b909から925.
種種御振舞御書 (しゅじゅおふるまいごしょ).
日蓮大聖人 55歳御作.

 

b909

しゅじゅ おふるまい ごしょ.
種種 御振舞 御書.

けんじ 2ねん 55さい おんさく.
建治 二年 五十五歳 御作.

あたう こうにちぼう みのぶに おいて.
与 光日房 於 身延.

いぬる ぶんえい 5ねん のちの しょうがつ 18にち さいじゅう.
去ぬる 文永 五年 後の 正月 十八日・ 西戎・.

だいもうここく より にほんこくを おそうべき よし ちょうじょうを わたす.
大蒙古国 より 日本国を をそうべき よし 牒状を わたす、.

にちれんが いぬる ぶんおう がんねん たいさいかのえさるに かんがえ たりし りっしょうあんこくろん.
日蓮が 去ぬる 文応 元年 太歳庚申に 勘え たりし 立正安国論.

いま すこしも たがわず ふごう しぬ.
今 すこしも たがわず 符合 しぬ、.

この しょは はくらくてんが がふにも こえ ほとけの みらいきにも おとらず.
此の 書は 白楽天が 楽府にも 越へ 仏の 未来記にも をとらず.

まつだいの ふしぎ なに ごとか これに すぎん.
末代の 不思議 なに 事か これに すぎん、.

けんのう せいしゅの みよ ならば にほん だいいちの けんじょうにも おこなわれ.
賢王・ 聖主の 御世 ならば 日本 第一の 権状にも をこなわれ.

げんしんに だいしごうも あるべし.
現身に 大師号も あるべし.

さだめて おんたずねありて いくさの けんぎをも いいあわせ.
定めて 御たづねありて いくさの 僉義をも いゐあわせ.

じょうぶく なんども もうし つけられぬらんと おもいしに.
調伏 なんども 申し つけられぬらんと・ をもひしに.

その ぎ なかり しかば.
其の 義 なかり しかば.

その としの すえ 10がつに 11つうの じょうを かきて かたがたへ おどろかし もうす.
其の 年の 末 十月に 十一通の 状を かきて・ かたがたへ をどろかし 申す、.

くにに けんじん なんども ある ならば ふしぎ なる ことかな.
国に 賢人 なんども・ ある ならば 不思議 なる 事かな・.

これは ひとえに ただごとには あらず.
これは ひとへに ただ事には あらず、.

てんしょうだいじん しょうはちまんぐうの この そうに ついて.
天照太神・ 正八幡宮の 此の 僧に ついて.

にほんこくの たすかるべき ことを おんはからいの あるかと おもわる べきに.
日本国の たすかるべき 事を 御計らいの あるかと・ をもわる べきに・.

さは なくて あるいは つかいを あっくし あるいは あざむき あるいは とりも いれず.
さは なくて 或は 使を 悪口し 或は あざむき 或は とりも 入れず.

あるいは へんじも なし あるいは へんじを なせども かみへも もうさず.
或は 返事も なし 或は 返事を なせども 上へも 申さず.

これ ひとえに ただごとには あらず.
これ ひとへに ただ事には あらず、.

たとい にちれんが みの こと なりとも こくしゅと なり まつりごとを なさん ひとびとは.
設い 日蓮が 身の 事 なりとも 国主と なり まつり事を なさん 人人は.

とりつぎ もうし たらんには せいどうの ほう ぞかし.
取りつぎ 申し たらんには 政道の 法 ぞかし、.

いわうや この ことは かみの おんだいじ いできらん のみならず.
いわうや・ この 事は 上の 御大事 いできらむ のみならず.

おのおのの みに あたりて おおいなる なげき しゅったい すべき こと ぞかし.
各各の 身に あたりて・ をほいなる なげき 出来 すべき 事 ぞかし、.

しかるを もちうる ことこそ なくとも あっく までは あまり なり.
而るを 用うる 事こそ なくとも 悪口 までは あまり なり、.

これ ひとえに にほんこくの じょうげ ばんにん 1にんも なく.
此れ ひとへに 日本国の 上下 万人・ 一人も なく.

ほけきょうの ごうてきと なりて とし ひさしく なり ぬれば.
法華経の 強敵と なりて とし ひさしく なり ぬれば.

だいかの つもり だいきじんの おのおのの みに いる うえへ もうここくの ちょうじょうに しょうねんを ぬかれて くるう なり.
大禍の つもり 大鬼神の 各各の 身に 入る 上へ 蒙古国の 牒状に 正念を ぬかれて くるう なり、.

れいせば いんの ちゅうおう ひかんと いいし もの いさめを なせ しかば もちいずして むねを ほり.
例せば 殷の 紂王・ 比干と いゐし 者 いさめを なせ しかば 用いずして 胸を ほり.

しゅうの ぶん ぶおうに ほろぼされぬ.
周の 文・ 武王に ほろぼされぬ、.

ごおうは ごししょが いさめを もちいず じがいを せさせ しかば えつおう こうせんの てに かかる.
呉王は 伍子胥が いさめを 用いず 自害を せさせ しかば 越王 勾践の 手に かかる、.

これも かれが ごとく なる べきかと いよいよ ふびんに おぼえて.
これも かれが ごとく なる べきかと・ いよいよ・ ふびんに をぼへて.

なをも おしまず いのちをも すてて ごうじょうに もうしはり しかば.
名をも をしまず 命をも すてて 強盛に 申しはり しかば.

かぜ だい なれば なみ だい なり りゅう だい なれば あめ たけきように いよいよ あだを なし.
風 大 なれば 波 大 なり 竜 大 なれば 雨 たけきやうに・ いよいよ・ あだを なし・.

ますます にくみて ごひょうじょうに せんぎ あり.
ますます にくみて 御評定に 僉議 あり、.

→a909

b910

くびを はぬべきか かまくらを おわる べきか.
頚を はぬべきか 鎌倉を をわる べきか.

でし だんならをば しょりょう あらん ものは しょりょうを めして くびを きれ.
弟子 檀那等をば 所領 あらん 者は 所領を 召して 頚を 切れ.

あるいは ろうにて せめ あるいは おんる すべし とう うんぬん.
或は ろうにて せめ・ あるいは 遠流 すべし 等 云云。.

にちれんよろこんで いわく もとより ぞんちの むね なり.
日蓮 悦んで 云く 本より 存知の 旨 なり、.

せっせんどうじは はんげの ために みを なげ じょうたいぼさつは みを うり.
雪山童子は 半偈の ために 身を なげ 常啼菩薩は 身を うり.

ざいぜんどうじは ひに いり ぎょうぼうぼんじは かわを はぐ.
善財童子は 火に 入り 楽法梵士は 皮を はぐ.

やくおうぼさつは ひじを やく ふきょうぼさつは じょうもくを こうむり.
薬王菩薩は 臂を やく 不軽菩薩は 杖木を かうむり.

ししそんじゃは こうべを はねられ だいばぼさつは げどうに ころさる.
師子尊者は 頭を はねられ 提婆菩薩は 外道に ころさる、.

これらは いかなりける ときぞやと かんがうれば.
此等は いかなりける 時ぞやと 勘うれば.

てんだいだいしは「ときに かなうのみ」と かかれ.
天台大師は「時に 適うのみ」と かかれ.

しょうあんだいしは「しゅしゃ よろしきを えて いっこうに すべからず」と しるされ.
章安大師は「取捨 宜きを 得て 一向に すべからず」と しるされ、.

ほけきょうは いっぽう なれども きに したがい ときに よりて その ぎょう ばんさ なるべし.
法華経は 一法 なれども 機に したがひ 時に よりて 其の 行 万差 なるべし、.

ほとけ しるして いわく.
仏 記して 云く.

「わが めつご しょうぞう 2せんねん すぎて まっぽうの はじめに.
「我が 滅後・ 正像 二千年 すぎて 末法の 始に.

この ほけきょうの かんじん だいもくの 5じ ばかりを ひろめんもの しゅったい すべし.
此の 法華経の 肝心 題目の 五字 計りを 弘めんもの 出来 すべし、.

その とき あくおう あくびくら だいち みじん より おおくして.
其の 時 悪王・ 悪比丘等・ 大地 微塵 より 多くして.

あるいは だいじょう あるいは しょうじょう とうを もって きそわん ほどに.
或は 大乗 或は 小乗 等を もつて・ きそはん ほどに、.

この だいもくの ぎょうじゃに せめられて ざいけの だんならを かたらいて.
此の 題目の 行者に せめられて 在家の 檀那等を かたらひて.

あるいは のり あるいは うち あるいは ろうに いれ あるいは しょりょうを めし あるいは るざい あるいは くびを はぬべし.
或は のり 或は うち 或は ろうに 入れ 或は 所領を 召し 或は 流罪 或は 頚を はぬべし、.

など いうとも たいてんなく ひろむる ほど ならば.
など いふとも 退転なく・ ひろむる ほど ならば・.

あだを なすものは こくしゅは どうしうちを はじめ.
あだを なすものは 国主は・ どし打ちを はじめ.

がきの ごとく みを くらい のちには たこく より せめらるべし.
餓鬼の ごとく 身を くらひ 後には 他国 より せめらるべし、.

これ ひとえに ぼんてん たいしゃく にちがつ してん とうの ほけきょうの かたき なる くにを.
これ ひとへに 梵天・ 帝釈・ 日月・ 四天 等の 法華経の 敵 なる 国を.

たこく より せめさせ たまうなるべし」と とかれて そうろうぞ.
他国 より 責めさせ 給うなるべし」と とかれて 候ぞ、.

おのおの わが でしと なのらん ひとびとは 1にんも おくし おもわる べからず.
各各 我が 弟子と なのらん 人人は 一人も をくし をもはる べからず、.

おやを おもい めこを おもい しょりょうを かえりみること なかれ.
をやを をもひ・ めこを をもひ 所領を かへりみること・ なかれ、.

むりょうこう より このかた.
無量劫 より・ このかた・.

おやこの ため しょりょうの ために いのち すてたる ことは だいち みじん よりも おおし.
をやこの ため 所領の ために 命 すてたる 事は 大地 微塵 よりも・ をほし、.

ほけきょうの ゆえには いまだ いちども すてず.
法華経の ゆへには・ いまだ 一度も すてず、.

ほけきょうをば そこばく ぎょうぜしかども かかる こと しゅったいせしかば たいてんして やみにき.
法華経をば そこばく 行ぜしかども・ かかる 事 出来せしかば 退転して やみにき、.

たとえば ゆを わかして みずに いれ ひを きるに とげざるが ごとし.
譬えば ゆを わかして 水に 入れ 火を 切るに とげざるが ごとし、.

おのおの おもい きり たまえ.
各各 思い 切り 給へ.

この みを ほけきょうに かうるは いしに こがねを かえ ふんを こめに かうる なり.
此の 身を 法華経に かうるは 石に 金を かへ 糞に 米を かうる なり。.

ぶつ めつご 2220よねんが あいだ.
仏 滅後・ 二千二百二十余年が 間・.

かしょう あなん とう めみょう りゅうじゅ とう なんがく てんだい とう みょうらく でんぎょう とうだにも.
迦葉・ 阿難 等・ 馬鳴・ 竜樹 等・ 南岳・ 天台 等・ 妙楽・ 伝教 等だにも・.

いまだ ひろめ たまわぬ ほけきょうの かんじん しょぶつの がんもくたる みょうほうれんげきょうの 5じ.
いまだ ひろめ 給わぬ 法華経の 肝心・ 諸仏の 眼目たる 妙法蓮華経の 五字・.

まっぽうの はじめに いちえんぶだいに ひろまらせ たもうべき ずいそうに.
末法の 始に 一閻浮提に ひろまらせ 給うべき 瑞相に.

にちれん さきがけ したり.
日蓮 さきがけ したり、.

→a910

b911

わとうども にじん さんじん つづきて かしょう あなんにも すぐれ てんだい でんぎょうにも こえよかし.
わたうども 二陣 三陣 つづきて 迦葉・ 阿難にも 勝ぐれ 天台・ 伝教にも こへよかし、.

わづかの こじまの ぬしら おどさんを おじては.
わづかの 小島の ぬしらが をどさんを・ をぢては.

えんまおうの せめをば いかんが すべき.
閻魔王の せめをば いかんが すべき、.

ほとけの おんつかいと なのり ながら おくせんは.
仏の 御使と・ なのり ながら・ をくせんは.

むげの ひとびと なりと もうし ふくめぬ.
無下の 人人 なりと 申し ふくめぬ、.

さりし ほどに ねんぶつしゃ じさい しんごんしら じしんの ちは およばず.
さりし 程に 念仏者・ 持斎・ 真言師等・ 自身の 智は 及ばず.

そじょうも かなわざれば じょうろう あまごぜん たちに とりつきて しゅじゅに かまえ もうす.
訴状も 叶わざれば 上郎・ 尼ごぜん たちに・ とりつきて 種種に かまへ 申す、.

