b951から954.
寺泊御書 (てらどまり ごしょ).
日蓮大 聖人 50歳御作.


 
b951

てらどまり ごしょ.
寺泊 御書.

ぶんえい 8ねん 10がつ 50さい おんさく.
文永 八年 十月 五十歳 御作.

あたう とき じょうにん えちご てらどまりに おいて.
与 富木 常忍 於 越後 寺泊.

がもく いちゆい たび おわんぬ こころざし あらん しょにんは.
鵞目 一結 給び 了んぬ、心ざし あらん 諸人は.

いっしょに あつまりて ごちょうもん あるべし.
一処に あつまりて 御聴聞 あるべし。.

こんげつ 10がつ とうか そうしゅう あいこうぐん えちの ごうを.
今月 十月 十日 相州 愛京郡 依智の 郷を.

たって むさしの くに くめがわの しゅくに つき.
起つて 武蔵の 国 久目河の 宿に 付き.

12にちを へて えちごの くに てらどまりの つに つきぬ.
十二日を 経て 越後の 国 寺泊の 津に 付きぬ、.

これより たいかいを わたって さどのくにに いたらんと ほっするに.
此れより 大海を 亘つて 佐渡の 国に 至らんと 欲するに.

じゅんぷう さだまらず そのごを しらず.
順風 定まらず 其の 期を 知らず、.

みちの あいだの こと こころも およぶこと なく また ふでにも およばず.
道の 間の 事 心も 及ぶこと 莫く 又 筆にも 及ばず.

ただ あんに おしはかる べし.
但 暗に 推し度る 可し、.

また もとより ぞんちの うえなれば.
又 本より 存知の 上なれば.

はじめて なげく べきに あらざれば これを とどむ.
始めて 歎く 可きに 非ざれば 之を 止む。.

ほけきょうの だいよんに いわく.
法華経の 第四に 云く.

「しかも このきょうは にょらいの げんざいにすら なお おんしつ おおし いわんや めつどの のちをや」.
「而も 此の 経は 如来の 現在にすら 猶 怨嫉 多し 況んや 滅度の 後をや」.

だいごのまきに いわく 「いっさいせけん あだ おおくして しんじ がたし」.
第五の 巻に 云く 「一切世間 怨 多くして 信じ 難し」、.

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ねはんきょうの 38に いわく.
涅槃経の 三十八に 云く.

「その ときに いっさいの げどうの しゅう ことごとく この ことばを なさく.
「爾の 時に 一切の 外道の 衆 咸く 是の 言を 作さく.

だいおう いまは ただ ひとりの だいあくにん あり くどんしゃもん なり.
(中略) 大王 今は 唯・ 一の 大悪人 有り 瞿曇沙門 なり.

いっさいの せけんの あくにんりようの ための ゆえに その ところに いき あつまり.
(中略) 一切の 世間の 悪人 利養の 為の 故に 其の 所に 往き 集り.

しかも けんぞくと なって ぜんを しゅうする こと あたわず.
而も 眷属と 為つて 善を 修する こと 能わず.

じゅじゅつりきの ゆえに かしょう および しゃりほつ もっけんれん とうを ちょうぶくす」うんぬん.
呪術力の 故に 迦葉 及び 舎利弗・ 目ケン連 等を 調伏す」 云云、.

この ねはんぎょうの もんは いっさいの げどう.
此の 涅槃経の 文は 一切の 外道.

わが ほんしたる にてん さんせんの しょせつの きょうてんを.
我が 本師たる 二天 三仙の 所説の 経典を.

ぶっだに やぶられて いだす ところの あくげんなり.
仏陀に 毀られて 出す 所の 悪言なり、.

ほけきょうの もんは ほとけを あだと なす きょうもんには あらず.
法華経の 文は 仏を 怨と 為す 経文には 非ず、.

てんだいの いに いわく.
天台の 意に 云く.

「いっさいの しょうもん えんかく ならびに ごんじょうを ねがう ぼさつ」 とう うんぬん.
「一切の 声聞・ 縁覚 並に 近成を 楽う 菩薩」 等 云云、.

きかんと ほっせず しんぜんと ほっせず.
聞かんと 欲せず 信ぜんと 欲せず.

