b708から721.
御義口伝 上 (おんぎくでん じょう).
日蓮大聖人 56歳 (執筆 日興)

 

b708

おんぎくでん.
御義口伝.

なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

なむとは ぼんご なり ここには きみょうと いう.
南無とは 梵語 なり 此には 帰命と 云う.

にんぽう これ あり ひととは しゃくそんに きみょうし たてまつるなり.
人法 之れ 有り 人とは 釈尊に 帰命し 奉るなり.

ほうとは ほけきょうに きみょうし たてまつるなり.
法とは 法華経に 帰命し 奉るなり.

また きと いうは しゃくもん ふへんしんにょの りに きする なり.
又 帰と 云うは 迹門 不変真如の 理に 帰する なり.

みょうとは ほんもん ずいえんしんにょの ちに もとずく なり.
命とは 本門随縁真如の 智に 命くなり.

きみょうとは なんみょうほうれんげきょう これなり.
帰命とは 南無妙法蓮華経 是なり.

しゃくに いわく ずいえんふへん いちねんじゃくしょうと.
釈に 云く 随縁不変 一念寂照と.

また きとは われらが しきほう なり みょうとは われらが しんぽう なり.
又 帰とは 我等が 色法 なり 命とは 我等が 心法 なり.

しきしんふに なるを いちごくと いうなり.
色心不二 なるを 一極と 云うなり.

しゃくに いわく いちごくに きせしむ ゆえに ぶつじょうと いうと.
釈に 云く 一極に 帰せしむ 故に 仏乗と 云うと.

また いわく なんみょうほうれんげきょうの なむ とは ぼんご.
又 云く 南無妙法蓮華経の 南無とは 梵語.

みょうほうれんげきょうは かんご なり.
妙法蓮華経は 漢語 なり.

ぼんかん ぐじに なんみょうほうれんげきょうと いうなり.
梵漢 共時に 南無妙法蓮華経と 云うなり.

また いわく ぼんごには サダルマ フンダリキャ ソタランと いう.
又 云く 梵語には 薩達磨 芬陀梨伽 蘇多覧と 云う.

ここには みょうほうれんげきょうと いうなり.
此には 妙法蓮華経と 云うなり.

サは みょう なり ダルマは ほう なり.
薩は 妙 なり 達磨は 法 なり.

フンダリキャは れんげ なり ソタランは きょう なり.
芬陀梨伽は 蓮華 なり 蘇多覧は 経 なり.

9じは 9そんの ぶったい なり 9かい そく ぶっかいの ひょうじ なり.
九字は 九尊の 仏体 なり 九界 即 仏界の 表示 なり.

みょうとは ほっしょう なり ほうとは むみょう なり.
妙とは 法性 なり 法とは 無明 なり.

むみょう ほっしょう いったい なるを みょうほうと いうなり.
無明 法性 一体なるを 妙法と 云うなり.

れんげとは いんがの 2ほう なり.
蓮華とは 因果の 二法 なり.

これ また いんが いったい なり.
是 又 因果 一体 なり.

きょうとは いっさいしゅじょうの ごんご おんじょうを きょうと いうなり.
経とは 一切衆生の 言語 音声を 経と 云うなり.

しゃくに いわく こえ ぶつじを なす これを なづけて きょうと なすと.
釈に 云く 声 仏事を 為す 之を 名けて 経と 為すと.

あるいは さんぜじょうごう なるを きょうと いうなり.
或は 三世常恒 なるを 経と 云うなり.

ほっしょうは みょうほう なり ほうかいは れんげ なり ほうかいは きょう なり.
法界は 妙法 なり 法界は 蓮華 なり 法界は 経 なり.

れんげとは 8ようくそんの ぶったい なり.
蓮華とは 八葉九尊の 仏体 なり.

よくよく これを おもうべし いじょう.
能く能く 之を 思う可し 已上.

(中略)

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おんぎくでん かん じょう.
御義口伝 巻 上.

にちれん しょりゅう じょほん より ゆじゅっぽんに いたる.
日蓮 所立 自 序品 至 涌出品.

じょほん 7この だいじ.
序品 七箇の 大事.

だい1 にょぜがもんの こと もんぐの 1に いわく.
第一 如是我聞の 事 文句の 一に 云く.

にょぜとは しょもんの ほったいを あぐ がもんとは のうじの ひと なり.
如是とは 所聞の 法体を 挙ぐ 我聞とは 能持の 人 なり.

きの 1に いわく ゆえに しと まつと いっきょうを しょもんの たいと なす.
記の 一に 云く 故に 始と 末と 一経を 所聞の 体と 為す.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

しょもんの もんは みょうじ そく なり.
所聞の 聞は 名字 即 なり.

ほったいとは なんみょうほうれんげきょう なり.
法体とは 南無妙法蓮華経 なり.

のうじとは のうの じ これを おもうべし.
能持とは 能の 字 之を 思う可し.

つぎに きの 1の こ しまつ いっきょうの しゃくは.
次に 記の 一の 故 始末 一経の 釈は.

しとは じょほん なり まつとは ふげんぼん なり.
始とは 序品 なり 末とは 普賢品 なり.

ほったいとは こころと いうこと なり.
法体とは 心と 云う事 なり.

ほうとは しょほう なり しょほうの こころと いうこと なり.
法とは 諸法 なり 諸法の 心と 云う事 なり.

しょほうの こころとは みょうほうれんげきょう なり.
諸法の 心とは 妙法蓮華経 なり.

でんぎょう いわく ほけきょうを ほむると いえども かえって ほっけの こころを ころすと.
伝教 云く 法華経を 讃むると 雖も 還つて 法華の 心を 死すと.

しの じに こころを とどめて これを あんずべし.
死の 字に 心を 留めて 之を 案ず可し.

ふしんの ひとは にょせがもんの もんには あらず.
不信の 人は 如是我聞の 聞には 非ず.

ほけきょうの ぎょうじゃは にょぜの たいを きく ひとと いう べきなり.
法華経の 行者は 如是の 体を 聞く 人と 云う 可きなり.

ここを もって もんくの 1に いわく.
爰を 以て 文句の 一に 云く.

「にょぜとは しんじゅんの じ なり.
「如是とは 信順の 辞 なり.

しんは すなわち しょもんの り えし じゅんは すなわち ししの みち じょうず」と.
信は 則ち 所聞の 理 会し 順は 則ち 師資の 道 成ず」と.

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しょせん にちれん とうの たぐいを もって にょぜがもんの ものと いう べきなり うんぬん.
所詮 日蓮 等の 類いを 以て 如是我聞の 者と 云う 可きなり 云云.

だい2 あにゃきょうじんにょの こと.
第二 阿若キョウ陳如の 事.

じょの 1に いわく きょうじんにょは せい なり.
疏の 一に 云く キョウ陳如は 姓 なり.

ここには かきと ほんず.
此には 火器と 翻ず.

ばらもんしゅ なり.
婆羅門種 なり.

この さき ひに こと こう これに したがって ぞくに なずく.
其の 先 火に 事 こう 此れに 従て 族に 命く.

ひに 2ぎ あり しょう なり しょう なり.
火に 二義 有り 照 なり 焼 なり.

しょうは すなわち やみ しょうぜず.
照は 則ち 闇 生ぜず.

しょうは すなわち もの しょうぜず.
焼は 則ち 物 生ぜず.

ここには ふしょうを もって せいと なす.
此には 不生を 以て 姓と 為す.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

ひとは ほっしょうの ちか なり.
火とは 法性の 智火 なり.

ひの 2ぎとは 1の しょうは ずいえんしんにょの ち なり.
火の 二義とは 一の 照は 随縁真如の 智 なり.

1の しょうは ふへんしんにょの り なり.
一の 焼は 不変真如の 理 なり.

しょうしょうの 2じは ほんじゃく 2もん なり.
照焼の 二字は 本迹 二門 なり.

さて ひの のうさ としては しょうしょうの 2とくを そなうる なんみょうほうれんげきょう なり.
さて 火の 能作 としては 照焼の 二徳を 具うる 南無妙法蓮華経 なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほんれんげきょうと となえ たてまつるは.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉るは.

しょうじの やみを てらし はらして ねはんの ちか みょうりょう なり.
生死の 闇を 照し 晴して 涅槃の 智火 明了 なり.

しょうじそく ねはんと かいかく するを しょうそくあんふしょうとは いうなり.
生死 即 涅槃と 開覚 するを 照則闇不生とは 云うなり.

ぼんのうの たきぎを やいて ぼだいの えか げんぜん するなり.
煩悩の 薪を 焼いて 菩提の 慧火 現前 するなり.

ぼんのうそくぼだいと かいかく するを しょうそくもつふしょう とは いうなり.
煩悩即菩提と 開覚 するを 焼則物不生 とは 云うなり.

ここを もって これを あんずるに じんにょは.
爰を 以て 之を 案ずるに 陳如は.

われら ほけきょうの ぎょうじゃの ぼんのうそくぼだい しょうじそくねはんを あらわしたり うんぬん.
我等 法華経の 行者の 煩悩即菩提 生死即涅槃を 顕したり 云云.

だい3 あじゃせおうの こと.
第三 阿闍世王の 事.

もんぐの いちに いわく.
文句の 一に 云く.

あじゃせおうとは みしょうおんと なづく.
阿闍世王とは 未生怨と 名く.

また いわく だいきょうに いわく.
又 云く 大経に 云く.

あじゃせとは みしょうおんと なづく.
阿闍世とは 未生怨と 名く.

また いわく だいきょうに いわく.
又 云く 大経に 云く.

あじゃを ふしょうと なづく せとは おんと なづく.
阿闍を 不生と 名く 世とは 怨と 名く.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

にほんこくの いっさいしゅじょうは あじゃせおう なり.
日本国の 一切衆生は 阿闍世王 なり.

