b904から907.
新尼御前御返事 (にいあまごぜん ごへんじ).
日蓮大聖人 54歳 御作.

 

b904

にいあまごぜん ごへんじ.
新尼御前 御返事.

ぶんえい 12ねん 2がつ 54さい おんさく.
文永 十二年 二月 五十四歳 御作.

あまのり ひとふくろ おくりたび おわんぬ.
あまのり 一ふくろ 送り給び 畢んぬ.

また おおあまごぜん より あまのり かしこまり いって そうろう.
又 大尼御前 より あまのり 畏こまり 入つて 候.

この ところをば みのぶの たけと もうす.
此の 所をば 身延の 嶽と 申す.

するがのくには みなみに あたりたり.
駿河の国は 南に あたりたり.

かの くにの うきしまがはらの うみぎわ より この かいのくに.
彼の 国の 浮島がはらの 海ぎは より 此の 甲斐の国.

はきいのごう みのぶの みねへは 100よりに およぶ.
波木井の郷 身延の 嶺へは 百余里に 及ぶ.

よのみち 1000り よりも わずらわし.
余の道 千里 よりも わづらはし.

ふじがわと もうす にほんだいいちの はやき かわ.
富士河と 申す 日本第一の はやき 河.

きた より みなみに ながれたり.
北 より 南へ 流れたり.

この かわは とうざいは こうざん なり.
此の 河は 東西は 高山 なり.

たに ふかく さゆうは たいせきにして たかき びょうぶを たて ならべたるが ごとくなり.
谷 深く 左右は 大石にして 高き ビョウ風を 立て 並べたるが ごとくなり.

かわの みずは つつの なかに がっひょうが やを いだしたるが ごとし.
河の 水は 筒の 中に 強兵が 矢を 射出したるが ごとし.

この かわの さゆうの きしを つたい あるいは かわを わたり.
此の 河の 左右の 岸を つたい 或は 河を 渡り.

ある ときは かわ はやく いし おおければ ふね やぶれて みじんと なる.
或 時は 河 はやく 石 多ければ 舟 破れて 微塵と なる.

かかる ところを すぎゆきて みのぶの たけと もうす たいざん あり.
かかる 所を すぎゆきて 身延の 嶺と 申す 大山 あり.

ひがしは てんしの みね みなみは たかとりの みね.
東は 天子の 嶺 南は 鷹取りの 嶺.

みなみは しちめんの みね きたは みのぶの たけ なり.
西は 七面の 嶺 北は 身延の 嶺 なり.

たかき びょうぶを よっつ ついたてたるが ごとし.
高き ビョウ風を 四 ついたてたるが ごとし.

みねに のぼって みれば そうもく しんしんたり.
峯に 上つて みれば 草木 森森たり.

たにに くだって たづぬれば たいせき れんれんたり.
谷に 下つて たづぬれば 大石 連連たり.

おおかみの こえ やまに じゅうまんし ましらの なき たにに ひびき.
大狼の 音 山に 充満し マシ猴の なき 谷に ひびき.

しかの つまを こうる こえ あわれしく せみの ひびき かまびすし.
鹿の つまを こうる 音 あはれしく セミの ひびき かまびすし.

はるの はなは なつに さき あきの このみは ふゆに なる.
春の 花は 夏に さき 秋の 菓は 冬に なる.

たまたま みるものは やまがつが たきぎを ひろう すがた.
たまたま 見るものは やまがつが たき木を ひろう すがた.

よりより とぶらう ひとは むかし なれし ともどち なり.
時時 とぶらう 人は 昔 なれし 同朋 なり.

かの しょうざんの しこうが よを のがれし.
彼の 商山の 四皓が 世を 脱れし.

ここち ちくりんの しちけんが あとを かくせし やまも かくや ありけむ.
心ち 竹林の 七賢が 跡を 隠せし 山も かくや ありけむ.

みねに のぼって わかめや おいたると み そうらえば.
峯に 上つて わかめや をいたると 見 候へば.

さにては なくして わらび のみ ならびたちたり.
さにては なくして わらび のみ 並び立ちたり.

たにに くだって あまのりや おいたると たずぬれば あやまりてや みるらん.
谷に 下つて あまのりや をいたると 尋ぬれば あやまりてや みるらん.

