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ほんぞん もんどうしょう.
本尊問答抄.
こうあん がんねん くがつ 57さい おんさく.
弘安 元年 九月 五十七歳 御作.
あたう じょうけんぼう にっちゅう.
与 浄顕房 日仲.
とうて いわく まつだい あくせの ぼんぷは なにものを もって ほんぞんと さだむべきや.
問うて 云く 末代悪世の 凡夫は 何物を 以て 本尊と 定むべきや.
こたえて いわく ほけきょうの だいもくを もって ほんぞんと すべし.
答えて 云く 法華経の 題目を 以て 本尊と すべし.
とうて いわく いずれの きょうもん いずれの にんしの しゃくにか いでたるや.
問うて 云く 何れの 経文 何れの 人師の 釈にか 出でたるや.
こたう ほけきょうの だい4 ほっしほんに いわく.
答う 法華経の 第四 法師品に 云く.
「やくおう ざいざいしょしょに もしは とき もしは よみ もしは じゅし もしは かき.
「薬王 在在処処に 若しは 説き 若しは 読み 若しは 誦し 若しは 書き.
もしは きょうかん しょじゅうの ところには みな まさに しっぽうの とうを たてて.
若しは 経巻 所住の 処には 皆 応に 七宝の 塔を 起てて.
きわめて こうこうごんじき ならしむべし.
極めて 高広厳飾 なら令むべし.
また しゃりを やすんずる ことを もちいじ.
復 舎利を 安んずる ことを 須いじ.
ゆえんは いかん このなかには すでに にょらいの ぜんしん います」とう うんぬん.
所以は 何ん 此の中には 已に 如来の 全身 有す」等 云云.
ねはんぎょうの だい4 にょらいしょうほんに いわく.
涅槃経の 第四 如来性品に 云く.
「また つぎに かしょう しょぶつの しと する ところは いわゆる ほう なり.
「復 次に 迦葉 諸仏の 師と する 所は 所謂 法 なり.
この ゆえに にょらい くぎょう くよう す.
是の 故に 如来 恭敬 供養 す.
ほう つねなるを もっての ゆえに しょぶつも また つね なり」うんぬん.
法 常なるを 以ての 故に 諸仏も 亦 常 なり」云云.
てんだいだいしの ほっけさんまいに いわく.
天台大師の 法華三昧に 云く.
「どうじょうの なかに おいて よき こうざを しき ほけきょう いちぶを あんちし.
「道場の 中に 於て 好き 高座を 敷き 法華経 一部を 安置し.
また かならずしも きょうぞうしゃり ならびに よの きょうてんを おくべからず.
亦 必ずしも 形像舎利 並びに 余の 経典を 安くべからず.
ただ ほけきょう いちぶを おけ」とう うんぬん.
唯 法華経 一部を 置け」等 云云.
うたがって いわく.
疑つて 云く.
てんだいだいしの まかしかんの だい2の 4しゅざんまいの ごほんぞんは あみだぶつ なり.
天台大師の 摩訶止観の 第二の 四種三昧の 御本尊は 阿弥陀仏 なり.
ふくうさんぞうの ほけきょうの かんちの ぎきは しゃか たほうを もって ほけきょうの ほんぞんとせり.
不空三蔵の 法華経の 観智の 儀軌は 釈迦多宝を 以て 法華経の 本尊とせり.
なんじ なんぞ これらの ぎに そうい するや.
汝 何ぞ 此等の 義に 相違 するや.
こたえて いわく これ わたくしの ぎに あらず.
答えて 云く 是れ 私の 義に あらず.
かみに いだす ところの きょうもん ならびに てんだいだいしの おんしゃく なり.
上に 出だす ところの 経文 並びに 天台大師の 御釈 なり.
ただし まかしかんの 4しゅざんまいの ほんぞんは あみだぶつとは.
但し 摩訶止観の 四種三昧の 本尊は 阿弥陀仏とは.
かれは じょうざ じょうぎょう ひぎょうひざの さんしゅの ほんぞんは あみだぶつ なり.
彼は 常坐 常行 非行非坐の 三種の 本尊は 阿弥陀仏 なり.
もんじゅもんぎょう はんじゅさんまいきょう しょうかんのんきょう とうに よる.
文殊問経 般舟三昧経 請観音経 等に よる.
これ にぜんの しょきょうの うち みけんしんじつの きょう なり.
是れ 爾前の 諸経の 内 未顕真実の 経 なり.
はんぎょうはんざざんまいには ふたつ あり.
半行半坐三昧には 二 あり.
ひとつには ほうとうきょうの しちぶつ はちぼさつとうを ほんぞんとす.
一には 方等経の 七仏 八菩薩 等を 本尊とす.
かの きょうに よる.
彼の 経に よる.
ふたつには ほけきょうの しゃか たほう とうを ひき たてまつれども.
二には 法華経の 釈迦 多宝 等を 引き 奉れども.
ほっけざんまいを もって あんずるに ほけきょうを ほんぞんと すべし.
法華三昧を 以て 案ずるに 法華経を 本尊と すべし.
ふくうさんぞうの ほけきょうぎきは ほうとうほんの もんに よれり.
不空三蔵の 法華儀軌は 宝塔品の 文に よれり.
これは ほけきょうの きょうしゅを ほんぞんとす.
此れは 法華経の 教主を 本尊とす.
ほけきょうの しょういには あらず.
法華経の 正意には あらず.
かみに あぐる ところの ほんぞんは しゃか たほう じっぽうの しょぶつの ほんぞん.
上に 挙ぐる 所の 本尊は 釈迦 多宝 十方の 諸仏の 御本尊.
ほけきょうの ぎょうじゃの しょうい なり.
法華経の 行者の 正意 なり.
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とうて いわく にほんこくに じっしゅう あり.
問うて 云く 日本国に 十宗 あり.
いわゆる くしゃ じょうじつ りつ ほっそう 3ろん けごん しんごん じょうど ほっけしゅう なり.
所謂 倶舎 成実 律 法相 三論 華厳 真言 浄土 禅 法華宗 なり.
この しゅうは みな ほんぞん まちまちなり.
此の 宗は 皆 本尊 まちまちなり.
いわゆる くしゃ じょうじつ りつの 3しゅうは れつおうじんの しょうしゃか なり.
所謂 倶舎 成実 律の 三宗は 劣応身の 小釈迦 なり.
ほっそう さんろんの 2しゅうは だいしゃかぶつを ほんぞんとす.
法相 三論の 二宗は 大釈迦仏を 本尊とす.
けごんしゅうは だいじょうの るさな ほうしんの しゃかにょらい.
華厳宗は 台上の るさな 報身の 釈迦如来.
しんごんしゅうは だいにちにょらい じょうどしゅうは あみだぶつ.
真言宗は 大日如来 浄土宗は 阿弥陀仏.
ぜんしゅうにも しゃかを もちいたり.
禅宗にも 釈迦を 用いたり.
なんぞ てんだいしゅうに ひとり ほけきょうを ほんぞんと するや.
何ぞ 天台宗に 独り 法華経を 本尊と するや.
こたう かれらは ほとけを ほんぞんと するに これは きょうをほんぞんと す.
答う 彼等は 仏を 本尊と するに 是は 経を 本尊と す.
その ぎ あるべし.
其の 義 あるべし.
とう その ぎ いかん ほとけと きょうと いずれか すぐれたるや.
問う 其の 義 如何 仏と 経と いづれか 勝れたるや.