そのきに あたらざるは ことばをだして そしること なきも.
其の 機に 当らざるは 言を 出して 謗ること 莫きも.

みな おんしつの ものと さだめ おわんぬ.
皆 怨嫉の 者と 定め 了んぬ、.

ざいせを もって めつごを すいすに いっさいしょしゅうの がくしゃとうは みな げどうの ごとし.
在世を 以て 滅後を 推すに 一切 諸宗の 学者 等は 皆 外道の 如し、.

かれらが いう いちだいあくにんとは にちれんに あたれり.
彼等が 云う 一大悪人とは 日蓮に 当れり、.

いっさいのあくにん これに あつまるとは にちれんが でしら これなり.
一切の 悪人 之に 集まるとは 日蓮が 弟子等 是なり、.

かの げどうは せんぶつの せっきょうるでんの のち.
彼の 外道は 先仏の 説教流伝の 後・.

これを あやまって のち ほとけを あだと なせり.
之を 謬つて 後 仏を 怨と 為せり、.

いま しょしゅうの がくしゃ とうも またまた かくの ごとし.
今 諸宗の 学者 等も 亦復 是くの 如し、.

しょせん ぶっきょうに よって じゃけんを おこす めの てんずるもの だいせん てんずと おもう.
所詮 仏教に 依つて 邪見を 起す 目の 転ずる 者 大山 転ずと 欲う、.

いま はっしゅう じゅっしゅう とう たもんの ゆえに じょうろんを いたす.
今 八宗・ 十宗 等 多門の 故に 諍論を 至す、.

ねはんぎょうの だい 18に しょくみょうじゅうほうと もうす ほうもんあり.
涅槃経の 第 十八に 贖命重宝と 申す 法門あり、.

てんだい だいしの りょうけんに いわく.
天台 大師の 料簡に 云く.

いのちとは ほけきょうなり じゅうほうとは ねはんぎょうに とくところの ぜん さんきょうなり.
命とは 法華経なり 重宝とは 涅槃経に 説く 所の 前 三教なり、.

ただし ねはんぎょうに とく ところの えんきょうは いかん.
但し 涅槃経に 説く 所の 円教は 如何、.

このほけきょうに とくところの ぶっしょう じょうじゅうを かさねて これを といて きほん せしめ.
此の 法華経に 説く 所の 仏性常住を 重ねて 之を 説いて 帰本 せしめ.

ねはんぎょうの えんじょうを もって ほけきょうに せっす.
涅槃経の 円常を 以て 法華経に 摂す、.

ねはんぎょうの とくぶんは ただ ぜん3きょうに かぎる.
涅槃経の 得分は 但・ 前三教に 限る、.

てんだいの げんぎの 3に いわく.
天台の 玄義の 三に 云く.

「ねはんは しょくみょうの じゅうほうなり かさねて てを うつのみ」.
「涅槃は 贖命の 重宝なり 重ねて 掌を 抵つのみ」 文、.

せんの さんに いわく.
籤の 三に 云く.

「こんけの いんいは だいきょうの ぶを さして もって じゅうほうと なす」とう うんぬん.
「今家の 引意は 大経の 部を 指して 以て 重宝と 為す」等 云云、.

てんだいだいしの しねんじょと もうす もんに.
天台大師の 四念処と 申す 文に.

ほけきょうの すいじしゅじゅどう の もんを ひいて.
法華経の 「雖示種種道」の 文を 引いて.

まず しみを また じゅうほうと さだめ おわんぬ.
先ず 四味を 又 重宝と 定め 了んぬ、.

もし しからば ほけきょうの せんごの しょきょうは ほけきょうの ための じゅうほうなり.
若し 爾らば 法華経の 先後の 諸経は 法華経の 為の 重宝なり、.

せけんの がくしゃの おもいに いわく.
世間の 学者の 想に 云く.

これは てんだい いっしゅうの ぎなり しょしゅうは これを もちいず とう うんぬん.
此れは 天台 一宗の 義なり 諸宗は 之を 用いず 等 云云、.

にちれん これを あんじて いわく.
日蓮 之を 案じて 云く.

