b940から948.
法華経題目抄 (ほけきょう だいもくしょう).
日蓮大聖人 45歳 御作.

 

b940

ほけきょう だいもくしょう.
法華経 題目抄.

こんぽんだいし もんじん にちれん せん.
根本大師 門人 日蓮 撰.

なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経.

とうて いわく.
問うて 云く.

ほけきょうの こころをも しらず ただ なんみょうほうれんげきょうと ばかり 5じ 7じに かぎりて .
法華経の 意をも しらず 只 南無妙法蓮華経と 計り 五字 七字に 限りて.

1にちに いっぺん ひとつき ないし 1ねん 10ねん いちご しょうの あいだに.
一日に 一遍 一月 乃至 一年 十年 一期 生の 間に.

ただ いっぺん なんど となえても きょうじゅうの あくに ひかれずして 4あくしゅに おもむかず.
只 一遍 なんど 唱えても 軽重の 悪に 引かれずして 四悪趣に おもむかず.

ついに ふたいの くらいに いたるべしや.
ついに 不退の 位に いたるべしや.

こたえて いわく しかるべきなり.
答えて 云く しかるべきなり.

とうて いわく.
問うて 云く.

ひ ひと いえども てに とらざれば やけず.
火 火と いへども 手に とらざれば やけず.

みず みずと いえども くちに のまざれば みずの ほしさも やまず.
水 水と いへども 口に のまざれば 水の ほしさも やまず.

ただ なんみょうほうれんげきょうと だいもく ばかりを となうとも ぎしゅを さとらずば.
只 南無妙法蓮華経と 題目 計りを 唱うとも 義趣を さとらずば.

あくしゅを まぬかれん こと いかが ある べかるらん.
悪趣を まぬかれん 事 いかが あるべかるらん.

こたえて いわく.
答えて 云く.

ししの すじを ことの いととして いちど そうすれば よの げん ことごとく きれ.
師子の 筋を 琴の 絃として 一度 奏すれば 余の 絃悉 くきれ.

うめのみの すきなを きけば くちに つたまり うるおう.
梅子の すき声を きけば 口に つたまり うるをう.

せけんの ふしぎすら かくの ごとし.
世間の 不思議すら 是くの 如し.

いわんや ほけきょうの ふしぎをや.
況や 法華経の 不思議をや.

しょうじょうの したいの なばかりを さやづる おうむ なを てんに しょうず.
小乗の 四諦の 名計りを さやづる 鸚鵡 なを 天に 生ず.

さんき ばかりを たもつ ひと たいぎょの なんを まぬかる.
三帰 計りを 持つ 人 大魚の 難を まぬかる.

いかに いわんや ほけきょうの だいもくは 8まん せいきょうの かんじん いっさいしょぶつの がんもく なり.
何に 況や 法華経の 題目は 八万聖教の 肝心 一切諸仏の 眼目 なり.

なんじら これを となえて 4あくしゅを はなる べからずと うたがうか.
汝等 此れを 唱えて 四悪趣を はなる べからずと 疑うか.

しょうじきしゃほうべんの ほけきょうには 「しんを もって いる ことを う」といい.
正直捨方便の 法華経には 「信を 以て 入る ことを 得」と 云い.

そうりん さいごの ねはんぎょうには 「この ぼだいの いんは また むりょう なりと いえども.
雙林最後の 涅槃経には 「是の 菩提の 因は 復 無量 なりと 雖も.

もし しんじんを とけば すなわち すでに しょうじん す」とう うんぬん.
若し 信心を 説けば 則ち 已に 摂尽 す」等 云云.

それ ぶつどうに いる こんぽんは しんを もて ほんと す.
夫れ 仏道に 入る 根本は 信を もて 本とす.

52いの なかには 10しんを ほんと す.
五十二位の 中には 十信を 本と す.

10しんの くらいには しんじん はじめ なり たとい さとり なけれども.
十信の 位には 信心 初め なり たとひ さとり なけれども.

しんじん あらん ものは どんこんも しょうけんの ものなり.
信心 あらん 者は 鈍根も 正見の 者なり.

たとい さとり あるとも しんじん なき ものは ひぼう せんだいの ものなり.
たとひ さとり あるとも 信心 なき 者は 誹謗 闡提の 者なり.

ぜんしょうびくは 250かいを たもち.
善星比丘は 二百五十戒を 持ち.

4ぜんじょうを え 12ぶきょうを そらに せしもの.
四禅定を 得 十二部経を 諳に せし者.

だいばだったは 6まん 8まんの ほうぞうを おぼえ 18へんを げんぜ しかども.
提婆達多は 六万八万の 宝蔵を おぼへ 十八変を 現ぜ しかども.

これらは うげむしんの もの いまに あびだいじょうに ありと きく.
此等は 有解無信の 者 今に 阿鼻大城に ありと 聞く.

かしょう しゃりほつ とうは むげうしんの ものなり.
迦葉 舎利弗 等は 無解有信の 者なり.

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b941

ほとけに じゅきを こうむりて けこうにょらい こうみょうにょらいと いわれき.
仏に 授記を 蒙りて 華光如来 光明如来と いはれき.

ほとけ といて いわく 「うたがいを しょうじて しんぜざらん ものは すなわち まさに あくどうに おつべし」とう うんぬん.
仏 説いて 云く 「疑を 生じて 信ぜざらん 者は 即ち 当に 悪道に 堕つべし」等 云云.

これらは うげむしんの ものを とき たもう.
此等は 有解無信の 者を 説き 給う.

しかるに いまの よに せけんの がくしゃの いわく ただ しんじん ばかりにて げする こころ なく.
而るに 今の 代に 世間の 学者の 云く 只 信心 計りにて 解する 心 なく.

なんみょうほうれんげきょうと となうる ばかりにて いかでか あくしゅを まぬかるべき とう うんぬん.
南無妙法蓮華経と 唱うる 計りにて 争か 悪趣を まぬかるべき 等 云云.

この ひとびとは きょうもんの ごとく ならば あびだいじょう まぬがれ がたし.
此の 人人は 経文の 如く ならば 阿鼻大城 まぬかれ がたし.

されば させる さとり なくとも なんみょうほうれんげきょうと となうる ならば あくどうを まぬかるべし.
されば させる 解り なくとも 南無妙法蓮華経と 唱うる ならば 悪道を まぬかるべし.

たとえば れんげは ひに したがって まわる はちすに こころ なし.
譬えば 蓮華は 日に 随つて 回る 蓮に 心 なし.

ばしょうは かみなりに よりて ぞうちょうす この くさに みみ なし.
芭蕉は 雷に よりて 増長す 此の 草に 耳 なし.

われらは れんげと ばしょうとの ごとく ほけきょうの だいもくは にちりんと かみなりとの ごとし.
我等は 蓮華と 芭蕉との 如く 法華経の 題目は 日輪と 雷との 如し.

さいの いきつのを みに たいして みずに いりぬれば みず 5しゃく みに ちかづかず.
犀の 生角を 身に 帯して 水に 入りぬれば 水 五尺 身に 近づかず.

