b926から931.
光日房御書 (こうにちぼう ごしょ).
日蓮大聖人 55歳 御作.

 

b926

こうにちぼう ごしょ.
光日房 御書.

いぬる ぶんえい 8ねん たいさき かのとひつじ 9がつの ころより.
去る 文永 八年 太歳辛未 九月の ころより.

ごかんきを かおりて ほっこくの かいちゅう.
御勘気を かほりて 北国の 海中.

さどの しまに はなたれたり しかば.
佐渡の 嶋に はなたれたり しかば.

なにとなく おうしゅう かまくらに じゅうしには.
なにとなく 相州 鎌倉に 住しには.

しょうごく なれば あわの くには こいしかり しかども.
生国 なれば 安房の 国は こひしかり しかども.

わが くに ながらも ひとの こころも いかにとや むつび にくく ありしかば.
我が 国 ながらも 人の 心も いかにとや むつび にくく ありしかば.

つねには かよう ことも なくして すぎしに.
常には かよう 事も なくして すぎしに.

ごかんきの みと なりて しざいと なる べかりしが.
御勘気の 身と なりて 死罪と なる べかりしが.

しばらく くにの そとに はなれたりし うえは.
しばらく 国の 外に はなたれし 上は.

おぼろげならでは かまくらへは かえる べからず.
をぼろげならでは かまくらへは かへる べからず.

かえらずば また ふぼの はかを みる みと なりがたしと おもい つづけ しかば.
かへらずば 又 父母の はかを みる 身と なりがたしと をもひ つづけ しかば.

いまさら とびたつ ばかり くやしくて など かかかる みと ならざりし とき.
いまさら とびたつ ばかり くやしくて など かかかる 身と ならざりし 時.

ひにも つきにも うみも わたり やまを こえて ふぼの はかをも み.
日 にも 月 にも 海も わたり 山をも こえて 父母の はかをも み.

ししょうの ありようをも とい おとずれ ざりけんと なげかしくして.
師匠の ありやうをも とひ をとづれ ざりけんと なげかしくて.

かの そぶが ここくに いりて 19ねん.
彼の 蘇武が 胡国に 入りて 十九年.

かりの みなみへ とびけるを うらやみ.
かりの 南へ とびけるを うらやみ.

なかまろが にほんこくの ちょうしとして もろこしに わたりて ありしが.
仲丸が 日本国の 朝使として もろこしに わたりて ありしが.

かえされずして としを へ しかば つきの ひがしに いでたるを みて.
かへされずして としを 経 しかば 月の 東に 出でたるを みて.

わが くに みかさの やまにも この つきは いでさせ たまいて.
我が 国 みかさの 山にも 此の 月は 出でさせ 給いて.

こきょうの ひとも ただいま つきに むかいて ながむらんと こころを すましてけり.
故里の 人も 只今 月に 向いて ながむらんと 心を すましてけり.

これも かく おもいやりし とき.
此れも かく をもひやりし 時.

わが くに より あるいは ひとの びんに つけて ころもを たび たりし とき.
我が 国 より 或 人の びんに つけて 衣を たび たりし 時.

かの そぶが かりの あし これは げんに ころも あり.
彼の 蘇武が かりの あし 此れは 現に 衣 あり.

にるべくも なく こころ なぐさみて そうらいしに.
にるべくも なく 心 なぐさみて 候しに.

にちれんは させる とが あるべしとは おもわねども.
日蓮は させる 失 あるべしとは をもはねども.

この くにの ならい ねんぶつしゃと ぜんしゅうと りっしゅうと しんごんしゅうに すかされぬる ゆえに.
此の 国の ならひ 念仏者と 禅宗と 律宗と 真言宗に すかされぬる ゆへに.

ほけきょうをば かみには とうとむ よしを ふるまい.
法華経をば 上には たうとむ よしを ふるまい.

こころには いらざる ゆえに にちれんが ほけきょうを いみじき よし もうせば.
心には 入らざる ゆへに 日蓮が 法華経を いみじき よし 申せば.

いおんのうぶつの すえの まっぽうに ふきょうぼさつを にくみし ごとく.
威音王仏の 末の 末法に 不軽菩薩を にくみし ごとく.

