b1468から1472.
三三蔵祈雨事 
(さんさんぞう きうの こと)
日蓮大 聖人 54歳御作


 
b1468

さんさんぞう きうの こと.
三三蔵 祈雨 事.

けんじ がんねん 6がつ 54さいおんさく.
建治 元年 六月 五十四歳 御作.

あたう にしやまにゅうどう.
与 西山入道.

それ きを うえ そうろうには おおかぜ ふき そうらえども つよき すけを かいぬれば たおれず.
夫れ 木を うえ 候には 大風 吹き 候へども つよき すけを かひぬれば・ たうれず、.

もとより おいて そうろう き なれども ねの よわきは たおれぬ.
本より 生いて 候 木 なれども 根の 弱きは・ たうれぬ、.

かいなきものなれども たすくるもの.つよければ たうえず.
甲斐無き者なれども・たすくる者.強ければたうれず、.

すこし けなげな ものも ひとりなれば あしき みちには たうれぬ.
すこし 健の 者も 独なれば 悪しき みちには・ たうれぬ.

また さんぜん だいせんせかいの なかには しゃりほつ かしょうそんじゃを のぞいては.
又 三千 大千世界の なかには 舎利弗・ 迦葉尊者を のぞいては.

ほよけ よに いで たまわずば ひとりも なく さんあくどうに おつ べかりしが.
仏 よに いで 給はずば 一人も なく 三悪道に 堕つ べかりしが、.

ほとけを たのみ まいらせし ごうえんに よりて いっさいしゅじょうは おおく ほとけに なりしなり.
仏を・ たのみ まいらせし 強縁に よりて 一切衆生は・ をほく 仏に なりしなり、.

まして あじゃせおう あうくつまらなんど もうせし あくにん どもは.
まして 阿闍世王・ あうくつまらなんど 申せし 悪人 どもは・.

いかにも かなう まじくて かならず あびじごくに おつ べかり しかども.
いかにも・ かなう まじくて 必ず 阿鼻地獄に 堕つ べかり しかども・.

きょうしゅ しゃくそんと もうす だいにんに ゆき あわせ たまいて こそ ほとけには ならせ たまいしか.
教主 釈尊と 申す 大人に ゆき あはせ 給いて こそ 仏には ならせ 給いしか、.

されば ほとけに なる みちは ぜんちしきには すぎず わが ちえ なににかせん.
されば 仏に なる みちは 善知識には すぎず、わが 智慧 なににかせん.

ただ あつき つめたき ばかりの ちえだにも そうろう ならば ぜんちしき たいせつ なり.
ただ あつき つめたき ばかりの 智慧だにも 候 ならば 善知識 たいせち なり、.

しかるに ぜんちしきに あう ことが だい1の かたき ことなり.
而るに 善知識に 値う 事が 第一の かたき 事なり、.

されば ほとけは ぜんちしきに あう ことをば いちげんの かめの うきぎに いり.
されば 仏は 善知識に 値う 事をば 一眼の かめの 浮木に 入り・.

ぼんてんより いとを さげて だいちの はりの めに いるに たとえ たまえり.
梵天より いとを 下て 大地の はりの めに 入るに たとへ 給へり、.

しかるに まつだい あくせには あくちしきは だいち みじんよりも おおく.
而るに 末代 悪世には 悪知識は 大地 微塵よりも をほく.

ぜんちしきは そうじょうの つちよりも すくなし.
善知識は 爪上の 土よりも すくなし、.

ふだらくせんの かんぜおんぼさつは ぜんざいどうじの ぜんちしき.
補陀落山の 観世音菩薩は 善財童子の 善知識・.

べつえん 2きょうを おしえて いまだ じゅんえんならず.
別円 二教を をしへて・いまだ 純円 ならず、.

じょうたいぼさつは みを うって ぜんちしきを もとめしに どんむかつぼさつに あえり.
常啼菩薩は 身を うて 善知識を もとめしに 曇無竭菩薩に あへり、.

つう べつ えんの さんきょうを ならいて ほけきょうを おしえず.
通 別 円の 三教を ならひて 法華経を をしへず、.

しゃりほつは こんしが ぜんちしき 90にちと もうせ しかば せんだいの ひとと なし たりき.
舎利弗は 金師が 善知識・ 九十日と 申せ しかば 闡提の 人と なし たりき、.