すでに しょぶつの ちちを ころし ほけきょうの ははを がいする なり.
既に 諸仏の 父を 殺し 法華経の 母を 害する なり.

むりょうぎきょうに いわく.
無量義経に 云く.

しょぶつの こくおうと この きょうの ふじんと わごうして ともに この ぼさつの こを うむ.
諸仏の 国王と 是の 経の 夫人と 和合して 共に 是の 菩薩の 子を 生む.

ほうぼうの ひと いまは ははの たいないに しょし ながら ほけきょうの おんてき たり.
謗法の 人 今は 母の 胎内に 処し ながら 法華の 怨敵 たり.

あに みしょうおんに あらずや.
豈 未生怨に 非ずや.

その うえ にほんこく とうせいは さんるいの ごうてき なり.
其の 上 日本国 当世は 三類の 強敵 なり.

せしゃみょうおんの よじに こころを とどめて これを あんずべし.
世者名怨の 四字に 心を 留めて 之を 案ず可し.

にちれん とうの たぐい この じゅうざいを のがれたり.
日蓮 等の 類い 此の 重罪を 脱れたり.

ほうぼうの ひとびと ほけきょうを しんじ しゃくそんに きし たてまつらば.
謗法の 人人 法華経を 信じ 釈尊に 帰し 奉らば.

なんぞ いぜんの しふ しもの じゅうざい めっせざらんや.
何ぞ 已前の 殺父 殺母の 重罪 滅せざらんや.

ただし ふぼ なりとも ほけきょう ふしんの もの ならば さつがい すべきか.
但し 父母 なりとも 法華経 不信の 者 ならば 殺害す 可きか.

その ゆえは ごんきょうの あいを なす はは.
其の 故は 権教の 愛を 成す 母.

ほうべん しんじつを あきらめざる ちちをば さつがい すべしと みえたり.
方便 真実を 明めざる 父をば 殺害 す可しと 見えたり.

よって もんぐの 2に いわく.
仍て 文句の 二に 云く.

「かんげは とんあいの はは むみょうの ちち これを がいする ゆえに ぎゃくと しょうす.
「観解は 貪愛の 母 無明の 父 此れを 害する 故に 逆と 称す.

ぎゃく そく じゅん なり.
逆 即 順 なり.

ひどうを ぎょうじて ぶつどうに つうたつす」 と.
非道を 行じて 仏道に 通達す」 と.

かんげとは まっぽう とう こんは だいもくの かんげ なるべし.
観解とは 末法 当 今は 題目の 観解 なる可し.

ことして ふぼを さつがい するは ぎゃく なり.
子として 父母を 殺害 するは 逆 なり.

しかりと いえども ほけきょう ふしんの ふぼを ころしては じゅんと なるなり.
然りと 雖も 法華経 不信の 父母を 殺しては 順と なるなり.

ここを もって ぎゃく そく ぜじゅんと しゃくせり.
爰を 以て 逆 即 是順と 釈せり.

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いま にちれん とうの たぐいは あじゃせおう なり.
今 日蓮 等の 類いは 阿闍世王 なり.

その ゆえは なんみょうほうれんげきょうの つるぎを とって.
其の 故は 南無妙法蓮華経の 剣を 取つて.

とんあい むみょうの ふぼを がいして きょうしゅ しゃくそんの ごとく ぶっしんを かんとく するなり.
貪愛 無明の 父母を 害して 教主 釈尊の 如く 仏身を 感得 するなり.

とんあいの ははとは かんじほん さんるいの なか だいいちの ぞくしゅう なり.
貪愛の 母とは 勧持品 三類の 中 第一の 俗衆 なり.

むみょうの ちちとは だい2 だい3の そう なり うんぬん.
無明の 父とは 第二 第三の 僧 なり 云云.

だい4 ぶつしょごねんの こと.
第四 仏所護念の 事.

もんぐの 3に いわく.
文句の 三に 云く.

ぶっしょごねんとは むりょうぎ しょは これ ほとけの しょうとくし たもう ところ.
仏所護念とは 無量義 処は 是れ 仏の 証得し 給う 所.

この ゆえに にょらいの ごねんし たもう ところなり.
是の 故に 如来の 護念し 給う 所なり.

しもの もんに ぶつじじゅうだいじょうと いえり.
下の 文に 仏自住大乗と 云えり.

かいじ せんと ほっすと いえども しゅじょうの こんどん なれば.
開示 せんと 欲すと 雖も 衆生の 根鈍 なれば.

ひさしく これの ようを もくして いそぎて すみやかに とき たまわず.
久しく 斯の 要を 黙して 務て 速かに 説き 給わず.

ゆえに ごねんと いう きの 3に いわく.
故に 護念と 云う 記の 三に 云く.

むかし いまだ とかず.
昔 未だ 説かず.

ゆえに これを なづけて ごと なす.
故に 之を 名けて 護と 為す.

ほうに やくし きに やくして みな ごねん する ゆえに.
法に 約し 機に 約して 皆 護念 する 故に.

ないし き なお いまだ ほっせず かくして とかず.
乃至 機 仍お 未だ 発せず 隠して 説かず.

ゆえに ごねんと いう.
故に 護念と 言う.

ないし みせつを もっての ゆえに ごし みちょうを もっての ゆえに ねんず.
乃至 未説を 以ての 故に 護し 未暢を 以ての 故に 念ず.

くねんと いうは むかし より いまに いたる なり.
久黙と 言うは 昔 より 今に 至る なり.

しよう とうの こころ これを おもうて しるべし.
斯要 等の 意 之を 思うて 知る可し.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

この ごねんの たいに おいては ほんじゃく 2もん しゅだいの 5じ なり.
此の 護念の 体に 於ては 本迹 二門 首題の 五字 なり.

この ごねんに おいて しちしゅの ごねん これあり.
此の 護念に 於て 七種の 護念 之れ有り.

1には ときに やくし 2には きに やくし 3には ひとに やくし 4には ほんじゃくに やくし.
一には 時に 約し 二には 機に 約し 三には 人に 約し 四には 本迹に 約し.

5には しきしんに やくし 6には ほったいに やくし 7には しんじんに やくする なり うんぬん.
五には 色心に 約し 六には 法体に 約し 七には 信心に 約する なり 云云.

いま にちれん とうの たぐいは ごねんの たいを ひろむる なり.
今 日蓮 等の 類いは 護念の 体を 弘むる なり.

1に ときに やくするとは ほとけ ほけきょうを しじゅうよねんの あいだ.
一に 時に 約するとは 仏 法華経を 四十余年の 間.

いまだ とき いたらざるが ゆえに ごねん したもう なり.
未だ 時 至らざるが 故に 護念 し給う なり.

2にきに やくするとは はほうふしん こついおさんあくどうの ゆえに.
二に 機に 約するとは 破法不信 故墜於三悪道の 故に.

ぜん しじゅうよねんの あいだに いまだ これを とかざる なり.
前 四十余年の 間に 未だ 之を 説かざる なり.

3に ひとに やくするとは しゃりほつに たいして とかんが ためなり.
三に 人に 約するとは 舎利弗に 対して 説かんが 為なり.

4に ほんじゃくに やくするとは ごを もって ほんと なし ねんを もって しゃくと なす.
四に 本迹に 約するとは 護を 以て 本と 為し 念を 以て 迹と 為す.

5に しきしんに やくするとは ごを もって しきと なし ねんを もって しんと なす.
五に 色心に 約するとは 護を 以て 色と 為し 念を 以て 心と 為す.

6に ほったいに やくするとは ほったいとは ほんぬじょうじゅう なり.
六に 法体に 約するとは 法体とは 本有常住 なり.

いっさいしゅじょうの じひしん これなり.
一切衆生の 慈悲心 是なり.

7に しんじんに やくするとは しんじんを もって ごねんの もとと なすなり.
七に 信心に 約するとは 信心を 以て 護念の 本と 為すなり.

いわゆる にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるは.
所詮 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉るは.

しかしながら ごねんの たいを ひらく なり.
併ら 護念の 体を 開く なり.

ご とは ぶっけん なり ねんとは ぶっち なり.
護 とは 仏見 なり 念とは 仏知 なり.

この ちけんの 2じ ほんじゃく りょうもん なり.
此の 知見の 二字 本迹 両門 なり.

ぶっちを みょうと いうなり.
仏知を 妙と 云うなり.

ぶっけんを ほうと いうなり.
仏見を 法と 云うなり.

この ちけんの たいを しゅぎょう するを れんげと いうなり.
此の 知見の 体を 修行 するを 蓮華と 云うなり.

いんがの たい なり.
因果の 体 なり.

いんがの げんごは きょう なり.
因果の 言語は 経 なり.

しかのみならず ほけきょうの ぎょうじゃをば さんぜの しょぶつ ごねん したもうなり.
加之 法華経の 行者をば 三世の 諸仏 護念 し給うなり.

ふげんぼんに いわく いっしゃいしょぶつごねんと.
普賢品に 云く 一者為諸仏護念と.

ごねん とは みょうほうれんげきょう なり.
護念 とは 妙法蓮華経 なり.

しょぶつの ほけきょうの ぎょうじゃを ごねん したもうは みょうほうれんげきょうを ごねん したもうなり.
諸仏の 法華経の 行者を 護念 したもうは 妙法蓮華経を 護念 したもうなり.

きほういちどう ごねんいったい なり.
機法一同 護念一体 なり.

きの 3の しゃくに やくほうやくき かいごねんこと いうは この こころ なり.
記の 三の 釈に 約法約機 皆護念故と 云うは 此の 意 なり.

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また もんぐの 3に いわく.
又 文句の 三に 云く.

「ぶっしょごねんとは まえの ちどうずいを けつじょう するなり.
「仏所護念とは 前の 地動瑞を 決定 するなり.