せんだんの いちよう ひらきぬれば 40よじゅんの いらんを へんず.
栴檀の 一葉 開きぬれば 四十由旬の 伊蘭を 変ず.

われらが あくごうは いらんと みずとの ごとく ほけきょうの だいもくは さいの いきつのと せんだんの いちようとの ごとし.
我等が 悪業は 伊蘭と 水との 如く 法華経の 題目は 犀の 生角と 栴檀の 一葉との 如し.

こんごうは けんごにして いっさいの ものに やぶられず.
金剛は 堅固にして 一切の 物に 破られず.

されども ひつじの つのと かめの こうに やぶらる.
されども 羊の 角と 亀の 甲に 破らる.

にくるじゅは おおとりにも えだ おれざれども かの まつげに すくう しょうりょうちょうに やぶらる.
尼倶類樹は 大鳥にも 枝 おれざれども かの まつげに 巣くう せうれう鳥に やぶらる.

われらが あくごうは こんごうの ごとく にくるじゅの ごとし.
我等が 悪業は 金剛の 如く 尼倶類樹の 如し.

ほけきょうの だいもくは ひつじの つのの ごとく しょうりょうちょうの ごとし.
法華経の 題目は 羊の 角の ごとく せうれう鳥の 如し.

こはくは ちりを とり じしゃくは てつを すう.
琥珀は 塵を とり 磁石は 鉄を すう.

われらが あくごうは ちりと てつとの ごとく ほけきょうの だいもくは こはくと じしゃく とのごとし.
我等が 悪業は 塵と 鉄との 如く 法華経の 題目は 琥珀と 磁石 との如し.

かく おもいて つねに なんみょうほうれんげきょうと となうべし.
かく をもひて 常に 南無妙法蓮華経と 唱うべし.

ほけきょうの だいいちの まきに いわく.
法華経の 第一の 巻に 云く.

「むりょうむすうこうにも この ほうを きかんこと また かたし」.
「無量無数劫にも 是の 法を 聞かんこと 亦 難し」.

だい5の まきに いわく.
第五の 巻に 云く.

「この ほけきょうは むりょうの くにじゅうに おいて ないし みょうじをも きくことを うべからず」 とう うんぬん.
「是の 法華経は 無量の 国中に 於て 乃至 名字をも 聞くことを 得可からず」等 云云.

ほけきょうの みなを きく ことは おぼろげにも ありがたき ことなり.
法華経の 御名を 聞く 事は をぼろげにも ありがたき 事なり.

されば しゅせんだぶつ たほうぶつは よに いでさせ たまい たりしかども .
されば 須仙多仏 多宝仏は 世に いでさせ 給い たりしかども.

ほけきょうの みなを だにも とき たまわず.
法華経の 御名を だにも 説き 給わず.

しゃかにょらいは ほけきょうの ために よに いでさせ たまいたり しかども.
釈迦如来は 法華経の ために 世に いでさせ 給いたり しかども.

42ねんが あいだは なを ひして かたり いださせ たまわず.
四十二年が 間は 名を ひして かたり いださせ 給わず.

ほとけの おんとし 72と もうせし とき はじめて なんみょうほうれんげきょうと となえ いでさせ たまいたりき.
仏の 御年 七十二と 申せし 時 はじめて 妙法蓮華経と となえ いでさせ 給いたりき.

しかりと いえども まかしな にほんの へんごくの ものは みなを も きかざりき.
しかりと いえども 摩訶尸那 日本の 辺国の 者は 御名をも きかざりき.

1せんよねん すぎて 350よねんに およびてこそ わずかに みな ばかりを ききたりしか.
一千余年 すぎて 三百五十余年に 及びてこそ 纔に 御名 計りをば 聞きたりしか.

されば この きょうに あい たてまつる ことをば 3000ねんに 1ど はなさく うどんげ.
されば この 経に 値い たてまつる 事をば 三千年に 一度 華さく 優曇華.

むりょう むへんこうに 1ど あうなる いちげんの かめにも たとえたり.
無量無辺劫に 一度 値うなる 一眼の 亀にも たとへたり.

だいちの うえに はりを たてて だいぼんてんのうより けしを なぐるに.
大地の 上に 針を 立てて 大梵天王宮より 芥子を なぐるに.

はりの さきに けしの つらぬかれ たるよりも.
針の さきに 芥子の つらぬかれ たるよりも.

ほけきょうの だいもくに あう ことは かたし.
法華経の 題目に 値う 事は かたし.

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b942

この しゅみせんに はりを たてて かの しゅみせん より おおかぜの つよく ふく ひ.
此の 須弥山に 針を 立てて かの 須弥山 より 大風の つよく 吹く 日.

いとを わたさんに いたりて はりの あなに いとの さきの いりたらん よりも.
いとを わたさんに いたりて はりの 穴に いとの さきの いりたらん よりも.

ほけきょうの だいもくに あい たてまつる こと かたし.
法華経の 題目に 値い 奉る 事 かたし.

されば この きょうの だいもくを となえさせ たまわんには おぼしめすべし.
されば この 経の 題目を となえさせ 給はんには をぼしめすべし.

いきめくらの はじめて まなこ あきて ふぼとうを みん よりも うれしく.
生盲の 始めて 眼 あきて 父母 等を みん よりも うれしく.

つよき かたきに とられたる ものの ゆるされて さいしを みるよりも めずらしと おぼすべし.
強き かたきに とられたる 者の ゆるされて 妻子を 見るよりも めづらしと をぼすべし.

とうて いわく だいもく ばかりを となうる しょうもん これ ありや.
問うて 云く 題目 計りを 唱うる 証文 これ ありや.

こたえて いわく みょうほうれんげきょうの だい8に いわく.
答えて 云く 妙法華経の 第八に 云く.

「ほっけの なを じゅじ せん もの ふく はかる べからず」.
「法華の 名を 受持せん 者 福 量る 可からず」.

しょう ほけきょうに いわく.
正 法華経に 云く.

「もし このきょうを きいて みょうごうを せんじ せば とく はかる べからず.
「若し 此の 経を 聞いて 名号を 宣持 せば 徳 量る 可からず」.

てんぽん ほけきょうに いわく.
添品 法華経に 云く.

「ほっけの なを じゅじ せんもの ふく はかる べからず」とう うんぬん.
「法華の 名を 受持 せん者 福 量る 可からず」等 云云.

これらの もんは だいもく ばかりを となうる ふく はかる べからずと みえぬ.
此等の 文は 題目 計りを 唱うる 福 計る べからずと みへぬ.

1ぶ 8かん 28ぽんを じゅじ どくじゅし ずいき ごじ とう するは こう なり.
一部 八巻 二十八品を 受持読誦し 随喜 護持 等 するは 広 なり.

ほうべんぽん じゅりょうほん とうを じゅじし ないし ごじ するは りゃく なり.
方便品 寿量品 等を 受持し 乃至 護持 するは 略 なり.

ただ 14くげ ないし だいもく ばかりを となえ となうる ものを ごじ するは よう なり.
但 一四句偈 乃至 題目 計りを 唱え となうる 者を 護持 するは 要 なり.

