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減劫御書 (げんこうごしょ).
御述作年月は不明.

 

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げんこう ごしょ.
減劫 御書.

げんこうと もうすは ひとの こころの うちに そうろう.
減劫と 申すは 人の 心の 内に 候.

とん じん ちの さんどくが しだいに ごうじょうに なり もてゆく ほどに.
貪 瞋 癡の 三毒が 次第に 強盛に なり もてゆく ほどに.

しだいに ひとの いのちも ちぢまり.
次第に 人の いのちも つづまり.

せいも ちいさく なり もって まかるなり.
せいも ちいさく なり もつて まかるなり.

かんど にほんこくは ぶっぽう いぜんには さんこう ごてい さんせい とうの げきょうを もって.
漢土 日本国は 仏法 已前には 三皇 五帝 三聖 等の 外経を もつて.

たみの こころを ととのえて よをば おさめし ほどに.
民の 心を ととのへて よをば 治めし ほどに.

しだいに ひとの こころは よきことは はかなく.
次第に 人の 心は よきことは はかなく.

わるき ことは かしこく なり しかば.
わるき 事は かしこく なり しかば.

げてんの ち あさき ゆえに あくの ふかき とがを いましめがたし.
外経の 智 あさき ゆへに 悪の ふかき 失を いましめがたし.

げてんを もって よ おさまらざりし ゆえに.
外経を もつて 世を さまらざりし ゆへに.

ようやく ぶっきょうを わたして せけんを おさめ しかば よ おだやか なりき.
やうやく 仏経を わたして 世間を をさめ しかば 世 をだやか なりき.

これは ひとえに ぶっきょうの かしこきに よって.
此れは ひとへに 仏教の かしこきに よつて.

じんみんの こころを くわしく あかせる なり.
人民の 心を くはしく あかせる なり.

とうじの げてんと もうすは もとの げきょうの こころには あらず.
当時の 外典と 申すは 本の 外経の 心には あらず.

ぶっぽうの わたりし ときは げきょうと ぶっきょうと あらそい しかども.
仏法の わたりし 時は 外経と 仏経と あらそい しかども.

ようやく げきょう まけて おうと たみと もちいざり しかば.
やうやく 外経 まけて 王と 民と 用いざり しかば.

げきょうの もの ないきょうの しょじゅうと なりて たちあう こと なく ありし ほどに.
外経の もの 内経の 所従と なりて 立ちあう こと なく ありし ほどに.

げきょうの ひとびと ないきょうの こころを ぬきて ちえを まし.
外経の 人人 内経の 心を ぬきて 智慧を まし.

げきょうに いれて そうろうを おろかなる おうは げてんの かしこきかと おもう.
外経に 入れて 候を をろかなる 王は 外典の かしこきかと をもう.

また ひとの こころ ようやく ぜんの ちえは はかなく.
又 人の 心 やうやく 善の 智慧は はかなく.

あくの ちえ かしこく なり しかば.
悪の 智慧 かしこく なり しかば.

ぶっきょうの なかにも しょうじょうきょうの ちえ.
仏経の 中にも 小乗経の 智慧.

せけんを おさむるに よ おさまる ことなし.
世間を をさむるに 代 をさまる ことなし.

そのとき だいじょうきょうを ひろめて よを おさめ しかば すこし よ おさまりぬ.
其の時 大乗経を ひろめて 代を をさめ しかば すこし 代 をさまりぬ.

そのご だいじょうきょうの ちえ およばざり しかば.
其の後 大乗経の 智慧 及ばざり しかば.

いじょうきょうの ちえを とりいだして よを おさめ しかば.
一乗経の 智慧を とりいだして 代を をさめ しかば.

すこし しばらく よ おさまりぬ.
すこし しばらく 代 をさまりぬ.

いまの よは げきょうも しょうじょうきょうも だいじょうきょうも いちじょう ほけきょう とうも かなわぬ よと なれり.
今の 代は 外経も 小乗経も 大乗経も 一乗 法華経 等も かなわぬ よと なれり.

ゆえ いかんとなれば しゅじょうの とん じん ちの こころの かしこき こと.
ゆえ いかんとなれば 衆生の 貪 瞋 癡の 心の かしこき こと.

だいかくせそんの だいぜんに かしこきが ごとし.
大覚世尊の 大善に かしこきが ごとし.

たとえば いぬは はなの かしこきこと ひとに すぎたり.
譬へば 犬は 鼻の かしこき事 人に すぎたり.

また はなの きんじゅうを かぐことは だいしょうの びつうにも おとらず.
又 鼻の 禽獣を かぐことは 大聖の 鼻通にも をとらず.

ふくろうが みみの かしこき とびの まなこの かしこき.
ふくろうが みみの かしこき とびの 眼の かしこき.

すずめの したの かろき りゅうの みの かしこき.
すずめの 舌の かろき りうの 身の かしこき.