ふるなは いちげの せっぽうに だいじょうの きを しょうにんと なす.
ふるなは 一夏の 説法に 大乗の 機を 小人と なす、.

だいしょうすら ほけきょうを ゆるされず.
大聖すら 法華経を ゆるされず.

しょうかの らかん きを しらず.
証果の らかん 機を しらず、.

まつだい あくせの がくしゃ とうをば これを もって すいしぬ べし.
末代悪世の 学者 等をば 此を もつて すいしぬ べし、.

てんを ちと いい ひがしを にしと いい ひを みずと おしえ ほしは つきに すぐれたり.
天を 地と いゐ 東を 西と いゐ・ 火を 水と をしへ・ 星は 月に すぐれたり、.

ありづかは しゅみせんに こえたり なんど もうす ひとびとを しんじて そうらわん ひとびとは.
ありづかは 須弥山に こへたり、なんど 申す 人人を 信じて 候はん 人人は・.

ならわざらん あくにんに はるか おとりて をしかりぬ べし.
ならはざらん 悪人に・ はるか をとりて をしかりぬ べし。.

にちれん ぶっぽうを こころみるに どうりと しょうもん とには すぎず.
日蓮 仏法を こころみるに 道理と 証文 とには すぎず、.

また どうり しょうもん よりも げんしょうには すぎず.
又 道理 証文 よりも 現証には すぎず、.

→a1468

b1469

しかるに いぬる ぶんえい 5ねんの ころ ひがしには えびす おこり.
而るに 去る 文永 五年の 比・ 東には 俘囚 をこり.

にしには もうこより せめ つかひ つきぬ.
西には 蒙古より せめ つかひ つきぬ、.

にちれん あんじて いわく ぶっぽうを しんぜざれば なり.
日蓮 案じて 云く 仏法を 信ぜざれば なり.

さだめて ちょうぶくを こなわれ ずらん.
定めて 調伏を こなはれ ずらん、.

ちょうぶくは また しんごんしゅうにてぞ あらん ずらん
調伏は 又 真言宗にてぞ あらん ずらん、

がっし かんど にほん さんかこくの あいだに しばらく.
月支・ 漢土・ 日本 三箇国の 間に 且く.

がっしは おく かんど にほんの にこくは しんごんしゅうに やぶらる べし.
月支は をく、漢土 日本の 二国は 真言宗に やぶらる べし、.
 
ぜんむい さんぞう かんどに わたりて ありし ときは とうの げんそうの とき なり.
善無畏三蔵・ 漢土に 亘りて ありし 時は 唐の 玄宗の 時 なり、.

だいかんばつ ありしに きうの ほうを おおせ つけられて そうらいしに.
大旱魃 ありしに 祈雨の 法を・をほせ つけられて 候しに・.

おおあめ ふらせて かみ いちにんより しも ばんみんに いたるまで おおいに よろこびし ほどに.
大雨 ふらせて 上 一人より 下 万民に いたるまで 大に 悦びし 程に・.

しばらく ありて おおかぜ ふき きたりて こくどを ふき やぶり しかば きょうさめて ありしなり.
須臾 ありて 大風 吹き 来りて 国土を ふき やぶり しかば・ けをさめて ありしなり、.

また そのよに こんごうち さんぞう わたる.
又 其の 世に 金剛智三蔵 わたる、.

また あめの おんいのり あり しかば なのかが うちに おおあめ ふり かみの ごとく よろこんで ありし ほどに.
又 雨の 御いのり あり しかば 七日が 内に 大雨 下り 上の ごとく 悦んで ありし 程に、.

ぜんだいみもんの おおかぜ ふき しかば.
前代未聞の 大風 吹き しかば・.

しんごんしゅうは おそろしき あくほうなり とて がっしへ おわれしが とこうして とどまりぬ.
真言宗は・をそろしき 悪法なり とて 月支へ をわれしが・とかうして とどまりぬ、.

また おなじ みよに ふくうさんぞう あめを いのりし ほど みっかが うちに おおあめ ふる よろこび さきのごとし.
又 同じ 御世に 不空三蔵・ 雨を いのりし 程 三日が 内に 大雨 下る 悦さきの ごとし、.

また おおかぜ ふきて さき にどよりも おびただし すう10にち とどまらず.
又 大風 吹きて さき 二度よりも・をびただし 数 十日 とどまらず、.