ちどうは 6ばんはあくを ひょうする なり.
地動は 六番破惑を 表する なり.

ほけきょうを じゅじ するものは 6ばんはあく うたがい なきなり.
妙法蓮華経を 受持 する者は 六番破惑 疑い 無きなり」.

じんりきほんに いわく.
神力品に 云く.

「おがめつどご おうじゅじしきょう ぜにんおぶつどう けつじょうむうぎ」.
「於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑」.

ぶつじじゅうだいじょうとは これなり.
仏自住大乗とは 是なり.

また 1ぎに ほとけの しゅじょうを ごねん したもう ことは.
又た 一義に 仏の 衆生を 護念 したもう 事は.

ごとは ゆいがいちにん のういくご ねんとは まいじさぜんねん これなり.
護とは 唯我一人 能為救護、念とは 毎自作是念 是なり.

ふげんぼんに いたって いっしゃいしょぶつごねんと とくなり.
普賢品に 至つて 一者為諸仏護念と 説くなり.

にちれんは しょうねん 32 より なんみょうほうれんげきょうを ごねん するなり.
日蓮は 生年 卅二 より 南無妙法蓮華経を 護念 するなり.

だい5  げし あびじごくの こと.
第五 下至 阿鼻地獄の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

じっかいかいじょうの もん なり.
十界皆成の 文 なり.

だいばが じょうぶつ この もんにて ふんみょう なり.
提婆が 成仏 此の 文にて 分明 なり.

ほうとうほんの つぎに だいばが じょうぶつを とく ことは 2この かんぎょうの ぶん なり.
宝塔品の 次に 提婆が 成仏を 説く 事は 二箇の 諌暁の 分 なり.

だいばは この もんの とき じょうぶつ せり.
提婆は 此の 文の 時 成仏 せり.

この しの じは びゃくごうの いく ことなり.
此の 至の 字は 白毫の 行く 事なり.

びゃくごうの こうみょうは なんみょうほうれんげきょう なり.
白毫の 光明は 南無妙法蓮華経 なり.

じょうしあかにだてんは くうたい げしあびじごくは けたい びゃくごうの ひかりは ちゅうどう なり.
上至阿迦尼ダ天は 空諦 下至阿鼻地獄は 仮諦 白毫の 光は 中道 なり.

これに よって じっかい どうじの じょうぶつ なり.
之に 依つて 十界 同時の 成仏 なり.

てんのうぶつとは ほうごうを おくるまで なり.
天王仏とは 宝号を 送るまで なり.

さて えしょう にほうの じょうぶつの ときは この ほんの げしあびじごくの もんは えほうの じょうぶつを とき.
去て 依正 二報の 成仏の 時は 此の 品の 下至阿鼻地獄の 文は 依報の 成仏を 説き.

だいばだったの てんのうにょらいは しょうほうの じょうぶつを とく.
提婆達多の 天王如来は 正報の 成仏を 説く.

えほう しょうほう ともに みょうほうの じょうぶつ なり.
依報 正報 共に 妙法の 成仏 なり.

いま にちれん とうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき.
今 日蓮 等の 類い 聖霊を 訪う 時.

ほけきょうを どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる とき.
法華経を 読誦し 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 時.

だいもくの ひかり むけんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ.
題目の 光 無間に 至りて 即身成仏 せしむ.

えこうの もん これより こと おこるなり.
廻向の 文 此れより 事 起るなり.

ほっけ ふしんの ひとは だざい むけん なれども.
法華 不信の 人は 堕在 無間 なれども.

だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに.
題目の 光を 以て 孝子 法華の 行者として 訪わんに.

あに この ぎに かわるべしや.
豈 此の 義に 替わる可しや.

されば げしあびじごくの もんは ほとけ ひかりを はなちて.
されば 下至阿鼻地獄の 文は 仏 光を 放ちて.

だいばを じょうぶつ せしめんが ためなりと にちれん すいちし たてまつるなり.
提婆を 成仏 せしめんが 為なりと 日蓮 推知し 奉るなり.

だい6 どうしが この こと.
第六 導師 何故の 事.

しょに いわく.
疏に 云く.

まことに おもんみれば せっぽう にゅうじょうして よく ひとを みちびく.
良に 以みれば 説法 入定して 能く 人を 導く.

すでに どうしと しょうす.
既に 導師と 称す.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

この どうしは しゃくそんの おんこと なり.
此の 導師は 釈尊の 御事 なり.

せっぽうとは むりょうぎきょう にゅうじょうとは むりょうぎしょさんまいに いり たもう ことなり.
説法とは 無量義経 入定とは 無量義処三昧に 入り たもう 事なり.

いわゆる どうしに おいて ふたつ あり.
所詮 導師に 於て 二 あり.

あくの どうし ぜんの どうし これ あるなり.
悪の 導師 善の 導師 之れ 有るなり.

あくの どうしとは ほうねん こうぼう ちしょう とう なり.
悪の 導師とは 法然 弘法 慈覚 智証 等 なり.

ぜんの どうしとは てんだい でんぎょう とう これなり.
善の 導師とは 天台 伝教 等 是なり.

まっぽうに いっては いま にちれん とうの たぐいは ぜんの どうし なり.
末法に 入つては 今 日蓮 等の 類いは 善の 導師 なり.

せっぽうとは なんみょうほうれんげきょう にゅうじょうとは ほっけ じゅじの けつじょうしんに いる ことなり.
説法とは 南無妙法蓮華経 入定とは 法華 受持の 決定心に 入る 事なり.

→a712

b713

のうどうおにんの のうの じに こころを とどめて これを あんずべし.
能導於人の 能の 字に 心を 留めて 之を 案ず可し.

ゆじゅっぽんの しょうどうししと おなじ ことなり.
涌出品の 唱導之師と 同じ 事なり.

しょせん にほんこくの いっさいしゅじょうを みちびかんが ために せっぽう する ひと これなり うんぬん.
所詮 日本国の 一切衆生を 導かんが 為に 説法 する 人 是なり 云云.

だい7 てんくじねんみょうの こと.
第七 天鼓自然鳴の 事.

しょに いわく てんくじねんみょうは むもんじせつを ひょうする なり.
疏に 云く 天鼓自然鳴は 無問自説を 表する なり.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

この もんは しど たどの ずい おなじき ことを じゅして ちょうしゅつ せり.
此の 文は 此土 他土の 瑞 同じき ことを 頌して 長出 せり.

むもんじせつとは しゃかにょらい みょうほうれんげきょうを むもんじせつ したもうなり.
無問自説とは 釈迦如来 妙法蓮華経を 無問自説 し給うなり.

いま にちれんとうの たぐいは むもんじせつ なり.
今 日蓮等の 類いは 無問自説 なり.

ねんぶつむけん ぜんてんま しんごんぼうこく りつこくぞくと さけぶ ことは むもんじせつ なり.
念仏無間 禅天魔 真言亡国 律国賊と 喚ぶ 事は 無問自説 なり.

さんるいの ごうてき きたる ことは この ゆえなり.
三類の 強敵 来る 事は 此の 故なり.

てんくとは なんみょうほうれんげきょう なり.
天鼓とは 南無妙法蓮華経 なり.

じねんとは むしょうげ なり.
自然とは 無障碍 なり.

みょうとは となうる ところの おんじょう なり.
鳴とは 唱うる 所の 音声 なり.

いちぎに いっさいしゅじょうの ごげん おんじょうを じざいに いだすは むもんじせつ なり.
一義に 一切衆生の 語言 音声を 自在に 出すは 無問自説 なり.

じせつとは ごくそつの ざいにんを かしゃく する こえ がき ききんの おんじょう とう.
自説とは 獄卒の 罪人を 呵責 する 音 餓鬼 飢饉の 音声 等.

いっさいしゅじょうの とんじんちの ねんねん とうを じせつとは いうなり.
一切衆生の 貪瞋癡の 三毒の 念念 等を 自説とは 云うなり.

この おんじょうの たいとは なんみょうほうれんげきょう なり.
此の 音声の 体とは 南無妙法蓮華経 なり.

ほんじゃく りょうもん みょうほうれんげきょうの 5じは てんく なり.
本迹 両門 妙法蓮華経の 五字は 天鼓 なり.

てんとは だいいちぎてん なり.
天とは 第一義天 なり.

じせつとは じじゅゆうの せっぽう なり.
自説とは 自受用の 説法 なり.

きの 3に いわく むもんじせつを ひょうする とは.
記の 三に 云く 無問自説を 表する とは.

ほうべんの はじめに さんまい より たって しゃりほつに つげ.
方便の 初に 三昧 より 起つて 舎利弗に 告げ.

ひろく たんじ りゃくして たんず.
広く 歎じ 略して 歎ず.

しど たど ことばに よせ ことばを ぜっす.
此土 他土 言に 寄せ 言を 絶す.

もしは きょう もしは ち.
若は 境 若は 智.

これ すなわち いっきょうの こんぽん 5じの ようしん なり.
此 乃ち 一経の 根本 五時の 要津 なり.

この こと かるからずと このしゃくに いっさいの こんげん.
此の 事 軽からずと 此釈に 一経の 根源.

5じの ようしんとは なんみょうほうれんげきょう これなり うんぬん.
五字の 要津とは 南無妙法蓮華経 是なり 云云.

ほうべんぽん 8この だいじ.
方便品 八箇の 大事.

だい 1ほうべんぼんの こと.
第一 方便品の 事.

もんぐの 3に いわく.
文句の 三に 云く.

ほうとは ひ なり べんとは みょう なり.
方とは 秘 なり 便とは 妙 なり.

みょうに ほうに たっするに すなわち これ しんの ひ なり.
妙に 方に 達するに 即ち 是 真の 秘 なり.