かみ いちにん より しも ばんにんに いたるまで  なをも きかじ.
上 一人 より 下 万人に いたるまで 名をも きかじ.

まして かたちを みる ことは おもいも よらず.
まして 形を みる 事は をもひ よらず.

されば たとい とが なくとも かくなさるる うえは ゆるしがたし.
されば たとひ 失 なくとも かくなさるる 上は ゆるしがたし.

→a926

b927

まして いわんや にほんこくの ひとの ふぼ よりも おもく.
まして いわうや 日本国の 人の 父母 よりも をもく.

にちがつ よりも たかく たのみ たまえる ねんぶつを むけんの ごうと もうし.
日月 よりも たかく たのみ たまへる 念仏を 無間の 業と 申し.

ぜんしゅうは てんまの しょい しんごんは ぼうこくの じゃほう.
禅宗は 天魔の 所為 真言は 亡国の 邪法.

ねんぶつしゃ ぜんしゅう りっそう とうが てらをば やきはらい.
念仏者 禅宗 律僧 等が 寺をば やきはらひ.

ねんぶつしゃどもが くびを はねらるべしと もうす ゆえ.
念仏者 どもが 頸を はねらるべしと 申す 上.

こ さいみょうじ ごくらくじの りょう にゅうどうを あびじごくに おち たまいたりと もうすほどの だいか ある み なり.
故 最明寺 極楽寺の 両 入道殿を阿鼻地獄に 堕ち 給いたりと 申すほどの 大禍 ある 身 なり.

これほどの だいじを じょうげばんにんに もうし つけられぬる うえは.
此れ程の 大事を 上下万人に 申し つけられぬる 上は.

たとえ そらごと なりとも この よには うかびがたし.
設ひ そらごと なりとも 此の 世には うかびがたし.

いかに いわんや これは みな ちょうせきに もうし ちゅうやに だんぜし うえ.
いかに いわうや これは みな 朝夕に 申し 昼夜に 談ぜし うへ.

へいのさえもんのじょうらの すうひゃくにんの ぶぎょうにんに もうし きかせ.
平左衛門尉等の 数百人の 奉行人に 申し きかせ.

いかに とがに おこなわるとも もうし やむまじき よし したたかに いいきかせぬ.
いかに とがに 行わるとも 申し やむまじき よし したたかに いゐきかせぬ.

されば たいかいの そこの ちびきの いしは うかぶとも.
されば 大海の そこの ちびきの 石は うかぶとも.

そら より ふる あめは ちに おちずとも.
天 より ふる 雨は 地に をちずとも.

にちれんは かまくらへは かえる べからず.
日蓮は かまくらへは 還る べからず.

ただし ほけきょうの まことに おわしまし にちがつ
但し 法華経の まことに おはしまし 日月

われを すて たまわずば かえり いりて.
我を すて 給はずば かへり 入りて.

また ふぼの はかをも みるへんも ありなんと こころづよく おもいて.
又 父母の はかをも みるへんも ありなんと 心づよく をもひて.

ぼんてん たいしゃく にちがつ してんは いかになり たまいぬるやらん.
梵天 帝釈 日月 四天は いかになり 給いぬるやらん.

てんしょうだいじん しょうはちまんは この くに おわせぬか.
天照太神 正八幡宮は 此の 国に をはせぬか.

ぶつぜんの ごきしょうは むなしくて ほけきょうの ぎょうじゃをば すて たもうか.
仏前の 御起請は むなしくて 法華経の 行者をば すて 給うか.

もし このこと かなわずば にちれんが みの なにとも ならん ことは おしからず.
もし 此の事 叶わずば 日蓮が 身の なにとも ならん 事は をしからず.

おのおの げんに きょうしゅしゃくそんと たほうにょらいと じっぽうのしょぶつの ごほうぜんにして せいじょうを たて たまいしが.
各各 現に 教主釈尊と 多宝如来と 十方の 諸仏の 御宝前にして 誓状を 立て 給いしが.

いま にちれんを しゅご せずして すて たもうならば.
今 日蓮を 守護 せずして 捨て 給うならば.

しょうじきしゃほうべんの ほけきょうに だいもうごを くわえ たまえるか.
正直捨方便の 法華経に 大妄語を 加へ 給へるか.