こ さいみょうじにゅうどうどの ごくらくじにゅうどうどのを むけんじごくに おちたりと もうし.
故 最明寺入道殿・ 極楽寺入道殿を 無間地獄に 堕ちたりと 申し.

けんちょうじ じゅふくじ ごくらいじ ちょうらくじ だいぶつじ とうを やきはらえと もうし.
建長寺・ 寿福寺・ 極楽寺・ 長楽寺・ 大仏寺等を やきはらへと 申し.

どうりゅうしょうにん りょうかんしょうにんらを くびを はねよと もうす.
道隆上人・ 良観上人等を 頚を はねよと 申す、.

ごひょうじょうに なにと なくとも にちれんが ざいか まぬかれ がたし.
御評定に なにと なくとも 日蓮が 罪禍 まぬかれ がたし、.

ただし かみくだんの こと いちじょう もうすかと めしいでて たづねらるべしとて めし いだされぬ.
但し 上件の 事・ 一定 申すかと 召し出て たづねらるべしとて 召し 出だされぬ、.
 
ぶぎょうにんの いわく かみの おおせ かくの ごとしと もうせ しかば.
奉行人の 云く 上の をほせ・ かくの ごとしと 申せ しかば・.

かみくだんの こと いちごんも たがわず もうす.
上件の 事・ 一言も たがはず 申す、.

ただし さいみょうじどの ごくらいじどのを じごくと いうことは そらごと なり.
但し 最明寺殿・ 極楽寺殿を 地獄と いう事は・ そらごと なり、.

この ほうもんは さいみょうじどの ごくらくじどの ごぞんしょうの ときより もうせし ことなり.
此の 法門は 最明寺殿・ 極楽寺殿・ 御存生の 時より 申せし 事なり。.

せんずる ところ かみくだんの ことどもは この くにを おもいて もうす こと なれば.
詮ずる ところ、 上件の 事どもは 此の 国を をもひて 申す 事 なれば.

よを あんのんに たもたんと おぼさば かの ほっしばらを めしあわせて きこしめせ.
世を 安穏に たもたんと・ をぼさば 彼の 法師ばらを 召し合せて・ きこしめせ、.

さ なくして かれらに かわりて りふじんに とがに おこなわるる ほどならば.
さなくして 彼等に かわりて 理不尽に 失に 行わるる ほどならば.

くにに こうかい あるべし.
国に 後悔 あるべし、.

にちれん ごかんきを かほらば ほとけの おんつかいを もちいぬに なるべし.
日蓮・ 御勘気を かほらば 仏の 御使を 用いぬに なるべし、.

ぼんてん たいしゃく にちがつ してんの おんとがめ ありて.
梵天・ 帝釈・ 日月・ 四天の 御とがめ ありて.

おんる しざいの のち 100にち 1ねん 3ねん 7ねんが うちに.
遠流・ 死罪の 後・ 百日・ 一年・ 三年・ 七年が 内に.

じかいほんぎゃくなんとて この ごいちもん どしうち はじまるべし.
自界叛逆難とて 此の 御一門 どしうち はじまるべし、.

その のちは たこくしんぴつなんとて しほうより ことには さいほうより せめられさせ たまうべし.
其の 後は 他国侵逼難とて 四方より・ ことには 西方より せめられさせ 給うべし、.

その とき こうかい あるべしと へいのさえもんのじょうに もうし つけ しかども.
其の 時 後悔 あるべしと 平左衛門尉に 申し 付け しかども.

だじょうにゅうどうの くるいしように すこしも はばかる ことなく ものに くるう.
太政入道の くるひしやうに・ すこしも はばかる 事なく 物に くるう。.

いぬる ぶんえい 8ねん たいさいかのとひつじ 9がつ 12にち ごかんきを かほる.
去 文永 八年 太歳辛未 九月 十二日・ 御勘気を かほる、.

その ときの ごかんきの ようも つね ならず.
其の 時の 御勘気の やうも 常 ならず.

ほうに すぎて みゆ りょうこうが むほんを おこし.
法に すぎて みゆ、 了行が 謀反を をこし.

だいふの りっしが よを みださんと せしを めしとられしにも こえたり.
大夫の 律師が 世を みださんと・ せしを・ めしとられしにも こえたり、.

へいのさえもんのじょう たいしょうとして すうひゃくにんの つわものに どうまろ きせて.
平左衛門尉・ 大将として 数百人の 兵者に どうまろ きせて.

えぼうし かけして まなこを いからし こえを あろうす.
ゑぼうし かけして 眼を いからし 声を あらうす、.

だいたい ことの こころを あんずるに.
大体・ 事の 心を 案ずるに.

だじょうにゅうどうの よを とりながら くにを やぶらんと せしに にたり.
太政入道の 世を とりながら 国を やぶらんと せしに にたり、.

ただごととも みえず.
ただ事とも みへず、.

にちれん これを みて おもうよう ひごろ つきごろ おもい もうけたりつる ことは これなり.
日蓮 これを 見てを もうやう 日ごろ 月ごろ・ をもひ まうけたりつる 事は これなり、.

→a911

b912

さいわい なるかな ほけきょうの ために みを すてん ことよ.
さいわひ なるかな 法華経の ために 身を すてん 事よ、.

くさき こうべをはなたれば いさごに こがねを かえ いしに たまを あきなえるが ごとし.
くさき かうべを はなたれば 沙に 金を かへ 石に 珠を あきなへるが ごとし、.

さて へいのさえもんのじょうが いちのろうじゅう しょうぼうと もうす もの はしり よりて.
さて 平左衛門尉が 一の郎従・ 少輔房と 申す 者 はしり よりて.

にちれんが かいちゅうせる ほけきょうの だい5の まきを とりいだしては.
日蓮が 懐中せる 法華経の 第五の 巻を 取り出しては.

おもてを さんど さいなみて さんざんと うちちらす.
おもてを 三度 さいなみて・ さんざんと うちちらす、.

また きゅうかんの ほけきょうを つわもの ども うちちらして.
又 九巻の 法華経を 兵者 ども 打ちちらして・.

あるいは あしに ふみ あるいは みに まとい あるいは いたじき たたみ とう.
あるいは 足に ふみ・ あるいは 身に まとひ・ あるいは いたじき・ たたみ 等・.

いえの 2 3けんに ちらさぬ ところも なし.
家の 二 三間に ちらさぬ 所も なし、.

にちれん だいこうじょうを はなちて もうす.
日蓮・ 大高声を 放ちて 申す.

あら おもしろや へいのさえもんのじょうが ものに くるうを みよ.
あら をもしろや 平左衛門尉が・ ものに くるうを 見よ、.

とのばら ただいま にほんこくの はしらを たおすと よばわり しかば.
とのばら 但今 日本国の 柱を たをすと・ よばはり しかば.

じょうげ ばんにん あわてて みえし.
上下 万人 あわてて 見えし、.

にちれんこそ ごかんきを かおれば おくして みゆ べかりしに.
日蓮こそ 御勘気を かほれば・ をくして 見ゆ べかりしに・.

さは なくして これは ひがこと なりとや おもいけん.
さは なくして・これは ひがこと なりとや・ をもひけん、.

つわものどもの いろこそ へんじて みえしか.
兵者どもの いろこそ・ へんじて 見へしか、.

10か ならびに 12にちの あいだ しんごんしゅうの とが ぜんしゅう ねんぶつ とう.
十日 並びに 十二日の 間・ 真言宗の 失・ 禅宗・ 念仏 等・.

りょうかんが あめ ふらさぬ こと つぶさに へいのさえもんのじょうに いいきかせて ありしに.
良観が 雨 ふらさぬ 事・ つぶさに 平左衛門尉に ・いゐきかせて ありしに.

あるいは どっと わらい あるいは いかり なんど せし ことども はしげければ しるさず.
或は どつと わらひ 或は いかり なんど・ せし 事ども はしげければ・ しるさず、.

せんずる ところは 6がつ 18にちより 7がつ 4か まで.
せんずる ところは 六月 十八日より 七月 四日 まで.

りょうかんが あめの いのりして にちれんに ささえられて ふらしかね.
良観が 雨の いのりして 日蓮に 支へられて ふらしかね・.

あせを ながし なみだ のみ くだして あめ ふらざりし うえ ぎゃくふう ひまなくて ありし こと.
あせを ながし・ なんだ のみ 下して 雨 ふらざりし 上・ 逆風 ひまなくて ありし 事・.

さんど まで つかいを つかわして.
三度 まで・ つかひを つかわして.

いちじょうの ほりを こえぬもの 10じょう 20じょうの ほりを こうべきか.
一丈の ほりを・ こへぬもの 十丈・ 二十丈の ほりを・ こうべきか、.

いづみしきぶ いろごのみの みにして はっさいかいに せいせる うたを よみて あめを ふらし.
いづみしきぶ いろごのみの 身にして 八斎戒に せいせる うたを よみて 雨を ふらし、.

のういんほっしが はかいの みとして うたを よみて てん あめを ふらせしに.
能因法師が 破戒の 身として・ うたを よみて 天 雨を 下らせしに、.

いかに 250かいの ひとびと 100せんにん あつまりて なのか ふたなのか せめさせ たまうに.
いかに 二百五十戒の 人人・ 百千人 あつまりて 七日 二七日 せめさせ 給うに.

あめの ふらざる うえに だいふう ふき そうろうぞ.
雨の 下らざる 上に 大風は 吹き 候ぞ、.

これを もって ぞんぜさせ たまえ.
これを もつて 存ぜさせ 給へ.

おのおのの おうじょうは かなう まじきぞと せめられて.
各各の 往生は 叶う まじきぞと せめられて.

りょうかんが なきし こと ひとびとに つきて ざんせし こと いちいちに もうせ しかば.
良観が なきし 事・ 人人に つきて 讒せし 事・ 一一に 申せ しかば、.

へいのさえもんのじょうら かとうどし かなえずして.
平左衛門尉等 かたうどし・ かなへずして・.

つまり ふしし ことども はしげければ かかず.
つまり ふしし 事ども はしげければ かかず。.

さては 12にちの よる むさしのこうどのの あずかりにて やはんに.
さては 十二日の 夜・ 武蔵守殿の あづかりにて 夜半に.

および くびを きらんが ために かまくらを いでしに.
及び 頚を 切らんが ために 鎌倉を いでしに・.

わかみやこうじに うちいでて しほうに つわものの うちつつみて ありしかども.
わかみやこうぢに うちいでて 四方に 兵の うちつつみて・ ありしかども、.

にちれん いわく おのおの さわがせ たまうな べちの ことは なし.
日蓮 云く 各各 さわがせ 給うな べちの 事は なし、.

はちまんだいぼさつに さいごに もうすべきこと ありとて うまより さしおりて たかごえに もうすよう.
八幡大菩薩に 最後に 申すべき事 ありとて 馬より さしをりて 高声に 申すやう、.

→a912

b913

いかに はちまんだいぼさつは まことの かみか わけのきよまろが.
いかに 八幡大菩薩は まことの 神か 和気清丸が.

くびを はねられんと せし ときは たけ いちじょうの つきと あらわれさせ たまい.
頚を 刎られんと せし 時は 長 一丈の 月と 顕われさせ 給い、.

でんぎょうだいしの ほけきょうを こうぜさせ たまいし ときは.
伝教大師の 法華経を かうぜさせ 給いし 時は.

むらさきの けさを おんふせに さづけさせ たまいき.
むらさきの 袈裟を 御布施に さづけさせ 給いき、.

いま にちれんは にほん だいいちの ほけきょうの ぎょうじゃ なり.
今 日蓮は 日本 第一の 法華経の 行者 なり.

その うえ みに いちぶんの あやまち なし.
其の 上 身に 一分の あやまち なし、.

にほんこくの いっさいしゅじょうの ほけきょうを ぼうじて むけんだいじょうに おつ べきを.
日本国の 一切衆生の 法華経を 謗じて 無間大城に おつ べきを・.

たすけんが ために もうす ほうもん なり.
たすけんが ために 申す 法門 なり、.

また だいもうここくより この くにを せむるならば てんしょうだいじん しょうはちまんとても あんのんに おわすべきか.
又 大蒙古国より この 国を せむるならば 天照太神・ 正八幡とても 安穏に おはすべきか、.

その うえ しゃかぶつ ほけきょうを とき たまいしかば.
其の 上・ 釈迦仏・ 法華経を 説き 給いしかば.

たほうぶつ じっぽうの しょぶつ ぼさつ あつまりて.
多宝仏・ 十方の 諸仏・ 菩薩 あつまりて.

ひと ひと つきと つきと ほしと ほしと かがみと かがみと ならべたるが ごとく なりし とき.
日と 日と 月と 月と 星と 星と 鏡と 鏡とを ならべたるが ごとく なりし 時、.