ないえりの むげの たまを てんずるに.
内衣裏の 無価の 珠を 点ずるに.

おうの ちょうじょうの ゆいいつ しゅ あると 2 なく べつ なし.
王の 頂上の 唯一 珠 有ると 二 無く 別 無し.

かくさの ひとを さすに これ ちょうじゃの こにして また 2なく べつ なし.
客作の 人を 指すに 是 長者の 子にして 亦 二 無く 別 無し.

かくのごときの ことばは ぜひぜみょう なり.
此の如きの 言は 是秘是妙 なり.

きょうの ゆいがちぜそう じゅつぽうぶつやくねん ししふっしゅせつ がほうみみょうなんしの ごとし.
経の 唯我知是相 十方仏亦然 止止不須説 我法妙難思の 如し.

ゆえに ひを もって ほうを しゃくし みょうを もって べんを しゃくす.
故に 秘を 以て 方を 釈し 妙を 以て 便を 釈す.

まさしく これ いまの ほんの こころ なり.
正しく 是れ 今の 品の 意 なり.

ゆえに ほうべんぼんと いうなり.
故に 方便品と 言うなり.

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b714

きの 3に いわく.
記の 三に 云く.

だい3に ひみょうに やくして しゃくするとは みょうを もっての ゆえに そく なり.
第三に 秘妙に 約して 釈するとは 妙を 以ての 故に 即 なり.

えんを もって そくと なし 3を もって ふそくと なす.
円を 以て 即と 為し 三を 不即と 為す.

ゆえに さらに ふそくに たいして もって そくを しゃくす.
故に 更に 不即に 対して 以て 即を 釈す.

おんぎくでんに いわく この しゃくの なかに いっしゅとは えりしゅ そく ちょうじょうしゅ なり.
御義口伝に 云く 此の 釈の 中に 一珠とは 衣裏珠 即 頂上珠 なり.

かくさに ひとと ちょうじゃの こと まったく ふどう これ なし.
客作の 人と 長者の 子と 全く 不同 之 無し.

いわゆる ほうぼう ふしんの ひとは たいげの ごんにして ほうゆうのうつうの 2しゅの ほうべん なり.
所詮 謗法 不信の 人は 体外の 権にして 法用 能通の 二種の 方便 なり.

ここを もって むに むべつに あらざる なり.
爰を 以て 無二 無別に 非る なり.

いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるは.
今 日蓮 等の 類 南無妙法蓮華経と 唱え 奉るは.

これ ひみょうほうべんにして たいない なり.
是 秘妙方便にして 体内 なり.

ゆえに みょうほうれんげきょうと だいして つぎに ほうべんぼんと いえり.
故に 妙法蓮華経と 題して 次に 方便品と 云えり.

みょうらくの きの 3の しゃくに ほんしょの そくぜしんぴの そくをいえんいそくと しょうしゃく せり.
妙楽の 記の 三の 釈に 本疏の 即是真秘の 即を 以円為即と 消釈 せり.

そくは えん なれば ほけきょうの べつめい なり.
即は 円 なれば 法華経の 別名 なり.

そくとは ぼんぷ そく ごく しょほうじっそうの ほとけ なり.
即とは 凡夫 即 極 諸法実相の 仏 なり.

えんとは いちねんさんぜん なり.
円とは 一念三千 なり.

そくと えんと ことばは かわれども みょうの べつめい なり.
即と 円と 言は 替れども 妙の 別名 なり.

いっさいしゅじょう じっそうの ほとけ なれば みょう なり ふしぎ なり.
一切衆生 実相の 仏 なれば 妙 なり 不思議 なり.

ほうぼうの ひと いま これを しらざる ゆえに これを ひ という.
謗法の 人 今 之を 知らざる 故に 之を 秘 と云う.

また いわく ほうかい 3000を ひみつ とは いうなり.
又 云く 法界三千を 秘妙 とは 云うなり.

ひ とは きびしき なり 3000られつ なり.
秘 とは きびしき なり 三千羅列 なり.

これより ほかに ふしぎ これなし.
是より 外に 不思議 之無し.

だいほうぼうの ひとたりと いうとも みょうほうれんげきょうを じゅじし たてまつる ところを.
大謗法の 人たりと 云うとも 妙法蓮華経を 受持し 奉る 所を.

みょうほうれんげきょう ほうべんぼんとは いうなり.
妙法蓮華経 方便品とは 云うなり.

いま まっぽうに いって まさしく にちれん とうの たぐいの ことなり.
今 末法に 入つて 正しく 日蓮 等の 類の 事なり.

みょうほうれんげきょうの たいないに にぜんの にんぽうを いるを みょうほうれんげきょう ほうべんぼんとは いうなり.
妙法蓮華経の 体内に 爾前の 人法を 入るを 妙法蓮華経 方便品とは 云うなり.

これを そくしんじょうぶつとも にょぜほんまつくきょうとうとも とく.
是を 即身成仏とも 如是本末究竟等とも 説く.

また ほうべんとは じっかいの ことなり または むみょう なり.
又 方便とは 十界の 事なり 又は 無明 なり.

みょうほうれんげきょうは じっかいの ちょうじょう なり または ほっしょう なり.
妙法蓮華経は 十界の 頂上 なり 又は 法性 なり.

ぼんのう そく ぼだい しょうじ そく ねはん これなり.
煩悩 即 菩提 生死 即 涅槃 是なり.

いえんいそくとは いちねん3000 なり.
以円為即とは 一念三千 なり.

みょうと そくとは おなじ ものなり.
妙と 即とは 同じ 物なり.

いちじの いちねん3000と いうことは えんと みょうとを いうなり.
一字の 一念三千と 云う事は 円と 妙とを 云うなり.

えんとは しょほうじっそう なり.
円とは 諸法実相 なり.

えんとは しゃくに いわく えんを えんゆう えんまんに なづくと.
円とは 釈に 云く 円を 円融 円満に 名くと.

えんゆうは しゃくもん えんまんは ほんもん なり.
円融は 迹門 円満は 本門 なり.

または しかんの 2ほう なり.
又は 止観の 二法 なり.

または われらが しきしんの 2ほう なり.
又は 我等が 色心の 二法 なり.

いちじの いちねん3000とは えしんりゅうの ひぞう なり.
一字の 一念三千とは 慧心流の 秘蔵 なり.

くにがまえは いちねん なり かずは 3000 なり.
口は 一念 なり 員は 三千 なり.

いちねん3000とは ふしぎと いうこと なり.
一念三千とは 不思議と 云う事 なり.

この みょうは ぜん3きょうに いまだ これを とかず.
此の 妙は 前三教に 未だ 之を 説かず.

ゆえに ひと いうなり.
故に 秘と 云うなり.

ゆえに しんぬ なんみょうほうれんげきょうは いっしんの ほうべん なり.
故に 知ぬ 南無妙法蓮華経は 一心の 方便 なり.

みょうほうれんげきょうは くしき なり.
妙法蓮華経は 九識 なり.

じっかいは はっしき いげ なり.
十界は 八識 已下 なり.

こころを とどめて これを あんずべし.
心を 留めて 之を 案ず可し.

ほうとは そく じっぽう じっぽうは そく じっかい なり
方とは 即 十方 十方は 即 十界 なり

べんとは ふしぎと いうこと なり うんぬん
便とは 不思議と 云う事 なり 云云

だい2 しょぶつちえ じんじんむりょう ごちえもんの こと.
第二 諸仏智慧 甚深無量 其智慧門の 事.

もんぐの 3に いわく.
文句の 三に 云く.

まず じつを たんじ つぎに ごんを たんず.
先ず 実を 歎じ 次に 権を 歎ず.

じつ とは しょぶつの ちえ なり.
実 とは 諸仏の 智慧 なり.

さんしゅの けたの ごんじつに あらず.
三種の 化他の 権実に 非ず.

ゆえに しょぶつと いう.
故に 諸仏と 云う.

じぎょうの じつを あらわす ゆえに ちえと いう.
自行の 実を 顕す 故に 智慧と 言う.

この ちえの たい すなわち いっしんの さんち なり.
此の 智慧の 体 即ち 一心の 三智 なり.

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じんじんむりょうとは すなわち しょうたんの じ なり.
甚深無量とは 即ち 称歎の 辞 なり.

ほとけの じっちの たてに にょりの そこに てっする ことを あかすゆえに じんじんと いう.
仏の 実智の 竪に 如理の 底に 徹する ことを 明す 故に 甚深と 言う.

よこに ほうかいの へんを きわむ ゆえに むりょうと いう.
横に 法界の 辺を 窮む 故に 無量と 言う.

むりょうじんじんにして たてに たかく よこに ひろし.
無量甚深にして 竪に 高く 横に 広し.

たとえば ね ふかければ すなわち えだ しげく みなもと とおければすなわち ながれ ながきが ごとし.
譬えば 根 深ければ 則ち 条 茂く 源 遠ければ 則ち 流 長きが 如し.

じっち すでに しかり ごんち れいして しかり うんぬん.
実智 既に 然り 権智 例して 爾り 云云.

ごちえもんは すなわち これ ごんちを たんずる なり.
其智慧門は 即ち 是れ 権智を 歎ずる なり.

けだし これ じぎょうの どうぜんの ほうべん しんしゅの ちから あり.
蓋し 是れ 自行の 道前の 方便 進趣の 力 有り.

ゆえに なづけて もんと なす.
故に 名けて 門と 為す.

もん より いって どうちゅうに いたる.
門 より 入つて 道中に 到る.

どうちゅうを じつと しょうし どうぜんを ごんと いうなり.
道中を 実と 称し 道前を 権と 謂うなり.

なんげなんにゅうとは ごんを たんずるの じ なり.
難解難入とは 権を 歎ずるの 辞 なり.