せりのみしげり ふしたり.
せりのみしげり ふしたり.

ふるさとの ことは はるかに おもい わすれて そうらいつるに.
古郷の 事は るかに 思い わすれて 候いつるに.

いま この あまのりを み そうらいて よしなき こころ をもひいでて うくつらし.
今 此の あまのりを 見 候いて よしなき 心 をもひ いでて うくつらし.

かたうみ いちかわ こみなとの いその ほとりにて むかし みし あまのり なり.
かたうみ いちかは こみなとの 磯の ほとりにて 昔 見し あまのり なり.

いろかたち あじわいも かわらず など わが ふぼ かわらせ たまいけんと.
色形 あぢわひも かはらず など 我が 父母 かはらせ 給いけんと.

かたちがえなる うらめしさ なみだ おさえがたし.
かたちがへなる うらめしさ なみだ をさへがたし.

これは さて とどめ そうらいぬ.
此れは さて とどめ 候いぬ.

ただ おおあまごぜんの ごほんぞんの おんこと.
但 大尼御前の 御本尊の 御事.

おおせ つかわされて おもいわずらいて そうろう.
おほせ つかはされて おもひわづらひて 候.

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b905

その ゆえは この ごほんぞんは てんじく より かんどへ わたり そうらいし.
其の 故は 此の 御本尊は 天竺 より 漢土へ 渡り 候いし.

あまたの さんぞう かんど より がっしへ いり そうらいし.
あまたの 三蔵 漢土 より 月氏へ 入り 候いし.

ひとびとの なかにも しるし おかせ たまわず.
人人の 中にも しるし をかせ 給はず.

さいいき じおんでん でんとうろく とうの ふみ どもを ひらき み そうらえば.
西域 慈恩伝 伝燈録 等の 書 どもを 開き 見 候へば.

5てんじくの しょこくの てらでらの ほんぞん みな しるし つくして わたす.
五天竺の 諸国の 寺寺の 本尊 皆 しるし 尽して 渡す.

また かんど より にほんに わたる しょうにん にちいき より.
又 漢土 より 日本に 渡る 聖人 日域 より.

かんどに いる けんじゃ とうの しるされて そうろう.
漢土へ 入る 賢者 等の しるされて 候.

てらでらの ごほんぞん みな かんがえ つくし.
寺寺の 御本尊 皆 かんがへ 尽し.

にほんこく さいしょの てら がんごうじ してんのうじ とうの むりょうの てらでらの にっき.
日本国 最初の 寺 元興寺 四天王寺 等の 無量の 寺寺の 日記.

にほんぎと もうす ふみ より はじめて おおくの にっきに のこりなく ちゅうして そうらえば.
日本紀と 申す ふみ より 始めて 多くの 日記に のこりなく 註して 候へば.

その てらでらの ごほんぞん また かくれなし.
其の 寺寺の 御本尊 又 かくれなし.

そのなかに この ほんぞんは あえて ましまさず.
其の中に 此の 本尊は あへて ましまさず.

ひと うたがって いわく.
人 疑つて 云く.

きょうろんに なきか なければ こそ そこばくの けんじゃ とうは.
経論に なきか なければ こそ そこばくの 賢者 等は.

がぞうに かき たてまつり もくぞうにも つくり たてまつらざるらめと うんぬん.
画像に かき 奉り 木像にも つくり たてまつらざるらめと 云云.

しかれども きょうもんは がんぜん なり.
而れども 経文は 眼前 なり.

ごふしんの ひとびとは きょうもんの うむを こそ たずぬべし.
御不審の 人人は 経文の 有無を こそ 尋ぬべけれ.

ぜんだいに つくり かかぬを なんぜんと おもうは びゃくあん なり.
前代に つくり かかぬを 難ぜんと をもうは 僻案 なり.

れいせば しゃかぶつは ひぼ こうようの ために.
例せば 釈迦仏は 悲母 孝養の ために.

とうりてんに かくれさせ たまい たりしをば.
トウ利天に 隠れさせ 給い たりしをば.

いちえんぶだいの いっさいの しょにん しる ことなし.
一閻浮提の 一切の 諸人 しる 事なし.

ただ もくれんそんじゃ ひとり これを しれり.
但 目連尊者 一人 此れを しれり.

