b175-2.
浄光明寺への御状 (じょうこうみょうじへの ごじょう).
別名、十一通御書.
日蓮大 聖人 47歳御作.


 
じょうこうみょうじへの ごじょう
浄光明寺への 御状

だいもう ここくの こうてい にほんこくを うばう べきのよし ちょうじょうを わたす
大蒙 古国の 皇帝 日本国を 奪う 可きの由 牒状を 渡す

このこと せんねん りっしょうあんこくろんに かんがえ もうせし ごとく すこしも そうい せしめず
此の事 先年 立正安国論に 勘え 申せし 如く 少しも 相違 せしめず

うちうち にほん だい1の かんじょうに おこなわる べきかと ぞんぜしめ そうろうの ところ 
内内 日本 第一の 勧賞に 行わる 可きかと 存ぜしめ 候の 処

あまつさえ ごしょうたんに あずからず そうろう
剰え 御称歎に 預らず 候

これ あわせながら かまくらじゅう じゃくその たぐい 
是れ 併ながら 鎌倉中 著麤の 類 

りっしゅう ぜんしゅうとうが こうこくおう だいじん ひぼう せつ があくの ゆえなり 
律宗 禅宗等が 向国王 大臣 誹謗 説 我悪の故なり 

はやく 250かいを なげうって にちれんに きして じょうぶつを きす べし
早く 二百五十戒を 抛つて 日蓮に 帰して 成仏を 期す 可し

もし しからずんば だざい むけんの こんげん ならん
若し 然らずんば 堕在 無間の 根源 ならん

この おもむき かたがたへ ひろうせしめ そうらい おわんぬ
此の 趣き 方方へ 披露せしめ 候い 畢んぬ

はやく いっしょに あつまりて たいけつを とげしめ たまえ
早く 一処に 集りて 対決を 遂げしめ 給え

にちれん しょき せしむる ところなり 
日蓮 庶幾 せしむる 処なり 

あえて しょしゅうを べつじょ するに あらざるのみ
敢て 諸宗を 蔑如 するに 非ざるのみ

ほっけの だいおう いましめに たいして しょうじょう もんみょうかい あに そうたいに およばんや
法華の 大王 戒に 対して 小乗 蟁蝱戒 豈 相対に 及ばんや

わらう べし わらう べし
笑う 可し 笑う 可し

ぶんえい 5ねん 10がつ 11にち 
文永 五年 十月 十一日 

にちれん かおう
日蓮  花押

きんじょう じょうこうみょうじ じしゃ おんちゅう
謹上 浄光明寺 侍者 御中

 
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