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清澄寺大衆中(せいちょうじ たいしゅうちゅう).
日蓮大 聖人 55歳御作.

 

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せいちょうじ たいしゅうちゅう.
清澄寺 大衆中.

けんじ にねん しょうがつ 55さい おんさく.
建治 二年 正月 五十五歳 御作.

しんしゅんの けいが じた こうじん こうじん きょねん きたらず いかん.
新春の 慶賀 自他 幸甚 幸甚、去年 来らず 如何.

さだめて しさい あらんか.
定めて 子細 有らんか、.

そもそも さんけいを くわだて そうらわば いせこうの ごぼうに.
抑 参詣を 企て 候わば 伊勢公の 御房に.

じゅうじゅうしんろん ひぞうほうやく にきょうろん とうの しんごんの しょを しゃくよう そうらえ.
十住心論・ 秘蔵宝鑰 二教論 等の 真言の 疏を 借用 候へ、.

かくの ごときは しんごんし ほうきの ゆえに これを もうす.
是くの 如きは 真言師 蜂起の 故に 之を 申す、.

また しかんの だいいち だいに おんずいしん そうらえ.
又 止観の 第一・ 第二・ 御随身 候へ.

とうしゅん ふしょうき なんどや そうらん.
東春・ 輔正記 なんどや 候らん、.

えんちぼうの おんでしに かんちぼうの もちて そうろうなる しゅうようしゅう かしたび そうらえ.
円智房の 御弟子に 観智房の 持ちて 候なる 宗要集 かしたび 候へ、.

それ のみならず ふみの そうろう よしも ひとびと もうし そうらいし なり.
それ のみならず ふみの 候 由も 人人 申し 候いし なり.

そうそうに かえすべきの よし もうさせ たまえ.
早早に 返すべきの よし 申させ 給へ、.

ことしは ことに ぶっぽうの じゃしょう たださる べき としか.
今年は 殊に 仏法の 邪正 たださる べき 年か・.

じょうけんの ごぼう ぎじょうぼうらには もうし たまうべし.
浄顕の 御房・ 義城房等には 申し 給うべし、.

にちれんが たびたび さつがい せられんとし.
日蓮が 度度・ 殺害 せられんとし.
 
ならびに にどまで るざい せられ くびを はねられんと せし ことは.
並びに 二度まで 流罪 せられ 頚を 刎られんと せし 事は.

べつに せけんの とがに そらわず.
別に 世間の 失に 候はず、.

しょうしんの  こくうぞうぼさつ より だいちえを たまわりし こと ありき.
生身の 虚空蔵菩薩 より 大智慧を 給わりし 事 ありき、.

にほん だいいちの ちしゃと なし たまえと もうせし ことを ふびんとや おぼしめしけん.
日本 第一の 智者と なし 給へと 申せし 事を 不便とや 思し食しけん.

みょうじょうの ごとくなる だいほうじゅを たまいて みぎの そでに うけとり そうらいし ゆえに.
明星の 如くなる 大宝珠を 給いて 右の 袖に うけとり 候いし 故に.

いっさいきょうを み そうらい しかば.
一切経を 見 候い しかば.

はっしゅう ならびに いっさいきょうの しょうれつ ほぼ これを しりぬ.
八宗 並びに 一切経の 勝劣 粗 是を 知りぬ、.

そのうえ しんごんしゅうは ほけきょうを うしなう しゅう なり.
其の上 真言宗は 法華経を 失う 宗 なり、.

これは だいじ なり.
是は 大事 なり.

まず じょぶんに ぜんしゅうと ねんぶつしゅうの びゃっけんを せめて みんと おもう.
先ず 序分に 禅宗と 念仏宗の 僻見を 責め て見んと 思ふ、.

その ゆえは がっし かんどの ぶっぽうの じゃしょうは しばらく これを おく.
其の 故は 月氏 漢土の 仏法の 邪正は 且らく 之を 置く.

にほんこくの ほけきょうの せいぎを うしないて ひとりも なく.
日本国の 法華経の 正義を 失うて 一人も なく.

