b935から939.
四恩抄 (しおんしょう)
日蓮大 聖人 41歳御作


 
b935

しおんしょう.
四恩抄.

こうちょう 2ねん しょうがつ 16にち 41さい おんさく.
弘長 二年 正月 十六日 四十一歳 御作.

あたう くどう さこんのじょう よしたか いず いとうに おいて.
与 工藤 左近尉 吉隆 於 伊豆 伊東.

そもそも この るざいの みに なりて そうろうに つけて 2つの だいじあり.
抑 此の 流罪の 身に なりて 候に つけて 二つの 大事あり.

1には だいなる よろこびあり そのゆえは この せかいをば しゃばと なづく.
一には 大なる 悦びあり 其の 故は 此の 世界をば 娑婆と 名く.

しゃばと もうすは にんと もうす ことなり ゆえに ほとけをば のうにんと なづけ たてまつる.
娑婆と 申すは 忍と 申す 事なり 故に 仏をば 能忍と 名け たてまつる.

この しゃば せかいの うちに ひゃくおくの しゅみせん ひゃくおくの にちがつ ひゃくおくの ししゅう あり.
此の 娑婆 世界の 内に 百億の 須弥山 百億の 日月 百億の 四州 あり.

そのなかの ちゅうおうの しゅみせん にちがつ ししゅうに ほとけは よに いでまします.
其の 中の 中央の 須弥山 日月 四州に 仏は 世に 出でまします.

この にほんこくは その ほとけの よに いでまします くによりは うしとらの すみに あたりたる こじまなり.
此の 日本国は 其の 仏の 世に 出でまします 国よりは 丑寅の 角に あたりたる 小島なり.

この しゃば せかいより ほかの じゅっぽうの こくどは みな じょうどにて そうらえば.
此の 娑婆 世界より 外の 十方の 国土は 皆 浄土にて 候へば.

ひとの こころも やわらかに けんせいを のり にくむ ことも そうらわず.
人の 心も やはらかに 賢聖を のり 悪む 事も 候はず.

この こくどは じゅっぽうの じょうどに すて はてられて そうろう.
此の 国土は 十方の 浄土に すて はてられて 候.

10あく 5ぎゃく ひぼうけんせい ふこうふぼ ふきょうしゃもんとうの とがの しゅじょうが 3あくどうに おちて むりょうこうを へて.
十悪 五逆 誹謗賢聖 不孝父母 不敬沙門等の 科の 衆生が 三悪道に 堕ちて 無量劫を経て.

かえって この せかいに うまれて そうろうが.
還つて 此の 世界に 生れて 候が.

せんしょうの あくごうの じっけ しっせずして ややもすれば 10あく 5ぎゃくを つくり けんせいを のり.
先生の 悪業の 習気 失せずして ややもすれば 十悪 五逆を 作り 賢聖を のり.

ふぼに こうせず しゃもんをも うやまわず そうろうなり.
父母に 孝せず 沙門をも 敬はず 候なり.

ゆえに しゃかにょらい よに いで ましませ しかば.
故に 釈迦如来 世に 出で ましませ しかば.

あるいは どくやくを しょくに まじえて たてまつり.
或は 毒薬を食に 雑て 奉り.

あるいは とうじょう あくぞう  しし あくぎゅう あっく とうの てだてを もって がいし たてまつらんとし.
或は 刀杖 悪象 師子 悪牛 悪狗 等の 方便を 以て 害し 奉らんとし.

あるいは にょにんを おかすといい あるいは ひせんのもの あるいは せっしょうのものと いい.
或は 女人を 犯すと 云い 或は 卑賤の者 或は 殺生の者と 云い.

あるいは いきあい たてまつる ときは おもてを おおて めに み たてまつらじとし.
或は 行き合い 奉る 時は 面を 覆うて 眼に 見 奉らじとし.

あるいは とを とじ まどを ふさぎ あるいは こくおう だいじんの しょにんに むかっては じゃけんの ものなり.
或は 戸を 閉じ 窓を 塞ぎ 或は 国王 大臣の 諸人に 向つては 邪見の 者なり.

たかきひとを のるもの なんど もうせしなり.
高き人を 罵者 なんど 申せしなり.

だいしっきょう ねはんぎょう とうに みえたり.
大集経 涅槃経 等に 見えたり.