ふもうにして りょうし むほうの だいゆう あり.
不謀にして 了し 無方の 大用 あり.

しちしゅの ほうべん しきたく すること あたわず.
七種の 方便 測度 すること 能わず.

じゅうじゅうに はじめて げす.
十住に 始めて 解す.

じっちを にゅうと なす.
十地を 入と 為す.

しょと ごを あぐ.
初と 後とを 挙ぐ.

ちゅうげんの なんじ なんごは しるべし.
中間の 難示 難悟は 知る可し.

しかるに べっして しょうもん えんかくの しょふのうちを あぐることは.
而るに 別して 声聞 縁覚の 所不能知を 挙ぐることは.

しゅう おもきが ゆえに べっして これを はする のみ.
執 重きが 故に 別して 之を 破する のみ.

きの 3に いわく.
記の 三に 云く.

じゅこうおうこうとは ちゅうに おいて ほっぴごう あり.
竪高横広とは 中に 於て 法譬合 あり.

これを もって ごを れいす.
此れを 以て 後を 例す.

いま じつを しゃくするに すでに ことごとく おうじゅを きわめたり.
今 実を 釈するに 既に 周く 横竪を 窮めたり.

しもに ごんを しゃくするに り じんごく なるべし.
下に 権を 釈するに 理 深極 なるべし.

しもに まさに ごんを しゃくすべし.
下に 当に 権を 釈すべし.

あらかじめ その そうを じゅっす ゆえに うんぬんと ちゅう す.
予め 其の 相を 述す 故に 云云と 註 す.

ごちえもんとは ごとは すなわち さきの じっかの いんちを さす.
其智慧門とは 其とは 乃ち 前の 実果の 因智を 指す.

もしち えそく もん ならば もんは これ ごん なり.
若し 智慧 即 門 ならば 門は 是れ 権 なり.

もし ちえの もん ならば ち すなわち か なり.
若し 智慧の 門 ならば 智 即ち 果 なり.

けだし これらとは この なかに すべからく じっちを もって どうぜんと なし.
蓋し 是等とは 此の 中に 須く 十地を 以て 道前と 為し.

みょうかくを どうちゅうと なし しょうごを どうごと なすべし.
妙覚を 道中と 為し 証後を 道後と 為すべし.

ゆえに しんぬ もんの こころは いんの くらいに ありと.
故に 知んぬ 文の 意は 因の 位に 在りと.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

この ほんまつの こころ ふんみょう なり.
此の 本末の 意 分明 なり.

なかに たてに たかく よこに ひろし とは たては ほんもん なり.
中に 竪に 高く 横に 広し とは 竪は 本門 なり.

よこは しゃくもん なり.
横は 迹門 なり.

ねとは そうもく なり そうもくは うえへ のぼる.
根とは 草木 なり 草木は 上へ 登る.

これは しゃくもんの こころ なり.
此れは 迹門の 意 なり.

みなもととは ほんもん なり.
源とは 本門 なり.

みなもとは みず なり みずは しもへ くだる.
源は 水 なり 水は 下へ くだる.

これは ほんもんの こころ なり.
此れは 本門の 意 なり.

えだ しげしとは しゃくもん 14ほん なり.
条 茂とは 迹門 十四品 なり.

ながれ ながしとは ほんもん 14ほん なり.
流 長とは 本門 十四品 なり.

ちえとは いっしんの さんち なり.
智慧とは 一心の 三智 なり.

もんとは この ちえの いる ところの のうにゅうの もん なり.
門とは 此の 智慧に 入る 処の 能入の 門 なり.

さんちの たいとは なんみょうほうれんげきょう なり.
三智の 体とは 南無妙法蓮華経 なり.

もんとは しんじんの ことなり.
門とは 信心の 事なり.

ここを もって だい2の まきに いしんとくにゅうと いう.
爰を 以て 第二の 巻に 以信得入と 云う.

にゅうと もんとは これ おなじき なり.
入と 門とは 之れ 同じき なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるを ちえとは いうなり.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉るを 智慧とは 云うなり.

ひゆほんに いわく「ゆいういちもん」と もんに おいて.
譬喩品に 云く「唯有一門」と 門に 於て.

うもん くうもん やくうやくくうもん ひうひくうもん あるなり.
有門 空門 亦有亦空門 非有非空門 あるなり.

うもんは しょう なり くうもんは し なり.
有門は 生 なり 空門は 死 なり.

やくうやくうもんは しょうじいちねん なり.
亦有亦空門は 生死一念 なり.

ひうひくうもんは しょうに あらず しに あらず.
非有非空門は 生に 非ず 死に 非ず.

うもんは だいもくの もじ なり.
有門は 題目の 文字 なり.

くうもんは この 5じに ばんぽうを ぐそくして いっぽうに とどこうらざる ぎ なり.
空門は 此の 五字に 万法を 具足して 一方に とどこうらざる 義 なり.

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やくうやくうもんは 5じに ぐそく する ほんじゃく なり.
亦有亦空門は 五字に 具足 する 本迹 なり.

ひうひくうもんは いちぶの こころ なり.
非有非空門は 一部の 意 なり.

この ないしょうは ほっけ いぜんの にじょうの ちえの およばざる ところなり.
此の 内証は 法華 已前の 二乗の 智慧の 及ばざる 所なり.

もんぐの 3に いわく 「しちしゅの ほうべん しきたく すること あたわず」 と.
文句の 三に 云く 「七種の 方便 測度 すること 能わず」 と.

いま にちれん とうの たぐいは この ちえに とくにゅう するなり.
今 日蓮 等の 類いは 此の 智慧に 得入 するなり.

よって げじゅに じょしょぼさつしゅう しんりきけんごしゃと いうは われら ぎょうじゃの ことを とく なり うんぬん.
仍て 偈頌に 除諸菩薩衆 信力堅固者と 云うは 我等 行者の 事を 説く なり 云云.

だい3 ゆいい いちだいいんねんの こと.
第三 唯以 一大事因縁の 事.

もんぐの 4に いわく 1は すなわち いちじっそう なり.
文句の 四に 云く 一は 即ち 一実相 なり.

5に あらず 3に あらず 7に あらず 9に あらず ゆえに 1と いうなり.
五に 非ず 三に 非ず 七に 非ず 九に 非ず 故に 一と 言うなり.

その しょう こうばくにして 5 3 7 9 より はくし ゆえに なづけて だいと なす.
其の 性 広博にして 五 三 七 九 より 博し 故に 名けて 大と 為す.

しょぶつ しゅっせの ぎしき なり ゆえに なづけて じと なす.
諸仏 出世の 儀式 なり 故に 名けて 事と 為す.

しゅじょうに この き あって ほとけを かんず ゆえに なづけて いんと なす.
衆生に 此の 機 有つて 仏を 感ず 故に 名けて 因と 為す.

ほとけ きを うけて しかも おうず ゆえに なづけて えんと なす.
仏 機を 承けて 而も 応ず 故に 名けて 縁と なす.

これを しゅっせの ほんいと なす.
是を 出世の 本意と 為す.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

1とは ほけきょう なり だいとは けごん なり じとは ちゅうかんのさんまい なり.
一とは 法華経 なり 大とは 華厳 なり 事とは 中間の 三味 なり.

ほっけ いぜんにも 3たい あれども くだけたる たまは たからに あらざるが ごとし うんぬん.
法華 已前にも 三諦 あれども 砕けたる 珠は 宝に 非ざるが 如し 云云.

また いわく 1とは みょう なり だいとは ほう なり じとは れんなり いんとは け なり えんとは きょう なり うんぬん.
又 云く 一とは 妙 なり 大とは 法 なり 事とは 蓮 なり 因とは華 なり 縁とは 経 なり 云云.

また いわく われらが こうべは みょう なり のどは ほう なり.
又 云く 我 等が 頭は 妙 なり 喉は 法 なり.

むねは れん なり はらは け なり あしは きょう なり.
胸は 蓮 なり 胎は 華 なり 足は 経 なり.

この 5しゃくの み みょうほうれんげきょうの 5じ なり.
此の 五尺の 身 妙法蓮華経の 五字 なり.

この だいじを しゃかにょらい 40よねんの あいだ おんみつ したもう なり.
此の 大事を 釈迦如来 四十余年の 間 隠密 したもう なり.

こんきょうのとき とき いだし たもう この だいじを とかんが ために ほとけは しゅっせ したもう.
今経の時 説き 出し たもう 此の 大事を 説かんが 為に 仏は 出世 したもう.

われらが いっしんの みょうほう 5じ なりと かいぶつちけん するとき そくしんじょうぶつ するなり.
我等が 一身の 妙法 五字 なりと 開仏知見 する時 即身成仏 するなり.

かいとは しんじんの いみょう なり.
開とは 信心の 異名 なり.

しんじんを もって みょうほうを となえ たてまつらば やがて かいぶつちけん するなり.
信心を 以て 妙法を 唱え 奉らば 軈て 開仏知見 するなり.

しかる あいだ しんじんを ひらく とき なんみょうほうれんげきょうとしめすを じぶっちけんと いうなり.
然る 間 信心を 開く 時 南無妙法蓮華経と 示すを 示仏知見と 云うなり.

しめす ときに りょうぜん じょうどの じゅうしょと さとり.
示す 時に 霊山 浄土の 住処と 悟り.

そくしんじょうぶつと さとるを ごぶっちけんと いうなり.
即身成仏と 悟るを 悟仏知見と 云うなり.

さとる とうたい じきしどうじょう なるを にゅうぶっちけんと いうなり.
悟る 当体 直至道場 なるを 入仏知見と 云うなり.

しかる あいだ しんじんの かいぶつちけんを もって しょういと せり.
然る 間 信心の 開仏知見を 以て 正意と せり.