じっぽうさんぜの しょぶつを たぼらかし たてまつれる おんとがは.
十方三世の 諸仏を たぼらかし 奉れる 御失は.

だいばだったが だいもうごにも こえ.
提婆達多が 大妄語にも こへ.

くぎゃりそんじゃが こおうざいにも まされたり.
瞿伽利尊者が 虚誑罪にも まされたり.

たとい だいぽんてんとして しきかいの いただきに こし せんげんてんと いわれて しゅみの いただきに おわすとも.
設ひ 大梵天として 色界の 頂に 居し 千眼天と いはれて 須弥の 頂に おはすとも.

にちれんを すて たもう ならば あびの ほのおには たきぎと なり.
日蓮を すて 給う ならば 阿鼻の 炎には たきぎと なり.

むけんだいじょうには いずる ご おわせじ.
無間大城には いづる 期 おはせじ.

その つみ おそろしと おぼさば いそぎいそぎ こくどに しるしを いだしたまえ.
此の 罪 をそろしと おぼさば いそぎいそぎ 国土に しるしを いだし給え.

ほんごくへ かえし たまえと たかき やまに のぼりて だいおんじょう はなちて さけび しかば.
本国へ かへし 給へと 高き 山に のぼりて 大音声 はなちて さけびしかば.


くがつの 12にちに ごかんき 11がつに むほんの もの いできたり.
九月の 十二日に 御勘気 十一月に 謀反の もの いできたり.

かえる としの 2がつ 11にちに にほんこくの かためたるべき たいしょうども よしなく うちころされぬ.
かへる 年の 二月 十一日に 日本国の かためたるべき 大将ども よしなく 打ちころされぬ.

てんの せめと いうこと あらわなり.
天の せめと いう事 あらはなり.

これにや おどろかれけん でしども ゆるされぬ.
此れにや をどろかれけん 弟子ども ゆるされぬ.

しかれども いまだ ゆりざり しかば いよいよ ごうじょうに てんに もうせ しかば.
而れども いまだ ゆりざり しかば いよいよ 強盛に 天に 申せ しかば.

こうべの しろき からす とび きたりぬ.
頭の 白き 烏 とび 来りぬ.

かの えんの たむたいしの うま からすの れい.
彼の 燕の 凡太子の 馬 烏の 例.

にちぞうしょうにんの やまがらす かしらも しろく なりにけり.
日蔵上人の 山がらす かしらも しろく なりにけり.

→a927

b928

われが かえるべき ときや きぬらんと ながめし これなりと もうしもあえず.
我が かへるべき 時や きぬらんと ながめし 此れなりと 申しもあへず.

ぶんえい 11ねん 2がつ じゅうよっかの ごしゃめんじょう.
文永 十一年 二月 十四日の 御赦免状.

どう 3がつ ようかに さどの くにに つきぬ.
同 三月 八日に 佐度の 国に つきぬ.

どう 13にちに くにを たちて まうら という つに おりて.
同 十三日に 国を 立ちて まうら という つに をりて.

じゅうよっかは かの つに とどまり.
十四日は かの つに とどまり.

おなじき 15にちに えちごの てらどまりの つに つくべきが おおかぜに はなたれ.
同じき 十五日に 越後の 寺どまりの つに つくべきが 大風に はなたれ.

さいわいに ふつかじを すぎて かしわざきに つきて.
さいわひに 二日ぢを すぎて かしはざきに つきて.

つぎの ひは こうに つき なか 12にちを へて 3がつ 26にちに かまくらへ いりぬ.
次の 日は こうに つき 中 十二日を へて 三月 二十六日に 鎌倉へ 入りぬ.

おなじき 4がつ ようかに へいのさえもんのじょうに けんざん す.
同じき 四月 八日に 平左衛門尉に 見参 す.

もとより ごせし ことなれば にほんこくの ほろびんを たすけんが ために.
本より ごせし 事なれば 日本国の ほろびんを 助けんが ために.

さんど いさめんに おんもちい なくば さんりんに まじわるべき よし.
三度 いさめんに 御用い なくば 山林に まじわるべき よし.

