b293から329.
報恩抄 (ほうおん しょう).
日蓮大聖人 55歳 御作.

 

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ほうおんしょう.
報恩抄.

ほうおんしょう にちれん これを せんす.
報恩抄 日蓮 之を 撰す.

けんじ  2ねん 7がつ 21にち 55さい おんさく.
建治 二年 七月 二十一日 五十五歳 御作.

みのぶに おいて.
身延に 於て.

それ ろうこは つかを あとに せず.
夫れ 老狐は 塚を あとに せず.

はっきは もうほうが おんを ほうず.
白亀は 毛宝が 恩を ほうず.

ちくしょうすら かくの ごとし.
畜生すら かくの ごとし.

いわうや じんりんをや.
いわうや 人倫をや.

されば いにしえの けんじゃ よじょうと いいし ものは つるぎを のみて ちはくが おんに あて.
されば 古への 賢者 予譲と いゐし 者は 剣を のみて 智伯が 恩に あて.

こうえんと もうせし しんかは はらを さいて えいの いこうが きもを いれたり.
こう演と 申せし 臣下は 腹を さひて 衛の 懿公が 肝を 入れたり.

いかに いわうや ぶっきょうを ならわん もの ふぼ ししょう こくおんを わするべしや.
いかに いわうや 仏教を ならはん 者 父母 師匠 国恩を わするべしや.

この だいおんを ほうぜんには かならず ぶっぽうを ならい きわめ ちしゃと ならで かなうべきか.
此の 大恩を ほうぜんには 必ず 仏法を ならひ きはめ 智者と ならで 叶うべきか.

たとえば しゅうもうを みちびかんには いきめくらの み にては きょうがを わたしがたし.
譬へば 衆盲を みちびかんには 生盲の 身 にては 橋河を わたしがたし.

ほうふうを わきまえざらん たいせんは しょしょうを みちびきて ほうざんに いたるべしや.
方風を 弁えざらん 大舟は 諸商を 導きて 宝山に いたるべしや.

ぶっぽうを ならい きわめんと おもわば いとま あらずば かなうべからず.
仏法を 習い 極めんと をもはば いとま あらずば 叶うべからず.

いとま あらんと おもわば ふぼ ししょう こくしゅ とうに したがいては かなうべからず.
いとま あらんと をもはば 父母 師匠 国主 等に 随いては 叶うべからず.

ぜひに つけて しゅつりの みちを わきまえざらん ほどは.
是非に つけて 出離の 道を わきまへざらん ほどは.

ふぼ ししょう とうの こころに したがう べからず.
父母 師匠 等の 心に 随う べからず.

この ぎは しょにん おもわく けんにも はずれ.
この 義は 諸人 をもはく 顕にも はづれ.

みょうにも かなうまじと おもう.
冥にも 叶うまじと をもう.

しかれども げてんの こうきょうにも ふぼ しゅくんに したがわずして.
しかれども 外典の 孝経にも 父母 主君に 随はずして.

ちゅうしん こうじん なる ようも みえたり.
忠臣・ 孝人 なる やうも みえたり.

ないてんの ぶっきょうに いわく.
内典の 仏経に 云く.

「おんを すて むいに いるは しんじつ ほうおんの もの なり」とう うんぬん.
「恩を 棄て 無為に 入るは 真実 報恩の 者 なり」等 云云.

ひかんが おうに したがわずして けんじんの なを とり.
比干が 王に 随わずして 賢人の なを とり.

しったたいしの じょうぼんだいおうに そむきて さんがい だいいちの こうと なりし これなり.
悉達太子の 浄飯大王に 背きて 三界 第一の 孝と なりし これなり.

かくの ごとく そんして ふぼ ししょう とうに したがわずして.
かくの ごとく 存して 父母 師匠 等に 随わずして.

ぶっぽうを うかがいし ほどに いちだいしょうきょうを さとるべき めいきょう 10 あり.
仏法を うかがひし 程に 一代聖教を さとるべき 明鏡 十 あり.

いわゆる くしゃ じょうじつ りっしゅう ほっそう さんろん.
所謂る 倶舎 成実 律宗 法相 三論.

しんごん けごん じょうど ぜんしゅう てんだいほっけしゅう なり.
真言 華厳 浄土 禅宗 天台法華宗 なり.

この じっしゅうを みょうしと して いっさいきょうの こころを しるべし.
此の 十宗を 明師と して 一切経の 心を しるべし.

せけんの がくしゃら おもえり.
世間の 学者等 おもえり.

この 10の かがみは みな しょうじきに ぶつどうの みちを てらせりと.
此の 十の 鏡は みな 正直に 仏道の 道を 照せりと.

しょうじょうの 3しゅうは しばらく これを おく.
小乗の 三宗は しばらく これを をく.

たみの しょうそくの ぜひに つけて たこくへ わたるに よう なきが ごとし.
民の 消息の 是非に つけて 他国へ わたるに 用 なきが ごとし.

だいじょうの しちきょう こそ しょうじの たいかいを わたりて じょうどの きしに つく たいせん なれば.
大乗の 七鏡 こそ 生死の 大海を わたりて 浄土の 岸に つく 大船 なれば.

これを ならい ほどいて わが みも たすけ.
此を 習い ほどひて 我が みも 助け.

ひと をも みちびかんと おもいて ならいみる ほどに.
人 をも みちびかんと おもひて 習ひみる ほどに.

だいじょうの 7しゅう いずれも いずれも じさん あり.
大乗の 七宗 いづれも いづれも 自讃 あり.

わが しゅうこそ いちだいの こころは えたれ えたれ とう うんぬん.
我が 宗 こそ 一代の 心は えたれ えたれ 等 云云.

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いわゆる けごんしゅうの とじゅん ちごん ほうぞう ちょうかんら.
所謂 華厳宗の 杜順 智儼 法蔵 澄観等.

ほっそうしゅうの げんじょう じおん ちしゅう ちしょうら.
法相宗の 玄奘 慈恩 智周 智昭等.

さんろんしゅうの こうこう かじょうら.
三論宗の 興皇 嘉祥等.

しんごんしゅうの ぜんむい こんごうち ふくう こうぼう じかく ちしょうら.
真言宗の 善無畏 金剛智 不空 弘法 慈覚 智証等.

ぜんしゅうの だるま えか えのうら じょうどしゅうの どうしゃく ぜんどう えかん ぜんくうら .
禅宗の 達磨 慧可 慧能等 浄土宗の 道綽 善導 懐感 源空等.

これらの しゅうじゅう みな ほんきょう ほんろんに よりて.
此等の 宗宗 みな 本経 本論に よりて.

われも われも いっさいきょうを さとれり ぶついを きわめたりと うんぬん.
我も 我も 一切経を さとれり 仏意を きはめたりと 云云.

かの ひとびとの いわく.
彼の 人人 云く.

いっさいきょうの なかには けごんきょう だいいち なり.
一切経の 中には 華厳経 第一 なり.

ほけきょう だいにちきょう とうは しんかの ごとし.
法華経 大日経 等は  臣下の ごとし.

しんごんしゅうの いわく.
真言宗の 云く.

いっさいきょうの なかには だいにちきょう だいいち なり.
一切経の 中には 大日経 第一 なり.

よきょうは しゅうせいの ごとし.
余経は 衆星の ごとし.

ぜんしゅうが いわく.
禅宗が 云く.

いっさいきょうの なかには りょうがきょう だいいち なり.
一切経の 中には 楞伽経 第一 なり.

ないし よしゅう かくのごとし.
乃至 余宗 かくのごとし.

しかも かみに あぐる しょしは せけんの ひとびと おのおの おもえり.
而も 上に 挙ぐる 諸師は 世間の 人人 各各 おもえり.

しょてんの たいしゃくを うやまい しゅうせいの にちがつに したがうが ごとし.
諸天の 帝釈を うやまひ 衆星の 日月に 随うが ごとし.

われら ぼんぷは いずれの しし なりとも しんずる ならば ふそく あるべからず.
我等 凡夫は いづれの 師師 なりとも 信ずる ならば 不足 あるべからず.

あおいで こそ しんずべけれども にちれんが ぐあん はれがたし.
仰いで こそ 信ずべけれども 日蓮が 愚案 はれがたし.

せけんを みるに おのおの われも われもと いえども こくしゅは ただ いちにん なり.
世間を みるに 各各 我も 我もと いへども 国主は 但 一人 なり.

ふたりと なれば こくど おだやか ならず.
二人と なれば 国土 おだやか ならず.

いえに ふたりの しゅ あれば その いえ かならず やぶる.
家に 二の 主 あれば 其の 家 必ず やぶる.

いっさいきょうも また かくのごとくや あるらん.
一切経も 又 かくのごとくや 有るらん.

いずれの きょうにても おわせ.
何の 経にても をはせ.

いっきょうこそ いっさいきょうの だいおうにては おわすらめ.
一経 こそ 一切経の 大王にては をはすらめ.

しかるに 10しゅう 7しゅう まで おのおの じょうろんして したがわず.
而るに 十宗 七宗 まで 各各 諍論して 随はず.

くにに 7にん 10にんの だいおうありて ばんみん おだやか ならじ.
国に 七人 十人の 大王 ありて 万民 をだやか ならじ.

いかんがせんと うたがう ところに ひとつの がんを たつ.
いかんがせんと 疑う ところに  一の 願を 立つ.

われ 8しゅう 10しゅうに したがわじ.
我れ 八宗 十宗に 随はじ.

てんだいだいしの もっぱら きょうもんを し として.
天台大師の 専ら 経文を 師 として.

1だいの しょうれつを かんがえしが ごとく いっさいきょうを ひらきみるに.
一代の 勝劣を かんがへしが ごとく 一切経を 開きみるに.

ねはんぎょうと もうす きょうに いわく.
涅槃経と 申す 経に 云く.

「ほうに よって にんに よらざれ」とう うんぬん.
「法に 依つて 人に 依らざれ」等 云云.

えほうと もうすは いっさいきょう.
依法と 申すは 一切経.

ふえにんと もうすは ほとけを のぞき たてまつりて ほかの ふげんぼさつ もんじゅしりぼさつ.
不依人と 申すは 仏を 除き 奉りて 外の 普賢菩薩 文殊師利菩薩.

ないし かみに あぐるところの もろもろの にんし なり.
乃至 上に あぐる ところの 諸の 人師 なり.

この きょうに また いわく.
此の 経に 又 云く.

「りょうぎきょうに よって ふりょうぎきょうに よらざれ」とう うんぬん.
「了義経に 依つて 不了義経に 依らざれ」等 云云.

この きょうに しめす ところ りょうぎきょうと もうすは ほけきょう.
此の 経に 指す ところ 了義経と 申すは 法華経.

ふりょうぎきょうと もうすは けごんきょう  だいにちきょう  ねはんぎょうとうの いこんとうの いっさいきょう なり.
不了義経と 申すは 華厳経 大日経 涅槃経等の 已今当の 一切経 なり.

されば ほとけの ゆいごんを しんずる ならば.
されば 仏の 遺言を 信ずる ならば.

もっぱら ほけきょうを みょうきょうとして いっさいきょうの こころをば しるべきか.
専ら 法華経を 明鏡として 一切経の 心をば しるべきか.

したがって ほけきょうの もんを ひらき たてまつれば.
随つて 法華経の 文を 開き 奉れば.

「この ほけきょうは しょきょうの なかに おいて もっとも その かみに あり」とう うんぬん.
「此の 法華経は 諸経の 中に 於て 最も 其の 上に 在り」等 云云.

この きょうもんの ごとくば しゅみせんの いただきに たいしゃくの おるがごとく.
此の 経文の ごとくば 須弥山の 頂に 帝釈の 居がごとく.

りんおうの いただきに にょいほうじゅの あるが ごとく しゅぼくの いただきに つきの やどるが ごとく.
輪王の 頂に 如意宝珠の あるが ごとく 衆木の 頂に 月の やどるが ごとく.

しょぶつの いただきに にっけいの じゅうせるが ごとく.
諸仏の 頂に 肉髻の 住せるが ごとく.

この ほけきょうは けごんきょう だいにちきょう ねはんぎょう とうの いっさいきょうの ちょうじょうの にょいほうじゅ なり.
此の 法華経は 華厳経 大日経 涅槃経 等の 一切経の 頂上の 如意宝珠 なり.

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されば もっぱら ろんし にんしを すてて きょうもんに よるならば.
されば 専ら 論師 人師を すてて 経文に 依る ならば.

だいにちきょう けごんきょう とうに ほけきょうの すぐれ たまえる ことは.
大日経 華厳経 等に 法華経の 勝れ 給える ことは.

にちりんの せいてんに しゅつげんせるとき まなこ あきらかなる ものの てんちを みるが ごとく.
日輪の 青天に 出現せる 時 眼 あきらかなる 者の 天地を 見るが ごとく.

こうげ おんねん なり.
高下 宛然 なり.

また だいにちきょう けごんきょうとうの いっさいきょうを みるに.
又 大日経 華厳経 等の 一切経を みるに.

この きょうもんに そうじの きょうもん いちじ いってんも なし.
此の 経文に 相似の 経文 一字 一点も なし.

あるいは しょうじょうきょうに たいして しょうれつを とかれ.
或は 小乗経に 対して 勝劣を とかれ.

あるいは ぞくたいに たいして しんたいを とき.
或は 俗諦に 対して 真諦を とき.

あるいは もろもろの くうけに たいして ちゅうどうを ほめたり.
或は 諸の 空仮に 対して 中道を ほめたり.

たとえば しょうこくの おうが わがくにの しんかに たいして だいおうと いうが ごとし.
譬へば 小国の 王が 我が国の 臣下に 対して 大王と いうが ごとし.

ほけきょうは しょおうに たいして だいおう とうと うんぬん.
法華経は 諸王に 対して 大王 等と 云云.

ただ ねはんぎょう ばかりこそ ほけきょうに そうじの きょうもんは そうらえ.
但 涅槃経 計こそ 法華経に 相似の 経文は 候へ.

されば てんだい いぜんの なんぼくの しょしは めいわくして ほけきょうは ねはんぎょうに おとると うんぬん.
されば 天台 已前の 南北の 諸師は 迷惑して 法華経は 涅槃経に 劣と 云云.

されども もっぱら きょうもんを ひらきみるには むりょうぎきょうの ごとく.
されども 専ら 経文を 開き 見るには 無量義経の ごとく.

けごん あごん ほうとう はんにゃとうの しじゅうよねんの きょうぎょうを あげて.
華厳 阿含 方等 般若 等の 四十余年の 経経を あげて.

ねはんぎょうに たいして わがみ まさると といて.
涅槃経に 対して 我がみ 勝ると とひて.

また ほけきょうに たいする ときは この きょうの しゅっせは.
又 法華経に 対する 時は 是の 経の 出世は.

ないし ほっけの なかの はっせんの しょうもんに きべつを さずくる ことを えて.
乃至 法華の 中の 八千の 声聞に 記ベツを 授くる ことを 得て.

だいかじつを じょうずるが ごとき しゅうしゅうとうぞうして.
大菓実を 成ずるが 如き 秋収冬蔵して.

さらに しょさ なきが ごとし とうと うんぬん.
更に 所作 無きが 如し 等と 云云.

われと ねはんぎょうは ほけきょうには おとると とける きょうもん なり.
我れと 涅槃経は 法華経には 劣ると とける 経文 なり.

こう きょうもんは ふんみょう なれども なんぼくの だいちの しょにんの まようて ありし きょうもん なれば.
かう 経文は 分明 なれども 南北の 大智の 諸人の 迷うて 有りし 経文 なれば.

まつだいの がくしゃ よくよく まなこを とどむべし.
末代の 学者 能く能く 眼を とどむべし.

この きょうもんは ただ ほけきょう ねはんぎょうの しょうれつ のみならず.
此の 経文は 但 法華経 涅槃経の 勝劣 のみならず.

じっぽうせかいの いっさいきょうの しょうれつをも しりぬべし.
十方世界の 一切経の 勝劣をも しりぬべし.

しかるを きょうもんにこそ まようとも てんだい みょうらく でんぎょうだいしの ごりょうけんの のちは.
而るを 経文に こそ 迷うとも 天台 妙楽 伝教大師の 御料簡の 後は.

まなこ あらん ひとびとは しりぬべき ことぞかし.
眼 あらん 人人は しりぬべき 事ぞかし.

しかれども てんだいしゅうの ひとたる じかく ちしょうすら なお.
然れども 天台宗の 人たる 慈覚 智証すら 猶.

この きょうもんに くらし いわうや よしゅうの ひとびとをや.
此の 経文に くらし いわうや 余宗の 人人をや.

ある ひと うたがって いわく.
或る 人 疑つて 云く.

かんど にほんに わたりたる きょうぎょうに こそ ほけきょうに すぎたる きょうは おわせずとも.
漢土 日本に わたりたる 経経に こそ 法華経に 勝たる 経は をはせずとも.

がっし りゅうぐう しおう にちがつ とうりてん とそつてん なんどには.
月氏 竜宮 四王 日月 トウ利天 都率天 なんどには.

ごうがしゃの きょうぎょう まします なれば.
恒河沙の 経経 まします なれば.

そのなかに ほけきょうに すぐれさせ たもう おんきょうや ましますらん.
其中に 法華経に 勝れさせ 給う 御経や ましますらん.

こたえて いわく.
答て 云く.

いちを もって まんを さっせよ.
一を もつて 万を 察せよ.

ていこを いでずして てんかを しるとは これなり.
庭戸を 出でずして 天下を しるとは これなり.

ちじんが うたがって いわく.
癡人が 疑つて 云く.

われらは なんてんを みて とうざいほくの さんくうを みず.
我等は 南天を 見て 東西北の 三空を 見ず.

かの さんぽうの そらに この にちりん より べつの ひや ましますらん.
彼の 三方の 空に 此の 日輪 より 別の 日や ましますらん.

やまを へだて けむりの たつを みて ひを みざれば.
山を 隔て 煙の 立つを 見て 火を 見ざれば.

けむりは いちじょう なれども ひ にてや なかるらん.
煙は 一定 なれども 火 にてや  なかるらん.

かくの ごとく いわん ものは いっせんだいの ひとと しるべし.
かくの ごとく いはん 者は 一闡提の 人と しるべし.

いきめくらに ことならず.
生盲に ことならず.

ほけきょうの ほっしほんの しゃかにょらい きんくの じょうごんを もって.
法華経の 法師品に 釈迦如来 金口の 誠言を もつて.

ごじゅうよねんの いっさいきょうの しょうれつを さだめて いわく.
五十余年の 一切経の 勝劣を 定めて 云く.

「われ しょせつの きょうてんは むりょうせんまんおくにして すでに とき いま とき まさに とかん.
「我 所説の 経典は 無量千万億にして 已に 説き 今 説き 当に 説ん.

しかも その なかに おいて この ほけきょうは もっとも これ なんしんなんげ なり」とう うんぬん.
而も 其の 中に 於て 此 法華経は 最も 為 難信難解 なり」等 云云.

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この きょうもんは ただ しゃかにょらい いちぶつの せつ  なりとも.
此の 経文は 但 釈迦如来 一仏の 説  なりとも.

とうかく いげは あおいで しんずべき うえ.
等覚 已下は 仰いで 信ずべき 上.

たほうぶつ とうほうより きたりて しんじつ なりと しょうめいし.
多宝仏 東方より 来りて 真実 なりと 証明し.

じっぽうの しょぶつ あつまりて しゃかぶつと おなじく こうちょうぜつを ぼんてんに つけ たまいて のち.
十方の 諸仏 集りて 釈迦仏と 同く 広長舌を 梵天に 付け 給て 後.

おのおの くにぐにへ かえらせ たまいぬ.
各各  国国へ 還らせ 給いぬ.

いこんとうの 3じは 50ねん ならびに じっぽう さんぜの しょぶつへの おんきょう.
已今当の 三字は 五十年 並びに 十方 三世の 諸仏えの 御経.

いちじ いってんも のこさず ひきのせて ほけきょうに たいして とかせ たまいて そうろうを.
一字 一点も のこさず 引き載せて 法華経に 対して 説せ 給いて 候を.

じっぽうの しょぶつ この ざにして ごはんぎょうを くわえさせ たまい.
十方の 諸仏 此 座にして 御判形を 加えさせ 給い.

おのおの また じこくに かえらせ たまいて わが でしらに むかわせ たまいて.
各各 又 自国に 還らせ 給いて 我 弟子等に 向わせ 給いて.

ほけきょうに すぐれたる おんきょう ありと とかせ たまわば.
法華経に 勝れたる 御経 ありと 説せ 給はば.

その しょけの でしら しんよう すべしや.
其の 所化の 弟子等 信用 すべしや.

また われは みざれば がっし りゅうぐう してん にちがつらの きゅうでんの なかに.
又 我は 見ざれば 月氏 竜宮 四天 日月等の 宮殿の 中に.

ほけきょうに すぐれさせ たまいたる きょうや おわしますらんと うたがいを なすは.
法華経に 勝れさせ 給いたる 経や おはしますらんと 疑いを なすは.

されば ぼんしゃく にちがつ してん りゅうおうは ほけきょうの みざには なかりけるか.
されば 梵釈 日月 四天 竜王は 法華経の 御座には なかりけるか.

もし にちがつ とうの しょてん ほけきょうに すぐれたる おんきょう まします.
若し 日月 等の 諸天 法華経に 勝れたる 御経 まします.

なんじは しらずと おおせ あるならば だいおうわくの にちがつ なるべし.
汝は しらずと 仰せ あるならば 大誑惑の 日月 なるべし.

にちれん せめて いわく.
日蓮 せめて 云く.

にちがつは こくうに じゅうし たまえども われらが だいちに しょするが ごとくして.
日月は 虚空に 住し 給へども 我等が 大地に 処するが ごとくして.

だらくし たまわざる ことは じょうぼんのふもうごかいの ちから ぞかし.
堕落し 給はざる 事は 上品の 不妄語戒の 力 ぞかし.

ほけきょうに すぐれたる おんきょう ありと おおせある だいもうご あるならば.
法華経に 勝れたる 御経 ありと 仰せある 大妄語 あるならば.

おそらくは いまだ えこうに いたらざるに だいちの うえに どうと おち そうらわんか.
恐らくは いまだ 壊劫に いたらざるに 大地の 上に どうと おち 候はんか.

むけんだいじょうの さいげの けんてつに あらずば とどまり がたからんか.
無間大城の 最下の 堅鉄に あらずば とどまり がたからんか.

だいもうごの ひとは しゅゆも くうに しょして.
大妄語の 人は 須臾も 空に 処して.

してんげを まわり たもう べからずと せめ たてまつるべし.
四天下を 廻り 給う べからずと せめ たてまつるべし.

しかるを けごんしゅうの ちょうかんら しんごんしゅうの ぜんむい こんごうち ふくう.
而るを 華厳宗の 澄観等 真言宗の 善無畏 金剛智 不空.

こうぼう じかく ちしょうらの だいちの さんぞうだいしらの.
弘法  慈覚  智証等の 大智の 三蔵大師等の.

けごんきょう だいにちきょうとうは ほけきょうに すぐれたりと たて たまわば.
華厳経 大日経等は 法華経に 勝れたりと 立て 給わば.

われらが ぶんざいには およばぬ こと なれども.
我等が 分斉には 及ばぬ 事 なれども.

だいどうりの おす ところは あに しょぶつの だいおんてきに あらずや.
大道理の をす ところは 豈 諸仏の 大怨敵に あらずや.

だいば くぎゃりも ものならず.
提婆 瞿伽梨も ものならず.

だいてん だいまん そとに もとむ べからず.
大天 大慢 外に もとむ べからず.

かの ひとびとを しんずる やからは おそろし おそろし.
かの 人人を 信ずる 輩は をそろし をそろし.

とうて いわく.
問て 云く.

けごんの ちょうかん さんろんの かじょう ほっそうの じおん しんごんの ぜんむい.
華厳の 澄観 三論の 嘉祥 法相の 慈恩 真言の 善無畏.

ないし こうぼう じかく ちしょうらを ほとけの かたきと のたまうか.
乃至 弘法 慈覚 智証等を 仏の 敵と の給うか

こたえて いわく これ だいなる なん なり.
答えて 云く 此 大なる 難 なり.

ぶっぽうに いりて だいいちの だいじ なり.
仏法に 入りて 第一の 大事 なり.

ぐげんを もって きょうもんを みるには ほけきょうに すぐれたる きょうありと いわん ひとは.
愚眼を もつて 経文を 見るには 法華経に 勝れたる 経ありと いはん 人は.

たとい いかなる ひとなりとも ほうぼうは まぬかれじと みえて そうろう.
設い いかなる 人 なりとも 謗法は 免れじと 見えて 候.

しかるを きょうもんの ごとく もうすならば.
而るを 経文の ごとく 申すならば.

いかでか この しょにん ぶってき たらざるべき.
いかでか 此の 諸人 仏敵 たらざるべき.

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もし また おそれを なして さし もうさずは いっさいきょうの しょうれつ むなしかるべし.
若し 又 恐を なして 指し 申さずは 一切経の 勝劣 むなしかるべし.

また この ひとびとを おそれて まつの ひとびとを ぶってきと いわんと すれば.
又 此 人人を 恐れて 末の 人人を 仏敵と いはんと すれば.

かの しゅうじゅうの まつの ひとの いわく.
彼の 宗宗の 末の 人の 云く.

ほけきょうに だいにちきょうを まさりたりと もうすは.
法華経に 大日経を まさりたりと 申すは.

われ わたくしの はからいには あらず そしの おんぎ なり.
我れ 私の 計には あらず 祖師の 御義 なり.

かいぎょうの じは ちえの しょうれつ みの じょうげは ありとも.
戒行の 持破・ 智慧の 勝劣・ 身の 上下は ありとも.

しょがくの ほうもんは たがうこと なしと もうせば かの ひとびとに とがなし.
所学の 法門は たがふ事 なしと 申せば 彼 人人に とがなし.

また にちれん これを しりながら ひとびとを おそれて もうさずは.
又 日蓮 此れを 知りながら 人人 恐れて 申さずは.

むしろ しんみょうを うしなうとも・きょうを かくさざれ の ぶっだの かんぎょうを もちいぬ ものと なりぬ.
寧喪身命 不匿教者の 仏陀の 諌暁を 用いぬ 者と なりぬ.

いかんがせん いわんと すれば せけん おそろし.
いかんがせん いはんと すれば 世間 をそろし.

やめんと すれば ほとけの かんぎょう のがれがたし.
止と すれば 仏の 諌暁 のがれがたし.

しんたい ここに きわまれり むべなるかなや.
進退 此に 谷り むべなるかなや.

ほけきょうの もんに いわく.
法華経の 文に 云く.

「しかも このきょうは にょらいの げんざいに すら なお おんしつ おおし.
「而かも 此経は 如来の 現在にすら 猶 怨嫉 多し.

いわんや めつどの のちをや」.
況んや  滅度の 後をや」.

また いわく いっさい せけん あだ おおくして しんじがたし とう うんぬん.
又 云く 一切 世間 怨 多くして 信じ難し 等 云云.

しゃかぶつを まやふじん はらませ たまいたり ければ.
釈迦仏を 摩耶夫人 はらませ  給いたり ければ.

だいろくてんの まおう まやふじんの おんはらを とおし みて.
第六天の 魔王 摩耶夫人の 御腹を とをし 見て.

われらが だいおんてき ほけきょうと もうす りけんを はらみたり.
我等が 大怨敵 法華経と 申す 利剣を はらみたり.

ことの じょうぜぬ さきに いかに してか うしなうべき.
事の 成ぜぬ 先に いかに してか 失うべき.

だいろくてんの まおう だいいと へんじて じょうぼんのうぐうに いり.
第六天の 魔王 大医と 変じて 浄飯王宮に 入り.

ごさん あんのんの りょうやくを もちそうろう だいい ありと ののしりて どくを きさきに まいらせつ.
御産 安穏の 良薬を  持候 大医 ありと ののしりて 毒を 后に まいらせつ.

しょしょうの ときは いしを ふらし ちちに どくを まじえ.
初生の 時は 石を ふらし 乳に 毒を まじへ.

しろを いでさせ たまいしには くろき どくじゃと へんじて みちに ふさがり.
城を 出でさせ 給いしには 黒き 毒蛇と 変じて 道に ふさがり.

ないし だいば くぎゃり はるりおう あじゃせおうらの あくにんの みに いりて.
乃至 提婆 瞿伽利 波瑠璃王 阿闍世王等の 悪人の 身に 入りて.

あるいは たいせきを なげて ほとけの おんみ より ちを いだし.
或は 大石を なげて 仏の 御身 より 血を いだし.

あるいは しゃくしを ころし あるいは みでしらを ころす.
或は 釈子を ころし 或は 御弟子等を 殺す.

これらの だいなんは みな とおくは ほけきょうを ほとけ せそんに とかせ まいらせじと.
此等の 大難は 皆 遠くは 法華経を 仏 世尊に 説かせ まいらせじと.

たばかりし にょらい げんざい ゆた おんしつの だいなん ぞかし.
たばかりし 如来 現在 猶多 怨嫉の 大難 ぞかし.

これらは とおき なん なり.
此等は 遠き 難 なり.

ちかき なんには しゃりほつ もくれん しょだいぼさつらも.
近き 難には 舎利弗 目連 諸大菩薩等も.