にゅうぶつちけんの にゅうの じは しゃくもんの こころは じっそうの りないに きにゅう するを にゅうと いうなり.
入仏知見の 入の 字は 迹門の 意は 実相の 理内に 帰入 するを 入と 云うなり.

ほんもんの こころは り そく ほんがくと いる なり.
本門の 意は 理 即 本覚と 入る なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ほどの ものは ほうとうに いる なり うんぬん.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 程の 者は 宝塔に 入る なり 云云.

また いわく かいぶっちけんの ほとけとは 9かいしょぐの ぶっかい なり.
又 云く 開仏知見の 仏とは 九界所具の 仏界 なり.

ちけんとは みょうほうの 2じ しかんの 2じ じゃくしょうの 2とく.
知見とは 妙法の 二字 止観の 二字 寂照の 二徳.

しょうじの 2ほう なり しきしん いんが なり.
生死の 二法 なり 色心 因果 なり.

いわゆる ちけんとは みょうほう なり.
所詮 知見とは 妙法 なり.

9かいしょぐの ぶっしんを ほけきょうの ちけんにて ひらく ことなり.
九界所具の 仏心を 法華経の 知見にて 開く 事なり.

→a716

b717

ここを もって これを おもうに ほとけとは 9かいの しゅじょうの ことなり.
爰を 以て 之を 思うに 仏とは 九界の 衆生の 事なり.

この かいかく あらわれて こんじん より ぶっしんに いたるまで たもつや いなやと しめす ところが.
此の 開覚 顕れて 今身 より 仏身に 至るまで 持つや 否やと 示す処が.

みょうほうを しめす じぶっちけんと いうなり.
妙法を 示す 示仏知見と 云うなり.

してい かんのうして うけとる とき にょがとうむいと さとるを ごぶっちけんと いうなり.
師弟 感応して 受け取る 時 如我等無異と 悟るを 悟仏知見と 云うなり.

さとって みれば ほうかい3000の ここの とうたい ほけきょう なり.
悟つて 見れば 法界三千の 己己の 当体 法華経 なり.

この ないしょうに いるを にゅうぶっちけんと いうなり.
此の 内証に 入るを 入仏知見と 云うなり.

ひすべし うんぬん.
秘す可し 云云.

また いわく しぶっちけんとは はっそう なり.
又 云く 四仏知見とは 八相 なり.

かいとは せいの そう なり.
開とは 生の 相 なり.

にゅうとは しの そう なり.
入とは 死の 相 なり.

ちゅうかんの じごは 6そう なり.
中間の 示悟は 六相 なり.

げてんたくたい とうは じぶっちけん なり.
下天託胎 等は 示仏知見 なり.

しゅっけごうま じょうどうてんぽうりん とうは ごぶっちけん なり.
出家降魔 成道転法輪 等は 悟仏知見 なり.

ごんきょうの こころは しょうじを おんり する きょう なるが ゆえに しぶっちけんに あらざるなり.
権教の 意は 生死を 遠離 する 教 なるが 故に 四仏知見に 非ざるなり.

こんきょうの とき しょうじの 2ほうは いっしんの みょうゆう.
今経の 時 生死の 二法は 一心の 妙用.

うむの 2どうは ほんがくの しんとくと かいかく するを しぶっちけんと いうなり.
有無の 二道は 本覚の 真徳と 開覚 するを 四仏知見と 云うなり.

しぶっちけんを もって 3ぜの しょぶつは いちだいじと おぼしめし.
四仏知見を 以て 三世の 諸仏は 一大事と 思召し.

よに しゅっげん したもうなり.
世に 出現 したもうなり.

この かいぶっちけんの ほけきょうを ほうねんは しゃへいかくほうと いい.
此の 開仏知見の 法華経を 法然は 捨閉閣抛と 云い.

こうぼうだいしは だい3の れつ けろんの ほうと ののしれり.
弘法大師は 第三の 劣 戯論の 法と ののしれり.

5ぶつどうどうの したを きる ものに あらずや.
五仏道同の 舌を きる 者に 非ずや.

じかくだいし ちしょう とうは あくしに つるぎを あたえて.
慈覚大師 智証 等は 悪子に 剣を 与えて.

わが おやの こうべを きらする ものに あらずや うんぬん.
我が 親の 頭を きらする 者に 非ずや 云云.

また いわく 1とは ちゅうたい だいとは くうたい じとは けたい なり.
又 云く 一とは 中諦 大とは 空諦 事とは 仮諦 なり.

この えんゆうの さんたいは なにものぞ.
此の 円融の 三諦は 何物ぞ.

いわゆる なんみょうほうれんげきょう なり.
所謂 南無妙法蓮華経是 なり.

この 5じ にちれん しゅっせの ほんかい なり.
此の 五字 日蓮 出世の 本懐 なり.

これを なづけて じと なす.
之を 名けて 事と 為す.

にほんこくの いっさいしゅじょうの なかに にちれんが でし だんなとなる ひとは.
日本国の 一切衆生の 中に 日蓮が 弟子 檀那と 成る 人は.

しゅじょうに この き あって ほとけを かんず ゆえに なづけて いんと なす ひと なり.
衆生有此機 感仏故名為因の 人 なり.

それが ために ほけきょうの ごくりを ひろめたるは きを うけて おうずる ゆえに なづけて えんと なすに あらずや.
夫れが 為に 法華経の 極理を 弘めたるは 承機而応故名為縁に 非ずや.

いんは げしゅ なり えんは 3 5の しゅくえんに きするなり.
因は 下種 なり 縁は 三 五の 宿縁に 帰するなり.

じのいちねん3000は にちれんが みに あたりての だいじ なり.
事の一念三千は 日蓮が 身に 当りての 大事 なり.

1 とは いちねん だい とは 3000 なり.
一とは 一念 大とは 三千 なり.

この 3000 ときたるは じの いんえん なり.
此の 三千 ときたるは 事の 因縁 なり.

じ とは しゅじょうせけん いんとは 5おんせけん えんとは こくどせけん なり.
事 とは 衆生世間 因とは 五陰世間 縁とは 国土世間 なり.

こくどせけんの えんとは なんえんぶだいは みょうほうれんげきょうを ひろむべき ほんえんの くに なり.
国土世間の 縁とは 南閻浮提は 妙法蓮華経を 弘むべき 本縁の 国 なり.

きょうに いわく 「えんぶだいの うちに ひろく るふ せしめて だんぜつ せざらしめん」 これなり うんぬん.
経に 云く 「閻浮提内 広令流布 使不断絶」 是なり 云云.

だい4 ごじょくの こと.
第四 五濁の 事.

もんぐの 4に いわく こうじょくは べつの たい なし.
文句の 四に 云く 劫濁は 別の 体 無し.

こうは これ ちょうじ せつなは これ たんじ なり.
劫は 是 長時 刹那は 是 短時 なり.

しゅじょうじょは べつの てい なし.
衆生濁は 別の 体 無し.

けんまんかほうを とる.
見慢果報を 攬る.

ぼうのうじょくは 5どんしを さして たいと なし.
煩悩濁は 五鈍使を 指て 体と 為し.

けんじょくは 5りしを さして たいと なし.
見濁は 五利使を 指て 体と 為し.

みょうじょくは れんじしきしんを さして たいと なす.
命濁は 連持色心を 指して 体と 為す.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

にちれんとうの たぐいは この 5じょくを はなるる なり.
日蓮 等の 類いは 此の 五濁を 離るる なり.

がしどあんのん なれば こうじょくに あらず.
我此土安穏 なれば 劫濁に 非ず.

じっそうむさの ぶっしん なれば しゅじょうじょくに あらず.
実相無作の 仏身 なれば 衆生濁に 非ず.

ぼんのうそくぼだい しょうじそくねはんの みょうし なれば ぼんのうじょくに あらず.
煩悩即菩提 生死即涅槃の 妙旨 なれば 煩悩濁に 非ず.

500じんてんこう より むしほんぬの み なれば みょうじょくに あらざるなり.
五百塵点劫 より 無始本有の 身 なれば 命濁に 非ざるなり.

→a717

b718

しょうじきしゃほうべん たんせつむじょうどうの ぎょうじゃ なれば けんじょくに あらざるなり.
正直捨方便 但説無上道の 行者 なれば 見濁に 非るなり.

いわゆる なんみょうほうれんげきょうを さかいとして おこる ところの5じょく なれば.
所詮 南無妙法蓮華経を 境として 起る 所の 五濁 なれば.

にほんこくの いっさいしゅじょう 5じょくの しょうい なり.
日本国の 一切衆生 五濁の 正意 なり.

されば もんぐ 4に いわく.
されば 文句 四に 云く.

「そうとは しじょくぞうぎゃくにして この ときに しゅざい せり.
「相とは 四濁増劇にして 此の 時に 聚在 せり.

しんに ぞうぎゃくにして とうひょう おこり.
瞋恚 増劇にして 刀兵 起り.

とんよく ぞうぎゃくにして きが おこり.
貪欲 増劇にして 飢餓 起り.

ぐちぞうぎゃくにして しつえき おこり.
愚癡増劇にして 疾疫 起り.

3やく おこるが ゆえに ぼんのう ますます さかんに しょけん うたた さかんなり」.
三災 起るが 故に 煩悩 倍 隆んに 諸見 転た 熾んなり」.

きょうに にょらい げんざい ゆたおんしつ きょうめつどごと いう これなり.
経に 如来 現在 猶多怨嫉 況滅度後と 云う 是なり.

ほけきょう ふしんの ものを もって 5じょく そうじゅうの ものとす.
法華経 不信の 者を 以て 五濁 障重の 者とす.

きょうに いわく 「ごじょくの あくせには ただ しょよくに ぎょうじゃく せるを もって かくの ごとき とうの しゅじょうは ついに ぶつどうを もとめず」 うんぬん.
経に 云く 「以五濁悪 世但楽著 諸欲如是等 衆生終不求仏道」 云云.

