b752から760.
御義口伝 下 (おんぎくでん げ).
日蓮大聖人 56歳 (執筆 日興).

 

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おんぎくでん かん げ.
御義口伝 巻 下.

にちれん しょりゅう じゅりょうほん より かいけつ 2きょう.
日蓮 所立 自 寿量品 至 開結 二経.

じゅりょうほん 27この だいじ.
寿量品 廿七箇の 大事.

だい1 なんみょうほうれんげきょうにょらい じゅりょうほん だい16の こと.
第一 南無妙法蓮華経如来 寿量品 第十六の 事.

もんぐの 9に いわく.
文句の 九に 云く.

にょらいとは じっぽう さんぜの しょぶつ 2ぶつ 3ぶつ ほんぶつ しゃくぶつの つうごう なり.
如来とは 十方 三世の 諸仏 二仏 三仏 本仏 迹仏の 通号 なり.

べっしては ほんち 3ぶつの べつごう なり.
別しては 本地 三仏の 別号 なり.

じゅりょうとは せんりょう なり.
寿量とは 詮量 なり.

じっぽう さんぜ 2ぶつ 3ぶつの しょぶつの くどくを せんりょう す.
十方 三世 二仏 三仏の 諸仏の 功徳を 詮量 す.

ゆえに じゅりょうほんと いうと.
故に 寿量品と 云うと.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

この ほんの だいもくは にちれんが みに あたる だいじ なり.
此の 品の 題目は 日蓮が 身に 当る 大事 なり.

じんりきほんの ふぞく これなり.
神力品の 付属 是なり.

にょらいとは しゃくそん そうじては じっぽう さんぜの しょぶつ なり.
如来とは 釈尊 惣じては 十方 三世の 諸仏 なり.

べっしては ほんち むさの さんじん なり.
別しては 本地 無作の 三身 なり.

いま にちれん とうの たぐいの こころは そうじては にょらいとは いっさいしゅじょう なり.
今 日蓮 等の 類いの 意は 惣じては 如来とは 一切衆生 なり.

べっしては にちれんの でし だんな なり.
別しては 日蓮の 弟子 檀那 なり.

されば むさの さんじんとは まっぽうの ほけきょうの ぎょうじゃ なり.
されば 無作の 三身とは 末法の 法華経の 行者 なり.

むさの さんじんの ほうごうを なんみょうほうれんげきょうと いうなり.
無作の 三身の 宝号を 南無妙法蓮華経と 云うなり.

じゅうりょうほんの じの さんだいじとは これなり.
寿量品の 事の 三大事とは 是なり.

6そくの はいりゅうの ときは この ほんの にょらいは りそくの ぼんぷ なり.
六即の 配立の 時は 此の 品の 如来は 理即の 凡夫 なり.

こうべに なんみょうほうれんげきょうを ちょうだいし たてまつる とき みょうじそく なり.
頭に 南無妙法蓮華経を 頂戴し 奉る 時 名字即 なり.

その ゆえは はじめて きく ところの だいもく なるが ゆえなり.
其の 故は 始めて 聞く 所の 題目 なるが 故なり.

きき たてまつりて しゅぎょう するは かんぎょうそく なり.
聞き 奉りて 修行 するは 観行即 なり.

この かんぎょうそくとは じの いちねん3000の ほんぞんを かんずる なり.
観行即とは 事の 一念三千の 本尊を 観ずる なり.

さて わくしょうを ぶくするを そうじそくと いうなり.
さて 惑障を 伏するを 相似即と 云うなり.

けたに いずるを ふんしんそくと いうなり.
化他に 出づるを 分真即と 云うなり.

むさの さんじんの ほとけ なりと くきょう したるを くきょうそくの ほとけとは いうなり.
無作の 三身の 仏 なりと 究竟 したるを 究竟即の 仏とは 云うなり.

そうじて ふくわくを もって じゅりょうほんの ごくと せず.
惣じて 伏惑を 以て 寿量品の 極と せず.

ただ ぼんぷの とうたい ほんぬの ままを この ほんの ごくりと こころう べきなり.
唯 凡夫の 当体 本有の 儘を 此の 品の 極理と 心得 可きなり.

むさの さんじんの しょさは なにものぞと いうとき なんみょうほうれんげきょう なり うんぬん.
無作の 三身の 所作は 何物ぞと 云う時 南無妙法蓮華経 なり 云云.

だい2 にょらいひみつ じんつうしりきの こと.
第二 如来秘密 神通之力の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

むささんじんの えもん なり.
無作三身の 依文 なり.

この もんに おいて じゅうじゅうの そうでん これあり.
此の 文に 於て 重重の 相伝 之有り.

じんつうしきりとは われら しゅじょうの ささほつほつと ふるまう ところを じんつうと いうなり.
神通之力とは 我等 衆生の 作作発発と 振舞う 処を 神通と 云うなり.

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ごくそつの ざいにんを かしゃく する こえも みな じんつうしりき なり.
獄卒の 罪人を 苛責 する 音も 皆 神通之力 なり.

しょうじゅういめつの しんら3000の とうたい ことごとく じんつうしりきの たい なり.
生住異滅の 森羅三千の 当体 悉く 神通之力の 体 なり.