ふかしぎの ことにて ありしなり.
不可思議の 事にて ありしなり、.

これは にほんこくの ちしゃ ぐしゃ ひとりも しらぬ ことなり.
此は 日本国の 智者 愚者 一人も しらぬ 事なり、.

しらんと おもわば にちれんが いきて あるとき くわしく たずね ならえ.
しらんと をもはば 日蓮が 生きて ある時 くはしく たづね ならへ、.

にほんこくには てんちょう がんねん 2がつに だいかんばつ あり.
日本国には 天長 元年 二月に 大旱魃 あり、.

こうぼうだいしも しんせん えんにして きう あるべきにて ありし ほどに.
弘法大師も 神泉 苑にして 祈雨 あるべきにて・ありし 程に.

すびんと もうせし ひと すすんで いわく.
守敏と 申せし 人 すすんで 云く.

「こうぼうは げろうなり われは じょうろうなり まず おおせを かおるべし」と もうす.
「弘法は 下ロウなり 我は 上ロウなり・ まづ をほせを かほるべし」と 申す、.

こうに したがいて しゅびんを おこなう.
こうに 随いて 守敏を こなう、.
 
なのかと もうすには おおあめ ふり しかども きょうちゅう ばかりにて いなかに ふらず.
七日と 申すには 大雨 下り しかども 京中 計りにて 田舎に ふらず、.

こうぼうに おおせ つけられて ありしかば なのかに ふらず.
弘法に をほせ つけられて ありしかば 七日に ふらず.

2 しちにちに ふらず 3 しちにちに ふらざり しかば.
二 七日に ふらず 三 七日に ふらざり しかば、.

てんし われと いのりて あめを ふらせ たまいき.
天子 我と いのりて 雨を ふらせ 給いき、.

しかるを とうじの もんじん とう しの あめと ごうす.
而るを 東寺の 門人 等 我が 師の 雨と がうす、.

くわしくは にっきを ひきて ならう べし.
くわしくは 日記を ひきて 習う べし、.

てんか だい1の わわくの あるなり.
天下 第一の わわくの あるなり、.

これより ほかに こうにん くねんの はるの えきれい.
これより 外に 弘仁 九年の 春の えきれい.

また さんこ なげたる ことに ふかしぎの おうわく あり くでん すべし.
又 三古 なげたる 事に 不可思議の 誑惑 あり 口伝 すべし。.

てんだいだいしは ちんの よに だいかんばつあり ほけきょうを よみて しゅゆに あめふり.
天台大師は 陳の 世に 大旱魃あり 法華経を よみて・須臾に 雨下り.

おうしん こうべを かたぶけ ばんみん たなごころを あわせたり.
王臣 かうべを かたぶけ 万民 たなごころを あはせたり、.

しかも おおあめにも あらず かぜも ふかず かんうにて ありしかば.
しかも 大雨にも あらず 風も ふかず 甘雨にて ありしかば、.

ちんおうだいしの みまえに おわし まして だいりへ かえらん ことを わすれ たまいき.
陳王大師の 御前に をはし まして 内裏へ かへらん ことを わすれ 給いき、.

この とき さんどの らいはいは ありし なり.
此の 時 三度の 礼拝は ありし なり。.

→a1469
b1470

いぬる こうにん くねんの はる だいかんばつ ありき.
去る 弘仁 九年の 春・大旱魃 ありき・.

さがの てんのう まつなと もうす しんかを もって ふゆつぐの とり もうされ しかば.
嵯峨の 天王 真綱と 申す 臣下を もつて 冬嗣の とり 申され しかば・.

ほけきょう こんこうみょうきょう にんのうきょうを もって でんぎょうだいし きう ありき.
法華経・金光明経・仁王経を もつて 伝教大師 祈雨 ありき、.

みっかと もうせし ひ ほそきくも ほそき あめ しずしずと ふり しかば.
三日と 申せし 日 ほそきくも ほそき あめ しづしづと 下り しかば・.

てんし あまりに よろこばせ たまいて にほん だいいちの かたこと たりし だいじょうの かいだんは ゆるされし なり.
天子 あまりに よろこばせ 給いて、日本 第一の かたこと たりし 大乗の 戒壇は ゆるされし なり、.

でんぎょうだいしの おんし ごみょうと もうせし しょうにんは なんと だい1の そう なり.
伝教大師の 御師・護命と 申せし 聖人は 南都 第一の 僧 なり、.