しじゅうよねんが あいだは ほけきょうの だいおんてきの うち ぞかし.
四十余年が 間は 法華経の 大怨敵の 内 ぞかし.

きょうめつどごと もうして みらいの よには.
況滅度後と 申して 未来の 世には.

また この だいなんよりも すぐれて おそろしき だいなん あるべしと とかれて そうろう.
又  此の  大難 よりも すぐれて をそろしき 大難 あるべしと とかれて 候.

ほとけだにも しのび がたかりける だいなんをば ぼんぷは いかでか しのぶべき.
仏だにも 忍び がたかりける 大難をば 凡夫は いかでか 忍ぶべき.

いわうや ざいせ より だいなる だいなんにて あるべかんなり.
いわうや 在世 より 大なる 大難にて あるべかんなり.

いかなる だいなんか.
いかなる 大難か.

だいばが たけ さんじょう ひろさ いちじょう ろくしゃくの たいせき.
提婆が 長 三丈 広 一丈 六尺の 大石.

あじゃせおうの すいぞうには すぐべきとは おもえども.
阿闍世王の 酔象には すぐべきとは おもへども.

かれにも すぐるべく そうろう なれば.
彼にも すぐるべく 候 なれば.

しょうしつ なくとも だいなんに たびたび あう ひとを こそ.
小失 なくとも 大難に 度度 値う 人を こそ.

めつごの ほけきょうの ぎょうじゃとは しり そうらわめ.
滅後の 法華経の 行者とは しり 候はめ.

ふほうぞうの ひとびとは しえの ぼさつ ほとけの おんつかい なり.
付法蔵の 人人は 四依の 菩薩 仏の 御使 なり.

だいばぼさつは げどうに ころされ ししそんじゃは だんみらおうに こうべを はねられ.
提婆菩薩は 外道に 殺され  師子尊者は 檀弥羅王に 頭を 刎ねられ.

ぶっだ みった りゅうじゅぼさつらは あかはたを 7ねん 12ねん さし とおす.
仏陀 密多 竜樹菩薩等は 赤幡を 七年 十二年 さし とをす.

めみょうぼさつは きんせん 3おくが かわりと なり.
馬鳴菩薩は 金銭 三億が かわりと なり.

にょいろんしは おもいじにに しす.
如意論師は おもひじにに 死す.

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b298

これらは しょうほう いっせんねんの うち なり.
此れ等は 正法 一千年の 内 なり.

ぞうほうに いって 500ねん ほとけ めつご 1500年と もうせし とき.
像法に 入つて 五百年 仏 滅後 一千五百年と 申せし 時.

かんどに いちにんの ちじん あり.
漢土に 一人の 智人 あり.

はじめは ちぎ のちには ちしゃだいしと ごうす.
始は 智顗 後には 智者大師と がうす.

ほけきょうの ぎを ありのままに ぐづうせんと おもい たまいしに.
法華経の 義を ありのままに 弘通せんと 思い 給しに.

てんだい いぜんの ひゃくせんまんの ちしゃ しなじなに いちだいを はんぜ しかども.
天台 已前の 百千万の 智者 しなじなに 一代を 判ぜ しかども.

せんして 10りゅうと なりぬ.
詮して 十流と なりぬ.

いわゆる なんさんほくしち なり.
所謂 南三北七 なり.

10りゅう ありしかども いちりゅうを もて さいと せり.
十流 ありしかども 一流を もて 最と せり.

いわゆる なんさんの なかの だいさんの こうたくじの ほううんほっし これなり.
所謂 南三の 中の 第三の 光宅寺の 法雲法師 これなり.

この ひとは いちだいの ぶっきょうを いつつに わかつ.
此の 人は 一代の 仏教を 五に わかつ.

その いつつの なかに 3きょうを えらび いだす.
其の 五の 中に 三経を えらび いだす.

いわゆる けごんきょう ねはんぎょう ほけきょう なり.
所謂 華厳経 涅槃経 法華経 なり.

いっさいきょうの なかには けごんきょう だいいち だいおうの ごとし.
一切経の 中には 華厳経 第一 大王の ごとし.

ねはんぎょう だいに せっしょう かんぱくの ごとし.
涅槃経 第二 摂政 関白の ごとし.

だいさん ほけきょうは くぎょう とうの ごとし.
第三 法華経は 公卿等の ごとし.

これより いげ0は ばんみんの ごとし.
此れより 已下は 万民の ごとし.

この ひとは もとより ちえ かしこき うえ.
此の 人は 本より 智慧 かしこき 上.

えかん えごん そうじゅう えじなんど もうせし だいちしゃより ならい つたえ たまわる のみならず.
慧観 慧厳 僧柔 慧次 なんど 申せし 大智者より 習ひ 伝え 給る のみならず.

なんぼくの しょしの ぎを せめ やぶり.
南北の 諸師の 義を せめ やぶり.

さんりんに まじわりて ほけきょう ねはんぎょう けごんきょうの こうを つもりし うえ.
山林に まじわりて 法華経 涅槃経 華厳経の 功を つもりし 上.

りょうの ぶてい めし いだして だいりの うちに てらを たて.
梁の 武帝 召し 出して 内裏の 内に 寺を 立て.

こうたくじと なずけて この ほっしを あがめ たまう.
光宅寺と なづけて 此の 法師を あがめ 給う.

ほけきょうを こうぜしかば てんより はな ふること ざいせの ごとし.
法華経を かうぜしかば 天 より 花 ふること 在世の ごとし.

てんかん 5ねんに だいかんばつ ありしかば.
天鑒 五年に 大旱魃 ありしかば.

この ほううんほっしを しょうじ たてまつりて ほけきょうを こうぜさせ まいらせしに.
此の 法雲法師を 請じ 奉りて 法華経を 講ぜさせ まいらせしに.

やくそうゆほんの その あめ あまねく ひとしくして しほうに ともに ふりと もうす2くを こうぜさせ たまいし とき.
薬草喩品の 其 雨 普 等 四方 倶 下と 申す 二句を 講ぜさせ 給いし 時.

てん より かんう ふりたり しかば.
天 より 甘雨 下たり しかば.

てんし ぎょかんの あまりに げんに そうじょうに なしまいらせて.
天子 御感の あまりに 現に 僧正に なしまいらせて.

しょてんの てんしゃくに つかえ ばんみんの こくおうを おそるるが ごとく.
諸天の 帝釈に つかえ 万民の 国王を をそるるが ごとく.

われと つかえ たまいし うえ あるひと ゆめみらく.
我と つかへ 給いし 上 或人 夢く.

このひとは かこの とうみょうぶつの ときより ほけきょうを こうぜる ひと なり.
此人は 過去の 灯明仏の 時より 法華経を かうぜる 人 なり.

ほけきょうの しょ 4かん あり.
法華経の 疏 四巻 あり.

この しょに いわく.
此の 疏に 云く.

「この きょう いまだ せきねん ならず」.
「此 経 未だ 碩然 ならず」.

また いわく「いの ほうべん」とう うんぬん.
亦 云く「異の 方便」 等 云云.

まさしく ほけきょうは いまだ ぶつりを きわめざる きょうと かかれて そうろう.
正く 法華経は いまだ 仏理を きわめざる 経と 書かれて 候.

この ひとの おんぎ ぶっちに あいかない たまいければ こそ.
此の 人の 御義 仏意に 相ひ叶ひ 給いければ こそ.

てん より はなも ふり あめも ふり そうらいけらめ.
天 より 花も 下り 雨も ふり 候けらめ.

かかる いみじき ことにて そうらいしかば かんどの ひとびと さては.
かかる いみじき 事にて 候しかば 漢土の 人人 さては.

ほけきょうは けごんきょう ねはんぎょうには おとるにて こそ あるなれと おもいし うえ.
法華経は 華厳経 涅槃経には 劣にて こそ あるなれと 思いし 上.

しらぎ くだら こうらい にほんまで この しょ ひろまりて.
新羅 百済 高麗 日本まで 此の 疏 ひろまりて.

だいたい いちどうの ぎ にて そうらいしに.
大体 一同の 義 にて 候しに.

ほううんほっし ごしきょ ありて いくばく ならざるに.
法雲法師 御死去 ありて いくばく ならざるに.

りょうの すえ ちんの はじめに ちぎほっしと もうす しょうそう しゅったいせり.
梁の 末 陳の 始に 智顗法師と 申す 小僧 出来せり.

なんがくだいしと もうせし ひとの みでし なり しかども.
南岳大師と 申せし 人の 御弟子 なり しかども.

しの ぎも ふしんに ありけるかの ゆえに.
師の 義も 不審に ありけるかの  ゆへに.

いっさいきょうぞうに いって たびたび ごらん ありしに.
一切経蔵に 入つて 度度 御らん ありしに.

けごんきょう ねはんぎょう ほけきょうの さんきょうに せんじ いだし.
華厳経 涅槃経 法華経の 三経に 詮じ いだし.

この さんきょうの なかに ことに けごんきょうを こうじ たまいき.
此の 三経の 中に 殊に 華厳経を 講じ 給いき.

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べっして らいもんを つくりて ひびに こうを なし たまい しかば.
別して 礼文を 造りて 日日に 功を なし 給い しかば.

せけんの ひと おもわく.
世間の 人 おもわく.

この ひとも けごんきょうを だいいちと おぼすかと みえし ほどに.
此 人も 華厳経を 第一と おぼすかと  見えし ほどに.

ほううんほっしが いっさいきょうの なかに けごん だいいち ねはん だいに ほっけ だいさんと たてたるが.
法雲法師が 一切経の 中に 華厳 第一・ 涅槃 第二・ 法華 第三と 立てたるが.

あまりに ふしん なりける ゆえに ことに けごうきょうを ごらん ありけるなり.
あまりに 不審 なりける 故に ことに 華厳経を 御らん ありけるなり.

かくて いっさいきょうの なかに ほっけ だいいち ねはん だいに けごん だいさんと.
かくて 一切経の 中に 法華 第一・ 涅槃 第二・ 華厳 第三と.

みさだめさせ たまいて なげき たもう ようは.
見定めさせ 給いて なげき 給う やうは.

にょらいの しょうきょうは かんどに わたれども ひとを りやくすること なし.
如来の 聖教は 漢土に わたれども 人を 利益 すること なし.

かえりて いっさいしゅじょうを あくどうに みちびくこと にんしの あやまりに よれり.
かへりて 一切衆生を 悪道に 導びく こと 人師の 誤りに よれり.

れいせば くにの おさ とある ひと ひがしを にしと いい.
例せば 国の 長 とある 人 東を 西と いゐ.

てんを ちと いい いだしぬれば ばんみんは かくの ごとくに こころ うべし.
天を 地と いゐ いだしぬれば 万民は かくの ごとくに 心 うべし.

のちに いやしき もの しゅったいして なんじらが にしは ひがし.
後に いやしき 者 出来して 汝等が 西は 東.

なんじらが てんは ち なりと いわば もちうる ことなき うえ.
汝等が 天は 地 なりと いはば もちうる ことなき 上.

わが ちょうの こころに かなわんが ために いまの ひとを のりうち なんど すべし.
我が 長の 心に 叶わん がために 今の 人を のりうち なんど すべし.

いかんがせんとは おぼせしかども さてもだすべきに あらねば.
いかんがせんとは おぼせしかども さてもだすべきに あらねば.

こうたくじの ほううんほっしは ほうぼうに よって じごくに おちぬと ののしられ たまう.
光宅寺の 法雲法師は 謗法に よつて 地獄に 堕ちぬと ののしられ 給う.

そのとき なんぼくの しょし はちの ごとく ほうきし.
其の時 南北の 諸師 はちの ごとく 蜂起し.

からすの ごとく うごうせり.
からすの ごとく 烏合せり.

ちぎほっしをば こうべを わるべきか くにを おうべきか なんど もうせし ほどに.
智顗法師をば 頭を わるべきか 国を をうべきか なんど 申せし 程に.

ちんしゅ これを きこしめして なんぼくの すうにんに めしあわせて.
陳主 此れを きこしめして 南北の 数人に 召し合せて.

われと せつざして きかせ たまいき.
我と 列座して きかせ 給いき.

ほううんほっしが でしらの ええい ほうさい えいこう えごう なんど もうせし.
法雲法師が 弟子等の 慧栄 法歳 慧曠 慧ゴウ なんど 申せし.

そうじょう そうず いじょうの ひとびと ひゃくよにん なり.
僧正 僧都 已上の 人人 百余人 なり.

おのおの あっこうを さきとし まゆを あげ まなこを いからし てを あげ ひょうしを たたく.
各各 悪口を 先とし 眉を あげ 眼を いからし 手を あげ 柏子を たたく.

しかれども ちぎほっしは まつざに ざして いろを へんぜず.
而れども 智顗法師は 末座に 坐して 色を 変ぜず.

ことばを あやまらず いぎ しずかにして しょそうの ことばを いちいちに ちょうを とり.
言を アヤマらず 威儀 しづかにして 諸僧の 言を 一一に 牒を とり.

ことば ごとに せめかえす.
言 ごとに せめかえす.

おしかえして なんじて いわく.
をしかへして 難じて 云く.

そもそも ほううんほっしの おんぎに だいいち けごん だいに ねはん だいさん ほっけと.
抑も 法雲法師の 御義に 第一 華厳・ 第二 涅槃・ 第三 法華と.

たてさせ たまいける しょうもんは いずれの きょうぞ.
立させ 給いける 証文は 何れの 経ぞ.

たしかに あきらかなる しょうもんを いださせ たまえと せめしかば.
慥かに 明かなる 証文を 出ださせ 給えと せめしかば.

おのおの こうべを うつぶせ いろを うしないて いちごんの へんじ なし.
各各 頭を うつぶせ 色を 失いて 一言の 返事 なし.

かさねて せめて いわく.
重ねて せめて 云く.

むりょうぎきょうに ただしく じせつ ほうとう じゅうにぶきょう まかはんにゃ けごん かいくう とう うんぬん.
無量義経に 正しく 次説 方等 十二部経 摩訶般若 華厳 海空 等 云云.

ほとけ われと けごんきょうの なを よびあげて むりょうぎきょうに たいして.
仏 我と 華厳経の 名を よびあげて 無量義経に 対して.

みけんしんじつと うちけし たもう ほけきょうに おとりて そうろう.
未顕真実と 打ち消し 給う 法華経に 劣りて 候.

むりょうぎきょうに けごんきょうは せめられて そうらいぬ いかに こころ えさせ たまいて.
無量義経に 華厳経は せめられて 候ぬ いかに 心 えさせ 給いて.

けごんきょうをば いちだい だいいちとは そうらいけるぞ.
華厳経をば 一代 第一とは 候けるぞ.

おのおの おんしの おんかとうど せんと おぼさば この きょうもんを やぶりて.
各各 御師の 御かたうど せんと をぼさば 此の 経文を やぶりて.

これに すぐれたる きょうもんを とり いだして.
此れに 勝れたる 経文を 取り 出だして.

おんしの おんぎを たすけたまえと せめたり.
御師の 御義を 助けたまえと せめたり.

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また ねはんぎょうを ほけきょうに まさるると そうらいけるは いかなる きょうもんぞ.
又 涅槃経を 法華経に 勝るると 候けるは いかなる 経文ぞ.

ねはんぎょうの だいじゅうよんには けごん あごん ほうどう はんにゃを あげて.
涅槃経の 第十四には 華厳 阿含 方等 般若を あげて.

ねはんぎょうに たいして しょうれつは とかれて そうらえども.
涅槃経に 対して 勝劣は 説れて 候へども.

まったく ほけきょうと ねはんぎょうとの しょうれつは みえず.
まつたく 法華経と 涅槃経との 勝劣は みへず.

つぎ かみの だいくの まきに ほけきょうと ねはんぎょうとの しょうれつ ふんみょう なり.
次 上の 第九の 巻に 法華経と 涅槃経との 勝劣 分明 なり.

いわゆる きょうもんに いわく.
所謂 経文に 云く.

「この きょうの しゅっせは ないし ほっけの なかの はっせんの しょうもん.
「是の 経の 出世は 乃至 法華の 中の 八千の 声聞.

きべつを うくることを えて だいかじつを じょうずるが ごとき.
記ベツを 受くる ことを 得て 大菓実を 成ずるが 如き.

しゅうしゅうとうぞうして さらに しょさ なきが ごとし」とう うんぬん.
秋収冬蔵して 更に 所作 無きが 如し」等 云云.

きょうもん あきらかに しょきょうをば しゅんかと とかせ たまい.
経文 明に 諸経をば 春夏と 説かせ 給い.

ねはんぎょうと ほけきょうとをば かじつの くらいとは とかれて そうらえども.
涅槃経と 法華経とをば 菓実の 位とは 説かれて 候へども.

ほけきょうをば しゅうしゅうとうぞうの だいかじつの くらい.
法華経をば 秋収冬蔵の 大菓実の 位.

ねはんぎょうをば あきの すえ ふゆの はじめ くんじゅうの くらいと さだめ たまいぬ.
涅槃経をば 秋の 末 冬の 始 クン拾の 位と 定め 給いぬ.

この きょうもん まさしく ほけきょうには わが み おとると しょうぶくし たまいぬ.
此の 経文 正く 法華経には 我が 身 劣ると 承伏し 給いぬ.

ほけきょうの もんには いせつ こんせつ とうせつと もうして.
法華経の 文には 已説 今説 当説と 申して.

この ほけきょうは さきと ならびの きょうぎょうに すぐれたる のみならず.
此の 法華経は 前と 並との 経経に 勝れたる のみならず.

のちに とかん きょうぎょうにも まさるべしと ほとけ さだめ たもう.
後に 説かん 経経にも 勝るべしと 仏 定め 給う.

すでに きょうしゅ しゃくそん かく さだめ たまい ぬれば.
すでに 教主 釈尊 かく 定め 給い ぬれば.

うたがう べきに あらねども わが めつごは いかんかと うたがい おぼして.
疑う べきに あらねども 我が 滅後は  いかんかと 疑い おぼして.

とうほう ほうじょうせかいの たほうぶつを しょうにんと たて たまい しかば.
東方 宝浄世界の 多宝仏を 証人に 立て 給い しかば.

たほうぶつ だいち より おどり いでて みょうほけきょう かいぜしんじつと しょうし.
多宝仏 大地 より をどり 出でて 妙法華経 皆是真実と 証し.

じっぽうぶんしんの しょぶつ かさねて あつまらせ たまい.
十方分身の 諸仏 重ねて あつまらせ 給い.

こうちょうぜつを だいぼんてんに つけ また きょうしゅ しゃくそんも つけ たもう.
広長舌を 大梵天に 付け 又 教主 釈尊も 付け 給う.

しかして のち たほうぶつは ほうじょうせいかへ かえり.
然して 後 多宝仏は 宝浄世界え かへり.

じっぽうの しょぶつ おのおの ほんどに かえらせ たまいて.
十方の 諸仏 各各 本土に かへらせ 給いて.

のち たほう ぶんしんの ほとけも おわせざらんに.
後 多宝 分身の 仏も おはせざらんに.

きょうしゅ しゃくそん ねはんぎょうを といて ほけきょうに まさると おおせ あらば.
教主 釈尊 涅槃経を といて 法華経に 勝ると 仰せ あらば.

みでしらは しんぜさせ たもうべしやと せめ しかば.
御弟子等は 信ぜさせ 給うべしやと せめ しかば.

にちがつの だいこうみょうの しゅらの まなこを てらすが ごとく.
日月の 大光明の 修羅の 眼を 照らすが ごとく.

かんおうの つるぎの しょこうの くびに かかりしが ごとく.
漢王の 剣の 諸侯の 頚に かかりしが ごとく.

りょうげんを とじ いっとうを うなだれたり.
両眼を とぢ 一頭を 低れたり.

てんだいだいしの みけしきは ししおうの ことの まえに ほえたるが ごとし.
天台大師の 御気色は 師子王の 狐兎の 前に 吼えたるが ごとし.

たか わしの はと きじを せめたるに にたり.
鷹 鷲の 鳩 雉を せめたるに にたり.

かくのごとく ありしかば.
かくのごとく ありしかば.

さては ほけきょうは けごんきょう ねはんぎょうにも すぐれて ありけると.
さては 法華経は 華厳経 涅槃経にも すぐれて ありけりと.

しんたん いっこくに るふする のみならず かえりて ごてんじく までも きこえ.
震旦 一国に 流布する のみならず かへりて 五天竺 までも 聞へ.

がっし だいしょうの しょろんも ちしゃだいしの おんぎには すぐれず.
月氏 大小の 諸論も 智者大師の 御義には 勝れず.

きょうしゅ しゃくそん りょうど しゅつげんし ましますか.
教主 釈尊 両度 出現し ましますか.

ぶっきょう ふたたび あらわれぬと ほめられ たまいしなり.
仏教 二度 あらはれぬと ほめられ 給いしなり.

そのご てんだいだいしも ごにゅうめつ なりぬ.
其の後 天台大師も 御入滅 なりぬ.

ちんずいの よも かわりて とうの よと なりぬ.
陳隋の 世も 代わりて 唐の 世と なりぬ.

しょうあんだいしも ごにゅうめつ なりぬ.
章安大師も 御入滅 なりぬ.

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てんだいの ぶっぽう ようやく ならい うせし ほどに.
天台の 仏法 やうやく 習い 失せし 程に.

とうの たいそうの ぎょうに げんじょうさんぞうと いいし ひと.
唐の 太宗の 御宇に 玄奘三蔵と いゐし 人.

じょうがん さんねんに はじめて がっしに いりて どう 19ねんに かえりしが.
貞観 三年に 始めて 月氏に 入りて 同 十九年に かへりしが.

がっしの ぶっぽう たずね つくして ほっそうしゅうと もうす しゅうを わたす.
月氏の 仏法 尋ね 尽くして 法相宗と 申す 宗を わたす.

この しゅうは てんだいしゅうと すいか なり.
此の 宗は 天台宗と 水火 なり.

しかるに てんだいの ごらん なかりし じんみつきょう ゆがろん ゆいしきろん とうを わたして.
而るに 天台の 御覧 なかりし 深密経 瑜伽論 唯識論 等を わたして.

ほけきょうは いっさいきょうには すぐれたれども じんみつには おとると いう.
法華経は 一切経には 勝れたれども 深密には 劣ると いう.

しかるを てんだいは ごらん なかりしかば.
而るを 天台は 御覧 なかりしかば.

てんだいの まつがくらは ちえの うすきかの ゆえに さもやと おもう.
天台の 末学等は 智慧の 薄きかの ゆへに さもやと おもう.

また たいそうは けんのう なり げんじょうの ごきえ あさからず.
又 太宗は 賢王 なり 玄奘の 御帰依 あさからず.

いうべき こと あり.
いうべき 事 あり.

しかども いつものこと なれば ときの いを おそれて もうす ひと なし.
しかども いつもの事 なれば 時の 威を おそれて 申す 人 なし.

ほけきょうを うちかえして さんじょうしんじつ いちじょうほうべん ごしょうかくべつと もうせし ことは.
法華経を 打ちかへして 三乗真実 一乗方便 五性各別と 申せし 事は.

こころ うかりし ことなり.
心 うかりし 事なり.

てんじく よりは わたれども がっしの げどうが かんどに わたれるか.
天竺 よりは わたれども 月氏の 外道が 漢土に わたれるか.

ほけきょうは ほうべん じんみつきょうは しんじつと いいしかば.
法華経は 方便・ 深密経は 真実と いゐしかば.

しゃか たほう じっぽうの しょぶつの じょうごんも かえりて むなしくなり.
釈迦 多宝 十方の 諸仏の 誠言も かへりて 虚くなり.

げんじょう じおんこそ ときの しょうしんの ほとけにては ありしか.
玄奘 慈恩こそ 時の 生身の 仏にては ありしか.

その のち そくてんこうごうの ぎょうに てんだいだいしに せめられし けごんきょうに.
其 後 則天皇后の 御宇に 天台大師に せめられし 華厳経に.

また かさねて しんやくの けごんきょう わたり しかば.
又 重ねて 新訳の 華厳経 わたり しかば.

さきの いきどをりを はたさんが ために.
さきの いきどをりを はたさんが ために.

しんやくの けごんを もって てんだいに せめられし くやくの けごんきょうを たすけて.
新訳の 華厳を もつて 天台に せめられし 旧訳の 華厳経を 扶けて.

けごんしゅうと もうす しゅうを ほうぞうほっしと もうす ひと たてぬ.
華厳宗と 申す 宗を 法蔵法師と 申す 人 立てぬ.

この しゅうは けごんきょうをば こんぽんほうりん ほけきょうをば しまつほうりんと もうすなり.
此の 宗は 華厳経をば 根本法輪・ 法華経をば 枝末法輪と 申すなり
.
なんぼくは いち けごん に ねはん さん ほっけ.
南北は 一 華厳・ 二 涅槃・ 三 法華.

てんだいだいしは いち ほっけ に ねはん さん けごん .
天台大師は 一 法華・ 二 涅槃・ 三 華厳.

いまの けごんしゅうは いち けごん に ほっけ さん ねはんとう うんぬん.
今の 華厳宗は 一 華厳・ 二 法華・ 三 涅槃等 云云.

そのご げんそうこうていの ぎょうに てんじく より.
其の後 玄宗皇帝の 御宇に 天竺 より.

ぜんむいさんぞうは だいにちきょう そしっちきょうを わたす.
善無畏三蔵は 大日経 蘇悉地経を わたす.

こんごうちさんぞうは こんごうちょうきょうを わたす.
金剛智三蔵は 金剛頂経を わたす.

また こんごうちさんぞうの でし あり ふくうさんぞう なり.
又 金剛智三蔵の 弟子 あり 不空三蔵 なり.

この さんにんは がっしの ひと すじょうも こうきなる うえ.
此の 三人は 月氏の 人 種姓も 高貴なる 上.

ひとがらも かんどの そうに にず ほうもんも なにとは しらず.
人がらも 漢土の 僧に にず 法門も なにとは しらず.

ごかん より いまに いたるまで・ なかりし いんと しんごんと いうことを あいそいて.
後漢 より 今に いたるまで なかりし 印と 真言と いう事を あひそいて.

ゆゆしかりしかば てんし こうべを かたぶけ ばんみん たなごころを あわす.
ゆゆしかりしかば 天子 かうべを かたぶけ 万民 掌を あわす.

この ひとびとの ぎに いわく.
此の 人人の 義に いわく.

けごん じんみつ はんにゃ ねはん ほけきょうとうの しょうれつは けんきょうの うち.
華厳 深密 般若 涅槃 法華経等の 勝劣は 顕教 の内.

しゃかにょらいの せつの ぶん なり.
釈迦如来の 説の 分 なり.

いまの だいにちきょうとうは だいにちほうおうの ちょくげん なり.
今の 大日経等は 大日法王の 勅言 なり.

かの きょうぎょうは たみの まんげん このきょうは てんしの いちごん なり.
彼の 経経は 民の 万言 此経は 天子の 一言 なり.

けごんきょう ねはんぎょう とうは だいにちきょうには はしごを たても およばず.
華厳経 涅槃経 等は 大日経には 梯を 立ても 及ばず.

ただ ほけきょう ばかりこそ だいにちきょうには そうじの きょう なれ.
但 法華経 計りこそ 大日経には 相似の 経 なれ.

されども かの きょうは しゃかにょらいの せつ たみの しょうごん.
されども 彼の 経は 釈迦如来の 説 民の 正言.

この きょうは てんしの しょうごん なり.
此の 経は 天子の 正言 なり.

→a301

b302

ことばは にたれども ひとがら うんでい なり.
言は 似れども 人がら 雲泥 なり.

たとえば じょくすいの つきと せいすいの つきの ごとし.
譬へば 濁水の 月と 清水の 月の ごとし.

つぎの かげは おなじ けれども みずに せいだく ありなんど もうしければ.
月の 影は 同じ けれども 水に 清濁 ありなんど 申しければ.

このよし たずね あらわす ひとも なし.
此の由 尋ね 顕す 人も なし.

しょしゅうの みな おち ふして しんごんしゅうに かたぶきぬ.
諸宗 皆 落ち 伏して 真言宗に かたぶきぬ.

ぜんむい こんごうち しきょの のち ふくうさんぞう また がっしに かえりて.
善無畏 金剛智 死去の 後 不空三蔵 又 月氏に かへりて.

ぼだいしんろんと もうす ろんを わたし.
菩提心論と 申す 論を わたし.

いよいよ しんごんしゅう さかり なりけり.
いよいよ 真言宗 盛り なりけり.

ただし みょうらくだいしと いう ひと あり.
但し 妙楽大師と いふ 人 あり.

てんだいだいしよりは 200よねんの のち なれども ちえ かしこき ひとにて.
天台大師 よりは 二百余年の 後 なれども 智慧 かしこき 人にて.

てんだいの しょしゃくを み あきらめて ありしかば.
天台の 所釈を 見 明めて ありしかば.

てんだいの しゃくの こころは のちに わたれる じんみつきょう ほっそうしゅう.
天台の 釈の 心は 後に わたれる 深密経 法相宗.

また はじめて かんどに たてたる けごんしゅう だいにちきょう しんごんしゅうにも.
又 始めて 漢土に 立てたる 華厳宗 大日経 真言宗にも.

ほけきょうは すぐれさせ たまいたりけるを.
法華経は 勝れさせ 給いたりけるを.