ぞんぜし ゆえに どう 5がつ 12にちに かまくらを いでぬ.
存ぜし ゆへに 同 五月 十二日に 鎌倉を いでぬ.

ただし ほんごくに いたりて いまいちど ふぼの はかをも みんと おもえども.
但し 本国に いたりて 今一度 父母の はかをも みんと をもへども.

にしきを きて ふるさとへは かえれと いうことは ないがいの おきて なり.
にしきを きて 故郷へは かへれと いふ事は 内外の をきて なり.

させる めんもくも なくして ほんごくへ いたりなば.
させる 面目も なくして 本国へ いたりなば.

ふこうの ものにてや あらんずらん.
不孝の 者にてや あらんずらん.

これほどの かたかりし ことだにも やぶれて かまくらへ かえり いりたる み なれば.
これほどの かたかりし 事だにも やぶれて かまくらへ かへり 入る 身 なれば.

また にしきを きる へんもや あらんずらん.
又 にしきを きる へんもや あらんずらん.

そのとき ふぼの はかをも み よかしと ふかく おもう ゆえに.
其の時 父母の はかをも み よかしと ふかく をもう ゆへに.

いまに しょうごくへは いたらねども さすが こいしくて.
いまに 生国へは いたらねども さすが こひしくて.

ふく かぜ たつ くも までも ひがしの かたと もうせば.
吹く 風 立つ くも までも 東の かたと 申せば.

いおりを いでて みに ふれ にわに たちて みるなり.
庵を いでて 身に ふれ 庭に 立ちて みるなり.

かかる こと なれば ふるさとの ひとは たとい こころ よせに おもわぬもの なれども.
かかる 事 なれば 故郷の 人は 設い 心 よせに おもはぬ物 なれども.

わが くにの ひとと いえば なつかしくて はんべる ところに.
我が 国の 人と いへば なつかしくて はんべる ところに.

この おんふみを たびて こころも あらずして.
此の 御ふみを 給びて 心も あらずして.

いそぎいそぎ ひらきて み そうらえば.
いそぎいそぎ ひらきて み 候へば.

おととしの 6がつの ようかに やしろうに おくれてと かかれたり.
をととしの 六月の 八日に いや四郎に をくれてと かかれたり.

おんふみも ひらかざりつる までは うれしくて ありつるが.
御ふみも ひらかざりつる までは うれしくて ありつるが.

いま この ことばを よみてこ そなにしに かく いそぎ ひらきけん.
今 此の ことばを よみてこそ なにしに かく いそぎ ひらきけん.

うらしまが この はこ なれや あけて くやしき ものかな.
うらしまが 子の はこ なれや あけて くやしき ものかな.

わがくにの ことは うくつらく あたりし ひとの すえまでも.
我が国の 事は うくつらく あたりし 人の すへまでも.

おろか ならず おもうに ことさら この ひとは かたちも つねの ひとには すぎて みえ.
をろか ならず をもうに ことさら 此の 人は 形も 常の 人には すぎて みへ.

うち おもいたる けしきも かたくなにも なしと みえ しかども.
うち をもひたる けしきも かたくなにも なしと 見え しかども.

さすが ほけきょうの みざ なれば しらぬ ひとびと あまた ありしかば.
さすが 法華経の みざ なれば しらぬ 人人 あまた ありしかば.

ことばも かけず ありしに きょう はてさせ たまいて みな ひとも たちかえる.
言も かけず ありしに 経 はてさせ 給いて 皆 人も 立ちかへる.

→a928

b929

この ひとも たち かえりしが つかいを いれて もうせしは.
此の 人も 立ち かへりしが 使を 入れて 申せしは.

あわのくにの あまつと もうす ところの もの にて そうろうが.
安房の国の あまつと 申す ところの 者 にて 候が.

おさなく より おんこころざし おもい まいらせて そうろう うえ.
をさなく より 御心ざし をもひ まいらせて 候 上.

はは にて そうろう ひとも おろかならず もうし.
母 にて 候 人も をろかならず 申し.

なれなれしき もうし こと にて そうらえども ひそかに もうすべき ことの そうろう.
なれなれしき 申し 事 にて 候へども ひそかに 申すべき 事の 候.