させる とがも ほとけには おわしまさざり しかども.
させる 失も 仏には おはしまさざり しかども.

ただ この くにの くせ かたわとして あくごうの しゅじょうが うまれ あつまりて そうろう うえ.
只 此の 国の くせ かたわとして 悪業の 衆生が 生れ 集りて 候 上.

だいろくてんの まおうが この くにの しゅじょうを たの じょうどへ いださじと たばかりを なして かくことに ふれて ひがめる ことを なすなり.
第六天の 魔王が 此の 国の 衆生を 他の 浄土へ 出さじと たばかりを 成して かく事に ふれて ひがめる 事を なすなり.

この たばかりも せんずる ところは ほとけに ほけきょうを とかせ まいらせじ りょうと みえて そうろう.
此の たばかりも 詮する 所は 仏に 法華経を 説かせ まいらせじ 料と 見えて 候.

その ゆえは まおうの ならいとして 3あくどうの ごうを つくる ものをば よろこび 3ぜんどうの ごうを つくる ものをば なげく.
其の 故は 魔王の 習として 三悪道の 業を 作る 者をば 悦び 三善道の 業を 作る 者をば なげく.
また 3ぜんどうの ごうを つくる ものをば いたう なげかず 3じょうと ならんとする ものをば いたう なげく.
又 三善道の 業を 作る 者をば いたう なげかず 三乗と ならんとする 者をば いたう なげく.

また 3じょうと なる ものをば いたう なげかず.
又 三乗と なる 者をば いたう なげかず.

ほとけとなる ごうを なす ものをば あながちに なげき ことに ふれて さわりを なす.
仏となる 業を なす 者をば 強きに なげき 事に ふれて 障を なす.

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ほけきょうは 1もん いっく なれども みみに ふるる ものは すでに ほとけに なるべきと おもいて.
法華経は 一文 一句 なれども 耳に ふるる 者は 既に 仏に なるべきと 思ひて.

いたう だい6てんの まおうも なげき おもう ゆえに てだてを まわして るなんをなし.
いたう 第六天の 魔王も なげき 思う 故に 方便を まはして 留難をなし.

きょうを しんずる こころを すて しめんと たばかる.
経を 信ずる 心を すて しめんと たばかる.

しかるに ほとけの ざいせの ときは じょくせ なりと いえども ごじょくの はじめ たりしうえ.
而るに 仏の 在世の 時は 濁世 なりと いへども 五濁の 始 たりし上.

ほとけの おんちからをも おそれ ひとの とん じん ち じゃけんも ごうじょう ならざりし とき だにも.
仏の 御力をも 恐れ 人の 貪 瞋 癡 邪見も 強盛 ならざりし 時 だにも.

ちくじょう げどうは じんつう だい1の もくれんそんじゃを ころし.
竹杖 外道は 神通 第一の 目連尊者を 殺し.

あじゃせおうは あくぞうを はなって 3がいの どくそんを おどし たてまつり.
阿闍世王は 悪象を 放て 三界の 独尊を をどし 奉り.

だいばだったは しょうかの あらかん れんげびくにを がいし.
提婆達多は 証果の 阿羅漢 蓮華比丘尼を 害し.

くぎゃりそんじゃは ちえ だい1の しゃりほつに あくめいを たてき.
瞿伽利尊者は 智慧 第一の 舎利弗に 悪名を 立てき.

いかに いわんや よ ようやく 5じょくの さかりに なりて そうろうをや.
何に 況や 世 漸く 五濁の 盛に なりて 候をや.

いわんや よ まつだいに いりて ほけきょうを かりそめにも しんぜん ものの ひとに そねみ ねたまれん ことは おびただし かるべきか.
況や 世 末代に 入りて 法華経を かりそめにも 信ぜん 者の 人に そねみ ねたまれん 事は おびただし かるべきか.

ゆえに ほけきょうに いわく にょらいの げんざいにすら なお おんしつ おおし いわんや めつどの のちをやと うんぬん.
故に 法華経に 云く 如来の 現在にすら 猶 怨嫉 多し 況や 滅度の 後をやと 云云.

はじめに このもんを み そうらいし ときは さしもやと おもい そうらいしに.
始に 此の 文を 見 候いし 時は さしもやと 思い 候いしに.