あるいは ちの およばざるか あるいは ひとに おそるるか.
或は 智の をよばざるか 或は 人に 畏るるか.

あるいは ときの おういを おづるかの ゆえに いわざりけるか.
或は 時の 王威を おづるかの 故に いはざりけるか.

かくて あるならば てんだいの しょうぎ すでに うせなん.
かくて あるならば 天台の 正義  すでに 失なん.

また ちんずい いぜんの なんぼくが じゃぎにも すぐれたりと おぼして.
又 陳隋 已前の 南北が 邪義にも 勝れたりと おぼして.

30かんの まつもんを つくり たもう.
三十巻の 末文を 造り 給う.

いわゆる ぐけつ しゃくせん しょき これなり.
所謂 弘決 釈籤 疏記 これなり.

この 30かんの もんは ほんしょの かさなれるを けずり.
此の 三十巻の 文は 本書の 重なれるを けづり.

よわきを たすくる のみならず.
よわきを たすくる のみならず.

てんだいだいしの おんとき なかりしかば.
天台大師の 御時 なかりしかば.

おんせめにも のがれて あるようなる ほっそうしゅうと けごんしゅうと しんごんしゅうとを.
御責にも のがれて あるやうなる 法相宗と 華厳宗と 真言宗とを.

いちじに とりひしがれたる しょ なり.
一時に とりひしがれたる 書 なり.

また にほんこくには にんのう だい30だい きんめいてんのうの ぎょう.
又 日本国には 人王 第三十代 欽明天皇の 御宇.

13ねん みずのえさる 10がつ 13にちに くだらこくより いっさいきょう しゃかぶつの ぞうを わたす.
十三年 壬申 十月 十三日に 百済国より 一切経 釈迦仏の 像を わたす.

また ようめいてんのうの ぎょうに しょうとくたいし ぶっぽうを よみ はじめ.
又 用明天皇の 御宇に 聖徳太子 仏法を よみ はじめ.

わけの いもこと もうす しんかを かんどに つかわして.
和気の 妹子と 申す 臣下を 漢土に つかはして.

せんじょう しょじの いっかんの ほけきょうを とりよせ たまいて じきょうと さだめ.
先生 所持の 一巻の 法華経を とりよせ 給いて 持経と 定め.

その のち にんのう だい37だい こうとくてんのうの ぎょうに.
其の 後 人王 第三十七代 孝徳天王の 御宇に.

さんろんしゅう けごんしゅう ほっそうしゅう くしゃしゅう じょうじつしゅう わたる.
三論宗 華厳宗 法相宗 倶舎宗 成実宗 わたる.

にんのう だい45だいに しょうむてんのうの ぎょうに りっしゅう わたる.
人王 第四十五代に 聖武天王の 御宇に 律宗 わたる.

いじょう ろくしゅう なり.
已上 六宗 なり.

こうとくより にんのう 50だいの かんむてんのうに いたるまでは 14だい.
孝徳より 人王 五十代の 桓武天皇に いたるまでは 十四代.

120よねんが あいだは てんだい しんごんの 2しゅう なし.
一百二十余年が 間は 天台 真言の 二宗 なし.

かんむの ぎょうに さいちょうと もうす しょうそうあり.
桓武の 御宇に 最澄と 申す 小僧 あり.

やましなでらの ぎょうひょうそうじょうの みでし なり.
山階寺の 行表僧正の 御弟子 なり.

ほっそうしゅうを はじめとして ろくしゅうを ならい きわめぬ.
法相宗を 始めとして 六宗を 習い きわめぬ.

しかれども ぶっぽう いまだ きわめたりとも おぼえざりしに.
而れども 仏法 いまだ 極めたりとも おぼえざりしに.

けごんしゅうの ほうぞうほっしが つくりたる きしんろんの しょを みたもうに.
華厳宗の 法蔵法師が 造りたる 起信論の 疏を 見給うに.

てんだいだいしの しゃくを ひき のせたり.
天台大師の 釈を 引き のせたり.

この しょ こそ しさい ありげなれ.
此の 疏 こそ 子細 ありげなれ.

この くにに わたりたるか.
此の 国に 渡りたるか.

→a302

b303

また いまだ わたらざるかと ふしん ありしほどに.
又 いまだ わたらざるかと 不審 ありしほどに.

あるひとに とい しかば その ひとの いわく.
有人に とひ しかば 其の 人の 云く.

だいとうの ようしゅうりゅうこうじの そう がんじんわじょうは てんだいの まつがく.
大唐の 揚州竜興寺の 僧 鑒真和尚は 天台の 末学.

どうぜんりっしの でし てんぽうの すえに にほんこくに わたり たまいて.
道暹律師の 弟子 天宝の 末に 日本国に わたり 給いて.

しょうじょうの かいを ぐずう せさせ たまい しかども.
小乗の 戒を 弘通 せさせ 給い しかども.

てんだいの おんしゃく もち きたりながら ひろめ たまわず.
天台の 御釈 持ち 来りながら ひろめ 給はず.

にんのう だい45だい しょうむてんのうの ぎょうなりと かたる.
人王 第四十五代 聖武天王の 御宇なりと かたる.

その しょを みんと もうされ しかば とりいだして みせ まいらせ しかば.
其の 書を 見んと 申され しかば 取り出だして 見せ まいらせ しかば.

いっぺん ごらん ありて しょうじの よいを さましつ.
一返 御らん ありて 生死の 酔を さましつ.

この しょを もって 6しゅうの こころを たずね あきらめしかば.
此の 書を もつて 六宗の 心を 尋ね あきらめしかば.

いちいちに じゃけん なること あらわれぬ.
一一に 邪見 なる事 あらはれぬ.

たちまちに がんを おこして いわく.
忽に 願を 発て 云く.

にほんこくの ひと みな ほうぼうの ものの だんのつ たるが.
日本国の 人 皆 謗法の 者の 檀越 たるが.

てんか いちじょう みだれなんずと おぼして 6しゅうを なんぜられ しかば.
天下 一定 乱れなんずと おぼして 六宗を 難ぜられ しかば.

7だいじ 6しゅうの せきがく ほうきして きょうじゅう うごうし てんか みな さわぐ.
七大寺 六宗の 碩学 蜂起して 京中 烏合し 天下 みな さわぐ.

7だいじ 6しゅうの しょにんら あくしん ごうじょう なり.
七大寺 六宗の 諸人等 悪心 強盛 なり.

しかるを いぬる えんりゃく 21ねん しょうがつ 19にちに.
而るを 去ぬる 延暦 二十一年 正月 十九日に.

てんのう たかおでらに ぎょうこう あって 7じの せきとく 14にん.
天王 高雄寺に 行幸 あつて 七寺の 碩徳 十四人.

ぜんぎ しょうゆう ほうき ちょうにん けんぎょく あんぷく ごんそう しゅうえん.
善議 勝猷 奉基 寵忍 賢玉 安福 勤操 修円.

じこう げんよう さいこう どうしょう こうしょう かんびんらの じゅうよにんを めし あわす.
慈誥 玄耀 歳光 道証 光証  観敏等の 十有余人を 召し 合わす.

けごん さんろん ほっそうらの ひとびと.
華厳 三論 法相等の 人人.

おのおの わがしゅうの がんそが ぎに たがわず.
各各 我宗の 元祖が 義に たがはず.

さいちょうしょうにんは ろくしゅうの ひとびとの しょりゅう いちいちに ちょうを とりて.
最澄上人は 六宗の 人人の 所立 一一に 牒を 取りて.

ほんきょう ほんろん ならびに しょきょう しょろんに さしあわせて せめしかば.
本経 本論 並に 諸経 諸論に 指し合わせて せめしかば.

いちごんも こたえず くちをして はなの ごとくに なりぬ.
一言も 答えず 口をして 鼻の ごとくに なりぬ.

てんのう おどろきたまいて しさいに おんたずね ありて.
天皇 をどろき 給いて 委細に 御たづね ありて.

かさねて ちょくせんを くだして 14にんを せめ たまい しかば.
重ねて 勅宣を 下して 十四人を せめ 給い しかば.

しょうぶくの しゃひょうを たてまつりたり.
承伏の 謝表を 奉りたり.

その しょに いわく.
其 書に 云く.

「しちかの だいじ 6しゅうの がくしょう ないし はじめて しごくを さとる」とう うんぬん.
「七箇の 大寺 六宗の 学匠 乃至 初て 至極を 悟る」等 云云.

また いわく.
又 云く.

「しょうとくの ぐけより いこう いまに 200よねんの あいだ こうずる ところの きょうろん そのかず おおし.
「聖徳の 弘化より 以降 今に 二百余年の 間 講ずる 所の 経論 其数 多し.

かれ これ りを あらそうて その うたがい いまだ とけず.
彼 此 理を 争うて 其の 疑 未だ 解けず.

しかも この さいみょうの えんしゅう なお いまだ せんよう せず」とう うんぬん.
而も 此の 最妙の 円宗 猶 未だ 闡揚 せず」等 云云.


また いわく「さんろん ほっそう くねんの あらそい かんえんとして こおりの ごとく とけ.
又 云く「三論 法相 久年の 諍 渙焉として 氷の 如く 解け.

しょうねんとして すでに あきらかに なお うんむを ひらいて さんこうを みるが ごとし」うんぬん.
照然として 既に 明かに 猶 雲霧を 披いて 三光を 見るが ごとし」 云云.

さいちょうわじょう 14にんが ぎを はんじて いわく.
最澄和尚 十四人が 義を 判じて 云く.

「おのおの いちじくを こうずるに ほっくを しんがくに ふるい.
「各 一軸を 講ずるに 法鼓を 深壑に 振い.

ひんしゅ さんじょうの みちに はいかいし ぎきを こうほうに とばす.
賓主 三乗の 路に 徘徊し 義旗を 高峰に 飛す.

ちょうよう さんうの けつを さいはして なお いまだ りゃっこうの てつを あらためず.
長幼 三有の 結を 摧破して 猶 未だ 歴劫の 轍を 改めず.

びゃごを もんがいに こんず.
白牛を 門外に 混ず.

あに よく しょはつの くらいに のぼり あだを たくないに さとらんや」とう うんぬん.
豈 善く 初発の 位に 昇り 阿荼を 宅内に 悟らんや」等 云云.

ひろよ まつな ふたりの しんか いわく.
弘世 真綱  二人の 臣下 云く.

「りょうぜんの みょうほうを なんがくに きき そうじの みょうごを てんだいに ひらく.
「霊山の 妙法を 南岳に 聞き 総持の 妙悟を 天台に 闢く.

いちじょうの ごんたいを なげき さんたいの みけんを かなしむ」とう うんぬん.
一乗の 権滞を 慨き 三諦の 未顕を 悲しむ」等 云云.

また 14にんの いわく「ぜんぎら ひかれて きゅううんに あいて すなわち きしを けみす.
又 十四人の 云く「善議等 牽れて 休運に 逢て 乃ち 奇詞を 閲す.

じんごに あらざる よりは いかんぞ しょうせいに たくせんや」とう うんぬん.
深期に 非る よりは 何ぞ 聖世に 託せんや」等 云云.

この 14にんは けごんしゅうのほうぞう しんじょう さんろんしゅうの かじょう かんろく.
此の 十四人は 華厳宗の 法蔵 審祥 三論宗の 嘉祥 観勒.

ほっそうしゅうの じおん どうしょう りっしゅうの どうせん .
法相宗の 慈恩 道昭 律宗の 道宣.

がんじんらの かんど にほんがんそらの ほうもん.
鑒真等の 漢土 日本元祖等の 法門.

かめは かわれども みずは いち なり.
瓶は かはれども 水は 一 なり.

→a303

b304

しかるに 14にん かの じゃぎを すてて.
而るに 十四人 彼の 邪義を すてて.

でんぎょうの ほけきょうに きぶくしぬる うえは だれの まつだいの ひとか.
伝教の 法華経に 帰伏しぬる 上は 誰の 末代の 人か.

けごん はんにゃ じんみつきょうとうは ほけきょうに ちょうかせりと もうすべきや.
華厳 般若 深密経等は 法華経に 超過せりと 申すべきや.

しょうじょうの さんしゅうは また かの ひとびとの しょがく なり.
小乗の 三宗は 又 彼の 人人の 所学 なり.

だいじょうの さんしゅう やぶれぬる うえは さたの かぎりに あらず.
大乗の 三宗 破れぬる 上は 沙汰の かぎりに あらず.

しかるを いまに しさいを しらざる もの ろくしゅうは いまだ やぶられずと おもえり.
而るを 今に 子細を 知らざる 者 六宗は いまだ 破られずと をもへり.

たとえば もうもくが てんの にちがつを みず ろうじんが いかずちの おとを きかざるが ゆえに.
譬へば 盲目が 天の 日月を 見ず 聾人が 雷の 音を きかざる ゆへに.

てんには にちがつなし そらに こえなしと おもうが ごとし.
天には 日月なし 空に 声なしと をもうが ごとし.

しんごんしゅうと もうすは にほん にんのう だい44だいと もうせし げんしょうてんのうの ぎょうに.
真言宗と 申すは 日本 人王 第四十四代と 申せし 元正天皇の 御宇に.

ぜんむいさんぞう だいにちきょうを わたして ぐずうせずして かんどへ かえる.
善無畏三蔵 大日経を わたして 弘通せずして 漢土へ かへる.

また げんぼうら だいにちきょうの ぎしゃく 14かんを わたす.
又 玄ボウ等 大日経の 義釈 十四巻を わたす.

また とうだいじの とくせい だいとく わたす.
又 東大寺の 得清 大徳 わたす.

これらを でんぎょうだいし ごらんありて ありしかども.
此等を 伝教大師 御らんありて ありしかども.

だいにちきょう ほけきょうの しょうれつ いかんがと おぼしける ほどに.
大日経 法華経の 勝劣 いかんがと おぼしける ほどに.

かたがた ふしん ありし ゆえに.
かたがた 不審 ありし 故に.

いぬる えんりゃく 23年 7がつ ごにっとう.
去る 延暦 二十三年 七月 御入唐.

さいみょうじの どうずいわじょう ぶつろうじの ぎょうまんらに あい たてまつりて.
西明寺の 道邃和尚 仏滝寺の 行満等に 値い 奉りて.

しかん えんとんの だいかいを でんじゅし りょうかんじの じゅんぎょうわじょうに あい たてまつりて.
止観 円頓の 大戒を 伝受し 霊感寺の 順暁和尚に 値い 奉りて.

しんごんを そうでんし どう えんりゃく 24ねん 6がつに きちょうして.
真言を 相伝し 同 延暦 二十四年 六月に 帰朝して.

かんむてんのうに ごたいめん せんじを くだして.
桓武天王に 御対面 宣旨を 下して.

ろくしゅうの がくしょうに しかん しんごんを ならわしめ どう しちだいじに おかれぬ.
六宗の 学生に 止観 真言を 習はしめ 同 七大寺に をかれぬ.

しんごん しかんの にしゅうの しょうれつは かんどに おおく.
真言 止観の 二宗の 勝劣は 漢土に 多く.

しさい あれども また だいにちきょうの ぎしゃくには りどうじしょうと かきたれども.
子細 あれども 又 大日経の 義釈には 理同事勝と かきたれども.

でんぎょうだいしは ぜんむいさんぞうの あやまり なり.
伝教大師は 善無畏三蔵の あやまり なり.

だいにちきょうは ほけきょうには おとりたりと しろしめして はっしゅうとは せさせ たまわず.
大日経は 法華経には 劣りたりと 知しめして 八宗とは せさせ 給はず.

しんごんしゅうの なを けずりて ほっけしゅうの うちに いれ しちしゅうと なし.
真言宗の 名を けづりて 法華宗の 内に 入れ 七宗と なし.

だいにちきょうをば ほっけてんだいしゅうの ぼうえきょうと なして けごん だいぼん はんにゃ ねはんとうの れいとせり.
大日経をば 法華天台宗の 傍依経と なして 華厳 大品 般若 涅槃等の 例とせり.

しかれども だいじの えんとんの だいじょうべつじゅかいの だいかいだんを.
而れども 大事の 円頓の 大乗別受戒の 大戒壇を.

わが くにに たてう たてじの じょうろんが わずらわしきに よりてや.
我が 国に 立う 立じの 諍論が わずらはしきに 依りてや.

しんごん てんだいの にしゅうの しょうれつは でしにも ふんみょうに おしえ たまわざりけるか.
真言 天台の 二宗の 勝劣は 弟子にも 分明に をしえ 給わざりけるか.

ただ えひょうしゅうと もうす ふみに ただしく.
但 依憑集と 申す 文に 正しく.

しんごんしゅうは ほっけてんだいしゅうの しょうぎを ぬすみとりて だいにちきょうに いれて りどうと せり.
真言宗は 法華天台宗の 正義を 偸みとりて 大日経に 入れて 理同と せり.

されば かの しゅうは てんだいしゅうに おちたる しゅう なり.
されば 彼の 宗は 天台宗に 落ちたる 宗 なり.

いわうや ふくうさんぞうは ぜんむい こんごうち にゅうめつの のち がっしに いりて ありしに.
いわうや 不空三蔵は 善無畏 金剛智 入滅の 後 月氏に 入りて ありしに.

りゅうちぼさつに あい たてまつりし とき がっしには ぶついを あきらめたる ろんしゃく なし.
竜智菩薩に 値い 奉りし 時 月氏には 仏意を あきらめたる 論釈 なし.

かんどに てんだいと いう ひとの しゃくこそ じゃしょうを えらび.
漢土に 天台と いう 人の 釈こそ 邪正を えらび.

へんえんを あきらめたる もんにては そうろうなれ.
偏円を あきらめたる 文にては 候なれ.

あなかしこ あなかしこ.
あなかしこ あなかしこ.

がっしへ わたし たまえと ねんごろに あつらえし ことを.
月氏へ 渡し 給えと ねんごろに あつらへし 事を.

ふくうの でし がんこうと いいし ものが みょうらくだいしに かたれるを.
不空の 弟子 含光と いゐし 者が 妙楽大師に かたれるを.

きの 10の すえに ひきのせられて そうろうを.
記の 十の 末に 引き載せられて 候を.

この えひょうしゅうに とりのせて そうろう.
この 依憑集に 取り載せて 候.

→a304

b305

ほけきょうに だいにちきょうは おとると しろしめす こと.
法華経に 大日経は 劣ると しろしめす 事.

でんぎょうだいしの みこころ けんねん なり.
伝教大師の 御心 顕然 なり.

されば しゃかにょらい てんだいだいし みょうらくだいし でんぎょうだいしの みこころは.
されば 釈迦如来 天台大師 妙楽大師 伝教大師の 御心は.

いちどうに だいにちきょうとうの いっさいきょうの なかには ほけきょうは すぐれたりと いうことは ふんみょう なり.
一同に 大日経等の 一切経の 中には 法華経は すぐれたりと いう事は 分明 なり.

また しんごんしゅうの がんそと いう りゅうじゅぼさつの みこころも かくのごとし.
又 真言宗の 元祖と いう 竜樹菩薩の 御心も かくのごとし.

だいちどろんを よくよく たずぬる ならば このこと ふんみょう なるべきを.
大智度論を 能く能く 尋ぬる ならば 此の事 分明 なるべきを.

ふくうが あやまれる ぼだいしんろんに みなひと ばかされて このことに めいわくせるか.
不空が あやまれる 菩提心論に 皆人 ばかされて 此の事に 迷惑せるか.

また いわぶちの ごんそうそうじょうの みでしに くうかいと いうひと あり.
又 石淵の 勤操僧正の 御弟子に 空海と 云う人 あり.

のちには こうぼうだいしと ごうす.
後には 弘法大師と がうす.

いぬる えんりゃく 23ねん 5がつ 12に ごにっとう.
去ぬる 延暦 二十三年 五月 十二日に 御入唐.

かんどに わたりては こんごうち・ ぜんむいの りょうさんぞうの だいさんの みでし.
漢土に わたりては 金剛智 善無畏の 両三蔵の 第三の 御弟子.

けいかわじょうと いいし ひとに りょうかいを でんじゅし.
慧果和尚と いゐし 人に 両界を 伝受し.

だいどう 2ねん 10がつ 22にちに ごきちょう へいぜいてんのうの ぎょう なり.
大同 二年 十月 二十二日に 御帰朝 平城天王の 御宇 なり.

かんむてんのうは ごほうぎょ へいぜいてんのうに けんざんし おんもちい ありて.
桓武天王は 御ほうぎよ 平城天王に 見参し 御用い ありて.

ごきえ ほかに ことなり しかども.
御帰依 他に ことなり しかども.

へいぜい ほどもなく さがに よを とられさせ たまい しかば.
平城 ほどもなく 嵯峨に 世を とられさせ 給い しかば.

こうぼう ひきいれて ありしほどに.
弘法 ひき入れて ありし程に.

でんぎょうだいしは さがてんのうの こうにん 13ねん 6がつ 4か ごにゅうめつ.
伝教大師は 嵯峨天王の 弘仁 十三年 六月 四日 御入滅.

おなじき こうにん 14ねん より こうぼうだいし おうの おんしと なり.
同じき 弘仁 十四年 より 弘法大師 王の 御師と なり.

しんごんしゅうを たてて とうじを たまい しんごんわじょうと ごうし これより はっしゅう はじまる.
真言宗を 立てて 東寺を 給 真言和尚と がうし 此より 八宗 始る.

いちだいの しょうれつを はんじて いわく.
一代の 勝劣を 判じて 云く.

だいいち しんごん だいにちきょう だいに げごん だいさんは ほっけ ねはん とう うんぬん.
第一 真言 大日経・ 第二 華厳・ 第三は 法華 涅槃 等 云云.

ほけきょうは あごん ほうとう はんにゃ とうに たいすれば しんじつの きょう なれども.
法華経は 阿含 方等 般若 等に 対すれば 真実の 経 なれども.

けごんきょ だいにちきょうに のぞむれば けろんの ほう なり.
華厳経 大日経に 望むれば 戯論の 法 なり.

きょうしゅ しゃくそんは ほとけ なれども だいにちにょらいに むかうれば.
教主 釈尊は 仏 なれども 大日如来に 向うれば.

むみょうの へんいきと もうして こうていと えびすとの ごとし.
無明の 辺域と 申して 皇帝と 俘囚との 如し.

てんだいだいしは ぬすびと なり.
天台大師は 盗人 なり.

しんごんの だいごを ぬすんで ほけきょうを だいごと いう なんど かかれ しかば.
真言の 醍醐を 盗んで 法華経を 醍醐と いう なんど かかれ しかば.

ほけきょうは いみじと おもえども こうぼうだいしに あいぬれば ものの かずにも あらず.
法華経は いみじと をもへども 弘法大師に あひぬれば 物の かずにも あらず.

てんじくの げどうは さておきぬ.
天竺の 外道は さて置きぬ.

かんどの なんぼくが ほけきょうは ねはんきょうに たいすれば じゃけんの きょうと いいしにも すぐれ.
漢土の 南北が 法華経は 涅槃経に 対すれば 邪見の 経と いゐしにも すぐれ.

けごんしゅうが ほけきょうは けごんきょうに たいすれば しまつきょうと もうせしにも こえたり.
華厳宗が 法華経は 華厳経に 対すれば 枝末教と 申せしにも こへたり.

れいせば かの がっしの だいまん ばらもんが.
例ば 彼の 月氏の 大慢婆羅門が.

だいじざいてん ならえんてん ばそてん きょうしゅしゃくそんの よにんを こうざの あしに つくりて.
大自在天 那羅延天 婆籔天 教主釈尊の 四人を 高座の 足に つくりて.

その うえに のぼって じゃほうを ひろめしが ごとし.
其の 上に のぼつて 邪法を 弘めしが ごとし.

でんぎょうだいし・ ごぞんしょう ならば いちごんは いだされ べかりける ことなり.
伝教大師 御存生 ならば 一言は 出され べかりける 事なり.

また ぎしん えんちょう じかく ちしょうらも いかに ごふしんは なかりけるやらん.
又 義真 円澄 慈覚 智証等も いかに 御不審は なかりけるやらん.

てんか だいいちの だいきょう なり.
天下 第一の 大凶 なり.

じかくだいしは いぬる しょうわ 5ねんに ごにっとう.
慈覚大師は 去ぬる 承和 五年に 御入唐.

かんどにして じゅうねんが あいだ てんだい しんごんの にしゅうを ならう.
漢土にして 十年が 間 天台 真言の 二宗を ならう.

ほっけ だいにちきょうの しょうれつを ならいしに.
法華 大日経の 勝劣を 習いしに.

はっせん げんしょうらの はちにんの しんごんしには ほけきょうと だいにちきょうは りどうじしょう とう うんぬん.
法全 元政等の 八人の 真言師には 法華経と 大日経は 理同事勝 等 云云.

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てんだいしゅうの しおん こうしゅ ゆいけん とうに ならいしには.
天台宗の 志遠・ 広修・ 維ケン 等に 習いしには.

だいにちきょうは ほうとうぶの しょうとう うんぬん.
大日経は 方等部の 摂等 云云.

おなじき しょうわ 13ねん 9がつ とおかに ごきちょう.
同じき 承和 十三年 九月 十日に 御帰朝.

かじょう がんねん 6がつ 14かに せんじ くだる.
嘉祥 元年 六月 十四日に 宣旨 下.

ほっけ だいにちきょうとうの しょうれつは かんどにして しりがたかりけるかの ゆえに.
法華 大日経等の 勝劣は 漢土にして しりがたかりけるかの ゆへに.

こんごうちょうきょうの しょ7かん そしっちきょうの しょ7かん いじょう 14かん このしょの こころは.
金剛頂経の 疏七巻 蘇悉地経の 疏七巻 已上 十四巻 此疏の 心は.

だいにちきょう こんごうちょうきょう そしっちきょうの ぎと ほけきょうの ぎは.
大日経 金剛頂経 蘇悉地経の 義と 法華経の 義は.

その しょせんの ことわりは いちどう なれども.
其の 所詮の 理は 一同 なれども.

じそうの いんと しんごんとは しんごんの さんぶきょう すぐれたりと うんぬん.
事相の 印と 真言とは 真言の 三部経 すぐれたりと 云云.

これは ひとえに ぜんむい こんごうち ふくうの つくりたる だいにちきょうの しょの こころの ごとし.
此れは 偏に 善無畏 金剛智 不空の 造りたる 大日経の 疏の 心の ごとし.

しかれども わが こころに なお ふしんや のこりけん.
然れども 我が 心に 猶 不審や のこりけん.

また こころには とけてんけれども ひとの ふしんを はらさんとや おぼしけん.
又 心には とけてんけれども 人の 不審を はらさんとや おぼしけん.

この 14かんの しょを ごほんぞんの ごぜんに さしおきて ごきしょう ありき.
此の 十四巻の 疏を 御本尊の 御前に さしをきて 御祈請 ありき.

かくは つくりて そうらえども ぶつい はかりがたし.
かくは 造りて 候へども 仏意 計りがたし.

だいにちの さんぶや すぐれたる ほけきょうの さんぶや まされると ごきねん あり しかば.
大日の 三部や すぐれたる 法華経の 三部や まされると 御祈念 有り しかば.

いつかと もうす 5こうに たちまちに むそう あり.
五日と 申す 五更に 忽に 夢想 あり.

せいてんに だいにちりん かかり たまえり.
青天に 大日輪 かかり 給へり.

やを もて これを いければ や とんで てんに のぼり にちりんの なかに たちぬ.
矢を もて これを 射ければ 矢 飛んで 天に のぼり 日輪の 中に 立ちぬ.

にちりん どうてんして すでに ちに おちんとすと おもいて うちさめぬ.
日輪 動転して すでに 地に 落んとすと をもひて うちさめぬ.

よろこんで いわく われ きちむ あり.
悦んで 云く 我 吉夢 あり.

ほけきょうに しんごん すぐれたりと つくりつる ふみは ぶついに かないけりと よろこばせ たまいて.
法華経に 真言 勝れたりと 造りつる ふみは 仏意に 叶いけりと 悦ばせ 給いて.

せんじを もうしくだして にほんこくに ぐづう あり.
宣旨を 申し下して 日本国に 弘通 あり.

しかも せんじの こころに いわく.
而も 宣旨の 心に 云く.

「ついに しんぬ てんだいの しかんと しんごんの ほうぎとは りみょうに あえり」とうと うんぬん.
「遂に 知んぬ 天台の 止観と 真言の 法義とは 理冥に 符えり」等と 云云.

きしょうの ごときんば だいにちきょうに ほけきょうは おとるなる ようなり.
祈請の ごときんば 大日経に 法華経は 劣なる やうなり.

せんじを もうし くだすには ほけきょうと だいにちきょうとは おなじ とう うんぬん.
宣旨を 申し 下すには 法華経と 大日経とは 同じ 等 云云.

ちしょうだいしは ほんちょうに しては ぎしんわじょう えんちょうだいし べっとう じかくらの でし なり.
智証大師は 本朝に しては 義真和尚 円澄大師 別当 慈覚等の 弟子 なり.

けんみつの にどうは だいたい この くににして がくし たまいけり.
顕密の 二道は 大体 此の 国にして 学し 給いけり.

てんだい しんごんの にしゅうの しょうれつの ごふしんに かんどへは わたり たまいけるか.
天台 真言の 二宗の 勝劣の 御不審に 漢土へは 渡り 給けるか.