これ また ほとけの おんちから なりと うんぬん.
此れ 又 仏の 御力 なりと 云云.

ぶっぽうは がんぜん なれども き なければ あらわれず.
仏法は 眼前 なれども 機 なければ 顕れず.

とき いたらざれば ひろまらざる こと ほうにの どうり なり.
時 いたらざれば ひろまらざる 事 法爾の 道理 なり.

れいせば たいかいの うしおの ときに したがって ぞうげんし.
例せば 大海の 潮の 時に 随つて 増減し.

じょうてんの つきの じょうげに みち かくるが ごとし.
上天の 月の 上下に みち かくるが ごとし.

いま この ごほんぞんは きょうしゅ しゃくそん.
今 此の 御本尊は 教主 釈尊.

500じんてんごう より しんちゅうに おさめさせ たまいて.
五百塵点劫 より 心中に をさめさせ 給いて.

よに しゅつげん せさせ たまいても 40よねん.
世に 出現 せさせ 給いても 四十余年.

その ご また ほけきょうの なかにも しゃくもん はせすぎて.
其の 後 又 法華経の 中にも 迹門 はせすぎて.

ほうとうほん より こと おこりて じゅりょうほんに とき あらわし.
宝塔品 より 事 をこりて 寿量品に 説き 顕し.

じんりきほん ぞくるいに こと きわまりて そうらいしが.
神力品 属累に 事 極りて 候いしが.

こんじきせかいの もんじゅしゅり としたてんぐうの みろくぼさつ.
金色世界の 文殊師利 兜史多天宮の 弥勒菩薩.

ふだらくせんの かんぜおん につがつじょうみょうとくぶつの おんでしのやくおうぼさつとうの しょだいし.
補陀落山の 観世音 日月浄明徳仏の 御弟子の 薬王菩薩 等の 諸大士.

われも われもと のぞみ たまい しかども かなわず.
我も 我もと 望み 給い しかども 叶はず.

これらは ちえ いみじく さいがく ある ひとびとは ひびけども.
是等は 智慧 いみじく 才学 ある 人人とは ひびけども.

いまだ ほけきょうを がくする ひ あさし がくも はじめなり.
いまだ 法華経を 学する 日 あさし 学も 始なり.

まつだいの だいなん しのびがたかるべし.
末代の 大難 忍びがたかるべし.

われ 500じんてんごう より だいちの そこに かくしおきたる まことの でし あり.
我 五百塵点劫 より 大地の 底に かくしをきたる 真の 弟子 あり.

これに ゆずるべしとて じょうぎょうぼさつ とうを ゆじゅっぽんに めし いださせ たまいて.
此れに ゆづるべしとて 上行菩薩 等を 涌出品に 召し 出させ 給いて.

ほけきょうの ほんもんの かんじんたる みょうほうれんげきょうの 5じを ゆずらせ たまいて.
法華経の 本門の 肝心たる 妙法蓮華経の 五字を ゆづらせ 給いて.

あなかしこ あなかしこ.
あなかしこ あなかしこ.

わがめつどの のち しょうほう いっせんねん ぞうほう いっせんねんにぐつう すべからず.
我が 滅度の 後 正法 一千年 像法 一千年に 弘通 すべからず.

→a905

b906

まっぽうの はじめに ほうぼうの ほっし いちえんぶだいに じゅうまんして しょてん いかりを なし.
末法の 始に 謗法の 法師 一閻浮提に 充満して 諸天 いかりを なし.

ほうきぼしは いってんに わたらせ だいちは おおなみの ごとく おどらむ.
彗星は 一天に わたらせ 大地は 大波の ごとく をどらむ.

だいかんばつ たいか おおみず おおかぜ だいえきびょう だいききん だいひょうらん とうの むりょうの だいさいなん ならび おこり.
大旱魃 大火 大水 大風 大疫病 大飢饉 大兵乱 等の 無量の 大災難 並び をこり.

いちえんぶだいの ひとびと おのおの かっちゅうを きて きゅうじょうを てに にぎらん とき.
一閻浮提の 人人 各各 甲冑を きて 弓杖を 手に にぎらむ 時.

しょぶつ しょぼさつ しょだいぜんじんの おんちからの およばせ たまわざらん とき.
諸仏 諸菩薩 諸大善神 等の 御力の 及ばせ 給わざらん 時.