むりょうの しょてん ならびに てんじく かんど にほんこく とうの ぜんじん しょうにん あつまり たりし とき.
無量の 諸天 並びに 天竺・ 漢土・ 日本国 等の 善神・ 聖人 あつまり たりし 時、.

おのおの ほけきょうの ぎょうじゃに おろか なるまじき よしの せいじょう まいらせよと せめられ しかば.
各各・ 法華経の 行者に をろか なるまじき 由の 誓状 まいらせよと・ せめられ しかば.

いちいちに ごせいじょうを たてられし ぞかし.
一一に 御誓状を 立てられし ぞかし、.

さるにては にちれんが もうすまでも なし.
さるにては 日蓮が 申すまでも なし・.

いそぎ いそぎ こそ せいじょうの しゅくがんを とげさせ たまうべきに.
いそぎ いそぎ こそ 誓状の 宿願を とげさせ 給うべきに・.

いかに この ところには おちあわせ たまわぬぞと たかだかと もうす.
いかに 此の 処には・ をちあわせ 給はぬぞと・ たかだかと 申す、.

さて さいごには にちれん こんや くび きられて りょうぜんじょうどへ まいりて あらん ときは.
さて 最後には 日蓮・ 今夜・ 頚切られて 霊山浄土へ・ まいりて あらん 時は.

まず てんしょうだいじん しょうはちまん こそ きしょうを もちいぬ かみにて そうらいけれと さしきりて.
まづ 天照太神・ 正八幡 こそ 起請を 用いぬ かみにて 候いけれと さしきりて.

きょうしゅしゃくそんに もうしあげ そうらわんずるぞ いたしと おぼさば.
教主釈尊に 申し上げ 候はんずるぞ いたしと・ おぼさば・.

いそぎ いそぎ おんはからい あるべしとて また うまに のりぬ.
いそぎ いそぎ 御計らい あるべしとて 又 馬に のりぬ。.

ゆいのはまに うち いでて ごりょうの まえに いたりて また いわく.
ゆいのはまに・ うち いでて 御りやうの まへに・ いたりて 又 云く.

しばし とのばら これに つぐべき ひと ありとて.
しばし・ とのばら ・これに つぐべき 人 ありとて、.

なかつかささぶろうざえもんのじょうと もうす ものの もとへ くまおうと もうす どうじを つかわしたり しかば.
中務三郎左衛門尉と 申す 者の もとへ 熊王と 申す 童子を・ つかわしたり しかば・.

いそぎ いでぬ こんや くび きられへ まかるなり.
いそぎ いでぬ、 今夜 頚 切られへ・ まかるなり、.

この すうねんが あいだ ねがいつる こと これなり.
この 数年が 間・ 願いつる 事 これなり、.

この しゃばせかいにして きじと なりし ときは たかに つかまれ.
此の 娑婆世界にして・ きじと なりし 時は・ たかに つかまれ・.

ねずみと なりし ときは ねこに くらわれき.
ねずみと なりし 時は・ ねこに くらわれき、.

あるいは めこの かたきに みを うしないし こと だいち みじん より おおし.
或は めこの かたきに 身を 失い し事・ 大地 微塵 より 多し、.

ほけきょうの おんためには いちどだも うしなう こと なし.
法華経の 御ためには 一度だも 失う こと なし、.

されば にちれん ひんどうの みと うまれて ふぼの こうよう こころに たらず くにの おんを ほうずべき ちから なし.
されば 日蓮 貧道の 身と 生れて 父母の 孝養・ 心に たらず 国の 恩を 報ずべき 力 なし、.

こんど くびを ほけきょうに たてまつりて その くどくを ふぼに えこうせん.
今度 頚を 法華経に 奉りて 其の 功徳を 父母に 回向せん.

その あまりは でし だんならに はぶくべしと もうせし こと これなりと もうせしかば.
其の あまりは 弟子檀那等に はぶくべしと 申せし 事 これなりと 申せしかば、.

さえもんのじょう きょうだい 4にん うまのくちに とりつきて こしごえ たつのくちに ゆきぬ.
左衛門尉・ 兄弟 四人・ 馬の 口に とりつきて・ こしごへ たつの口に ゆきぬ、.

これにてぞ あらん ずらんと おもう ところに.
此にてぞ 有らん ずらんと・ をもう ところに.

あんに たがわず へいしども うちまわり さわぎしかば.
案に たがはず 兵士ども うちまはり・ さわぎしかば、.

さえもんのじょう もうすよう ただいまなりと なく.
左衛門尉 申すやう 只今なりと なく、.

→a913

b914

にちれん もうすよう
日蓮 申すやう

ふかくの とのばらかな これほどの よろこびをば わらえかし.
不かくの とのばらかな・ これほどの 悦びをば・ わらへかし、.

いかに やくそくをば たがえらるるぞと もうせし とき.
いかに・ やくそくをば・ たがへらるるぞと 申せし 時、.

えのしまの かたより つきの ごとく ひかりたる もの まりの ようにて.
江のしまの かたより 月の ごとく・ ひかりたる 物 まりの やうにて.

たつみの かたより いぬいの かたへ ひかり わたる.
辰巳の かたより 戌亥の かたへ・ ひかり わたる、.

12にちの よるの あけぐれ ひとの おもても みえざりしが.
十二日の 夜の あけぐれ 人の 面も・ みへざりしが.

ものの ひかり つきよの ようにて ひとびとの おもても みな みゆ.
物の ひかり 月よの やうにて 人人の 面も みな みゆ、.

たちとり め くらみ たおれ ふし つわども おじ おそれ.
太刀取 目 くらみ・ たふれ 臥し 兵共 おぢ 怖れ・.

きょうさめて いっちょう ばかり はせのき.
けうさめて 一町 計り はせのき、.

あるいは うまより おりて かしこまり あるいは うまの うえにて うずくまれるも あり.
或は 馬より・ をりて・ かしこまり 或は 馬の 上にて・ うずくまれるも あり、.

にちれん もうすよう いかに とのばら かかる だいか ある めしうどには とおのくぞ.
日蓮 申すやう・ いかに とのばら・ かかる 大禍 ある 召人には とをのくぞ.

ちかく うちよれや うちよれやと たかだかと よばわれども.
近く 打ちよれや 打ちよれやと・ たかだかと・ よばわれども・.

いそぎよる ひとも なし.
いそぎよる 人も なし、.

さて よ あけば いかに いかに くび きるべくは いそぎ きるべし.
さて よ あけば・ いかに いかに 頚 切べくは いそぎ 切るべし.

よ あけなば みぐるしかりなんと すすめ しかども とかくの へんじも なし.
夜 明けなば みぐるしかりなんと・ すすめ しかども・ とかくの へんじも なし。.

はるか ばかり ありて いわく.
はるか 計り ありて 云く.

さがみの えちと もうす ところへ いらせ たまえと もうす.
さがみの えちと 申す ところへ 入らせ 給へと 申す、.

これは みち しる もの なし さきうちすべしと もうせども うつひとも なかり しかば.
此れは 道 知る 者 なし・ さきうちすべしと 申せども うつ人も なかり しかば・.

さて やすらう ほどに ある へいしの いわく.
さて やすらう ほどに 或 兵士の 云く・.

それこそ その みちにて そうらえと もうせ しかば みちに まかせて ゆく.
それこそ その 道にて 候へと 申せ しかば 道に まかせて ゆく、.

うまの とき ばかりに えちと もうす ところへ ゆきつ きたり しかば ほんまろくろうざえもんが いえに いりぬ.
午の 時 計りに えちと 申す ところへ・ ゆきつ きたり しかば 本間六郎左衛門が いへに 入りぬ、.

さけ とりよせて もののふ どもに のませて ありしかば.
さけ とりよせて・ もののふ どもに・ のませて ありしかば.

おのおの かえるとて こうべを うなたれ てを あさえて もうすよう.
各 かへるとて・ かうべを うなたれ 手を あさへて 申すやう、.

このほどは いかなる ひとにてや おわすらん.
このほどは・ いかなる 人にてや・ をはすらん・.

われらが たのみて そうろう あみだぶつを そしらせ たまうと うけ たまわれば.
我等が たのみて 候・ 阿弥陀仏を そしらせ 給うと・ うけ 給われば・.

にくみ まいらせ そうらいつるに まの あたり おがみ まいらせ そうらいつる ことどもを みて そうらえば.
にくみ まいらせて 候いつるに・ まの あたり をがみ まいらせ 候いつる 事どもを 見て 候へば・.

とうとさに としごろ もうしつる ねんぶつは すて そうらいぬ とて.
たうとさに・ としごろ 申しつる 念仏は すて 候いぬ とて・.

ひうちぶくろより すず とりいだして すつる ものあり.
ひうちぶくろより すず とりいだして・ すつる 者あり、.

いまは ねんぶつ もうさじと せいじょうを たつる ものもあり.
今は 念仏 申さじと・ せいじやうを たつる 者もあり、.

ろくろうざえもんが ろうじゅうら ばんをば うけとりぬ.
六郎左衛門が 郎従等・ 番をば うけとりぬ、.

さえもんのじょうも かえりぬ.
さえもんのじようも・ かへりぬ。.

その ひの いぬのとき ばかりに かまくらより かみの おんつかいとて たてぶみを もちて きたりぬ.
其の 日の 戌の時 計りに かまくらより 上の 御使とて たてぶみを もちて 来ぬ、.

くび きれと いう かさねたる おんつかいかと もののふ どもは おもいて ありし ほどに.
頚 切れと いう・ かさねたる 御使かと・ もののふ どもは・ をもひて ありし 程に.

ろくろうざえもんが だいかんうまのじょうと もうす もの たちぶみ もちて はしり きたり ひざまずいて もうす.
六郎左衛門が 代官右馬のじようと 申す 者・ 立ぶみ もちて・ はしり 来り ひざまづひて 申す、.

こんやにて そうろべし あら あさましやと ぞんじて そうらいつるに.
今夜にて 候べし・ あら あさましやと 存じて 候いつるに・.

かかる おんよろこびの おんふみ きたりて そうろう.
かかる 御悦びの 御ふみ 来りて 候、.

→a914

b915

むさしのこうどのは きょう うのときに あたみの おんゆえ おんいで そうらえば.
武蔵守殿は 今日・ 卯の時に あたみの 御ゆへ 御出で 候へば・.

いそぎ あやなき こともやと まず これへ はしり まいりて そうろうと もうす.
いそぎ・ あやなき 事もやと・ まづ これへ はしり まいりて 候と 申す、.

かまくらより おんつかいは ふたときに はしりて そうろう.
かまくらより 御つかいは 二時に はしりて 候、.

こんやの うちに あたみの おんゆへ はしり まいる べしとて まかりいでぬ.
今夜の 内に あたみの 御ゆへ・ はしり まいる べしとて・ まかりいでぬ、.

ついじょうに いわく この ひとは とがなき ひと なり.
追状に 云く 此の 人は とがなき 人 なり.

いま しばらく ありて ゆるさせ たまうべし.
今 しばらく ありて ゆるさせ 給うべし・.

あやまちしては こうかい あるべし と うんぬん.
あやまちしては 後悔 あるべし と 云云。.

その よは 13にち へいしども すう10にん.
其の 夜は 十三日・ 兵士ども 数十人・.

ぼうの あたり ならびに おおにわに なみいて そうらいき.
坊の 辺り 並びに 大庭に なみゐて 候いき、.

9がつ 13にちの よ なれば つき おおいに はれて ありしに.
九月 十三日の 夜 なれば 月・ 大に・ はれて ありしに.

よなかに おおにわに たち いでて つきに むかい たてまつりて.
夜中に 大庭に 立ち 出でて 月に 向ひ 奉りて・.

じがげ しょうしょう よみ たてまつり しょしゅうの しょうれつ ほけきょうの もん あらあら もうして.
自我偈 少少 よみ 奉り 諸宗の 勝劣・ 法華経の 文の あらあら 申して.

いよいよ いまの がってんは ほけきょうの みざに つらなり まします みょうがってんし ぞかし.
抑 今の 月天は 法華経の 御座に 列り まします 名月天子 ぞかし、.

ほうとうほんにして ぶっちょくを うけ たまい ぞくるいほんにして ほとけに いただきを なでられ まいらせ.
宝塔品にして 仏勅を うけ 給い 嘱累品にして 仏に 頂を なでられ まいらせ.

「せそんの みことのりの ごとく まさに つぶさに ぶぎょうすべし」と せいじょうを たてし てん ぞかし.
「世尊の 勅の 如く 当に 具に 奉行すべし」と 誓状を たてし 天 ぞかし、.

ぶつぜんの ちかいは にちれん なくば むなしくしてこそ おわすべけれ.
仏前の 誓は 日蓮 なくば 虚くてこそ をはすべけれ、.

いま かかる こと しゅったいせば いそぎ よろこびを なして.
今 かかる 事 出来せば いそぎ 悦びを なして.