いま にちれん とうの たぐいの こころは そくしんじょうぶつと かいかく するを にょらいひみつじんつうしりきとは いうなり.
今 日蓮 等の 類いの 意は 即身成仏と 開覚 するを 如来秘密神通之力とは 云うなり.

じょうぶつ するより ほかの じんつうと ひみつとは これ なきなり.
成仏 するより 外の 神通と 秘密とは 之れ 無きなり.

この むさの さんじんをば いちじを もって えたり.
此の 無作の 三身をば 一字を 以て 得たり.

いわゆる しんの いちじ なり.
所謂 信の 一字 なり.

よって きょうに いわく 「がとうとうしんじゅぶっご」と しんじゅの にじに こころを とどむ べきなり.
仍つて 経に 云く 「我等当信受仏語」と 信受の 二字に 意を 留む 可きなり.

だいさん がじつじょうぶついらい むりょうむへんとうの こと.
第三 我実成仏已来 無量無辺等の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

がじつ とは しゃくそんの くおんじつじょうどう なりと いうことを とかれたり.
我実 とは 釈尊の 久遠実成道 なりと 云う事を 説かれたり.

しかりと いえども とうほんの こころは が とは ほうかいの しゅじょう なり.
然りと 雖も 当品の 意は 我 とは 法界の 衆生 なり.

じっかい ここを さして がと いうなり.
十界 己己を 指して 我と 云うなり.

じつ とは むささんじんの ほとけ なりと さだめたり.
実 とは 無作三身の 仏 なりと 定めたり.

これを じつと いうなり.
此れを 実と 云うなり.

じょうとは のうじょう しょじょう なり.
成とは 能成 所成 なり.

じょうは ひらく ぎ なり.
成は 開く 義 なり.

ほうかい むさの さんじんの ほとけ なりと ひらきたり.
法界 無作の 三身の 仏 なりと 開きたり.

ほとけ とは これを かくち するを いうなり.
仏 とは 此れを 覚知 するを 云うなり.

い とは かこ なり.
已 とは 過去 なり.

らい とは みらい なり.
来 とは 未来 なり.

いらいの ことばの なかに げんざいは あるなり.
已来の 言の 中に 現在は 有るなり.

がじつと ひらけたる ほとけにして いも らいも むりょう なり むへん なり.
我実と 成けたる 仏にして 已も 来も 無量 なり 無辺 なり.

100かいせんにょ いちねん3000と とかれたり.
百界千如 一念三千と 説かれたり.

ひゃくせんの 2じは 100は ひゃっかい 1000は せんにょ なり.
百千の 二字は 百は 百界 千は 千如 なり.

これ すなわち じの いちねん3000 なり.
此れ 即ち 事の 一念三千 なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ものは じゅりょうほんの ほんしゅ なり.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 者は 寿量品の 本主 なり.

そうじては しゃっけの ぼさつ この ほんに てを つけ いろうべきに あらざる ものなり.
惣じては 迹化の 菩薩 此の 品に 手を つけ いろうべきに 非ざる 者なり.

かれは しゃくひょう ほんり これは ほんめん しゃくり.
彼は 迹表 本裏 此れは 本面 迹裏.

しかりと いえども しかも とうほんは まっぽうの ようほうに あらざるか.
然りと 雖も 而も 当品は 末法の 要法に 非ざるか.

その ゆえは この ほんは ざいせの だっちゃく なり.
其の 故は 此の 品は 在世の 脱益 なり.

だいもくの 5じ ばかり とうこんの げしゅ なり.
題目の 五字 計り 当今の 下種 なり.

しかれば ざいせは だっちゃく めつごは げしゅ なり.
然れば 在世は 脱益 滅後は 下種 なり.

よって げしゅを もって まっぽうの せんと なす うんぬん.
仍て 下種を 以て 末法の 詮と 為す 云云.

だい4 にょらいにょじつちけん さんがいそうむうしょうじの こと.
第四 如来如実知見 三界之相無有生死の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

にょらいとは さんがいの しゅじょう なり.
如来とは 三界の 衆生 なり.

この しゅじょうを じゅりょうほんの まなこ あけて みれば じっかいほんぬと じつの ごとく ちけん せり.
此の 衆生を 寿量品の 眼 開けて みれば 十界本有と 実の 如く 知見 せり.

さんがいしそうとは しょうろうびょうし なり.
三界之相とは 生老病死 なり.

ほんぬの しょうじと みれば むうしょうじ なり.
本有の 生死と みれば 無有生死 なり.

しょうじ なければ たいしゅつも なし.
生死 無ければ 退出も 無し.

ただ しょうじ なきに あらざる なり.
唯 生死 無きに 非ざる なり.

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しょうじを みて えんり するを めいと いい しかくと いうなり.
生死を 見て 厭離 するを 迷と 云い 始覚と 云うなり.

さて ほんぬの しょうじと ちけん するを ご といい ほんがく というなり.
さて 本有の 生死と 知見 するを 悟 と云い 本覚 と云うなり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる とき.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 時.

ほんぬの しょうじ ほんぬの たいしゅつと かいかく するなり.
本有の 生死 本有の 退出と 開覚 するなり.