こたえて いわく ほんぞんとは すぐれたるを もちうべし.
答えて 云く 本尊とは 勝れたるを 用うべし.
れいせば じゅけには さんこうごていを もちいて ほんぞんと するがごとく.
例せば 儒家には 三皇五帝を 用いて 本尊と するが如く.
ぶっけにも また しゃかを もって ほんぞんと すべし.
仏家にも 又 釈迦を 以て 本尊と すべし.
とうて いわく しからば なんじ いかんぞ.
問うて 云く 然らば 汝 云何ぞ.
しゃかを もって ほんぞんと せずして ほけきょうの だいもくを ほんぞんと するや.
釈迦を 以て 本尊と せずして 法華経の 題目を 本尊と するや.
こたう かみに あぐる ところの きょうしゃくを み そうらえ.
答う 上に 挙ぐる ところの 経釈を 見 給へ.
わたしの ぎには あらず.
私の 義には あらず.
しゃくそんと てんだいとは ほけきょうを ほんぞんと さだめ たまえり.
釈尊と 天台とは 法華経を 本尊と 定め 給へり.
まつだい いまの にちれんも ほとけと てんだいとの ごとく ほけきょうを もって ほんぞんと するなり.
末代 今の 日蓮も 仏と 天台との 如く 法華経を 以て 本尊と するなり.
その ゆえは ほけきょうは しゃくそんの ふぼ しょぶつの がんもく なり.
其の 故は 法華経は 釈尊の 父母 諸仏の 眼目 なり.
しゃか だいにち そうじて じっぽうの しょぶつは ほけきょう より しゅっしょう したまえり.
釈迦 大日 総じて 十方の 諸仏は 法華経 より 出生 し給へり.
ゆえに いま のうしょうを もって ほんぞんと するなり.
故に 今 能生を 以て 本尊と するなり.
とう その しょうこ いかん.
問う 其 証拠 如何.
こたう ふげんきょうに いわく 「この だいじょうきょうてんは しょぶつの ほうぞう なり.
答う 普賢経に 云く 「此の 大乗経典は 諸仏の 宝蔵 なり.
じっぽうさんぜの しょぶつの がんもく なり.
十方三世の 諸仏の 眼目 なり.
さんぜの もろもろの にょらいを しゅっしょう する たね なり」とう うんぬん.
三世の 諸の 如来を 出生 する 種 なり」等 云云.
また いわく「この ほうとうきょうは これ しょぶつの まなこ なり.
又 云く「此の 方等経は 是れ 諸仏の 眼 なり.
しょぶつは これに よって ごげんを ぐする ことを えたまえり.
諸仏は 是に 因つて 五眼を 具する ことを 得たまえり.
ほとけの さんしゅの みは ほうとう より しょうず.
仏の 三種の 身は 方等 より 生ず.
これ だいほういんにして ねはんかいを いんす.
是れ 大法印にして 涅槃海を 印す.
かくの ごとき かいちゅう より よく さんしゅの ほとけの しょうじょうの みを しょうず.
此くの 如き 海中 より 能く 三種の 仏の 清浄の 身を 生ず.
この 3しゅの みは にんてんの ふくでん おうぐの なかの さいなり」とう うんぬん.
此の 三種の 身は 人天の 福田 応供の 中の 最 なり」等 云云.
これらの きょうもん ほとけは しょしょう ほけきょうは のうしょう.
此等の 経文 仏は 所生 法華経は 能生.
ほとけは み なり ほけきょうは たましい なり.
仏は 身 なり 法華経は 神 なり.
しかれば すなわち もくぞうがぞうの かいげんくようは ただ ほけきょうに かぎるべし.
然れば 則ち 木像画像の 開眼供養は 唯 法華経に かぎるべし.
しかるに いま もくがの にぞうを もうけて.
而るに 今 木画の 二像を まうけて.
だいにち ぶつげんの いんと しんごんとを もって かいげんくようを なすは もっとも ぎゃく なり.
大日 仏眼の 印と 真言とを 以て 開眼供養を なすは もとも 逆 なり.
とうて いわく.
問うて 云く.
ほけきょうを ほんぞんと すると だいにちにょらいを ほんぞんとすると いずれか まさるや.
法華経を 本尊と すると 大日如来を 本尊と すると いづれか 勝るや.
こたう こうぼうだいし じかくだいし ちしょうだいしの おんぎのごとく ならば.
答う 弘法大師 慈覚大師 智証大師の 御義の 如く ならば.
だいにちにょらいは すぐれ ほけきょうは おとるなり.
大日如来は すぐれ 法華経は 劣るなり.
とう その ぎ いかん.
問う 其の 義 如何.
こたう こうぼうだいしの ひぞうほうやく10じゅうしんに いわく.
答う 弘法大師の 秘蔵宝鑰十住心に 云く.
「だい8 ほっけ だい9 けごん だい10 だいにちきょう」とう うんぬん.
「第八 法華 第九 華厳 第十 大日経」等 云云.
これは あさき より ふかきに いる.
是は 浅き より 深きに 入る.
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じかくだいしの こんごうちょうきょうの しょ そしっちきょうの しょ ちしょうだいしの しょ だいにちきょうの しいき とうに いわく.
慈覚大師の 金剛頂経の 疏 蘇悉地経の 疏 智証大師の 大日経の旨帰 等に 云く.
「だいにちきょう だいいち ほけきょう だいに」とう うんぬん.
「大日経 第一 法華経 第二」等 云云.
とう なんじが こころ いかん.
問う 汝が 意 如何.
こたう しゃかにょらい たほうぶつ そうじて じっぽうの しょぶつの ごひょうじょうに いわく.
答う 釈迦如来 多宝仏 総じて 十方の 諸仏の 御評定に 云く.
いこんとうの いっさいきょうの なかに ほっけ もっともこれ だいいちなり うんぬん.
已今当の 一切経の 中に 法華 最為 第一なり 云云.
とう いま にほんこくじゅうの てんだい しんごんとうの しょそう.
問う 今 日本国中の 天台 真言 等の 諸僧.
ならびに おうしん ばんみん うたがって いわく.
並びに 王臣 万民 疑つて 云く.
にちれんほっしめは こうぼう じかく ちしょうだいし とうに まさるべきか いかん.
日蓮法師めは 弘法 慈覚 智証大師 等に 勝るべきか 如何.
こたう にちれん はんきつして いわく.
答う 日蓮 反詰して 云く.
こうぼう じかく ちしょうだいしらは しゃか たほう じっぽうの しょぶつに まさるべきか.
弘法 慈覚 智証大師等は 釈迦 多宝 十方の 諸仏に 勝るべきか.
いま にほんの こくおう より たみ までも きょうしゅしゃくそんの みこ なり.
今 日本の 国王 より 民 までも 教主釈尊の 御子 なり.
しゃくそんの さいごの ごゆいごんに いわく.
釈尊の 最後の 御遺言に 云く.
「ほうに よって にんに よらざれ」とう うんぬん.
「法に 依つて 人に 依らざれ」等 云云.
ほっけ さいだいいちと もうすは ほうに よるなり.
法華 最第一と 申すは 法に 依るなり.
しかるに さんだいし とうに まさるべしやと のたまう しょそうおうしん ばんみん.
然るに 三大師 等に 勝るべしやと の給ふ 諸僧 王臣 万民.
ないし しょじゅう ぎゅうば とうに いたるまで ふこうの こに あらずや.