こう りゃく ようの なかには だいもくは ようの うち なり.
広 略 要の 中には 題目は 要の 内 なり.

とうて いわく みょうほうれんげきょうの 5じには いくばくの くどくをか おさめたるや.
問うて 云く 妙法蓮華経の 五字には いくばくの 功徳をか おさめたるや.

こたえて いわく たいかいは しゅうるを おさめたり.
答えて 云く 大海は 衆流を 納めたり.

だいちは うじょう ひじょうを もてり.
大地は 有情 非情を 持てり.

にょいほうじゅは まんざいを ふらし ぼんのうは 3がいを りょうす.
如意宝珠は 万財を 雨し 梵王は 三界を 領す.

みょうほうれんげきょうの 5じ また かくの ごとし.
妙法蓮華経の 五字 また 是くの 如し.

いっさいの 9かいの しゅじょう ならびに ぶっかいを おさむ.
一切の 九界の 衆生 並に 仏界を 納む.

じっかいを おさむれば また じっかいの えほうの こくどを おさむ.
十界を 納むれば 亦 十界の 依報の 国土を 収む.

まず みょうほうれんげきょうの 5じに いっさいの ほうを おさむる ことを いわば.
先ず 妙法蓮華経の 五字に 一切の 法を 納むる 事を いはば.

きょうの 1じは しょきょうの なかの おう なり.
経の 一字は 諸経の 中の 王 なり.

いっさいの ぐんきょうを おさむ.
一切の 群経を 納む.

ほとけ よに いでさせ たまいて 50よねんの あいだ.
仏 世に 出でさせ 給いて 五十余年の 間.

8まんしょうきょうを とき おかせ たまいき.
八万聖教を 説き をかせ 給いき.

ほとけは にんじゅ ひゃくさいの とき みずのえ さる 2がつ 15にちの やはんに ごにゅうめつ あり.
仏は 人寿 百歳の 時 壬申の 歳 二月十五日の 夜半に 御入滅 あり.

そのご 4がつ 8かより 7がつ 15にちに いたるまで いっか きゅうじゅんの あいだ .
其の後 四月 八日 より 七月十五日に 至るまで 一夏 九旬の 間.

1せんにんの あらかん けっしゅうどうに あつまりて いっさいきょうを かきおかせ たまいき.
一千人の 阿羅漢 結集堂に あつまりて 一切経を かきをかせ 給いき.

そのご しょうほう 1せんねんの あいだは 5てんじくに いっさいきょう ひろまらせ たまい しかども.
其の後 正法 一千年の 間は 五天竺に 一切経 ひろまらせ 給い しかども.

しんたんこくには わたらず.
震旦国には 渡らず.

ぞうほうに いって 15ねんと もうせしに ごかんの こうめいこうてい えいへい 10ねん ひのとうの とし.
像法に 入つて 一十五年と 申せしに 後漢の 孝明皇帝 永平 十年 丁卯の 歳.

ぶっきょう はじめて わたって とうの げんそうこうてい かいげん 18ねん かのえうしの としに いたるまで.
仏経 始めて 渡つて 唐の 玄宗皇帝 開元 十八年 庚午の 歳に 至るまで.

わたれる やくしゃ 176にん もちきたる きょうりつろん 1076ぶ 5048かん 480ちつ.
渡れる 訳者 一百七十六人 持ち 来る 経律論 一千七十六部 五千四十八巻 四百八十帙.

これ みな ほけきょうの きょうの 1じの けんぞくの しゅたら なり.
是れ 皆 法華経の 経の 一字の 眷属の 修多羅 なり.

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まず みょうほうれんげきょうの いぜん 40よねんの あいだの きょうの なかに.
先ず 妙法蓮華経の 以前 四十余年の 間の 経の 中に.

だいほうこうぶつけごんきょう と もうす きょう まします.
大方広仏華厳経と 申す 経 まします.

りゅうぐうじょうには 3ぼん あり.
竜宮城には 三本 あり.

じょうぼんは 13せかい みじんすうの ほん ちゅうぼんは 49万8800げ げぼんは 10まんげ 48ぽん.
上本は 十三世界 微塵数の 品、中本は 四十九万八千八百偈、下本は 十万偈 四十八品.

この 3ぼんの ほかに しんたん にほんには わずかに 80かん 60かん とう あり.
此の 三本の 外に 震旦 日本には 僅に 八十巻 六十巻 等 あり.

あごん しょうじょうきょう ほうとう はんにゃの しょだいじょうきょう とう.
阿含 小乗経、方等 般若の 諸大乗経 等.

だいにちきょうは ぼんぼんには あばらかきゃ の 5じ ばかりを 3500の げを もって むすべり.
大日経は 梵本には 阿バラ訶キャの 五字 計りを 三千五百の 偈を もつて むすべり.

いわんや よの しょそんの しゅし そんぎょう 3まや その かずを しらず.
況や 余の 諸尊の 種子 尊形 三摩耶 其の 数を しらず.

しかるに かんどには ただ わずかに 6かん 7かん なり.
而るに 漢土には 但 纔に 六巻 七巻 なり.

ねはんぎょうは そうりん さいごの せつ かんどには ただ 40かん これも ぼんぼん これ おおし.
涅槃経は 雙林 最後の 説 漢土には 但 四十巻 是も 梵本 之れ 多し.

これらの しょきょうは みな しゃかにょらいの しょせつの ほけきょうの けんぞくの しゅたら なり.
此等の 諸経は 皆 釈迦如来の 所説の 法華経の 眷属の 修多羅 なり.

このほか かこの 7ぶつ 1000ぶつ おんのんごうの しょぶつの しょせつ.
此の外 過去の 七仏 千仏 遠遠劫の 諸仏の 所説.

げんざい じっぽうのしょぶつの せっきょう みな ほけきょうの きょうの 1じの けんぞく なり.
現在 十方の諸仏の 説経 皆 法華経の 経の 一字の 眷属 なり.

されば やくおうほんに ほとけ しゅくおうけぼさつに たいして いわく.
されば 薬王品に 仏 宿王華菩薩に 対して 云く.

たとえば いっさいの せんる こうがの しょすいの なかに うみ これ だいいち なるが ごとく.
「譬えば 一切の 川流 江河の 諸水の 中に 海 為れ 第一 なるが 如く.

しゅせんの なかに しゅみせん これ だいいち しゅうせいの なかに がってんし もっとも これ だいいち とう うんぬん.
衆山の 中に 須弥山 為れ 第一 衆星の 中に 月天子 最も 為れ 第一」等 云云.

みょうらくだいしの しゃくに いわく 「いこんとうせつ さいいだいいち」とう うんぬん.
妙楽大師の 釈に 云く 「已今当説 最為第一」等 云云.

この きょうの 1じの なかに じっぽうかいの いっさいきょうを おさめたり.
此の 経の 一字の 中に 十方法界の 一切経を 納めたり.

たとえば にょいほうじゅの いっさいの たからを おさめ こくうの ばんしょうを ふくめるが ごとし.
譬えば 如意宝珠の 一切の 財を 納め 虚空の 万象を 含めるが 如し.