また いわく むも うも しょうも しも にゃくたいも にゃくしゅつも ざいせも めつごも.
又 云く 無も 有も 生も 死も 若退も 若出も 在世も 滅後も.

ことごとく みな ほんぬじょうじゅうの ふるまい なり.
悉く 皆 本有常住の 振舞 なり.

む とは ほうかい どうじに みょうほうれんげきょうの ふるまい より ほかは なきなり.
無 とは 法界 同時に 妙法蓮華経の 振舞 より 外は 無きなり.

う とは じごくは じごくの ありの まま じっかいほんぬの みょうほうの ぜんたい なり.
有 とは 地獄は 地獄の 有の 儘 十界本有の 妙法の 全体 なり.

しょう とは みょうほうの しょう なれば ずいえん なり.
生 とは 妙法の 生 なれば 随縁 なり.

し とは じゅりょうの し なれば ほうかい どうじに しんにょ なり.
死 とは 寿量の 死 なれば 法界 同時に 真如 なり.

にゃくたい ゆえに めつご なり.
若退の 故に 滅後 なり.

にゃくしゅつの ゆえに ざいせ なり.
若出の 故に 在世 なり.

されば むしたいめつは くう なり.
されば 無死退滅は 空 なり.

うしょう しゅつざいは け なり.
有生 出在は 仮 なり.

にょらいにょじつは ちゅうどう なり.
如来如実は 中道 なり.

むしたいめつは むさの ほうしん なり.
無死退滅は 無作の 報身 なり.

ざいしょうしゅつざいは むさの おうじん なり.
有生出在は 無作の 応身 なり.

にょらいにょじつは むさの ほっしん なり.
如来如実は 無作の 法身 なり.

この さんじんは わが いっしん なり.
此の 三身は 我が 一身 なり.

いっしんそくさんじん みょういひ とは これなり.
一身即三身 名為秘 とは 是なり.

さんじんそくいっしん みょういみつも この こころ なり.
三身即一身 名為密も 此の 意 なり.

しからば むさの さんじんの とうたいの れんげの ほとけとは にちれんが でし だんな とう なり.
然らば 無作の 三身の 当体の 蓮華の 仏とは 日蓮が 弟子 檀那 等 なり.

なんみょうほうれんげきょうの ほうごうを たもち たてまつる ゆえなり うんぬん.
南無妙法蓮華経の 宝号を 持ち 奉る 故なり 云云.

だい5 だいご にゃくぶつくじゅうおせ はくとくしにん ふしゅぜんこん びんぐげせん とんじゃくごよく にゅうおおくそう もうけんもうちゅうの こと.
第五 若仏久住於世 薄徳之人 不種善根 貧窮下賤 貪著五欲 入於憶想 妄見網中の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

この きょうもんは ほとけ よに くじゅうし たまわば.
此の 経文は 仏 世に 久住し たまわば.

はくとくの ひとは ぜんこんを うゆ べからず.
薄徳の 人は 善根を 殖ゆ 可からず.

しかる あいだ もうけんもうちゅうと とかれたり.
然る 間 妄見網中と 説かれたり.

しょせん この はくとくとは ざいせに もれたる しゅじょう いま めつご にほんこくに うまれたり.
所詮 此の 薄徳とは 在世に 漏れたる 衆生 今 滅後 日本国に 生れたり.

いわゆる ねんぶつ ぜん しんごん とうの ほうぼう なり.
所謂 念仏 禅 真言 等の 謗法 なり.

ふしゅぜんこんとは ぜんこんは だいもく なり.
不種善根とは 善根は 題目 なり.

ふしゅとは いまだ たもたざる ものなり.
不種とは 未だ 持たざる 者なり.

おくそうとは しゃへいかくほう だい3の れつ とう かくの ごときのおくそう なり.
憶想とは 捨閉閣抛 第三の 劣 等 此くの 如きの 憶想 なり.

もうとは ごんきょう もうごの きょうぎょう なり.
妄とは 権教 妄語の 経教 なり.

けんは じゃけん なり.
見は 邪見 なり.

ほけきょう さいだいいちの 1を だい3と みるが じゃけん なり.
法華 最第一の 一を 第三と 見るが 邪見 なり.

もうちゅうとは ほうぼう ふしんの いえ なり.
網中とは 謗法 不信の 家 なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ものは.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 者は.

かかる もうけんの きょう もうちゅうの いえを はなれたる ものなり うんぬん.
かかる 妄見の 経 網中の 家を 離れたる 者なり 云云.

だい6 おんたどくやく やくほつもんらん えんでんうじの こと.
第六 飲他毒薬 薬発悶乱 宛転于地の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

たとは ねんぶつ ぜん しんごんの ほうぼうの びく なり.
他とは 念仏 禅 真言の 謗法の 比丘 なり.

どくやくとは ごんきょう ほうべん なり.
毒薬とは 権教 方便 なり.

ほっけの りょうやくに あらず.
法華の 良薬に 非ず.

ゆえに もんらん するなり.
故に 悶乱 するなり.

もんとは いきたゆる なり.
悶とは いきたゆる なり.

じゅりょうほんの いのち なきが ゆえに もんらん するなり.
寿量品の 命 なきが 故に 悶乱 するなり.