40にんの おんでし あいぐ して にんおうきょうを もって きう ありしが いつか ともうせしに あめ ふりぬ.
四十人の 御弟子 あいぐ して 仁王経を もつて 祈雨 ありしが 五日と 申せしに 雨 下りぬ、.

いつかは いみじき こと なれども みっかには おとりて.
五日は・いみじき 事 なれども 三日には をとりて.

しかも あめ あらかりしかば まけに ならせ たまいぬ.
而も 雨 あらかりしかば まけに ならせ 給いぬ、.

これを もって こうぼうの あめをば すいせさせ たもうべき.
此れを もつて 弘法の 雨をば すひせさせ 給うべし、.

かく ほけきょうは めでたく しんごんは おろかに そうろうに.
かく 法華経は めでたく 真言は をろかに 候に.

にほんの ほろぶべき にや いっこう しんごんにて あるなり.
日本の ほろぶべき にや 一向 真言にて あるなり、.

おきの ほうおうの ことを もって おもうに.
隠岐の 法王の ことを もって おもうに.

しんごんを もって もうこと えぞとを ちょうぶくせば.
真言を もつて 蒙古と えぞとを でうぶくせば・.

にほんこくや まけん ずらんと すいせし ゆえに.
日本国や まけん ずらんと・すひせし ゆへに.

この こと いのちを すてて いいて みんと おもいし なり.
此の 事 いのちを すてて・いゐて・みんと をもひし なり、.

いいし ときは でしら せいせ しかども いまは あいぬれば こころ よかる べきにや.
いゐし 時は でしら せいせ しかども・いまは あひぬれば 心 よかる べきにや、.

かんど にほんの ちしゃ 500よねんの あいだ ひとりも しらぬ ことを かんがえて そうろうなり.
漢土・日本の 智者・五百余年の 間 一人も しらぬ 事を かんがへて 候なり、.

ぜんむい こんごうち ふくうとうの きうに あめは ふりて.
善無畏・金剛智・不空 等の 祈雨に 雨は 下りて.

しかも おおかぜの そい そうろうは いかにか こころえ させ たもうべき.
而も 大風の そひ 候は・いかにか 心へ させ 給うべき、.

げどうの ほう なれども いうに かいなき どうしの ほうにも あめ ふる こと あり.
外道の 法 なれども・いうに かひなき 道士の 法にも 雨 下る 事 あり、.

まして ぶっぽうは しょうじょう なりとも ほうの ごとく おこなう ならば いかでか あめ ふらざる べき.
まして 仏法は 小乗 なりとも 法の ごとく 行う ならば・ いかでか 雨 下らざる べき、.

いわんや だいにちきょうは けごん はんにゃに こそ およばねども あごんには すこし まさりて そうろう ぞかし.
いわうや 大日経は 華厳・般若に こそ をよばねども 阿含には・すこし まさりて 候ぞかし、.

いかでか いのらんに あめ ふらざる べき.
いかでか・いのらんに 雨 下らざる べき・.

されば あめは ふりて そうらえども おおかぜの そいぬるは.
されば 雨は 下りて 候へども 大風の そいぬるは.

おおいなる ひがごとの かの ほうの なかに まじわれる なるべし.
大なる 僻事の かの 法の 中に まじわれる なるべし、.

こうぼうだいしの 3 しちにちに あめ ふらずして そうろうを てんしの あめを わが あめと もうすは.
弘法大師の 三 七日に 雨 下らずして 候を 天子の 雨を 我が 雨と 申すは・.

また ぜんむい とう よりも おおいに まさる とがの あるなり.
又 善無畏 等 よりも 大に まさる 失の あるなり。.

だいいちの だいもうごには こうぼうだいしの じひつに いわく.
第一の 大妄語には 弘法大師の 自筆に 云く、.

「こうにん くねんの はる えきれいを いのりて ありしかば よなかに ひ いでたり」と うんぬん.
「弘仁 九年の 春 疫れいを いのりて ありしかば 夜中に 日 いでたり」と 云云、.

かかる そらごとを いう ひとなり.
かかる そらごとを いう 人なり、.

この ことは にちれんが もんか だいいちの ひじ なり.
此の 事は 日蓮が 門家 第一の 秘事 なり.