ほけきょうの ぎょうじゃにも かわり ぶっちょくをも はたして.
法華経の 行者にも・ かはり 仏勅をも・ はたして.

せいごんの しるしをば とげさせ たまうべし.
誓言の しるしをば とげさせ 給うべし、.

いかに いま しるしの なきは ふしぎに そうろう ものかな.
いかに 今 しるしの なきは 不思議に 候 ものかな、.

いかなる ことも くにに なくしては かまくらへも かえらんとも おもわず.
何なる 事も 国に なくしては 鎌倉へも かへらんとも 思はず、.

しるし こそ なくとも うれしがおにて すみわたらせ たまうは いかに.
しるし こそ なくとも・ うれしがをにて 澄渡らせ 給うは いかに、.

だいしっきょうには 「にちがつ めいを げんぜず」と とかれ.
大集経には 「日月 明を 現ぜず」と とかれ、.

にんのうきょうには 「にちがつ どを うしなう」と かかれ.
仁王経には 「日月 度を 失う」と かかれ、.

さいしょうおうきょうには 「33てん おのおの しんこんを しょうず」と こそ みえ はべるに.
最勝王経には 「三十三天 各瞋恨を 生ず」と こそ 見え 侍るに・.

いかに がってん いかに がってんと せめ しかば.
いかに 月天 いかに 月天と せめ しかば、.

その しるしにや てんより みょうじょうの ごとくなる おおぼし くだりて.
其の しるしにや 天より 明星の 如くなる 大星 下りて.

さきの うめの きの えだに かかりて ありしかば.
前の 梅の 木の 枝に・ かかりて ありしかば・.

もののふども みな えんより とびおり.
もののふども 皆 えんより・ とびをり.

あるいは おおにわに ひれふし あるいは いえの うしろに にげぬ.
或は 大庭に ひれふし 或は 家の うしろへ にげぬ、.

やがて すなわち てん かきくもりて だいふう ふき きたりて.
やがて 即ち 天 かきくもりて 大風 吹き 来りて.

えのしまの なるとて そらの ひびくこと おおいなる つづみを うつが ごとし.
江の島の なるとて 空の ひびく事・ 大なる つづみを 打つが ごとし。.

よ あければ じゅうよっか うのときに じゅうろうにゅうどうと もうすもの きたりて いわく.
夜 明れば 十四日 卯の時に 十郎入道と 申すもの 来りて 云く・.

きのうの よるの いぬのとき ばかりに こうどのに おおいなる さわぎ あり.
昨日の 夜の 戌の時 計りに かうどのに 大なる さわぎ あり、.

おんみょうじを めして おんうらない そうらえば もうせしは おおいに くに みだれ そうろうべし.
陰陽師を 召して 御うらなひ 候へば 申せしは 大に 国 みだれ 候べし・.

この ごぼう ごかんきの ゆえなり.
此の 御房 御勘気の ゆへなり、.

いそぎ いそぎ めしかえさずんば よのなか いかが そうろう べかるらんと もうせば.
いそぎ いそぎ 召しかえさずんば 世の中 いかが 候 べかるらんと 申せば、.

ゆりさせ たまえ そうろうと もうす ひとも あり.
ゆりさせ 給へ 候と 申す 人も あり、.

また ひゃくにちの うちに いくさ あるべしと もうしつれば それを まつ べしとも もうす.
又 百日の 内に 軍 あるべしと 申しつれば・ それを 待つ べしとも 申す、.

えちにして 20よにち その あいだ かまくらに あるいは ひを つくること 7 8ど.
依智にして 二十余日・ 其の  鎌倉に 或は 火を つくる事・七 八度・.

あるいは むさしのこうどのは ざんげんの ものどもの いわく.
或は 武蔵守殿は 讒言の 者共の 云く.

にちれんが でしどもの ひを つくる なりと.
日蓮が 弟子共の 火を つくる なりと、.

→a915

b916

さも あるらんとて にちれんが でしらを かまくらに おく べからずとて 260よにん しるさる.
さも あるらんとて 日蓮が 弟子等を 鎌倉に 置く べからずとて 二百六十余人 しるさる、.

みな えんとうへ つかわすべし.
皆 遠島へ 遣すべし.

ろうに ある でしどもをば くびを はねらるべしと きこう.
ろうに ある 弟子共をば 頚を はねらるべしと 聞ふ、.

さる ほどに ひを つくる とうは じさい ねんぶつしゃが はかりごと なり.
さる 程に 火を つくる 等は 持斎 念仏者が 計事 なり.

その よは しげければ かかず.
其の 余は しげければ かかず。.

どう 10がつ 10かに えちを たって どう 10がつ 28にちに さどの くにへ つきぬ.
同 十月 十日に 依智を 立つて 同 十月 二十八日に 佐渡の 国へ 著ぬ、.

11がつ ついたちに ろくろうざえもんが いえの うしろ つかはらと もうす さんやの なかに.
十一月 一日に 六郎左衛門が 家の うしろ 塚原と 申す 山野の 中に.

らくようの れんだいのの ように しにんを すつるところに いっけん しめん なる どうの ほとけも なし.
洛陽の 蓮台野の やうに 死人を 捨つる 所に 一間 四面 なる 堂の 仏も なし、.

うえは いたま あわず しへきは あばらに ゆき ふり つもりて きゆる こと なし.
上は いたま あはず 四壁は あばらに 雪 ふり つもりて 消ゆる 事 なし、.

かかる ところに しきがわ うちしき みの うちきて よるを あかし ひを くらす.
かかる 所に しきがは 打ちしき 蓑 うちきて 夜を あかし 日を くらす、.

よるは ゆき あられ いなずま ひまなし.
夜は 雪 雹 雷電 ひまなし.

ひるは ひの ひかりも ささせ たまわず こころぼそかるべき すまい なり.
昼は 日の 光も ささせ 給はず 心細かるべき すまゐ なり、.

かの りりょうが ここくに いりて がんくつに せめられし ほうどうさんぞうの.
彼の 李陵が 胡国に 入りて がんくつに せめられし 法道三蔵の.

きそうこうていに せめられて かおに かなやきを さされて こうなんに はなたれしも ただいまと おぼゆ.
徽宗皇帝に せめられて 面に かなやきを さされて 江南に はなたれしも 只今と おぼゆ、.

あらうれしや.
あらうれしや.

だんおうは あしせんにんに せめられて ほけきょうの くどくを え たまいき.
檀王は 阿私仙人に せめられて 法華経の 功徳を 得 給いき、.

ふきょうぼさつは じょうまんの びくらの つえに あたりて いちじょうの ぎょうじゃと いわれ たまう.
不軽菩薩は 上慢の 比丘等の 杖に あたりて 一乗の 行者と いはれ 給ふ、.

いま にちれんは まっぽうに うまれて みょうほうれんげきょうの 5じを ひろめて かかる せめに あえり.
今 日蓮は 末法に 生れて 妙法蓮華経の 五字を 弘めて かかる せめに あへり、.

ぶつめつどご 2200よねんが あいだ.
仏滅度後・ 二千二百余年が 間・.

おそらくは てんだいちしゃだいしも いっさいせけんたおんなんしんの きょうもんをば ぎょうじ たまわず.
恐らくは 天台智者大師も 一切世間多怨難信の 経文をば 行じ 給はず.

さくさくけんひんずいの みょうもんは ただ にちれん いちにん なり.
数数見擯出の 明文は 但 日蓮 一人 なり、.

いっく いちげ がかいよじゅきは われ なり.
一句 一偈・ 我皆与授記は 我 なり.

あのくたらさんみゃくさんぼだいは うたがいなし.
阿耨多羅三藐三菩提は 疑いなし、.

さがみのこうどのこそ ぜんちしきよ へいのさえもんのじょうこそ だいばだったよ.
相模守殿こそ 善知識よ 平左衛門こそ 提婆達多よ.

ねんぶつしゃは くぎゃりそんじゃ じさいらは ぜんしょうびく なり.
念仏者は 瞿伽利尊者・ 持斎等は 善星比丘 なり、.

ざいせは いまに あり いまは ざいせ なり.
在世は 今に あり 今は 在世 なり、.

ほけきょうの かんじんは しょほうじっそうと とかれて ほんまつくきょうとうと のべられて そうろうは これ なり.
法華経の 肝心は 諸法実相と・ とかれて 本末究竟等と のべられて 候は 是 なり、.

まかしかん だい5に いわく.
摩訶止観 第五に 云く.

「ぎょうげ すでに つとめぬれば さんしょう しま ふんぜんとして きそい おこる」もん.
「行解 既に 勤めぬれば 三障・ 四魔・ 紛然として 競い 起る」文、.

また いわく「いのししの きんざんを すり しゅうるの うみに いり たきぎの ひを さかんにし かぜの ぐらを ますが ごとき のみ」とう うんぬん.
又 云く「猪の 金山を 摺り 衆流の 海に 入り 薪の 火を 熾にし 風の 求羅を 益すが 如き のみ」等 云云、.

しゃくの こころは ほけきょうを きょうの ごとく きょうに かない ときに かなうて げぎょう すれば 7つの だいじ しゅったいす.
釈の 心は 法華経を 教の ごとく 機に 叶ひ 時に 叶うて 解行 すれば 七つの 大事 出来す、.

その なかに てんしまとて だい6てんの まおう あるいは こくしゅ あるいは ふぼ あるいは さいし.
其の 中に 天子魔とて 第六天の 魔王 或は 国主 或は 父母 或は 妻子.

あるいは だんな あるいは あくにんらに ついては るいは したがって ほけきょうの ぎょうを さえ.
或は 檀那 或は 悪人等に ついて 或は 随つて 法華経の 行を さえ.

あるいは いして そうべき ことなり.
或は 違して さうべき 事なり、.

いずれの きょうをも ぎょうぜよ.
何れの 経をも 行ぜよ.

ぶっぽうを ぎょうずるには ぶんぶんに したがって るなん あるべし.
仏法を 行ずるには 分分に 随つて 留難 あるべし、.

その なかに ほけきょうを ぎょうずるには ごうじょうに そうべし.
其の 中に 法華経を 行ずるには 強盛に さうべし、.

→a916

b917

ほけきょうを おしえの ごとく じきに あたって ぎょうずるには ことに なん あるべし.
法華経を・ をしへの 如く 時機に 当つて 行ずるには 殊に 難 あるべし、.

ゆえに ぐけつの 8に いわく.
故に 弘決の 八に 云く.

「もし しゅじょう しょうじを いでず ぶつじょうを したわずと しれば.
「若し 衆生 生死を 出でず 仏乗を 慕わずと 知れば.

ま この ひとに おいて なお おやの おもいを なす」とう うんぬん.
魔・ 是の 人に 於て 猶 親の 想を 生す」等 云云、.

しゃくの こころは ひと ぜんこんを しゅうすれども ねんぶつ しんごん ぜん りつ とうの ぎょうを なして.
釈の 心は 人・ 善根を 修すれども 念仏・ 真言・ 禅・ 律等の 行を なして.

ほけきょうを ぎょうぜざれば まおう おやの おもいを なして.
法華経を 行ぜざれば 魔王 親の おもひを なして.

にんげんに つきて その ひとを もてなし.
人間に つきて 其の 人を もてなし.

くようす せけんの ひとに まことの そうと おもわせんが ためなり.
供養す 世間の 人に 実の 僧と 思はせんが 為なり、.

れいせば こくしゅの たっとむ そうをば しょにん くよう するが ごとし.
例せば 国主の たとむ 僧をば 諸人 供養 するが 如し、.

されば こくしゅらの かたきに するは すでに しょうほうを ぎょうずるにて あるなり.
されば 国主等の かたきに するは 既に 正法を 行ずるにて あるなり、.

しゃかにょらいの おんためには だいばだった こそ だい1の ぜんちしき なれ.
釈迦如来の 御ためには 提婆達多 こそ 第一の 善知識 なれ、.

いまの せけんを みるに ひとを よく なす ものは かとうど よりも ごうてきが ひとをば よく なしける なり.
今の 世間を 見るに 人を よく なす ものは かたうど よりも 強敵が 人をば・ よく なしける なり、.

がんぜんに みえたり.
眼前に 見えたり.

この かまくらの ごいちもんの ごはんじょうは よしもりと おきのほうおう ましまさずんば いかでか にほんの しゅと なり たまうべき.
此の 鎌倉の 御一門の 御繁昌は 義盛と 隠岐法皇 ましまさずんば 争か 日本の 主と なり 給うべき、.

されば この ひとびとは この ごいちもんの おんためには だい1の かとうどなり にちれんが ほとけに ならん.
されば 此の 人人は 此の 御一門の 御ためには 第一の かたうどなり、 日蓮が 仏に ならん.