きょうの 1じは 1だいに まさる ゆえに みょうほうれんげきょうの 4じも また 8まんほうぞうに ちょうか するなり.
経の 一字は 一代に 勝る 故に 妙法蓮華の 四字も 又 八万法蔵に 超過 するなり.

みょうとは ほけきょうに いわく 「ほうべんの もんを ひらいて しんじつの そうを しめす」.
妙とは 法華経に 云く 「方便の 門を 開いて 真実の 相を 示す」.

しょうあんだいしの しゃくに いわく 「ひみつの おうぞうを ひらく これを しょうして みょうと なす」.
章安大師の 釈に 云く 「秘密の 奥蔵を 発く 之を 称して 妙と 為す」.

みょうらくだいし この もんを うけて いわく 「はつとは ひらく なり」とう うんぬん.
妙楽大師 此の 文を 受けて 云く「発とは 開なり」等 云云.

みょうと もうす ことは ひらくと いう ことなり.
妙と 申す 事は 開と 云う 事なり.

せけんに たからを つめる くらに かぎ なければ ひらく こと かたし.
世間に 財を 積める 蔵に 鑰 なければ 開く 事 かたし.

ひらかざれば くらの うちの たからを みず.
開かざれば 蔵の 内の 財を 見ず.

けごんきょうは ほとけ とき たまい たりしかども きょうを ひらく.
華厳経は 仏 説き 給いたり しかども 経を 開く.

かぎをば ほとけ かの きょうに とき たまわず.
鑰をば 仏 彼の 経に 説き 給はず.

あごん ほうとう はんにゃ かんぎょう とうの 40よねんの きょうぎょうも ほとけ とき たまいたり しかども.
阿含 方等 般若 観経 等の 四十余年の 経経も 仏 説き 給いたり しかども.

かの きょうぎょうの こころをば ひらき たまわず.
彼の 経経の 意をば 開き 給はず.

もんを とじて おかせ たまいたり しかば.
門を 閉じて をかせ 給いたり しかば.

ひと かの きょうぎょうを さとる もの ひとりも なかりき.
人 彼の 経経を さとる 者 一人も なかりき.

たとい さとれりと おもいしも びゃっけんにて ありしなり.
たとひ さとれりと をもひしも 僻見にて ありしなり.

しかるに ほとけ ほけきょうを とかせ たまいて しょきょうの くらを ひらかせ たまいき.
而るに 仏 法華経を 説かせ 給いて 諸経の 蔵を 開かせ 給いき.

この ときに 40よねんの 9かいの しゅじょう はじめて しょきょうの くらの うちの たからをば みしり たりしなり.
此の 時に 四十余年の 九界の 衆生 始めて 諸経の 蔵の 内の 財をば 見しり たりしなり.

たとえば だいちの うえに じんちく そうもく とう あれども.
譬えば 大地の 上に 人畜 草木 等 あれども.

にちがつの ひかり なければ まなこ ある ひとも じんちく そうもくの いろ かたちを しらず.
日月の 光 なければ 眼 ある 人も 人畜 草木の 色形を しらず.

にちがつ いで たまいてこそ はじめて これをば しる ことなれ.
日月 出で 給いて こそ 始めて これをば 知る 事なれ.

にぜんの しょきょうは じょうやの やみの ごとく ほけきょうの ほんじゃく にもんは にちがつの ごとし.
爾前の 諸経は 長夜の 闇の 如く 法華経の 本迹 二門は 日月の 如し.

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もろもろの ぼさつの 2もく ある 2じょうの すがめ なる.
諸の 菩薩の 二目 ある 二乗の 眇目 なる.

ぼんぷの めくら なる せんだいの いきめくら なる.
凡夫の 盲目 なる 闡提の 生盲 なる.

ともに にぜんの きょうぎょうにては いろかたちをば わきまえず ありし ほどに.
共に 爾前の 経経にては いろかたちをば わきまへず ありし 程に.

ほけきょうの とき しゃくもんの げつりん はじめて いで たまいし とき.
法華経の 時 迹門の 月輪 始めて 出で 給いし 時.

ぼさつの りょうがん さきに さとり.
菩薩の 両眼 先に さとり.

2じょうの すがめ つぎに さとり.
二乗の 眇目 次に さとり.

ぼんぷの もうもく つぎに ひらき.
凡夫の 盲目 次に 開き.

いきめくらの いっせんだい みらいに まなこの ひらくべき えんを むすぶ.
生盲の 一闡提 未来に 眼の 開くべき 縁を 結ぶ.

これ ひとえに みょうの 1じの とく なり.
是れ 偏に 妙の 一字の 徳 なり.

しゃくもん 14ほんの 1みょう ほんもん 14ほんの 1みょう あわせて 2みょう.
迹門 十四品の 一妙 本門 十四品の 一妙 合せて 二妙.

しゃくもんの 10みょう ほんもんの 10みょう あわせて 20みょう.
迹門の 十妙 本門の 十妙 合せて 二十妙.

しゃくもんの 30みょう ほんもんの 30みょう あわせて 60みょう.
迹門の 三十妙 本門の 三十妙 合せて 六十妙.

しゃくもんの 40みょう ほんもんの 40みょう かんじんの 40みょう あわせて 120じゅうの みょう なり.
迹門の 四十妙 本門の 四十妙 観心の 四十妙 合せて 百二十重の 妙 なり.

6まん9せん384じ いちいちの じの したに 1の みょう あり.
六万九千三百八十四字 一一の 字の 下に 一の 妙 あり.

そうじて 6まん6せん384の みょう あり.
総じて 六万九千三百八十四の 妙 あり.

みょうとは てんじくには さつと いい かんどには みょうと いう.
妙とは 天竺には 薩と 云い 漢土には 妙と 云う.

みょうとは ぐの ぎ なり ぐとは えんまんの ぎ なり.
妙とは 具の 義 なり 具とは 円満の 義 なり.

ほけきょうの いちいちの もじ 1じ1じに よの 69384じを おさめたり.
法華経の 一一の 文字 一字一字に 余の 六万九千三百八十四字を 納めたり.

たとえば たいかいの いってきの みずに いっさいの かわの みずを おさめ.
譬えば 大海の 一滴の 水に 一切の 河の 水を 納め.

ひとつの にょいほうじゅの けし ばかり なるが いっさいの にょいほうじゅの たからを ふらすが ごとし.
一の 如意宝珠の 芥子 計り なるが 一切の 如意宝珠の 財を 雨らすが 如し.

たとえば あき ふゆ かれたる そうもくの はるなつの ひに あうて しよう けか しゅったい するがごとし.
譬えば 秋冬 枯れたる 草木の 春夏の 日に 値うて 枝葉 華菓 出来 するが如し.

にぜんの あき ふゆの そうもくの ごとく なる 9かいの しゅじょう.
爾前の 秋冬の 草木の 如くなる 九界の 衆生.

ほけきょうの みょうの 1じの はる なつの にちりんに あい たてまつりて.
法華経の 妙の 一字の 春夏の 日輪に あひ たてまつりて.

ぼだいしんの はな さき じょうぶつ おうじょうの このみ なる.
菩提心の 華 さき 成仏往生の 菓 なる.