えんでんうじとは あびごくへ いるなり うんぬん.
宛転于地とは 阿鼻地獄へ 入るなり 云云.

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しょしおんどくの ことは しゃくに いわく.
諸子飲毒の 事は 釈に 云く.

「じゃしの ほうを しんじゅ するを なづけて おんどくと なす」 と.
「邪師の 法を 信受 するを 名けて 飲毒と 為す」 と.

しょしとは ほうぼう なり.
諸子とは 謗法 なり.

おんどくとは みだ だいにち とうの ごんぽう なり.
飲毒とは 弥陀 大日 等の 権法 なり.

いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるは どくを のまざる なり.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉るは 毒を 飲まざる なり.

だいしち わくしつほんしん わくふしっしゃの こと.
第七 或失本心 或不失者の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

ほんしんを うしなうとは ほうぼう なり.
本心を 失うとは 謗法 なり.

ほんしんとは げしゅ なり.
本心とは 下種 なり.

ふしつとは ほけきょうの ぎょうじゃ なり.
不失とは 法華経の 行者 なり.

しつとは もと ある ものを うしなう ことなり.
失とは 本 有る 物を 失う 事なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるは ほんしんを うしなわざる なり うんぬん.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉るは 本心を 失わざる なり 云云.

だい8 とうしわごう よしりょうぶくの こと.
第八 擣シ和合 与子令服の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

この きょうもんは くうけちゅうの さんたい かいじょうえの さんがく なり.
此の 経文は 空仮中の 三諦 戒定慧の 三学 なり.

しきこうみみの りょうやく なり.
色香美味の 良薬 なり.

とうは くうたい なり シは けたい なり.
擣は 空諦 なり シは 仮諦 なり.

わごうは ちゅうどう なり よは じゅよ なり.
和合は 中道 なり 与は 授与 なり.

しは ほっけの ぎょうじゃ なり.
子は 法華の 行者 なり.

ふくすると いうは じゅじの ぎ なり.
服すると 云うは 受持の 義 なり.

これを こだいりょうやく しきこうみみ かいしつぐそくと とかれたり.
是を 此大良薬 色香美味 皆悉具足と 説かれたり.

かいしつの 2じ まんぎょうまんぜん しょはらみつを ぐそく したる.
皆悉の 二字 万行万善 諸波羅蜜を 具足 したる.

だいりょうやく たる なんみょうほうれんげきょう なり.
大良薬 たる 南無妙法蓮華経 なり.

しきこう とうとは いっしきいっこう むひちゅうどうにして そうもくじょうぶつ なり.
色香 等とは 一色一香 無非中道にして 草木成仏 なり.

されば だいもくの 5じに いっぽうとして ぐそく せずと いうこと なし.
されば 題目の 五字に 一法として 具足 せずと 云う 事なし.

もし ふくする ものは そくじょ くのう なり.
若し 服する 者は 速除 苦悩 なり.

されば みょうほうの だいりょうやくを ふくするは とんじんちの 3どくの ぼんのうの びょうげんを のぞく なり.
されば 妙法の 大良薬を 服するは 貪瞋癡の 三毒の 煩悩の 病患を 除く なり.

ほっけの ぎょうじゃ なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ものは.
法華の 行者 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 者は.

ほうぼうの くようを うけざるは とんよくの やまいを のぞく なり.
謗法の 供養を 受けざるは 貪欲の 病を 除く なり.

ほっけの ぎょうじゃは めり せらるれども にんにくを ぎょうずるは しんにの やまいを のぞく なり.
法華の 行者は 罵詈 せらるれども 忍辱を 行ずるは 瞋恚の 病を 除く なり.

ほけきょうの ぎょうじゃは ぜにんおぶつどう けつじょうむうぎと じょうぶつを しるは ぐちの ぼんのうを じする なり.
法華経の 行者は 是人於仏道 決定無有疑と 成仏を 知るは 愚癡の 煩悩を 治する なり.

されば だいりょうやくは まっぽうの じょうぶつの かんろ なり.
されば 大良薬は 末法の 成仏の 甘露 なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるは だいりょうやくの ほんしゅ なり.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉るは 大良薬の 本主 なり.

だい9 どっけじんにゅう しっぽんしんこの こと.
第九 毒気深入 失本心故の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

どっけじんにゅうとは ごんきょう ほうぼうの しゅうじょう ふかく いりたる ものなり.
毒気深入とは 権教 謗法の 執情 深く 入りたる 者なり.

これに よって ほっけの だいりょうやくを しんじゅ せざるなり.
之に 依つて 法華の 大良薬を 信受 せざるなり.

ふくせしむると いえども はき いだすは にいふみとて うまからずと いう ものなり.
服せしむると 雖も 吐き 出だすは 而謂不美とて むまからずと 云う 者なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるは にいふみの ものに あらざる なり.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉るは 而謂不美の 者に 非ざる なり.

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だい10 ぜこうりょうやく こんるざいし にょかしゅぶく もつうふさいの こと.
第十 是好良薬 今留在此 汝可取服 勿憂不差の 事.