いまこそ ほとけの みことばは たがわざりける ものかなと ことに みに あたって おもい しれて そうらえ.
今こそ 仏の 御言は 違はざりける ものかなと 殊に 身に 当つて 思ひ 知れて 候へ.

にちれんは みに かいぎょう なく こころに 3どくを はなれざれども.
日蓮は 身に 戒行 なく 心に 三毒を 離れざれども.

この おきょうを もしや われも しんを とり ひとにも えんを むすばしむるかと おもうて.
此の 御経を 若しや 我も 信を 取り 人にも 縁を 結ばしむるかと 思うて.

ずいぶん せけんのこと おだやか ならんと おもいき よ すえに なりて そうらえば.
随分 世間の 事 おだやか ならんと 思いき 世 末に なりて 候へば.

さいしを たいして そうろう びくも ひとの きえ をうけ ぎょちょうを ふくする そうも さてこそ そうろうか.
妻子を 帯して 候 比丘も 人の 帰依を うけ 魚鳥を 服する 僧も さてこそ 候か.

にちれんは させる さいしをも たいせず ぎょちょうをも ふくせず ただ ほけきょうを ひろめんとする.
日蓮は させる 妻子をも 帯せず 魚鳥をも 服せず 只 法華経を 弘めんとする.

とがに よりて さいしを たいせずして ぼんそうの な しかいに みち.
失に よりて 妻子を 帯せずして 犯僧の 名 四海に 満ち.

ろうぎをも ころさざれども あくみょう いってんに はびこれり.
螻蟻をも 殺さざれども 悪名 一天に 弥れり.

おそらくは ざいせに しゃくそんを もろもろの げどうが そしり たてまつりしに にたり.
恐くは 在世に 釈尊を 諸の 外道が 毀り 奉りしに 似たり.

これ ひとえに ほけきょうを しんずる ことの よにん よりも すこし きょうもんの ごとく しんをも むけたる ゆえに.
是れ 偏に 法華経を 信ずる ことの 余人 よりも 少し 経文の 如く 信をも むけたる 故に.
 
あっき その みに いって そねみを なすかと おぼえ そうらえば.
悪鬼 其の 身に 入つて そねみを なすかと をぼえ 候へば.

これほどの ひせん むち むかいの ものの 2せん よねん いぜんに とかれて そうろう.
是れ 程の 卑賤 無智 無戒の 者の 二千 余年 已前に 説かれて 候.

ほけきょうの もんに のせられて るなんに あうべしと ほとけ しるし おかれ まいらせて そうろう ことの うれしさ もうし つくしがたく そうろう.
法華経の 文に のせられて 留難に 値うべしと 仏 記し をかれ まいらせて 候 事の うれしさ 申し 尽くし 難く 候.

このみに がくもん つかまつりし こと ようやく 24 5ねんに まかり なるなり.
此の 身に 学文 つかまつりし 事 やうやく 二十四 五年に まかり なるなり.

ほけきょうを ことに しんじ まいらせ そうらいし ことは わずかに この6 7ねんより このかたなり.
法華経を 殊に 信じ まいらせ 候いし 事は わづかに 此の 六 七年より このかたなり.

また しんじて そうらい しかども けたいの みたる うえ.
又 信じて 候い しかども 懈怠の 身たる 上.

あるいは がくもんと いい あるいは せけんの ことに さえられて 1にちに わずかに 1かん 1ぽん だいもく ばかりなり.
或は 学文と 云ひ 或は 世間の 事に さえられて 一日に わづかに 一巻 一品 題目 計なり.

こぞの さつき 12にちより ことし むつき 16にちに いたるまで.
去年の 五月 十二日より 今年 正月 十六日に 至るまで.

200 40よにちの ほどは ちゅうや 12じに ほけきょうを しゅぎょうし たてまつると ぞんじ そうろう.
二百 四十余日の 程は 昼夜 十二時に 法華経を 修行し 奉ると 存じ 候.

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そのゆえは ほけきょうの ゆえに かかる みと なりて そうらえば.
其の 故は 法華経の 故に かかる 身と なりて 候へば.

ぎょうじゅうざがに ほけきょうを よみ ぎょうずるにて こそ そうらえ.
行住坐臥に 法華経を 読み 行ずるにて こそ 候へ.

にんげんに せいを うけて これほどの よろこびは なにごとか そうろうべき.
人間に 生を 受けて 是れ程の 悦びは 何事か 候べき.