はっしゅう じゅっしゅうとうは みな ぶつめつごよりこれをおこし ろんし にんし これを たつ.
八宗 十宗 等は 皆 仏滅後より 之を 起し 論師 人師 之を 立つ.

めつごの しゅうを もって げんざいの きょうを はかる べからず.
滅後の 宗を 以て 現在の 経を 計る 可からず.

てんだいの しょはんは いっさいきょうに かなうに よって いっしゅうに ぞくして これを すつ べからず.
天台の 所判は 一切経に 叶うに 依つて 一宗に 属して 之を 弃つ 可からず、.

しょしゅうの がくしゃとう じしの あやまりを しゅうする ゆえに.
諸宗の 学者等 自師の 誤りを 執する 故に.

あるいは ことを きに よせ あるいは ぜんしに ゆずり あるいは けんおうを かたらい.
或は 事を 機に 寄せ 或は 前師に 譲り 或は 賢王を 語らい.

けっく さいごには あくしん ごうじょうに して とうじょうを おこし.
結句 最後には 悪心 強盛に して 闘諍を 起し.

とがなき ものを これを そこのうて らくと なす.
失無き 者を 之を 損うて 楽と 為す、.

しょしゅうの なかに しんごんしゅう.
諸宗の 中に 真言宗.

ことに びゃくあんを いたす ぜんむい こんごうち とうの おもいに いわく.
殊に 僻案を 至す 善無畏・ 金剛智 等の 想に 云く.

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いちねんさんぜんは てんだいの ごくり いちだいの かんじんなり.
一念三千は 天台の 極理 一代の 肝心なり.

けんみつ にどうの せんたる べきの しんちの さんぜんは しばらく これを おく.
顕密 二道の 詮たる 可きの 心地の 三千は 且く 之を 置く、.
 
この ほか いんと しんごんとは ぶっきょうの さいよう とう うんぬん.
此の 外・ 印と 真言とは 仏教の 最要 等 云云、.

そのご しんごんし とう ことを この ぎに よせて.
其の 後 真言師 等 事を 此の 義に 寄せて.

いん しんごん なき きょうぎょうをば これを くだす こと げどうの ほうの ごとし.
印・ 真言 無き 経経をば 之を 下す こと 外道の 法の 如し、.

ある ぎに いわく だいにちきょうは しゃかにょらいの ほかの せつなり.
或る 義に 云く 大日経は 釈迦如来の 外の 説なりと、.
 
ある ぎに いわく きょうしゅ しゃくそん だいいちの せつなりと.
或る 義に 云く 教主 釈尊 第一の 説なりと、.

あるぎには しゃくそんと げんじて けんきょうを とき だいにちと げんじて みっきょうを とくと
或る 義には 釈尊と 現じて 顕経を 説き 大日と 現じて 密経を 説くと、.

どうりを えずして むじんの びゃっけん これを おこす.
道理を 得ずして 無尽の 僻見 之を 起す、.

たとえば ちちの いろを わきまえざる もの.
譬えば 乳の 色を 弁えざる 者.

しゅじゅの じゃすいを なせども ほんしきに あたらざるが ごとく.
種種の 邪推を 作せども 本色に 当らざるが 如く.

また ぞうの たとえの ごとし.
又 象の 譬の 如し、.

いま なんじら しるべし.
今 汝等 知る 可し.

だいにちきょう とうは ほけきょう いぜん ならば けごんきょう とうの ごとく  いご ならば ねはん とうの ごとし.
大日経等は 法華経 已前 ならば 華厳経 等の 如く 已後 ならば 涅槃 等の 如し。.

また てんじくの ほけきょうには いん しんごん あれども.
又 天竺の 法華経には 印・ 真言 有れども.

やくしゃ これを りゃくして らじゅうは みょうほうきょうと なづけ.
訳者 之を 略して 羅什は 妙法経と 名づけ、.

いん しんごんを くわえて ぜんむいは だいにちきょうと なづくるか.
印・ 真言を 加えて 善無畏は 大日経と 名づくるか、.

たとえば しょうほっけ てんぽんほっけ ほっけざんまい さつうんふんだり とうの ごとし.
譬えば 正法華・ 添品法華・ 法華三昧・ 薩云分陀利 等の 如し、.