りゅうじゅぼさつの だいろんに いわく.
竜樹菩薩の 大論に 云く.

「たとえば だいやくしの よく どくを もって くすりと なすが ごとし」 うんぬん.
「譬えば 大薬師の 能く 毒を 以て 薬と 為すが 如し」 云云.

この もんは だいろんに ほけきょうの みょうの とくを しゃくする もん なり.
此の 文は 大論に 法華経の 妙の 徳を 釈する 文 なり.

みょうらくだいしの しゃくに いわく.
妙楽大師の 釈に 云く.

「じし がたきを よく じす ゆえに みょうと しょうす」とう うんぬん.
「治し 難きを 能く 治す 所以に 妙と 称す」等 云云.

そうじて じょうぶつ おうじょうの なりがたき もの 4にん あり.
総じて 成仏往生の なりがたき 者 四人 あり.

だい1には けつじょうの 2じょう だい2には いっせんだい.
第一には 決定性の 二乗 第二には 一闡提人.

だい3には くうしんの もの だい4には ほうぼうの もの なり.
第三には 空心の 者 第四には 謗法の 者 なり.

これらを ほけきょうに おいて ほとけに なさせ たもう ゆえに.
此等を 法華経に をいて 仏に なさせ 給ふ 故に.

ほけきょうを みょうとは いうなり.
法華経を 妙とは 云うなり.

だいばだったは こくぼんおうの だい1の たいし じょうぼんおうには おい.
提婆達多は 斛飯王の 第一の 太子 浄飯王には をひ.

あなんそんじゃが このかみ きょうしゅ しゃくそんには いとこに あたる.
阿難尊者が このかみ 教主 釈尊には いとこに 当る.

なんえんぶだいに かろからざる ひと なり.
南閻浮提に かろからざる 人 なり.

しゅだびくを しとして しゅっけし.
須陀比丘を 師として 出家し.

あなんそんじゃに 18へんを ならい げどうの 6まんぞう ほとけの 8まんぞうを むねに うかべ.
阿難尊者に 十八変を ならひ 外道の 六万蔵 仏の 八万蔵を 胸に うかべ.

5ほうを ぎょうじて ほとんど ほとけ よりも とうとき けしき なり.
五法を 行じて 殆ど 仏 よりも 尊き けしき なり.

りょうずを たてて はそうざいを おかさんために ぞうずせんに かいだんを きずき ぶつでしを まねきとり.
両頭を 立てて 破僧罪を 犯さん ために 象頭山に 戒壇を 築き 仏弟子を 招き取り.

あじゃせたいしを かたらいて いわく.
阿闍世太子を かたらいて 云く.

われは ほとけを ころして しんぶつと なるべし.
我は 仏を 殺して 新仏と なるべし.

たいしは ちちの おうを ころして しんのうと なりたまえ.
太子は 父の 王を 殺して 新王と なり給へ.

→a944

b945

あじゃせたいし すでに ちちの おうを ころせしかば だいばだったは また ほとけを うかがい.
阿闍世太子 すでに 父の 王を 殺せ しかば 提婆達多は 又 仏を うかがい.

おおいしを もちて ほとけの おんみ より ちを いだし.
大石を もちて 仏の 御身 より 血を いだし.

あらかんたる けしきびくにを うちころし.
阿羅漢たる 華色比丘尼を 打ちころし.

5ぎゃくの うちたる 3ぎゃくを つぶさに つくる.
五逆の 内たる 三逆を つぶさに つくる.

そのうえ くぎゃりそんじゃを でしとし あじゃせおうを だんなと たのみ.
其の上 瞿伽梨尊者を 弟子とし 阿闍世王を 檀那と たのみ.

5てんじく 16の たいこく 500のちゅうごく とうの 1ぎゃく 2ぎゃく 3ぎゃく とうを つくれる ものは.
五天竺 十六の 大国 五百の 中国 等の 一逆 二逆 三逆 等を つくれる 者は.

みな だいばが 1るいに あらざる こと これなし.
皆 提婆が 一類に あらざる 事 これなし.

たとえば たいかいの しょがを あつめ たいざんの そうもくを あつめたるが ごとし.
譬えば 大海の 諸河を あつめ 大山の 草木を あつめたるが ごとし.

ちえの ものは しゃりほつに あつまり じんつうの ものは もくれんに したがい.
智慧の 者は 舎利弗に あつまり 神通の 者は 目連に したがひ.

あくにんは だいばに かたらいし なり.
悪人は 提婆に かたらいし なり.

されば あつさ 16まん8せんゆじゅん その したに こんごうの ふうりん ある だいち.
されば 厚さ 十六万八千由旬 其の 下に 金剛の 風輪 ある 大地.

すでに われて しょうしんに むけんだいじょうに おちにき.
すでに われて 生身に 無間大城に 堕ちにき.

だい1の でし くぎゃりも また しょうしんに じごくに いる.
第一の 弟子 瞿伽梨も 又 生身に 地獄に 入る.

せんしゃばらもんにょも おちにき.
旃遮婆羅門女も おちにき.

はるりおうも おちぬ ぜんしょうびくも おちぬ.
波瑠璃王も をちぬ 善星比丘も おちぬ.

また これらの ひとびとの しょうしんに おちしをば.
又 此等の 人人の 生身に 堕ちしをば.

5てんじく 16のたいこく 500のちゅうごく じゅう せんのしょうこくの ひとびとも みな これを みる.
五天竺 十六の大国 五百の中国 十 千の小国の 人人も 皆 これを みる.

6よく 4ぜん しき むしき ぼんおう たいしゃく.
六欲 四禅 色 無色 梵王 帝釈.

だい6てんのまおうも えんまほうおう とうも みな ごらん ありき.
第六天の魔王も 閻魔法王 等も 皆 御覧 ありき.

3000だいせんせかい じっぽうほうかいの しゅじょうも みな ききしなり.
三千大千世界 十方法界の 衆生も 皆 聞きしなり.

されば だいち みじんこうは すぐとも むげんだいじょうを いず べからず.
されば 大地 微塵劫は すぐとも 無間大城を 出づ べからず.

こうせきは ひすらぐとも あびだいじょうの くは つきじとこそ おもいあいたりしに.
劫石は ひすらぐとも 阿鼻大城の 苦は つきじと こそ 思い合いたりしに.

ほけきょうの だいばぼんにして きょうしゅしゃくそんの むかしの し.
法華経の 提婆品にして 教主釈尊の 昔の 師.

てんのうにょらいと しるし たまう ことこそ ふしぎに おぼゆれ.
天王如来と 記し 給う 事 こそ 不思議に をぼゆれ.

にぜんの きょうぎょう まこと ならば ほけきょうは だいもうご.
爾前の 経経 実 ならば 法華経は 大妄語.

ほけきょう まこと ならば にぜんの しょきょうは だいこおうざい なり.
法華経 実 ならば 爾前の 諸経は 大虚誑罪 なり.

だいばが 3ぎゃくを つぶさに おかして そのほか むりょうの じゅうざいを つくりし てんのうにょらいと なる.
提婆が 三逆を 具に 犯して 其の 外 無量の 重罪を 作りし 天王如来と なる.

