結句は 炎 身 より 出でて あつちじにに 死ににき.

その だいじゅうざいをば じなん むねもりに ゆずり しかば.
其の 大重罪をば 二男 宗盛に ゆづり しかば.

さいかいに しずむと みえしかども とうてんに うかび いでて.
西海に 沈むと みへしかども 東天に 浮び 出でて.

うだいじん よりともの ごぜんに なわを つけて ひきすえて そうらいき.
右大将 頼朝の 御前に 繩を つけて ひきすへて 候き.

さんなん とももりは うみに いりて さかなの ふんと なりぬ.
三男 知盛は 海に 入りて 魚の 糞と なりぬ.

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よんなん しげひらは その みに なわを つけて きょう かまくらを ひかれて.
四男 重衡は 其の 身に 繩を つけて 京 かまくらを 引かれて.

けっく なら しちだいじに わたされて 10まんにんの たいしゅう とう.
結句 なら 七大寺に わたされて 十万人の 大衆 等.

われらが ほとけの かたきと なりとて ひとたち ずつ きざみぬ.
我等が 仏の かたき なりとて 一刀 づつ きざみぬ.

あくの かなの だいあくは わがみに その くを うくる のみならず.
悪の 中の 大悪は 我が 身に 其の 苦を うくる のみならず.

こと まごと すえ しちだい までも かかり そうらいけるなり.
子と 孫と 末へ 七代 までも かかり 候けるなり.

ぜんの なかの だいぜんも またまた かくの ごとし.
善の 中の 大善も 又又 かくの ごとし.

もくれん そんじゃが ほけきょうを しんじ まいらせし だいぜんは.
目連尊者が 法華経を 信じ まいらせし 大善は.

わが み ほとけに なる のみならず ふぼ ほとけに なりたもう.
我が 身 仏に なる のみならず 父母 仏に なり給う.

かみ しちだい しも しちだい かみ むりょうしょう しも むりょうしょうの ふぼら ぞんがいに ほとけと なりたもう.
上 七代 下 七代 上 無量生 下 無量生の 父母等 存外に 仏と なり給う.

ないし しそく ふさい しょじゅう だんな むりょうの しゅじょう.
乃至 子息 夫妻 所従 檀那 無量の 衆生.

さんあくどうを はなるる のみならず みな しょじゅうみょうかくの ほとけと なりぬ.
三悪道を はなるる のみならず 皆 初住妙覚の 仏と なりぬ.

ゆえに ほけきょうの だいさんに いわく.
故に 法華経の 第三に 云く.

「ねがわくは この くどくを もって あまねく いっさいに およぼし.
「願くは 此の 功徳を 以て 普く 一切に 及ぼし.

われらと しゅじょうと みな ともに ぶつどうを じょうぜん」 うんぬん.
我等と 衆生と 皆 共に 仏道を 成ぜん」 云云.

されば これらを もって おもうに おんなは じぶどのと もうす まごを そうにて もち たまえり.
されば 此等を もつて 思うに 貴女は 治部殿と 申す 孫を 僧にて もち 給へり.

この そうは むかい なり むち なり.
此 僧は 無戒 なり 無智 なり.

250かい いっかいも たもつ ことなし.
二百五十戒 一戒も 持つ ことなし.

3000の いぎ ひとつも もたず.
三千の 威儀 一も 持たず.

ちえは ぎゅうばに るいし いぎは ましらに にて そうらえども.
智慧は 牛馬に るいし 威儀は マシラに にて 候へども.

あおぐ ところは しゃかぶつ しんずる ほうは ほけきょう なり.
あをぐ ところは 釈迦仏 信ずる 法は 法華経 なり.

れいせば へびの たまを にぎり りゅうの しゃりを いただくが ごとし.
例せば ヘビの 珠を にぎり 竜の 舎利を 戴くが ごとし.

ふじは まつに かかりて ちひろを よじ つるは はねを たのみて ばんりを かける.
藤は 松に かかりて 千尋を よぢ 鶴は 羽を 恃みて 万里を かける.

これは じしんの ちからには あらず.
此は 自身の 力には あらず.

じぶぼうも また かくの ごとし.
治部房も 又 かくの ごとし.

わが みは ふじの ごとく なれども ほけきょうの まつに かかりて みょうかくの やまにも のぼりなん.
我が 身は 藤の ごとく なれども 法華経の 松に かかりて 妙覚の 山にも のぼりなん.

いちじょうの はねを たのみて じゃっこうの そらをも かけりぬべし.
一乗の 羽を たのみて 寂光の 空をも かけりぬべし.

この はねを もって ふぼ そふ そぼ.
此の 羽を もつて 父母 祖父 祖母.

ないし しちだいの すえ までも とぶらうべき そう なり.
乃至 七代の 末 までも とぶらうべき 僧 なり.

あわれ いみじき おんたからは もたせ たまいて おわします にょにんかな.
あわれ いみじき 御たからは もたせ 給いて をはします 女人かな.

かの りゅうにょは たまを ささげて ほとけと なりたもう.
彼の 竜女は 珠を ささげて 仏と なり給ふ.

この にょにんは まごを ほけきょうの ぎょうじゃと なして みちびかれさせ たもうべし.
此 女人は 孫を 法華経の 行者と なして みちびかれさせ 給うべし.

ことごと そうそうにて そうらえば くわしくは もうさず.
事事 そうそうにて 候へば くはしくは 申さず.

またまた もうすべく そうろう.
又又 申すべく 候.

きょうきょう.
恐恐.

しちがつ 13にち.
七月 十三日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

じぶどの うばごぜん ごへんじ.
治部殿 うばごぜん 御返事.

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