b169-2から170.
北条時宗への御状 (ほうじょうときむねへの ごじょう).
別名、十一通御書.
日蓮大 聖人 47歳御作.


 
b169-2

ほうじょう ときむねへの ごじょう.
北条 時宗 への 御状.

つつしんで ごんじょう せしめ そうろう.
謹んで 言上 せしめ 候.

そもそも しょうがつ 18にち さいじゅう.
抑も 正月 十八日 西戎.

だいもうここくの ちょうじょう とうらいすと.
大蒙古国の 牒状 到来すと.

にちれん せんねん しょきょうの ようもんを あつめ これを かんがえたること.
日蓮 先年 諸経の 要文を 集め 之を 勘えたること.

りっしょう あんこくろんの ごとく すこしも たがわず ふごうしぬ.
立正 安国論の 如く 少しも 違わず 普合しぬ.

にちれんは しょうにんの 1ぶんに あたれり みぼうを しるが ゆえなり.
日蓮は 聖人の 一分に 当れり 未萠を 知るが 故なり.

しかるあいだ かさねて このよしを おどろかし たてまつる.
然る間 重ねて 此の由を 驚かし 奉る.

いそぎ けんちょうじ じゅふくじ ごくらくじ たほうじ じょうこうみょうじ だいぶつでん とうの ごきえを やめたまえ.
急ぎ 建長寺 寿福寺 極楽寺 多宝寺 浄光明寺 大仏殿 等の 御帰依を 止めたまえ.

しからずんば かさねて また しほうより せめ きたるべきなり.
然らずんば 重ねて 又 四方より 責め 来る 可きなり.

すみやかに もうここくの ひとを ちょうぶくして わがくにを あんたい ならしめ たまえ.
速かに 蒙古国の 人を 調伏して 我が国を 安泰 ならしめ 給え.

かれを ちょうぶく せられん こと にちれんに あらざれば かなう べからざる なり.
彼を 調伏 せられん 事 日蓮に 非ざれば 叶う 可からざる なり.

→a169-2

b170

かんしん くにに あれば すなわち そのくに ただしく.
諌臣 国に 在れば 則ち 其の国 正しく.

そうし いえに あれば すなわち そのいえ なおし.
争子 家に 在れば 則ち 其の家 直し.

こっかの あんきは せいどうの じきひに あり.
国家の 安危は 政道の 直否に 在り.

ぶっぽうの じゃせいは きょうもんの めいきょうに よる.
仏法の 邪正は 経文の 明鏡に 依る.

それ この くには しんこくなり かみは ひれいを うけ たまわず.
夫れ 此の 国は 神国なり 神は 非礼を 稟け たまわず.

てんじん 7だい ちじん 5だいの かみがみ そのほか しょてんぜんじん とうは いちじょう おうごの しんめいなり.
天神 七代 地神 五代の 神神 其の外 諸天善神 等は 一乗 擁護の 神明なり.

しかも ほけきょうを もって しょくと なし しょうじきを もって ちからと なす.
然も 法華経を 以て 食と 為し 正直を 以て 力と 為す.

ほけきょう にいわく しょぶつ ぐせしゃ だいじんつうに じゅうして.
法華経 に云く 諸仏 救世者 大神通に 住して.

しゅじょうを よろこばし めんがための ゆえに むりょうの じんりきを げんずと.
衆生を 悦ばし めんが為の 故に 無量の 神力を 現ずと.

いちじょう きしゃの くにに おいては あに ぜんじん いかりを なさざらんや.
一乗 棄捨の 国に 於ては 豈 善神 怒を 成さざらんや.

にんのうきょうに いわく いっさいのしょうにん さるとき 7なん かならず おこると.
仁王経に 云く 一切の 聖人 去る時 七難 必ず 起ると.

かの ごおうは ごししょが ことばを すて わがみを ほろぼし.
彼の 呉王は 伍子胥が 詞を 捨て 吾が身を 亡し.

けっちゅうは りゅうひを うしなって こくいを ほろぼす.
桀紂は 竜比を 失つて 国位を 喪ぼす.

いま にほんこく すでに もうここくに うばわれんとす.
今 日本国 既に 蒙古国に 奪われんとす.

あに なげかざらんや あに おどろかざらんや.
豈 歎かざらんや 豈 驚かざらんや.

にちれんが もうすこと おん もちい なくんば さだめて こうかい これ あるべし.
日蓮が 申す事 御 用い 無くんば 定めて 後悔 之 有る可し.

にちれんは ほけきょうの おん つかいなり.
日蓮は 法華経の 御 使なり.

きょうに いわく すなわち にょらいの つかい にょらいの しょけんとして にょらいの じを ぎょうず と.
経に 云く 則ち 如来の 使 如来の 所遣として 如来の 事を 行ず と.

3ぜ しょぶつの こととは ほけきょうなり.
三世 諸仏の 事とは 法華経なり.

この よし かたがたへ これを おどろかし たてまつる.
此の 由 方方へ 之を 驚かし 奉る.

いっしょに あつめて ごひょうぎ あって ごほうに あずかる べく そうろう.
一所に 集めて 御評議 有つて 御報に 予かる 可く 候.

しょせんは ばんきを なげうって しょしゅうを ごぜんに めしあわせ ぶっぽうの じゃせいを けっし たまえ.
所詮は 万祈を 抛つて 諸宗を 御前に 召し合せ 仏法の 邪正を 決し 給え.

かんていの ちょうしょう いまだ しらざるは りょうしょうの あやまり.
澗底の 長松 未だ 知らざるは 良匠の 誤り.

あんちゅうの きんえを いまだ みざるは ぐにんの とがなり.
闇中の 錦衣を 未だ 見ざるは 愚人の 失なり.

3ごく ぶっぽうの ふんべつに おいては でんぜんに あり.
三国 仏法の 分別に 於ては 殿前に 在り.

いわゆる あじゃせ ちんずい かんむ これなり.
所謂 阿闍世 陳隋 桓武 是なり.

あえて にちれんが しきょくに あらず.
敢て 日蓮が 私曲に 非ず.

ただ ひとえに だいちゅうを いだく ゆえに みのために これを もうさず.
只偏に 大忠を 懐く 故に 身の為に 之を 申さず.

かみのため きみのため くにのため いっさいしゅじょうの ために ごんじょう せしむる ところなり.
神の為 君の為 国の為 一切衆生の 為に 言上 せしむる 所なり.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言.

ぶんえい 5ねん つちのえたつ 10がつ 11にち.
文永 五年 戊辰 十月 十一日.

にちれん かおう.
日蓮  花押.

きんじょう  やどや にゅうどう どの.
謹上  宿屋 入道 殿.

→a170

 
→a169-2
→c169-2~c176
ホームページトップ 
inserted by FC2 system