b1555から1558.
上野殿御返事 (うえのどのごへんじ)
別名、刀杖難事 (とうじょうなんのこと).
日蓮大聖人 58歳御作.

 

b1555

うえのどの ごへんじ.
上野殿 御返事.

こうあん 2ねん 4がつ はつか 58さい おんさく.
弘安 二年 四月 二十日 五十八歳 御作.

そもそも にちれん.
抑 日蓮.

しゅじゅの だいなんの なかには たつのくちの くびの ざと とうじょうの なんには すぎず.
種種の 大難の 中には 竜口の 頚の 座と・ 東条の 難には すぎず、.

その ゆえは しょなんの なかには いのちを すつる ほどの だいなんは なきなり.
其の 故は 諸難の 中には 命を すつる 程の 大難は なきなり、.

あるいは のりせめ あるいは ところを おわれ むじつを いいつけられ.
或は のりせめ・ 或は 処を おわれ・ 無実を 云いつけられ・.

あるいは おもてを うたれし などは ものの かず ならず.
或は 面を うたれし などは・ 物の かず ならず、.

されば しきしんの 2ほうより おこりて.
されば 色心の 二法より をこりて.

そしられたる ものは にほんこくの なかには にちれん 1にん なり.
そしられたる 者は 日本国の 中には 日蓮 一人 なり、.

ただし ありとも ほけきょうの ゆえには あらじ.
ただし ありとも 法華経の 故には あらじ、.

されも さても わすれざる ことは.
さても さても・ わすれざる 事は.

しょうぼうが ほけきょうの だい5の まきを とりて にちれんが つらを うちし ことは.
せうばうが 法華経の 第五の 巻を 取りて 日蓮が つらを うちし 事は.

さんどくより おこる ところの ちょうちゃく なり.
三毒より・ をこる 処の ちやうちやく なり。.

てんじくに しっとの にょにん あり.
天竺に 嫉妬の 女人 あり・.

おとこを にくむ ゆえに やうちの ものを ことごとく うちやぶり.
男を にくむ 故に 家内の 物を ことごとく 打ちやぶり、.

その うえに あまりの はらだちにや すがた けしき かわり.
其の 上に あまりの 腹立にや・ すがた・ けしき かわり・.

まなこは にちがつの ひかりの ごとく かがやき くちは ほのおを はくが ごとし.
眼は 日月の 光の ごとく かがやき くちは 炎を はくが ごとし・.

すがたは あおおに あかおにの ごとくにて.
すがたは 青鬼 赤鬼の ごとくにて.

としごろ おとこの よみ たてまつる ほけきょうの だい5の まきを とり.
年来・ 男の よみ 奉る 法華経の 第五の 巻を とり・.

りょうの あしにて さんざんに ふみける.
両の 足にて さむざむに ふみける、.

その のち いのち つきて じごくに おつ.
其の 後 命 つきて 地獄に をつ・.

りょうの あし ばかり じごくに いらず.
両の 足 ばかり 地獄に いらず・.

ごくそつ てつじょうを もって うてども いらず.
獄卒 鉄杖を もつて・ うてども いらず、.

これは ほけきょうを ふみし ぎゃくえんの くどくに よる.
是は 法華経を ふみし 逆縁の 功徳に よる、.

いま にちれんを にくむ ゆえに しょうぼうが だい5の まきを とりて よが おもてを うつ.
今 日蓮を にくむ 故に せうぼうが 第五の 巻を 取りて 予が をもてを うつ・.

これも ぎゃくえんと なるべきか.
是も 逆縁と なるべきか、.

かれは てんじく これは にほん かれは にょにん これは おとこ.
彼は 天竺・ 此れは 日本・ かれは 女人・ これは をとこ・.

かれは りょうの あし これは りょうの て かれは しっとの ゆえ.
かれは 両の あし・ これは 両の 手・ 彼は 嫉妬の 故・.

これは ほけきょうの おんゆえ なり.
此れは 法華経の 御故 なり、.

されども ほけきょう だい5の まきは おなじき なり.
されども 法華経 第五の 巻は・ をなじき なり、.

かの にょにんの あし じごくに いらざらんに.
彼の 女人の あし 地獄に 入らざらんに.

この りょうの て むげんに いるべきや.
此の 両の 手・ 無間に 入るべきや、.

ただし かれは おとこを にくみて ほけきょうをば にくまず.
ただし 彼は 男を にくみて 法華経をば・ にくまず、.

これは ほけきょうと にちれんとを にくむなれば いっしん むけんに いるべし.
此れは 法華経と 日蓮とを・ にくむなれば 一身 無間に 入るべし、.

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b1556

きょうに いわく.
経に 云く.

「その ひと みょうじゅうして あびごくに いらん」と うんぬん.
「其の 人 命終して 阿鼻獄に 入らん」と 云云、.