みな かしこき ひとにも すぐれて そうろう.
皆 かしこき 人にも すぐれて 候.

そのように まつだい じょくせの こころの とんよく しんに ぐちの かしこさは.
そのやうに 末代 濁世の 心の 貪欲 瞋恚 愚癡の かしこさは.

いかなる けんじん しょうにんも おさめがたき ことなり.
いかなる 賢人 聖人も 治めがたき 事なり.

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そのゆえは とんよくをば ほとけ ふじょうかんの くすりを もって なおし.
其の故は 貪欲をば 仏不浄観の 薬を もて 治し.

しんにをば じひかんを もって なおし.
瞋恚をば 慈悲観を もて 治し.

ぐちをば 12いんねんかんを もって こそ なおし たもうに.
愚癡をば 十二因縁観を もて こそ 治し 給うに.

いまは この ほうもんを といて ひとを おとして.
いまは 此の 法門を とひて 人を をとして.

とんよく しんに ぐちを ますなり.
貪欲 瞋恚 愚癡を ますなり.

たとえば ひをば みずを もって けす.
譬へば 火をば 水を もつて けす.

あくをば ぜんを もって うつ.
悪をば 善を もつて 打つ.

しかるに かえりて みずより いずぬる ひをば みずを かくれば あぶらに なりて.
しかるに かへりて 水より 出ぬる 火をば 水を かくれば あぶらに なりて.

いよいよ たいかと なるなり.
いよいよ 大火と なるなり.

いま まつだい あくせに せけんの あく より しゅっせの ほうもんにつきて だいあく しゅっしょう せり.
今 末代 悪世に 世間の 悪 より 出世の 法門に つきて 大悪 出生 せり.

これをば しらずして いまの ひとびと ぜんこんを しゅうすれば.
これをば しらずして 今の 人人 善根を すすれば.

いよいよ よの ほろぶる こと しゅったい せり.
いよいよ 代の ほろぶる 事 出来 せり.

いまの よの てんだい しんごん とうの しょしゅうの そうらを やしなうは.
今の 代の 天台 真言 等の 諸宗の 僧等を やしなうは.

そとは ぜんこんと こそ みゆれども.
外は 善根と こそ 見ゆれども.

うちは じゅうあく ごぎゃくにも すごたる だいあく なり.
内は 十悪 五逆にも すぎたる 大悪 なり.

しかれば よの おさまらん ことは だいかくせそんの ちえの ごとく なる ちじん よに ありて.
しかれば 代の をさまらん 事は 大覚世尊の 智慧の ごとくなる 智人世に 有りて.

せんよこくおうの ごとくなる けんおうと よりあいて.
仙予国王の ごとくなる 賢王と よりあひて.

いっこうに ぜんこんを とどめ だいあくを もって はっしゅうの ちじんと おもうものを.
一向に 善根を とどめ 大悪を もつて 八宗の 智人と をもうものを.

あるいは せめ あるいは ながし あるいは せを とどめ あるいは こうべを はねて こそ.
或は せめ 或は ながし 或は 施を とどめ 或は 頭を はねて こそ.

よは すこし おさまる べきにて そうらえ.
代は すこし をさまる べきにて 候へ.

ほけきょうの だい1のまきの 「しょほうじっそう ないし ゆいぶつと ほとけと.
法華経の 第一の巻の 「諸法実相乃至唯仏と 仏と.

すなわち よく くじんし たもう」と とかれて そうろうは これなり.
乃ち 能く 究尽し 給う」と とかれて 候は これなり.

ほんまつくきょうと もうすは ほんとは あくのね ぜんの ね.
本末究竟と 申すは 本とは 悪のね 善の 根.

まつと もうすは あくの おわり ぜんの おわり ぞかし.
末と 申すは 悪の をわり 善の 終り ぞかし.

ぜんあくの こんぽん しようを さとり きわめたるを ほとけとは もうすなり.
善悪の 根本 枝葉を さとり 極めたるを 仏とは 申すなり.

てんだい いわく「それ いっしんに じっぽうかいを ぐす」とう うんぬん.
天台 云く「夫れ 一心に 十法界を 具す」等云 云.

しょうあん いわく「ほとけ なお これを だいじと なす いげを うべき なり」.
章安 云く「仏 尚 此れを 大事と 為す 易解を 得べき なり」.

みょうらく いわく「ないししゅうぐうくきょうの ごくせつ なり」とう うんぬん.
妙楽 云く「乃至終窮究竟の 極説 なり」等 云云.

ほけきょうに いわく「みなじっそうと あいいはい せず」とう うんぬん.
法華経に 云く「皆実相と 相違 背せず」等 云云.

てんだい これを うけて いわく.
天台 之を 承けて 云く.