だい1の かとうどは かげのぶ ほっしには りょうかん どうりゅう どうあみだぶつと.
第一の かたうどは 景信・ 法師には 良観・ 道隆・ 道阿弥陀仏と.

へいのさえもんのじょう こうどの ましまさずんば いかでか ほけきょうの ぎょうじゃとは なるべきと よろこぶ.
平左衛門尉・ 守殿 ましまさずんば 争か 法華経の 行者とは なるべきと 悦ぶ。.

かくて すごす ほどに にわには ゆき つもりて ひとも かよわず.
かくて・ すごす 程に 庭には 雪 つもりて・ 人も かよはず.

どうには あらき かぜより ほかは おとづるる もの なし.
堂には あらき 風より 外は・ をとづるる もの なし、.

まなこには しかん ほっけを さらし くちには なんみょうほうれんげきょうと となえ.
眼には 止観・ 法華を さらし 口には 南無妙法蓮華経と 唱へ.

よるは つきほしに むかい たてまつりて しょしゅうの いもくと ほけきょうの じんぎを だんずるほどに としも かえりぬ.
夜は 月星に 向ひ 奉りて 諸宗の 違目と 法華経の 深義を 談ずる 程に 年も かへりぬ、.

いずくも ひとの こころの はかなさは.
いづくも 人の 心の はかなさは.

さどの くにの じさい ねんぶつしゃの ゆいあみだぶつ しょうゆぼう いんしょうぼう じどうぼうらの すうひゃくにん よりあいて せんぎすと うけたまわる.
佐渡の 国の 持斎・ 念仏者の 唯阿弥陀仏・ 生喩房・ 印性房・ 慈道房等の 数百人 より合いて 僉議すと 承る、.

きこうる あみだぶつの だいおんてき いっさいしゅじょうの あくちしきの にちれんぼう この くにに ながされたり.
聞ふる 阿弥陀仏の 大怨敵・ 一切衆生の 悪知識の 日蓮房・ 此の 国に ながされたり・.

なにと なくとも この くにへ ながされたる ひとの しじゅう いけらるる ことなし.
なにと なくとも 此の 国へ 流されたる 人の 始終 いけらるる 事なし、.

たとい いけらるるとも かえる ことなし.
設ひ いけらるるとも・ かへる 事なし、.

また うち ころしたりとも おんとがめ なし.
又 打ち ころしたりとも 御とがめ なし、.

つかはらと いう ところに ただ 1にん あり.
塚原と 云う 所に 只 一人 あり.

いかに ごうなりとも ちから つよくとも ひと なき ところ なれば あつまりて いころせかしと いうものも ありけり.
いかに がうなりとも 力 つよくとも 人 なき 処 なれば 集りて いころせかしと 云うものも ありけり、.

また なにと なくとも くびを きらる べかりけるが.
又 なにと なくとも 頚を 切らる べかりけるが.

こうどのの みだいどころの ごかいにんなれば しばらく きられず.
守殿の 御台所の 御懐妊なれば・ しばらく きられず.

ついには いちじょうと きく.
終には 一定と きく、.

また いわく ろくろうざえもんのじょうどのに もうして きらずんば はからうべしと いう.
又 云く 六郎左衛門尉殿に 申して きらずんば・ はからうべしと 云う、.

おおくの ぎの うちに これに ついて しゅごしょに すうひゃくにん あつまりぬ.
多くの 義の 中に・ これに ついて 守護所に 数百人 集りぬ、.

ろくろうざえもんのじょう いわく かみより ころし もうす まじき そえじょう くだりて あなずるべき.
六郎左衛門尉 云く 上より 殺し まうす まじき 副状 下りて あなづるべき.

→a917

b918

るにんには あらず.
流人には あらず、.

あやまち あるならば しげつらが おおいなる とが なるべし.
あやまち あるならば 重連が 大なる 失 なるべし、.

それ よりは ただ ほうもんにて せめよかしと いいければ.
それ よりは 只 法門にて せめよかしと 云いければ.

ねんぶつしゃら あるいは じょうどの 3ぶきょう あるいは しかん あるいは しんごん とうを.
念仏者等・ 或は 浄土の 三部経・ 或は 止観・ 或は 真言 等を.

こほうしらが くびを かけさせ あるいは わきに はさませて.
小法師等が 頚に かけさせ 或は わきに はさませて.

しょうがつ 16にちに あつまる.
正月 十六日に あつまる、.

さどの くに のみならず えちご えっちゅう でわ おうしゅう しなの とうの くにぐにより あつまれる ほっしら なれば.
佐渡の 国 のみならず 越後・ 越中・ 出羽・ 奥州・ 信濃 等の 国国より 集れる 法師等 なれば.

つかはらの どうの おおにわ さんやに すうひゃくにん ろくろうざえもんのじょう きょうだいいっか.
塚原の 堂の 大庭・ 山野に 数百人・ 六郎左衛門尉・ 兄弟一家.

さ ならぬもの ひゃくしょうの にゅうどうら かずを しらず あつまりたり.
さ ならぬもの 百姓の 入道等 かずを しらず 集りたり、.

ねんぶつしゃは くちぐちに あっくを なし しんごんしは めんめんに いろを うしない てんだいしゅうぞ かつべき よしを ののしる.
念仏者は 口口に 悪口を なし 真言師は 面面に 色を 失ひ 天台宗ぞ 勝つべき よしを・ ののしる、.

ざいけの ものどもは きこうる あみだぶつの かたきよと ののしり.
在家の 者どもは 聞ふる 阿弥陀仏の かたきよと・ ののしり・.

さわぎ ひびくこと しんどう らいでんの ごとし.
さわぎ・ ひびく事・ 震動 雷電の 如し、.

にちれんは しばらく さわがせて のち
日蓮は 暫らく・ さはがせて 後・.

おのおの しずまらせ たまえ ほうもんの おんために こそ おんわたり あるらめ.
各各 しづまらせ 給へ・ 法門の 御為に こそ 御渡り あるらめ.

あっく とう よしなし と もうせ しかば.
悪口 等 よしなしと 申せ しかば・.

ろくろうざえもんを はじめて しょにん しかるべしとて.
六郎左衛門を 始めて 諸人 然るべしとて.

あっくせし ねんぶつしゃをば そくびを つき いだしぬ.
悪口せし 念仏者をば・ そくびを つき いだしぬ、.

さて しかん しんごん ねんぶつの ほうもん いちいちに かれが もうす ようを.
さて 止観・ 真言・ 念仏の 法門 一一に かれが 申す 様を・.

でっしあげて しょうぶく せさせては ちょうとは つめつめ いちごん にごんには すぎず.
でつしあげて 承伏 せさせては・ ちやうとは つめつめ・ 一言 二言には すぎず、.

かまくらの しんごんし ぜんしゅう ねんぶつしゃ てんだいの もの よりも.
鎌倉の 真言師・ 禅宗・ 念仏者・ 天台の 者 よりも・.

はかなき ものども なれば ただ おもいやらせ たまえ.
はかなき ものども なれば 只 思ひやらせ 給へ、.

りけんを もて うりを きり だいふうの くさを なびかすが ごとし.
利剣を もて・ うりを きり 大風の 草を なびかすが 如し、.

ぶっぽうの おろかなる のみならず あるいは じごそういし.
仏法の おろかなる ・のみならず 或は 自語相違し.

あるいは きょうもんを わすれて ろんと いい しゃくを わすれて ろんと いう.
或は 経文を わすれて 論と 云ひ 釈を わすれて 論と 云ふ、.

ぜんどうが やなぎより おち こうぼうだいしの さんこを なげたる だいにちにょらいを げんじたる とうをば.
善導が 柳より 落ち 弘法大師の 三鈷を 投たる 大日如来と 現じたる 等をば.

あるいは もうご あるいは ものに くるえる ところを いちいちに せめたるに.
或は 妄語 或は 物に くるへる 処を 一一に せめたるに、.

あるいは あっくし あるいは くちを とじ あるいは いろを うしない.
或は 悪口し 或は 口を 閉ぢ 或は 色を 失ひ.

あるいは ねんぶつ ひがごと なりけりと いうものも あり.
或は 念仏 ひが事 なりけりと 云うものも あり、.

あるいは とうざに けさ ひらねんじゅを すてて ねんぶつ もうすまじきよし せいじょうを たつる ものもあり.
或は 当座に 袈裟・ 平念珠を すてて 念仏 申すまじきよし 誓状を 立つる 者もあり。.

みなひと たちかえる ほどに ろくろうざえもんのじょうも たちかえる いっかの ものも かえる.
皆人 立ち帰る 程に 六郎左衛門尉も 立ち帰る 一家の 者も 返る、.

にちれん ふしぎ ひとつ いわんと おもいて ろくろうざえもんのじょうを おおにわより よび かえして いわく.
日蓮 不思議 一 云はんと 思いて 六郎左衛門尉を 大庭より よび 返して 云く.

いつか かまくらへ のぼり たまうべき.
いつか 鎌倉へ のぼり 給うべき、.

かれ こたえて いわく げにん どもに のうせさせて 7がつの ころと うんぬん.
かれ 答えて 云く 下人 共に 農せさせて 七月の 比と 云云、.

にちれん いわく ゆみや とるものは おおやけの おんだいじに あいて.
日蓮 云く 弓箭 とる者は・ ををやけの 御大事に あひて.

しょりょうをも たまわり そうろうを こそ でんばた つくるとは もうせ.
所領をも 給わり 候を こそ 田畠 つくるとは 申せ、.

ただいま いくさの あらんずるに いそぎ うちのぼり こうみょうして しょちを たまわらぬか.
只今 いくさの あらんずるに 急ぎ うちのぼり 高名して 所知を 給らぬか、.

さすがに わどのばらは さがみの くにには な ある さむらい ぞかし.
さすがに 和殿原は さがみの 国には 名 ある 侍 ぞかし、.

いなか にて た つくり いくさに はずれたらんは はじなるべしと もうせしかば.
田舎 にて 田 つくり・ いくさに・ はづれたらんは 恥なるべしと 申せしかば・.

いかにや おもいけめ あわてて ものも いわず.
いかにや 思いけめ あはてて ものも いはず、.

→a918

b919

ねんぶつしゃ じさい ざいけの ものどもも なにと いう ことぞやと あやしむ.
念仏者・ 持斎・ 在家の 者どもも・ なにと 云う 事ぞやと 恠しむ。.

さて みな かえり しかば こぞの 11がつより かんがえたる かいもくしょうと もうす もん 2かん つくりたり.
さて 皆 帰り しかば 去年の 十一月より 勘えたる 開目抄と 申す 文 二巻 造りたり、.

くび きらるる ならば にちれんが ふしぎ とどめんと おもいて かんがえたり.
頚 切るる ならば 日蓮が 不思議 とどめんと 思いて 勘えたり、.

この もんの こころは にちれんに よりて にほんこくの うむは あるべし.
此の 文の 心は 日蓮に よりて 日本国の 有無は あるべし、.

たとえば いえに はしら なければ たもたず ひとに たましい なければ しにん なり.
譬へば 宅に 柱 なければ・ たもたず 人に 魂 なければ 死人 なり、.

にちれんは にほんの ひとの たましい なり へいのさえもん すでに にほんの はしらを たおしぬ.
日蓮は 日本の 人の 魂 なり 平左衛門 既に 日本の 柱を たをしぬ、.

ただいま よ みだれて それともなく ゆめの ごとくに もうご しゅったいして.
只今 世 乱れて それともなく・ ゆめの 如くに 妄語 出来して.

この ごいちもん どしうちして のちには たこく より せめらるべし.
此の 御一門 どしうちして 後には 他国 より せめらるべし、.

れいせば りっしょうあんこくろんに くわしきが ごとし.
例せば 立正安国論に 委しきが 如し、.

かように かきつけて なかつかささぶろうざえもんのじょうが つかいに とらせぬ.
かやうに 書き付けて 中務三郎左衛門尉が 使に とらせぬ、.

つきたる でしらも あらぎかなと おもえども ちから およばざりげにて あるほどに.
つきたる 弟子等も あらぎかなと 思へども 力 及ばざりげにて ある程に、.

2がつの 18にちに しまに ふね つく.
二月の 十八日に 島に 船 つく、.

かまくらに いくさあり きょうにも あり そのよう もうす ばかりなし.
鎌倉に 軍あり 京にも あり・ そのやう 申す 計りなし、.

ろくろうざえもんのじょう そのよるに はやふねを もって いちもん あいぐして わたる.
六郎左衛門尉・ 其の 夜には やふねを もつて 一門 相具して わたる.

にちれんに たなごころを あわせて たすけさせ たまえ.
日蓮に たな心を 合せて・ たすけさせ 給へ、.

いぬる しょうがつ 16にちの おんことば いかにやと このほど うたがい もうし つるに.
去る 正月 十六日の 御言 いかにやと 此程 疑い 申し つるに・.