て ばかり むけんに いる まじとは みえず.
手 ばかり 無間に 入る まじとは 見へず.

ふびんなり ふびんなり.
不便なり 不便なり、.

ついには にちれんに あいて ぶっかを うべきか.
ついには 日蓮に あひて 仏果を うべきか.

ふきょうぼさつの じょうまんの ししゅうの ごとし.
不軽菩薩の 上慢の 四衆の ごとし。.

それ だい5の まきは 1きょう だい1の かんじん なり.
夫れ 第五の 巻は 一経 第一の 肝心 なり・.

りゅうにょが そくしんじょうぶつ あきらか なり.
竜女が 即身成仏 あきらか なり、.

だいばは こころの じょうぶつを あらわし りゅうにょは みの じょうぶつを あらわす.
提婆は こころの 成仏を あらはし・ 竜女は 身の 成仏を あらはす、.

いちだいに ぶん たえたる ほうもん なり.
一代に 分 絶たる 法門 なり、.

さてこそ でんぎょうだいしは ほけきょうの いっさいきょうに ちょうかして.
さてこそ 伝教大師は 法華経の 一切経に 超過して.

すぐれたる ことを 10 あつめ たまいたる なかに.
勝れたる 事を 十 あつめ 給いたる 中に・.

そくしんじょうぶつ けどうしょうとは このこと なり.
即身成仏 化導勝とは 此の事 なり、.

この ほうもんは てんだいしゅうの さいようにして そくしんじょうぶつぎと もうして もんぐの ぎか なり.
此の 法門は 天台宗の 最要にして 即身成仏義と 申して 文句の 義科 なり、.

しんごん てんだいの りょうしゅうの そうろん なり.
真言・ 天台の 両宗の 相論 なり、.

りゅうにょが じょうぶつも ほけきょうの くりき なり.
竜女が 成仏も 法華経の 功力 なり、.

もんじゅしりぼさつは ゆいじょうせんぜつみょうほけきょうと こそ かたらせ たまえ.
文殊師利菩薩は 唯常宣説妙法華経とこそ かたらせ 給へ、.

ゆいじょうの 2じは 8じの なかの かんよう なり.
唯常の 二字は 八字の 中の 肝要 なり、.

ぼだいしんろんの ゆいしんごんほうちゅうの ゆいの じと いまの ゆいのじと いずれを ほんと すべきや.
菩提心論の 唯真言法中の 唯の 字と・ 今の 唯の 字と・ いづれを 本と すべきや、.

かの ゆいの じは おそらくは あやまり なり.
彼の 唯の 字は をそらくは あやまり なり、.

むりょうぎきょうに いわく.
無量義経に 云く.

「40よねん いまだ しんじつを あらわさず」.
「四十余年 未だ 真実を 顕さず」、.

ほけきょうに いわく.
法華経に 云く.

「せそんの ほうは ひさしくして のちに かならず まさに しんじつを とき たもうべし」.
「世尊の 法は 久くして 後に 要 当に 真実を 説き たもうべし」.

たほうぶつは かいぜしんじつとて ほけきょうに かぎりて そくしんじょうぶつ ありと さだめ たまえり.
多宝仏は 皆是真実とて 法華経に かぎりて 即身成仏 ありと さだめ 給へり、.

にぜんきょうに いかように じょうぶつ ありとも とけ.
爾前経に いかように 成仏 ありとも とけ・.

ごんしゅうの ひとびと むりょうに いいくるうとも.
権宗の 人人・ 無量に いひくるふとも・.

ただ ほうろく 1000に つち 1つ なるべし.
ただ ほうろく 千に つち 一つ なるべし、.

ほっけしゃくぶく はごんもんりとは これ なり.
法華折伏・ 破権門理とは これ なり、.

もっとも いみじく ひおう なる ほうもん なり.
尤も いみじく 秘奥 なる 法門 なり。.

また てんだいの がくしゃ じかくより このかた げん もん しの 3だいぶの もんを.
又 天台の 学者・ 慈覚より このかた 玄・ 文・ 止の 三大部の 文を.

とかく りょうけんし ぎりを かまうとも.
とかく・ れうけんし 義理を かまうとも・.

こぞの こよみ きのうの じきの ごとし.
去年の こよみ 昨日の 食の ごとし・.

きょうの ように ならず.
けうの 用に ならず、.

まっぽうの はじめの 500ねんに ほけきょうの だいもくを はなれて じょうぶつ ありと いう ひとは.
末法の 始の 五百年に 法華経の 題目を はなれて 成仏 ありと いふ 人は・.

ぶっせつ なりとも もちゆべからず.
仏説 なりとも 用ゆべからず、.

いかに いわんや にんしの ぎ をや.
何に 況や 人師の 義 をや、.