おんぎくでんに いわく ぜこうりょうやくとは あるいは きょうぎょう あるいは しゃり なり.
御義口伝に 云く 是好良薬とは 或は 経教 或は 舎利 なり.

さて まっぽうにては なんみょうほうれんげきょう なり.
さて 末法にては 南無妙法蓮華経 なり.

こうとは さんぜしょぶつの このみ ものは だいもくの 5じ なり.
好とは 三世諸仏の 好み 物は 題目の 五字 なり.

こんるとは まっぽう なり しとは いちえんぶだいの なかには にほんこく なり.
今留とは 末法 なり 此 とは 一閻浮提の 中には 日本国 なり.

にょとは まっぽうの いっさいしゅじょう なり.
汝とは 末法の 一切衆生 なり.

しゅは ほけきょうを じゅじ するときの ぎしき なり.
取は 法華経を 受持 する 時の 儀式 なり.

ふくするとは となえ たてまつる ことなり.
服するとは 唱え 奉る 事なり.

ふくする より むさの さんじん なり.
服する より 無作の 三身 なり.

しじょうしょうかくの びょうげん いゆる なり.
始成正覚の 病患 差る なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる これなり.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 是なり.

だい11 じがとくぶつらいの こと.
第十一 自我得仏来の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

いっくさんじんの ならいの もんと いうなり.
一句三身の 習いの 文と 云うなり.

じとは 9かい なり がとは ぶっかい なり.
自とは 九界 なり 我とは 仏界 なり.

この じっかいは ほんぬ むさのさんじんにして きたる ほとけ なりと いえり.
此の 十界は 本有 無作の三身にして 来る 仏 なりと 云えり.

じも がも えたる ほとけ きたれり.
自も 我も 得たる 仏 来れり.

じっかいほんぬの みょうもん なり.
十界本有の 明文 なり.

がは ほっしん ぶつは ほうしん らいは おうじん なり.
我は 法身 仏は 報身 来は 応身 なり.

この さんじん むしむしゅうの こぶつにして じとく なり.
此の 三身 無始無終の 古仏にして 自得 なり.

むじょうほうじゅ ふぐじとく これを おもうべし.
無上宝聚 不求自得 之を 思う可し.

しからば すなわち けんぽんおんじゅの せつは ながく しょきょうに たえたり.
然らば 即ち 顕本遠寿の 説は 永く 諸教に 絶えたり.

いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるは じがとくぶつらいの ぎょうじゃ なり うんぬん.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉るは 自我得仏来の 行者 なり 云云.

だい12 いどしゅじょうこ ほうべんげんねはんの こと.
第十二 為度衆生故 方便現涅槃の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

ねはんぎょうは ほけきょう より いでたりと いう きょうもん なり.
涅槃経は 法華経 より 出でたりと 云う 経文 なり.

すでに ほうべんと とかれたり うんぬん.
既に 方便と 説かれたり 云云.

だい13 じょうじゅうしせっぽうの こと.
第十三 常住此説法の 事.

おんぎくでんに いわく じょうじゅうとは ほけきょうの ぎょうじゃの じゅうしょ なり.
御義口伝に 云く 常住とは 法華経の 行者の 住処 なり.

し とは しゃばせかい なり.
此 とは 娑婆世界 なり.

せんごく こうやを さして し とは とき たもう.
山谷 曠野を 指して 此 とは 説き 給う.

せっぽうとは いっさいしゅじょうの ごごんの おんじょうが ほんぬの じじゅゆうちの せっぽう なり.
説法とは 一切衆生の 語言の 音声が 本有の 自受用智の 説法 なり.

まっぽうに いって せっぽうとは なんみょうほうれんげきょう なり.
末法に 入つて 説法とは 南無妙法蓮華経 なり.

いま にちれんとうの たぐいの せっぽう これなり.
今 日蓮 等の 類いの 説法 是なり.

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だい14 じがぎゅうしゅそう くしゅつりょうじゅせんの こと.
第十四 時我及衆僧 倶出霊鷲山の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

りょうぜんいちえ げんねんみさんの もん なり.
霊山一会 儼然未散の 文 なり.

じ とは かんのう まっぽうの とき なり.
時 とは 感応 末法の 時 なり.

が とは しゃくそん ぎゅうとは ぼさつ しょうしゅうを しゅそうと とかれたり.
我 とは 釈尊 及とは 菩薩 聖衆を 衆僧と 説かれたり.

ぐ とは じっかい なり りょうじゅせんとは じゃっこうど なり.
倶 とは 十界 なり 霊鷲山とは 寂光土 なり.

じに がも ぎゅうも しゅそうも ともに りょうじゅせんに いずるなり.
時に 我も 及も 衆僧も 倶に 霊鷲山に 出ずるなり.

ひすべし ひすべし.
秘す可し 秘す可し.

ほんもん じの いちねん3000の みょうもん なり.
本門 事の 一念三千の 明文 なり.


ごほんぞんは この もんを あらわし いだし たもうなり.
御本尊は 此の 文を 顕し 出だし 給うなり.

されば くとは ふへんしんにょの り なり.
されば 倶とは 不変真如の 理 なり.

しゅつとは ずいえん しんにょの ち なり.
出とは 随縁真如の 智 なり.

