b1508から1509.
上野殿御返事 (うえのどの ごへんじ).
日蓮大 聖人 53歳 御作.

 

b1508

うえのどの ごへんじ.
上野殿 御返事.

ぶんえい 11ねん 11がつ 53さい おんさく.
文永 十一年 十一月 五十三歳 御作.

あたう なんじょうしちろうじろう.
与 南条七郎次郎.

すみざけ ふたつつ こうじ いっこ こんにゃく 10まい やまのいも いっこ.
聖人 二管・ 柑子 一篭・ 蒟蒻 十枚・ 薯蕷 一篭・.

ごぼう ひとたば しゅじゅの もの おくりたび そうろう.
牛房 一束・ 種種の 物 送り給び 候。.

とくしょう むしょうの 2どうじは ほとけに すなの もちいを くようし たてまつりて.
得勝・ 無勝の 二童子は 仏に 沙の 餅を 供養し たてまつりて・.

えんぶだい さんぶんが いちの あるじと なる.
閻浮提 三分が 一の 主と なる.

いわゆる あそかだいおう これなり.
所謂 阿育大王 これなり、.

じゅどうぼさつは じょうこうぶつに 5くきの れんげを くようし たてまつりて ほとけと なる.
儒童菩薩は 錠光仏に 五茎の 蓮華を 供養し たてまつりて 仏と なる・.

いまの きょうしゅしゃくそん これなり.
今の 教主釈尊 これなり、.

ほけきょうの だい4に いわく.
法華経の 第四に 云く.

「ひと あって ぶつどうを もとめて いっこうの なかに おいて がっしょうして.
「人 有つて 仏道を 求めて 一劫の 中に 於て 合掌して.

わが まえに あって むすうの げを もって ほめん.
我が 前に 在つて 無数の 偈を 以て 讃めん、.

この さんぶつに よるが ゆえに むりょうの くどくを えん.
是の 讃仏に 由るが 故に 無量の 功徳を 得ん、.

じきょうしゃを たんび せんは その ふく また かれに すぎん」と うんぬん.
持経者を 歎美 せんは 其の 福 復 彼れに 過ぎん」等 云云、.

もんの こころは ほとけを いっちゅうこうが あいだ くようし たてまつる より.
文の 心は 仏を 一中劫が 間 供養し たてまつる より、.

まつだい あくせの なかに ひとの あながちに にくむ ほけきょうの ぎょうじゃを.
末代悪世の 中に 人の あながちに にくむ 法華経の 行者を.

くようする くどくは すぐれたりと とかせ たまう.
供養する 功徳は すぐれたりと とかせ 給う、.

たれの ひとの かかる ひがごとをば おおせらるるぞと うたがい おもい そうらえば.
たれの 人の かかる ひが事をば おほせらるるぞと 疑い おもひ 候へば・.

きょうしゅしゃくそんの われと おおせられて そうろうなり.
教主 釈尊の 我と おほせられて 候なり、.

うたがわんとも しんぜんとも みこころに まかせ まいらする.
疑はんとも 信ぜんとも 御心に まかせ まいらする、.

ほとけの おんしたは あるいは おもてに おおい あるいは 3000だいせんせかいに おおい.
仏の 御舌は 或は 面に 覆ひ・ 或は 三千大千世界に 覆ひ.

あるいは しきくきょうてん までに つけ たまう.
或は 色究竟天 までに 付け 給う、.

かこ おんのんごう より このかた ひとことも もうごの ましまさざる ゆえなり.
過去 遠遠劫 より このかた 一言も 妄語の ましまさざる ゆへなり、.

されば ある きょうに いわく.
されば 或 経に 云く.

しゅみせんは くずるるとも だいちをば うちかえすとも.
「須弥山は くづるるとも・ 大地をば うちかへすとも.

ほとけには もうご なし」と とかれたり.
仏には 妄語 なし」と とかれたり、.