ぼんぷの ならい われと はげみて ぼだいしんを おこして ごしょうを ねがうと いえども.
凡夫の 習い 我と はげみて 菩提心を 発して 後生を 願うと いへども.

みずから おもいだし 12じの あいだに 1じ 2じこそは はげみ そうらえ.
自ら 思ひ出し 十二時の 間に 一時 二時こそは はげみ 候へ.

これは おもいださぬ にも おんきょうを よみ よまざるにも ほけきょうを ぎょうずるにて そうろうか.
是は 思ひ出さぬ にも 御経を よみ 読まざるにも 法華経を 行ずるにて 候か.

むりょうこうの あいだ 6どう 4せいを りんねし そうらいけるには あるいは むほんを おこし.
無量劫の 間 六道 四生を 輪回し 候いけるには 或は 謀叛を おこし.

ごうとう ようち とうの つみにて こそ こくしゅより きんをも こうむり るざい しざいにも おこなわれ そうらめ.
強盗 夜打 等の 罪にて こそ 国主より 禁をも 蒙り 流罪 死罪にも 行はれ 候らめ.

これは ほけきょうを ひろむるかと おもう こころの ごうじょう なりしに.
是は 法華経を 弘むるかと 思う 心の 強盛 なりしに.

よって あくごうの しゅじょうに ざんげん せられて かかる みに なりて そうらえば.
依つて 悪業の 衆生に 讒言 せられて かかる 身に なりて 候へば.

さだめて ごしょうの つとめには なりなんと おぼえ そうろう.
定て 後生の 勤には なりなんと 覚え 候.

これほどの こころ ならぬ ちゅうや 12じの ほけきょうの じきょうしゃは まつだいには ありがたく こそ そうらめ.
是れ程の 心 ならぬ 昼夜 十二時の 法華経の 持経者は 末代には 有がたく こそ 候らめ.

また やむことなく めでたきこと はべり.
又 止事なく めでたき 事 侍り.

むりょうこうの あいだ 6どうに めぐり そうろうけるには おおくの こくしゅに うまれ あい たてまつりて. 
無量劫の 間 六道に 回り 候けるには 多くの 国主に 生れ 値ひ 奉りて.

あるいは ちょうあいの だいじん かんぱく とうとも なり そうろうけん.
或は 寵愛の 大臣 関白 等とも なり 候けん.

もし しからば くにを たまわり ざいほう かんろくの おんを こうむりけるか.
若し 爾らば 国を 給り 財宝 官禄の 恩を 蒙けるか.

ほけきょう るふの こくしゅに あい たてまつり その くににて ほけきょうの おんなを きいて しゅぎょうし.
法華経 流布の 国主に 値ひ 奉り 其の 国にて 法華経の 御名を 聞いて 修行し.

これを ぎょうじて ざんげんを こうむり るざいに おこなわれ まいらせて そうろう こくしゅには いまだ あい まいらせ そうらわぬか.
是を 行じて 讒言を 蒙り 流罪に 行われ まいらせて 候 国主には 未だ 値い まいらせ 候はぬか.

ほけきょうに いわく この ほけきょうは むりょうの くにじゅうに おいて ないし みょうじをも きくことを うべからず.
法華経に 云く 是の 法華経は 無量の 国中に 於て 乃至 名字をも 聞くことを 得べからず.

いかに いわんや みることを えて じゅじし どくじゅせん をや と うんぬん.
何に 況んや 見ることを 得て 受持し 読誦せん をや と 云云.

されば この ざんげんの ひと こくしゅこそ わが みには おん ふかき ひとには おわしまし そうらめ.
されば 此の 讒言の 人 国主こそ 我が 身には 恩 深き 人には をわしまし 候らめ.

ぶっぽうを ならう みには かならず 4おんを ほうずべきに そうろうか.
仏法を 習う 身には 必ず 四恩を 報ずべきに 候か.

4おんとは しんちかんきょうに.
四恩とは 心地観経に 云く.

いわく 1には いっさいしゅじょうの おん いっさいしゅじょう なくば しゅじょうむへんせいがんどの がんを おこしがたし.
一には 一切衆生の 恩 一切衆生 なくば 衆生 無辺誓願度の 願を 発し 難し.

