b1586から1587.
法華証明抄 (ほっけしょうみょうしょう).
日蓮大聖人 61歳御作.

 

b1586

ほっけしょうみょうしょう.
法華証明抄.

ほけきょうの ぎょうじゃ にちれん かおう.
法華経の 行者 日蓮 花押.

まつだい あくせに ほけきょうを きょうの ごとく しんじまいらせ そうろう ものをば.
末代 悪世に 法華経を 経の ごとく 信じまいらせ 候 者をば.

ほけきょうの おんかがみには いかんが うかべさせ たもうと はいけん つかまつり そうらえば.
法華経の 御鏡には いかんが うかべさせ 給うと 拝見 つかまつり 候へば.

かこに 10まんおくの ほとけを くようせる ひと なりと.
過去に 十万億の 仏を 供養せる 人 なりと.

たしかに しゃかぶつの こんくの おんくちより いでさせ たまいて そうろうを.
たしかに 釈迦仏の 金口の 御口より 出でさせ 給いて 候を.

いちぶつ なれば まつだいの ぼんぷは うたがいや せんずらん とて.
一仏 なれば 末代の 凡夫は うたがいや せんずらん とて.

ここより とうほうに はるかの くにを すぎさせ たまいて おわします ほうじょうせかいの たほうぶつ.
此より 東方に はるかの 国を すぎさせ 給いて おはします 宝浄世界の 多宝仏.

わざわざと みゆき ならせ たまいて しゃかぶつに おり むかい まいらせて.
わざわざと 行幸 ならせ 給いて 釈迦仏に をり 向い まいらせて.

みょうほうけきょう かいぜしんじつと しょうみょうせさ せたまい そうらいき.
妙法華経 皆是真実と 証明せさせ 給い 候いき.

この うえは なにの ふしんか のこるべき.
此の 上は なにの 不審か 残るべき.

なれども、 なおなお まつだいの ぼんぷは おぼつかなしと おぼしめしや ありけん.
なれども、 なをなを 末代の 凡夫は、 をぼつかなしと をぼしめしや 有りけん.

じっぽうの しょぶつを めし あつめさせ たまいて.
十方の 諸仏を 召し あつめさせ 給いて.

こうちょうぜっそうと もうして むりょうこう より このかた.
広長舌相と 申して 無量劫 より このかた.

ながく そらごと なき ひろく ながく だいなる おんしたを.
永く そらごと なき ひろく ながく 大なる 御舌を.

しゅみせんの ごとく こくうに たて ならべ たまいし ことは.
須弥山の ごとく 虚空に 立て ならべ 給いし 事は.

おびただし かりし こと なり.
をびただし かりし 事 なり.

こう そうらえば まつだいの ぼんぷの みとして.
かう 候へば 末代の 凡夫の 身として.

ほけきょうの 1じ 2じを しんじ まいらせ そうらえば.
法華経の 一字・ 二字を 信じ まいらせ 候へば.

じっぽうの ほとけの おんしたを たもつもの ぞかし.
十方の 仏の 御舌を 持つ物 ぞかし.

いかなる かこの しゅくじゅうにて かかる みとは うまるらんと よろこび まいらせ そうろう.
いかなる 過去の 宿習にて・ かかる 身とは 生るらむと 悦び まいらせ 候.

かみの きょうもんは かこに 10まんおくの ほとけに あい まいらせて くようを なし まいらせて そうらいける ものが.
上の 経文は 過去に 十万億の 仏に あい まいらせて 供養を なし まいらせて 候いける 者が.

ほけきょう ばかりをば もちい まいらせず そうらい けれども.
法華経 計りをば 用い まいらせず 候い けれども.

ほとけ くようの くどく ばくだい なりければ.
仏 くやうの 功徳 莫大 なりければ.

ほうぼうの つみに よりて ひんせんの みとは うまれて そうらえども.
謗法の 罪に 依りて 貧賤の 身とは 生れて 候へども.

また この きょうを しんずる ひとと なれりと みえて そうろう.
又 此の 経を 信ずる 人と なれりと 見へて 候.