しょにん みな しして むけんじごくに おちること あめの ごとく しげからん とき.
諸人 皆 死して 無間地獄に 堕ること 雨の ごとく しげからん 時.

この 5じの だいまんだらを みに たいし こころに そんせば.
此の 五字の 大曼荼羅を 身に 帯し 心に 存せば.

しょおうは くにを たすけ ばんみんは なんを のがれん.
諸王は 国を 扶け 万民は 難を のがれん.

ないし ごしょうの だいかえんを のがるべしと ほとけ しるし おかせ たまいぬ.
乃至 後生の 大火炎を 脱るべしと 仏 記し をかせ 給いぬ.

しかるに にちれん じょうぎょうぼさつには あらねども.
而るに 日蓮 上行菩薩には あらねども.

ほぼ かねて これを しれるは かの ぼさつの おんはからいかと ぞんじて.
ほぼ 兼て これを しれるは 彼の 菩薩の 御計らいかと 存じて.

この 20よねんが あいだ これを もうす.
此の 二十余年が 間 此れを 申す.

この ほうもん ぐつうせんには にょらいげんざい ゆたおんしつ きょうめつどご.
此の 法門 弘通せんには 如来現在 猶多怨嫉 況滅度後.

いっさいせけん たおんなんしんと もうして だいいちの かたきは こくしゅ.
一切世間 多怨難信と 申して 第一の かたきは 国主.

ならびに ぐんごう とうの じとう りょうけ ばんみん とうなり.
並びに 郡郷 等の 地頭 領家 万民 等なり.

これ また だいに だいさんの そうりょが うったえに ついて.
此れ 又 第二 第三の 僧侶が うつたへに ついて.

ぎょうじゃを あるいは あっくし あるいは めりし あるいは とうじょう とう うんぬん.
行者を 或は 悪口し 或は 罵詈し 或は 刀杖 等 云云.

しかるを あわのくに とうじょうのごうは へんごく なれども にほんこくの ちゅうしんの ごとし.
而るを 安房の国 東条の郷は 辺国 なれども 日本国の 中心の ごとし.

その ゆえは てんしょうだいじん あとを たれ たまえり.
其の 故は 天照太神 跡を 垂れ 給へり.

むかしは いせのくにに あとを たれさせ たまいて こそ ありしかども.
昔は 伊勢の国に 跡を 垂れさせ 給いて こそ ありしかども.

こくおうは はちまん かも とうを おんきえ ふかく ありて.
国王は 八幡 加茂 等を 御帰依 深く ありて.

てんしょうだいじんの ごきえ あさかり しかば.
天照太神の 御帰依 浅かり しかば.

だいじん いかり おぼせし とき みなもとのうしょうぐんと もうせし ひと.
太神 瞋り おぼせし 時 源右将軍と 申せし 人.

ごきしょうもんを もって あおかの こだゆうに おおせつけて ちょうだいし.
御起請文を もつて あをかの 小大夫に 仰せつけて 頂戴し.

いせの げきゅうに しのび おさめ しかば.
伊勢の 外宮に しのび をさめ しかば.

だいじんの みこころに かなわせ たまいけるかの ゆえに.
太神の 御心に 叶はせ 給いけるかの 故に.

にほんを てに にぎる しょうぐんと なり たまいぬ.
日本を 手に にぎる 将軍と なり 給いぬ.

この ひと とうじょうのぐんを てんしょうだいじんの おんすみかと さだめさせ たもう.
此の 人 東条の郡を 天照太神の 御栖と 定めさせ 給う.

されば この だいじんは いせの くにには おわしまさず.
されば 此の 太神は 伊勢の 国に はをはしまさず.

あわのくに とうじょうのぐんに すませ たもうか.
安房の国 東条の郡に すませ 給うか.

たとえば はちまんだいぼさつは むかしは せいふに おわせ しかども.
例えば 八幡大菩薩は 昔は 西府に をはせ しかども.

なかごろは やましろのくに おとこやまに うつり たまい.
中比は 山城の国 男山に 移り 給い.

いまは そうしゅう かまくら つるがおかに すみ たもう.
今は 相州 鎌倉 鶴が岡に 栖み 給う.

これも かくのごとし.
これも かくのごとし.