いぬる じんじゅ 2ねんに ごにっとう かんどにしては しんごんしゅうは はっせん げんしょうらに ならわせ たまい.
去 仁寿 二年に 御入唐 漢土にしては 真言宗は 法全 元政等に ならはせ 給い.

だいたい だいにちきょうと ほけきょうとは りどうじしょう じかくの ぎの ごとし.
大体 大日経と 法華経とは 理同事勝 慈覚の 義の ごとし.

てんだいしゅうは りょうしょわじょうに ならい たまい.
天台宗は 良ショ和尚に ならひ 給い.

しんごん てんだいの しょうれつ だいにちきょうは けごん ほっけとうには およばず とう うんぬん.
真言 天台の 勝劣 大日経は 華厳 法華等には 及ばず 等 云云.

しちねんが あいだ かんどに へて いぬる じょうかん がんねん 5がつ 17にちに ごきちょう.
七年が 間 漢土に 経て 去る 貞観 元年 五月 十七日に 御帰朝.

だいにちきょうの しきに いわく.
大日経の 旨帰に 云く.

「ほっけ なお およばず いわんや じよの きょうをや」とう うんぬん.
「法華 尚 及ばず 況や 自余の 教をや」等 云云.

このしゃくは ほけきょうは だいにちきょうには おとる とう うんぬん.
此釈は 法華経は 大日経には 劣る 等 云云.

また じゅけつしゅうに いわく.
又 授決集に 云く.

「しんごん ぜんもん ないし もし けごん ほっけ ねはんとうの きょうに のぞむれば これ しょういんもん」とう うんぬん.
「真言 禅門 乃至 若し 華厳 法華 涅槃等の 経に 望むれば 是れ 摂引門」等 云云.

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ふげんきょうの き ろんの きに いわく おなじとう うんぬん.
普賢経の 記・ 論の 記に 云く 同じ等 云云.

じょうかん 8ねん ひのえいぬ 4がつ 29にち みずのえさる ちょくせんを もうしくだして いわく.
貞観 八年 丙戌 四月 廿九日 壬申 勅宣を 申し下して 云く.

「きくならく しんごん しかん りょうきょうの しゅう おなじく だいごと ごうし ともに じんぴと しょうす」とう うんぬん.
「聞くならく 真言 止観 両教の 宗 同じく 醍醐と 号し 倶に 深秘と 称す」等 云云.

また ろくがつ みっかの ちょくせんに いわく.
又 六月 三日の 勅宣に 云く.

「せんし すでに りょうごうを ひらいて もって わが みちと なす.
「先師 既に 両業を 開いて 以て 我が 道と 為す.

だいだいの ざす そうじょうして かね つたえざる こと なし.
代代の 座主 相承して 兼ね 伝えざる こと 莫し.

ざいごの やから あに きゅうせきに そむからんや.
在後の 輩 豈 旧迹に 乖かんや.

きく ならく さんじょうの そうら もっぱら せんしの ぎに たがいて へんしゅうの こころを じょうず.
聞く ならく 山上の 僧等 専ら 先師の 義に 違いて 偏執の 心を 成ず.

ほとんど よふうを せんようし くごうを こうりゅうするを かえりみざるに にたり.
殆んど 余風を 扇揚し 旧業を 興隆するを 顧みざるに 似たり.

およそ その ししの みち いちを かきても ふか なり.
凡そ 厥の 師資の 道 一を 闕きても 不可 なり.

でんぐの つとめ むしろ けんび せざらんや.
伝弘の 勤め 寧ろ 兼備 せざらんや.

いまより いご よろしく りょうきょうに つうたつするの ひとを もって えんりゃくじの ざすと なし.
今より 以後 宜く 両教に 通達するの 人を 以て 延暦寺の 座主と 為し.

たてて こうれいと なすべし」 うんぬん.
立てて 恒例と 為すべし」 云云.

されば じかく ちしょうの ににんは でんぎょう ぎしんの みでし.
されば 慈覚 智証の  二人は 伝教 義真の 御弟子.

かんどに わたりては また てんだい しんごんの めいしに あいて ありしかども.
漢土に わたりては 又 天台 真言の 明師に 値いて 有りしかども.

にしゅうの しょうれつは おもい さだめ ざりけるか.
二宗の 勝劣は 思い 定め ざりけるか.

あるいは しんごん すぐれ あるいは ほっけ すぐれ あるいは りどうじしょう とう うんぬん.
或は 真言 すぐれ 或は 法華 すぐれ 或は 理同事勝 等 云云.

せんじを もうし くだすには にしゅうの しょうれつを ろんぜんひとは いちょくの ものと いましめ られたり.
宣旨を 申し 下すには 二宗の 勝劣を 論ぜん 人は 違勅の 者と いましめ られたり.

これらは みな じごそういと いいぬべし.
此れ等は 皆 自語相違と いゐぬべし.

たしゅうの ひとは よも もちいじと みえて そうろう.
他宗の 人は よも  用いじと みえて 候.

ただ にしゅうさい とうとは せんし でんぎょうだいしの おんぎの せんじに ひきのせられたり.
但 二宗斉 等とは 先師 伝教大師の 御義と 宣旨に 引き載せられたり.

そもそも でんぎょうだいし いづれの しょに かかれて そうろうぞや.
抑も 伝教大師 いづれの 書に かかれて 候ぞや.

このこと よくよく たずぬべし.
此の事 よくよく 尋ぬべし.

じかく ちしょうと にちれんとが でんぎょうだいしの おんことを ふしん もうすは.
慈覚 智証と 日蓮とが 伝教大師の 御事を 不審 申すは.

おやに あうての とし あらそい にってんに あいたてまつりての めくらべにては そうらえども.
親に 値うての 年 あらそひ 日天に  値い奉りての 目くらべにては 候へども.

じかく ちしょうの おんかとうどを せさせたまわん ひとびとは.
慈覚 智証の 御かたふどを せさせ 給はん 人人は.

ふんみょうなる しょうもんを かまえさせ たまうべし.
分明なる 証文を かまへさせ 給うべし.

せんずる ところは しんを とらんが ためなり.
詮ずる ところは 信を とらんが ためなり.

げんじょうさんぞうは がっしの ばしゃろんを みたりし ひと ぞかし.
玄奘三蔵は 月氏の 婆沙論を 見たりし 人 ぞかし.

てんじくに わたらざりし ほうほっしに せめられにき.
天竺に わたらざりし 宝法師に せめられにき.

ほうごさんぞうは いんどの ほけきょうをば みたれども.
法護三蔵は 印度の 法華経をば 見たれども.

ぞくるいの せんごをば かんどの ひと みねども あやまりと いいしぞかし.
嘱累の 先後をば 漢土の 人 みねども 誤と いひしぞかし.

たとい じかく でんぎょうだいしに あい たてまつりて ならい つたえたりとも.
設い 慈覚 伝教大師に 値い 奉りて 習い 伝えたりとも.

ちしょう ぎしんわじょうに くけつ せりと いうとも.
智証  義真和尚に 口決 せりと いふとも.

でんぎょう ぎしんの しょうもんに そういせば あに ふしんを くわえざらん.
伝教 義真の 正文に 相違せば あに 不審を 加えざらん.

でんぎょうだいしの えひょうしゅうと もうす もんは だいし だいいちの ひしょ なり.
伝教大師の 依憑集と 申す 文は 大師 第一の 秘書 なり.

かの しょの じょに いわく
彼の 書の 序に 云く.

「しんらいの しんごんけは すなわち ひつじゅの そうじょうを みんし.
「新来の 真言家は 則ち 筆授の 相承を 泯し.

くとうの けごんけは すなわち ようごうの きもを かくし.
旧到の 華厳家は 則ち 影響の  軌範を 隠し.

じんくうの さんろんしゅうは だんかの くっちを わすれて しょうしんの よいを おおう.
沈空の 三論宗は 弾訶の 屈恥を 忘れて 称心の 酔を 覆う.

じゃくうの ほっそうは ぼくようの きえを なみし せいりゅうの はんぎょうを はらう とう.
著有の 法相は 撲揚の 帰依を 非し 青竜の 判経を 撥う 等.

ないし つつしんで えひょうしゅうの いっかんを あらわして.
乃至 謹んで 依憑集の 一巻を 著わして.

どうがの こうてつに おくる その とき おこること.
同我の 後哲に 贈る  某の 時 興ること.

にほん だい52よう こうにんの しちひのえさるの とし なり」うんぬん.
日本 第五十二葉 弘仁の 七丙申の 歳 なり」 云云.

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つぎしもの しょうしゅうに いわく.
次ぎ下の 正宗に 云く.

「てんじくの めいそう だいとう てんだいの きょうしゃく.
「天竺の 名僧 大唐 天台の 教迹.

もっとも じゃしょうを えらぶに たえたりと きいて かつごうして ほうもん す」うんぬん.
最も 邪正を 簡ぶに 堪えたりと 聞いて 渇仰して 訪問 す」云云.

つぎ しもに いわく.
次ぎ 下に 云く.

「あに ちゅうごくに ほうを うしなって これを しいに もとむるに あらずや.
「豈 中国に 法を 失つて 之を 四維に 求むるに 非ずや.

しかも この かたに しること あるもの すくなし ろひとの ごとき のみ」とう うんぬん.
而かも 此の 方に 識ること 有る者 少し 魯人の 如き のみ」等 云云.

この しょは ほっそう さんろん けごん しんごんの ししゅうを せめて そうろう もん なり.
此の 書は 法相 三論 華厳 真言の 四宗を せめて 候 文 なり.

てんだい しんごんの にしゅう どういちみ ならば いかでか せめ そうろうべき.
天台 真言の 二宗 同一味 ならば いかでか せめ 候べき.

しかも ふくうさんぞうらをば ろひとの ごとし なんど かかれて そうろう.
而も 不空三蔵等をば 魯人の ごとし なんど かかれて 候.

ぜんむい こんごうち ふくうの しんごんしゅう いみじくば.
善無畏 金剛智 不空の 真言宗 いみじくば.

いかでか ろひとと あっく あるべき.
いかでか 魯人と 悪口 あるべき.

また てんじくの しんごんが てんだいしゅうに おなじきも また すぐれたる ならば.
又 天竺の 真言が 天台宗に 同じきも 又 勝れたる ならば.

てんじくの めいそう いかでか ふくうに あつらえ ちゅうごくに しょうほう なしとは いうべき.
天竺の 名僧 いかでか 不空に あつらへ 中国に 正法 なしとは いうべき.

それは いかにも あれ じかく ちしょうの ふたりは.
それは いかにも あれ 慈覚 智証の 二人は.

ことばは でんぎょうだいしの みでしとは なのらせ たまえども こころは みでしに あらず.
言は 伝教大師の 御弟子とは なのらせ 給ども 心は 御弟子に あらず.

その ゆえは この しょに いわく.
其の 故は 此の 書に 云く.

「つつしんで えひょうしゅう いっかんを あらわして どうがの こうてつに おくる」とう うんぬん.
「謹で 依憑集 一巻を 著わして 同我の 後哲に 贈る」等 云云.

どうがの にじは しんごんしゅうは てんだいしゅうに おとると ならいて こそ.
同我の 二字は 真言宗は 天台宗に 劣ると ならひて こそ.

どうがにては あるべけれ われと もうし くださるる せんじに いわく.
同我にては あるべけれ 我と 申し 下さるる 宣旨に 云く.

「もっぱら せんしの ぎに たがい へんしゅうの こころを なす」とう うんぬん.
「専ら 先師の 義に 違い 偏執の 心を 成す」等 云云.

また いわく「およそ その ししの みち いちを かいても ふか なり」とう うんぬん.
又 云く「凡そ 厥師資の 道 一を 闕いても 不可 なり」等 云云.

この せんじの ごとく ならば じかく ちしょう こそ もっぱら せんしに そむく ひと にては そうらえ.
此の 宣旨の ごとく ならば 慈覚 智証 こそ 専ら  先師に そむく 人 にては 候へ.

こうせめ そうろうも おそれにては そうらえども.
かうせめ 候も をそれにては 候へども.

これを せめずば だいにちきょう ほけきょうの しょうれつ やぶれなんと ぞんじて.
此れを せめずば 大日経 法華経の 勝劣 やぶれなんと 存じて.

いのちを まことに かけて せめ そうろうなり.
いのちを まとに かけて せめ 候なり.

この ふたりの ひとびとの こうぼうだいしの じゃぎを せめ そうらわざりけるは.
此の 二人の 人人の 弘法大師の 邪義を せめ 候はざりけるは.

もっとも どうりにて そうらいける なり.
最も 道理にて 候いける なり.

されば ろうまいを つくし ひとを わずらわして かんどへ わたらせ たまわん よりは.
されば 粮米を つくし 人を わづらはして  漢土へ わたらせ 給はん よりは.

ほんし でんぎょうだいしの おんぎを よくよく つくさせ たもう べかりけるにや.
本師 伝教大師の 御義を よくよく つくさせ 給う べかりけるにや.

されば えいざんの ぶっぽうは ただ でんぎょうだいし ぎしんわじょう えんちょうだいしの さんだい ばかりにてや ありけん.
されば 叡山の 仏法は 但だ 伝教大師 義真和尚 円澄大師の 三代 計りにてや ありけん.

てんだいざす すでに しんごんの ざすに うつりぬ.
天台座主 すでに 真言の 座主に うつりぬ.

なと しょりょうとは てんだいざん その ぬしは しんごんし なり.
名と 所領とは 天台山 其の 主は 真言師 なり.

されば じかくだいし ちしょうだいしは いこんとうの きょうもんを やぶらせ たもう ひと なり.
されば 慈覚大師 智証大師は 已今当の 経文を やぶらせ 給う 人 なり.

いこんとうの きょうもんを やぶらせ たもうは.
已今当の 経文を やぶらせ 給うは.

あに しゃか たほう じっぽうの しょぶつの おんてきに あらずや.
あに 釈迦 多宝 十方の 諸仏の 怨敵に あらずや.

こうぼうだいし こそ だいいちの ほうぼうの ひとと おもうに.
弘法大師 こそ 第一の 謗法の 人と おもうに.

これは それには にるべくもなき ひがごと なり.
これは それには にるべくもなき 僻事 なり.

その ゆえは すいか てんち なる ことは ひがごと なれども.
其の 故は 水火 天地 なる 事は 僻事 なれども.

ひと もちゆる こと なければ その ひがごと じょうずる こと なし.
人 用ゆる 事 なければ 其の 僻事 成ずる 事 なし.

こうぼうだいしの おんぎは あまり ひがごと なれば でしらも もちゆるう ことなし.
弘法大師の 御義は あまり 僻事 なれば 弟子等も 用ゆる 事なし.

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じそう ばかりは その もんか なれども その きょうそうの ほうもんは こうぼうの ぎ.
事相 計りは 其の 門家 なれども 其の 教相の 法門は 弘法の 義.

いいにくき ゆえに ぜんむい こんごうち ふくう じかく ちしょうの ぎにて あるなり.
いゐにくき ゆへに 善無畏 金剛智 不空 慈覚 智証の 義にて あるなり.

じかく ちしょうの ぎ こそ しんごんと てんだいとは りどう なりなんど もうせば みな ひと さもやと おもう.
慈覚 智証の 義 こそ 真言と 天台とは 理同 なりなんど 申せば 皆 人 さもやと をもう.

こう おもう ゆえに じしょうの いんと しんごんとに ついて.
かう をもう ゆへに 事勝の 印と 真言とに つひて.

てんだいしゅうの ひとびと えぞう もくぞうの かいげんの ぶつじを ねらわんが ために.
天台宗の 人人 画像 木像の 開眼の 仏事を ねらはんが ために.

にほん いちどうに しんごんしゅうに おちて ていだいしゅうは ひとりも なきなり.
日本 一同に 真言宗に おちて 天台宗は 一人も なきなり.

れいせば ほっしと あまと くろと あおとは まがいぬ べければ.
例せば 法師と 尼と 黒と 青とは まがひぬ べければ.

まなこ くらきひとは あやまつ ぞかし.
眼 くらき人は あやまつ ぞかし.

そうと おとこと しろと あか とは まなこ くらき ひとも まよわず.
僧と 男と 白と 赤 とは 目 くらき 人も 迷わず.

いわうや まなこ あきらかなる ものをや.
いわうや 眼 あきらかなる 者をや.

じかく ちしょうの ぎは ほっしと あまと くろと あお とが ごとくなる ゆえに.
慈覚 智証の 義は 法師と 尼と 黒と 青 とが ごとくなる ゆへに.

ちじんも まよい ぐにんも あやまり そうらいて この よんひゃくよねんが あいだは.
智人も 迷い 愚人も あやまり 候て 此の 四百余年が 間は.

えいざん おんじょう とうじ なら ごき しちどう にほん いっしゅう.
叡山 園城 東寺 奈良 五畿 七道 日本 一州.

みな ほうぼうの ものと なりぬ.
皆 謗法の 者と なりぬ.

そもそも ほけきょうの だいごに.
抑も 法華経の 第五に.

「もんじゅしり この ほけきょうは しょぶつにょらいの ひみつの ぞう なり.
「文殊師利 此の 法華経は 諸仏如来の 秘密の 蔵 なり.

しょきょうの なかに おいて もっとも その うえに あり」うんぬん.
諸経の 中に 於て 最も 其の 上に 在り」云云.

この きょうもんの ごとく ならば ほけきょうは だいにちきょうとうの しょきょうの ちょうじょうに じゅうし たもう しょうほう なり.
此の 経文の ごとく ならば 法華経は 大日経等の 衆経の 頂上に 住し 給う 正法 なり.

さるにては ぜんむい こんごうち ふくう こうぼう じかく ちしょうらは.
さるにては 善無畏 金剛智 不空 弘法 慈覚 智証等は.

この きょうもんをば いかんが えつう せさせ たもうべき.
此の 経文をば いかんが 会通 せさせ 給うべき.

ほけきょうの だい7に いわく.
法華経の 第七に 云く.

「よく この きょうてんを じゅじする こと あらんものも.
「能く 是の 経典を 受持する こと 有らん者も.

またまた かくの ごとし いっさいしゅじょうの なかに おいて またこれ だいいち なり」とう うんぬん.
亦復 是くの 如し 一切衆生の 中に 於て 亦為 第一 なり」等 云云.

この きょうもんの ごとく ならば ほけきょうの ぎょうじゃは.
此の 経文の ごとく ならば 法華経の 行者は.

せんる こうがの なかの たいかい しゅせんの なかの しゅみせん しゅうせいの なかの がってん.
川流 江河の 中の 大海 衆山の 中の 須弥山 衆星の 中の 月天.

しゅうめいの なかの だいにちてん、 てんりんおう たいしゃく しょおうの なかの だいぼんのう なり.
衆明の 中の 大日天、 転輪王 帝釈 諸王の 中の 大梵王 なり.

でんぎょうだいしの しゅうくと もうす しょに いわく.
伝教大師の 秀句と 申す 書に 云く.

「この きょうも またまた かくの ごとし ないし もろもろの きょうほうの なかに もっとも これ だいいち なり.
「此の 経も 亦復 是くの 如し 乃至 諸の 経法の 中に 最も 為 第一 なり.

よく この きょうてんを じゅじ すること あらんものも またまた かくの ごとし.
能く 是の 経典を 受持 すること 有らん者も 亦復 是くの 如し.

いっさいしゅじょうの なかに おいて またまた だいいち なり.
一切衆生の 中に 於て 亦為 第一 なり」.

いじょう きょうもん なりと ひきいれさせ たまいて つぎしもに いわく.
已上 経文 なりと 引き入れさせ 給いて 次下に 云く.

「てんだい ほっけ げんに いわく」とう うんぬん.
「天台 法華 玄に 云く」等 云云.

いじょう げんもんと かかせ たまいて かみの こころを しゃくして いわく.
已上 玄文と かかせ 給いて 上の 心を 釈して 云く.

「まさに しるべし たしゅう しょえの きょうは いまだ もっとも これ だいいち ならず.
「当に 知るべし 他宗 所依の 経は 未だ 最も 為れ 第一 ならず.

その よく きょうを たもつ ものも また いまだ だいいち ならず.
其の 能く 経を 持つ 者も 亦 未だ 第一 ならず.

てんだい ほっけしゅう しょじの ほけきょうは もっとも だいいちなる ゆえに.
天台 法華宗 所持の 法華経は 最も 為れ 第一なる 故に.

よく ほっけを たもつ ものも しゅじょうの だいいち なり.
能く 法華を 持つ 者も 亦 衆生の 中の 第一 なり.

すでに ぶっせつに よる あに じたん ならんや」とう うんぬん.
已に 仏説に 拠る 豈 自歎 ならん哉」等 云云.

つぎしもに ゆずる しゃくに いわく.
次下に 譲る 釈に 云く.

「いきょくの えひょう つぶさに べっかんに あるなり」とう うんぬん.
「委曲の 依憑 具さに 別巻に 有るなり」等 云云.

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b310

えひょうしょうに いわく.
依憑集に 云く.

「いま わが てんだいだいし ほけきょうを とき ほけきょうを しゃくする こと.
「今 吾が 天台大師 法華経を 説き 法華経を 釈する こと.

ぐんに とくしゅうし とうに どっぽ す.
群に 特秀し 唐に 独歩 す.

あきらかに しんぬ にょらいの つかい なり.
明に 知んぬ 如来の 使 なり.

ほむるものは ふくを あんみょうに つみ そしるものは つみを むけんに ひらく」とう うんぬん.
讃る者は 福を 安明に 積み 謗る者は 罪を 無間に 開く」等 云云.

ほけきょう てんだい みょうらく でんぎょうの きょうしゃくの こころの ごとく ならば.
法華経 天台 妙楽 伝教の 経釈の 心の 如く ならば.

いま にほんこくには ほけきょうの ぎょうしゃは ひとりも なき ぞかし.
今 日本国には 法華経の 行者は 一人も なき ぞかし.

がっしには きょうしゅしゃくそん ほうとうほんにして.
月氏には 教主釈尊 宝塔品にして.

いっさいの ほとけを あつめさせ たまいて だいちの うえの こせしめ.
一切の 仏を あつめさせ 給て 大地の 上に 居せしめ.

だいにちにょらい ばかり ほうとうの なかの みなみの しもざに すえ たてまつりて.
大日如来 計り 宝塔の 中の 南の 下座に すへ 奉りて.

きょうしゅしゃくそんは きたの かみざに つかせ たまう.
教主釈尊は 北の 上座に つかせ 給う.

この だいにちにょらいは だいにちきょうの たいぞうかいの だいにち.
此の 大日如来は 大日経の 胎蔵界の 大日.

こんごうちょうきょうの こんごうかいの だいにちの しゅくん なり.
金剛頂経の 金剛界の 大日の 主君 なり.

りょうぶの だいにちにょらいを ろうじゅう とうと さだめたる たほうぶつの かみざに きょうしゅしゃくそん いさせ たもう.
両部の 大日如来を 郎従 等と 定めたる 多宝仏の 上座に 教主釈尊 居せさせ 給う.

これ すなわち ほけきょうの ぎょうじゃ なり.
此れ 即ち 法華経の 行者 なり.

てんじん かくの ごとし.
天竺 かくの ごとし.

かんどには ちんていの とき てんだいだいし なんぼくに せめかちて げんしんに だいしと なる.
漢土には 陳帝の 時 天台大師 南北に せめかちて 現身に 大師と なる.

「ぐんに とくしゅうし とうに どっぽす」と いう これなり.
「群に 特秀し 唐に 独歩す」と いう これなり.

にほんこくには でんぎょうだいし ろくしゅうに せめ かちて.
日本国には 伝教大師 六宗に せめ かちて.

にほんの はじめ だいいちの こんぽんだいしと なり たもう.
日本の 始 第一の 根本大師と なり 給う.

がっし かんど にほんに ただ さんにん ばかりこそ.
月氏 漢土 日本に 但 三人 計りこそ.

いっさいしゅじょうの なかに おいて また これ だいいちにては そうらへ.
於 一切衆生 中 亦 為 第一にては 候へ.

されば しゅうくに いわく.
されば 秀句に 云く.

「あさきは やすく ふかきは かたしとは しゃかの しょはん なり.
「浅きは 易く 深きは 難しとは 釈迦の 所判 なり.

あさきを さって ふかきに つくは じょうぶの こころ なり.
浅きを 去つて 深きに 就くは 丈夫の 心 なり.

てんだいだいしは しゃかに しんじゅんして ほっけしゅうを たすけて しんたんに ふようし.
天台大師は 釈迦に 信順して 法華宗を 助けて 震旦に 敷揚し.

えいざんの いっけは てんだいに そうじょうして ほっけしゅうを たすけて にほんに ぐずう す」とう うんぬん.
叡山の 一家は 天台に 相承して 法華宗を 助けて 日本に 弘通 す」等 云云.

ぶつめつご いっせんはっぴゃくよねんが あいだに.
仏滅後 一千八百余年が 間に.

ほけきょうの ぎょうじゃ かんどに ひとり にほんに ひとり.
法華経の 行者 漢土に 一人 日本に 一人.

いじょう ふたり しゃくそんを くわえ たてまつりて いじょう さんにん なり.
已上 二人 釈尊を 加へ 奉りて 已上 三人 なり.

げてんに いわく.
外典に 云く.

しょうにんは 1せんねんに ひとたび いで けんじんは 500ねんに ひとたび いづ.
聖人は 一千年に 一 出で 賢人は 五百年に 一 出づ.

こうがは けい い ながれを わけて 500ねんには なかば かわ すみ.
黄河は ケイ 渭 ながれを わけて 五百年には 半 河 すみ.

せんねんには ともに すむと もうすは いちじょうにて そうらいけり.
千年には 共に 清むと 申すは 一定にて 候けり.

しかるに にほんこくは えいざんばかりに でんぎょうだいしの おんとき ほけきょうの ぎょうじゃ ましましけり.
然るに 日本国は 叡山 計りに 伝教大師の 御時 法華経の 行者 ましましけり.

ぎしん えんちょうは だい1 だい2の ざす なり.
義真 円澄は 第一 第二の 座主 なり.

だいいちの ぎしん ばかり でんぎょうだいしに にたり.
第一の 義真 計り 伝教大師に にたり.

だいにの えんちょうは なかばは でんぎょうの みでし なかばは こうぼうの でし なり.
第二の 円澄は 半は 伝教の 御弟子 半は 弘法の 弟子 なり.

だいさんの じかくだいしは はじめは でんぎょうだいしの みでしに にたり.
第三の 慈覚大師は 始めは 伝教大師の 御弟子に にたり.

おんとし しじゅうにて かんどに わたりて より.
御年 四十にて 漢土に わたりて より.

なは でんぎょうの みでし その あとをば つがせ たまえども.
名は 伝教の 御弟子 其の 跡をば つがせ 給えども.

ほうもんは まったく みでしには あらず.
法門は 全く 御弟子には あらず.

しかれども えんどんの かい ばかりは また みでしに にたり.
而れども 円頓の 戒 計りは 又 御弟子に にたり.

へんぷくちょうの ごとし とりにも あらず ねずみにも あらず.
蝙蝠鳥の ごとし 鳥にも あらず ねずみにも あらず.

きょうちょうきん はけいじゅうの ごとし.
梟鳥禽 破鏡獣の ごとし.

ほけきょうの ちちを くらい じしゃの ははを かめる なり.
法華経の 父を 食らい 持者の 母を かめる なり.

ひを いると ゆめに みし これなり.
日を いると ゆめに みし これなり.

されば しきょの のちは はか なくて やみぬ.
されば 死去の 後は 墓 なくて やみぬ.

ちしょうの もんけ おんじょうじと じかくの もんけ.
智証の 門家 園城寺と 慈覚の 門家.

えいざんと しゅらと あくりゅうと かっせん ひま なし.
叡山と 修羅と 悪竜と 合戦 ひま なし.

おんじょうじを やき えいざんを やく.
園城寺を やき 叡山を やく.

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b311

ししょうだいしの ほんぞんの じしぼさつも やけぬ.
智証大師の 本尊の 慈氏菩薩も やけぬ.

じかくだいしの ほんぞん だいこうどうも やけぬ.
慈覚大師の 本尊 大講堂も やけぬ.

げんしんに むけんじごくを かんぜり.
現身に 無間地獄を かんぜり.

ただ ちゅうどう ばかり のこれり.
但 中堂 計り のこれり.

こうぼうだいしも また あと なし.
弘法大師も 又 跡 なし.

こうぼうだいしの いわく.
弘法大師の 云く.

とうだいじの じゅかい せざらん ものをば とうじの ちょうじゃと すべからず とう.
東大寺の 受戒 せざらん 者をば 東寺の 長者と すべからず 等.

おんいましめの じょう あり.
御いましめの 状 あり.

しかれども かんぴょうほうおうは にんなじを こんりゅうして とうじの ほっしを うつして.
しかれども 寛平法王は 仁和寺を 建立して 東寺の 法師を うつして.

わがてらには えいざんの えんどんかいを たもたざらん ものをば.
我寺には 叡山の 円頓戒を 持ざらん 者をば.

じゅうせしむ べからずと せんじ ふんみょう なり.
住せしむ べからずと 宣旨 分明 なり.

されば いまの とうじの ほっしは がんじんが でしにも あらず.
されば 今の 東寺の 法師は 鑒真が 弟子にも あらず.