ぶつどうとは ほけきょうの べつめい なり.
仏道とは 法華経の 別名 なり.

てんだい いわく 「ぶつどうとは べっして こんきょうと なす」と.
天台 云く 「仏道とは 別して 今経を 指す」と.

だい5 びく びくに うえぞうじょうまん うばそくがまんうばい ふしんの こと.
第五 比丘 比丘尼 有懐増上慢 優婆塞我慢優婆夷 不信の 事.

もんぐの 4に いわく じょうまんと がまんと ふしんと ししゅう つうじて あり.
文句の 四に 云く 上慢と 我慢と 不信と 四衆 通じて 有り.

ただし しゅっけの にしゅうは おおく みちを しゅうし ぜんを えてあやまって しょうかと いい ひとえに じょうまんを おこす.
但し 出家の 二衆は 多く 道を 修し 禅を 得て 謬て 聖果と 謂い偏に 上慢を 起す.

ざいぞくは こうこうにして おおく がまんを おこす.
在俗は 矜高にして 多く 我慢を 起す.

にょにんは ち あさくして おおく じゃへきを しょうず.
女人は 智 浅くして 多く 邪僻を 生ず.

みずから その とがを みずとは さんしっしんを おおう.
自ら 其の 過を 見ずとは 三失心を 覆う.

きずを かくし とくを あげて みずから かえりみること あたわざるは これ むざんの ひと なり.
疵を 蔵くし 徳を 揚げて 自ら 省ること 能わざるは 是れ 無慙の 人 なり.

もし みずから とがを みれば これ うしゅうの そう なり.
若し 自ら 過を 見れば 是れ 有羞の 僧 なり.

きの 4に いわく きずを かくす とうとは さんしつを しゃくする なり.
記の 四に 云く 疵を 蔵くす 等とは 三失を 釈する なり.

きずを かくし とくを あぐは じょうまんを しゃくす.
疵を 蔵くし 徳を 揚ぐは 上慢を 釈す.

みずから かえりみること あたわざるは がまんを しゃくす.
自ら 省ること 能わざるは 我慢を 釈す.

むざんの ひととは ふしんを しゃくす.
無慙の 人とは 不信を 釈す.

もし みずから とがを みるは かの さんしつ なし.
若し 自ら 過を 見るは 此の 三失 無し.

いまだ かを しょうせずと いえども しばらく うしゅうと なづく.
未だ 果を 証せずと 雖も 且らく 有羞と 名く.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

これ ほんまつの しゃくの こころは 5000の じょうまんを しゃくする なり.
此 本末の 釈の 意は 五千の 上慢を 釈する なり.

くわしくは ほんまつを みる べきなり.
委くは 本末を 見る 可きなり.

びく びくにの 2にんは しゅっけ なり.
比丘 比丘尼の 二人は 出家 なり.

ともに ぞうじょうまんと なづく.
共に 増上慢と 名く.

きずを かくして とくを あぐるを もって ほんと せり.
疵を 蔵くし 徳を 揚ぐるを 以て 本と せり.

うばそくは おとこ なり がまんを もって ほんと せり.
優婆塞は 男 なり 我慢を 以て 本と せり.

うばいは にょにん なり むざんを もって ほんと せり.
優婆夷は 女人 なり 無慙を 以て 本と せり.

この ししゅうは いま にほんこくに さかんなり.
此の 四衆は 今 日本国に 盛んなり.

きょうには そのかず 5000ありと あれども.
経には 其数 有五千と 有れども.

にほんこくに 49おく9万4828人と みえたり.
日本国に 四十九億九万四千八百廿八人と 見えたり.

ざいせには 5000にん ほとけの ざを たてり.
在世には 五千人 仏の 座を 立てり.

いま まっぽうにては にほんこくの いっさいしゅじょう ことごとく にちれんが しょざを たてり.
今 末法にては 日本国の 一切衆生 悉く 日蓮が 所座を 立てり.

びく びくに ぞうじょうまんとは どうりゅう りょうかん とうに あらずや.
比丘 比丘尼 増上慢とは 道隆 良観 等に 非ずや.

また かまくらじゅうの びくに とうに あらずや.
又 鎌倉中の 比丘尼 等に 非ずや.

うばそくとは さいみょうじ うばいとは じょうげの にょにんに あらずや.
優婆塞とは 最明寺 優婆夷とは 上下の 女人に 非ずや.

あえて わが とがを しる べからざるなり.
敢て 我が 過を 知る 可からざるなり.

いま にちれんとうの たぐいを ひぼうして あくみょうを たつ.
今 日蓮 等の 類いを 誹謗して 悪名を 立つ.

→a718

b719

あに みずから その とがを みずの ものに あらずや.
豈 不自見其過の 者に 非ずや.

だいほうぼうの ざいにん なり.
大謗法の 罪人 なり.

ほっけの ござを たつ こと うたがいなき ものなり.
法華の 御座を 立つ 事 疑無き 者なり.

しかりと いえども にちれんに あうこと これ しかしながら らいぶつにたいの ぎ なり.
然りと 雖も 日蓮に 値う事 是 併ら 礼仏而退の 義 なり.

この らいぶつにたいは きょうせんの ぎ なり.
此の 礼仏而退は 軽賤の 義 なり.

まったく しんげの らいたいに あらざるなり.
全く 信解の 礼退に 非ざるなり.

これらの しゅうは かいに おいて けつろ ありの ものなり.
此等の 衆は 於戒有欠漏の 者なり.

もんぐの 4に いわく.
文句の 四に 云く.

「おかいうけつろとは りつぎ とが あるをば けつと なづけ.
「於戒有欠漏とは 律義 失 有るをば 欠と 名け.

じょうぐどうぐ とが あるをば ろと なづく」と.
定共道共 失 有るをば 漏と 名く」と.

この 5000の じょうまんとは われら しょぐの 5じゅうの ぼんのう なり.
此の 五千の 上慢とは 我等 所具の 五住の 煩悩 なり.

いま ほけきょうに あい たてまつる とき まん そく ほうかいと ひらきて.
今 法華経に 値い 奉る 時 慢 即 法界と 開きて.

らいぶつにたい するを ぶついとくここと いうなり.
礼仏而退 するを 仏威徳故去と 云うなり.

ほとけとは われら しょぐの ぶっかい なり.
仏とは 我等 所具の 仏界 なり.

いとくとは なんみょうほうれんげきょう なり.
威徳とは 南無妙法蓮華経 なり.

こことは にこふこの こころ なり.
故去とは 而去不去の 意 なり.

ふげんぼんの さらいにここれを おもうべき なり.
普賢品の 作礼而去之を 思う可き なり.

また いわく 5000の たいざと いうこと.
又 云く 五千の 退座と 云う事.

ほっけの こころは ふたいざ なり.
法華の 意は 不退座 なり.

その ゆえは しょほうじっそう りゃっかいさんけんいちの かいご なり.
其の 故は 諸法実相 略開三顕一の 開悟 なり.

さて そのときは がまん ぞうじょうまんとは まん そく ほうかいと ひらきて ほんぬの まんき たり.
さて 其の時は 我慢 増上慢とは 慢 即 法界と 開きて 本有の 慢機 なり.

そのかず 5000ありとは わが ごじゅうの ぼんのう なり.
其数 有五千とは 我等が 五住の 煩悩 なり.

もし また ごじゅうの ぼうのう なしと いうは ほっけの こころを うしない たり.
若し 又 五住の 煩悩 無しと 云うは 法華の 意を 失いたり.

ごじゅうの ぼんのう ありながら ほんぬじょうじゅうぞと いうとき そのかず 5000ありと とくなり.
五住の 煩悩 有り乍ら 本有常住ぞと 云う時 其数 有五千と 説くなり.

だんわくに とりあわず そのまま ほんぬ みょうほうの ごじゅうと みれば みずから その とがを みずと いうなり.
断惑に 取り合わず 其の儘 本有 妙法の 五住と 見れば 不自見其過と 云うなり.

さて かいに おいて けつろ ありとは しょうじょう ごんきょうの たいじしゅうびょうの かいほうにては なきなり.
さて 於戒有欠漏とは 小乗 権教の 対治衆病の 戒法にては 無きなり.

ぜみょうじかいの みょうほう なり.
是名持戒の 妙法 なり.

ゆえに けつろの とうたい そのまま ぜみょうじかいの たい なり.
故に 欠漏の 当体 其の儘 是名持戒の 体 なり.

しかるに けつろを そのまま ほんぬと だんずる ゆえに ごしゃくごかしとは とく なり.
然るに 欠漏を 其の儘 本有と 談ずる 故に 護惜其瑕疵とは 説く なり.

もとより いちじょうの みょうかい なれば いちじんがんほうかい いちねんへんじっぽう する ゆえに ぜしょうちいしゅつと いうなり.
元より 一乗の 妙戒 なれば 一塵含法界 一念遍十方 する 故に 是小智已出と 云うなり.

そうこうとは じんじん ほうほう ほんがくの さんじん なり.
糟糠とは 塵塵 法法 本覚の 三身 なり.

ゆえに すくなき ふくとくの とうたいも ほんがく むさの かくたい なり.
故に すくなき 福徳の 当体も 本覚 無作の 覚体 なり.

ふたんじゅぜほうとは りゃっかいの しょほうじっそうの ほったいを ききて そのまま かいご するなり.
不堪受是法とは 略開の 諸法実相の 法体を 聞きて 其の儘 開悟 するなり.

さて しんしそんじゃ どんこんの ために ふんべつ げせつ したまえと こう こうかい3の ほうもんをば ふたんじゅぜほうと とく.
さて 身子尊者 鈍根の ために 分別 解説 したまえと 請う 広開三の 法門をば 不堪受是法と 説く.