さきざき まいりて しだいに なれ まいらせて こそ もうし いるべきに そうらえども.
さきざき まひりて 次第に なれ まいらせて こそ 申し 入るべきに 候へども.

ゆみや とる ひとに みやずかいて ひま そうらわぬ うえ.
ゆみや とる 人に みやづかひて ひま 候はぬ 上.

こと きゅうに なり そうらいぬる うえは おそれを かえりみず もうすと こまごまと きこえ しかば.
事 きうに なり 候いぬる 上は をそれを かへりみず 申すと こまごまと きこえ しかば.

なにとなく しょうごくの ひと なる うえ そのあたりの ことは はばかるべきに あらずとて いれ たてまつりて.
なにとなく 生国の 人 なる 上 そのあたりの 事は はばかるべきに あらずとて 入れ たてまつりて.

こまごまと こしかた ゆくすえ かたりて のちには せけん むじょう なり.
こまごまと こしかた ゆくすへ かたりて のちには 世間 無常 なり.

いつと もうす ことを しらず.
いつと 申す 事を しらず.

そのうえ ぶしに みを まかせたる み なり.
其の上 武士に 身を まかせたる 身 なり.

また ちかく もうし かけられて そうろう こと のがれがたし.
又 ちかく 申し かけられて 候 事 のがれがたし.

さるにては ごしょう こそ おそろしく そうらえ.
さるにては 後生 こそ をそろしく 候へ.

たすけさせ たまえと きこえ しかば きょうもんを ひいて もうし きかす.
たすけさせ 給へと きこへ しかば 経文を ひいて 申し きかす.

かの なげき もうせしは ちちは さておき そうらいぬ.
彼の なげき 申せしは 父は さてをき 候いぬ.

やもめにて そうろう ははを さしおきて まえに たち そうらわん ことこそ ふこうに おぼえ そうろう.
やもめにて 候 はわを さしをきて 前に 立ち 候はん 事こそ 不孝に をぼへ 候へ.

もしやの こと そうろう なれば みでしに もうし つたえて たび そうらえと ねんごろに あつらえ そうらいしが.
もしやの 事 候 ならば 御弟子に 申し つたへて たび 候へと ねんごろに あつらへ 候いしが.

そのたびは こと ゆえなく そうろう べけれども.
そのたびは 事 ゆへなく 候 べけれども.

のちに むなしく なることの いできたりて そうらいけるにや.
後に むなしく なる 事の いできたりて 候いけるにや.

にんげんに せいを うけたる ひと じょうげに つけて うれい なき ひとは なけれども.
人間に 生を うけたる 人 上下に つけて うれへ なき 人は なけれども.

ときに あたり ひとびとに したがいて なげき しなじな なり.
時に あたり 人人に したがひて なげき しなじな なり.

たとえば やまいの ならいは いずれの やまいも おもく なりぬれば.
譬へば 病の ならひは 何の 病も 重く なりぬれば.

これに すぎたる やまい なしと おもうが ごとし.
是に すぎたる 病 なしと をもうが ごとし.

しゅの わかれ おやの わかれ ふさいの わかれ.
主の わかれ をやの わかれ 夫妻の わかれ.

いずれか おろか なるべき なれども しゅは また ほかの しゅも ありぬべし.
いづれか おろか なるべき なれども 主は 又 他の 主も ありぬべし.

ふさいは また かわり ぬれば こころを やすむる ことも ありなん.
夫妻は 又 かはり ぬれば 心を やすむる 事も ありなん.

おやこの わかれ こそ つきひの へだつる ままに.
をやこの わかれ こそ 月日の へだつる ままに.

いよいよ なげき ふかかりぬべく みえ そうらえ.
いよいよ なげき ふかかりぬべく みへ 候へ.

おやこの わかれにも おやは ゆきて.
をやこの わかれにも をやは ゆきて.

こは とどまるは おなじ むじょう なれども ことわりにもや.
子は とどまるは 同じ 無常 なれども ことはりにもや.

おいたる ははわ とどまりて わきき この さきに たつ.
をひたる はわは とどまりて わきき 子の さきに たつ.

なさけなき こと なれば かみも ほとけも うらめしや.
なさけなき 事 なれば 神も 仏も うらめしや.