こうぼうの でしにも あらず.
弘法の 弟子にも あらず.

かいは でんぎょうの みでし なり.
戒は 伝教の 御弟子 なり.

また でんぎょうの みでしにも あらず でんぎょうの ほけきょうを はしつ す.
又 伝教の 御弟子にも あらず 伝教の 法華経を 破失 す.

さる しょうわ 2ねん 3がつ 21にちに しきょ ありしかば.
去る 承和 二年 三月 二十一日に 死去 ありしかば.

くげ より いたいをば ほうぶらせ たもう.
公家 より 遺体をば ほうぶらせ 給う.

そのご おうわくの でしら つどりて ごにゅうじょうと うんぬん.
其の後 誑惑の 弟子等 集りて 御入定と 云云.

あるいは かみを そりて まいらするぞと いい.
或は かみを そりて まいらするぞと いゐ.

あるいは さんこを かんど より なげたりと いい.
或は 三鈷を かんど より なげたりと いゐ.

あるいは にちりん よなかに いでたりと いい.
或は 日輪 夜中に 出でたりと いゐ.

あるいは げんしんに だいにちにょらいと なりたりと いい.
或は 現身に 大日如来と なりたりと いひ.

あるいは でんぎょうだいしに 18どうを おしえ まいらせ たまうと いいて.
或は 伝教大師に 十八道を をしへ まいらせ 給うと いゐて.

しの とくを あげて ちえに かえ.
師の 徳を あげて 智慧に かへ.

わがしの じゃぎを たすけて おうしんを おうわく するなり.
我が師の 邪義を 扶けて 王臣を 誑惑 するなり.

また こうやさんに ほんじ でんぽういんと いいし にの てら あり.
又 高野山に 本寺 伝法院と いいし 二の 寺 あり.

ほんじは こうぼうの たてたる だいとう だいにちにょらい なり.
本寺は 弘法の たてたる 大塔 大日如来 なり.

でんぽういんと もうすは しょうがくぼうの たてし こんごうかいの だいにち なり.
伝法院と 申すは 正覚房の 立てし 金剛界の 大日 なり.

この ほんまつの にじ ちゅうやに かっせん あり.
此の 本末の 二寺 昼夜に 合戦 あり.

れいせば えいざん おんじょうの ごとし.
例せば 叡山 園城の ごとし.

おうわくの つもりて にほんに ふたつの わざわいの しゅつげん せるか.
誑惑の つもりて 日本に 二の 禍の 出現 せるか.

ふんを あつめて せんだんと なせども やく ときは ただ ふんの かおり なり.
糞を 集めて 栴檀と なせども 焼く 時は 但 糞の 香 なり.

だいもうごを あつめて ほとけと ごうすとも ただ むけんだいじょう なり.
大妄語を 集めて 仏と がうすとも 但 無間大城 なり.

にけんが とうは すうねんが あいだ りしょうこうだい なり しかども.
尼ケンが 塔は 数年が 間 利生広大 なり しかども.

めみょうぼさつの れいを うけて たちまちに くずれぬ.
馬鳴菩薩の 礼を うけて 忽に くづれぬ.

きべんばらもんが とばりは たねん ひとを たぼらかせ しかども.
鬼弁婆羅門が とばりは 多年 人を たぼらかせ しかども.

あすばくしゃぼさつに せめられて やぶれぬ.
阿ス縛ク沙菩薩に せめられて やぶれぬ.

くるげどうは いしと なって 800ねん.
ク留外道は 石と なつて 八百年.

じんなぼさつに せめられて みずと なりぬ.
陳那菩薩に せめられて 水と なりぬ.

どうしは かんどを たぼらかす こと すうひゃくねん.
道士は 漢土を たぼらかす こと 数百年.

まとう じくらんに せめられて せんきょうも やけぬ.
摩騰 竺蘭に せめられて 仙経も やけぬ.

ちょうこうが くにを とりし おうもうが くらいを うばいしが ごとく.
趙高が 国を とりし 王莽が 位を うばいしが ごとく.

ほけきょうの くらいを とって だいにちきょうの しょりょうと せり.
法華経の 位を とて 大日経の 所領と せり.

ほうおう すでに くにに うせぬ にんのう あに あんのん ならんや.
法王 すでに 国に 失せぬ 人王 あに 安穏 ならんや.

にほんこくは じかく ちしょう こうぼうの ながれ なり.
日本国は 慈覚 智証 弘法の 流 なり.

ひとりとして ほうぼう ならざる ひとは なし.
一人として 謗法 ならざる 人は なし.

ただし ことの こころを あんずるに だいしょうごんぶつの すえ.
但し 事の 心を 案ずるに 大荘厳仏の 末.

いっさい みょうおうぶつの まっぽうの ごとし.
一切明王仏の 末法の ごとし.

いおんのうぶつの まっぽうには かいげ ありしすら.
威音王仏の 末法には 改悔 ありしすら.

なお せんごう あびじごくに おつ.
猶 千劫 阿鼻地獄に 堕つ.

→a311

b312

いかに いわうや にほんこくの しんごんし ぜんしゅう ねんぶつしゃらは いちぶんの えしん なし.
いかに いわうや 日本国の 真言師 禅宗 念仏者等は 一分の 廻心 なし.

かくのごとく てんでんして むしゅこうに いたる うたがい なきものか.
如是 展転 至 無数劫 疑 なきものか.

かかる ほうぼうの くに なれば てんも すてぬ.
かかる 謗法の 国 なれば 天も すてぬ.

てん すつれば ふるき しゅごの ぜんじんも ほこらを やいて じゃっこうの みやこへ かえり たまいぬ.
天 すつれば ふるき 守護の 善神も ほこらを やひて 寂光の 都へ かへり 給いぬ.

ただ にちれん ばかり とどまりいて つげ しめせば こくしゅ これを あだみ.
但 日蓮 計り 留り居て 告げ 示せば 国主 これを あだみ.

すうひゃくにんの たみに あるいは めり あるいは あっく あるいは じょうもく あるは とうけん.
数百人の 民に 或は 罵詈 或は 悪口 或は 杖木 或は 刀剣.

あるいは いえいえごとに せき あるいは いえ いえ ごとに おう.
或は 宅宅ごとに せき 或は 家 家 ごとに をう.

それに かなわねば われと てを くだして にどまで るざい あり.
それに かなはねば 我と 手を くだして 二度まで 流罪 あり.

いぬる ぶんえいはちねん くがつの じゅうににちに くびを きらんとす.
去ぬる 文永八年 九月の 十二日に 頚を 切らんとす.

さいしょうおうきょうに いわく.
最勝王経に 云く.

「あくにんを あいぎょうし ぜんにんを ちばつ するに よるが ゆえに.
「悪人を 愛敬し 善人を 治罰 するに 由るが 故に.

たほうの おんぞく きたって くにびと そうらんに あう」とう うんぬん.
他方の 怨賊 来つて 国人 喪乱に 遭う」等 云云.

だいしっきょうに いわく.
大集経に 云く.

「もしは またもろもろの せつり こくおう あって もろもろの ひほうを なして.
「若しは 復諸の 刹利 国王 有つて 諸の 非法を 作して.

せそんの しょうもんの でしを のうらんし.
世尊の 声聞の 弟子を 悩乱し.

もしは もって きめし とうじょうを もって ちょうしゃくし.
若しは 以て 毀罵し 刀杖を もつて 打斫し.

および えはつ しゅじゅの しぐを うばい.
及び 衣鉢 種種の 資具を 奪い.

もしは たの きゅう せせんに るなんを なさば.
若しは 他の 給 施せんに 留難を 作さば.

われら かれをして しぜんに たほうの おんてきを そっき せしめん.
我等 彼れをして 自然に 他方の 怨敵を 卒起 せしめん.

および みずからの こくども また へい おこり.
及び 自らの 国土も 亦 兵 起り.

びょうえき ききんし ひじの ふうう とうじょうごんしょう せしめん.
病疫 飢饉し 非時の 風雨 闘諍言訟 せしめん.

また その おうをして ひさしからずして また まさに おのが くにを ぼうしつ せしめん」とう うんぬん.
又 其の 王をして 久しからずして 復 当に 己が 国を 亡失 せしめん」等 云云.

これらの きょうもんの ごときは にちれん この くにに なくば ほとけは だいもうごの ひと.
此等の 経文の ごときは 日蓮 この 国に なくば 仏は 大妄語の 人.

あびじごくは いかで のがれ たもうべき.
阿鼻地獄は いかで 脱 給うべき.

いぬる ぶんえい 8ねん 9がつ 12にちに へいのさえもん ならびに すうひゃくにんに むかいて いわく.
去ぬる 文永 八年 九月 十二日に 平の左衛門 並びに 数百人に 向て 云く.

にちれんは にほんこくの はしら なり.
日蓮は 日本国の はしら なり.

にちれんを うしなうほど ならば にほんこくの はしらを たおすに なりぬ とう うんぬん.
日蓮を 失うほど ならば 日本国の はしらを たをすに なりぬ 等 云云.

この きょうもんに ちじんを こくしゅら もしくは あくそうらが ざんげんに より.
此の 経文に 智人を 国主等 若は 悪僧等が ざんげんに より.

もしくは しょにんの あっくに よって とがに あつる ならば にわかに いくさ おこり.
若は 諸人の 悪口に よつて 失に あつる ならば にはかに いくさ をこり.

また おおかぜ ふき たこくより せめられるべし とう うんぬん.
又 大風 吹き 他国より せめらるべし 等 云云.

いぬる ぶんえい 9ねん 2がつの どし いくさ.
去ぬる 文永 九年 二月の どし いくさ.

おなじき 11ねんの 4がつの おおかぜ おなじき 10がつに だいもうこの きたりしは.
同じき 十一年の 四月の 大風 同じき 十月に 大蒙古の 来りしは.

ひとえに にちれんが ゆえに あらずや.
偏に 日蓮が ゆへに あらずや.

いわうや さきより これを かんがえたり たれの ひとか うたがうべき.
いわうや 前より これを かんがへたり 誰の 人か 疑うべき.

こうぼう じかく ちしょうの あやまり くにに とし ひさし.
弘法 慈覚 智証の 誤り 国に 年 久し.

そのうえ ぜんしゅうと ねんぶつしゅうとの わざわい あいおこりて.
其の上 禅宗と 念仏宗との わざわい あいをこりて.

ぎゃくふうに おおなみ おこり おおじしんの かさなれるが ごとし.
逆風に 大波 をこり 大地震の かさなれるが ごとし.

されば ようやく くにを とろう だじょうにゅうどうが くにを おさえ.
されば やふやく 国を とろう 太政入道が 国を おさへ.

じょうきゅうに おうい つき はてて よ ひがしに うつり しかども.
承久に 王位 つき はてて 世 東に うつり しかども.

ただ くにじゅうの みだれにて たこくの せめは なかりき.
但 国中の みだれにて 他国の せめは なかりき.

かれは ほうぼうの ものは あれども また てんだいの しょうほうも すこし あり.
彼は 謗法の 者は あれども 又 天台の 正法も すこし 有り.

そのうえ ささえ あらわす ちじん なし.
其の上 ささへ 顕わす 智人 なし.

かるがゆえに なのめなりき.
かるがゆへに なのめなりき.

たとえば ししの ねむれるは てを つけざれば ほえず.
譬へば 師子の ねぶれるは 手を つけざれば ほへず.

→a312

b313

じんりゅうは ろを ささえざれば なみ たかからず.
迅流は 櫓を ささへざれば 波 たかからず.

ぬすびとは とめざれば いからず.
盗人は とめざれば いからず.

ひは たきぎを くわえざれば さかん ならず.
火は 薪を 加えざれば さかん ならず.

ほうぼうは あれども あらわす ひと なければ おうほうも しばらくは たえず.
謗法は あれども あらわす 人 なければ 王法も しばらくは たえず.

くにも おだやか なるに にたり.
国も をだやか なるに にたり.

れいせば にほんこくに ぶっぽう わたり はじめて そうらいしに.
例せば 日本国に 仏法 わたり はじめて 候いしに.

はじめは なにごとも なかりしかども もりや ほとけを やき.
始は なに事も なかりしかども 守屋 仏を やき.

そうを いましめ どうとうを やき しかば.
僧を いましめ 堂塔を やき しかば.

てん より ひの あめ ふり くにに ほうそう おこり へいらん つづきしが ごとし.
天 より 火の 雨 ふり 国に はうさう をこり 兵乱 つづきしが ごとし.

これは それには にるべくも なし.
此れは それには にるべくも なし.

ほうぼうの ひとびとも くにに じゅうまんせり.
謗法の 人人も 国に 充満せり.

にちれんが たいぎも つよく せめかかる しゅらと たいしゃくと ほとけと まおうとの かっせんにも おとる べからず.
日蓮が 大義も 強く せめかかる 修羅と 帝釈と 仏と 魔王との 合戦にも をとる べからず.

こんこうみょうきょうに いわく.
金光明経に 云く.

「ときに りんごくの おんてき かくの ごとき ねんを おこさん.
「時に 鄰国の 怨敵 是くの 如き 念を 興さん.

まさに しへいを ぐして かの こくどを やぶるべし」とう うんぬん.
当に 四兵を 具して 彼の 国土を 壊るべし」等 云云.

また いわく.
又 云く.

「ときに おう みおわって すなわち しへいを よそおいて かの くにに はっこうし とうばつを なさんと ほっす.
「時に 王 見已つて 即 四兵を 厳いて 彼の 国に 発向し 討罰を 為んと 欲す.

われら そのときに まさに けんぞく むりょうむへんの やしゃ しょじんと おのおの かたちを かくして ために ごじょを なし.
我等 爾の時に 当に 眷属 無量無辺の 薬叉 諸神と 各 形を 隠して 為に 護助を 作し.

かの おんてきをして じねんに こうふく せしむべし」とう うんぬん.
彼の 怨敵をして 自然に 降伏 せしむべし」等 云云.

さいしょうおうきょうの もん また かくのごとし.
最勝王経の 文 又 かくのごとし.

だいしっきょう うんぬん にんのうきょう うんぬん.
大集経 云云 仁王経 云云.

これらの きょうもんの ごときんば しょうほうを ぎょうずるものを こくしゅ あだみ.
此等の 経文の ごときんば 正法を 行ずるものを 国主 あだみ.

じゃほうを ぎょうずる ものの かとうどせば だいぼんてんのう たいしゃく にちがつ してんとう .
邪法を 行ずる 者の かたうどせば 大梵天王 帝釈 日月 四天等.

りんごくの けんのうの みに いり かわりて その くにを せむべしと みゆ.
隣国の 賢王の 身に 入り かわりて 其の 国を せむべしと みゆ.

れいせば きりたおうを せっせんげおうの せめ だいぞくおうを ようにちおうの うしないしが ごとし.
例せば 訖利多王を 雪山下王の せめ 大族王を 幼日王の 失いしが ごとし.

きりたおうと だいぞくおうとは がっしの ぶっぽうを うしないし おう ぞかし.
訖利多王と 大族王とは 月氏の 仏法を 失いし 王 ぞかし.

かんどにも ぶっぽうを ほろぼしし おう みな けんのうに せめられぬ.
漢土にも 仏法を ほろぼしし 王 みな 賢王に せめられぬ.

これは かれには にるべくも なし.
これは 彼には にるべくも なし.

ぶっぽうの かとうど なるようにて ぶっぽうを うしなう.
仏法の かたうど なるようにて 仏法を 失なう.

ほっしを たすくと みえて しょうほうの ぎょうじゃを うしなう ゆえに.
法師を 扶くと 見えて 正法の 行者を 失う ゆへに.

ぐしゃは すべて しらず ちしゃ なんども つねの ちじんは しりがたし.
愚者は すべて しらず 智者 なんども 常の 智人は しりがたし.

てんも げれつの てんにんは しらずもや あるらん.
天も 下劣の 天人は 知らずもや あるらん.

されば かんど がっしの いにしえの みだれ よりも おおき なるべし.
されば 漢土 月氏の いにしへの みだれ よりも 大き なるべし.

ほうめつじんきょうに いわく.
法滅尽経に 云く.

「われ はつないおんの のち ごぎゃく じょくせに まどう こうじょうし ま しゃもんと なって わが みちを えらんせん.
「吾 般泥オンの 後 五逆 濁世に 魔道 興盛し 魔 沙門と 作つて 吾が 道を 壊乱せん.

ないし あくにん うたた おおく かいちゅうの いさごの ごとく.
乃至 悪人 転 多く 海中の 沙の 如く.

ぜんしゃ はなはだ すくなくして もしは いち もしは に」うんぬん.
善者 甚だ 少して 若しは 一 若しは 二」云云.

ねはんきょうに いわく.
涅槃経に 云く.

「かくの ごとき とうの ねはんきょうてんを しんずる ものは そうじょうの どの ごとく.
「是くの 如き 等の 涅槃経典を 信ずる ものは 爪上の 土の 如く.

ないし この きょうを しんぜざる ものは じっぽうかいの しょゆうの ちどの ごとし」とう うんぬん.
乃至 是の 経を 信ぜざる ものは 十方界の 所有の 地土の 如し」等 云云.

この きょうもんは ときに あたりて とうとく よが きもに そみぬ.
此の 経文は 時に 当りて 貴とく 予が 肝に 染みぬ.

とうせ にほんこくには われも ほけきょうを しんじたり しんじたり.
当世 日本国には 我も 法華経を 信じたり 信じたり.

しょにんの ことばの ごときんば いちにんも ほうぼうの ものなし.
諸人の 語の ごときんば 一人も 謗法の 者なし.

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この きょうもんには まっぽうに ほうぼうの もの じっぽうの ちど.
此の 経文には 末法に 謗法の 者 十方の 地土.

しょうほうの もの そうじょうの ど とう うんぬん.
正法の 者 爪上の 土 等 云云.

きょうもんと せけんとは すいか なり.
経文と 世間とは 水火 なり.

せけんの ひと いわく にほんこくには にちれん いちにん ばかり ほうぼうの もの とう うんぬん.
世間の 人 云く 日本国には 日蓮 一人 計り 謗法の 者 等 云云.

また きょうもんには だいち より おおからんと うんぬん.
又 経文には 大地 より 多からんと 云云.

ほうめつじんきょうには ぜんしゃ いち ににん ねはんぎょうには しんじゃ そうじょうのど とう うんぬん.
法滅尽経には 善者 一 二人、 涅槃経には 信者 爪上土 等 云云.

きょうもんの ごとくならば にほんこくは ただ にちれん いちにんこそ そうじょうのど いち ににんにては そうらえ.
経文の ごとくならば 日本国は 但 日蓮 一人こそ 爪上土 一 二人にては 候へ.

されば こころ あらん ひとびとは きょうもんをか もちゆべき せけんをか もちゆべき.
されば 心 あらん 人人は 経文をか 用ゆべき 世間をか 用ゆべき.

とうて いわく.
問て 云く.

ねはんぎょうの もんには ねはんぎょうの ぎょうじゃは そうじょうの ど とう うんぬん.
涅槃経の 文に は涅槃経の 行者は 爪上の 土 等 云云.

なんじが ぎには ほけきょう とう うんぬん いかん.
汝が 義には 法華経 等 云云 如何.

こたえて いわく ねはんぎょうに いわく「ほっけの なかの ごとし」とう うんぬん.
答えて 云く 涅槃経に 云く 「法華の 中の 如し」等 云云.

みょうらく だいし いわく「だいきょう みずから ほっけを さして ごくと なす」とう うんぬん.
妙楽大師 云く「大経 自ら 法華を 指して 極と 為す」等 云云.

だいきょうと もうすは ねはんぎょう なり.
大経と 申すは 涅槃経 なり.

ねはんぎょうには ほっけを ごくと さして そうろうなり.
涅槃経には 法華経を 極と 指て 候なり.

しかるを ねはんしゅうの ひとの ねはんぎょうを ほけきょうに まさると もうせしは.
而るを 涅槃宗の 人の 涅槃経を 法華経に 勝ると 申せしは.

しゅを しょじゅうと いい げろうを じょうろうと いいし ひと なり.
主を 所従と いゐ 下郎を 上郎と いゐし 人 なり.

ねはんぎょうを よむと もうすは ほけきょうを よむを もうすなり.
涅槃経を よむと 申すは 法華経を よむを 申すなり.

たとえば けんじんは こくしゅを おもんずる ものをば われを さぐれども よろこぶ なり.
譬へば 賢人は 国主を 重んずる 者をば 我を さぐれども 悦ぶなり.

ねはんぎょうは ほけきょうを くだして われを ほむる ひとをば あながちに かたきと にくませ たもう.
涅槃経は 法華経を 下て 我を ほむる 人をば あながちに 敵と にくませ 給う.

この れいを もって しるべし.
此の 例を もつて 知るべし.

けごんきょう かんぎょう だいにちきょう とうを よむ ひとも ほけきょうを れつと よむは.
華厳経 観経 大日経 等を よむ 人も 法華経を 劣と よむは.

かれがれの きょうぎょうの こころには そむくべし.
彼れ彼れの 経経の 心には そむくべし.

これを もって しるべし.
此れを もつて 知るべし.

ほけきょうを よむ ひとの この きょうをば しんずるよう なれども.
法華経を よむ 人の 此の 経をば 信ずるよう なれども.

しょきょう にても とくどう なると おもうは この きょうを よまぬ ひと なり.
諸経 にても 得道 なると おもうは 此の 経を よまぬ 人 なり.

れいせば かじょうだいしは ほっけげんと もうす もん.
例せば 嘉祥大師は 法華玄と 申す 文.

じっかん つくりて ほけきょうを ほめ しかども.
十巻 造りて 法華経を ほめ しかども.

みょうらく かれを せめて いわく.
妙楽 かれを せめて 云く.

「そしり その なかに あり なんぞ ぐさんと なさん」とう うんぬん.
「毀 其の 中に 在り 何んぞ 弘讃と 成さん」等 云云.

ほけきょうを やぶる ひと なり.
法華経を やぶる人 なり.

されば かじょうは おちて てんだいに つかいて ほけきょうを よまず.
されば 嘉祥は 落ちて 天台に つかひて 法華経を よまず.

われ きょうを よむならば あくどう まぬかれ がたしとて 7ねんまで みを はしとし たまいき.
我れ 経を よむならば 悪道 まぬかれ がたしとて 七年まで 身を 橋とし 給いき.

じおんだいしは げんさんと もうして ほけきょうを ほむる もん じっかん あり.
慈恩大師は 玄賛と 申して 法華経を ほむる 文 十巻 あり.

でんぎょうだいし せめて いわく.
伝教大師 せめて 云く.

「ほけきょうを ほむると いえども かえって ほっけの こころを ころす」とう うんぬん.
「法華経を 讃むると 雖も 還て 法華の 心を 死す」等 云云.

これらを もって おもうに ほけきょうを よみ さんたん する ひとびとの なかに.
此等を もつて おもうに 法華経を よみ 讃歎 する 人人の 中に.

むけんじごくは おおく あるなり.
無間地獄は 多く 有るなり.

かじょう じおん すでに いちじょう ほうぼうの ひと ぞかし.
嘉祥 慈恩 すでに 一乗 誹謗の 人 ぞかし.

こうぼう じかく ちしょう あに ほけきょう べつじょの ひとに あらずや.
弘法 慈覚 智証 あに 法華経 蔑如の 人に あらずや.

かじょうだいしの ごとく こうを はいし しゅうを さんじて みを はしと なせしも.
嘉祥大師の ごとく 講を 廃し 衆を 散じて 身を 橋と なせしも.

なお いぜんの ほけきょう ほうぼうの つみや きえざるらん.
猶 已前の 法華経 誹謗の 罪や きへざるらん.

れいせば ふきょう けいきの しゅは ふきょうぼさつに しんぷく ずいじゅう せしかども.
例せば 不軽軽毀の 衆は 不軽菩薩に 信伏 随従 せしかども.

じゅうざい いまだ のこりて せんごう あびに おちぬ.
重罪 いまだ のこりて 千劫 阿鼻に 堕ちぬ.

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されば こうぼう じかく ちしょうらは たとい ひるがえす こころ ありとも.
されば 弘法 慈覚 智証等は 設い ひるがへす 心 ありとも.

なお ほけきょうを よむならば じゅうざい きえがたし.
尚 法華経を よむならば 重罪 きへがたし.

いわうや ひるがえる こころ なし.
いわうや ひるがへる 心 なし.

また ほけきょうを うしない しんごんきょうを ちゅうやに おこない ちょうぼに でんぽう せしをや.
又 法華経を 失い 真言教を 昼夜に 行い 朝暮に 伝法 せしをや.

せしんぼさつ めみょうぼさつは しょうを もって.
世親菩薩 馬鳴菩薩は 小を もつて.

だいを はせる つみをば したを きらんと こそ せさせ たまいしか.
大を 破せる 罪をば 舌を 切らんと こそ せさせ 給いしか.

せしんぼさつは ぶっせつ なれども.
世親菩薩は 仏説 なれども.

あごんきょうをば たわむれにも したの うえに おかじと ちかい.
阿含経をば たわふれにも 舌の 上に をかじと ちかひ.

めみょうぼさつは ざんげの ために きしんろんを つくりて しょうじょうを やぶり たまいき.
馬鳴菩薩は 懺悔の ために 起信論を つくりて 小乗を やぶり 給き.

かじょうだいしは てんだいだいしを しょうじ たてまつりて 100よにんの ちしゃの まえにして.
嘉祥大師は 天台大師を 請じ 奉りて 百余人の 智者の 前にして.

ごたいを ちに なげ へんしんに あせを ながし.
五体を 地に なげ 遍身に あせを ながし.

くれないの なみだを ながして いま よりは でしを みじ.
紅の なんだを ながして 今 よりは 弟子を 見じ.

ほけきょうを こうぜじ でしの おもてを まもり.
法華経を かうぜじ 弟子の 面を まほり.

ほけきょうを よみ たてまつれば わが ちからの この きょうを しるに にたり とて.
法華経を よみ たてまつれば 我 力の 此の 経を 知るに にたり とて.

てんだいよりも こうそう ろうそうにて おわせしが.
天台よりも 高僧 老僧にて おはせしが.

わざと ひとの みるとき おいまいらせて かわを こえ.
わざと 人の みるとき をひまいらせて 河を こへ.

こうざに ちかづきて せなかに のせまいらせて こうざに のぼせ たてまつり.
かうざに ちかづきて せなかに のせまいらせて 高座に のぼせ たてまつり.

けっく ごりんじゅうの のちには ずいの こうていに まいらせて.
結句 御臨終の 後には 隋の 皇帝に まいらせて.

しょうにが ははに おくれたるが ごとくに あしずりをして なき たまいしなり.
小児が 母に をくれたるが ごとくに 足ずりをして なき 給いしなり.

かじょうだいしの ほっけげんを みるに いとう ほけきょうを ぼうじたる しょには あらず.
嘉祥大師の 法華玄を 見るに いたう 法華経を 謗じたる 疏には あらず.

ただ ほけきょうと しょだいじょうきょうとは もんは せんじん あれども こころは ひとつと かきてこそ ろうらえ.
但 法華経と 諸大乗経とは 門は 浅深 あれども 心は 一と かきてこそ 候へ.

これが ほうぼうの こんぽんにて そうろうか.
此れが 謗法の 根本にて 候か.

けごんの ちょうかんも しんごんの ぜんむいも だいにちきょうと ほけきょうとは ことわりは ひとつと こそ かかれて そうらえ.
華厳の 澄観も 真言の 善無畏も 大日経と 法華経とは 理は 一と こそ かかれて 候へ.

かじょうだいし とが あらば ぜんむいさんぞうも のがれがたし.
嘉祥大師 とがあらば 善無畏三蔵も 脱がたし.

されば ぜんむいさんぞうは ちゅうてんの こくしゅなり くらいを すてて たこくに いたり.
されば 善無畏三蔵は 中天の 国主なり 位を すてて 他国に いたり.

しゅしょう しょうだいの ふたりに あいて ほけきょうを うけ ひゃくせんの いしの とうを たてしかば.
殊勝 招提の 二人に あひて 法華経を うけ 百千の 石の 塔を 立てしかば.

ほけきょうの ぎょうじゃと こそ みえしか.
法華経の 行者と こそ みへしか.

しかれども だいにちきょうを ならいし より このかた.
しかれども 大日経を 習いし より このかた.

ほけきょうを だいにちきょうに おとるとや おもいけん.
法華経を 大日経に 劣るとや おもひけん.

はじめは いとう そのぎも なかりけるが.
始は いたう 其の義も なかりけるが.

かんどに わたりて げんそうこうていの しと なりぬ.
漢土に わたりて 玄宗皇帝の 師と なりぬ.

てんだいしゅうを そねみ おもう こころ つき たまいけるかの ゆえに.
天台宗を そねみ 思う 心 つき 給いけるかの ゆへに.

たちまちに とんしして ふたりの ごくそつに はがねの なわ ななすじ つけられて えんまおうきゅうに いたりぬ.
忽に 頓死して 二人の 獄卒に 鉄の 縄 七すぢ つけられて 閻魔王宮に いたりぬ.

いのち いまだ つきずと いいて かえされしに.
命 いまだ つきずと いゐて かへされしに.

ほけきょうを ぼうずるとや おもいけん.
法華経を 謗ずるとや おもひけん.

しんごんの かんねん いん しんごん とうをば なげすてて.
真言の 観念 印 真言 等をば なげすてて.