「いっさいせけんの ちせいさんぎょうは みな じっそうと あいいはい せず」とう うんぬん.
「一切世間の 治生産業は 皆 実相と 相違背 せず」等 云云.

ちしゃとは せけんの ほう より ほかに ぶっぽうを おこなわず.
智者とは 世間の 法 より 外に 仏法を 行ず.

せけんの ちせいの ほうを よくよく こころえて そうろうを ちしゃとは もうすなり.
世間の 治世の 法を 能く能く 心へて 候を 智者とは 申すなり.

いんの よの にごりて たみの わずらいしを.
殷の 代の 濁りて 民の わづらいしを.

たいこうぼう しゅっせして いんのちゅうが くびを きりて たみの なげきを やめ.
大公望 出世して 殷の紂が 頚を 切りて 民の なげきを やめ.

にせいおうが たみの くちに にがりし ちょうりょう いでて.
二世王が 民の 口に にがかりし 張良 出でて.

よを おさめ たみの くちを あまくせし.
代を をさめ 民の 口を あまくせし.

これらは ぶっぽう いぜん なれども きょうしゅしゃくそんの おんつかいとして たみを たすけし なり.
此等は 仏法 已前 なれども 教主釈尊の 御使として 民を たすけし なり.

げきょうの ひとびとは しらざり しかども.
外経の 人人は しらざり しかども.

かれらの ひとびとの ちえは ないしんには ぶっきょうの ちえを さしはさみたりし なり.
彼等の 人人の 智慧は 内心には 仏法の 智慧を さしはさみたりし なり.

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いまの よには しょうかのおおじしん ぶんえいの だいすいせいの とき.
今の 代には 正嘉の大地震 文永の 大せひせひの 時.

ちえか しこき こくしゅ あらましかば にちれんをば もちい つべかりしなり.
智慧 かしこき 国主 あらましかば 日蓮をば 用い つべかりしなり.

それこそ なからめ.
それこそ なからめ.

ぶんえい 9ねんの どうしうち 11ねんの もうこの せめの ときは.
文永 九年の どしうち 十一年の 蒙古の せめの 時は.

しゅうの ぶんおうの たいこうぼうを むかえしが ことく.
周の 文王の 大公望を むかへしが ごとく.

いんの こうていおうの ふえつを しちり より しょうぜしが ごとく すべかりし ぞかし.
殷の 高丁王の 傅悦を 七里 より 請せしが ごとく すべかりし ぞかし.

にちがつは いきめくらの ものには たからに あらず.
日月は 生盲の 者には 財に あらず.

けんじんをば ぐおうの にくむとは これなり.
賢人をば 愚王の にくむとは これなり.

しげき ゆえに しるさず.
しげき ゆへに しるさず.

ほけきょうの みこころと もうすは これていの ことにて そうろう.
法華経の 御心と 申すは これてひの 事にて 候.

そとの ことと をぼすべからず.
外の ことと をぼすべからず.

だいあくは だいぜんの きたるべき ずいそう なり.
大悪は 大善の 来るべき 瑞相 なり.

いちえんぶだい うちみだす ならば.
一閻浮提 うちみだす ならば.

えんぶだいないこうりょうるふは よも うたがい そうらわじ.
閻浮提内広令流布は よも 疑い 候はじ.

この だいしんあじゃりを こ ろくろうにゅうどうどのの おんはかへ つかわし そうろう.
此の 大進阿闍梨を 故 六郎入道殿の 御はかへ つかわし 候.

むかし この ほうもんを きいて そうろう ひとびとには.
むかし この 法門を 聞いて 候 人人には.

かんとうの うち ならば われと ゆきて.
関東の 内 ならば 我と ゆきて.

その はかに じがけ よみ そうらわんと ぞんじて そうろう.
其の はかに 自我偈 よみ 候はんと 存じて 候.

しかれども とうじの ありさまは にちれん かしこへ ゆくならば.
しかれども 当時の ありさまは 日蓮 かしこへ ゆくならば.

その ひに いっこくに きこえ また かまくら までも さわぎ そうらわんか.
其の 日に 一国に きこへ 又 かまくら までも さわぎ 候はんか.

こころざし ある ひと なりとも ゆきたらん ところの ひとびと めを おそれぬべし.
心ざし ある 人 なりとも ゆきたらん ところの 人人 目を をそれぬべし.

いままで とぶらい そうらわねば しょうりょう いかに こいしく おわすらんと おもえば あるようも ありなん.
いままで とぶらい 候はねば 聖霊 いかに こひしく をはすらんと をもへば あるやうも ありなん.

そのほど まず でしを つかわして おんはかに じがげを よませ まいらせしなり.
そのほど まづ 弟子を つかわして 御はかに 自我偈を よませ まいらせしなり.

その ゆえ おんこころへ そうらえ.
其の 由 御心へ 候へ.

きょうきょう.
恐恐.

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