くとは いちねん なり しゅつとは 3000 なり うんぬん.
倶とは 一念 なり 出とは 三千 なり 云云.

また いわく じとは ほんじ しゃばせかいの じ なり.
又 云く 時とは 本時 娑婆世界の 時 なり.

しもは じっかい おんねの まんだらを あらわす もん なり.
下は 十界 宛然の 曼陀羅を 顕す 文 なり.

その ゆえは じとは まっぽう だい5じの とき なり.
其の 故は 時とは 末法 第五時の 時 なり.

がとは しゃくそん ぎゅうは ぼさつ しゅそうは にじょう くとは 6どう なり.
我とは 釈尊 及は 菩薩 衆僧は 二乗 倶とは 六道 なり.

しゅつとは りょうぜんじょうどに れっしゅつ するなり.
出とは 霊山浄土に 列出 するなり.

りょうぜんとは ごほんぞん ならびに にちれん とうの たぐい.
霊山とは 御本尊 並びに 日蓮 等の 類い.

なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ものの じゅうしょを とくなり うんぬん.
南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 者の 住所を 説くなり 云云.

だい15 しゅじょうけんこうじん ○ にしゅけんしょうじんの こと.
第十五 衆生見劫尽 ○ 而衆見焼尽の事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

ほんもんじゅりょうの いちねん3000を じゅする もん なり.
本門寿量の 一念三千を 頌する 文 なり.

たいかしょうしょうじとは じつぎには ぼんのうの だいか なり.
大火所焼時とは 実義には 煩悩の 大火 なり.

がしどあんのんとは こくどせけん なり.
我此土安穏とは 国土世間 なり.

しゅじょうしょゆうらくとは しゅじょうせけん なり.
衆生所遊楽とは 衆生世間 なり.

ほうじゅたけかとは 5おんせけん なり.
宝樹多華菓とは 五陰世間 なり.

これ すなわち いちねん3000を ふんみょうに とかれたり.
是れ 即ち 一念三千を 分明に 説かれたり.

また いわく かみの けんの くだんは じっかい なり.
又 云く 上の 件の 文は 十界 なり.

たいかとは じごくかい なり てんくとは ちくしょう なり.
大火とは 地獄界 なり 天鼓とは 畜生 なり.

にんと てんとは にんてんの にかい なり.
人と 天とは 人天の 二界 なり.

てんと にんと つねに じゅうまん するなり.
天と 人と 常に 充満 するなり.

うまんだらけとは しょうもんかい なり おんりんとは えんかくかい なり.
雨曼陀羅華とは 声聞界 なり 園林とは 縁覚界 なり.

ぼさつかいとは ぎょうの いちじ なり ぶっかいとは さんぶつ なり.
菩薩界とは 及の 一字 なり 仏界とは 散仏 なり.

しゅらと がきかいとは うふしょくのう にょぜしつじゅうまんの くに せっする なり.
修羅と 餓鬼界とは 憂怖諸苦悩 如是悉充満の 句に 摂する なり.

これらを ぜしょざいしゅじょうと とかれたり.
此等を 是諸罪衆生と 説かれたり.

しかりと いえども この じゅりょうほんの せつ あらわれては そっかいけんがしんとて いちねん3000 なり.
然りと 雖も 此の 寿量品の 説 顕われては 則皆見我身とて 一念三千 なり.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる もの これなり うんぬん.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 者 是なり 云云.

だい16 がやくいせぶの こと.
第十六 我亦為世父の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

がとは しゃくそん いっさいしゅじょうの ちち なり.
我とは 釈尊 一切衆生の 父 なり.

しゅししんに おいて ほとけに やくし きょうに やくす.
主師親に 於て 仏に 約し 経に 約す.

ほとけに やくすとは しゃくもんの ほとけの さんとくは こんしの さんがいの もん これなり.
仏に 約すとは 迹門の 仏の 三徳は 今此三界の 文 是なり.

ほんもんの ほとけの しゅ し しんの さんとくは しゅの とくは がしどあんのんの もん なり.
本門の 仏の 主 師 親の 三徳は 主の 徳は 我此土安穏の 文 なり.

しの とくは じょうせっぽうきょうけの もん なり.
師の 徳は 常説法教化の 文 なり.

おやの とくは この がやくいせぶの もん これなり.
親の 徳は 此の 我亦為世父の 文 是なり.

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みょうらくだいしは じゅりょうほんの もんを しらざる ものは ふちおんの ちくしょうと しゃくし たまえり.
妙楽大師は 寿量品の 文を 知らざる 者は 不知恩の 畜生と 釈し 給えり.

きょうに やくすれば しょきょうちゅうおうは しゅの とく なり.
経に 約すれば 諸経中王は 主の 徳 なり.

のうぐいっさいしゅじょうは しの とく なり.
能救一切衆生は 師の 徳 なり.

また にょだいぼんてんのう いっさいしゅじょうしふ もんは ちちの とく なり.
又 如大梵天王 一切衆生之父の 文は 父の 徳 なり.

いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ものは いっさいしゅじょうの ちち なり.
今 日蓮等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 者は 一切衆生の 父 なり.