乃至 所従 牛馬 等に いたるまで 不孝の 子に あらずや.
とう こうぼうだいしは ほけきょうを み たまわずや.
問う 弘法大師は 法華経を 見 給はずや.
こたう こうぼうだいしも いっさいきょうを よみ たまえり.
答う 弘法大師も 一切経を 読み 給へり.
その なかに ほけきょう けごんきょう だいにちきょうの せんじん しょうれつを よみ たもうに.
其の 中に 法華経 華厳経 大日経の 浅深 勝劣を 読み 給うに.
ほけきょうを よみ たもう さまに いわく.
法華経を 読 給う 様に 云く.
もんじゅしゅり この ほけきょうは しょぶつ にょらい ひみつの ぞう なり.
文殊師利 此の 法華経は 諸仏 如来 秘密の 蔵 なり.
しょきょうの なかに おいて もっとも その したに あり.
諸経の 中に 於て 最も 其の 下に 在り.
また よみ たもう さまに いわく やくおう いま なんじに つぐ.
又 読み 給う 様に 云く 薬王 今 汝に 告ぐ.
わが しょせつの しょきょう あり.
我が 所説の 諸経 あり.
しかも この きょうの なかに おいて ほっけ さいだい3 うんぬん.
而も 此の 経の 中に 於て 法華 最第三 云云.
また じかく ちしょうだいしの よみ たもう さまに いわく.
又 慈覚 智証大師の 読み 給う 様に 云く.
しょきょうの なかに おいて もっとも その なかに あり.
諸経の 中に 於て 最も 其の 中に 在り.
また さいいだい2 とう うんぬん.
又 最為第二 等 云云.
しゃかにょらい たほうぶつ だいにちにょらい いっさいの しょぶつ.
釈迦如来 多宝仏 大日如来 一切の 諸仏.
ほけきょうを いっさい きょうに そうたいして といて のたまわく.
法華経を 一切経に 相対して 説いて の給はく.
ほっけ さいだいいち.
法華 最第一.
また といて いわく ほっけ もっとも その かみに あり うんぬん.
又 説いて 云く 法華 最も 其の 上に 在り 云云.
いわゆる しゃかじっぽうの しょぶつと じかく こうぼう とうのさんだいしと いずれを もとと すべきや.
所詮 釈迦十方の 諸仏と 慈覚 弘法 等の 三大師と いづれを 本と すべきや.
ただし ことを にちれんに よせて しゃか じっぽうの しょぶつには.
但し 事を 日蓮に よせて 釈迦 十方の 諸仏には.
ながく そむきて さんだいしを もとと すべきか いかん.
永く 背きて 三大師を 本と すべきか 如何.
とう こうぼうだいしは さぬきのくにの ひと.
問う 弘法大師は 讃岐の国の 人.
ごんそうそうじょうの でし なり.
勤操僧正の 弟子 なり.
さんろん ほっそうの 6しゅうを きわむ.
三論 法相の 六宗を 極む.
いぬる えんりゃく 23ねん 5がつ かんむてんのうの ちょくせんを おびて かんどに いり.
去る 延暦 二十三年 五月 桓武天皇の 勅宣を 帯びて 漢土に 入り.
じゅんそうこうていの ちょくに よりて せいりゅうじに いりて.
順宗皇帝の 勅に 依りて 青竜寺に 入りて.
けいか わしょうに しんごんの だいほうを そうじょう したまえり.
慧果 和尚に 真言の 大法を 相承 し給へり.
けいか わしょうは だいにちにょらい よりは しちだいに なりたもう.
慧果 和尚は 大日如来 よりは 七代に なり給う.
ひとは かわれど ほうもんは おなじ.
人は かはれども 法門は をなじ.
たとえば かめの みずを なお かめに うつすが ごとし.
譬えば 瓶の 水を 猶 瓶に うつすが ごとし.
だいにちにょらいと ごんごうさった りゅうみょう りゅうち こんごうち.
大日如来と 金剛薩タ 竜猛 竜智 金剛智.
ふくう けいか こうぼうとの かめは ことなれども.
不空 慧果 弘法との 瓶は 異なれども.
しょでんの ちすいは おなじ しんごん なり.
所伝の 智水は 同じ 真言 なり.
この だいし かの しんごんを ならいて 3000の はとうを わたりて にほんこくに つきたもうに.
此の 大師 彼の 真言を 習いて 三千の 波濤を わたりて 日本国に 付き給うに.
へいぜい さが じゅんなの 3ていに さずけ たてまつる.
平城 嵯峨 淳和の 三帝に さづけ 奉る.
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いぬる こうじん こうにん 14ねん しょうがつ 19にちに.
去る 弘仁 十四年 正月 十九日に.
とうじを こんりゅう すべき ちょくを たまいて しんごんの ひほうを ぐつうし たもう.
東寺を 建立 すべき 勅を 給いて 真言の 秘法を 弘通し 給う.
しからば 5き しちどう 66かこく ふたつの しまに いたるまでも.
然らば 五畿 七道 六十六箇国 二の 島に いたるまでも.
れいを とり しょを にぎる ひと だれか この まつりゅうに あらざるや.
鈴を とり 杵を にぎる 人 たれか この 末流に あらざるや.
また じかくだいしは しもつけのくにの ひと こうちぼさつの でし なり.
又 慈覚大師は 下野の国の 人 広智菩薩の 弟子 なり.
だいどう 3ねん おんとし 15にして でんぎょうだいしの みでしと なりて.
大同 三年 御歳 十五にして 伝教大師の 御弟子と なりて.
えいざんに のぼりて 15ねんの あいだ 6しゅうを ならい ほっけ しんごんの 2しゅうを ならいつたえ.
叡山に 登りて 十五年の 間 六宗を 習い 法華 真言の 二宗を 習い伝え.
しょうわ 5ねん ごにっとう かんどの かいしょうてんしの ぎょう なり.
承和 五年 御入唐 漢土の 会昌天子の 御宇 なり.
ほっせん げんせい ぎしん ほうげつ そうえい しおん とうの てんだい しんごんの せきがくに.
法全 元政 義真 法月 宗叡 志遠 等の 天台 真言の 碩学に.
あいたてまつりて けんみつの 2どうを きわめたもう.
値い奉りて 顕密の 二道を 習い 極め給う.
その うえ ことに しんごんの ひきょうは 10ねんの あいだ こうを つくしたもう.
其の 上 殊に 真言の 秘教は 十年の 間 功を 尽し給う.
だいにちにょらい よりは 9だい なり.
大日如来 よりは 九代 なり.
かじょう がんねん にんめいてんのうの おんし なり.
嘉祥 元年 仁明天皇の 御師 なり.
にんじゅ さいこうに こんごうちょうきょう そしっちきょうの 2きょうの しょを つくり.
仁寿 斉衡に 金剛頂経 蘇悉地経の 二経の 疏を 造り.
えいざんに そうじいんを こんりゅうして だい3の ざすと なりたもう.
叡山に 総持院を 建立して 第三の 座主と なり給う.
てんだいの しんごん これより はじまる.
天台の 真言 これより はじまる.
また ちしょうだいしは さぬきのくにの ひと.
又 智証大師は 讃岐の国の 人.
てんちょう 4ねん おんとし 14 えいざんに のぼり ぎしんわしょうの みでしと なりたもう.
天長 四年 御年 十四 叡山に 登り 義真和尚の 御弟子と なり給う.