いかなれば おやに こを かえさせ たまいて さきには たてさせ たまわざず.
いかなれば をやに 子を かへさせ 給いて さきには たてさせ 給はず.

とどめおかせ たまいて なげかせ たもうらんと こころうし.
とどめをかせ 給いて なげかさせ 給うらんと 心うし.

こころ なき ちくしょうすら この わかれ しのびがたし.
心 なき 畜生すら 子の わかれ しのびがたし.

ちくりんしょうじゃの こんちょうは かいごの ために みを やき.
竹林精舎の 金鳥は かひごの ために 身を やき.

ろくやおんの しかは たいないの こを おしみて おうの まえに まいれり.
鹿野苑の 鹿は 胎内の 子を をしみて 王の 前に まいれり.

いかに いわんや こころ あらん ひとに おいておや.
いかに いわうや 心 あらん 人に をいてをや.

されば おうりょうが ははわ この ために なずきを くだき.
されば 王陵が 母は 子の ために なづきを くだき.

しんぎょうこうていの きさきは たいないの たいしの おんために はらを やぶらせ たまいき.
神堯皇帝の 后は 胎内の 太子の 御ために 腹を やぶらせ 給いき.

→a929

b930

これらを おもい つづけさせ たまわんには.
此等を をもひ つづけさせ 給はんには.

ひにも いり こうべをも わりて わが この かたちを みるべき ながら.
火にも 入り 頭をも わりて 我が 子の 形を みるべき ならば.

おしからずと こそ おぼすらめと おもい やられて なみだも とどまらず.
をしからずと こそ おぼすらめと をもひ やられて なみだも とどまらず.

また ごしょうそくに いわく.
又 御消息に 云く.

ひとをも ころしたりし もの なれば いかようなる ところにか うまれて そうろうらん.
人をも ころしたりし 者 なれば いかやうなる ところにか 生れて 候らん.

おおせを かおり そうらわんと うんぬん.
をほせを かほり 候はんと 云云.

それ はりは みずに しずむ あめは そらに とどまらず.
夫れ 針は 水に しずむ 雨は 空に とどまらず.

ありを ころせる ものは じごくに いり.
蟻子を 殺せる 者は 地獄に 入り.

しにかばねを きれる ものは あくどうを まぬかれず.
死にかばねを 切れる 者は 悪道を まぬかれず.

いかに いわんや じんしんを うけたる ものを ころせる ひとをや.
何に 況や 人身を うけたる 者を ころせる 人をや.

ただし おおいしも うみに うかぶ ふねの ちから なり.
但し 大石も 海に うかぶ 船の 力 なり.

だいかも きゆる こと みずの ように あらずや.
大火も きゆる 事 水の 用に あらずや.

しょうざい なれども ざんげ せざれば あくどうを まぬがれず.
小罪 なれども 懺悔 せざれば 悪道を まぬがれず.

たいぎゃく なれども ざんげ すれば つみ きえぬ.
大逆 なれども 懺悔 すれば 罪 きへぬ.

いわゆる あわを つみたりし びくは 500しょうが あいだ うしと なる.
所謂る 粟を つみたりし 比丘は 五百生が 間 牛と なる.

まこもを つみし ものは さんあくどうに おちきに.
マコモを つみし 者は 三悪道に 堕ちにき.

らまおう ばつだいおう びるしんおう なごさおう かていおう.
羅摩王 抜提王 毘楼真王 那ゴ沙王 迦帝王.

びしゃきゃおう げっこうおう こうみょうおう あいおう じたにんおう とうの. 
毘舎キャ王 月光王 光明王 日光王 愛王 持多人王 等の.

8まんよにんの 諸王は みな ちちを ころして くらいに つく.
八万余人の 諸王は 皆 父を 殺して 位に つく.

ぜんちしきに あわざれば つみ きえずして あびごくに いりにき.
善知識に あはざれば 罪 きへずして 阿鼻地獄に 入りにき.

はらなじょうに あくにん あり その なをば あいったと いう.
波羅奈城に 悪人 あり 其の 名をば 阿逸多と いう.

ははを あいせしが ゆえに ちちを ころし つまと せり.
母を あひせし ゆへに 父を 殺し 妻と せり.