また あくにん なくして ぼさつに るなんを なさずば いかでか くどくをば ぞうちょうせしめ そうろうべき.
又 悪人 無くして 菩薩に 留難を なさずば いかでか 功徳をば 増長せしめ 候べき.

2には ふぼの おん 6どうに せいを うくるに かならず ふぼあり.
二には 父母の 恩 六道に 生を 受くるに 必ず 父母あり.

そのなかに あるいは せっとう あくりつぎ ほうぼうの いえに うまれ ぬれば われと その とがを おかさざれども その ごうを じょうじゅす.
其の中に 或は 殺盗 悪律儀 謗法の 家に 生れ ぬれば 我と 其の 科を 犯さざれども 其の 業を 成就す.

しかるに こんじょうの ふぼは われを うみて ほけきょうを しんずる みと なせり.
然るに 今生の 父母は 我を 生みて 法華経を 信ずる 身と なせり.

ぼんてん たいしゃく 4だいてんのう てんりんじょうおうの いえに うまれて 3がい 4てんを ゆずられて にんてん 4しゅうに くぎょうせられん よりも.
梵天 帝釈 四大天王 転輪聖王の 家に 生まれて 三界 四天を ゆづられて 人天 四衆に 恭敬せられん よりも.

おん おもきは いまの それがしが ふぼ なるか.
恩 重きは 今の 某が 父母 なるか.

3には こくおうの おん てんの 3こうに みを あたため ちの 5こくに たましいを やしなうこと みな これ こくおうの おんなり.
三には 国王の 恩 天の 三光に 身を あたため 地の 五穀に 神を 養ふこと 皆 是れ 国王の 恩なり.

そのうえ こんど ほけきょうを しんじ こんど しょうじを はなるべき こくしゅに あい たてまつり.
其の上 今度 法華経を 信じ 今度 生死を 離るべき 国主に 値い 奉れり.

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いかでか しょうぶんの あだに よって おろかに おもい たてまつる べきや.
争か 少分の 怨に 依つて おろかに 思ひ 奉る べきや.

4には 3ぽうの おん しゃかにょらい むりょうこうの あいだ ぼさつの ぎょうを たて たまいし とき.
四には 三宝の恩 釈迦如来 無量劫の 間 菩薩の 行を 立て 給いし 時.

いっさいの ふくとくを あつめて 64ぶと なして くどくを みに え たまえり.
一切の 福徳を 集めて 六十四分と 成して 功徳を 身に 得 給へり.

その 1ぶんをば わが みに もちい たもう.
其の 一分をば 我が 身に 用ひ 給ふ.

いま 63ぶをば この せかいに とどめ おきて 5じょく ぞうらんの とき.
今 六十三分をば 此の 世界に 留め 置きて 五濁 雑乱の 時.

ひほうの さかんならん とき ほうぼうの もの くにに じゅうまんせん とき.
非法の 盛ならん 時 謗法の 者 国に 充満せん 時.

むりょうの しゅごの ぜんじんも ほうみを なめずして.
無量の 守護の 善神も 法味を なめずして.

いこう せいりょく げんぜん とき にちがつ ひかりを うしない てんりゅう あめを くださず ちじん じみを げんぜん とき.
威光 勢力 減ぜん 時 日月 光りを 失ひ 天竜 雨を くださず 地神 地味を 減ぜん 時.

そうもく こんきょう しよう けか やくとうの 7みも うせん とき 10ぜんの こくおうも とん じん ちを まし.
草木 根茎 枝葉 華菓 薬等の 七味も 失せん 時 十善の 国王も 貪 瞋 癡を まし.

ふぼ 6しんに こうせず したしからざん とき.
父母 六親に 孝せず したしからざらん 時.

わがでし むち むかいにして かみ ばかりを そりて しゅごしんにも すてられて かつみょうの はかりごと なからん.
我が 弟子 無智 無戒にして 髪 ばかりを 剃りて 守護神にも 捨てられて 活命の はかりごと なからん.

びく びくにの いのちの ささえと せんと ちかい たまえり.
比丘 比丘尼の 命の ささへと せんと 誓ひ 給へり.

また かじの 3ぶんの くどく 2ぶんをば わが みに もちい たまい ほとけの じゅみょう 120まで よに まします べかりしが.
又 果地の 三分の 功徳 二分をば 我が 身に 用ひ 給ひ 仏の 寿命 百二十まで 世に まします べかりしが.