にほんこくにては ぎしん じかく えんちょう べっとう とうのしょとくに はっしゅうを ならいつたえ.
日本国にては 義真 慈覚 円澄 別当 等の 諸徳に 八宗を 習い伝え.
いぬる じんじゅ がんねんに ぶんとくてんのうの ちょくを たまいて かんどに いり.
去る 仁寿 元年に 文徳天皇の 勅を 給いて 漢土に 入り.
せんそうこうていの だいちゅうねんちゅうに ほっせん りょうしょわしょう とうの しょだいしに.
宣宗皇帝の 大中年中に 法全 良ショ和尚 等の 諸大師に.
しちねんの あいだ けんみつの 2きょう ならい きわめて.
七年の 間 顕密の 二教 習い 極め 給いて.
いぬる てんあん 2ねんに ごきちょう ぶんとく せいわ とうの こうていの おんし なり.
去る 天安 二年に 御帰朝 文徳 清和 等の 皇帝の 御師 なり.
いずれも げんの ため とうの ため つきの ごとく ひの ごとく.
何れも 現の 為 当の 為 月の 如く 日の 如く.
だいだいの みょうしゅ じじの しんみん しんこう あまりあり.
代代の 明主 時時の 臣民 信仰 余り有り.
きえ おこたり なし ゆえに ぐちの いっさい ひとえに しんずる ばかりなり.
帰依 怠り 無し 故に 愚癡の 一切 偏に 信ずる ばかりなり.
まことに ほうに よって にんに よらざれの きんげんを そむかざるの ほかは.
誠に 法に 依つて 人に 依らざれの 金言を 背かざるの 外は.
いかでか ほとけに よらずして こうぼうらの ひとに よるべきや.
争か 仏に よらずして 弘法 等の 人に よるべきや.
いわゆる その こころ いかん.
所詮 其の 心 如何.
こたう それ きょうしゅしゃくそんの ごにゅうめつ いっせんねんの あいだ.
答う 夫れ 教主釈尊の 御入滅 一千年の 間.
がっしに ぶっぽうの ぐつうせし しだいは さき 500ねんは しょうじょう.
月氏に 仏法の 弘通せし 次第は 先 五百年は 小乗.
のちの 500ねんは だいじょう しょうだい ごんじつの あらそいは ありしかども.
後の 五百年は 大乗 小大 権実の 諍は ありしかども.
けんみつの さだめは かすかなりき.
顕密の 定めは かすかなりき.
ぞうほうに いりて 15ねんと もうせしに かんどに ぶっぽう わたる.
像法に 入りて 十五年と 申せしに 漢土に 仏法 渡る.
はじめは じゅどうと しゃっきょうと じょうろんして さだめがたかりき.
始は 儒道と 釈教と 諍論して 定めがたかりき.
されども ぶっぽう ようやく ぐつう せしかば だいしょう ごんじつの そうろん いできたる.
されども 仏法 やうやく 弘通 せしかば 小大 権実の 諍論 いできたる.
されども いたくの そういも なかりしに.
されども いたくの 相違も なかりしに.
かんどに ぶっぽう わたりて 600ねん.
漢土に 仏法 渡りて 六百年.
げんそうこうていの ぎょう ぜんむい こんごうち ふくうの 3さんぞう.
玄宗皇帝の 御宇 善無畏 金剛智 不空の 三三蔵.
がっし より いり たまいて のち しんごんしゅうを たてしかば.
月氏 より 入り 給いて 後 真言宗を 立てしかば.
けごん ほっけ とうの しょしゅうは もっての ほかに くだされき かみ.
華厳 法華 等の 諸宗は 以ての外に くだされき 上.
いちにん ひとり しも ばんみんに いたるまで しんごんには ほけきょうは うんでい なりと おもいしなり.
一人 自り 下 万民に 至るまで 真言には 法華経は 雲泥 なりと 思いしなり.
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その ご とくそうこうていの ぎょうに みょうらくだいしと もうす ひと.
其の 後 徳宗皇帝の 御宇に 妙楽大師と 申す 人.
しんごんは ほけきょうに あながちに おとりたりと おぼしめし しかども.
真言は 法華経に あながちに をとりたりと おぼしめし しかども.
いたく たてる ことも なかりしかば ほっけ しんごんの しょうれつを わきまえる ひと なし.
いたく 立てる 事も なかりしかば 法華 真言の 勝劣を 弁える人 なし.
にほんこくは にんのう 30だい きんめいの おんとき.
日本国は 人王 三十代 欽明の 御時.
くだらこく より ぶっぽう はじめて わたりたり.
百済国 より 仏法 始めて 渡りたり.
しかども はじめは かみと ほとけとの じょうろん こわくして 30よねんは すぎにき.
しかども 始は 神と 仏との 諍論 こわくして 三十余年は すぎにき.
34だい すいこてんのうの ぎょうに しょうとくたいし はじめて.
三十四代 推古天皇の 御宇に 聖徳太子 始めて.
ぶっぽうを ぐつうし たもう えかん かんろくの ふたりの しょうにん.
仏法を 弘通し 給う 慧観 観勒の 二の 上人.
くだらこく より わたりて さんろんしゅうを ひろめ.
百済国 より わたりて 三論宗を 弘め.
こうとくの ぎょうに どうしょう ぜんしゅうを わたす.
孝徳の 御宇に 道昭 禅宗を わたす.
ぶんぶの ぎょうに しらぎこくの ちほう ほっそうしゅうを わたす.
文武の 御宇に 新羅国の 智鳳 法相宗を わたす.
だい44だい げんしょうてんのうの ぎょうに ぜんむいさんぞう だいにちきょうを わたす.
第四十四代 元正天皇の 御宇に 善無畏三蔵 大日経を わたす.
しかるに ひろまらず.
然而 弘まらず.
しょうむの ぎょうに しんじょうだいとく ろうべんそうじょう とう けごんしゅうを わたす.
聖武の 御宇に 審祥大徳 朗弁僧正 等 華厳宗を わたす.
にんのう 46だい こうけんてんのうの ぎょうに とうだいの がんじんわしょう りっしゅうと ほけきょうを わたす.
人王 四十六代 孝謙天皇の 御宇に 唐代の 鑒真和尚 律宗と 法華経を わたす.
りつをば ひろめ ほっけをば ひろめず.
律をば ひろめ 法華をば 弘めず.
だい50だい かんむてんのうの ぎょうに えんりゃく 23ねん しちがつ.
第五十代 桓武天皇の 御宇に 延暦 二十三年 七月.
でんぎょうだいし ちょくせんを たまいて かんどに わたり みょうらくだいしの おんでし.
伝教大師 勅宣を 給いて 漢土に 渡り 妙楽大師の 御弟子.
どうずい ぎょうまんに あいたてまつりて ほっけしゅうの じょうえを つたえ.
道邃 行満に 値い奉りて 法華宗の 定慧を 伝え.
どうせんりっしに ぼさつかいを つたえ じゅんぎょうわしょうと もうせし ひとに.
道宣律師に 菩薩戒を 伝え 順暁和尚と 申せし 人に.
しんごんの ひきょうを ならい つたえて にほんこくに かえり たまいて.
真言の 秘教を 習い 伝えて 日本国に 帰り 給いて.
しんごん ほっけの しょうれつは かんどの しの おしえに よりては さだめ がたしと おぼしめしければ.
真言 法華の 勝劣は 漢土の 師の おしへに 依りては 定め 難しと 思食しければ.