ほけきょうの こんし さんがいの もんを となえて なわも きれ かえされ たまいぬ.
法華経の 今此 三界の 文を 唱えて 縄も 切れ かへされ 給いぬ.

また あめの いのりを おおせつけ られたりしに.
又 雨の いのりを おほせつけ られたりしに.

たちまちに あめは ふりたり しかども おおかぜ ふきて くにを やぶる.
忽に 雨は 下たり しかども 大風 吹きて 国を やぶる.

けっく しし たまいて ありしには.
結句 死し 給いて ありしには.

でしら あつまりて りんじゅう いみじきようを ほめしかども むけんだいじょうに おちにき.
弟子等 集りて 臨終 いみじきやうを ほめしかども 無間大城に 堕ちにき.

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b316

とうて いわく なにを もってか これを しる.
問うて 云く 何を もつてか これを しる.

こたて いわく かの でんを みるに いわく.
答えて 云く 彼の 伝を 見るに 云く.

「いま いの いぎょうを みるに ようやく ますます しゅくしょうし こくひ いんいんとして ほね それ あらわなり」とう うんぬん.
「今 畏の 遺形を 観るに 漸く 加 縮小し 黒皮 隠隠として 骨 其露なり」等 云云.

かの でしらは しごに じごくの そうの あらわれたるを しらずして.
彼の 弟子等は 死後に 地獄の 相の 顕われたるを しらずして.

とくを あぐなど おもえども かき あらわせる ふでは いが とがを かけり.
徳を あぐなど をもへども かき あらはせる 筆は 畏が 失を かけり.

しして ありければ み ようやく ちぢまり ちいさく.
死して ありければ 身 やふやく つづまり ちひさく.

かわは くろし ほね あらわなりとう うんぬん.
皮は くろし 骨 あらはなり等 云云.

ひと しして のち いろの くろきは じごくの ごうと さだむることは ぶっだの きんげん ぞかし.
人 死して 後 色の 黒きは 地獄の 業と 定むる 事は 仏陀の 金言 ぞかし.

ぜんむいさんぞうの じごくの ごうは なにごとぞ.
善無畏三蔵の 地獄の 業は なに事ぞ.

ようしょうにして くらいを すてぬ だいいちの どうしん なり.
幼少にして 位を すてぬ 第一の 道心 なり.

がっし 50よかこくを しゅぎょうせり じひの あまりに かんどに わたれり.
月氏 五十余箇国を 修行せり 慈悲の 余りに 漢土に わたれり.

てんじん しんたん にほん いちえんぶだいの うちに しんごんを つたえ.
天竺 震旦 日本 一閻浮提の 内に 真言を 伝へ.

すずを ふる この ひとの とくに あらずや.
鈴を ふる 此の 人の 徳に あらずや.

いかにして じごくに おちけると ごしょうを おもわん ひとびとは おんたずね あるべし.
いかにして 地獄に 堕ちけると 後生を おもはん 人人は 御尋ね あるべし.

また こんごうちさんぞうは みなみてんじくの だいおうの たいし なり.
又 金剛智三蔵は 南天竺の 大王の 太子 なり.

こんごうちょうきょうを かんどに わたす.
金剛頂経を 漢土に わたす.

そのとく ぜんむいの ごとし.
其の徳 善無畏の ごとし.

また たがいに しと なれり.
又 互いに 師と なれり.

しかるに こんごうちさんぞう ちょくせんに よって あめの いのり ありしかば なのかが うちに あめ ふる.
而るに 金剛智三蔵 勅宣に よて 雨の 祈り ありしかば 七日が 中に 雨 下る.

てんし おおいに よろこばせ たまうほどに たちまちに おおかぜ ふき きたる.
天子 大に 悦ばせ 給うほどに 忽に 大風 吹き 来る.

おうしんら きょうさめ たまいき つかいを つけて おわせ たまい しかども.
王臣等 けうさめ 給いき 使を つけて 追はせ 給い しかども.

とこう のべて とどまりし なり.
とかう のべて 留りし なり.

けっくは ひめみやの ごしきょ ありしに、 いのりを なすべしとて.
結句は 姫宮の 御死去 ありしに いのりを なすべしとて.

おんみの かわりに でんじょうの ふたりの おんな ななさいに なりしを.
御身の 代に 殿上の 二 女 七歳に なりしを.

たきぎに つみこめて やきころせし ことこそ むざんには おぼゆれ.
薪に つみこめて 焼き殺せし 事こそ 無慚には おぼゆれ.

しかれども ひめみやも いきかえり たまわず.
而れども 姫宮も いきかへり 給はず.

ふくうさんぞうは こんごうちと がっし より おんともせり.
不空三蔵は 金剛智と 月支 より 御ともせり.

これらの ことを ふしんとや おもいけん.
此等の 事を 不審とや おもひけん.

いと ちと にゅうめつの のち がっしに かえりて りゅうちに あい たてまつり.
畏と 智と 入滅の 後 月氏に 還りて 竜智に 値い 奉り.

しんごんを ならいなおし てんだいしゅうに きぶくして ありしが.
真言を 習いなをし 天台宗に 帰伏して ありしが.

こころ ばかりは かえれども みは かえる こと なし.
心 計りは 帰えれども 身は かへる 事 なし.

あめの おんいのり うけたまわり たりしが みっかと もうすに あめ ふる.
雨の 御いのり うけ給わり たりしが 三日と 申すに 雨 下る.

てんし よろこばせ たまいて われと おふせ ひかせ たもう.
天子 悦ばせ 給いて 我れと 御布施 ひかせ 給う.

しゅゆ ありしかば おおかぜ おちふりて だいりをも ふき やぶり.
須臾 ありしかば 大風 落ち下りて 内裏をも 吹き やぶり.

うんかく げっけいの しゅくしょ ひとところも あるべしとも みえざり しかば.
雲閣 月卿の 宿所 一所も あるべしとも みへざり しかば.

てんし おおいに おどろきて せんじ なりて かぜを とどめ よと おおせ くださる.
天子 大に 驚きて 宣旨 なりて 風を とどめよと 仰せ 下さる.

しばらく ありては また ふき また ふきせし ほどに すうじつが あいだ やむこと なし.
且らく ありては 又 吹き 又 吹きせし ほどに 数日が 間 やむこと なし.

けっくは つかいを つけて おうて こそ かぜも やみて ありしか.
結句は 使を つけて 追うて こそ 風も やみて ありしか.

この さんにんの あくふうは かんど にほんの いっさいの しんごんしの おおかぜ なり.
此の 三人の 悪風は 漢土 日本の 一切の 真言師の 大風 なり.

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さにて あるやらん.
さにて あるやらん.

いぬる ぶんえい 11ねん 4がつ 12にちの おおかぜは あみだどうの かがほういん.
去ぬる 文永 十一年 四月 十二日の 大風は 阿弥陀堂の 加賀法印.

とうじ だいいちの ちしゃの あめの いのりに ふきたりし ぎゃくふう なり.
東寺 第一の 智者の 雨の いのりに 吹きたりし 逆風 なり.

ぜんむい こんごうち ふくうの あくほうを すこしも たがえず つたえたりけるか.
善無畏 金剛智 不空の 悪法を すこしも たがへず 伝えたりけるか.

こころ にくし こころ にくし.
心 にくし  心 にくし.

こうぼうだいしは いぬる てんちょう がんねんの 2がつ だいかんばつの ありしに.
弘法大師は 去ぬる 天長 元年の 二月 大旱魃の ありしに.

さきには しゅびん あまごいして 7かが うちに あめを ふらす.
先には 守敏 祈雨して 七日が 内に 雨を 下す.

ただ きょうじゅうに ふりて いなかに そそがず.
但 京中に ふりて 田舎に そそがず.

つぎに ほうぼう うけとりて 17にちに あまけ なし.
次に 弘法 承取て 一七日に 雨気 なし.

27にちに くも なし.
二七日に 雲 なし.

37にちと もうせしに てんしより わけの まつなを ししゃとして.
三七日と 申せしに 天子より 和気の 真綱を 使者として.

ごへいを しんせんえんに まいらせたり しかば、 てんう ふること みっか.
御幣を 神泉苑に まいらせたり しかば 天雨 下事 三日.

これをば こうぼうだいし ならびに でしら この あめを うばいとり.
此れをば 弘法大師 並に 弟子等 此の 雨を うばひとり.

わが あめとして いまに 400よねん こうぼうの あめと いう.
我が 雨として 今に 四百余年 弘法の 雨と いう.

じかくだいしの ゆめに にちりんを いしと こうぼうだいしの だいもうごに いわく.
慈覚大師の 夢に 日輪を いしと 弘法大師の 大妄語に 云く.

こうにん 9ねんの はる たいえきを いのり しかば よなかに だいにちりん しゅつげんせりと うんぬん.
弘仁 九年の 春 大疫を いのり しかば 夜中に 大日輪 出現せりと 云云.

じょうこうより このかた じゅうこうの だい9の げん いじょう 29こうが あいだに.
成劫より 已来 住劫の 第九の 減 已上 二十九劫が 間に.

にちりん よなかに いでしと いうこと なし.
日輪 夜中に 出でしと いう事 なし.

じかくだいしは ゆめに にちりんを いると いう ないてん 5せん 7せん げてん 3000よかんに.
慈覚大師は 夢に 日輪を いると いう 内典 五千 七千 外典 三千余巻に.

にちりんを いると ゆめに みるは きちむと いうこと ありや いなや.
日輪を いると ゆめに みるは 吉夢と いう事 有りや いなや.

しゅらは たいしゃくを あだみて にってんを い たてまつる.
修羅は 帝釈を あだみて 日天を い たてまつる.

そのや かえりて わが まなこに たつ.
其の矢 かへりて 我が 眼に たつ.

いんの ちゅうおうは にってんを まとに いて みを ほろぼす.
殷の 紂王は 日天を 的に いて 身を 亡す.

にほんの じんむてんのうの おんとき とみのおさと いつせのみことと かっせん ありしに みことの てに や たつ.
日本の 神武天皇の 御時 度美長と 五瀬命と 合戦 ありしに 命の 手に 矢 たつ.

みことの いわく.
命の 云く.

われは これ にってんの しそん なり.
我は これ 日天の 子孫 なり.

ひに むかい たてまつりて ゆみを ひくゆえに にってんの せめを こうむれりと うんぬん.
日に 向い 奉りて 弓を ひくゆへに 日天の せめを かをほれりと 云云.

あじゃせおうは じゃけんを ひるがえして ほとけに きし まいらせて.
阿闍世王は 邪見を ひるがえして 仏に 帰し まいらせて.

だいりに かえりて ぎょしん なりしが.
内裏に 返りて ぎよしん なりしが.

おどろいて しょしんに むかって いわく.
おどろいて 諸臣に 向て 云く.

にちりん てんより ちに おつと.
日輪 天より 地に 落つと.

ゆめに みる しょしんの いわく ほとけの ごにゅうめつか うんぬん.
ゆめに みる 諸臣の 云く 仏の 御入滅か 云云.

しゅばつだらが ゆめ また かくのごとし.
須跋陀羅が ゆめ 又 かくのごとし.

わがくには ことに いむべき ゆめ なり.
我国は 殊に いむべき ゆめ なり.

かみをば てんしょうと いう くにをば ひのもとと いう.
神をば 天照と いう 国をば 日本と いう.

また きょうしゅ しゃくそんをば にっしゅと もうす.
又 教主釈尊をば 日種と 申す.

まや ふじん ひを はらむと ゆめに みて もうけ たまえる たいし なり.
摩耶夫人 日を はらむと ゆめに みて まうけ 給える 太子 なり.

じかくだいしは だいにちにょらいを えいざんに たて.
慈覚大師は 大日如来を 叡山に 立て.

しゃかぶつを すて しんごんの 3ぶきょうを あがめて.
釈迦仏を すて 真言の 三部経を あがめて.

ほけきょうの 3ぶの てきと なせし ゆえに この ゆめ しゅつげん せり.
法華経の 三部の 敵と なせし ゆへに 此の 夢 出現 せり.

れいせば かんどの ぜんどうが はじめは みっしゅうの みょうしょうと いいし ものに あうて ほけきょうを よみたりしが.
例せば 漢土の 善導が 始は 密州の 明勝と いゐし 者に 値うて 法華経を よみたりしが.

のちには どうしゃくに あうて ほけきょうを すてて かんぎょうに よりて しょを つくり.
後には 道綽に 値うて 法華経を すて 観経に 依りて 疏を つくり.

ほけきょうをば せんちゅうむいち ねんぶつをば じっそくじっしょう ひゃくそくひゃくしょうと さだめて.
法華経をば 千中無一 念仏をば 十即十生 百即百生と 定めて.

この ぎを じょうぜんが ために あみだぶつの ごぜんにして きせいを なす.
此の 義を 成ぜんが ために 阿弥陀仏の 御前にして 祈誓を なす.

→a317

b318

ぶついに かなうや いなや.
仏意に 叶うや いなや.

まいや ゆめの なかに つねに ひとりの そう ありて きたりて しじゅすと うんぬん.
毎夜 夢の 中に 常に 一りの 僧 有りて 来て 指授すと 云云.

ないし もっぱら きょうほうの ごとくせよ.
乃至 一 経法の 如くせよ.

ないし かんねんほうもんきょう とう うんぬん.
乃至 観念法門経等 云云.

ほけきょうには「もし ほうを きくもの あれば ひとりとして じょうぶつ せざる なし」と.
法華経には「若し 法を 聞く者 有れば 一として 成仏 せざる 無し」と.

ぜんどうは「せんの なかにも ひとつも なし」とう うんぬん.
善導は「千の 中に 一も 無し」等 云云.

ほけきょうと ぜんどうとは すいか なり.
法華経と 善導とは 水火 なり.

ぜんどうは かんぎょうをば じっそくじっしょう ひゃくそくひゃくしょう.
善導は 観経をば 十即十生 百即百生.

むりょうぎきょうに いわく.
無量義経に 云く.

「かんぎょうは いまだ しんじつを あかさず」とう うんぬん.
「観経は 未だ 真実を 顕さず」等 云云.

むりょうぎきょうと ようりゅうぼうとは てんち なり.
無量義経と 楊柳房とは 天地 なり.

これを あみだぶつの そうと なりて きたって.
此れを 阿弥陀仏の 僧と 成りて 来つて.

なんじが しょは まことなりと しょうし たまわんは あに まこと ならんや.
汝が 疏は 真なりと 証し 給わんは あに 真事 ならんや.

そもそも あみだは ほけきょうの ざに きたりて したをば いだし たまわざりけるか.
抑 阿弥陀は 法華経の 座に 来りて 舌をば 出だし 給はざりけるか.

かんのんせいしは ほけきょうの ざには なかりけるか.
観音勢至は 法華経の 座には なかりけるか.

これを もって おもえ.
此れを もつて をもへ.

じかくだいしの おんゆめは わざわい なり.
慈覚大師の 御夢は わざわひ なり.

とうて いわく.
問うて 云く.

こうぼうだいしの しんきょうの ひけんに いわく.
弘法大師の 心経の 秘鍵に 云く.

「ときに こうにん 9ねんの はる てんか たいえき す.
「時に 弘仁 九年の 春 天下 大疫 す.

ここに こうてい みずから おうごんを ひったんに そめ.
爰に 皇帝 自ら 黄金を 筆端に 染め.

こんしを そうしょうに にぎりて はんにゃしんきょう いっかんを しょしゃし たてまつり たもう.
紺紙を 爪掌に 握りて 般若心経 一巻を 書写し 奉り 給う.

よ こうどくの せんに のっとりて きょうしの しゅうを つづる.
予 講読の 撰に 範りて 経旨の 宗を 綴る.

いまだ けちがんの ことばを はかざるに そせいの やから みちに たたずむ.
未だ 結願の 詞を 吐かざるに 蘇生の 族 途に 彳ずむ

よる へんじて しかも にっこう かっかく たり.
夜 変じて 而も 日光 赫赫 たり.

これ ぐしんの かいとくに あらず.
是れ 愚身の 戒徳に 非ず.

こんりん ごしんりきの しょい なり.
金輪 御信力の 所為 なり.

ただし じんしゃに もうでん やからは この ひけんを じゅし たてまつれ.
但し 神舎に 詣でん 輩は 此の 秘鍵を 誦し 奉れ.

むかし よ じゅぶせっぽうの むしろに ばいして まのあたり その じんもんを きき たてまつる.
昔 予 鷲峰説法の 筵に 陪して 親り 其の 深文を 聞き たてまつる.

あに その ぎに たっせざらんや」とう うんぬん.
豈 其の 義に 達せざらんや」等 云云.

また くじゃくきょうの おんぎに いわく.
又 孔雀経の 音義に 云く.

「こうぼうだいし きちょうの のち しんごんしゅうを たてんと ほっし.
「弘法大師 帰朝の 後 真言宗を 立てんと 欲し.

しょしゅうを ちょうていに ぐんしゅうす そくしんじょうぶつの ぎを うたがう.
諸宗を 朝廷に 群集す 即身成仏の 義を 疑う.

だいし ちけんの いんを むすびて なんぽうに むかうに.
大師 智拳の 印を 結びて 南方に 向うに.

めんもん にわかに ひらいて こんじきの びるしゃなと なり.
面門 俄に 開いて 金色の 毘盧遮那と 成り.

すなわち ほんたいに げんき す.
即便 本体に 還帰 す.

にゅうが がにゅうの こと そくしんとんしょうの うたがい この ひ しゃくねん たり.
入我 我入の 事 即身頓証の 疑い 此の 日 釈然 たり.

しかるに しんごん ゆがの しゅう ひみつまんだらの みち かの ときより こんりゅうしぬ」.
然るに 真言 瑜伽の 宗 秘密曼荼羅の 道 彼の 時より 建立しぬ」.

また いわく.
又 云く.

「この ときに しょしゅうの がくと だいしに きして はじめて しんごんを えて しょうやくし しゅうがく す.
「此の 時に 諸宗の 学徒 大師に 帰して 始めて 真言を 得て 請益し 習学 す.

さんろんの どうしょう ほっそうの げんにん けごんの どうおう てんだいの えんちょうら みな その たぐいなり」.
三論の 道昌 法相の 源仁 華厳の 道雄・ 天台の 円澄等 皆 其の 類なり」.

こうぼうだいしの つたえに いわく.
弘法大師の 伝に 云く.

「きちょう はんしゅうの ひ はつがんして いわく.
「帰朝 泛舟の 日 発願して 云く.

わが しょがくの きょうほう もし かんのうの ち あらば この さんこ その ところに いたるべし.
我が 所学の 教法 若し 感応の 地 有らば 此 三鈷 其の 処に 到るべし.

よって にほんの かたに むかって さんこを なげ あぐ.
仍て 日本の 方に 向て 三鈷を 抛げ 上ぐ.

はるかに とんで くもに いる 10がつに きちょうす」うんぬん.
遥かに 飛んで 雲に 入る 十月に 帰朝す」云云.

また いわく.
又 云く.

「こうやさんの ふもとに にゅうじょうの ところを しむ.
「高野山の 下に 入定の 所を 占む.

ないし かの かいじょうの さんこ いま あらたに ここに あり」とう うんぬん.
乃至 彼の 海上の 三鈷 今 新たに 此に 在り」等 云云.

この だいしの とく むりょう なり その りょうさんを しめす.
此の 大師の 徳 無量 なり 其の 両三を 示す.

かくの ごとくの だいとく あり.
かくの ごとくの 大徳 あり.

いかんが この ひとを しんぜずして かえりて あびじごくに おつると いわんや.
いかんが 此の 人を 信ぜずして かへりて 阿鼻地獄に 堕と いはんや.

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こたえて いわく.
答えて 云く.

よも あおいで しんじ たてまつること かくの ごとし.
予も 仰いで 信じ 奉る事 かくの ごとし.

ただし いにしえの ひとびとも ふかしぎの とく あり しかども.
但 古の 人人も 不可思議の 徳 あり しかども.

ぶっぽうの じゃしょうは それには よらず.
仏法の 邪正は 其には よらず.

げどうが あるいは ごうがを みみに 12ねん とどめ.
外道が 或は 恒河を 耳に 十二年 留め.

あるいは たいかいを すいほし あるいは にちがつを てに にぎり.
或は 大海を すひほし 或は 日月を 手に にぎり.

あるいは しゃくしを ごようと なしなんど せしかども.
或は 釈子を 牛羊と なしなんど せしかども.

いよいよ だいまんを おこして しょうじの ごうとこそ なりしか.
いよいよ 大慢を をこして 生死の 業とこそ なりしか.

これをば てんだい いわく.
此れをば 天台 云く.

「みょうりを もとめ けんないを ます」とこそ しゃくせられて そうらえ.
「名利を 邀め 見愛を 増す」とこそ 釈せられて 候へ.

こうたくが たちまちに あめを ふらし しゅゆに はなを さかせしをも.
光宅が 忽に 雨を 下し 須臾に 花を さかせしをも.

みょうらくは「かんのう かくの ごとく なれども なお りに かなわず」とこそ かかれて そうらえ.
妙楽は「感応 此の 如くなれども 猶 理に 称わず」とこそ かかれて 候へ.

されば てんだいだいしの ほけきょうを よみて.
されば 天台大師の 法華経を よみて.

「しゅゆに かんうを ふらせ」.
「須臾に 甘雨を 下せ」.

でんぎょうだいしの みっかが うちに かんろの あめを ふらして おわせしも.
伝教大師の 三日が 内に 甘露の 雨を ふらして おはせしも.

それを もって ぶついに かなうとは おおせられず.
其を もつて 仏意に 叶うとは をほせられず.

こうぼうだいし いかなる とく ましますとも.
弘法大師 いかなる 徳 ましますとも.

ほけきょうを けろんの ほうと さだめ.
法華経を 戯論の 法と 定め.

しゃかぶつを むみょうの へんいきと かかせ たまえる おんふでは.
釈迦仏を 無明の 辺域と かかせ 給へる 御ふでは.

ちえ かしこからん ひとは もちう べからず.
智慧 かしこからん 人は 用ゆ べからず.

いかに いわんや かみに あげられて そうろう.
いかに いわうや 上に あげられて 候.

とくどもは ふしん あること なり.
徳どもは 不審 ある事 なり.

「こうにん 9ねんの はる てんか たいえき」とう うんぬん.
「弘仁 九年の 春 天下 大疫」等 云云.

はるは 90にち いずれの つき いずれの ひぞ.
春は 九十日 何の 月 何の 日ぞ.

これ1 また こうにん 9ねんには たいえき あるけるか.
是一 又 弘仁 九年には 大疫 ありけるか.

これ2 また「よる へんじて にっこう かっかくたり」と うんぬん.
是二 又「夜 変じて 日光 赫赫たり」と 云云.

この こと だいいちの だいじ なり.
此の 事 第一の 大事 なり.

こうにん 9ねんは さがてんのうの ぎょう なり.
弘仁 九年は 嵯峨天皇の 御宇 なり.

さし うしの きに のせたりや.
左史 右史の 記に 載せたりや.

これ3 たとい のせたりとも しんじがたき ことなり.
是三 設い 載せたりとも 信じがたき 事なり.

じょうこう 20ごう じゅうこう 9こう いじょう 29こうが あいだに.
成劫 二十劫 住劫 九劫 已上 二十九劫が 間に.

いまだ なき てんぺん なり.
いまだ 無き 天変 なり.

よなかに にちりんの しゅつげんせること いかん.
夜中に 日輪の 出現せる事 如何.

また にょらい いちだいの しょうきょうにも みえず.
又 如来 一代の 聖教にも みへず.

みらいに よなか にちりん いずべしとは 3こう 5ていの 3ふん 5てんにも のせず.
未来に 夜中に 日輪 出ずべしとは 三皇 五帝の 三墳 五典にも 載せず.

ぶっきょうの ごときんば えこうにこそ 2のひ 3のひ.
仏経の ごときんば 壊劫にこそ 二の日 三の日.

ないし 7のひは いずべしとは みえたれども.
乃至 七の日は 出ずべしとは 見えたれども.

かれは ひるの ことぞかし.
かれは 昼の ことぞかし.

よ ひ しゅつげんせば とうざいほくの さんぽうは いかん.
夜 日 出現せば 東西北の 三方は 如何.

たとい ないげの てんに しるせずとも.
設い 内外の 典に 記せずとも.

げんに こうにん 9ねんの はる いずれの つき いずれの ひ いずれの よるの いずれのときに ひ いずると いう.
現に 弘仁 九年の 春 何れの 月 何れの 日 何れの 夜の 何れの 時に 日 出ずると いう.

くげ しょけ えいざん とうの にっき あるならば すこし しんずる へんもや.
公家 諸家 叡山 等の 日記 あるならば すこし 信ずる へんもや.

つぎしもに 「むかし よ じゅぶせっぽうの むしろに ばいして まのあたり その じんもんを きく」とう うんぬん.
次ぎ下に 「昔 予 鷲峰説法の 筵に 陪して 親り 其の 深文を 聞く」等 云云.

この ふでを ひとに しんぜさせしめんが ために かまえ いだす だいもうごか.
此の 筆を 人に 信ぜさせしめんが ために かまへ 出だす 大妄語か.

されば りょうぜんにして ほっけは けろん だいにちきょうは しんじつと ほとけの とき たまいけるを.
されば 霊山にして 法華は 戯論 大日経は 真実と 仏の 説き 給けるを.

あなん もんじゅが あやまりて みょうほけきょうをば しんじつと かけるか いかん.
阿難 文殊が 誤りて 妙法華経をば 真実と かけるか いかん.

いうに かいなき いんにょ はかいの ほっしらが うたを よみて ふらす あめを.
いうに かいなき 婬女 破戒の 法師等が 歌を よみて 雨す 雨を.

さんじゅうなのかまで ふらさざりし ひとは かかる とく あるべしや.
三七日まで 下さざりし 人は かかる 徳 あるべしや.

これ4 くじゃくきょうの おんぎに いわく.
是四 孔雀経の 音義に 云く.

「だいし ちけんの いんを むすんで なんぽうに むかうに.
「大師 智拳の 印を 結んで 南方に 向うに.

めんもん にわかに ひらいて こんじきの びるしゃなと なる」とう うんぬん.
面門 俄かに 開いて 金色の 毘盧遮那と 成る」等 云云.

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これ また いずれの おう。 いずれの とし ときぞ.
此れ 又 何れの 王 何れの 年 時ぞ.

かんどには けんげんを はじめとし にほんには たいほうを はじめとして.
漢土には 建元を 初とし 日本には 大宝を 初として.

しその にっき だいじには かならず ねんごうの あるが.
緇素の 日記 大事には 必ず 年号の あるが.

これほどの だいじに いかでか おうも しんも ねんごうも にちじも なきや.
これほどの 大事に いかでか 王も 臣も 年号も 日時も なきや.

また つぎに いわく.
又 次ぎに 云く.

「さんろんの どうしょう ほっそうの げんにん けごんの どうおう てんだいの えんちょう」とう うんぬん.
「三論の 道昌 法相の 源仁 華厳の 道雄・ 天台の 円澄」等 云云.

そもそも えんちょうは じゃっこうだいし てんだい だい2の ざす なり.
抑も 円澄は 寂光大師・ 天台 第二の 座主 なり.

そのとき なんぞ だい1の ざす ぎしん こんぽんの でんぎょうだいしをば めさざりけるや.
其の時 何ぞ 第一の 座主 義真 根本の 伝教大師をば 召さざりけるや.

えんちょうは てんだい だい2の ざす でんぎょうだいしの みでし なれども また こうぼうだいしの でし なり.
円澄は 天台 第二の 座主 伝教大師の 御弟子 なれども 又 弘法大師の 弟子 なり.

でしを めさんよりは さんろん ほっそう けごん よりは.
弟子を 召さんよりは 三論 法相 華厳 よりは.

てんだいの でんぎょう ぎしんの ふたりを めす べかりけるか.
天台の 伝教・ 義真の 二人を 召す べかりけるか.

しかも この にっきに いわく.
而も 此の 日記に 云く.

「しんごん ゆがの しゅう ひみつまんだら かの ときよりして こんりゅうす」とう うんぬん.
「真言 瑜伽の 宗 秘密曼荼羅 彼の 時よりして 建立す」等 云云.

この ふでは でんぎょう ぎしんの ごぞんしょうかと みゆ.
此の 筆は 伝教 義真の 御存生かと みゆ.

こうぼうは へいぜいてんのう だいどう 2ねんより こうにん 13ねんまでは さかんに しんごんを ひろめし ひと なり.
弘法は 平城天皇 大同 二年より 弘仁 十三年までは 盛に 真言を ひろめし 人 なり.

そのときは この ふたり げんに おわします.
其の時は 此の 二人 現に おはします.

また ぎしんは てんちょう 10ねんまで おわせしかば.
又 義真は 天長 十年まで おはせしかば.

そのときまで こうぼうの しんごんは ひろまざりけるか.
其の時まで 弘法の 真言は ひろまらざりけるか.

かたがた ふしん あり.
かたがた 不審 あり.

くじゃくきょうの しょは こうぼうの でし しんぜいが じき なり しんじがたし.
孔雀経の 疏は 弘法の 弟子 真済が 自記 なり 信じがたし.

また じゃけんしゃが くげ しょけ えんちょうの きを ひかるべきか.
又 邪見者が 公家 諸家 円澄の 記を ひかるべきか.