ひとの あくどうに おつる ことは しんごんしゅうが かげの みに したがうが ごとく.
人の 悪道に 堕つる 事は 真言宗が 影の 身に 随うが ごとく.

やまやま てらでら ごとに ほっけしゅうに しんごんしゅうを あいそいて にょほうの ほけきょうに じゅうはちどうを そえ.
山山・ 寺寺 ごとに 法華宗に 真言宗を あひそひて 如法の 法華経に 十八道を そへ.

せんぽうに あみだきょうを くわえ てんだいしゅうの がくしゃの かんちょうを して.
懺法に 阿弥陀経を 加へ 天台宗の 学者の 潅頂を して.

しんごんしゅうを しょうとし ほけきょうを かたわらと せし ほどに.
真言宗を 正とし 法華経を 傍と せし 程に、.

しんごんきょうと もうすは にぜん ごんきょうの うちの けごん はんにゃにも おとれるを.
真言経と 申すは 爾前権教の 内の 華厳・ 般若にも 劣れるを.

じかく こうぼう これに めいわくして あるいは ほけきょうに おなじ.
慈覚・ 弘法 これに 迷惑して 或は 法華経に 同じ.

あるいは すぐれたり なんど もうして ほとけを かいげん するにも.
或は 勝れたり なんど 申して、仏を 開眼 するにも.

ぶつげん だいにちのいん しんごんを もって かいげんくよう するゆえに.
仏眼 大日の 印・ 真言を もつて 開眼供養 するゆへに.

にほんこくの もくえの しょぞう みな むこん むげんの  ものと なりぬ.
日本国の 木画の 諸像 皆 無魂 無眼の 者と なりぬ、.

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けっくは てんま いり かわって だんなを ほろぼす ぶつぞうと なりぬ.
結句は 天魔 入り 替つて 檀那を ほろぼす 仏像と なりぬ.

おうほうの つきんと する これなり.
王法の 尽きんと する これなり、.

この あく しんごん かまくらに きたりて また にほんこくを ほろぼさんと す.
此の 悪 真言 かまくらに 来りて 又 日本国を ほろぼさんと す。.

その うえ ぜんしゅう じょうどしゅう なんどと もうすは また.
其の 上 禅宗・ 浄土宗 なんどと 申すは 又.

いうばかり なき びゃっけんの ものなり.
いうばかり なき 僻見の 者なり、.

これを もうさば かならず にちれんが いのちと なる べしと ぞんち せ しかども.
此れを 申さば 必ず 日蓮が 命と 成る べしと 存知 せ しかども.

こくうぞうぼさつの ごおんを ほうぜんが ために.
虚空蔵菩薩の 御恩を ほうぜんが ために.

けんちょう 5ねん しがつ 28にち あわのくに とうじょうのごう.
建長 五年 四月 二十八日 安房の国 東条の郷.

せいちょうじ どうぜんのぼう じぶつどうの なんめんに して.
清澄寺 道善の房 持仏堂の 南面に して.

じょうえんぼうと もうす もの ならびに しょうしょうの たいしゅうに これを もうし はじめて.
浄円房と 申す 者 並びに 少少の 大衆に これを 申し はじめて.

その のち じゅうよねんが あいだ たいてん なく もうす.
其の 後に 二十余年が間・ 退転 なく 申す、.

あるいは ところを おいだされ あるいは るざい とう.
或は 所を 追い出され 或は 流罪 等、.

むかしは きく ふきょうぼさつの じょうもく とうを.
昔は 聞く 不軽菩薩の 杖木 等を.

いまは みる にちれんが とうけんに あたる ことを.
今は 見る 日蓮が 刀剣に 当る 事を、.

にほんこくの うち むち じょうげ ばんにんの いわく.
日本国の 有智・ 無智・ 上下・ 万人の 云く.

にちれんほっしは いにしえの ろんし にんし だいし せんとくに すぐる べからずと.
日蓮法師は 古の 論師・ 人師・ 大師・ 先徳に すぐる べからずと、.

にちれん この ふしんを はらさんが ために.
日蓮 この 不審を はらさんが ために.

しょうか ぶんえいの おおじしん だいちょうせいを みて かんがえて いわく.
正嘉・ 文永の 大地震・ 大長星を 見て 勘えて 云く.