ここにして だいにちきょうと ほけきょうと かの しゃくと このしゃくとを ひきならべて.
ここにして 大日経と 法華経と 彼の 釈と 此の 釈とを 引き並べて.
しょうれつを はんじ たまいしに だいにちきょうは ほけきょうにおとりたる のみならず.
勝劣を 判じ 給いしに 大日経は 法華経に 劣りたる のみならず.
だいにちきょうの しょは てんだいの こころを とりて わが しゅうに いれたりけりと かんがえ たまえり.
大日経の 疏は 天台の 心を とりて 我が 宗に 入れたりけりと 勘え 給へり.
そのご こうぼうだいし しんごんきょうを くだされける ことを いこんとや おぼしめしけん.
其の後 弘法大師 真言経を 下されける 事を 遺恨とや 思食しけむ.
しんごんしゅうを たてんと たばかりて.
真言宗を 立てんと たばかりて.
ほけきょうは だいにちきょうに おとる のみならず けごんきょうに おとれりと うんぬん.
法華経は 大日経に 劣る のみならず 華厳経に 劣れりと 云云.
あわれ じかく ちしょう えいざん おんじょうに この ぎを ゆるさずば.
あはれ 慈覚 智証 叡山 園城に この 義を ゆるさずば.
こうぼうだいしの びゃっけんは にほんこくに ひろまらざらまし.
弘法大師の 僻見は 日本国に ひろまらざらまし.
かの りょうだいし けごん ほっけの しょうれつをば ゆるさねど.
彼の 両大師 華厳 法華の 勝劣をば ゆるさねど.
ほっけ しんごんの しょうれつをば ながく こうぼうだいしに どうしん せしかば.
法華 真言の 勝劣をば 永く 弘法大師に 同心 せしかば.
ぞんがいに もとの でんぎょうだいしの だいおんてきと なる.
存外に 本の 伝教大師の 大怨敵と なる.
そのご にほんこくの もろもろの せきとくら おのおの ちえ たかくある なれども.
其の後 日本国の 諸 碩徳等 各 智慧 高く 有る なれども.
かの さんだいしに こえざれば いま 400よねんの あいだ.
彼の 三大師に こえざれば 今 四百余年の 間.
にほん いちどうに しんごんは ほけきょうに まされけりと さだめ おわんぬ.
日本 一同に 真言は 法華経に 勝れけりと 定め 畢んぬ.
たまたま てんだいしゅうを ならえる ひとびとも しんごんは ほっけに およばざるの よし ぞんぜども.
たまたま 天台宗を 習へる 人人も 真言は 法華に 及ばざるの 由 存ぜども.
てんだいの ざす おむろ とうの こうきに おそれて もうす ことなし.
天台の 座主 御室 等の 高貴に おそれて 申す 事なし.
あるいは また その ぎをも わきまえぬ.
あるは 又 其の 義をも わきまへぬ.
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かの ゆえに からくして どうの ぎを いえば.
かの ゆへに からくし て同の 義を いへば.
いっこう しんごんしは さること おもいもよらずと わらう なり.
一向 真言師は さる事 おもひもよらずと わらふ なり.
しからば にほんこくじゅうに すうじゅうまんの じしゃ あり.
然らば 日本国中に 数十万の 寺社 あり.
みな しんごんしゅう なり.
皆 真言宗 なり.
たまたま ほっけしゅうを ならぶとも しんごんは しゅの ごとくほっけは しょじゅうの ごとくなり.
たまたま 法華宗を 並ぶとも 真言は 主の 如く 法華は 所従の 如くなり.
くわしくは けんがくの ひとも しんちゅうは いちどうに しんごん なり.
若しくは 兼学の 人も 心中は 一同に 真言 なり.
ざす ちょうり けんぎょう べっとう いっこうに しんごんたる うえ.
座主 長吏 検校 別当 一向に 真言たる うへ.
かみに このむ ところ しも みな したがうこと なれば ひとりも もれず しんごんし なり.
上に 好む ところ 下 皆 したがふ事 なれば 一人も もれず 真言師 なり.
されば にほんこく あるいは くちには ほけきょう さいだいいちとは よめども.
されば 日本国 或は 口には 法華経 最第一とは よめども.
こころは さいだい2 さいだい3 なり.
心は 最第二 最第三 なり.
あるいは しんくいともに さいだい2 3 なり.
或は 身口意 共に 最第二 三 なり.
3ごう そうおうして さいだいいちと よめる ほけきょうの ぎょうじゃは 400よねんが あいだ ひとりも なし.
三業 相応して 最第一と 読める 法華経の 行者は 四百余年が 間 一人も なし.
まして のうじしきょうの ぎょうじゃは あるべしとも おぼえず.
まして 能持此経の 行者は あるべしとも おぼへず.
にょらいげんざい ゆたおんしつ きょうめつどごの しゅじょうは.
如来現在 猶多怨嫉 況滅度後の 衆生は.
かみ いちにん より しも ばんみんに いたるまで ほけきょうの だいおんてき なり.
上 一人 より 下 万民に いたるまで 法華経の 大怨敵 なり.
しかるに にちれんは とうかいどう 15かこくの うち.
然るに 日蓮は 東海道 十五箇国の 内.
だい12に あいあたる あわのくに ながさのこおり とうじょうのごう.
第十二に 相当る 安房の国 長狭の郡 東条の郷.
かたうみの あまが こ なり.
片海の 海人が 子 なり.
しょうねん 12 おなじき ごうのうち きよすみでらと もうす やまに まかり のぼり じゅうしき.
生年 十二 同じき 郷の内 清澄寺と 申す 山に まかり 登り 住しき.
おんごく なる うえ てらとは なずけて そうらえども しゅうがくの ひと なし.
遠国 なるうへ 寺とは なづけて 候へども 修学の 人 なし.
しかるに ずいぶん しょこくを しゅぎょうして がくもんし そうらいし ほどに.
然而 随分 諸国を 修行して 学問し 候いし ほどに.
わが みは ふしょう なり ひとは おしえず.
我が 身は 不肖 なり 人は おしへず.
じっしゅうの げんき しょうれつ たやすく わきまえ がたき ところに.
十宗の 元起 勝劣 たやすく わきまへ がたき ところに.
たまたま ぶつぼさつに きしょうして いっさいの きょうろんを かんがえて.
たまたま 仏菩薩に 祈請して 一切の 経論を 勘て.
じっしゅうに あわせたるに くしゃしゅうは せんごん なれども いちぶんは しょうじょうきょうに そうとう するに にたり.
十宗に 合せたるに 倶舎宗は 浅近 なれども 一分は 小乗経に 相当 するに 似たり.
じょうじつしゅうは だいしょう けんざつして みょうご あり.
成実宗は 大小 兼雑して 謬ゴ あり.
りっしゅうは もとは しょうじょう なかごろは ごんだいじょう いまは いっこうに だいじょうしゅうと おもえり.
律宗は 本は 小乗、中比は 権大乗、今は 一向に 大乗宗と おもへり.
また でんぎょうだいしの りっしゅう あり.
又 伝教大師の 律宗 あり.
べつに ならう ことなり.
別に 習う 事なり.
ほっそうしゅうは もと ごんだいじょうきょうの なかの せんごんの ほうもんにて ありけるが.
法相宗は 源 権大乗経の 中の 浅近の 法門にて ありけるが.