いわんや 2ぎゃく 1ぎゃくとうの もろもろの あくにんの とくどう うたがい なきこと.
況や 二逆 一逆 等の 諸の 悪人の 得道 疑い なき事.

たとえば だいちを かえすに そうもく とうの かえるが ごとく.
譬えば 大地を かへすに 草木 等の かへるが ごとく.

けんせきを わる もの なんそうを わるが ごとし.
堅石を わる 者 ナン草を わるが 如し.

ゆえに この きょうをば みょうと いう.
故に 此の 経をば 妙と 云ふ.

にょにんをば ないげてんに これを そしり.
女人をば 内外典に 是を そしり.

3こう5ていの 3ぷん5てんに てんごくの ものと さだむ.
三皇五帝の 三墳五典に 諂曲の 者と 定む.

されば わざわいは 3じょ より おこると いえり.
されば 災は 三女 より 起ると 云へり.

くにの ほろぼす ひとの そんずる みなもとは にょにんを ほんと す.
国の 亡び 人の 損ずる 源は 女人を 本と す.

ないてんの なかには しょじょうどうの だいほうたる けごんきょうには.
内典の 中には 初成道の 大法たる 華厳経には.

「にょにんは じごくの つかい なり よく ほとけの ぶっしゅを たつ.
「女人は 地獄の 使 なり 能く 仏の 種子を 断つ.

がいめんは ぼさつに にて ないしんは やしゃの ごとし」と いい.
外面は 菩薩に 似て 内心は 夜叉の 如し」と 云い.

そうりん さいごの だいねはんきょうには.
雙林 最後の 大涅槃経には.

「いっさいの こうが かならず えこく あり いっさいの にょにん かならず てんごく あり」と.
「一切の 江河 必ず 回曲 有り 一切の 女人 必ず 諂曲 有り」と.

また いわく 「あらゆる 3ぜんかいの だんしの もろもろの ぼんのう.
又 云く 「所有 三千界の 男子の 諸の 煩悩.

がっしゅう して ひとりの にょにんの ごうしょうと なる」 とう うんぬん.
合集して 一人の 女人の 業障と 為る」等 云云.

だいけごんきょうの もんに 「よく ほとけの しゅしを たつ」と とかれて そうろうは.
大華厳経の 文に「能く 仏の 種子を 断つ」と 説かれて 候は.

にょにんは ほとけに なるべき しゅしを いれり.
女人は 仏に なるべき 種子を いれり.

→a945

b946

たとえば だいかんばつの とき こくうの なかに だいうん おこり おおあめを だいちに くだすに.
譬えば 大干ばつの 時 虚空の 中に 大雲 をこり 大雨を 大地に 下すに.

かれたるが ごとく なる むりょうむへんの そうもく はなさき このみ なる.
かれたるが 如くなる 無量無辺の 草木 花さき 菓なる.

しかりと いえども いれる たねは おいずして.
然りと 雖も いれる 種は をひずして.

けっく あめ しげければ くちうするが ごとし.
結句 雨 しげければ くちうするが 如し.

ほとけは だいうんの ごとく せっきょうは おおあめの ごとく.
仏は 大雲の 如く 説教は 大雨の 如く.

かれたるが ごとくなる そうもくを いっさいしゅじょうに たとえたり.
かれたるが 如くなる 草木を 一切衆生に 譬えたり.

ぶっきょうの あめに うるおい 5かい 10ぜん ぜんじょう とうの くどくを しゅうするは はな さき このみ なるが ごとし.
仏教の 雨に 潤い 五戒 十善 禅定 等の 功徳を 修するは 花 さき菓 なるが 如し.

あめ ふれども いりたる たねの おいず かえりて くちうするは.
雨 ふれども いりたる 種の をひず かへりて くちうするは.

にょにんの ぶっきょうに あいて しょうじを はなれずして.
女人の 仏教に あひて 生死を はなれずして.

かえりて ぶっぽうを うしない あくどうに おつるに たとうべし.
かへりて 仏法を 失ひ 悪道に 堕つるに 譬ふべし.

これを 「よく ほとけの しゅしを たつ」とは もうすなり .
是を 「能く 仏の 種子を 断つ」とは 申すなり.

ねはんぎょうの もんに いっさいの こうがの まがれるが ごとく にょにんも また まがれりと とかれたるは.
涅槃経の 文に 一切の 江河の まがれるが 如く 女人も 又 まがれりと 説かれたるは.

みずは やわらかなる もの なれば いしやま なんどの こわき ものに さえられて . 
水は やわらかなる 物 なれば 石山 なんどの こわき 物に さへられて.

みずの さき ひるむ ゆえに あれへ これへ いくなり.
水の さき ひるむ ゆへに あれへ これへ 行くなり.

にょにんも また かくの ごとく にょにんの こころを みずに たとえたり.
女人も 亦 是くの 如く 女人の 心をば 水に 譬えたり.

こころ よわくして みずの ごとく なり.
心 よわくして 水の 如く なり.

どうりと おもう ことも おとこの こわき こころに あいぬれば.
道理と 思う 事も 男の こわき 心に 値いぬれば.

せかれて よしなき ほうへ おもむく.
せかれて よしなき 方へ をもむく.

また みずに えがくに とどまらざるが ごとし.
又 水に ゑがくに とどまらざるが 如し.

にょにんは ふしんを たいと する ゆえに ただいま さあるべしと みることも.
女人は 不信を 体と する ゆへに 只 今 さあるべしと 見る 事も.

また しばらく あらば あらぬさまに なるなり.
又 しばらく あれば あらぬさまに なるなり.

ほとけと もうすは しょうじきを ほんと す ゆえに まがれる にょにんは ほとけに なるべからず.
仏と 申すは 正直を 本と す 故に まがれる 女人は 仏に なるべからず.

5しょう3じゅうともうして 5つの さわり.
五障三従と 申して 五つの さはり.

3つ したがう ことあり.
三つ したがふ 事あり.

されば ぎんしきにょきょうには 「3ぜの しょぶつの まなこは だいちに おつ とも にょにんは ほとけに なる べからず」と とかれ.
されば 銀色女経には 「三世の 諸仏の 眼は 大地に 落つとも 女人は仏に なる べからず」と 説かれ.

だいろんには 「せいふうは とると いえども にょにんの こころは とりがたし」と いえり.
大論には 「清風は とると 云えども 女人の 心は とりがたし」と 云へり.

かくの ごとく しょきょうに きらわれたりし にょにんを.
此くの 如く 諸経に 嫌はれたりし 女人を.

もんじゅしりぼさつの みょうの いちじを とき たまい しかば たちまちに ほとけに なりき.
文殊師利菩薩の 妙の 一字を 説き 給い しかば 忽に 仏に なりき.

あまりに ふしん なりし ゆえに ほうじょうせかいの たほうぶつの だい1の でし ちしゃくぼさつ.
あまりに 不審 なりし 故に 宝浄世界の 多宝仏の 第一の 弟子 智積菩薩.