むけんじごくの くを すくう ゆえなり うんぬん.
無間地獄の 苦を 救う 故なり 云云.

ねはんぎょうに いわく.
涅槃経に 云く.

「いっさいしゅじょうの いの くを うくるは ことごとく これ にょらい いちにんの く」と うんぬん.
「一切衆生の 異の 苦を 受くるは 悉く 是れ 如来 一人の 苦」と 云云.

にちれんが いわく いっさいしゅじょうの いの くを うくるは ことごとく これ にちれん いちにんの く なるべし.
日蓮が 云く 一切衆生の 異の 苦を 受くるは 悉く 是れ 日蓮 一人の 苦 なるべし.

だい17 ほういつじゃくごよく だおあくどうちゅうの こと.
第十七 放逸著五欲 堕於悪道中の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

ほういつとは ほうぼうの な なり.
放逸とは 謗法の 名 なり.

にゅうあびじごく うたがい なき ものなり.
入阿鼻獄 疑 無き 者なり.

いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ものは この きょうもんを めんりせり うんぬん.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 者は 此の 経文を 免離せり 云云.

だい18 ぎょうどうふぎょうどうの こと.
第十八 行道不行道の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

じっかいの しゅじょうの ことを とくなり.
十界の 衆生の 事を 説くなり.

ぎょうどうは ししょう ふぎょうどうは 6どう なり.
行道は 四聖 不行道は 六道 なり.

また いわく ぎょうどうは しゅら にんてん ふぎょうどうは さんあくどう なり.
又 云く 行道は 修羅 人天 不行道は 三悪道 なり.

いわゆる まっぽうに いっては ほっけの ぎょうじゃは ぎょうどう なり.
所詮 末法に 入つては 法華の 行者は 行道 なり.

ほうぼうの ものは ふぎょうどう なり.
謗法の 者は 不行道 なり.

どうとは ほけきょう なり.
道とは 法華経 なり.

てんだい いわく 「ぶつどうとは べっして いまの きょうを さす」と.
天台 云く 「仏道とは 別して 今の 経を 指す」と.

いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるは ぎょうどう なり.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉るは 行道 なり.

となえざるは ふぎょうどう なり うんぬん.
唱えざるは 不行道 なり 云云.

だい19 まいじさぜねんの こと.
第十九 毎自作是念の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

まいとは さんぜ なり.
毎とは 三世 なり.

じとは べっしては しゃくそん そうじては じっかい なり.
自とは 別しては 釈尊 惣じては 十界 なり.

ぜねんとは むさほんぬの なんみょうほうれんげきょうの いちねん なり.
是念とは 無作本有の 南無妙法蓮華経の 一念 なり.

さとは この さは うさの さに あらず.
作とは 此の 作は 有作の 作に 非ず.

むさほんぬの さ なり うんぬん.
無作本有の 作 なり 云云.

ひろく じっかいほんぬに やくして いわば じとは ばんぽう ここの とうたい なり.
広く 十界本有に 約して 云わば 自とは 万法 己己の 当体 なり.

ぜねんとは じごくの かしゃくの おと そのほか いっさいしゅじょうの ねんねん.
是念とは 地獄の 呵責の 音 其の外 一切衆生の 念念.

みな これ じじゅゆうほうしんの ち なり.
皆 是れ 自受用報身の 智 なり.

これを ねんとは いうなり.
是を 念とは 云うなり.

いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ねんは だいじひの ねん なり うんぬん.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 念は 大慈悲の 念なり 云云.

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だい20 とくにゅうむじょうどう とうの こと.
第二十 得入無上道 等の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

むじょうどうとは じゅりょうほんの むさの さんじん なり.
無上道とは 寿量品の 無作の 三身 なり.

このほかに じょうじゅぶっしん これなし.
此の 外に 成就仏身 之れ無し.

いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ものは じょうじゅぶっしん うたがい なきなり うんぬん.
今 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 者は 成就仏身 疑 無きなり 云云.

だい21 じがげの こと.
第廿一 自我偈の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

じとは 9かい なり がとは ぶっしん なり.
自とは 九界 なり 我とは 仏身 なり.

げとは ことわる なり.
偈とは ことわる なり.

ほんぬと ことわりたる げじゅ なり.
本有と ことわりたる 偈頌 なり.

ふかく これを あんずべし.
深く 之を 案ず可し.

ことわりようとは なんみょうほうれんげきょう なり うんぬん.
偈様とは 南無妙法蓮華経 なり 云云.

だい22 じがげ しじゅうの こと.
第廿二 自我偈 始終の 事.

おんぎくでんに いわく じ とは はじめ なり.
御義口伝に 云く 自 とは 始 なり.

そくじょうじゅぶっしんの しんは おわり なり.
速成就仏身の 身は 終り なり.

しじゅう じしん なり.
始終 自身 なり.

ちゅうの もんじは じゅゆう なり.
中の 文字は 受用 なり.

よって じがげは じじゅゆうしん なり.
仍つて 自我偈は 自受用身 なり.

ほうかいを じしんと ひらき ほうかい じじゅゆうしん なれば.
法界を 自身と 開き 法界 自受用身 なれば.

じがげに あらずと いうこと なし.
自我偈に 非ずと 云う事 なし.