しだいに ぞうちょうして ごんじつと ならび けっくは かの しゅうしゅうを うちやぶらんと ぞんぜり.
次第に 増長して 権実と 並び 結句は 彼の 宗宗を 打ち 破らんと 存ぜり.
たとえば にほんこくの しょうぐん まさかど すみともらの ごとし.
譬えば 日本国の 将軍 将門 純友等の ごとし.
しもに いて かみを やぶる.
下に 居て 上を 破る.
さんろんしゅうも また ごんだいじょうの くうの いちぶん なり.
三論宗も 又 権大乗の 空の 一分 なり.
これも われは じつだいじょうと おもえり.
此れも 我は 実大乗と おもへり.
けごんしゅうは また ごんだいじょうと いいながら よしゅうに まされり.
華厳宗は 又 権大乗と 云ひながら 余宗に まされり.
たとえば せっしょう かんぱくの ごとし.
譬えば 摂政 関白の ごとし.
しかるに ほけきょうを かたきと なして たてる しゅう なるゆえに.
然而 法華経を 敵と なして 立てる 宗 なる故に.
しんかの みを もって だいおうに じゅんぜんと するがごとし.
臣下の 身を 以て 大王に 順ぜんと するがごとし.
じようどしゅうと もうすも ごんだいじょうの いちぶん なれども.
浄土宗と 申すも 権大乗の 一分 なれども.
ぜんどう ほうねんが たばかり かしこくして.
善導 法然が たばかり かしこくして.
しょきょうをば あげ かんぎょうをば さげ しょうぞうの きをば あげ まっぽうの きをば くだして.
諸経をば 上げ 観経をば 下し 正像の 機をば 上げ 末法の 機をば 下して
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まっぽうの きに あいかなえる ねんぶつを とりいだして きを もって きょうを うち.
末法の 機に 相叶える 念仏を 取り出して 機を 以て 経を 打ち.
いちだいの しょうきょうを うしないて ねんぶつの いちもんを たてたり.
一代の 聖教を 失いて 念仏の 一門を 立てたり.
たとえば こころ かしこくして みは いやしき ものが みを あげて.
譬えば 心 かしこくして 身は 卑しき 者が 身を 上げて.
こころ はかなき ものを うやまいて けんじんを うしなうが ごとし.
心 はかなき ものを 敬いて 賢人を うしなふが ごとし.
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ぜんしゅうと もうすは いちだいしょうきょうの ほかに しんじつの ほう ありと うんぬん.
禅宗と 申すは 一代聖教の 外に 真実の 法 有りと 云云.
たとえば おやを ころして こを もちい あるじを ころせる しょじゅうの.
譬えば をやを 殺して 子を 用い 主を 殺せる 所従の.
しかも その くらいに つけるが ごとし.
しかも 其の 位に つけるが ごとし.
しんごんしゅうと もうすは いっこうに だいもうごにて そうろうが.
真言宗と 申すは 一向に 大妄語にて 候が.
ふかく その こんげんを かくして そうらえば せんきの ひと あらわしがたし.
深く 其の 根源を かくして 候へば 浅機の 人 あらはしがたし.
いっこうに おうわく せられて すうねんを へて そうろう.
一向に 誑惑 せられて 数年を 経て 候.
まず てんじくに しんごんしゅうと もうす しゅう なし.
先ず 天竺に 真言宗と 申す 宗 なし.
しかれども ありと うんぬん.
然れども 有りと 云云.
その しょうこを たずぬ べきなり.
其の 証拠を 尋ぬ 可きなり.
しょせん だいにちきょう ここに わたれり.
所詮 大日経 ここに わたれり.
ほけきょうに ひきむけて その しょうれつを み そうろう ところに.
法華経に 引き向けて 其の 勝劣を 見 候 処に.
だいにちきょうは ほけきょう より しちじゅう げれつの きょう なり.
大日経は 法華経 より 七重 下劣の 経 なり.
しょうこ かの きょう この きょうに ふんみょう なり.
証拠 彼の 経、此の 経に 分明 なり.
しかるを あるいは いわく ほけきょうに さんじゅうの しゅくん.
しかるを 或は 云く 法華経に 三重の 主君.
あるいは にじゅうの しゅくん なりと うんぬん.
或は 二重の 主君 なりと 云云.
もってのほかの だいびゃっけん なり.
以ての外の 大僻見 なり.
たとえば りゅうそうが げれつの みとして びんていに うまのくちを とらせ.
譬えば 劉聡が 下劣の 身として 愍帝に 馬の口を とらせ.
ちょうこうが たみの みとして よこしまに ていいに つきが ごとし.
超高が 民の 身として 横に 帝位に つきしが ごとし.
また かの てんじくの だいまんばらもんが しゃくそんを ゆかとして ざせしが ごとし.
又 彼の 天竺の 大慢婆羅門が 釈尊を 床として 坐せしが ごとし.
かんどにも しる ひと なく にほんにも あやしめずして.
漢土にも 知る 人 なく 日本にも あやしめずして.
すでに 400よねんを おくれり.
すでに 四百余年を おくれり.
かくの ごとく ぶっぽうの じゃしょう みだれ しかば おうほうも ようやく つきぬ.
是くの 如く 仏法の 邪正 乱れ しかば 王法も 漸く 尽きぬ.
けっくは この くに たこくに やぶられて ぼうこくと なるべき なり.
結句は 此の 国 他国に やぶられて 亡国と なるべき なり.
このことに ちれん ひとり かんがえ しれる ゆえに ぶっぽうのため おうほうの ため.
此の事 日蓮 独り 勘え 知れる 故に 仏法の ため 王法の ため.
しょきょうの ようもんを あつめて いっかんの しょを つくる.
諸経の 要文を 集めて 一巻の 書を 造る.
よって こ さいみょうじにゅうどうどのに たてまつる.
仍つて 故 最明寺入道殿に 奉る.
りっしょうあんこくろんと なづけき.
立正安国論と 名けき.
その しょに くわしく もうしたれども ぐにんは しりがたし.
其の 書に くはしく 申したれども 愚人は 知り難し.
いわゆる げんしょうを ひいて もうすべし.
所詮 現証を 引いて 申すべし.
そもそも にんのう 82だい おきのほうおうと もうす おう おわしましき.
抑 人王 八十二代 隠岐の 法王と 申す 王 有き.
いぬる じょうきゅう 3ねん たいさいかのとみ 5がつ 15にち.
去ぬる 承久 三年 太歳辛巳 五月 十五日.
いがたろう ほうがん みつすえを うちとり まします かまくらの よしときを.
伊賀太郎 判官 光末を 打捕 まします 鎌倉の 義時を.
うち そうらわんとての かどで なり.
うち 給はむとての 門出 なり.
やがて ごきしちどうの つわものを めして そうしゅう かまくらの ごんのたいふ よしときを.
やがて 五畿七道の 兵を 召して 相州 鎌倉の 権の太夫 義時を.
うち たまわんと したもう とことに かえりて よしときに まけ たまいぬ.
打ち 給はんと し給う ところに 還りて 義時に まけ 給いぬ.
けっく わが みは おきのくにに ながされ.
結句 我が 身は 隠岐の国に ながされ.
たいし ふたりは さどのくに あわのくにに ながされ たもう.
太子 二人は 佐渡の国 阿波の国に ながされ 給う.
くげ しちにんは たちまちに くびを はねられてき.
公卿 七人は 忽に 頸を はねられてき.