ひは にしより いずとも たいかいの しおは みちひずとも.
日は 西より いづとも・ 大海の 潮は みちひずとも・.

ほとけの みことばは あやまりなしとかや.
仏の 御言は あやまりなしとかや、.

その うえ この ほけきょうは たきょうにも すぐれさせ たまえば.
其の 上 此の 法華経は 他経にも すぐれさせ 給へば・.

たほうぶつも しょうめいし しょぶつも したを ぼんてんに つけたまう.
多宝仏も 証明し 諸仏も 舌を 梵天に つけ給う、.

いちじ いってんも もうごは そうろうまじきにや.
一字 一点も 妄語は 候まじきにや。.

その うえ とのは おさなく おわしき.
其の 上 殿は をさなく をはしき、.

こ おや ちちは ぶし なり.
故 親 父は 武士 なり.

しかども あながちに ほけきょうを とうとみ そうらいしかば.
しかども・ あなかちに 法華経を 尊み 給いしかば・.

りんじゅうしょうねん なりける よし うけたまわりき.
臨終正念 なりける よし うけ給わりき、.

その おやの あとを つがせ たまいて また この きょうを ごしんよう あれば.
其の 親の 跡を つがせ 給いて 又 此の 経を 御信用 あれば・.

こ しょうりょう いかに くさの かげにても よろこび おぼすらん.
故 聖霊 いかに 草の かげにても 喜び おぼすらん、.

あわれ いきて おわせば いかに うれしかるべき.
あわれ いきて をはせば・ いかに うれしかるべき、.

この きょうを たもつ ひとびとは たにん なれども.
此の 経を 持つ 人人は 他人 なれども.

おなじ りょうぜんへ まいり あわせ たまうなり.
同じ 霊山へ まいり あはせ 給うなり、.

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b1509

いかに いわんや こ しょうりょうも とのも おなじく.
いかに いはんや 故 聖霊も 殿も 同じく.

ほけきょうを しんじ させ たまえば おなじ ところに うまれさせ たまうべし.
法華経を 信じさせ 給へば・ 同じ ところに 生れさせ 給うべし、.

いかなれば たにんは 5 60 までも おやと おなじ しらがなる ひとも あり.
いかなれば 他人は 五 六十 までも 親と 同じ しらがなる 人も あり、.

わが わかき みに おやに はやく おくれて きょうくんを もうけ たまわざるらんと.
我が わかき 身に 親に はやく をくれて 教訓を もうけ 給はらざるらんと・.

みこころの うち おしはかる こそ なみだも とまり そうらわね.
御心の うち をしはかる こそ なみだも とまり 候はね。.

そもそも にちれんは にほんこくを たすけんと ふかく おもえども.
抑 日蓮は 日本国を たすけんと ふかく おもへども・.

にほんこくの じょうげ ばんにん いちどうに くにの ほろぶべきゆえにや もちいられざる うえ.
日本国の 上下 万人・ 一同に 国の ほろぶべきゆへにや 用いられざる 上・.

たびたび あだを なさるれば ちから およばず さんりんに まじわり そうらいぬ.
度度 あだを なさるれば 力 をよばず 山林に まじはり 候いぬ、.

だいもうここくより よせて そうろうと もうせば.
大蒙古国より よせて 候と 申せば、.

もうせし ことを おんもちい あらば いかに なんど あわれなり.
申せし 事を 御用い あらば・ いかに なんど・ あはれなり、.

みな ひとの とうじの いき つしまの  ように ならせ たまわん こと.
皆 人の 当時の いき つしまの やうに ならせ 給はん 事・.

おもいやり そうらえば なみだも とまらず.
おもひやり 候へば・ なみだも とまらず。.

ねんぶつしゅうと もうすは ぼうこくの あくほう なり.
念仏宗と 申すは 亡国の 悪法 なり、.

この いくさには だいたい ひとびとの じがいをし そうらわんずるなり.
この いくさには 大体・ 人人の 自害をし 候はんずるなり、.