わが ちょうに ふたつの だいなん あるべし.
我が 朝に 二つの 大難 あるべし.

いわゆる じかいほんぎゃくなん たこくしんぴつなん なり.
所謂 自界叛逆難・ 他国侵逼難 なり、.

じかいは かまくらに ごんの たゆうどの ごしそん どしうち しゅったい すべし.
自界は 鎌倉に 権の 大夫殿・ 御子孫 どしうち 出来 すべし、.

たこくしんぴつなんは しほう より あるべし.
他国侵逼難は 四方 より あるべし、.

その なかに にし より つよく せむべし.
其の 中に 西 より・ つよく せむべし、.

これ ひとえに ぶっぽうが いっこく こぞりて よこしま なる ゆえに.
是れ 偏に 仏法が 一国 挙りて 邪 なる ゆへに.

ぼんてん たいしゃくの たこくに おおせつけて せめらるる なるべし.
梵天・ 帝釈の 他国に 仰せつけて・ せめらるる なるべし。.

にちれんを だに もちいぬ ほどならば.
日蓮を だに 用いぬ 程ならば.

まさかど すみとも さだとう としひと たむらの ようなる しょうぐん.
将門・ 純友・ 貞任・ 利仁・ 田村の やうなる 将軍・.

ひゃくせんまんにん ありとも かなう べからず.
百千万人 ありとも 叶ふ べからず、.

これ まこと ならずば しんごんと ねんぶつ とうの びゃっけんをば しんずべしと もうし ひろめ そうらいき.
これ まこと ならずば 真言と 念仏 等の 僻見をば 信ずべしと 申し ひろめ 候いき、.

なかんずく きよすみやまの たいしゅうは ふぼにも さんぽうにも おもいを とさせ たまわば.
就中 清澄山の 大衆は 日蓮を 父母にも 三宝にも・ をもひを とさせ 給はば.

こんじょうには びんぐの こつしゃと ならせ たまい.
今生には 貧窮の 乞者と ならせ 給ひ.

ごしょうには むけんじごくに おちさせ たもうべし.
後生には 無間地獄に 堕ちさせ 給うべし・.

ゆえ いかんと ならば  とうじょうさえもんかげのぶが あくにんと して.
故 いかんと なれば 東条左衛門景信が 悪人と して.

せいちょうの かいしし とうを かりとり.
清澄の かいしし 等を かりとり.

ぼうぼうの ほっしとうを ねんぶつしゃの しょじゅうに し なんと せしに.
房房の 法師等を 念仏者の 所従に し・ なんと せしに.

にちれん かたきを なして りょうけの かとうどと なり.
日蓮 敵を なして 領家の かたうどと なり.

きよすみ ふたまの にかの てら とうじょうが かたに つくならば.
清澄・ 二間の 二箇の 寺・ 東条が 方に つくならば.

にちれん ほけきょうを すてんと せいじょうの きしょうを かいて.
日蓮 法華経を すてんと、せいじやうの 起請を かいて.

にちれんが ごほんぞんの てに ゆいつけて いのりて いちねんが うちに.
日蓮が 御本尊の 手に ゆいつけて いのりて 一年が 内に.

りょうでらは とうじょうが てを はなれ そうらいし なり.
両寺は 東条が 手を はなれ 候いし なり、.

このことは こくうぞう ぼさつも いかでか すてさせ たまうべき.
此の 事は 虚空蔵菩薩も いかでか すてさせ 給うべき、.

たいしゅうも にちれんを こころえずに おもわれん ひとびとは.
大衆も 日蓮を 心へずに・ をもはれん 人人は.

てんに すてられ たてまつらざる べしや.
天に すてられ・ たてまつらざる べしや、.

こう もうせば ぐちの ものは われを のろうと もうすべし.
かう 申せば 愚癡の 者は 我を のろうと 申すべし.

ごしょうに むけんじごくに おちんが ふびん なれば もうすなり.
後生に 無間地獄に 堕ちんが 不便なれば 申すなり。.

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りょうけの あまごぜんは にょにん なり.
領家の 尼ごぜんは 女人 なり.