いくほどなく 30にちが うちに あい そうらいぬ.
いくほどな く三十日が 内に あひ 候いぬ、.

また もうここくも いちじょう わたり そうらいなん.
又 蒙古国も 一定 渡り 候いなん、.

ねんぶつ むけんじごくも いちじょうにてぞ そうらわんずらん.
念仏 無間地獄も 一定にてぞ 候はんずらん.

ながく ねんぶつ もうし そうろう まじと もうせ しかば.
永く 念仏 申し 候 まじと 申せ しかば、.

いかに いうとも さがみのこうどのらの もちい たまわざらんには.
いかに 云うとも 相模守殿等の 用ひ 給はざらんには.

にほんこくの ひと もちうまじ もちいずば くに かならず ほろぶべし.
日本国の 人 用うまじ 用ゐずば 国 必ず 亡ぶべし、.

にちれんは ようにゃくの もの なれども ほけきょうを ひろむれば しゃかぶつの おんつかい ぞかし.
日蓮は 幼若の 者 なれども 法華経を 弘むれば 釈迦仏の 御使 ぞかし、.

わずかの てんしょうだいじん しょうはちまん なんどと もうすは.
わづかの 天照太神・ 正八幡 なんどと 申すは.

この くにには おもけれども ぼんしゃく にちがつ してんに たいすれば こがみ ぞかし.
此の 国には 重けれども 梵釈・ 日月 ・四天に 対すれば 小神 ぞかし、.

されども この じんにん なんどを あやまち ぬれば.
されども 此の 神人 なんどを あやまち ぬれば.

ただの ひとを ころせるには 7にんはん なんど もうすぞかし.
只の 人を 殺せるには 七人半 なんど 申すぞかし、.

だじょうにゅうどう おきのほうおうらの ほろびたまいしは これなり.
太政入道・ 隠岐法皇等の ほろび 給いしは 是なり、.

これは それには にるべくも なし.
此れは それには にるべくも なし.

きょうしゅ しゃくそんの おんつかいなれば てんしょうだいじん しょうはちまんぐうも こうべを かたぶけ.
教主釈尊の 御使なれば 天照太神・ 正八幡宮も 頭を かたぶけ.

てを あわせて ちに ふし たまうべき ことなり.
手を 合せて 地に 伏し 給うべき 事なり、.

ほけきょうの ぎょうじゃをば ぼんしゃく さゆうに はべり.
法華経の 行者をば 梵釈・ 左右に 侍り.

にちがつ ぜんごを てらし たまう.
日月・ 前後を 照し 給ふ、.

かかる にちれんを もちいぬるとも あしく うやまわば くに ほろぶべし.
かかる 日蓮を 用いぬるとも あしく うやまはば 国 亡ぶべし、.

いかに いわんや すうひゃくにん にくませ にどまで ながしぬ.
何に 況や 数百人に にくませ 二度まで 流しぬ、.

この くにの ほろびん こと うたがいなかる べけれども.
此の 国の 亡びん 事 疑いなかる べけれども.

しばらく とどめを なして くにを たすけ たまえと にちれんが ひかうれば こそ.
且く 禁を なして 国を たすけ 給へと 日蓮が ひかうれば こそ.

いままで あんのんに ありつれども ほうに すぐれば ばち あたり ぬるなり.
今までは 安穏に ありつれども・ はうに 過ぐれば 罰 あたり ぬるなり、.

また この たびも もちいずば だいもうここく より うってを むけて にほんこく ほろぼさる べし.
又 此の 度も 用ひずば 大蒙古国 より 打手を 向けて 日本国 ほろぼさる べし、.

→a919

b920

ただ へいのさえもんのじょうが このむ わざわい なり.
ただ 平左衛門尉が 好む わざわひ なり、.

わどのばらとても この しま とても あんのんなる まじき なりと もうせしかば.
和殿原とても 此の 島 とても 安穏なる まじき なりと 申せしかば、.

あさましげにて たちかえりぬ.
あさましげにて 立帰りぬ、.

さて ざいけの ものども もうしけるは.
さて 在家の 者ども 申しけるは・.

この ごぼうは じんつうの ひとにて ましますか あらおそろし おそろし.
此の 御房は 神通の人にて ましますか・ あらおそろし・ おそろし、.

いまは ねんぶつしゃをも やしない じさいをも くよう すまじ.
今は 念仏者をも・ やしなひ 持斎をも 供養 すまじ、.

ねんぶつしゃ りょうかんが でしの じさいらが いわく この ごぼうは むほんの うちに いりたり けるか.
念仏者・ 良観が 弟子の 持斎等が 云く 此の 御房は 謀叛の 内に 入りたり けるか、.

さて しばらく ありて せけん しずまる.
さて 且く ありて 世間 しづまる。.

また ねんぶつしゃ あつまりて せんぎ す.
又 念仏者 集りて 僉議 す、.

かうて あらんには われら かつえ しぬべし.
かうて あらんには 我等 かつえし ぬべし・.

いかにも して この ほっしを うしなわばや.
いかにも して 此の 法師を 失はばや、.

すでに くにの ものも だいたい つきぬ いかんがせん.
既に 国の 者も 大体 つきぬ・ いかんがせん、.

ねんぶつしゃの ちょうじゃの ゆいあみだぶつ じさいの ちょうじゃの しょうゆぼう りょうかんが でしの どうかんら.
念仏者の 長者の 唯阿弥陀仏・ 持斎の 長者の 性諭房・ 良観が 弟子の 道観等・.

かまくらに はしり のぼりて むさしのこうどのに もうす.
鎌倉に 走り 登りて 武蔵守殿に 申す、.

この ごぼう しまに そうろう もの ならば どうとう いちうも そうろう べからず.
此の 御房・ 島に 候 もの ならば 堂塔 一宇も 候 べからず.

そう 1にんも そうろうまじ.
僧 一人も 候まじ、.

あみだぶつをば あるいは ひに いれ あるいは かわに ながす.
阿弥陀仏をば 或は 火に 入れ 或は 河に ながす、.

よるも ひるも たかき やまに のぼりて にちがつに むかって だいおんじょうを はなって かみを じゅそし たてまつる.
夜も ひるも 高き 山に 登りて 日月に 向つて 大音声を 放つて 上を 呪咀し 奉る、.

その おんじょう いっこくに きこうと もうす.
其の 音声・ 一国に 聞ふと 申す、.

むさしのぜんじどの これを きき かみへ もうすまでも あるまじ.
武蔵前司殿・ 是を きき 上へ 申すまでも あるまじ、.

まず くにじゅうの もの にちれんぼうに つくならば.
先ず 国中の もの 日蓮房に つくならば.

あるいは くにを おい あるいは ろうに いれよと わたくしの げちを くだす.
或は 国を おひ 或は ろうに 入れよと 私の 下知を 下す、.

また くだしぶみ くだる かくの ごとく みたび その あいだの こと もうさざるに こころを もって はかりぬべし.
又 下文 下る かくの 如く 三度 其の 間の 事 申さざるに 心を もて 計りぬべし、.

あるいは その まえを とおれりと いうて ろうに いれ.
或は 其の 前を とをれりと 云うて・ ろうに 入れ.

あるいは その ごぼうに ものを まいらせけりと いうて くにを おい あるいは さいしを とる.
或は 其の 御房に 物を まいらせけりと 云うて 国を おひ 或は 妻子を とる、.

かくの ごとくして かみへ この よしを もうされければ あんに そういして.
かくの 如くして 上へ 此の 由を 申されければ 案に 相違して.

いぬる ぶんえい 11ねん 2がつ 14かの ごしゃめんの じょう どう 3がつ ようかに しまに つきぬ.
去る 文永 十一年 二月 十四日の 御赦免の 状・ 同 三月 八日に 島に つきぬ、.

ねんぶつしゃら せんぎして いわく これほどの あみだぶつの おんかたき ぜんどうわじょう ほうねんしょうにんを のるほどの ものが.
念仏者等・ 僉議して 云く 此れ程の 阿弥陀仏の 御敵・ 善導和尚・ 法然上人を のるほどの 者が・.

たまたま ごかんきを こうむりて この しまに はなされたるを.
たまたま 御勘気を 蒙りて 此の 島に 放されたるを.

ごしゃめん あるとて いけて かえさんは こころうき こと なりと いうて.
御赦免 あるとて いけて 帰さんは 心うき 事 なりと 云うて、.

ようようの したく ありしかども いかなる ことにや ありけん.
やうやうの 支度 ありしかども 何なる 事にや 有りけん、.

おもわざるに じゅんぷう ふき きたりて しまをば たちしかば.
思はざるに 順風 吹き 来りて 島をば・ たちしかば.

あわい あしければ 100にち 50にちにも わたらず.
あはい あしければ 百日・ 五十日にも わたらず、.

じゅんぷうには 3かなる ところを しゅゆの あいだに わたりぬ.
順風には 三日なる 所を 須臾の 間に 渡りぬ、.

えちごの こう しなのの ぜんこうじの ねんぶつしゃ じさい しんごんらは うんじゅうして せんぎ す.
越後の こう・ 信濃の 善光寺の 念仏者・ 持斎・ 真言等は 雲集して 僉議 す、.

しまの ほっしばらは いままで いけて かえすは ひとかったい なり.
島の 法師原は 今まで・ いけて かへすは 人かつたい なり、.

われらは いかにも しょうしんの あみだぶつの おんまえをば とおすまじと せんぎ せしかども.
我等は いかにも 生身の 阿弥陀仏の 御前をば・ とをすまじと 僉議 せしかども、.

また えちごのこう より つわものども あまた にちれんに そいて.
又 越後のこう より 兵者ども・あまた 日蓮に そひて.

ぜんこうじを とおり しかば ちから およばず.
善光寺を とをり しかば 力 及ばず、.

→a920

b921

3がつ 13にちに しまを たちて どう 3がつ 26にちに かまくらへ うちいりぬ.
三月 十三日に 島を 立ちて 同 三月 二十六日に 鎌倉へ 打ち入りぬ。.

どう 4がつ 8か へいのさえもんのじょうに けんざんしぬ.
同 四月 八日 平左衛門尉に 見参しぬ、.

さきには にるべくも なく いぎを やわらげて ただしく する うえ.
さきには・ にるべくも なく 威儀を 和らげて・ ただしく する 上・.

ある にゅうどうは ねんぶつを とう ある ぞくは しんごんを とう ある ひとは ぜんを とう.
或る 入道は 念仏を とふ・ 或る 俗は 真言を とふ・ 或る 人は 禅を とふ・.

へいのさえもんのじょうは にぜん とくどうの うむを とう いちいちに きょうもんを ひいて もうしぬ.
平左衛門尉は 爾前 得道の 有無を とふ・ 一一に 経文を 引いて 申しぬ、.

へいのさえもんのじょうは かみの おんつかいの ようにて だいもうここくは いつか わたり そうろうべきと もうす.
平の左衛門尉は 上の 御使の 様にて 大蒙古国は いつか 渡り 候べきと 申す、.

にちれん こたえて いわく ことしは いちじょう なり.
日蓮 答えて 云く 今年は 一定 なり.

それに とっては にちれん いぜんより かんがえ もうすをば おんもちい なし.
それに とつては 日蓮 已前より 勘へ 申すをば 御用ひ なし、.

たとえば やまいの おこりを しらざる ひとの やまいを じせば いよいよ やまいは ばいぞう すべし.
譬えば 病の 起りを 知らざる 人の 病を 治せば 弥よ 病は 倍増 すべし、.

しんごんし だにも じょうぶく する ならば いよいよ このくに いくさに まくべし あなかしこ あなかしこ.
真言師 だにも 調伏 する ならば 弥よ 此の国 軍に まくべし・ 穴賢 穴賢、.

しんごんし そうじて とうせいの ほっしらを もって おんいのり ある べからず.
真言師・ 総じて 当世の 法師等を もつて 御祈り 有る べからず・.

おのおのは ぶっぽうを しらせ たまうて おわさばこそ もうすとも しらせ たまわめ.
各各は 仏法を しらせ 給うて おわさばこそ 申すとも しらせ 給はめ、.

また いかなる ふしぎにや あるらん たじには ことにして にちれんが もうす ことは おんもちい なし.
又 何なる 不思議にや あるらん 他事には・ ことにして 日蓮が 申す 事は 御用い なし、.

のちに おもい あわせさせ たてまつらんが ために もうす.
後に 思い 合せさせ 奉らんが 為に 申す.

おきのほうおうは てんし なり ごんのたいふどのは たみ ぞかし.
隠岐法皇は 天子 なり 権大夫殿は 民 ぞかし、.

この おやを あだまんをば てんしょうだいじん うけ たまいなんや.
子の 親を あだまんをば 天照太神 うけ 給いなんや、.

しょじゅうが しゅくんを かたきと せんをば しょうはちまんは おんもちい ある べしや.
所従が 主君を 敵と せんをば 正八幡は 御用い ある べしや、.