ここに にちれん おもうよう だいばほんを あんずるに だいばは しゃかにょらいの むかしの し なり.
爰に 日蓮 思ふやう 提婆品を 案ずるに 提婆は 釈迦如来の 昔の 師 なり、.

むかしの しは いまの でし なり いまの でしは むかしの し なり.
昔の 師は 今の 弟子 なり・ 今の 弟子は むかしの 師 なり、.

ここん のうしょ ふにに して ほっけの じんいを あらわす.
古今 能所 不二に して 法華の 深意を あらわす、.

されば あくぎゃくの だったには じひの しゃかにょらい しと なり.
されば 悪逆の 達多には 慈悲の 釈迦如来 師と なり・.

ぐちの りゅうにょには ちえの もんじゅ しと なり.
愚癡の 竜女には 智慧の 文殊 師と なり・.

もんじゅ しゃかにょらいにも にちれん おとり たてまつる べからざるか.
文殊・ 釈迦如来にも 日蓮 をとり 奉る べからざるか、.

にほんこくの おとこは だいばが ごとく おんなは りゅうにょに あい にたり.
日本国の 男は 提婆が ごとく・ 女は 竜女に あひ にたり、.

ぎゃくじゅん ともに じょうぶつを ごすべき なり これ だいばほんの こころ なり.
逆順ともに 成仏を 期すべきなり・是れ 提婆品の 意 なり。.

→a1556

b1557

つぎに かんじほんに 80まんおくなゆたの ぼさつの いくどうおんの.
次に 勧持品に 八十万億那由佗の 菩薩の 異口同音の.

20ぎょうの げは にちれん 1にん よめり.
二十行の 偈は 日蓮 一人 よめり、.

たれか いでて にほんこく とうど てんじく 3ごくに して.
誰か 出でて 日本国・ 唐土・ 天竺・ 三国に して.

ほとけの めつごに よみたる ひとや ある.
仏の 滅後に よみたる 人や ある、.

また われ よみたりと なのるべき ひと なし.
又 我 よみたりと・ なのるべき 人 なし・.

また あるべしとも おぼえず.
又 あるべしとも 覚へず、.

ぎゅうかとうじょうの とうじょうの 2じの なかに もし じょうの じに あう ひとは あるべし.
及加刀杖の 刀杖の 二字の 中に・ もし 杖の 字に あう 人は あるべし・.

とうの じに あいたる ひとを きかず.
刀の 字に あひたる 人を きかず、.

ふきょうぼさつは じょうもく がしゃくと みえたれば じょうの じに あいぬ.
不軽菩薩は 杖木・ 瓦石と 見えたれば 杖の 字に あひぬ.

とうの なんは きかず.
刀の 難は きかず、.

てんだい みょうらく でんぎょうとうは とうじょうふかと みえたれば これ また かけたり.
天台・ 妙楽・ 伝教等は 刀杖不加と 見えたれば 是 又 かけたり、.

にちれんは とうじょうの 2じ ともに あいぬ.
日蓮は 刀杖の 二字 ともに・ あひぬ、.

あまつさえ とうの なんは さきに もうすが ごとく とうじょうの まつばらと たつのくちと なり.
剰へ 刀の 難は 前に 申すが ごとく 東条の 松原と 竜口と なり、.

いちども あう ひと なき なり にちれんは 2ど あいぬ.
一度も・ あう 人 なき なり 日蓮は 二度 あひぬ、.

じょうの なんには すでに しょうぼうに つらを うたれ しかども.
杖の 難には すでに せうばうに つらを うたれ しかども.

だい5の まきを もって うつ.
第五の 巻を もつて うつ、.

うつ じょうも だい5の まき うたるべしと いう きょうもんも 5の まき.
うつ 杖も 第五の 巻 うたるべしと 云う 経文も 五の 巻・.

ふしぎなる みらいきの きょうもん なり.
不思議なる 未来記の 経文 なり、.

されば しょうぼうに にちれん すうじゅうにんの なかにして うたれし ときの しんちゅうには.
されば・ せうばうに 日蓮 数十人の 中にして うたれし 時の 心中には・.

ほけきょうの ゆえとは おもえども いまだ ぼんぷ なれば.
法華経の 故とは をもへども・ いまだ 凡夫 なれば.

うたてかりける あいだ つえをも うばい.
うたてかりける 間・ つえをも・ うばひ・.

ちから あるならば ふみおり すつべき ことぞかし.
ちから あるならば・ ふみをり すつべき ことぞかし、.

しかれども つえは ほけきょうの だい5の まきにて まします.
然れども・ つえは 法華経の 五の 巻にて まします。.

いま おもい いでたる こと あり.
いま・ をもひ・ いでたる 事 あり、.