ほしいままに うけもち いる み とは いちねん3000 なり.
自受用身とは 一念三千 なり.

でんぎょういわく 「いちねん3000 そく じじゅゆうしん.
伝教云く 「一念三千 即 自受用身.

じじゅゆうしんとは そんぎょうを いでたる ほとけと.
自受用身とは 尊形を 出でたる 仏と.

しゅつそんぎょうぶつとは むさの さんじんと いうこと なり」 うんぬん.
出尊形仏とは 無作の 三身と 云う 事なり」 云云.

いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる もの これなり うんぬん.
今 日蓮等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 者 是なり 云云.

だい23 くおんの こと.
第廿三 久遠の 事.

おんぎくでんに いわく この ほんの しょせんは くおんじつじょう なり.
御義口伝に 云く 此の 品の 所詮は 久遠実成 なり.

くおんとは はたらかず つくろわず もとの ままと いう ぎ なり.
久遠とは はたらかさず つくろわず もとの 儘と 云う 義 なり.

むさの さんじん なれば はじめて じょうぜず.
無作の 三身 なれば 初めて 成ぜず.

これ はたらかざる なり.
是れ 働かざる なり.

32そう 80しゅごうを ぐそく せず.
卅二相 八十種好を 具足 せず.

これ つくろわざる なり.
是れ 繕わざる なり.

ほんぬじょうじゅうの ほとけ なれば もとの ままなり.
本有常住の 仏 なれば 本の 儘なり.

これを くおんと いうなり.
是を 久遠と 云うなり.

くおんとは なんみょうほうれんげきょう なり.
久遠とは 南無妙法蓮華経 なり.

じつじょう むさと ひらけたる なり うんぬん.
実成 無作と 開けたる なり 云云.

だい24 この じゅりょうほんの しょけの こくどと しゅぎょうとの こと.
第廿四 此の 寿量品の 所化の 国土と 修行との 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

とうほん るふの こくどとは にほんこく なり.
当品 流布の 国土とは 日本国 なり.

そうじては なんえんぶだい なり.
惣じては 南閻浮提 なり.

しょけとは にほんこくの いっさいしゅじょう なり.
所化とは 日本国の 一切衆生 なり.

しゅぎょうとは むぎわっしんの しんじんの ことなり.
修行とは 無疑曰信の 信心の 事なり.

じゅよの ひととは ほんげ じゆの ぼさつ なり うんぬん.
授与の 人とは 本化 地涌の 菩薩 なり 云云.

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だい25 こんりゅう ごほんぞん とうの こと.
第廿五 建立 御本尊 等の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

この ほんぞんの えもんとは にょらいひみつじんつうしりきの もん なり.
此の 本尊の 依文とは 如来秘密神通之力の 文 なり.

かいじょうえの さんがくは じゅりょうほんの じの さんだいひほう これなり.
戒定慧の 三学は 寿量品の 事の 三大秘法 是れなり.

にちれん たしかに りょうぜんに おいて めんじゅくけつ せしなり.
日蓮 慥に 霊山に 於て 面授口決 せしなり.

ほんぞんとは ほけきょうの ぎょうじゃの いっしんの とうたい なり うんぬん.
本尊とは 法華経の 行者の 一身の 当体 なり 云云.

だい26 じゅりょうほんの たいごうしゅうの こと.
第廿六 寿量品の 対告衆の 事.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

きょうもんは みろくぼさつ なり.
経文は 弥勒菩薩 なり.

しかりと いえども めつごを もとと する ゆえに にほんこくの いっさいしゅじょう なり.
然りと 雖も 滅後を 本と する 故に 日本国の 一切衆生 なり.

なかにも にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる これなり.
中にも 日蓮 等の 類い 南無妙法蓮華経と 唱え 奉る 者 是なり.

みろくとは まっぽう ほっけの ぎょうじゃの ことなり.
弥勒とは 末法 法華の 行者の 事なり.

みろくをば じしと いう.
弥勒をば 慈氏と 云う.

ほっけの ぎょうじゃを さすなり.
法華の 行者を 指すなり.

しょうあんだいし いわく 「いひじょあく そくぜひしん」と.
章安大師 云く 「為彼除悪 即是彼親」と.

これ あに みろくぼさつに あらずや うんぬん.
是れ 豈 弥勒菩薩に 非ずや 云云.

だい27 むささんじんの こと しゅしそんぎょうさまや.
第廿七 無作三身の 事 種子尊形三摩耶.

おんぎくでんに いわく.
御義口伝に 云く.

そんぎょうとは じっかいほんぬの ぎょうぞう なり.
尊形とは 十界本有の 形像 なり.

さまやとは じっかい しょじの もの なり.
三摩耶とは 十界 所持の 物 なり.

しゅしとは しんの いちじ なり.
種子とは 信の 一字 なり.

いわゆる なんみょうほうれんげきょう あらためざるを いうなり.
所謂 南無妙法蓮華経 改めざるを 云うなり.

さまやとは がっしょう なり.
三摩耶とは 合掌 なり.

ひすべし ひすべし うんぬん.
秘す可し 秘す可し 云云.

(以下、御義口伝下巻の平仮名訳を省略します)

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