ほんぶんを とり つめて いうべし.
本文を とり つめて いうべし、.

ぶっぽうは さて おきぬ かみに かきぬる こと てんかだいいちの だいじ なり.
仏法は さて をきぬ 上に かきぬる 事 天下第一の 大事 なり、.

つてに おおせ あるべからず.
つてに・をほせ あるべからず.

おんこころざしの いたりて そうらえば おどかし まいらせ そうろう.
御心ざしの いたりて 候へば・をどろかし まいらせ 候、.

にちれんをば いかんが ある べかるらんと おぼつかなしと おぼしめす べき ゆえに かかる ことども そうろう.
日蓮をば いかんが ある べかるらんと をぼつかなしと・をぼしめす べき ゆへに・かかる 事ども 候、.

→a1470

b1471

むこりこく だにも つよく せめ そうらわば こんじょうに ひろまる ことも そうらいなん.
むこり国 だにも・つよく せめ 候わば こんじょうに ひろまる ことも そうらいなん.

あまりに はげしく あたりし ひとびとは くゆる へんもや あらんずらん.
あまりに はげしく あたりし 人人は・くゆる へんもや・あらんずらん。.

げどうと もうすは ぶつぜん 800ねん より はじまりて.
外道と 申すは 仏前・八百年 より はじまりて、.


はじめは にてん さんせんにて ありしが ようやく わかれて 95しゅ なり.
はじめは 二天・三仙にて ありしが・やうやく・わかれて 九十五種 なり、.

その なかに おおくの ちしゃ じんつうの もの あり しかども ひとりも しょうじを はなれず.
其の 中に 多くの 智者・神通の もの・あり しかども 一人も 生死を はなれず、.

また きえ せし ひとびとも ぜんに つけ あくに つけて みな さんあくどうに おち そうらいしを.
又 帰依 せし 人人も 善に つけ 悪に つけて 皆 三悪道に 堕ち 候いしを・.

ほとけ しゅっせ せさせ たまいて ありしかば.
仏 出世 せさせ 給いて ありしかば、.

95しゅの げどう 16だいこくの おうしん しょみんを かたらいて.
九十五種の 外道・十六大国の 王臣 諸民を かたらひて.

あるいは のり あるいは うち あるいは でし あるいは だんな とう むりょうむへん ころせ しかども.
或は のり 或は うち 或は 弟子 或は だんな 等・無量無辺 ころせ しかども.

ほとけ たゆむ こころなし.
仏 たゆむ 心なし、.

われ この ほうもんを しょにんに おどされて いいやむ ほど ならば.
我 此の 法門を 諸人に をどされて いゐやむ ほど ならば.

いっさいしゅじょう じごくに おつべしと つよく なげかせ たまいし ゆえに たいする こころなし.
一切衆生 地獄に 堕つべしと・つよく なげかせ 給いし ゆへに・退する 心なし、.

この げどうと もうすは せんぶつの きょうぎょうを みて よみ そこないて そうらいし より こと おこれり.
この 外道と 申すは 先仏の 経経を 見て・よみ そこないて 候いし より 事 をこれり。.

いまも また かくの ごとし.
今も 又 かくの ごとし、.

にほんの ほうもん おおしと いえども.
日本の 法門 多しと いへども.

もとは はっしゅう きゅうしゅう じゅっしゅうより おこれり.
源は 八宗・九宗・十宗より をこれり、.

じっしゅうの なかに けごん とうの しゅうしゅうは さて おきぬ.
十宗の なかに 華厳 等の 宗宗は・さて をきぬ、.

しんごんと てんだいとの しょうれつに こうぼう じかく ちしょうの まどいしに よりて.
真言と 天台との 勝劣に 弘法・慈覚・智証の まどひしに よりて.

にほんこくの ひとびと こんじょうには たこくにも せめられ ごしょうにも あくどうに おつる なり.
日本国の 人人・今生には 他国にも せめられ 後生にも 悪道に 堕つる なり、.

かんどの ほろび また あくどうに おつる ことも ぜんむい こんごうち ふくうの あやまりより はじまれり.
漢土の ほろび 又 悪道に 堕つる事も 善無畏・金剛智・不空の あやまりより はじまれり、.

また てんだいしゅうの ひとびとも じかく ちしょうより のちは かの ひとびとの ちえに せかれて てんだいしゅうの ごとくならず.
又 天台宗の 人人も 慈覚・智証より 後は・かの 人人の 智慧に せかれて 天台宗の ごとく ならず、.