しゃかにょらいの みでしの ちえだい1の しゃりほつそんじゃ.
釈迦如来の 御弟子の 智慧第一の 舎利弗尊者.

40よねんの だいしょうじょうきょうの きょうもんを もって りゅうにょの ほとけに なるまじき よしを なんぜ しかども.
四十余年の 大小乗経の 経文を もつて 竜女の 仏に なるまじき 由を 難ぜ しかども.

ついに かなわず ほとけに なりにき.
終に 叶はず 仏に なりにき.

しょどうじょうの 「よく ほとけの しゅしを たつ」.
初成道の 「能く 仏の 種子を 断つ」.

そうりん さいごの 「いっさいの こうが かならず えこく あり」の もんも やぶれぬ.
雙林 最後の 「一切の 江河 必ず 回曲 有り」の 文も 破れぬ.

ぎんしきにょきょう ならびに だいろんの ききょうも むなしく なりぬ.
銀色女経 並に 大論の 亀鏡も 空しく なりぬ.

ちしゃく しゃりほつは したを まきて くちを とじ.
智積 舎利弗は 舌を 巻きて 口を 閉ぢ.

にんてんだいえは かんきせし あまりに たなごころを あわせたりき.
人天大会は 歓喜せし あまりに 掌を 合せたりき.

これ ひとえに みょうの いちじの とく なり.
是れ 偏に 妙の 一字の 徳 なり.

この なんえんぶだいの うちに 2500の かわ あり.
此の 南閻浮提の 内に 二千五百の 河 あり.

いちいちに みな まがれり.
一一に 皆 まがれり.

なんえんぶだいの にょにんの こころの まがれるが ごとし.
南閻浮提の 女人の 心の まがれるが 如し.

→a946

b947

ただし しゃばやと もうす かわ あり.
但 し娑婆耶と 申す 河 あり.

なわを ひきはえ たるが ごとくして じきに さいかいに いる.
繩を 引き はえたるが 如くして 直に 西海に 入る.

ほけきょうを しんずる にょにん また また かくのごとく じきに さいほうじょうどへ いるべし これ みょうの いちじの とく なり.
法華経を 信ずる 女人 亦復 是くの 如く 直に 西方浄土へ 入るべし是れ 妙の 一字の 徳 なり.

みょうとは そせいの ぎ なり そせいと もうすは よみがえる ぎ なり.
妙とは 蘇生の 義 なり 蘇生と 申すは よみがへる 義 なり.

たとえば さいの こ しせるに つるのはは しあんと なけば.
譬えば 黄鵠の 子 死せるに 鶴の 母 子安と なけば.

しせるこ かえって よみがえり.
死せる 子 還つて 活り.

ちんちょう みずに いれば ぎょぼう ことごとく しす.
鴆鳥 水に 入れば 魚蚌 悉く 死す.

さいの つの これに ふるれば しせる もの みな よみがえるが ごとく.
犀の 角 これに ふるれば 死せる 者 皆 よみがへるが 如く.

にぜんの きょうぎょうにて ぶっしゅを いりて しせる 2じょう せんだい にょにん とう.
爾前の 経経にて 仏種を いりて 死せる 二乗 闡提 女人 等.

みょうの いちじを たもちぬれば いれる ぶっしゅも かえって しょうずるが ごとし.
妙の 一字を 持ちぬれば いれる 仏種も 還つて 生ずるが 如し.

てんだい いわく 「せんだいは こころ あり なお さぶつ すべし.
天台 云く「闡提は 心 有り 猶 作仏 すべし.

2じょうは ちを めっす こころ しょうず べからず.
二乗は 智を 滅す 心 生ず 可からず.

ほっけ よく じす また しょうして みょうと なす」と.
法華 能く 治す 復 称して 妙と 為す」と.

みょうらく いわく 「ただ だいと いいて みょうと なずけ ざるは 1には うしんは じしやすく むしんは じし がたし.
妙楽 云く「但 大と 云いて 妙と 名づけざるは 一には 有心は 治し易く 無心は 治し 難し.

じし がたきを よく じす ゆえに みょうと しょうす」とう うんぬん.
治し 難きを 能く 治す 所以に 妙と 称す」等 云云.

これらの もんの こころは だいほうこうぶつけごんきょう だいじっきょう だいぼんきょう だいねはんぎょう とうは.
此等の 文の 心は 大方広仏華厳経 大集経 大品経 大涅槃経 等は.

だいもくに だいの じ のみ ありて みょうの じ なし.
題目に 大の 字 のみ ありて 妙の 字 なし.

ただ いける ものを じして しせる ものをば じせず.
但 生る 者を 治して 死せる 者をば 治せず.

ほけきょうは しせる ものをも じするが ゆえに みょうと いうしゃく なり.
法華経は 死せる 者をも 治するが 故に 妙と 云ふ 釈 なり.

されば しょきょうに しては ほとけに なるものも ほとけに なるべからず.
されば 諸経にしては 仏に なる者も 仏に なるべからず.

その ゆえは ほけきょうは ほとけに なりがたき ものすら なお ほとけに なりぬ.
其の 故は 法華は 仏に なりがたき 者すら 尚 仏に なりぬ.

なりやすき ものは いうにや およぶと いう どうり たちぬれば.
なりやすき 者は 云ふにや 及ぶと 云う 道理 立ちぬれば.

ほけきょうを とかれて のちは しょきょうに おもむく ひとりも ある べからず.
法華経を とかれて 後は 諸経に をもむく 一人も ある べからず.

しかるに しょうほう 2せんねんを すぎて まっぽうに いって.
而るに 正像 二千年 過ぎて 末法に 入つて.

とうせいの しゅじょうの じょうぶつ おうじょうの とげがたき ことは.
当世の 衆生の 成仏往生の とげがたき 事は.

ざいせの 2じょう せんだい とうにも 100せんまんおくばい すぎたる しゅじょうの かんぎょう とうの 40よねんの きょうぎょうに よりて.
在世の 二乗 闡提 等にも 百千万億倍 すぎたる 衆生の 観経 等の 四十余年の 経経に よりて.

しょうじを はなれんと おもうは はかなし はかなし.
生死を はなれんと 思うは はかなし はかなし.

にょにんは ざいせ しょうぞうまつ そうじて.
女人は 在世 正像末 総じて.

いっさいの しょぶつの いっさいきょうの なかに ほけきょうを はなれて ほとけに なる べからず.
一切の 諸仏の 一切経の 中に 法華経を はなれて 仏に なる べからず.

りょうぜんの ちょうしゅう どうじょう かいごたる てんだいちしゃだいし さだめて いわく.
霊山の 聴衆 道場 開悟たる 天台智者大師 定めて 云く.

「たきょうは ただ おとこに きして おんなに きせず こんきょうは みな きす」とう うんぬん.
「他経は 但 男に 記して 女に 記せず 今経は 皆 記す」等 云云.

しゃかにょらい たほうぶつ じっぽうしょぶつの ごぜんにして.
釈迦如来 多宝仏 十方諸仏の 御前にして.

まかだこく おうしゃじょうの うしとら わしのやまと もうす ところにて 8かねんの あいだ.
摩竭提国 王舎城の 艮 鷲の山と 申す 所にて 八箇年の 間.