これをば てんだいの おんしゃくに いわく.
此れをば 天台の 御釈に 云く.

「ひとの ちに たおれて かえって ちより たつが ごとし」とう うんぬん.
「人の 地に 倒れて 還つて 地より 起つが 如し」等 云云.

ちに たおれたる ひとは かえりて ちより おく.
地に たうれたる 人は・ かへりて 地より をく.

ほけきょう ほうぼうの ひとは さんあく ならびに にんてんの ち には たおれ そうらえども.
法華経 謗法の 人は 三悪 並びに 人天の 地 には たうれ 候へども.

かえりて ほけきょうの みてに かかりて ほとけに なると ことわられて そうろう.
かへりて 法華経の 御手に かかりて 仏に なると ことわられて 候.

しかるに この うえののしちろうじろうは.
しかるに この 上野の七郎次郎は.

まつだいの ぼんぷ、 ぶしの いえに うまれて あくにんとは もうす べけれども こころは ぜんにん なり.
末代の 凡夫、 武士の 家に 生れて 悪人とは 申す べけれども 心は 善人 なり.

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b1587

その ゆえは にちれんが ほうもんをば かみ いちにん より しも ばんみんまで しんじ たまわざる うえ.
其の 故は 日蓮が 法門をば 上 一人 より 下 万民まで 信じ 給はざる 上.

たまたま しんずる ひと あれば あるいは しょりょう、 あるいは でんぱた とうに わずらいを なし.
たまたま 信ずる 人 あれば 或は 所領、 或は 田畠 等に わづらひを なし.

けっくは いのちに およぶ ひとびとも あり しんじがたき うえ、 はは こ うえのは しんじ まいらせ そうらいぬ.
結句は 命に 及ぶ 人人 もあり 信じがたき 上、 はは 故 上野は 信じ まいらせ 候いぬ.

また この もの ちゃくしと なりて ひとも すすめぬに しんちゅうより しんじ まいらせて.
又 此の 者 ちゃく子と なりて 人も すすめぬに 心中より 信じ まいらせて.

じょうげ ばんみんに あるいは、 いさめ あるいは おどし そうらいつるに.
上下 万人に あるいは、 いさめ 或は をどし 候いつるに.

ついに すつる こころ なくて そうらえば、 すでに ほとけに なるべしと みえ そうらえば.
ついに 捨つる 心 なくて 候へば、 すでに 仏に なるべしと 見へ 候へば.

てんま げどうが やまいを つけて おどさんと こころみ そうろうか.
天魔 外道が 病を つけて をどさんと 心み 候か.

いのちは かぎりある ことなり すこしも おどろく こと なかれ.
命は かぎりある 事なり・ すこしも・ をどろく 事 なかれ.

また きじん めらめ このひとを なやますは つるぎを さかさまに のむか.
又 鬼神 めらめ 此の人を なやますは 剣を さかさまに のむか.

また だいかを いだくか.
又 大火を いだくか.

さんぜじっぽうの ほとけの だいおんてきと なるか.
三世十方の 仏の 大怨敵と なるか.

あなかしこ あなかしこ.
あなかしこ あなかしこ.

この ひとの やまいを たちまちに なおして かえりて まもりと なりて きどうの だいくを ぬくべきか.
此の 人の やまいを 忽に なをして かへりて まほりと なりて 鬼道の 大苦を ぬくべきか.

その ぎ なくして げんざいには ずは7ぶんの とがに おこなわれ.
其の 義 なくして 現在には 頭破七分の 科に 行われ.

ごしょうには だいむけんじごくに おつ べきか.
後生には 大無間地獄に 堕つ べきか.

ながく とどめよ とどめよ.
永く とどめよ とどめよ.

にちれんが ことばを いやしみて こうかい あるべし こうかい あるべし.
日蓮が 言を いやしみて 後悔 あるべし 後悔 あるべし.

こうあん 5ねん 2がつ 28にち.
弘安 五年 二月 廿八日.

くだす ほうきぼう.
下 伯耆房.

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