80にして にゅうめつし のこる ところの 40ねんの じゅみょうを とどめおきて われらに あたえ たもう おんをば.
八十にして 入滅し 残る 所の 四十年の 寿命を 留め 置きて 我等に 与へ 給ふ 恩をば.

4だいかいの みずを すずりの みずとし いっさいの そうもくを やいて すみと なして いっさいの けだものの けを ふでとし.
四大海の 水を 硯の 水とし 一切の 草木を 焼て 墨と なして 一切の けだものの 毛を 筆とし.

じゅっぽう せかいの だいちを かみと さだめて しるし おくとも.
十方 世界の 大地を 紙と 定めて 注し 置くとも.

いかでか ほとけの おんを ほうじ たてまつるべき.
争か 仏の 恩を 報じ 奉るべき.

ほうの おんを もうさば ほうは しょぶつの しなり しょぶつの たっとき ことは ほうに よる.
法の 恩を 申さば 法は 諸仏の 師なり 諸仏の 貴き 事は 法に 依る.

されば ぶつおんを ほうぜんと おもわん ひとは ほうの おんを ほうずべし.
されば 仏恩を 報ぜんと 思はん 人は 法の 恩を 報ずべし.

つぎに そうの おんを いわば ぶっぽう ほうぽうは かならず そうに よりて じゅうす.
次に 僧の 恩を いはば 仏宝 法宝は 必ず 僧に よりて 住す.

たとえば たきぎ なければ ひ なく だいち なければ そうもく しょうず べからず.
譬えば 薪 なければ 火 無く 大地 無ければ 草木 生ず べからず.

ぶっぽう ありと いえども そう ありて ならい つたえ ずんば しょうほう ぞうほう 2000ねん すぎて まっぽうへも つたわる べからず.
仏法 有りと いへども 僧 有りて 習 伝へ ずんば 正法 像法 二千年 過ぎて 末法へも 伝はる べからず.

ゆえに だいしっきょうに いわく 5かの 5ひゃくさいの のちに.
故に 大集経に 云く 五箇の 五百歳の 後に.
 

むち むかいなる しゃもんを とがありと いって これを なやますは.
無智 無戒なる 沙門を 失ありと 云つて 是を 悩すは.

このひと ぶっぽうの だいとうみょうを めっせんと おもえと とかれたり.
此の 人 仏法の 大燈明を 滅せんと 思えと 説かれたり.

しかれば そうの おんを ほうじ がたし.
然れば 僧の 恩を 報じ 難し.

されば 3ぽうの おんを ほうじ たまうべし.
されば 三宝の 恩を 報じ 給うべし.

いにしえの しょうにんは せっせんどうじ じょうたいぼさつ やくおうだいし ふみょうおう とう.
古の 聖人は 雪山童子 常啼菩薩 薬王大士 普明王 等.

これらは みな わがみを おにの うち かいと なし みの けつずいを うり ひじを たき こうべを すて たまいき.
此等は 皆 我が 身を 鬼の うち かひと なし 身の 血髄を うり 臂を たき 頭を 捨て 給いき.

しかるに まつだいの ぼんぷ 3ぽうの おんを こうむりて 3ぽうの おんを ほうぜず.
然るに 末代の 凡夫 三宝の 恩を 蒙りて 三宝の 恩を 報ぜず.

いかに してか ぶつどうを じょうぜん.
いかに してか 仏道を 成ぜん.

しかるに しんちかんきょう ぼんもうきょう とうには ぶっぽうを がくし.
然るに 心地観経 梵網経 等には 仏法を 学し.

えんとんの かいを うけん ひとは かならず 4おんを ほうずべしと みえたり.
円頓の 戒を 受けん 人は 必ず 四恩を 報ずべしと 見えたり.

それがしは ぐちの ぼんぷ けっくの みなり 3わく 1ぶんも だんぜず.
某は 愚癡の 凡夫 血肉の 身なり 三惑 一分も 断ぜず.

ただ ほけきょうの ゆえに めり きぼう せられて とうじょうを くわえられ るざい せられたるを もって.
只 法華経の 故に 罵詈 毀謗 せられて 刀杖を 加えられ 流罪 せられたるを 以て.