ぜんどうと もうす ぐちの ほっしが ひろめ はじめて じがいをして そうろう ゆえに.
善導と 申す 愚癡の 法師が ひろめ はじめて 自害をして 候 ゆへに・.

ねんぶつを よくよく もうせば じがいの こころ しゅったいし そうろうぞ.
念仏を よくよく 申せば 自害の 心 出来し 候ぞ。.

ぜんしゅうと もうし とうじの じさいほっしらは てんまの しょい なり.
禅宗と 申し 当時の 持斎法師等は 天魔の 所為 なり、.

きょうげべつでんと もうして かみも ほとけも なし なんど もうす.
教外別伝と 申して 神も 仏も なし なんど 申す.

ものくるわしき あくほう なり
ものくるはしき 悪法 なり。

しんごんしゅうと もうす しゅうは もとは げれつの きょうにて そうらいしを
真言宗と 申す 宗は 本は 下劣の 経にて 候いしを・

おうわくして ほけきょうにも まさる なんど もうして.
誑惑して 法華経にも 勝る なんど 申して.

おおくの ひとびと だいし そうじょう なんどに なりて.
多くの 人人・ 大師 僧正 なんどに なりて.

にほんこくに だいたい じゅうまんして.
日本国に 大体 充満して.

かみ いちにん より こうべを かたぶけたり.
上 一人 より 頭を かたぶけたり、.

これが だいいちの じゃじに そうろうを むかしより いまに いたるまで しるひと なし.
これが 第一の 邪事に 候を 昔より 今に いたるまで 知る 人 なし、.

ただ でんぎょうだいしと もうせし ひと こそ しりて そうらい しかども.
但 伝教大師と 申せし 人 こそ しりて 候い しかども・.

くわしくも おおせられず.
くはしくも おほせられず、.

さては にちれん ほぼ このことを しれり.
さては 日蓮 ほぼ この事を しれり、.

ごしらかわの ほうおうの だいじょうの にゅうどうに せめられ たまいし.
後白河の 法皇の 太政の 入道に せめられ 給いし、.

おきの ほうおうの かまくらに まけさせ たまいし こと.
隠岐の 法王の かまくらに まけさせ 給いし 事.

みな しんごん あくほうの ゆえなり.
みな 真言 悪法の ゆへなり、.

かんどに この ほう わたりて げんそうこうてい ほろびさせ たまう.
漢土に この 法 わたりて 玄宗皇帝 ほろびさせ 給う、.

この あくほう かまくらに くだって.
この 悪法 かまくらに 下つて.

とうじ かまくらに はやる そうじょう ほういんらは これなり.
当時 かまくらに はやる 僧正 法印等は 是なり、.

これらの ひとびと この いくさを ちょうぶく せば.
これらの 人人 この いくさを 調伏 せば.

100にち たたかうべきは とうかに ちぢまり.
百日 たたかふべきは 十日に つづまり・.

とうかの いくさは 1にちに せめらるべし.
十日の いくさは 一日に せめらるべし。.

いま はじめて もうすに あらず.
今 始めて 申すに あらず.

20よねんが あいだ こえも おしまず よばわり そうらいぬるなり.
二十余年が 間・ 音も をしまず よばはり 候いぬるなり、.

あなかしこ あなかしこ.
あなかしこ・ あなかしこ、.

この ごもんは だいじの ことども かきて そうろう.
この 御文は 大事の 事ども かきて 候、.

よくよく ひとに よませて きこしめせ.
よくよく 人に よませて・ きこしめせ、.

ひとも そしり そうらえ.
人も そしり 候へ・.

ものとも おもわぬ ほっしら なり.
ものとも おもはぬ 法師等 なり、.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言。.

ぶんえい11ねん たいさいいのえいぬ 11がつ 11にち.
文永 十一年 太歳甲戌 十一月 十一日.

にちれん かおう.
日蓮 花押 .

なんじょうしちろうじろうどの ごへんじ.
南条七郎次郎殿 御返事.

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