いかなり ければ くげは まけ たまい けるぞ.
いかなり ければ 公家は まけ 給い けるぞ、.

これは ひとえに ただごとには あらず.
此れは 偏に 只事には あらず.

こうぼうだいしの じゃぎ じかくだいし ちしょうだいしの びゃっけんを まことと おもいて.
弘法大師の 邪義・ 慈覚大師・ 智証大師の 僻見を まことと 思いて.

えいざん とうじ おんじょうじの ひとびとの かまくらを あだみ たまい しかば.
叡山・ 東寺・ 園城寺の 人人の 鎌倉を あだみ 給い しかば.

げんちゃくおほんにんとて その とが かえって くげは まけ たまいぬ.
還著於本人とて 其の 失 還つて 公家は まけ 給いぬ、.

ぶけは その こと しらずして じょうぶくも おこなわざれば かちぬ.
武家は 其の 事 知らずして 調伏も 行はざれば かちぬ.

いま また かくの ごとく なるべし.
今 又 かくの 如く なるべし、.

えぞは ししょう ふちの もの あんどうごろうは いんがの どうりを わきまえて どうとう おおく つくりし ぜんにん なり.
ゑぞは 死生 不知の もの 安藤五郎は 因果の 道理を 弁えて 堂塔 多く 造りし 善人 なり、.

いかにとして くびをば えぞに とられぬるぞ.
いかにとして 頚をば・ ゑぞに・ とられぬるぞ、.

これを もって おもうに この ごぼうたちだに おんいのり あらば.
是を もつて 思うに 此の 御房たちだに 御祈 あらば.

にゅうどうどの ことに あい たまいぬと おぼえ そうろう あなかしこ あなかしこ.
入道殿・ 事に あひ 給いぬと 覚え 候、 あなかしこ・ あなかしこ・.

さ いわざり けると おおせ そうろうなと したたかに もうし つけ そうらいぬ.
さ・ いはざり けると・ おほせ 候なと・ したたかに 申し 付け 候いぬ。.

さて かえり きき しかば どう 4がつ とおか より.
さて かへり きき しかば 同 四月 十日 より.

あみだどう ほういんに おおせつけられて あめの おんいのり あり.
阿弥陀堂 法印に 仰付られて 雨の 御いのり あり、.

この ほういんは とうじ だい1の ちじん おむろらの おんし こうぼうだいし じかくだいし ちしょうだいしの しんごんの ひほうを かがみに かけ.
此の 法印は 東寺 第一の 智人・ をむろ等の 御師・ 弘法大師・ 慈覚大師・ 智証大師の 真言の 秘法を 鏡に かけ.

てんだい けごんらの しょしゅうを みな むねに うかべたり.
天台・ 華厳等の 諸宗を・ みな 胸に うかべたり、.

それに したがいて とおか よりの きうに 11にちに おおあめ ふりて かぜ ふかず.
それに 随いて 十日 よりの 祈雨に 十一日に 大雨 下りて 風 ふかず.

あめ しずかにて いちにち いちや ふり しかば.
雨 しづかにて 一日 一夜 ふり しかば・.

→a921

b922

こうどの ぎょかんの あまりに きん 30りょう うま ようようの おんひきでもの ありと きこう.
守殿 御感の あまりに 金三十両 むま やうやうの 御ひきで物 ありと・ きこふ、.

かまくらじゅうの じょうげ ばんにん てを たたき くちを すくめて わらう ようは.
鎌倉中の 上下・ 万人・ 手を たたき 口を すくめて わらう やうは.

にちれん ひが ほうもん もうして すでに くびを きられんと せしが.
日蓮 ひが 法門 申して・ すでに 頚を きられんと せしが・.

とこうして ゆりたらば さでは なくてして ねんぶつ ぜんを そしる のみならず.
とかうして ゆりたらば・ さでは なくして 念仏・ 禅を そしる のみならず、.

しんごんの みっきょう なんどをも そしる ゆえに かかる ほうの しるし めでたしと ののしり しかば.
真言の 密教 なんどをも・ そしる ゆへに・ かかる 法の しるし めでたしと・ ののしり しかば、.

にちれんが でしら きょうさめて これは おんあら ぎと もうせし ほどに.
日蓮が 弟子等 けうさめて・ これは 御あら 義と 申せし 程に・.

にちれんが もうすようは しばし まて こうぼうだいしの あくぎ まことにて.
日蓮が 申すやうは しばし まて 弘法大師の 悪義 まことにて.

くにの おんいのりと なるべくば おきのほうおう こそ いくさに かち たまわめ.
国の 御いのりと なるべくば 隠岐法皇 こそ・ いくさに かち 給はめ、.

おむろ さいあいの ちご せいたかも くびを きられざるらん.
をむろ 最愛の 児 せいたかも 頚を きられざるらん、
.
こうぼうの ほけきょうを けごんきょうに おとれりと かける じょうは.
弘法の 法華経を 華厳経に をとれりと かける 状は.

じゅうじゅうしんろんと もうす ふみに あり.
十住心論と 申す 文に あり、.

じゅりょうほんの しゃかぶつをば ぼんぷ なりと しるされたる もんは ひぞうほうやくに そうろう.
寿量品の 釈迦仏をば 凡夫 なりと しるされたる 文は 秘蔵宝鑰に 候、.

てんだいだいしを ぬすびとと かける じょうは 2きょうろんに あり.
天台大師を ぬす人と かける 状は 二教論に あり、.

いちじょう ほけきょうを とける ほとけをば しんごんしの はきものとりにも およばずと かける じょうは しょうかくぼうが しゃりこうの しきに あり.
一乗 法華経を とける 仏をば 真言師の はきものとりにも 及ばずと かける 状は 正覚房が 舎利講の 式に あり、.

かかる ひがごとを もうす ひとの でし あみだどうの ほういんが にちれんに かつならば りゅうおうは ほけきょうの かたき なり.
かかる 僻事を 申す 人の 弟子・ 阿弥陀堂の 法印が 日蓮に かつならば 竜王は 法華経の かたき なり、.

ぼんしゃく しおうに せめられなん しさいぞ あらんずらんと もうせば.
梵釈・ 四王に せめられなん 子細ぞ あらんずらんと 申せば、.

でしどもの いわく いかなる しさいの あるべきぞと おこつきし ほどに.
弟子どもの いはく・ いかなる 子細の あるべきぞと をこつきし 程に、.

にちれん いわく ぜんむいも ふくうも あめの いのりに あめは ふりたり しかども おおかぜ ふきて ありけると みゆ.
日蓮 云く 善無畏も 不空も 雨の いのりに 雨は ふりたり しかども 大風 吹きて ありけると みゆ、.

こうぼうは みなのか すぎて あめを ふらしたり これらは あめ ふらさぬが ごとし.
弘法は 三七日 すぎて 雨を ふらしたり、 此等は 雨 ふらさぬが ごとし、.

さんしち 21にちに ふらぬ あめや あるべき.
三七・ 二十一日に ふらぬ 雨や あるべき.

たとい ふりたりとも なんの ふしぎか あるべき.
設い ふりたりとも・ なんの 不思議か あるべき、.

てんだいの ごとく せんかん なんどの ごとく いちざ なんど こそ とうとけれ.
天台の ごとく 千観 なんどの ごとく 一座 なんど・こそ たうとけれ、.

これは いちじょう よう あるべしと いいも あわせず だいふう ふき きたる.
此れは 一定 やう あるべしと・ いゐも あはせず 大風 吹 来る、.

だいしょうの しゃたく どうとう こぼく ごしょらを あるいは てんに ふきのぼせ あるいは ちに ふき いれ.
大小の 舎宅・ 堂塔・ 古木・ 御所等を 或は 天に 吹き のぼせ 或は 地に 吹き 入れ、.

そらには おおいなる ひかりもの とび ちには とうりょう みだれたり.
そらには 大なる 光り物 とび 地には 棟梁 みだれたり、.

ひとびとをも ふきころし ぎゅうば おおく たおれぬ.
人人をも・ ふきころし 牛馬 ををく たふれぬ、.

あくふう なれども あきは とき なれば なお ゆるす かたも あり.
悪風 なれども 秋は 時 なれば・ なを ゆるす かたも あり.

これは なつ 4がつ なり.
此れは 夏 四月 なり、.

そのうえ にほんこくには ふかず ただ かんとう 8かこく なり.
其の上 日本国には ふかず 但 関東・ 八箇国 なり.

8かこくにも むさし さがみの りょうこく なり.
八箇国にも 武蔵・ 相模の 両国 なり.

りょうこくの なかには そうしゅうに つよく ふく.
両国の 中には 相州に つよく ふく、.

そうしゅうにも かまくら かまくらにも ごしょ わかみや けんちょうじ ごくらくじ とうに つよく ふけり.
相州にも・ かまくら・ かまくらにも 御所・ 若宮・ 建長寺・ 極楽寺 等に つよく ふけり、.

ただごととも みえず.
ただ事とも みへず・.

ひとえに この いのりの ゆえにやと おぼえて わらい くち すくめせし ひとびとも きょうさめて ありし うえ.
ひとへに この いのりの・ ゆへにやと・ おぼへて・ わらひ 口 すくめせし 人人も・ けうさめて ありし 上.

わが でしどもも あら ふしぎやと したを ふるう.
我が 弟子どもも あら 不思議やと 舌を ふるう。.

→a922

b923

もとより ごせし こと なれば さんど くにを いさめんに.
本より ごせし 事 なれば 三度・ 国を いさめんに・.

もちいずば くにを さるべしと.
もちゐずば 国を さるべしと、.

されば どう 5がつ 12にちに かまくらを いでて この やまに いる.
されば 同 五月 十二日に かまくらを・ いでて 此の 山に 入る、.

どう 10がつに だいもうここく よせて いき つしまの 2かこくを うちとらるる のみならず.
同 十月に 大蒙古国 よせて 壱岐・ 対馬の 二箇国を 打ち取らるる のみならず、.

だざいふも やぶられて しょうににゅうどう おおともら さき にげに にげ.
太宰府も やぶられて 少弐入道・ 大友等 きき にげに にげ.

その ほかの つわものども その こと ともなく だいたい うたれぬ.
其の 外の 兵者ども 其の 事 ともなく 大体 打たれぬ、.

また こんど よせくる ならば いかにも この くに よわよわと みゆる なり.
又 今度 よせくる ならば・ いかにも 此の 国 よはよはと 見ゆる なり、.

にんのうきょうには「しょうにん さる ときは しちなん かならず おこる」とう うんぬん.
仁王経には「聖人 去る 時は 七難 必ず 起る」等 云云、.

さいしょうおうきょうに いわく.
最勝王経に 云く.

「あくにんを あいぎょうし ぜんにんを じばつ するに よるが ゆえに.
「悪人を 愛敬し 善人を 治罰 するに 由るが 故に.

ないし たほうの おんぞく きたりて くにびと そうらんに あわん」とう うんぬん.
乃至 他方の 怨賊 来りて 国人 喪乱に 遇わん」等 云云、.

ぶっせつ まこと ならば このくにに いちじょう あくにんの あるを.
仏説 まこと ならば 此の国に 一定 悪人の あるを.

こくしゅ たっとませ たまいて ぜんにんを あだませ たまうにや.
国主 たつとませ 給いて 善人を あだませ 給うにや、.

だいしっきょうに いわく.
大集経に 云く.

「にちがつ みょうを げんぜず しほう みな こうかんす かくの ごとく ふぜんごうの あくおう あくびく わが しょうほうを きえ せん」うんぬん.
「日月 明を 現ぜず 四方 皆 亢旱す 是くの 如く 不善業の 悪王 悪比丘 我が 正法を 毀壊 せん」云云、.

にんのうきょうに いわく.
仁王経に 云く.

「もろもろの あくびく おおく みょうりを もとめ こくおう たいし おうじの まえに おいて みずから はぶっぽうの いんねん はこくの いんねんを とく.
「諸の 悪比丘 多く 名利を 求め 国王・ 太子・ 王子の 前に 於て 自ら 破仏法の 因縁 破国の 因縁を 説く、.

その おう わきまえずして このことばを しんちょうせん これを はぶっぽう はこくの いんねんと なす」とう うんぬん.
其の 王 別えずして 此の 語を 信聴せん 是を 破仏法 破国の 因縁と 為す」等 云云、.

ほけきょうに いわく「じょくせの あくびく」とう うんぬん.
法華経に 云く「濁世の 悪比丘」等 云云、.

きょうもん まこと ならば この くにに いちじょう あくびくの あるなり.
経文 まこと ならば 此の 国に 一定・ 悪比丘の あるなり、.

それ ほうざんには きょくりんを きる たいかいには しがいを とどめず.
夫れ 宝山には 曲林を きる 大海には 死骸を とどめず、.