さて ほっけの じつぎに かえりて みれば みょうほうの ほったいは さらに のうじゅ しょじゅを わすする なり.
さて 法華の 実義に 帰りて 見れば 妙法の 法体は 更に 能受 所受を 忘るる なり.

ふしぎの みょうほう なり.
不思議の 妙法 なり.

ほんぽうの おもきを さとりて みる ゆえに ししゅむしようと いうなり.
本法の 重を 悟りて 見る 故に 此衆無枝葉と 云うなり.

かかるないしょうは じゅんいちじっそう じっそうげきょうむべっぽう なれば ゆいうしょじょうじつ なり.
かかる 内証は 純一実相 実相外更無別法 なれば 唯有諸貞実 なり.

いわゆる じょうじつとは しきしんを みょうほうと ひらく ことなり.
所詮 貞実とは 色心を 妙法と 開く 事なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ところを ゆいうしょじょうじつと とくなり.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 処を 唯有諸貞実と 説くなり.

しょとは しょほうじっそうの ほとけ なり.
諸とは 諸法実相の 仏 なり.

しょは じっかい なり.
諸は 十界 なり.

じょうじつは じっかいの しきしんを みょうほうと いうなり.
貞実は 十界の 色心を 妙法と 云うなり.

こんきょうに かぎる ゆえに ゆいと いうなり.
今経に 限る 故に 唯と 云うなり.

5000の じょうまんの ほか まったく ほけきょう これ なし.
五千の 上慢の 外 全く 法華経 之れ 無し.

5000の まんじんとは われらが 5だい なり.
五千の 慢人とは 我等が 五大 なり.

5だい そく みょうほうれんげきょう なり.
五大 即 妙法蓮華経 なり.

→a719

b720

5000の じょうまんは がんぽんの むみょう なり.
五千の 上慢は 元品の 無明 なり.

ゆえに らいぶつにたい なり.
故に 礼仏而退 なり.

これは くしき はっしき ろくしきと くだる ぶん なり.
此れは 九識 八識 六識と 下る 分 なり.

るてんもんの だんどう なり.
流転門の 談道 なり.

ぶついとくこ とは げんめつもん なり.
仏威徳故去 とは 還滅門 なり.

しからば いとくとは なんみょうほうれんげきょう なり.
然らば 威徳とは 南無妙法蓮華経 なり.

ほんめい ほんごの ぜんたい なり.
本迷 本悟の 全体 なり.

よくよく これを あんずべし うんぬん.
能く能く 之を 案ず可し 云云.

だい6 にょがとうむい にょがしゃくしょがんの こと.
第六 如我等無異 如我昔所願の 事.

しょに いわく いんを あげて しんを すすむと.
疏に 云く 因を 挙げて 信を 勧むと.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

がとは しゃくそん がじつじょうぶつ くおんの ほとけ なり.
我とは 釈尊 我実成仏 久遠の 仏 なり.

この ほんもんの しゃくそんは われら しゅじょうの ことなり.
此の 本門の 釈尊は 我等 衆生の 事なり.

にょがの がは じゅうにょぜの まつの しちにょぜ なり.
如我の 我は 十如是の 末の 七如是 なり.

きゅうかいの しゅじょうは はじめの 3にょぜ なり.
九界の 衆生は 始の 三如是 なり.

われら しゅじょうは おや なり.
我等 衆生は 親 なり.

ほとけは こ なり.
仏は 子 なり.

ふし いったいにして ほんまつくきょうとう なり.
父子 一体にして 本末究竟等 なり.

この われらを じゅりょうほんに むさの さんじんと ときたる なり.
此の 我等を 寿量品に 無作の 三身と 説きたる なり.

いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となうるもの これなり.
今 日蓮等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱うる者 是なり.

ここを もって これを おもうに しゃくそんの そうべつの 2がん とは.
爰を 以て 之を 思うに 釈尊の 惣別の 二願 とは.

われら しゅじょうの ために たてたもう ところの がん なり.
我等 衆生の 為に 立てたもう 処の 願 なり.

この ゆえに なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつりて にほんこくの いっさいしゅじょうを.
此の 故に 南無妙法蓮華経と 唱え 奉りて 日本国の 一切衆生を.

われが じょうぶつ せしめんと いう ところの がん しかしながら にょがしゃくしょがん なり.
我が 成仏 せしめんと 云う 所の 願 併ら 如我昔所願 なり.

ついに いんどうして こしんと わごう するを こんじゃいまんぞくと こころう べきなり.
終に 引導して 己身と 和合 するを 今者已満足と 意得 可きなり.

この こんじゃいまんぞくの いの じ すでにと よむなり.
此の 今者已満足の 已の 字 すでにと 読むなり.

いずれの ところを さして すでにとは とけるや.
何の 処を 指して 已にとは 説けるや.

およそ しょしゃくの こころは しょほうじっそうの もんを さして すでにとは いえり.
凡そ 所釈の 心は 諸法実相の 文を 指して 已にとは 云えり.

しかりと いえども とうけの りゅうぎとしては なんみょうほうれんげきょうを さして.
爾りと 雖も 当家の 立義としては 南無妙法蓮華経を 指して.

こんじゃいまんぞくと とかれたりと こころう べきなり.
今者已満足と 説かれたりと 意得 可きなり.

されば この にょがとうむいの もん かんよう なり.
されば 此の 如我等無異の 文 肝要 なり.

にょがしゃくしょがんは ほんいんみょう にょがとうむいは ほんがみょう なり.
如我昔所願は 本因妙 如我等無異は 本果妙 なり.

みょうかくの しゃくそんは われらが けつにく なり.
妙覚の 釈尊は 我等が 血肉 なり.

いんがの くどく こつづいに あらずや.
因果の 功徳 骨髄に 非ずや.

しゃくには こいんかんしんと こいんは すなわち ほんが なり.
釈には 挙因勧信と 挙因は 即ち 本果 なり.

いま にちれんが となうる ところの なんみょうほうれんげきょうは まつぽう 1まんねんの しゅじょう まで じょうぶつ せしむるなり.
今 日蓮が 唱うる 所の 南無妙法蓮華経は 末法 一万年の 衆生 まで成仏 せしむるなり.

あに こんじゃいまんぞくに あらずや.
豈 今者已満足に 非ずや.

いとは けんちょう 5ねん 4がつ 28にちに はじめて となえ いだすところの だいもくを さして いと こころう べきなり.
已とは 建長 五年 四月 廿八日に 初めて 唱え 出す 処の 題目を 指して 已と 意得 可きなり.

みょうほうの だいりょうやくを もって いっさいしゅじょうの むみょうのたいびょうを じせん こと うたがい なきなり.
妙法の 大良薬を 以て 一切衆生の 無明の 大病を 治せん 事 疑い 無きなり.

これを おもいやる ときんば まんぞく なり.
此れを 思い遣る 時んば 満足 なり.

まんぞくとは じょうぶつと いう ことなり.
満足とは 成仏と 云う 事なり.

しゃくに いわく 「えんは えんゆう えんまんに なづけ とんは とんごく とんそくに なづく」 と.
釈に 云く 「円は 円融 円満に 名け 頓は 頓極 頓足に 名く」 と.

これを おもうべし うんぬん.
之を 思う可し 云云.

だいしち おしょぼさつちゅう しょうじきしゃほうべんの こと.
第七 於諸菩薩中 正直捨方便の 事.

もんぐの 4に いわく.
文句の 四に 云く.

おしょぼさつちゅうの しもの さんくは ただしく じつを あらわす なり.
於諸菩薩中の 下の 三句は 正しく 実を 顕す なり.

5じょうは これ きょくにして ちょくに あらず.
五乗は 是れ 曲にして 直に 非ず.

つうべつは へんぼうにして しょうに あらず.
通別は 偏傍にして 正に 非ず.

いま みな かの へんきょくを すてて ただ しょうじきの いちどうを とくなりと.
今 皆 彼の 偏曲を 捨てて 但 正直の 一道を 説くなりと.

→a720

b721

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

この ぼさつとは 9かいの だい9に こしたる ぼさつ なり.
此の 菩薩とは 九界の 第九に 居したる 菩薩 なり.

また いっさいしゅじょうを ぼさつと いうなり.
又 一切衆生を 菩薩と 云うなり.

いま にちれんとうの たぐい なり.
今 日蓮 等の 類い なり.

また しょてんぜんじん とうも これ ぼさつ なり.
又 諸天善神 等 迄も 是れ 菩薩 なり.

しょうじきとは ぼんのうそくぼだい しょうじそくねはん なり.
正直とは 煩悩即菩提 生死即涅槃 なり.

さて いちどうとは なんみょうほうれんげきょう なり.
さて 一道とは 南無妙法蓮華経 なり.

いま まっぽうにして しょうじきの いちどうを ひろむる ものは にちれん とうの たぐいに あらずや.
今 末法にして 正直の 一道を 弘むる 者は 日蓮 等の 類いに 非ずや.

だい8 とうらいせあくにん もんぶっせついちじょう めいわくふしんじゅ はほうだあくどうの こと.
第八 当来世悪人 聞仏説一乗 迷惑不信受 破法堕悪道の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

とうらいせとは まっぽう なり.
当来世とは 末法 なり.

あくにんとは ほうねん こうぼう じかく ちしょう とう なり.
悪人とは 法然 弘法 慈覚 智証 等 なり.

ほとけとは にちれん とうの たぐい なり.
仏とは 日蓮 等の 類い なり.

いちじょうとは みょうほうれんげきょう なり.
一乗とは 妙法蓮華経 なり.

ふしんの ゆえに さんあくどうに だす べきなり.
不信の 故に 三悪道に 堕す 可きなり.

(以下、御義口伝上の平仮名訳を省略します)

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