されば さのみやは あるべき.
されば・さのみやは あるべき。.

いわんや にちれんは かれに すぐべきと わが でしら おぼせども.
いわうや 日蓮は・かれに すぐべきと わが 弟子等 をぼせども・.

ほとけの きもんには たがわず.
仏の 記文には たがはず、.

まっぽうに いって ぶっぽうを ぼうじ むけんじごくに おつべきものは だいち みじんよりも おおく.
末法に 入つて 仏法を ばうじ 無間地獄に 堕つべきものは 大地 微塵よりも 多く、.

しょうほうを えたらん ひとは そうじょうの つちよりも すくなしと ねはんきょうには とかれ.
正法を へたらん 人は 爪上の 土よりも・すくなしと 涅槃経には とかれ、.

ほけきょうには たとい しゅみせんを なぐるものは ありとも.
法華経には 設い 須弥山を なぐるものは ありとも・.

わが まっぽうに ほけきょうを きょうの ごとくに とく もの ありがたしと しるし おかせ たまえり.
我が 末法に 法華経を 経の ごとくに とく 者 ありがたしと 記し をかせ 給へり、.

だいしっきょう こんこうみょうきょう にんのうきょう しゅごきょう はつないおんきょう さいしょうおうきょう とうに.
大集経・金光明経・仁王経・守護経・はちなひをん経・最勝王経 等に.

まっぽうに いって しょうほうを ぎょうぜん ひと しゅったいせば じゃほうの もの.
末法に 入つて 正法を 行ぜん 人・出来せば 邪法の もの.

おうしん とうに うったえて あらん ほどに かの おうしん とう たにんが ことばに ついて.
王臣 等に うたへて・あらん ほどに 彼の 王臣 等・他人が・ことばに つひて.

→a1471

b1472

ひとりの しょうほうの ものを あるいは のり あるいは せめ あるいは ながし あるいは ころさば.
一人の 正法の ものを 或は のり 或は せめ 或は ながし 或は ころさば.

ぼんのう たいしゃく むりょうの しょてん てんじん ちじん とう.
梵王・帝釈・無量の 諸天・天神・地神等・.

りんごくの けんおうの みに いり かわりて その くにを ほろぼすべしと しるし たまえり.
りんごくの 賢王の 身に 入り かはりて その 国を ほろぼすべしと 記し 給へり、.

いまの よは にて そうろう もの かな.
今の 世は 似て 候 者 かな。.

そもそも おのおのは いかなる しゅくぜんにて にちれんをば とぶらわせ たまえるぞ.
抑 各各は いかなる 宿善にて 日蓮をば 訪はせ 給へるぞ、.

よくよく かこを おんたずね あらば なにと なくとも このたび しょうじは はなれさせ たもうべし.
能く 能く 過去を 御尋ね 有らば・なにと 無くとも 此度 生死は 離れさせ 給うべし、.

しゅりはんどくは 3かねんに 14じを そらに せざり しかども ほとけに なりぬ.
すりはむどくは 三箇年に 十四字を 暗に せざり しかども 仏に 成りぬ.

だいばは ろくまんぞうを そらに して むけんに おちぬ.
提婆は 六万蔵を 暗に して 無間に 堕ちぬ・.

これ ひとえに まつだいの いまの よを ひょうする なり.
是れ 偏に 末代の 今の 世を 表する なり、.

あえて ひとの うえと おぼしめす べからず.
敢て 人の 上と 思し食す べからず.

こと しげければ とどめ おき そうらい おわんぬ.
事 繁ければ 止め 置き 候い 畢んぬ、.

そもそも とうじの そうそうに おんこころざし もうすばかり そうらわねば.
抑 当時の 怱怱に 御志 申す 計り 候はねば.

だいじの こと あらあら おどろかし まいらせ そうろう.
大事の 事 あらあら をどろかし まいらせ そうろう.

ささげ あおまめ たまい そうらいぬ.
ささげ 青大豆 給い 候いぬ。.

6がつ 22にち.
六月 二十二日.

にちれん かおう.
日蓮 花押 .

にしやまどの ごへんじ.
西山殿 御返事.

→a1472

 
 →a1468
 →c1468
ホームページトップ 
inserted by FC2 system