ちちが しの あらかん ありて きょうくん せしかば あらかんを ころす.
父が 師の 阿羅漢 ありて 教訓 せしかば 阿らかむを 殺す.

はは また ほかの おとこに とつぎ しかば また ははをも ころしつ.
母 又 他の 夫に とつぎ しかば 又 母をも 殺しつ.

つぶさに さんぎゃくざいを つくり しかば となりざとの ひと うとみ しかば.
具に 三逆罪を つくり しかば 隣里の 人 うとみ しかば.

いっしん たもちがたくして ぎおんしょうじゃに ゆいて.
一身 たもちがたくして 祇オン精舎に ゆいて.

しゅっけを もとめしに もろもろの そう ゆるさざり しかば.
出家を もとめしに 諸 僧 許さざり しかば.

あくしん ごうじょうにして おおくの そうぼうを やきぬ.
悪心 強盛にして 多くの 僧坊を やきぬ.

しかれども しゃくそんに あい たてまつりて しゅっけを ゆるし たまいにき.
然れども 釈尊に 値い 奉りて 出家を ゆるし 給にき.

きたてんじゅくに しろ あり さいせきと なずく.
北天竺に 城 あり 細石と なづく.

かの しろに おう あり りゅういん という.
彼の 城に 王 あり 竜印 という.

ちちを ころして ありしかども のちに これを おそれて.
父を 殺して ありしかども 後に 此れを おそれて.

かの くにを すてて ほとけに まいりたり しかば.
彼の 国を すてて 仏に まいりたり しかば.

ほとけ ざんげを ゆるし たまいき.
仏 懺悔を 許し 給いき.

あじゃせおうは ひとと なり さんどく しじょう なり.
阿闍世王は ひとと なり 三毒 熾盛 なり.

じゅうあく ひま なし.
十悪 ひま なし.

そのうえ ちちを ころし ははを がいせんとし.
其の上 父を ころし 母を 害せんとし.

だいばだったを しと して むりょうの ぶつでしを ころしぬ.
提婆達多を 師と して 無量の 仏弟子を 殺しぬ.

あくぎゃくの つもりに 2がつ 15にち ほとけの ごにゅうめつの ひに あたりて.
悪逆の つもりに 二月 十五日 仏の 御入滅の 日に あたりて.

むけんじごくの せんそうに しちしょに あくそう しゅっせいして ぎょくたい しずか ならず.
無間地獄の 先相に 七処に 悪瘡 出生して 玉体 しづか ならず.

だいかの みを やくが ごとく ねっとうを くみかくるが ごとく なりしに.
大火の 身を やくが ごとく 熱湯を くみかくるが ごとく なりしに.

6だいじん まいりて ろくしげどうを めされて あくそうを いやす べきよう もうしき.
六大臣 まいりて 六師外道を 召されて 悪瘡を 治す べきやう 申しき.

いまの にほんこくの ひとびとの ぜんし りっし ねんぶつしゃ しんごんしらを.
今の 日本国の 人人の 禅師 律師 念仏者 真言師等を.

ぜんちしきと たのみて もうここくを ちょうぶくし.
善知識と たのみて 蒙古国を 調伏し.

ごしょうを たすからんと おもうが ごとし.
後生を たすからんと をもうが ごとし.

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その うえ だいばだったは あじゃせおうの ほんし なり.
其の 上 提婆達多は 阿闍世王の 本師 なり.

げどうの ろくまんぞう ぶっぽうの はちまんぞうを そらにして.
外道の 六万蔵 仏法の 八万蔵を そらにして.

せけん しゅっせの あきらかなる こと にちがつと みょうきょうとに むかうが ごとし.
世間 出世の あきらかなる 事 日月と 明鏡とに 向うが ごとし.

いまの よの てんだいしゅうの せきがくの けんみつ にどうを むねにうかべ いっさいきょうを そらんぜしが ごとし.
今の 世の 天台宗の 碩学の 顕密 二道を 胸に うかべ 一切経を そらんぜしが ごとし.

これらの ひとびと もろもろの だいじん あじゃせおうを きょうくん せしかば.
此れ等の 人人 諸の 大臣 阿闍世王を 教訓 せしかば.