また どうしょう げんにん どうおうの きを たずぬべし.
又 道昌 源仁 道雄の 記を 尋ぬべし.

「めんもん にわかに ひらいて こんじきの びるしゃなと なる」とう うんぬん.
「面門 俄かに 開いて 金色の 毘盧遮那と 成る」等 云云.

めんもんとは くちなり くちの ひらけたりけるか.
面門とは 口なり 口の 開けたりけるか.

みけん ひらくと かかんと しけるが あやまりて めんもんと かけるか.
眉間 開くと かかんと しけるが 誤りて 面門と かけるか.

ぼうしょを つくる ゆえに かかる あやまり あるか.
ぼう書を つくる ゆへに かかる あやまり あるか.

「だいし ちけんの いんを むすんで なんぽうに むかうに.
「大師 智拳の 印を 結んで 南方に 向うに.

めんもん にわかに ひらいて こんじきの びるしゃなと なる」とう うんぬん.
面門 俄かに 開いて 金色の 毘盧遮那と 成る」等 云云.

ねはんぎょうの 5に いわく.
涅槃経の 五に 云く.

「かしょう ほとけに もうして もうさく.
「迦葉 仏に 白して 言さく.

せそん われ いま この 4しゅの ひとに よらず.
世尊 我 今 是の 四種の 人に 依らず.

なにを もっての ゆえに くしらきょうの なかの ごとき ほとけ くしらが ために とき たまわく.
何を 以ての 故に 瞿師羅経の 中の 如き 仏 瞿師羅が 為に 説き たまわく.

もし てん ま ぼん はえせんと ほっするが ために へんじて ほとけの かたちと なり.
若し 天 魔 梵 破壊せんと 欲するが 為に 変じて 仏の 像と 為り.

32そう 80しゅごうを ぐそくし.
三十二相 八十種好を 具足し.

そうごんし えんこう いちじん めんぶ えんまんなる こと なお つきの じょうみょう なるが ごとく.
荘厳し 円光 一尋 面部 円満なる こと 猶 月の 盛明 なるが 如く.

みけんの ごうそう しろき こと かせつに こえ.
眉間の 毫相 白き こと 珂雪に 踰え.

ないし ひだりの わき より みずを いだし みぎの わきより ひを いだす」とう うんぬん.
乃至 左の 脇 より 水を 出し 右の 脇より 火を 出す」等 云云.

また 6の まきに いわく.
又 六の 巻に 云く.

「ほとけ かしょうに つげたまわく われ はつねはんして.
「仏 迦葉に 告げたまわく 我 般涅槃して.

ないし のち この ま はじゅん しばらく.
乃至 後 是の 魔 波旬 漸く.

まさに わが しょうほうを そえ す.
当に 我が 正法を 沮壊 す.

ないし けして あらかんの み および ほとけの しきしんと なり.
乃至 化して 阿羅漢の 身 及 仏の 色身と 作り.

まおう この うろの かたちを もって むろの みと なり.
魔王 此の 有漏の 形を 以て 無漏の 身と 作り.

わが しょうほうを やぶらん」とう うんぬん.
我が 正法を 壊らん」等 云云.

こうぼうだいしは ほけきょうを けごんきょう だいにちきょうに たいして けろん とう うんぬん.
弘法大師は 法華経を 華厳経 大日経に 対して 戯論 等 云云.

しかも ぶっしんを げんず.
而も 仏身を 現ず.

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これ ねはんぎょうには ま うろの かたちを もって.
此れ 涅槃経には 魔 有漏の 形を もつて.

ほとけと なって わが しょうほうを やぶらんと しるし たもう.
仏と なつて 我が 正法を やぶらんと 記し 給う.

ねはんぎょうの しょうほうは ほけきょう なり.
涅槃経の 正法は 法華経 なり.

ゆえに きょうの つぎしもの もんに いわく.
故に 経の 次ぎ下の 文に 云く.

「ひさしく すでに じょうぶつ す」.
「久く 已に 成仏 す」.

また いわく「ほっけの なかの ごとし」とう うんぬん.
又 云く「法華の 中の 如し」等 云云.

しゃか たほう じっぽうの しょぶつは いっさいきょうに たいして.
釈迦 多宝 十方の 諸仏は 一切経に 対して.

「ほけきょうは しんじつ だいにちきょうとうの いっさいきょうは ふしんじつ」とう うんぬん.
「法華経は 真実 大日経等の 一切経は 不真実」等 云云.

こうぼうだいしは ぶっしんを げんじて けごんきょう だいにちきょうに たいして.
弘法大師は 仏身を 現じて 華厳経 大日経に 対して.

「ほけきょうは けろん」とう うんぬん.
「法華経は 戯論」等 云云.

ぶっせつ まことならば こうぼうは てんまに あらずや.
仏説 まことならば 弘法は 天魔に あらずや.

また さんこの こと ことに ふしん なり.
又 三鈷の 事 殊に 不審 なり.

かんどの ひとの にほんに きたりて ほりいだすとも しんじがたし.
漢土の 人の 日本に 来りて ほりいだすとも 信じがたし.

いぜんに ひとをや つかわして うずみけん.
已前に 人をや つかわして うづみけん.

いわうや こうぼうは にほんの ひと かかる おうらん その かず おおし.
いわうや 弘法は 日本の 人 かかる 誑乱 其の 数 多し.

これらを もって ぶっちに かなう ひとの しょうことは しりがたし.
此等を もつて 仏意に 叶う 人の 証拠とは しりがたし.

されば この しんごん ぜんしゅう ねんぶつとう ようやく かさなり きたる ほどに.
されば 此の 真言 禅宗 念仏等 やうやく かさなり 来る 程に.

にんのう 82だい たかなり おきのほうおう ごんのたゆうどのを うしなわんと.
人王 八十二代 尊成 隠岐の法皇 権の太夫殿を 失わんと.

としごろ はげませ たまいける ゆえに.
年ごろ はげませ 給いける ゆへに.

だいおうたる こくしゅ なれば なにと なくとも ししおうの うさぎを ふくするが ごとく.
大王たる 国主 なれば なにと なくとも 師子王の 兎を 伏するが ごとく.

たかの きじを とる ように こそ あるべかりし うえ.
鷹の 雉を 取る やうに こそ あるべかりし 上.

えいざん とうじ おんじょう ならしちだいじ てんしょうだいじん しょうはちまん.
叡山 東寺 園城 奈良七大寺 天照太神 正八幡.

さんのう かも かすが とうに すうねんが あいだ.
山王 加茂 春日 等に 数年が 間.

あるいは じょうぶく あるいは かみに もうさせ たまいしに.
或は 調伏 或は 神に 申させ 給いしに.

ふつか みっか だにも ささえかねて.
二日 三日 だにも ささへかねて.

さどのくに あわのくに おきのくに とうに ながし うしないて.
佐渡国 阿波国 隠岐国 等に ながし 失て.

ついに かくれさせ たまいぬ.
終に かくれさせ 給いぬ.

じょうぶくの じょうしゅ おむろは ただ とうじを かえらるる のみならず.
調伏の 上首 御室は 但 東寺を かへらるる のみならず.

まなこの ごとく あいせさせ たまいし だい1の てんどう せたかが くび きられたり しかば.
眼の ごとく あひせさせ 給いし 第一の 天童 勢多伽が 頚 切られたり しかば.

じょうぶくの しるし げんちゃくおほんにんの ゆえとこそ みえて そうらえ.
調伏の しるし 還著於本人の ゆへとこそ 見へて 候へ.

これは わずかな ことなり.
これは わづかの 事なり.

この のち さだんで にほんこくの しょしん ばんみん いちにんも なく.
此の 後 定んで 日本国の 諸臣 万民 一人も なく.

かれくさを つみて ひを はなつが ごとく.
乾草を 積みて 火を 放つが ごとく.

たいせんの くずれて たにを うむるが ごとく.
大山の くづれて 谷を うむるが ごとく.

わが くに たこくに せめらるる こと しゅったい すべし.
我が 国 他国に せめらるる 事 出来 すべし.

このこと にほんこくの なかに ただ にちれん いちにんばかり しれり.
此の事 日本国の 中に 但 日蓮 一人計り しれり.

いいいだす ならば いんの ちゅうおうの ひかんが むねを さきしが ごとく.
いゐいだす ならば 殷の 紂王の 比干が 胸を さきしが ごとく.

かの けつおうの りゅうほうが くびを きりしが ごとく.
夏の 桀王の 竜蓬が 頚を 切りしが ごとく.

だんみらおうの ししそんじゃが くびを はねしが ごとく.
檀弥羅王の 師子尊者が 頚を 刎ねしが ごとく.

じくの どうしょうが ながされしが ごとく.
竺の 道生が 流されしが ごとく.

ほうどうさんぞうの かなやきを やかれしが ごとく.
法道三蔵の かなやきを やかれしが ごとく.

ならんずらんとは かねて しり しかども.
ならんずらんとは かねて 知り しかども.

ほけきょうには 「われ しんみょうを あいせず ただ むじょうどうを おしむ」と とかれ.
法華経には 「我 身命を 愛せず 但 無上道を 惜しむ」と とかれ.

ねはんぎょうには 「むしろ しんみょうを うしなうとも きょうを かくさざれ」と いさめ たまえり.
涅槃経には 「寧 身命を 喪うとも 教を 匿さざれ」と いさめ 給えり.

このたび いのちを おしむ ならば いつの よにか ほとけに なるべき.
今度 命を おしむ ならば いつの 世にか 仏に なるべき.

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また いかなる よにか ふぼ ししょうをも すくい たてまつるべきと.
又 何なる 世にか 父母 師匠をも すくひ 奉るべきと.

ひとえに おもいきりて もうし はじめしかば あんに たがわず.
ひとへに をもひ切りて 申し 始めしかば 案に たがはず.

あるいは ところを おい あるいは のり あるいは うたれ あるいは きずを こうむる ほどに.
或は 所を おひ 或は のり 或は うたれ 或は 疵を かうふる ほどに.

いぬる こうちょう がんねん かのととり 5がつ 12にちに ごかんきを こうむりて.
去ぬる 弘長 元年 辛酉 五月 十二日に 御勘気を かうふりて.

いずの くに いとうに ながされぬ.
伊豆の 国 伊東に ながされぬ.

また おなじき こうちょう 3ねん みずのとい 2がつ 22にちに ゆりぬ.
又 同じき 弘長 三年 癸亥 二月 二十二日に ゆりぬ.

そののち いよいよ ぼだんしん ごうじょうにして もうせば.
其の後 弥 菩提心 強盛にして 申せば.

いよいよ だいなん かさなる こと おおかぜに おおなみの おこるが ごとし.
いよいよ 大難 かさなる 事 大風に 大波の 起るが ごとし.

むかしの ふきょうぼさつの せめも わがみに つみしられたり.
昔の 不軽菩薩の 杖木の せめも 我身に つみしられたり.

かくとくびくが かんきぶつの すえの だいなんも これには およばじと おぼゆ.
覚徳比丘が 歓喜仏の 末の 大難も 此れには 及ばじと をぼゆ.

にほん 66かこく しま ふたつの なかに.
日本 六十六箇国 嶋 二の 中に.

いちにち かたときも いずれの ところに すむべき ようも なし.
一日 片時も 何れの 所に すむべき やうも なし.

いにしえは 250かいを たもちて にんにく なること らうんの ごとくなる.
古は 二百五十戒を 持ちて 忍辱 なる事 羅云の ごとくなる.

じかいの しょうにんも ふるなの ごとくなる.
持戒の 聖人も 富楼那の ごとくなる.

ちしゃも にちれんに あい ぬれば あっこうを はく.
智者も 日蓮に 値い ぬれば 悪口を はく.

しょうじきにして ぎちょう ちゅうじんこうの ごとく なる.
正直にして 魏徴 忠仁公の ごとく なる.

けんじゃらも にちれんを もては りを まげて ひと おこなう.
賢者等も 日蓮を 見ては 理を まげて 非と をこなう.

いわうや せけんの つねの ひとびとは いぬの さるを みたるが ごとく.
いわうや 世間の 常の 人人は 犬の さるを みたるが ごとく.

りょうしが しかを こめたるに にたり.
猟師が 鹿を こめたるに にたり.

にほんこくの なかに いちにんとして ゆえこそ あるらめと いうひと なし どうり なり.
日本国の 中に 一人として 故こそ あるらめと いう人 なし 道理 なり.

ひとごとに ねんぶつを もうす ひとに むかうごとに ねんぶつは むけんに おつると いう ゆえに.
人ごとに 念仏を 申す 人に 向うごとに 念仏は 無間に 堕つると いう ゆへに.

ひとごとに しんごんを とうとむ しんごんは くにを ほろぼす あくほうと いう.
人ごとに 真言を 尊む 真言は 国を ほろぼす 悪法と いう.

こくしゅは ぜんしゅうを とうとむ.
国主は 禅宗を 尊む.

にちれんは てんまの しょいと いう ゆえに.
日蓮は 天魔の 所為と いう ゆへに.

われと まねける わざわい なれば ひとの のるをも とがめず.
我と 招ける わざわひなれば 人の のるをも とがめず.

とがむとても いちにん ならず.
とがむとても 一人 ならず.

うつをも いたまず.
打つをも いたまず.

もとより ぞんぜしが ゆえに こう いよいよ みも おしまず.
本より 存ぜしが ゆへに かう いよいよ 身も をしまず.

ちからに まかせて せめしかば.
力に まかせて せめしかば.

ぜんそう すうひゃくにん ねんぶつしゃ すうせんにん しんごんし ひゃくせんにん.
禅僧 数百人 念仏者 数千人 真言師 百千人.

あるいは ぶぎょうに つき あるいは きりひとに つき.
或は 奉行に つき 或は きり人に つき.

あるいは きりにょうぼうに つき あるいは ごけあまごぜんらに ついて.
或は きり女房に つき 或は 後家尼御前等に ついて.

むじんの ざんげんを なせし ほどに.
無尽の ざんげんを なせし 程に.

さいごには てんか だい1の だいじ にほんこくを うしなわんと じゅそする ほっし なり.
最後には 天下 第一の 大事 日本国を 失わんと 咒そする 法師 なり.

こ さいみょうじどの ごくらくじどのを むけんじごくに おちたりと もうす ほっし なり.
故 最明寺殿 極楽寺殿を 無間地獄に 堕ちたりと 申す 法師 なり.

おんたずね あるまでも なし.
御尋ね あるまでも なし.

ただ しゅゆに くびを めせ でしらをば また くびを きり.
但 須臾に 頚を めせ 弟子等をば 又 頚を 切り.

あるいは えんごくに つかわし あるいは ろうに いれよと.
或は 遠国に つかはし 或は 篭に 入れよと.

あまごぜんたち いからせ たまいしかば そのまま おこなわれけり.
尼ごぜんたち いからせ 給いしかば そのまま 行われけり.

いぬる ぶんえい 8ねん かのとひつじ 9がつ 12にちの よるは.
去ぬる 文永 八年 辛未 九月 十二日の 夜は.

さがみの くに たつのくちにて きらる べかりしが.
相模の 国 たつの口にて 切らる べかりしが.

いかにしてや ありけん.
いかにしてや ありけん.

その よるは のびて えちと いうところへ つきぬ.
其の 夜は のびて 依智と いうところへ つきぬ.

また 13にちの よるは ゆりたりと どどめきしが.
又 十三日の 夜は ゆりたりと どどめきしが.

また いかにや ありけん さどの くにまで ゆく.
又 いかにや ありけん さどの 国まで ゆく.

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きょう きる あす きると いいしほどに 4かねんと いうに.
今日 切る あす 切ると いひしほどに 四箇年と いうに.

けっくは いぬる ぶんえい 11ねん たいさい きのえいぬ 2がつ 14にちに.
結句は 去ぬる 文永 十一年 太歳 甲戌 二月 十四日に.

ゆりて おなじき 3がつ 26にちに かまくらへ いり.
ゆりて 同じき 三月 二十六日に 鎌倉へ 入り.

おなじき 4がつ 8にち へいのさえもんのじょうに けんざんして.
同じき 四月 八日 平の左衛門の尉に 見参して.

ようようの こと もうしたりし なかに.
やうやうの 事 申したりし 中に.

ことしは もうこは いちじょう よすべしと もうしぬ.
今年は 蒙古は 一定 よすべしと 申しぬ.

おなじき 5がつの 12にちに かまくらを いでて この やまに いれり.
同じき 五月の 十二日に かまくらを いでて 此の 山に 入れり.

これは ひとえに ふぼの おん ししょうの おん さんぽうの おん こくおんを ほうぜんが ために.
これは ひとへに 父母の 恩 師匠の 恩 三宝の 恩 国恩を ほうぜんが ために.

みを やぶり いのちを すつれども やぶれざれば さでこそ そうらえ.
身を やぶり 命を すつれども 破れざれば さでこそ 候へ.

また けんじんの ならい みたび くにを いさむるに もちいずば さんりんに まじわれと いうことは さだまる れい なり.
又 賢人の 習い 三度 国を いさむるに 用いずば 山林に まじわれと いうことは 定まる れい なり
.
この くどくは さだめて かみ さんぽう しも ぼんてん たいしゃく にちがつまでも しろしめしぬらん.
此の 功徳は 定めて 上 三宝 下 梵天 帝釈 日月までも しろしめしぬらん.

ふぼも こ どうぜんぼうの しょうりょうも たすかり たまうらん.
父母も 故 道善房の 聖霊も 扶かり 給うらん.

ただ うたがい おもうこと あり.
但 疑い 念うこと あり.

もくれんそんじゃは たすけんと おもい しかども ははの しょうだいにょは がきどうに おちぬ.
目連尊者は 扶けんと おもい しかども 母の 青提女は 餓鬼道に 墜ちぬ.

だいかくせそんの みこ なれども ぜんしょうびくは あびじごくへ おちぬ.
大覚世尊の 御子 なれども 善星比丘は 阿鼻地獄へ 墜ちぬ.

これは ちからの まま すくわんと おぼせども じごうじとくかの へんは すくいがたし.
これは 力のまま すくはんと をぼせども 自業自得果の へんは  すくひがたし.

こ どうぜんぼうは いとう でし なれば.
故 道善房は いたう 弟子 なれば.

にちれんをば にくしとは おぼせ ざりけるらめども.
日蓮をば にくしとは をぼせ ざりけるらめども.

きわめて おくびょうなりし うえ せいちょうを はなれじと しゅうせし ひと なり.
きわめて 臆病なりし 上 清澄を はなれじと 執せし 人 なり.

じとう かげのぶが おそろしさと いい.
地頭 景信が をそろしさと いゐ.

だいば くぎゃりに ことならぬ.
提婆 瞿伽利に ことならぬ.

えんち じつじょうが かみと しもとに いて おどせしを.
円智 実成が 上と 下とに 居て をどせしを.

あながちに おそれて いとおしと おもう としごろの でしらを だにも.
あながちに をそれて いとをしと をもう としごろの 弟子等を だにも.

すてられし ひとなれば ごしょうは いかんがと うたがわし.
すてられし 人なれば 後生は いかんがと 疑わし.

ただ ひとつの みょうがには かげのぶと えんち じつじょうとが.
但 一の 冥加には 景信と 円智 実成とが.

さきに ゆきしこそ ひとつの たすかりとは おもえども.
さきに ゆきしこそ 一の たすかりとは をもへども.

かれらは ほけきょう じゅうらせつの せめを かおりて はやく うせぬ.
彼等は 法華経 十羅刹の せめを かほりて はやく 失ぬ.

のちに すこし しんぜられて ありしは いさかいの のちの ちぎりきなり.
後に すこし 信ぜられて ありしは いさかひの 後の ちぎりきなり.

ひるの ともしび なにかせん.
ひるの ともしび なにかせん.

そのうえ いかなる こと あれども こ でし なんどいう ものは ふびんなる ものぞかし.
其の上 いかなる 事 あれども 子 弟子 なんどいう 者は 不便なる 者ぞかし.

ちから なき ひとにも あらざりしが さどの くにまで ゆきしに.
力 なき 人にも あらざりしが さどの 国まで ゆきしに.

いちども とぶらわれざりし ことは ほけきょうを しんじたるには あらぬぞかし.
一度も とぶらはれざりし 事は 法華経を 信じたるには あらぬぞかし.

それに つけても あさましければ.
それに つけても あさましければ.

かの ひとの ごしきょと きくには ひにも いり みずにも しずみ.
彼の 人の 御死去と きくには 火にも 入り 水にも 沈み.

はしりたちても ゆいて おんはかをも.
はしりたちても ゆひて 御はかをも.

たたいて きょうをも いっかん どくじゅせんと こそ おもえども.
たたいて 経をも 一巻 読誦せんと こそ おもへども.

けんじんの ならい こころには とんせいとは おもわねども.
賢人の ならひ 心には 遁世とは おもはねども.

ひとは とんせいと こそ おもうらんに ゆえもなく はしり いずるならば.
人は 遁世と こそ おもうらんに ゆへもなく はしり 出ずるならば.

すえも おとらずと ひと おもいぬべし.
末へも とをらずと 人 おもひぬべし.

されば いかに おもい たてまつれども まいるべきに あらず.
されば いかに おもひ たてまつれども まいるべきに あらず.

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b324

ただし、 おのおの ふたりは にちれんが ようしょうの ししょうにて おわします.
但し 各各 二人は 日蓮が 幼少の 師匠にて おはします.

ごんそうそうじょう ぎょうひょうそうじょうの でんぎょうだいしの おんし たりしが.
勤操僧正 行表僧正の 伝教大師の 御師 たりしが.

かえりて みでしと ならせ たまいしが ごとし.
かへりて 御弟子と ならせ 給いしが ごとし.

にちれんが かげのぶに あだまれて せいちょうざんを いでしに.
日蓮が 景信に あだまれて 清澄山を 出でしに.

かくしおきて しのび いでられたりしは てんか だい1の ほけきょうの ほうこう なり.
かくしおきて しのび 出でられたりしは 天下 第一の 法華経の 奉公 なり.

ごしょうは うたがい おぼす べからず.
後生は 疑い おぼすべ からず.

とうて いわく.
問うて 云く.

ほけきょう 1ぶ 8かん 28ほんの なかに なにものか かんじん なるや.
法華経 一部 八巻 二十八品の 中に 何物か 肝心 なるや.

こたえて いわく.
答えて 云く.

けごんきょうの かんじんは だいほうこうぶつけごんきょう あごんきょうの かんじんは ぶっせつちゅうあごんきょう.
華厳経の 肝心は 大方広仏華厳経・ 阿含経の 肝心は 仏説中阿含経.

だいしっきょうの かんじんは だいほうとうだいしっきょう はんにゃきょうの かんじんは まかはらはらみつきょう.
大集経の 肝心は 大方等大集経・ 般若経の 肝心は 摩訶般若波羅蜜経.

そうかんぎょうの かんじんは ぶっせつむりょうじゅきょう かんぎょうの かんじんは ぶっせつかんむりょうじゅきょう.
雙観経の 肝心は 仏説無量寿経・ 観経の 肝心は 仏説観無量寿経.

あみだきょうの かんじんは ぶっせつあみだきょう ねはんぎょうの かんじんは だいはつねはんぎょう.
阿弥陀経の 肝心は 仏説阿弥陀経 涅槃経の 肝心は 大般涅槃経.

かくの ごとくの いっさいきょうは みな にょぜがもんの かみの だいもく その きょうの かんじん なり.
かくの ごとくの 一切経は 皆 如是我聞の 上の 題目 其の 経の 肝心 なり.

だいは だいに つけ しょうは しょうに つけて だいもくを もって かんじんと す.
大は 大につけ 小は 小につけて 題目を もつて 肝心と す.

だいにちきょう こんごうちょうきょう そしっちきょうとう またまた かくの ごとし.
大日経 金剛頂経 蘇悉地経等 亦復 かくの ごとし.

ほとけも また かくの ごとし.
仏も 又 かくの ごとし.

だいにちにょらい にちがつとうみょうぶつ ねんとうぶつ だいつうぶつ うんらいおんのうぶつ これらの ほとけも.
大日如来 日月燈明仏 燃燈仏 大通仏 雲雷音王仏 是等の 仏も.

なの うちに その ほとけの しゅじゅの とくを そなえたり.
名の 内に 其の 仏の 種種の 徳を そなへたり.

いまの ほけきょうも また もって かくの ごとし.
今の 法華経も 亦 もつて かくの ごとし.

にょぜがもんの かみの みょうほうれんげきょうの 5じは すなわち 1ぶ 8かんの かんじん.
如是我聞の 上の 妙法蓮華経の 五字は 即 一部 八巻の 肝心.

またまた いっさいきょうの かんじん いっさいの しょぶつ ぼさつ にじょう てんにん しゅら りゅうじんとうの ちょうじょうの しょうほう なり.
亦復 一切経の 肝心 一切の 諸仏 菩薩 二乗 天人 修羅 竜神等の 頂上の 正法 なり.

とうて いわく なんみょうほうれんげきょうと こころも しらぬ ものの となうると.
問うて 云く 南無妙法蓮華経と 心も しらぬ 者の 唱うると.

なむだいほうこうぶつけごんきょうと こころも しらぬものの となうると さいとう なりや.
南無大方広仏華厳経と 心も しらぬ 者の 唱うると 斉等 なりや.

せんじんの くどく さべつ せりや.
浅深の 功徳 差別 せりや.

こたえて いわく せんじん とう あり.
答えて 云く 浅深 等 あり.

うたがって いわく その こころ いかん.
疑て 云く 其の 心 如何.

こたえて いわく しょうがは つゆと したたりと みぞと えとをば おさむれども たいがを おさめず.
答えて 云く 小河は 露と 涓と 井と 渠と 江とをば 収むれども 大河を をさめず.

たいがは つゆ ないし しょうがを はさむれども たいかいを おさめず.
大河は 露 乃至 小河を 摂むれども 大海を をさめず.

あごんきょうは せい こうとう、 ろ けんを おさめたる しょうがの ごとし.
阿含経は 井江等 露 涓を をさめたる 小河の ごとし.

ほうどうきょう あみだきょう だいにちきょう けごんきょうとうは しょうがを おさむる たいが なり.
方等経 阿弥陀経 大日経 華厳経等は 小河を をさむる 大河 なり.

ほけきょうは ろ けん せい こう しょうが たいが てんうとうの いっさいの みずを いっていも もらさぬ たいかい なり.
法華経は 露 涓 井 江 小河 大河 天雨等の 一切の 水を 一テキも もらさぬ 大海 なり.

たとえば みの あつきものの だいかんすいの ほとりに いねつれば すずしく.
譬えば 身の 熱者の 大寒水の 辺に いねつれば すずしく.

しょうすいの ほとりに ふしぬれば くるしきが ごとし.
小水の 辺に 臥ぬれば 苦きが ごとし.

ごぎゃく ほうぼうの おおきなる いっせんだいにん.
五逆 謗法の 大きなる 一闡提人.

あごん けごん かんぎょう だいにちきょう とうの しょうすいの ほとりにては たいざいの だいねつ さんじがたし.
阿含 華厳 観経 大日経 等の 小水の 辺にては 大罪の 大熱 さんじがたし.

ほけきょうの だいせつざんの うえに ふしぬれば ごぎゃく ひぼう いっせんだい とうの だいねつ たちまちに さんずべし.
法華経の 大雪山の 上に 臥ぬれば 五逆 誹謗 一闡提 等の 大熱 忽に 散ずべし.

されば ぐしゃは かならず ほけきょうを しんずべし.
されば 愚者は 必ず 法華経を 信ずべし.

おのおの きょうぎょうの だいもくは やすきこと おなじと いえども.
各各 経経の 題目は 易き事 同じと いへども.

ぐしゃと ちしゃとの となうる くどくは てんちうんでい なり.
愚者と 智者との 唱うる 功徳は 天地雲泥 なり.

→a324

b325

たとえば おおづなは だいりきも きりがたし.
譬へば 大綱は 大力も 切りがたし.

しょうりき なれども しょうとうを もって たやすく これを きる.
小力 なれども 小刀を もつて たやすく これを きる.

たとえば けんせきをば どんとうを もてば だいりきも やぶりがたし.
譬へば 堅石をば 鈍刀を もてば 大力も 破がたし.

りけんを もてば しょうりきも やぶりぬべし.
利剣を もてば 小力も 破りぬべし.

たとえば くすりは しらねども ふくすれば やまい やみぬ しょくは ふくすれども やまい やまず.
譬へば 薬は しらねども 服すれば 病 やみぬ 食は 服すれども 病 やまず.

たとえば せんやくは いのちを のべ ぼんやくは やまいを いやせども いのちを のべず.
譬へば 仙薬は 命を のべ 凡薬は 病を いやせども 命を のべず.

うたがって いわく.
疑つて 云く.

28ほんの なかに いずれか かんじんぞや.
二十八品の 中に 何か 肝心ぞや.

こたえて いわく.
答えて 云く.

あるいは いわく ほんぼん みな ことに したがいて かんじん なり.
或は 云く 品品 皆 事に 随いて 肝心 なり.

あるいは いわく ほうべんぼん じゅりょうほん かんじん なり.
或は 云く 方便品 寿量品 肝心 なり.

あるいは いわく ほうべんぼん かんじん なり.
或は 云く 方便品 肝心 なり.