ぐち なれば ひとびとの いいおどせば さこそと ましまし そうらめ.
愚癡 なれば 人人の いひをどせば・ さこそと ましまし 候らめ、.

されども おんを しらぬ ひとと なりて ごしょうに あくどうに おちさせ たまわん ことこそ ふびんに そうらえども.
されども 恩を しらぬ 人と なりて 後生に 悪道に 堕ちさせ 給はん 事 こそ 不便に 候へども.

また ひとつには にちれんが ふぼらに おんを かおらせたる ひと なれば.
又 一つには 日蓮が 父母等に 恩を かほらせたる 人 なれば.

いかにしても ごしょうを たすけ たてまつらんと こそ いのり そうらえ.
いかにしても 後生を たすけ たてまつらんと・ こそ いのり 候へ、.

ほけきょうと もうす おんきょうは べつの ことも そうらわず.
法華経と 申す 御経は 別の 事も 候はず.

われは かこ ごひゃくじんてんごう より さきの ほとけ なり.
我は 過去・ 五百塵点劫 より 先の 仏 なり、.

また しゃりほつらは みらいに ほとけに なるべし と.
又 舎利弗等は 未来に 仏に なるべし と、.

これを しんぜざらん ものは むけんじごくに おつべし.
これを 信ぜざらん 者は 無間地獄に 堕つべし、.

われ のみ こう もうすには あらず.
我 のみ かう 申すには あらず.

たほうぶつも しょうめいし しょぶつも したを いだして こう そうろう.
多宝仏も 証明し 十方の 諸仏も 舌を いだして・ かう 候、.

じゆせんがい もんじゅ かんのん ぼんてん たいしゃく にちがつ してん じゅうらせつ.
地涌千界・ 文殊・ 観音・ 梵天・ 帝釈・ 日月・ 四天・ 十羅刹・.

ほけきょうの ぎょうじゃを しゅごし たまわんと とかれ たり.
法華経の 行者を 守護し 給はんと 説かれ たり、.

されば ほとけに なる みちは べつの ようなし.
されば 仏に なる 道は 別の やうなし.

かこの こと みらいの ことを もうし あてて そうろうが.
過去の 事・ 未来の 事を 申し あてて 候が・.

まことの ほけきょう にては そうろう なり.
まことの 法華経 にては 候 なり。.

にちれんは いまだ つくしを みず えぞ しらず.
日蓮は  いまだ・つくしを 見ず えぞ しらず、.

いっさいきょうを もって かんがえて そうらえば すでに あいぬ.
一切経を もつて 勘へて 候へば・ すでに 値いぬ、.

もし しからば おのおの ふちおんの ひと なれば.
もし・ しからば 各各・ 不知恩の 人 なれば.

むけんじごくに おちた もうべしと もうし そうろうは  たがい そうろう べきか.
無間地獄に 堕ち 給うべしと 申し 候は たがひ 候 べきか、.

いまは よし のちを ごらんぜよ.
今は よし 後を ごらんぜよ.

にほんこくは とうじの いき つしまの ように なり  そうらわん ずるなり.
日本国は 当時の ゆき 対馬の やうに なり 候はん ずるなり、.

その とき あわの くにに むこが よせて せめ そうらわん とき.
其の 時 安房の 国に むこが 寄せて 責め 候はん 時.

にちれんぼうの もうせし ことの あうたりと もうすは.
日蓮房の 申せし 事の 合うたりと 申すは.

へんしゅうの ほっしらが くち すくめて.
偏執の 法師等が 口 すくめて.

むけんじごくに おちんこと ふびんなり ふびん なり.
無間地獄に 堕ちん 事 不便なり 不便 なり。.

しょうがつ 11にち にちれん かおう.
正月 十一日 日蓮 花押.

あわのくに せいちょうじ たいしゅうちゅう.
安房の国 清澄寺 大衆中.

この ふみは さどどのと すけあじゃりごぼうと.
この ふみは さど殿と・ すけあさり御房と.

こくうぞうの おんまえに して たいしゅう ごとに よみ きかせ たまえ.
虚空蔵の 御前に して 大衆 ごとに・ よみ きかせ 給へ。.

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