ほとけに きえし たてまつる こと なかりし ほどに.
仏に 帰依し 奉る 事 なかりし 程に.

まかだに てんぺん たびたび かさなり ちよう しきりなる うえ.
摩竭提に 天変 度度 かさなり 地夭 しきりなる 上.

おおかぜ だいかんばつ ききん えきれい ひまなき うえ.
大風 大旱ばつ 飢饉 疫癘 ひまなき 上.

たこく より せめられて すでに こうと みえしに あくそうすら みにいだし しかば.
他国 より せめられて すでに かうと みえしに 悪瘡すら 身に 出ししかば.

こくど いちじに ほろびぬと みえし ほどに.
国土 一時に ほろびぬと みえし 程に.

にわかに ぶつぜんに まいり ざんげして つみ きえしなり.
俄に 仏前に まいり 懺悔して 罪 きえしなり.

これらは さておき そうらいぬ.
これらは さてをき 候いぬ.

ひとの おやは あくにん なれども こ ぜんにん なれば.
人の をやは 悪人 なれども 子 善人 なれば.

おやの つみ ゆるす ことあり.
をやの 罪 ゆるす 事あり.

また こ あくにん なれども おや ぜんにん なれば この つみ ゆるさるる ことあり.
又 子 悪人 なれども 親 善人 なれば 子の 罪 ゆるさるる 事あり.
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されば こ やしろうどのは たとい あくにん なりとも.
されば 故 弥四郎殿は 設い 悪人 なりとも.

うめる はは しゃかぶつの ごほうぜんにして ちゅうや なげき とぶらわば.
うめる 母 釈迦仏の 御宝前にして 昼夜 なげき とぶらはば.

いかでか かの ひと うかばざるべき.
争か 彼 人 うかばざるべき.

いかに いわんや かの ひとは ほけきょうを しんじたり しかば.
いかに いわうや 彼の 人は 法華経を 信じたり しかば.

おやを みちびく み とぞ なられて そうろうらん.
をやを みちびく 身 とぞ なられて 候らん.

ほけきょうを しんずる ひとは かまえて かまえて ほけきょうの かたきを おそれさせ たまえ.
法華経を 信ずる 人は かまへて かまへて 法華経の かたきを をそれさせ 給へ.

ねんぶつしゃと じさいと しんごんしと.
念仏者と 持斎と 真言師と.

いっさい なんみょううほうれんげきょうと もうさざらん ものをば.
一切 南無妙法蓮華経と 申さざらん 者をば.

いかに ほけきょうを よむとも ほけきょうの かたきと しろしめすべし.
いかに 法華経を よむとも 法華経の かたきと しろしめすべし.

かたきを しらねば かたきに たぼらかされ そうろうぞ.
かたきを しらねば かたきに たぼらかされ 候ぞ.

あわれ あわれ けさんに いりて くわしく もうし そうらわばや.
あはれ あはれ けさんに 入りて くわしく 申し 候はばや.

また これより それへ わたり そうろう さんみぼう.
又 これより それへ わたり 候 三位房.

さどこう などに たびごとに この ふみを よませて きこしめすべし.
佐度公 等に たびごとに この ふみを よませて きこしめすべし.

また この ごもんをば みょうえぼうに あずけさせ たもうべし.
又 この 御文をば 明慧房に あづけさせ 給うべし.

なにとなく わが ちえは たらぬ ものが あるいは おこずき.
なにとなく 我が 智慧は たらぬ 者が 或は をこづき.

あるいは この もんを さいかくとして そしり そうろうなり.
或は 此 文を さいかくとして そしり 候なり.

あるいは よも この ごぼうは こうぼうだいしには まさらじ.
或は よも 此の 御房は 弘法大師には まさらじ.

よも じかくだいしには こえじ なんど ひと くらべをし そうろうぞかし.
よも 慈覚大師には こへじ なんど 人 くらべをし 候ぞかし.

かく もうす ひとをば ものしらぬ ものと おぼすべし.
かく 申す 人をば ものしらぬ 者と をぼすべし.

けんじ 2ねん たいさい ひのえね 3がつ にち.
建治 二年 太歳 丙子 三月 日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

こうしゅう なんぶはきいの ごう さんちゅう.
甲州 南部波木井の 郷 山中.

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