にちれんは いちえんぶだいの うちに にほんこく あわのくに とうじょうの ぐんに.
日蓮は 一閻浮提の 内 日本国 安房の国 東条の 郡に.

はじめて この しょうほうを ぐつうし はじめたり.
始めて 此の 正法を 弘通し 始めたり.

したがって じとう かたきと なる.
随つて 地頭 敵と なる.

かのもの すでに はんぶん ほろびて いま はんぶん あり.
彼の者 すでに 半分 ほろびて 今 半分 あり.

りょうけは いつわり おろかにして あるときは しんじ あるときは やぶる.
領家は いつわり をろかにて 或時は 信じ 或時は やぶる.

ふじょう なりしが にちれん ごかんきを こうむりし とき すでに ほけきょうを すて たまいき.
不定 なりしが 日蓮 御勘気を 蒙りし 時 すでに 法華経を すて 給いき.

にちれん さきより けさんの ついで ごとに なんしんなんげと もうせしは これなり.
日蓮 先より けさんの ついで ごとに 難信難解と 申せしは これなり.

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b907

にちれんが じゅうおんの ひと なれば.
日蓮が 重恩の 人 なれば.

たすけ たてまつらん ために この ごほんぞんを わたし たてまつる ならば.
扶け たてまつらん ために 此の 御本尊を わたし 奉る ならば.

じゅうらせつ さだめて へんぱの ほっしと おぼしめされなん.
十羅刹 定めて 偏頗の 法師と をぼしめされなん.

また きょうもんの ごとく ふしんの ひとに わたし まいらせずば.
又 経文の ごとく 不信の 人に わたし まいらせずば.

にちれん へんぱは なけれども あまごぜん わが みの とがをば.
日蓮 偏頗は なけれども 尼御前 我が 身の とがをば.

しらせ たまわずして うらみさせ たまわんずらん.
しらせ 給はずして うらみさせ 給はんずらん.

この よしをば いさいに すけのあじゃりの もんに かきて そうろうぞ.
此の 由をば 委細に 助阿闍梨の 文に かきて 候ぞ.

めして あまごぜんの けんざんに いれさせ たもうべく そうろう.
召して 尼御前の 見参に 入れさせ 給うべく 候.

おんことに おいては おんいちみ なるよう なれども.
御事に をいては 御一味 なるやう なれども.

ごしんじんは いろ あらわれて そうろう.
御信心は 色 あらわれて 候.

さどのくにと もうし このくにと もうし たびたびの おんこころざし ありて.
さどの国と 申し 此の国と 申し 度度の 御志 ありて.

たゆむ けしきは みえさせ たまわねば.
たゆむ けしきは みへさせ 給はねば.

ごほんぞんは わたし まいらせて そうろうなり.
御本尊は わたし まいらせて 候なり.

これも ついには いかんがと おそれ おもうこと.
それも 終には いかんがと をそれ 思う事.

うすらいを ふみ たちに むかうが ごとし.
薄冰を ふみ 太刀に 向うが ごとし.

くわしくは またまた もうすべく そうろう.
くはしくは 又又 申すべく 候.

それ のみならず かまくらにも ごかんきの とき.
それ のみならず かまくらにも 御勘気の 時.

1000が 999にんは おちて そうろう ひとびとも.
千が 九百九十九人は 堕ちて 候 人人も.

いまは せけん やわらぎ そうろうかの ゆえに.
いまは 世間 やわらぎ 候かの ゆへに.

くゆる ひとびとも そうろうと もうすげに そうらえども.
くゆる 人人も 候と 申すげに 候へども.

これには それには にるべくも なく.
此れは それには 似るべくも なく.

いかにも ふびんには おもいまいらせ そうらえども.
いかにも ふびんには 思いまいらせ 候へども.

ほねに にくをば かえぬ ことにて そうらえば.
骨に 肉をば かへぬ 事にて 候へば.

ほけきょうに そうい せさせ たまい そうらわん ことを かなうまじき よし.
法華経に 相違 せさせ 給い 候はん 事を 叶うまじき 由.

いつまでも もうし そうろうべく そうろう.
いつまでも 申し 候べく 候.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言.

2がつ 16にち.
二月 十六日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

にいあまごぜん ごへんじ.
新尼御前 御返事.

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