ぶっぽうの たいかい いちじょうの ほうざんには ごぎゃくの がりゃく しじゅうの じょくすいをば いるれども.
仏法の 大海・ 一乗の 宝山には 五逆の 瓦礫・ 四重の 濁水をば 入るれども.

ひぼうの しがいと いっせんだいの きょくりんをば おさめざるなり.
誹謗の 死骸と 一闡提の 曲林をば・ をさめざるなり、.

されば ぶっぽうを ならわん ひと ごせを ねがわん ひとは ほっけ ひぼうを おそるべし.
されば 仏法を 習わん 人・ 後世を ねがはん 人は 法華 誹謗を おそるべし。.

みな ひと おぼする ようは いかでか こうぼう じかいらを そしる ひとを もちうべきと.
皆人 をぼする やうは・ いかでか 弘法・ 慈覚等を そしる 人を 用うべきと、.

たにんは さておきぬ.
他人は・ さてをきぬ.

あわの くにの とうざいの ひとびとは この ことを しんずべき ことなり.
安房の 国の 東西の 人人は 此の 事を 信ずべき 事なり、.

がんぜんの げんしょうあり いのもりの えんとんぼう せいちょうの さいぎょうぼう.
眼前の 現証あり いのもりの 円頓房・ 清澄の 西尭房・.

どうぎぼう かたうみの じっちぼうらは とうとかりし そう ぞかし.
道義房・ かたうみの 実智房等は たうとかりし 僧 ぞかし、.

これらの りんじゅうは いかんが ありけんと たずねべし.
此等の 臨終は いかんが ありけんと 尋ぬべし、.

これらは さておきぬ.
これらは さてをきぬ、.

えんちぼうは せいちょうの だいどうにして さんかねんが あいだ.
円智房は 清澄の 大堂にして 三箇年が 間.

いちじさんらいの ほけきょうを われと かきたてまつりて 10かんを そらに おぼえ.
一字三礼の 法華経を 我と かきたてまつりて 十巻を そらに をぼへ、.

50ねんが あいだ いちにち いちやに 2ぶづつ よまれしぞかし.
五十年が 間 一日 一夜に 二部づつ よまれしぞかし、.

かれをば みなひとは ほとけに なるべしと うんぬん.
かれをば 皆人は 仏に なるべしと 云云、.

にちれん こそ ねんぶつしゃ よりも どうぎぼうと えんちぼうとは むけんじごくの そこに おつべしと もうし たりしが.
日蓮 こそ 念仏者 よりも 道義房と 円智房とは 無間地獄の 底に をつべしと 申し たりしが.

この ひとびとの ごりんじゅうは よく そうらいけるか.
此の 人人の 御臨終は よく 候いけるか・.

いかに にちれん なくば この ひとびとをば ほとけに なりぬ.
いかに、 日蓮 なくば 此の 人人をば 仏に なりぬ.

→a923

b924

こうどの これを もって しろしめせ.
守殿 これを もつて・ しろしめせ.

こうぼう じかくらは あさましき ことどもは あれども.
弘法・ 慈覚等は あさましき 事どもは あれども.

でしども かくせ しかば くげにも しらせ たまわず.
弟子ども 隠せ しかば 公家にも しらせ 給はず.

すえの よは いよいよ あおぐなり.
末の 代は・ いよいよ・ あをぐなり、.

あらわす ひとなくば みらい えいごう までも さで あるべし.
あらはす 人なくば 未来 永劫 までも・ さで あるべし、.

くるげどうは 800ねん ありて みずと なり.
拘留外道は 八百年 ありて 水と なり、.

かびらげどうは いっせんねんすぎて こそ その とがは あらわれしか.
迦毘羅外道は 一千年 すぎて こそ 其の 失は あらわれしか。.

それ じんしんを うくる ことは ごかいの ちからに よる.
夫れ 人身を うくる 事は 五戒の 力に よる、.

ごかいを たもてる ものをば 25の ぜんしん これを まもる うえ.
五戒を 持てる 者をば 二十五の 善神 これを まほる 上.

どうしょう どうみょうと もうして 2つの てん うまれしより このかた.
同生同名と 申して 二つの 天 生れしより このかた.

さゆうの かたに しゅごする ゆえに とがなくて きじん あだむこと なし.
左右の かたに 守護する ゆへに 失なくて 鬼神 あだむこと なし、.

しかるに この くにの むりょうの しょにん なげきを なす のみならず.
しかるに 此の 国の 無量の 諸人 なげきを・ なす のみならず、.

ゆきつしまの りょうこくの ひと みな ことに あいぬ だざいふ また もうす ばかりなし.
ゆきつしまの 両国の 人・ 皆 事に あひぬ 太宰府 又 申す ばかりなし、
.
この くには いかなる とがの あるやらん しらまほほしき ことなり.
此の 国は いかなる とがの あるやらん・ しらまほほしき 事なり、.

1にん 2にん こそ とがも あるらめ そこばくの ひとびと いかん.
一人・ 二人 こそ 失も・ あるらめ・ そこばくの 人人 いかん、.

これ ひとえに ほけきょうを さぐる こうぼう じかく ちしょうらの すえの しんごんし ぜんどう ほうねんが すえの でしら.
これ ひとへに 法華経を さぐる 弘法・ 慈覚・ 智証等の 末の 真言師・ 善導・ 法然が 末の 弟子等・.

だるまらの ひとびとの すえの ものども くにじゅうに じゅうまんせり.
達磨等の 人人の 末の 者ども 国中に 充満 せり、.

ゆえに ぼんしゃく してんらの ほけきょうの ざの せいじょうの ごとく.
故に 梵釈・ 四天等の 法華経の 座の 誓状の ごとく.

ずはさ しちぶんの とがに あてらるる なり.
頭破作七分の 失に あてらるる なり。.

うたがって いわく ほけきょうの ぎょうじゃを あだむ ものは ずはさ しちぶんと とかれて そうろうに.
疑つて 云く 法華経の 行者を あだむ 者は 頭破作 七分と とかれて 候に・.

にちれんぼうを そしれども こうべも われぬは にちれんぼうは ほけきょうの ぎょうじゃには あらざるかと もうすは どうり なりと おぼえ そうろうは いかん.
日蓮房を そしれども 頭も われぬは 日蓮房は 法華経の 行者には あらざるかと 申すは 道理 なりと をぼへ 候は いかん、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

にちれんを ほけきょうの ぎょうじゃにて なしと もうさば ほけきょうを なげすてよと かける ほうねんら.
日蓮を 法華経の 行者にて なしと 申さば 法華経を なげすてよと かける 法然等・.

むみょうの へんいきと しるせる こうぼうだいし.
無明の 辺域と しるせる 弘法大師・.

りどうじしょうと のべたる ぜんむい じかくらが ほけきょうの ぎょじゃにて あるべきか.
理同事勝と 宣たる 善無畏・ 慈覚等が 法華経の 行者にて あるべきか、.

また ずはさ しちぶんと もうすことは いかなる ことぞ.
又 頭破作 七分と 申す事は いかなる 事ぞ.

かたなを もて きるように わるると しれるか.
刀を もて きるやうに わるると しれるか、.

きょうもんには にょありじゅしと こそ とかれたれ.
経文には 如阿梨樹枝と こそ とかれたれ、.

ひとの こうべに 7てき あり しちきじん ありて いってき くえば こうべを いたむ.
人の 頭に 七滴 あり 七鬼神 ありて 一滴 食へば 頭を いたむ.

さんてきを くえば いのち たえんと す ななてき みな くえば しする なり.
三滴を 食へば 寿 絶えんとす 七滴 皆 食えば 死する なり、.

いまの よの ひとびとは みな こうべ ありじゅの えだの ごとくに われたれども あくごう ふかくして しらざる なり.
今の 世の 人人は 皆 頭 阿梨樹の 枝の ごとくに・ われたれども 悪業 ふかくして・ しらざる なり、.

れいせば てを おいたる ひとの あるいは さけに よい あるいは ねいり ぬれば おぼえ ざるが ごとし.
例せば てを おいたる 人の 或は 酒に ゑい 或は ねいり ぬれば・ をぼえ ざるが 如し、.

また ずはさ しちぶんと もうすは あるいは しんはさ しちぶんとも もうして.
又 頭破作 七分と 申すは 或は 心破作 七分とも 申して.

いただきの かわの そこにある ほねの ひび たふるなり.
頂の 皮の 底にある 骨の ひび たふるなり、.

しぬる ときは わるる ことも あり.
死ぬる 時は・ わるる 事も あり、.

いまの よの ひとびとは いぬる しょうかの おおじしん ぶんえいの だいすいせいに みな こうべ われて そうろう なり.
今の 世の 人人は 去ぬる 正嘉の 大地震・ 文永の 大彗星に 皆 頭 われて 候 なり、.

その こうべの われし とき せいせい やみ ごぞうの そんぜし とき あかき はらを やみしなり.
其の 頭の われし 時 せひせひ やみ・ 五臓の 損ぜし 時 あかき 腹を やみしなり、.

→a924

b925

これは ほけきょうの ぎょうじゃを そしりし ゆえに あたりし ばちとは しらずや.
これは 法華経の 行者を そしりし ゆへに あたりし 罰とは しらずや。.

されば しかは あじある ゆえに ひとに ころされ.
されば 鹿は 味ある 故に 人に 殺され.

かめは あぶらある ゆえに いのちを がいせらる.
亀は 油ある 故に 命を 害せらる.

にょにんは みめ かたちよければ ねたむ もの おおし.
女人は みめ 形 よければ 嫉む 者 多し、.

くにを おさむる ものは たこくの おそれあり.
国を 治る 者は 他国の 恐れあり.

たから ある ものは いのち あぶなし ほけきょうを たもつ ものは かならず じょうぶつし そうろう.
財 有る 者は 命 危し 法華経を 持つ 者は 必ず 成仏し 候、.

ゆえに だい6てんの まおうと もうす さんがいの ぬし この きょうを たもつ ひとをば あながちに ひがみ ねたみ そうろうなり.
故に 第六天の 魔王と 申す 三界の 主 此の 経を 持つ 人をば 強に 嫉み 候なり、.

この まおう えきびょうの かみの めにも みえずして ひとに つき そうろうように.
此の 魔王 疫病の 神の 目にも 見えずして 人に 付き 候やうに.

ふるざけに ひとの よい そうろう ごとく こくしゅ ふぼ さいしに つきて.
古酒に 人の 酔い 候 如く 国主 父母 妻子に 付きて.

ほけきょうの ぎょうじゃを ねたむべしと みえて そうろう.
法華経の 行者を 嫉むべしと 見えて 候、.

すこしも たがわざるは とうじの よにて そうろう.
少しも 違わざるは 当時の 世にて 候、.

にちれんは なんみょうほうれんげきょうと となうる ゆえに 20よねん ところを おわれ.
日蓮は 南無妙法蓮華経と 唱うる 故に 二十余年 所を 追はれ.

にどまで ごかんきを こうむり さいごには この やまに こもる.
二度まで 御勘気を 蒙り 最後には 此の 山に こもる、.

この やまの ていたらくは にしは しちめんの やま ひがしは てんしの たけ きたは みのぶの やま みなみは たかとりの やま.
此の 山の 体たらくは 西は 七面の 山・ 東は 天子の たけ 北は 身延の 山・ 南は 鷹取の 山・.

よっつの やま たかきこと てんに つき さがしきこと ひちょうも とびがたし.
四つの 山 高きこと 天に 付き・ さがしきこと 飛鳥も とびがたし、.

なかに よっつの かわあり いわゆる ふじがわ はやか おおしらかわ みのぶがわ なり.
中に 四つの 河あり 所謂・ 富士河・ 早河・ 大白河・ 身延河 なり、.

その なかに いっちょう ばかり はざまの そうろうに あんじちを むすびて そうろう.
其の 中に 一町 ばかり 間の 候に 庵室を 結びて 候、.

ひるは ひを みず よるは つきを はいせず ふゆは ゆき ふかく なつは くさ しげり.
昼は 日を みず 夜は 月を 拝せず 冬は 雪 深く 夏は 草 茂り.

とう ひと まれならば みちを ふみ わくる こと かたし.
問う 人 希なれば 道を ふみ わくる こと かたし、.

ことに ことしは ゆき ふかくして ひと とう こと なし.
殊に 今年は 雪 深くして 人 問う こと なし.

いのちを ごとして ほけきょう ばかりを たのみ たてまつり そうろうに おんおとずれ ありがたく そうろう.
命を 期として 法華経 計りを たのみ 奉り 候に 御音信 ありがたく 候、.

しらず しゃかぶつの おんつかいか.
しらず 釈迦仏の 御使か.

かこの ふぼの おんつかいかと もうすばかりなく そうろう.
過去の 父母の 御使かと 申すばかりなく 候、.

なんみょうほうれんげきょう なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経・ 南無妙法蓮華経。.

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