だいせいの ひじを やき ずいを くだき こうべを はねられたるに なぞらへんと おもう.
大聖の 臂を 焼き 髄を くだき 頭を はねられたるに なぞらへんと 思ふ.

これ ひとつの よろこびなり.
是れ 一つの 悦びなり.

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だい2に だいなる なげきと もうすは ほけきょう だい4に いわく.
第二に 大なる 歎きと 申すは 法華経 第四に 云く.

もし あくにん あって ふぜんの こころを もって いっこうの なかに おいて げんに ぶつぜんに おいて つねに ほとけを きめせん そのつみ なお かるし.
若し 悪人 有つて 不善の 心を 以て 一劫の 中に 於て 現に 仏前に 於て 常に 仏を 毀罵せん 其の 罪 尚 軽し.

もし ひと ひとつの あくげんを もって ざいけ しゅっけの ほけきょうを どくじゅする ものを きしせん その つみ はなはだ おもし とうと うんぬん.
若し 人 一つの 悪言を 以て 在家 出家の 法華経を 読誦する 者を 毀呰せん 其の 罪 甚だ 重し 等と 云云.

これらの きょうもんを みるに しんじんを おこし みより あせを ながし りょうがんより なみだを ながすこと あめの ごとし.
此等の 経文を 見るに 信心を 起し 身より 汗を 流し 両眼より 涙を 流すこと 雨の 如し.

われ ひとり この くにに うまれて おおくの ひとをして いっしょうの ごうを つくらしむることを なげく.
我 一人 此の 国に 生れて 多くの 人をして 一生の 業を 造らしむることを 歎く.

かの ふぎょうぼさつを ちょうちゃくせし ひと げんしんに かいげの こころを おこせし だにも なお つみ きえがたくして せんごう あびじごくに おちぬ.
彼の 不軽菩薩を 打擲せし 人 現身に 改悔の 心を 起せし だにも 猶 罪 消え 難くして 千劫 阿鼻地獄に 堕ちぬ.

いま われに あだを むすべる やからは いまだ 1ぶんも くゆる こころも おこさず.
今 我に 怨を 結べる 輩は 未だ 一分も 悔る 心も おこさず.

これ ていの ひとの うくる ごうほうを だいしっきょうに といて いわく.
是 体の 人の 受くる 業報を 大集経に 説いて 云く.

もし ひと あって せんおくまんの ほとけの ところにして ぶっしんより ちを いださん.
若し 人 あつて 千万億の 仏の 所にして 仏身より 血を 出さん.

こころに おいて いかん このひとの つみを うる こと むしろ おおしと せんや いなや.
意に 於て 如何 此の 人の 罪を うる 事 寧ろ 多しと せんや 否や.

だいぼんのう もうさく もし ひと ただ 1ぶつの みより ちを いださん むけんの つみ おおし.
大梵王 言さく 若し 人 只 一仏の 身より 血を 出さん 無間の 罪 尚 多し.

むりょうにして かぞえを おきても かずを しらず あび だいじごくの なかに おちん.
無量にして 算を おきても 数をしらず 阿鼻 大地獄の 中に 堕ちん.

いかに いわんや まんおくの ぶっしんより ちを いださん ものを みんをや.
何に 況や 万億の 仏身より 血を 出さん 者を 見んをや.

ついに よく ひろく かの ひとの ざいごう かほうを とくこと あること なからん.
終に よく 広く 彼の 人の 罪業 果報を 説く事 ある事 なからん.

ただし にょらいをば のぞき たてまつる.
但し 如来をば 除き 奉る.

ほとけの いわく.
仏の 言はく.

だいぼんてんおう もし わがために かみを そり けさを かけ かたときも きんかいを うけず けっぱんを うけん ものを.
大梵王 若し 我が 為に 髪を そり 袈裟を かけ 片時も 禁戒を うけず 欠犯を うけん 者を.
 
なやまし のり つえを もって うちなんどする こと あらば つみを うること かれよりは おおしと.
なやまし のり 杖を もつて 打ちなんどする 事 有らば 罪を うる事 彼よりは 多しと.
 

こうちょう 2ねん みずのえいぬ しょうがつ 16にち にちれん かおう.
弘長 二年 壬戌 正月 十六日 日蓮 花押.

くどう さこんのじょう どの.
工藤 左近尉 殿.

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