とき たまいし ほけきょうを ちしゃだいし まのあたり きこしめしけるに.
説き 給いし 法華経を 智者大師 まのあたり 聞こしめしけるに.

われ 50よねんの 1だいせいきょうを ときおく ことは みな しゅじょう りやくの ためなり.
我 五十余年の 一代聖教を 説きをく 事は 皆 衆生利益の ためなり.

ただし そのなかに 42ねんの きょうぎょうには にょにん ほとけに なる べからずと とき たまいしなり.
但し 其の 中に 四十二年の 経経には 女人 仏に なるべからずと 説き たまひしなり.

いま ほけきょうにして にょにん ほとけに なると とくと なのらせ たまいしを.
今 法華経にして 女人 仏に 成ると とくと なのらせ 給いしを.

ほとけ めつご 1500よねんに あたって わしのやま より.
仏 滅後 一千五百余年に 当つて 鷲の山 より.

とうほく 108000りの さんかいを へだてて まかしなと もうす くに あり.
東北 十万八千里の 山海を へだてて 摩訶尸那と 申す 国 あり.

しんたんこく これなり.
震旦国 是なり.

→a947

b948

この くにに ほとけの おんつかいに いでさせ たまい てんだいちしゃだいしと なのりて.
此の 国に 仏の 御使に 出でさせ 給ひ 天台智者 大師と なのりて.

にょにんは ほけきょうを はなれて ほとけに なるべからずと さだめさせ たまいぬ.
女人は 法華経を はなれて 仏に なるべからずと 定めさせ 給いぬ.

しなこく より 3000りを へだてて とうほうに くに あり.
尸那国 より 三千里を へだてて 東方に 国 あり.

にほんこくと なづけたり.
日本国と なづけたり.

てんだいだいし ごにゅうめつ 200よねんと もうせしに.
天台大師 御入滅 二百余年と 申せしに.

このくにに うまれて でんぎょうだいしと なのらせ たまいて しゅうくと もうす しょを つくり たまいしに.
此の 国に 生れて 伝教大師と なのらせ 給いて 秀句と 申す 書を 造り 給いしに.

「のうけ しょけ ともに りゃっこう なし みょうほう きょうの ちからにて そくしんに じょうぶつ す」と.
「能化 所化 倶に 歴劫 無し 妙法経の 力にて 即身に 成仏 す」と.

りゅうにょが じょうぶつを さだめ おき たまいたり.
竜女が 成仏を 定め 置き 給いたり.

しかるに とうせいの にょにんは そくしんじょうぶつ こそ かたからめ.
而るに 当世の 女人は 即身成仏 こそ かたからめ.

おうじょうごくらくは ほっけを たのまば うたがいなし.
往生極楽は 法華を 憑まば 疑いなし.

たとえば こうがの たいかいに いる よりも たやすく.
譬えば 江河の 大海に 入る よりも たやすく.

あめの そらより おつるよりも はやく あるべき ことなり.
雨の 空より 落つる よりも はやく あるべき 事なり.

しかるに にほんこくの いっさいの にょにんは なんみょうほうれんげきょうとは となえずして.
而るに 日本国の 一切の 女人は 南無妙法蓮華経とは 唱へずして.

にょにんの おうじょうじょうぶつを とげざる そうかん かんぎょう とうに よりて.
女人の 往生 成仏をと げざる 雙観 観経 等に よりて.

みだの みょうごうを 1にちに 6まんべん 10まんべん なんど となうるは.
弥陀の 名号を 一日に 六万遍 十万遍 なんど となうるは.

ほとけの みょうごうなれば たくみ なるには にたれども にょにんふじょうぶつ ふおうじょうの きょうに よれるが ゆえに.
仏の 名号 なれば 巧なるには 似たれども 女人 不成仏 不往生の 経に よれるが 故に.

いたずらに ほかの たからを かぞえたる にょにん なり.
いたずらに 他の 財を 数えたる 女人 なり.

これ ひとえに あくちしきに たぼらかされたる なり.
これ ひとえに 悪知識に たぼらかされたる なり.

されば にほんこくの いっさいの にょにんの おんかたきは ころう よりも.
されば 日本国の 一切の 女人の 御かたきは 虎狼 よりも.

さんぞく かいぞく よりも ちち ははの かたき とわり とう よりも ほけきょうをば おしえずして.
山賊 海賊 よりも 父母の 敵 とわり 等 よりも 法華経をば をしえずして.

ねんぶつを おしゆる こそ いっさいの にょにんの かたき なれ.
念仏を をしゆる こそ 一切の 女人の かたき なれ.

なんみょうほうれんげきょうと 1にちに 6まん 10まん せんまん とうも となえて のちに.
南無妙法蓮華経と 一日に 六万 十万 千万 等も 唱えて 後に.

ひまあらば よりより あみだとうの しょぶつの みょうごうをも くちずさみ.
暇 あらば 時時 阿弥陀 等の 諸仏の 名号をも 口ずさみ.

なるように もうし たまわん こそ ほけきょうを しんずる にょにんにては あるべきに.
なるやうに 申し 給はん こそ 法華経を 信ずる 女人にては あるべきに.

とうせの にょにんは いちごの あいだ みだの みょうごうをば しきりに となえ.
当世の 女人は 一期の 間 弥陀の 名号をば しきりに となへ.

ねんぶつの ぶつじをば ひまなく おこない ほけきょうをば つやつや となえず くよう せず.
念仏の 仏事をば ひまなく をこなひ 法華経をば つやつや 唱へず 供養 せず.

あるいは わずかに ほけきょうを じきょうしゃに よますれども.
或は わづかに 法華経を 持経者に よますれども.

ねんぶつしゃをば ふぼ きょうだい なんどの ように おもい なし.
念仏者をば 父母 兄弟 なんどの やうに をもひ なし.

じきょうしゃをば しょじゅう けんぞく よりも かろく おもえり.
持経者をば 所従 眷属 よりも かろく をもへり.

かくして しかも ほけきょうを しんずる よしを なのる なり.
かくして しかも 法華経を 信ずる 由を なのる なり.

そもそも じょうとくふじんは ふたりの たいしの しゅっけをゆるして ほけきょうを ひろめさせ.
抑も 浄徳夫人は 二人の 太子の 出家を 許して 法華経を ひろめさせ.

りゅうにょは 「がせんだいじょうきょう どだつくしゅじょう」と こそ ちかいしが.
竜女は 「我闡大乗教 度脱苦衆生」と こそ 誓ひしが.

まったく たきょう ばかりを ぎょうじて このきょうを ぎょうぜしとは ちかわず.
全く 他経 計りを 行じて 此の 経を 行ぜじとは 誓はず.

いまの にょにんは ひとえに たきょうを ぎょうじて ほけきょうを ぎょうずる かたを しらず.
今の 女人は 偏に 他経を 行じて 法華経を 行ずる 方を しらず.

とくとく こころを ひるがえすべし こころを ひるがえすべし.
とくとく 心を ひるがへすべし 心を ひるがへすべし.

なんみょうほうれんげきょう なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

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