これは いかにとして まけ そうらいけるぞ.
これは いかにとして まけ 給いけるぞ.
こくおうの みとして たみの ごとくなる よしときを うち たまわんは.
国王の 身として 民の 如くなる 義時を 打ち 給はんは.
たかの きじを とり ねこの ねずみを はむにて こそ あるべけれ.
鷹の 雉を とり 猫の 鼠を 食むにて こそ あるべけれ.
これは ねこの ねずみに くらわれ たかの きじに とられたる ようなり.
これは 猫の ねずみに くらはれ 鷹の 雉に とられたる やうなり.
しかのみならず ちょうぶく ちからを つくせり.
しかのみならず 調伏 力を 尽せり.
いわゆる てんだいの ざす じえんそうじょう しんごんの ちょうじゃ にんなじの おむろ おんじょうじの ちょうり.
所謂 天台の 座主 慈円僧正 真言の 長者 仁和寺の 御室 園城寺の 長吏.
そうじて しちだいし 15だいじ ちえ かいぎょうは にちげつの ごとく.
総じて 七大寺 十五大寺 智慧 戒行は 日月の 如く.
ひほうは こうぼう じかく とうの さんだいしの しんちゅうの じんみつの だいほう.
秘法は 弘法 慈覚 等の 三大師の 心中の 深密の 大法.
15だんの ひほう なり.
十五壇の 秘法 なり.
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5がつ 19にち より 6がつの 14にちに いたるまで.
五月 十九日 より 六月の 十四日に いたるまで.
あせを ながし なづきを くだきて おこないき.
あせを ながし なづきを くだきて 行いき.
さいごには おむろ ししんでんにして にほんこくに わたりて.
最後には 御室 紫宸殿にして 日本国に わたりて.
いまだ 3ど までも おこなわぬ たいほう 6がつ ようか はじめて これを おこなう ほどに.
いまだ 三度 までも 行はぬ 大法 六月 八日 始めて 之を 行う 程に.
おなじき じゅうよっかに かんとうの ひょうぐん うじ せたを おしわたして.
同じき 十四日に 関東の 兵軍 宇治 勢多を おしわたして.
らくように うちいりて 3いんを いけどり たてまつりて.
洛陽に 打ち入りて 三院を 生け取り 奉りて.
ここのえに ひを はなちて いちじに しょうしつ す.
九重に 火を 放ちて 一時に 焼失 す.
3いんをば さんごくへ るざいし たてまつりぬ.
三院をば 三国へ 流罪し 奉りぬ.
また くげ 7にんは たちまちに くびを きる.
又 公卿 七人は 忽に 頸を きる.
しかのみならず おむろの ごしょに おしいりて.
しかのみならず 御室の 御所に 押し入りて.
さいあいの でしの しょうに せいたかと もうせしを せめいだして ついに くびを きりにき.
最愛の 弟子の 小児 勢多伽と 申せしを せめいだして 終に 頸を きりにき.
おむろ おもいに たえずして しに たまい おわんぬ.
御室 思いに 堪えずして 死に 給い 畢んぬ.
ははも しす わらべも しす.
母も 死す 童も 死す.
すべて この いのりを たのみし ひと いくせんまんと いうことを しらず しにき.
すべて 此の いのりを たのみし 人 いく千万と いふ事を しらず 死にき.
たまたま いきたるも かいなし.
たまたま いきたるも かひなし.
おむろ いのりを はじめ たまいし 6がつ ようか より おなじき じゅうよっか まで.
御室 祈りを 始め 給いし 六月 八日 より 同じき 十四日 まで.
なかを かぞうれば なのかに まんじける ひ なり.
なかを かぞふれば 七日に 満じける 日 なり.
この 15だんの ほうと もうすは いちじこんりん してんのう ふどう だいいとく.
此の 十五壇の 法と 申すは 一字金輪 四天王 不動 大威徳.
てんぽうりん にょいりん あいぜんおう ぶつげん ろくじ.
転法輪 如意輪 愛染王 仏眼 六字.
こんごうどうじ そんしょうおう たいげん しゅごきょう とうの だいほう なり.
金剛童子 尊星王 太元 守護経 等の 大法 なり.
この ほうの せんは こくてき おうてきと なるものを こうふくして.
此の 法の 詮は 国敵 王敵と なる者を 降伏して.
いのちを めしとりて その たましいを みつごん じょうどへ つかわすと いう ほう なり.
命を 召し取りて 其の 魂を 密厳 浄土へ つかはすと 云う 法 なり.
その ぎょうじゃの ひとびとも また かるからず.
其の 行者の 人人も 又 軽からず.
てんだいの ざす じえん とうじ おむろ みいの じょうじゅういんの そうじょうらの 41にん.
天台の 座主 慈円 東寺 御室 三井の 常住院の 僧正等の 四十一人.
ならびに ばんそう とう 300よにん なり うんぬん.
並びに 伴僧 等 三百余人 なり 云云.
ほうと いい ぎょうじゃと いい また よも じょうだい なり.
法と 云ひ 行者と 云ひ 又 代も 上代 なり.
いかにとして まけ たまいけるぞ.
いかにとして まけ 給いけるぞ.
たとい かつ ことこそ なくとも そくじに まけ おわりて.
たとひ かつ 事こそ なくとも 即 時に まけ おはりて.
かかる はじに あいたりける こと いかなる ゆえと いうことを よじん いまだ しらず.
かかる はぢに あひたりける 事 いかなる ゆへと いふ事を 余人 いまだ しらず.
こくしゅとして たみを うたん こと たかの とりを とらんが ごとし.
国主として 民を 討たん 事 鷹の 鳥を とらんが ごとし.
たとい まけ たもうとも 1ねん 2ねん 10ねん 20ねんも ささうべき ぞかし.
たとひ まけ 給うとも 一年 二年 十年 二十年も ささうべき ぞかし.
5がつ 15にちに おこりて 6がつ じゅうよっかに まけ たまいぬ.
五月 十五日に おこりて 六月 十四日に まけ 給いぬ.
わずかに 30よにち なり.
わづかに 三十余日 なり.
ごんのたいふどのは このことを かねて しらねば きとうも なしかまえも なし.
権の大夫殿は 此の事を 兼て しらねば 祈祷も なし かまへも なし.
しかるに にちれん しょうちを もって かんがえたるに そのゆえ あり.
然而 日蓮 小智を 以て 勘えたるに 其の故 あり.
いわゆる かの しんごんの じゃほうの ゆえなり.
所謂 彼の 真言の 邪法の 故なり.
ひがごとは ひとり なれども ばんこくの わずらい なり.
僻事は 一人 なれども 万国の わづらひ なり.
ひとりとして ぎょうずとも いっこく にこく やぶれぬべし.
一人として 行ずとも 一国 二国 やぶれぬべし.
いわんや 300よにん をや.
況や 三百余人 をや.
こくしゅと ともに ほけきょうの だいおんてきと なりぬ.
国主と ともに 法華経の 大怨敵と なりぬ.
いかでか ほろびざらん.
いかでか ほろびざらん.
かかる だいあくほう としをへて ようやく かんとうに おちくだりて.
かかる 大悪法 としをへて やうやく 関東に おち下りて.
しょどうの べっとう ぐそうと なり れんれんと おこなえり.
諸堂の 別当 供僧と なり 連連と 行えり.
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もとより へんいきの ぶし なれば きょうほうの じゃしょうをば しらず.