こを おもう ゆえにや おや つぎの きの ゆみを もって がくもん せざりし こに おしえたり.
子を 思ふ 故にや・ をや つぎの 木の 弓を もつて 学文 せざりし 子に をしへたり、.

しかる あいだ この こ うたて かりしは ちち にくかりしは つぎの きの ゆみ.
然る 間・ 此の 子 うたて かりしは 父・ にくかりしは・ つぎの 木の 弓、.

されども ついには しゅうがく ぞうしんして じしん とくだつを きわめ.
されども 終には 修学 増進して 自身 得脱を きわめ・.

また ひとを りやくする みと なり.
又 人を 利益する 身と なり、.

たちかえって みれば つぎの きを もって われを うちし ゆえ なり.
立ち 還つて 見れば・ つぎ の木を もつて 我を うちし 故 なり、.

この こ そとばに この きを つくり.
此の 子 そとばに 此の 木を つくり.

ちちの くようの ために たて てむけりと みえたり.
父の 供養の ために たて てむけりと 見へたり、.

にちれんも また かくの ごとく あるべきか.
日蓮も 又 かくの 如く あるべきか、.

にちれん ぶっかを えんに いかでか しょうぼうが おんを すつべきや.
日蓮 仏果を えむに 争か せうばうが 恩を すつべきや、.

いかに いわんや ほけきょうの ごおんの つえをや.
何に 況や 法華経の 御恩の 杖をや、.

かくの ごとく おもい つづけ そうらえば かんるい おさえがたし.
かくの 如く 思ひ つづけ 候へば 感涙 をさへがたし。.

また ゆじゅっぽんは にちれんが ためには すこし よしみ ある ほん なり.
又 涌出品は 日蓮が ためには・ すこし よしみ ある 品なり、.

そのゆえは じょうぎょうぼさつらの まっぽうに しゅつげんして.
其の故は 上行菩薩等の 末法に 出現して.

なんみょうほうれんげきょうの 5じを ひろむべしと みえたり.
南無妙法蓮華経の 五字を 弘むべしと 見へたり、.

しかるに さき にちれん 1にん しゅったいす.
しかるに 先 日蓮 一人 出来す.

6まんごうしゃの ぼさつより さだめて ちゅうしょうを かおるべしと おもえば たのもしき ことなり.
六万恒沙の 菩薩より・ さだめて 忠賞を かほるべしと 思へば・ たのもしき 事なり、.

とにかくに ほけきょうに みを まかせ しんぜさせ たまえ.
とにかくに 法華経に 身を まかせ 信ぜさせ 給へ、.

との 1にんに かぎるべからず しんじんを すすめ たまいて.
殿 一人に かぎるべからず・ 信心を すすめ 給いて.

かこの ふぼとうを すくわせ たまえ.
過去の 父母等を すくわせ 給へ。.

→a1557

b1558

にちれん うまれし ときより いまに 1にち かたときも こころやすき ことは なし.
日蓮 生れし 時より・ いまに 一日 片時も・ こころやすき 事は なし、.

この ほけきょうの だいもくを ひろめんと おもう ばかり なり.
此の 法華経の 題目を 弘めんと 思う ばかり なり、.

あいかまえて あいかまえて じたの しょうじは しらねども.
相かまへて 相かまへて 自他の 生死は しらねども.

ごりんじゅうの きざみ しょうじの ちゅうげんに にちれん かならず むかえに まいり そうろうべし.
御臨終の きざみ 生死の 中間に 日蓮 かならず・ むかいに まいり 候べし、.

さんぜの しょぶつの じょうどうは ねうしの おわり とらの きざみの じょうどう なり.
三世の 諸仏の 成道は ねうしの をわり・ とらの きざみの 成道 なり、.

ぶっぽうの じゅうしょ きもんの かたに 3ごく ともに たつ なり.
仏法の 住処・ 鬼門の 方に 三国 ともに たつ なり.

これらは そうじょうの ほうもん なるべし くわしくは また もうすべく そうろう.
此等は 相承の 法門 なるべし 委くは 又 申すべく 候、.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言。.

かつえて しょくを ねがい かっして みずを したうが ごとく.
かつへて 食を ねがひ・ 渇して 水を したうが ごとく・.

こいて ひとを みたきが ごとく やまいに くすりを たのむが ごとく.
恋いて 人を 見たきが ごとく・ 病に くすりを たのむが ごとく、.

みめ かたち よきひと べにしろいものを つくるが ごとく.
みめ かたち よき人・ べにしろいものを つくるが ごとく・.

ほけきょうには しんじんを いたさせ たまえ.
法華経には 信心を いたさせ 給へ、.

さ なくしては こうかい あるべし、うんぬん.
さ なくしては 後悔 あるべし、云云。.

こうあん 2ねん つちのとう うづき はつか.
弘安 二年 己卯 卯月 二十日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

うえのどの ごへんじ.
上野殿 御返事.

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