あるいは いわく じゅりょうほん かんじん なり.
或は 云く 寿量品 肝心 なり.

あるいは いわく かいじごにゅう かんじん なり.
或は 云く 開示悟入 肝心 なり.

あるいは いわく じっそう かんじん なり.
或は 云く 実相 肝心 なり.

とうて いわく.
問うて 云く.

なんじが こころ いかん こたう なんみょうほうれんげきょう かんじん なり.
汝が 心 如何 答う 南無妙法蓮華経 肝心 なり.

その あかし いかん.
其の 証 如何.

あなん もんじゅら にょぜがもん とう うんぬん.
阿難 文殊等 如是我聞 等 云云.

とうて いわく こころ いかん.
問うて 云く 心 如何.

こたえて いわく.
答えて 云く.

あなんと もんじゅとは 8ねんが あいだ.
阿難と 文殊とは 八年が 間.

この ほけきょうの むりょうの ぎを 1く 1げ 1じも のこさず ちょうもんして ありしが.
此の 法華経の 無量の 義を 一句 一偈 一字も 残さず 聴聞して ありしが.

ほとけの めつごに けっしゅうの とき 999にんの あらかんが ふでを そめて ありしに.
仏の 滅後に 結集の 時 九百九十九人の 阿羅漢が 筆を 染めて ありしに.

まず はじめに みょうほうれんげきょうと かかせ たまいて.
先づ はじめに 妙法蓮華経と かかせ 給いて.

にょぜがもんと となえさせ たまいしは.
如是我聞と 唱えさせ 給いしは.

みょうほうれんげきょうの 5じは 1ぶ 8かん 28ほんの かんじんに あらずや.
妙法蓮華経の 五字は 一部 八巻 二十八品の 肝心に あらずや.

されば かこの とうみょうぶつの とき より.
されば 過去の 燈明仏の 時 より.

ほけきょうを こうぜし こうたくじの ほううんほっしは.
法華経を 講ぜし 光宅寺の 法雲法師は.

「にょぜとは まさに しょもんを つたえんとす ぜんだいに 1ぶを あぐるなり」とう うんぬん.
「如是とは 将に 所聞を 伝えんとす 前題に 一部を 挙ぐるなり」等 云云.

りょうぜんに まのあたり きこしめして ありし.
霊山に まのあたり きこしめして ありし.

てんだいだいしは 「にょぜとは しょもんの ほったい なり」とう うんぬん.
天台大師は 「如是とは 所聞の 法体 なり」等 云云.

しょうあんだいしの いわく きしゃ しゃくして いわく.
章安大師の 云く 記者 釈して 曰く.

「けだし じょおうとは きょうの げんいを じょし げんいは もんしんを じゅつす」とう うんぬん.
「蓋し 序王とは 経の 玄意を 叙し 玄意は 文心を 述す」等 云云.

この しゃくに もんしんとは だいもくは ほけきょうの こころ なり.
此の 釈に 文心とは 題目は 法華経の 心 なり.

みょうらくだいし いわく.
妙楽大師 云く.

「いちだいの きょうほうを おさむる こと ほっけの もんしん より いず」とう うんぬん.
「一代の 教法を 収むる こと 法華の 文心 より 出ず」等 云云.

てんじくは 70かこく なり.
天竺は 七十箇国 なり.

そうみょうは がっしこく にほんは 60かこく.
総名は 月氏国 日本は 六十箇国.

そうみょうは にほんこく がっしの なの うちに 70かこく.
総名は 日本国 月氏の 名の 内に 七十箇国.

ないし じんちく ちんぽう みな あり.
乃至 人畜 珍宝 みな あり.

にほんと もうす なの うちに 66かこく あり.
日本と 申す 名の 内に 六十六箇国 あり.

でわの はも おうしゅうの きんも ないし くにの ちんぽう.
出羽の 羽も 奥州の 金も 乃至 国の 珍宝.

じんちく ないし じとうも じんじゃも みな にほんと もうす 2じの なの うちに おさまれり.
人畜 乃至 寺塔も 神社も みな 日本と 申す 二字の 名の 内に 摂れり.

てんげんを もっては にほんと もうす 2じを みて 66こく ないし じんちくとうを みるべし.
天眼を もつては 日本と 申す 二字を 見て 六十六国 乃至 人畜等を みるべし.

ほうげんを もっては じんちくとうの ここに しし かしこに いきるをも みるべし.
法眼を もつては 人畜等の 此に 死し 彼に 生るをも みるべし.

たとえば ひとの こえを きいて からだを しり あとを みて だいしょうを しる.
譬へば 人の 声を きいて 体を しり 跡を みて 大小を しる.

はすを みて いけの だいしょうを はかり あめを みて りゅうの ぶんざいを かんがう.
蓮を みて 池の 大小を 計り 雨を みて 竜の 分斉を かんがう.

これは みな いちに いっさいの ある ことわり なり.
これは みな 一に 一切の 有る ことわり なり.

→a325

b326

あごんきょうの だいもくには おおむね いっさいは あるよう なれども.
阿含経の 題目には 大旨 一切は あるやう なれども.

ただ しょうしゃか いちぶつ のみ ありて たぶつ なし.
但 小釈迦 一仏 のみ ありて 他仏 なし.

けごんきょう かんぎょう だいにちきょう とうには また いっさい あるよう なれども.
華厳経 観経 大日経 等には 又 一切 有るやう なれども.

にじょうを ほとけと なすようと くおんじつじょうの しゃかぶつ いまさず.
二乗を 仏に なすやうと 久遠実成の 釈迦仏 いまさず.

れいせば はな さいて このみ ならず いかずち なって あめ ふらず つづみ あって おと なし.
例せば 華 さいて 菓 ならず 雷 なつて 雨 ふらず 鼓 あつて 音 なし.

まなこ あって ものを みず にょにん あって こを うまず.
眼 あつて 物を みず 女人 あつて 子を うまず.

ひと あって いのち なし また たましい なし.
人 あつて 命 なし 又 神 なし.

だいにちの しんごん やくしの しんごん あみだの しんごん かんのんの しんごう とう またかくの ごとし.
大日の 真言 薬師の 真言 阿弥陀の 真言 観音の 真言 等 又 かくの ごとし.

かの きょうぎょうにしては だいおう しゅみせん にちがつ りょうやく にょいしゅ りけん とうの ようなれども.
彼の 経経にしては 大王 須弥山 日月 良薬 如意珠 利剣 等の やうなれども.

ほけきょうの だいもくに たいすれば うんでいの しょうれつなる のみならず.
法華経の 題目に 対すれば 雲泥の 勝劣なる のみならず.

みな おのおの とうたいの じゆうを うしなう.
皆 各各 当体の 自用を 失ふ.

れいせば しゅうせいの ひかりの ひとつの にちりんに うばわれ.
例せば 衆星の 光の 一の 日輪に うばはれ.

もろもろの はがねの ひとつの じしゃくに おうて りしょうの つき.
諸の 鉄の 一の 磁石に 値うて 利性の つき.

たいけんの しょうかに あいて ゆうを うしない.
大剣の 小火に 値て 用を 失ない.

ごにゅう ろにゅう とうの ししおうの ちちに おうて みずと なり.
牛乳 驢乳 等の 師子王の 乳に 値うて 水と なり.

しゅうこが じゅつ いっけんに おうて うしない.
衆狐が 術 一犬に 値うて 失い.

くけんが しょうこに おうて いろを へんずるが ごとし.
狗犬が 小虎に 値うて 色を 変ずるが ごとし.

なんみょうほうれんげきょうと もうせば あみだぶつの ゆうも.
南無妙法蓮華経と 申せば 南無阿弥陀仏の 用も.

なむだいにちしんごんの ゆうも かんぜおんぼさつの ゆうも.
南無大日真言の 用も 観世音菩薩の 用も.

いっさいの しょぶつ しょきょう しょぼさつの ゆう みな ことごとく みょうほうれんげきょうの ゆうに うしなわる.
一切の 諸仏 諸経 諸菩薩の 用 皆 悉く 妙法蓮華経の 用に 失なはる.

かの きょうぎょうは みょうほうれんげきょうの ゆうを かりずば みな いたずらの もの なるべし.
彼の 経経は 妙法蓮華経の 用を 借ずば 皆 いたづらの もの なるべし.

とうじ がんぜんの ことわり なり.
当時 眼前の ことはり なり.

にちれんが なんみょうほうれんげきょうと ひろむれば なむあみだぶつの ゆうは.
日蓮が 南無妙法蓮華経と 弘むれば 南無阿弥陀仏の 用は.

つきの かくるが ごとく しおの ひるが ごとく あきふゆの くさの かるるが ごとく.
月の かくるが ごとく 塩の ひるが ごとく 秋冬の 草の かるるが ごとく.

こおりの にってんに とくるが ごとく なりゆくを みよ.
冰の 日天に とくるが ごとく なりゆくを みよ.

とうて いわく.
問うて 云く.

この ほう じつに いみじくばなど.
此の 法 実に いみじくばなど.

かしょう あなん めみょう りゅうじゅ むちゃく てんじん なんがく てんだい みょうらく でんぎょうらは.
迦葉 阿難 馬鳴 竜樹 無著 天親 南岳 天台 妙楽 伝教等は.

ぜんどうが なむあみだぶつと すすめて かんどに ぐずう せしが ごとく.
善導が 南無阿弥陀仏と すすめて 漢土に 弘通 せしが ごとく.

えしん えいかん ほうねんが にほんこくを みな あみだぶつに なしたるが ごとく.
慧心 永観 法然が 日本国を 皆 阿弥陀仏に なしたるが ごとく.

すすめ たまわざりけるやらん.
すすめ 給はざりけるやらん.

こたえて いわく この なんは いにしえの なんなり.
答えて 云く 此の 難は 古の 難なり.

いま はじめたるには あらず.
今 はじめたるには あらず.

めみょう りゅうじゅぼさつらは ほとけの めつご 600ねん 700ねんとうの だいろんし なり.
馬鳴 竜樹菩薩等は 仏の 滅後 六百年 七百年 等の 大論師 なり.

この ひとびと よに いでて だいじょうきょうを ぐつう せしかば.
此の 人人 世に いでて 大乗経を 弘通 せしかば.

もろもろの しょうじょうの もの うたがって いわく.
諸諸の 小乗の 者 疑つて 云く.

かしょう あなんらは ほとけの めつご 20ねん 40ねん じゅうじゅし たまいて.
迦葉 阿難等は 仏の 滅後 二十年 四十年 住寿し 給いて.

しょうほうを ひろめたまいしは にょらい いちだいの かんじんをこそ くずうし たまいしか.
正法を ひろめ給いしは 如来 一代の 肝心をこそ 弘通し 給いしか.

しかるに この ひとびとは ただ く くう むじょう むがの ほうもんを こそ せんとし たまいしに.
而るに 此の 人人は 但 苦 空 無常 無我の 法門を こそ 詮とし 給いしに.

いま めみょう りゅうじゅら かしこしと いうとも.
今 馬鳴 竜樹等 かしこしと いふとも.

かしょう あなんらには すぐべからず.
迦葉 阿難等には すぐべからず.

これ1 かしょうは ほとけに あいまいらせて げを えたる ひと なり.
是一 迦葉は 仏に あひまいらせて 解を えたる 人 なり.

この ひとびとは ほとけに あい たてまつらず.
此の 人人は 仏に あひ たてまつらず.

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これ2 げどうは じょう らく が じょうと たてしを.
是二 外道は 常 楽 我 浄と 立てしを.

ほとけ よに いでさせ たまいて く くう むじょう むがと とかせ たまいき.
仏 世に 出でさせ 給いて 苦 空 無常 無我と 説かせ 給いき.

この ものどもは じょうらくがじょうと いえり.
此の ものどもは 常楽我浄と いへり.

されば ほとけも ごにゅうめつ なり.
されば 仏も 御入滅 なり.

また かしょうらも かくれさせ たまいぬれば.
又 迦葉等も かくれさせ 給いぬれば.

だいろくてんの まおうが この ものどもが みに いり かわりて.
第六天の 魔王が 此の ものどもが 身に 入り かはりて.

ぶっぽうを やぶり げどうの ほうと なさんと するなり.
仏法を やぶり 外道の 法と なさんと するなり.

されば ぶっぽうの あだをば こうべを われ くびを きれ いのちを たて.
されば 仏法の あだをば 頭を われ 頚を きれ 命を たて.

しょくを とめよ くにを おえと もろもろの しょうじょうの ひとびと もうせ しかども.
食を 止めよ 国を 追へと 諸の 小乗の 人人 申せ しかども.

めみょう りゅうじゅらは ただ いち ににん なり.
馬鳴 竜樹等は 但 一 二人 なり.

ちゅうやに あっくの こえを きき ちょうぼに じょうもくを こうむりし なり.
昼夜に 悪口の 声を きき 朝暮に 杖木を かうふりし なり.

しかれども この ににんは ほとけの おんつかい ぞかし.
而れども 此の 二人は 仏の 御使 ぞかし.

まさしく まやきょうには 600ねんに めみょう いで.
正く 摩耶経には 六百年に 馬鳴 出で.

700ねんに りゅうじゅ いでんと とかれて そうろう.
七百年に 竜樹 出でんと 説かれて 候.

そのうえ りょうがきょう とうにも きせられたり.
其の上 楞伽経 等にも 記せられたり.

また ふほうぞうきょうには もうすに およばず.
又 付法蔵経には 申すに をよばず.

されども もろもろの じょうじょうの ものどもは もちいず.
されども 諸の 小乗の ものどもは 用いず.

ただ めくらぜめに せめしなり.
但 めくらぜめに せめしなり.

にょらい げんざい ゆたおんしつ きょうめつどごの きょうもんは.
如来 現在 猶多怨嫉 況滅度後の 経文は.

この ときに あたりて すこし つみ しられけり.
此の 時に あたりて 少し つみ しられけり.

だいばぼさつの げどうに ころされ ししそんじゃの くびを きられし.
提婆菩薩の 外道に ころされ 師子尊者の 頚を きられし.

この ことを もって おもいやらせ たまえ.
此の 事を もつて おもひやらせ 給へ.

また ほとけ めつご 1500よねんに あたりて.
又 仏滅後 一千五百余年に あたりて.

がっし よりは ひがしに かんどと いう くに あり.
月氏 よりは 東に 漢土と いふ 国 あり.

ちんずいの よに てんだいだいし しゅっせい す.
陳隋の 代に 天台大師 出世 す.

この ひとの いわく.
此の 人の 云く.

にょらいの しょうきょうに だい あり しょう あり けん あり みつ あり ごん あり じつ あり.
如来の 聖教に 大 あり 小 あり 顕 あり 密 あり 権 あり 実 あり.

かしょう あなんらは いっこうに しょうを ひろめ.
迦葉 阿難等は 一向に 小を 弘め.

めみょう りゅうじゅ むじゃく てんじんらは ごんだいじょうを ひろめて.
馬鳴 竜樹 無著 天親等は 権大乗を 弘めて.

じつだいじょうの ほけきょうをば あるいは ただ ゆびを さして ぎを かくし.
実大乗の 法華経をば 或は 但 指を さして 義を かくし.

あるいは きょうの おもてを のべて しちゅうじゅうを のべず.
或は 経の 面を のべて 始中終を のべず.

あるいは しゃくもんを のべて ほんもんを あらわさず.
或は 迹門を のべて 本門を あらはさず.

あるいは ほんじゃく あって かんじん なしと いいしかば.
或は 本迹 あつて 観心 なしと いひしかば.

なんさん ほくしちの じゅうりゅうが すえ すうせんまんにん ときを つくり どっと わらう.
南三 北七の 十流が 末 数千万人 時を つくり どつと わらふ.

よの すえに なるままに ふしぎの ほっしも しゅつげん せり.
世の 末に なるままに 不思議の 法師も 出現 せり.

ときに あたりて われらを へんしゅうする ものは ありとも.
時に あたりて 我等を 偏執する 者は ありとも.

ごかんの えいへい 10ねん ひのとう の としより いま ちんずいに いたる までの.
後漢の 永平 十年 丁卯の 歳より 今 陳隋に いたる までの.

さんぞう にんし 260よにんを ものも しらずと もうす うえ うぼうの ものなり.
三蔵 人師 二百六十余人を ものも しらずと 申す 上 謗法の 者なり.

あくどうに おつると いうもの しゅったいせり.
悪道に 墜つると いふ者 出来せり.

あまりの ものくるわしさに ほけきょうを もて きたり たまえる.
あまりの ものくるはしさに 法華経を 持て 来り 給へる.

らじゅうさんぞうをも ものしらぬ ものと もうすなり.
羅什三蔵をも ものしらぬ 者と 申すなり.

かんどは さても おけ.
漢土は さても をけ.

がっしの だいろんし りゅうじゅ てんじんらの すうひゃくにんの しえの ぼさつも.
月氏の 大論師 竜樹 天親等の 数百人の 四依の 菩薩も.

いまだ じつぎを のべ たまわずと いうなり.
いまだ 実義を のべ 給はずと いふなり.

これを ころしたらん ひとは たかを ころしたる ものなり.
此を ころしたらん 人は 鷹を ころしたる ものなり.

おにを ころすにも すぐべしと ののしりき.
鬼を ころすにも すぐべしと ののしりき.

また みょうらくだいしの とき がっしより ほっそう しんごん わたり.
又 妙楽大師の 時 月氏より 法相 真言 わたり.

かんどに けごんしゅうの はじまりたりしを とかく せめしかば.
漢土に 華厳宗の 始まりたりしを とかく せめしかば.

これも また さわぎし なり.
これも 又 さはぎし なり.

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にほんこくには でんぎょうだいしが ほとけ めつご 1800ねんに あたりて いでさせ たまい.
日本国には 伝教大師が 仏 滅後 一千八百年に あたりて いでさせ 給い.

てんだいの おんしゃくを みて きんめいより このかた.
天台の 御釈を 見て 欽明より 已来.

260よねんが あいだの 6しゅうを せめ たまい しかば.
二百六十余年が 間の 六宗を せめ 給い しかば.

ざいせの げどう かんどの どうし にほんに しゅつげんせりと ぼうぜし うえ.
在世の 外道 漢土の 道士 日本に 出現せりと 謗ぜし 上.

ほとけ めつご 1800ねんが あいだ.
仏 滅後 一千八百年が 間.

がっし かんど にほんに なかりし えんどんの だいかいを たてんと いう のみならず.
月氏 漢土 日本に なかりし 円頓の 大戒を 立てんと いう のみならず.

さいごくの かんのんじの かいだん とうごく しもつけの おのでらの かいだん.
西国の 観音寺の 戒壇 東国 下野の 小野寺の 戒壇.

ちゅうごく やまとの くに とうだいじの かいだんは おなじく しょうじょう しゅうふんの かい なり.
中国 大和の 国 東大寺の 戒壇は 同く 小乗 臭糞の 戒 なり.

がしゃくの ごとし.
瓦石の ごとし.

これを たもつ ほっしらは やかん えんこう とうの ごとしと ありしかば.
其を 持つ 法師等は 野干 猿猴 等の ごとしと ありしかば.

あら ふしぎや ほっしに にたる おおいなむし くにに しゅつげん せり.
あら 不思議や 法師に にたる 大蝗虫 国に 出現 せり.

ぶっきょうの なえ いちじに うせなん.
仏教の 苗 一時に うせなん.

いんの ちゅう かの けつ ほっしと なりて にほんに うまれたり.
殷の 紂・ 夏の 桀・ 法師と なりて 日本に 生まれたり.

ごしゅうの うぶん とうの ぶそう ふたたび よに しゅつげん せり.
後周の 宇文・ 唐の 武宗・ 二たび 世に 出現 せり.

ぶっぽうも ただ いま うせぬべし.
仏法も 但 今 失せぬべし.

くにも ほろびなんと だいじょう しょうじょうの にるいの ほっし しゅつげんせば.
国も ほろびなんと 大乗 小乗の 二類の 法師 出現 せば.

しゅらと たいしゃくと こううと こうそと いっこくに ならべる なるべしと.
修羅と 帝釈と 項羽と 高祖と 一国に 並べる なるべしと.

しょにん てを たたき したを ふるう.
諸人 手を たたき 舌を ふるふ.

ざいせには ほとけと だいばが ふたつの かいだん ありて そこばくの ひとびと しにき.
在世には 仏と 提婆が 二の 戒壇 ありて そこばくの 人人 死にき.

されば たしゅうには そむくべし.
されば 他宗には そむくべし.

わが し てんだいだいしの たて たまわざる えんどんの かいだんを たつべしと いう ふしぎさよ.
我が 師 天台大師の 立て 給はざる 円頓の 戒壇を 立つべしと いう 不思議さよ.

あら おそろし おそろしと ののしり あえりき.
あら おそろし おそろしと ののしり あえりき.

されども きょうもん ふんみょうに ありしかば えいざんの だいじょうかいだん すでに たてさせ たまいぬ.
されども 経文 分明に ありしかば 叡山の 大乗戒壇 すでに 立てさせ 給いぬ.

されば ないしょうは おなじ けれども.
されば 内証は 同じ けれども.

ほうの るふは かしょう あなんよりも めみょう りゅうじゅらは すぐれ.
法の 流布は 迦葉 阿難よりも 馬鳴 竜樹等は すぐれ.

めみょうら よりも てんだいは すぐれ.
馬鳴等 よりも 天台は すぐれ.

てんだいよりも でんぎょうは こえさせ たまいたり.
天台よりも 伝教は 超えさせ 給いたり.

よ すえに なれば ひとの ちは あさく ぶっきょうは ふかく なること なり.
世 末に なれば 人の 智は あさく 仏教は ふかく なる事 なり.

れいせば けいびょうは ぼんやく じゅうびょうには せんやく.
例せば 軽病は 凡薬 重病には 仙薬.

じゃくにんには つよき かとうど ありて たすくる これなり.
弱人には 強き かたうど 有りて 扶くる これなり.

とうて いわく てんだい でんぎょうの ぐずうし たまわざる しょうほう ありや.
問うて 云く 天台 伝教の 弘通し 給わざる 正法 ありや.

こたえて いわく あり もとめて いわく なにものぞや.
答えて 云く 有り 求めて 云く 何物ぞや.

こたえて いわく みっつあり.
答えて 云く 三あり.

まっぽうの ために ほとけ とどめおき たまう かしょう あなん とう めみょう りゅうじゅ とう.
末法の ために 仏 留め置き 給う 迦葉 阿難 等 馬鳴 竜樹 等.

てんだい でんぎょう とうの ぐずう せさせ たまわざる しょうほう なり.
天台 伝教等の 弘通 せさせ 給はざる 正法 なり.

もとめて いわく その ぎょうみょう いかん.
求めて 云く 其の 形貌 如何.

こたえて いわく ひとつには にほん ないし いちえんぶだい.
答えて 云く 一には 日本 乃至 一閻浮提.

いちどうに ほんもんの きょうしゅ しゃくそんを ほんぞんと すべし.
一同に 本門の 教主 釈尊を 本尊と すべし.

いわゆる ほうとうの うちの しゃか たほう そのほかの しょぶつ.
所謂 宝塔の 内の 釈迦 多宝 外の 諸仏.

ならびに じょうぎょうとうの しぼさつ きょうじと なるべし.
並に 上行等の 四菩薩 脇士と なるべし.

ふたつには ほんもんの かいだん.
二には 本門の 戒壇.

みっつには にほん ないし かんど がっし いちえんぶだいに ひとごとに うち むちを きらわず.
三には 日本 乃至 漢土 月氏・ 一閻浮提に 人 ごとに 有智 無智を きらはず.

いちどうに たじを すてて なんみょうほうれんげきょうと となうべし.
一同に 他事を すてて 南無妙法蓮華経と 唱うべし.

このこと いまだ ひろまらず.
此の事 いまだ ひろまらず.

いちえんぶだいの うちに ほとけ めつご 2225ねんが あいだ ひとりも となえず.
一閻浮提の 内に 仏 滅後 二千二百二十五年が 間 一人も 唱えず.

にちれん ひとり なんみょうほうれんげきょう なんみょうほうれんげきょうとうと こえも おしまず となうるなり.
日蓮 一人 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経等と 声も をしまず 唱うるなり.

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れいせば かぜに しがたって なみの だいしょう あり.
例せば 風に 随つて 波の 大小 あり.

たきぎに よって ひの こうげ あり.
薪に よつて 火の 高下 あり.

いけに したがって はちすの だいしょう あり.
池に 随つて 蓮の 大小 あり.

あめの だいしょうは りゅうに よる.
雨の 大小は 竜に よる.

ね ふかければ えだ しげし みなもと とおければ ながれ ながしと いう これなり.
根 ふかければ 枝 しげし 源 遠ければ 流 ながしと いう これなり.

しゅうの よの 700ねんは ぶんのうの れいこうに よる しんの よ ほども なし.
周の 代の 七百年は 文王の 礼孝に よる 秦の 世 ほども なし.

しこうの さどうに よるなり.
始皇の 左道に よるなり.

にちれんが じひ こうだいならば なんみょうほうれんげきょうは まんねんの ほか みらい までも ながるべし.
日蓮が 慈悲曠大ならば 南無妙法蓮華経は 万年の 外 未来 までも ながるべし.

にほんこくの いっさいしゅじょうの もうもくを ひらける くどく あり.
日本国の 一切衆生の 盲目を ひらける 功徳 あり.

むけんじごくの みちを ふさぎぬ.
無間地獄の 道を ふさぎぬ.

この くどくは でんぎょう てんだいにも こえ りゅうじゅ かしょうにも すぐれたり.
此の 功徳は 伝教 天台にも 超へ 竜樹 迦葉にも すぐれたり.

ごくらく 100ねんの しゅぎょうは えどの いちにちの くどくに およばず.
極楽 百年の 修行は 穢土の 一日の 功徳に 及ばず.

しょうぞう 2せんねんの ぐずうは まっぽうの いちじに おとるか.
正像 二千年の 弘通は 末法の 一時に 劣るか.

これ ひとえに にちれんが ちの かしこきには あらず.
是れ ひとへに 日蓮が 智の かしこきには あらず.

ときの しからしむるのみ.
時の しからしむる耳.

はるは はな さき あきは このみ なる.
春は 花 さき 秋は 菓 なる.

なつは あたたかに ふゆは つめたし ときの しからしむるに あらずや.
夏は あたたかに 冬は つめたし 時の しからしむるに 有らずや.

「われ めつどの のち ごの 500さいの なかに こうせんるふして えんぶだいに おいて だんぜつして.
「我 滅度の 後・ 後の 五百歳の 中に 広宣流布して 閻浮提に 於て 断絶して.

あくま まみん もろもろの てんりゅう やしゃ くはんだ とうに その たよりを えせしむること なけん」とう うんぬん.
悪魔 魔民 諸の 天竜 夜叉 鳩槃荼等に 其の 便りを 得せしむること 無けん」等 云云.

この きょうもん もし むなしく なるならば しゃりほつは けこうにょらいと ならじ.
此の 経文 若し むなしく なるならば 舎利弗は 華光如来と ならじ.

かしょうそんじゃは こうみょうにょらいと ならじ.
迦葉尊者は 光明如来と ならじ.

もくれんは たまらばせんだんこうぶつと ならじ.
目レンは 多摩羅跋栴檀香仏と ならじ.

あなんは せんかいえじざいつうおうぶつと ならじ.
阿難は 山海慧自在通王仏と ならじ.

まかはじゃはだいびくには いっさいしゅじょうきけんぶつと ならじ.
摩訶波闍波提比丘尼は 一切衆生喜見仏と ならじ.

やしゅたらびくには ぐそくせんまんこうそうぶつと ならじ.
耶輸陀羅比丘尼は 具足千万光相仏と ならじ.

さんぜんじんてんも けろんと なり.
三千塵点も 戯論と なり.

ごひゃくじんてんも もうごと なりて.
五百塵点も 妄語と なりて.

おそらくは きょうしゅ しゃくそんは むけんじごくに おち.
恐らくは 教主 釈尊は 無間地獄に 堕ち.

たほうぶつは あびの ほのおに むせび.
多宝仏は 阿鼻の 炎に むせび.

じっぽうの しょぶつは はちだいじごくを すみかとし.
十方の 諸仏は 八大地獄を 栖とし.

いっさいの ぼさつは 136の くを うくべし.
一切の 菩薩は 一百三十六の 苦を うくべし.

いかでか その ぎ そうろうべき.
いかでか その 義 候べき.

その ぎ なくば にほんこくは いちどうの なんみょうほうれんげきょう なり.
其の 義 なくば 日本国は 一同の 南無妙法蓮華経 なり.

されば はなは ねに かえり しんみは つちに とどまる.
されば 花は 根に かへり 真味は 土に とどまる.

この くどくは こ どうぜんぼうの しょうりょうの おんみに あつまるべし.
此の 功徳は 故 道善房の 聖霊の 御身に あつまるべし.

なんみょうほうれんげきょう なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経.

けんじ 2ねん たいさいひのえね 7がつ 21にち これを しるす.
建治 二年 太歳丙子 七月 二十一日 之を 記す.

こうしゅう はきいごう みのぶさん より.
甲州 波木井郷 身延山 より.

あわのくに とうじょうのこおり せいちょうざん じょうけんぼう ぎしょうぼうの もとに ぶそうす.
安房の国 東条の郡 清澄山 浄顕房 義成房の 許に 奉送す.

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