本より 辺域の 武士 なれば 教法の 邪正をば 知らず.
ただ 3ぽうをば あがむ べきことと ばかり おもう ゆえに.
ただ 三宝をば あがむ べき事と ばかり 思ふ ゆへに.
しぜんとして これを もちいきたりて ようやく ねんすうを へるほどに.
自然として これを 用いきたりて やうやく 年数を 経る 程に.
いま たこくの せめを こうぶりて この くに すでに ほろびなんとす.
今 他国の せめを かうふりて 此の 国 すでに ほろびなんとす.
かんとう はっかこく のみならず.
関東 八箇国 のみならず.
えいざん とうじ おんじょう しちじ とうの ざす べっとう.
叡山 東寺 園城 七寺 等の 座主 別当.
みな かんとうの おんはからいと なりぬる ゆえに.
皆 関東の 御はからひと なりぬる ゆへに.
おきのほうおうの ごとく だいあくほうの だんなと なり さだまり たまいぬるを.
隠岐の法皇の ごとく 大悪法の 檀那と 成 定まり 給いぬるなり.
こくしゅと なることは だいしょう みな ぼんのう たいしゃく にちがつ してんの おんはからい なり.
国主と なる事は 大小 皆 梵王 帝釈 日月 四天の 御計い なり.
ほけきょうの おんてきと なり さだまり たまわば たちまちに じばつ すべき よしを ちかい たまえり.
法華経の 怨敵と なり 定まり 給はば 忽に 治罰 すべき よしを 誓い 給へり.
したがって にんのう 81だい あんとくてんのうに だじょうにゅうどうの いちもん よりきして.
随つて 人王 八十一代 安徳天皇に 太政入道の 一門 与力して.
ひょうえのすけ よりともを ちょうぶく せんがために.
兵衛佐 頼朝を 調伏 せんがために.
えいざんを うじでらと さだめ さんのうを うじがみと たのみ しかども.
叡山を 氏寺と 定め 山王を 氏神と たのみ しかども.
あんとくは さいかいに しずみ みょううんは よしなかに ころさる.
安徳は 西海に 沈み 明雲は 義仲に 殺さる.
いちもん みな いちじに ほろび おわんぬ.
一門 皆 一時に ほろび 畢んぬ.
だい2ど なり こんどは だい3どに あたるなり.
第二度 なり 今度は 第三度に あたるなり.
にちれんが いさめを おんもちい なくて しんごんの あくほうを もって.
日蓮が いさめを 御用い なくて 真言の 悪法を 以て.
だいもうここくを ちょうぶく せられば にほんこく かえって ちょうぶく せられなん.
大蒙古を 調伏 せられば 日本国 還つて 調伏 せられなむ.
げんちゃくおほんにんと とけりと もうすなり.
還著於本人と 説けりと 申すなり.
しからば すなわち ばつを もって りしょうを おもうに.
然らば 則ち 罰を 以て 利生を 思うに.
ほけきょうに すぎたる ほとけに なる だいどうは なかるべきなり.
法華経に すぎたる 仏に なる 大道は なかるべきなり.
げんせの きとうは ひょうえのすけどの ほけきょうを どくじゅ する げんしょう なり.
現世の 祈祷は 兵衛佐殿 法華経を 読誦 する 現証 なり.
この どうりを ぞんぜる ことは ふぼと ししょうとの おんとく なれば.
此の 道理を 存ぜる 事は 父母と 師匠 との 御恩 なれば.
ふぼは すでに かこし たまい おわんぬ.
父母は すでに 過去し 給い 畢んぬ.
こ どうぜんごぼうは ししょうにて おわしまし しかども.
故 道善御房は 師匠にて おはしまし しかども.
ほけきょうの ゆえに じとうに おそれ たまいて しんちゅうにはふびんと おぼしつらめども.
法華経の 故に 地頭に おそれ 給いて 心中には 不便と おぼしつらめども.
そとには かたきの ように にくみ たまいぬ.
外には かたきの やうに にくみ 給いぬ.
のちには すこし しんじ たまいたる ように きこえ しかども.
後には すこし 信じ 給いたる やうに きこへ しかども.
りんじゅうには いかにや おわしけん おぼつかなし.
臨終には いかにや おはしけむ おぼつかなし.
じごく までは よも おわせじ.
地獄 までは よも おはせじ.
また しょうじを はなるる ことは あるべしとも おぼえず.
又 生死を はなるる 事は あるべしとも おぼへず.
ちゅううにや ただよい ましますらむと なげかし.
中有にや ただよひ ましますらむと なげかし.
きへんは じとうの いかりし とき ぎじょうぼうと ともに せいちょうじを いでて おわせし ひと なれば.
貴辺は 地頭の いかりし 時 義城房と ともに 清澄寺を 出でて おはせし 人 なれば.
なんとなくとも これを ほけきょうの ごほうこうと おぼしめしてしょうじを はなれさせ たもうべし.
何となくとも これを 法華経の 御奉公と おぼしめして 生死を はなれさせ 給うべし.
この ごほんぞんは せそん とき おかせ たまいて のち 2230よねんが あいだ.
此の 御本尊は 世尊 説き おかせ 給いて 後 二千二百三十余年が 間.
いちえんぶだいの うちに いまだ ひろめたる ひと そうらわず.
一閻浮提の 内に いまだ ひろめたる 人 候はず.
かんどの てんだい にほんの でんぎょう ほぼ しろしめして.
漢土の 天台 日本の 伝教 ほぼ しろしめして.
いささか ひろめさせ たまわず.
いささか ひろめさせ 給はず.
とうじ こそ ひろまらせ たもうべき ときに あたりて そうらえ.
当時 こそ ひろまらせ 給うべき 時に あたりて 候へ.
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きょうには じょうぎょう むへんぎょう とう こそ いでて ひろめさせ たもうべしと みえて そうらえども.
経には 上行 無辺行 等 こそ 出でて ひろめさせ 給うべしと 見へて 候へども.
いまだ みえさせ たまわず.
いまだ 見へさせ 給はず.
にちれんは その ひとに そうらわねども ほぼ こころえて そうらえば.
日蓮は 其の 人に 候はねども ほぼ こころえて 候へば.
じゆのぼさつの いでさせ たもう までの くちずさみに.
地涌の菩薩の 出でさせ 給うまでの 口ずさみに.
あらあら もうして きょうめつどごの ほこさきに あたり そうろうなり.
あらあら 申して 況滅度後の ほこさきに 当り 候なり.
ねがわくは この くどくを もって.
願わくは 此の 功徳を 以て.
ふぼと ししょうと いっさいしゅじょうに えこうし たてまつらんと きしょう つかまつり そうろう.
父母と 師匠と 一切衆生に 回向し 奉らんと 祈請 仕り 候.
その むねを しらせ まいらせんが ために.
其の 旨を しらせ まいらせむが ために.
ごふしんを かきおくり まいらせ そうろうに.
御不審を 書きおくり まいらせ 候に.
たじを すてて この ごほんぞんの ごぜんにして.
他事を すてて 此の 御本尊の 御前にして.
いっこうに ごせをも いのらせ たまい そうらえ.
一向に 後世をも いのらせ 給い 候へ.
また これより もうさんと ぞんじ そうろう.
又 これより 申さんと 存じ 候.
いかにも ごぼうたち はからい もうさせ たまえ.
いかにも 御房たち はからい 申させ 給へ.
にちれん かおう.
日蓮 花押.
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