ほとけの めつご てんじくに おいて この せんを えたるは りゅうじゅぼさつ.
仏の 滅後 天竺に 於いて 此の 詮を 得たるは 竜樹菩薩、.

かんどに おいて はじめて これを えたるは てんだいちしゃだいし なり.
漢土に 於いて 始めて 之を 得たるは 天台智者大師 なり、.

しんごんしゅうの ぜんむい とう けごんしゅうの ちょうかん とう さんろんしゅうの かじょう とう ほっそうしゅうの じおん とう.
真言宗の 善無畏 等・ 華厳宗の 澄観 等・ 三論宗の 嘉祥 等・ 法相宗の 慈恩 等.

なは じしゅうに よれども その こころは てんだいしゅうに おちたり.
名は 自宗に 依れども 其の 心は 天台宗に 落ちたり.

その もんてい とう この ことを しらず.
其の 門弟 等 此の 事を 知らず.

いかんぞ ほうぼうの とがを まぬがれんや.
如何ぞ 謗法の 失を 免れんや.

ある ひと にちれんを なんじて いわく.
或る 人 日蓮を 難じて 云く.

きを しらずして あらぎを たて なんに あうと.
機を 知らずして アラ議を 立て 難に 値うと、.

ある ひと いわく.
或る 人 云く.

かんじほんの ごときは じんいの ぼさつの ぎなり あんらくぎょうほんに いすと.
勧持品の 如きは 深位の 菩薩の 義なり 安楽行品に 違すと、.

ある ひと いわく.
或る 人 云く.

われも このぎを ぞんすれども いわずと うんぬん.
我も 此の 義を 存すれども 言わずと 云云、.

ある ひと いわく.
或る 人 云く.

ただ きょうもん ばかりなり と.
唯 教門 計りなり と、.

つぶさに われ これを ぞんすと いえども べんかは あしを きられ.
具に 我 之を 存すと 雖も 卞和は 足を 切られ.

きよまろは けがれまろと いうなを たもうて しざいに およばんと ほっす.
清丸は 穢丸と 云う 名を 給うて 死罪に 及ばんと 欲す・.

ときの ひと これを わらう.
時の 人 之を 咲う、.

しかりと いえども その ひと いまだ よきなを ながさず.
然りと 雖も 其の 人 未だ 善き 名を 流さず.

なんじらが じゃなんも また しかるべし.
汝等が 邪難も 亦 爾る可し。.

かんじほんに いわく 「もろもろの むちの ひと あって あっくめりし」 とう うんぬん.
勧持品に 云く「諸の 無智の 人 有つて 悪口罵詈し」 等 云云.

にちれん この きょうもんに あたれり.
日蓮 此の 経文に 当れり.

なんじら なんぞ この きょうもんに いらざる.
汝等 なんぞ 此の 経文に 入らざる、.

「および とうじょうを くわうるもの」とう うんぬん.
「及び刀杖を加うる者」等云云、.

にちれんは この きょうもんを よめり.
日蓮は 此の 経文を 読めり.

なんじらなんぞ このきょうもんを よまざる.
汝等 何ぞ 此の 経文を 読まざる.

「つねに たいしゅうの なかに あって われらが とがを そしらんと ほっす」とう うんぬん.
「常に 大衆の 中に 在つて 我等が 過を 毀らんと 欲す」 等 云云、.

「こくしゅ だいじん ばらもん こじに むかって」とう うんぬん.
「国王 大臣 婆羅門 居士に 向つて」 等 云云、.

「あっくして ひんしゅくし しばしば ひんずい せられん」.
「悪口して 顰蹙し 数数 擯出 せられん」.

しばしばとは たびたびなり にちれん ひんずい しゅうど るざいは にどなり.
数数とは 度度なり 日蓮 擯出 衆度 流罪は 二度なり、.

ほけきょうは さんぜの せっぽうの ぎしきなり.
法華経は 三世の 説法の 儀式なり、.

かこの ふぎょうほんは いまの かんじほん いまの かんじほんは かこの ふぎょうほんなり.
過去の 不軽品は 今の 勧持品 今の 勧持品は 過去の 不軽品なり、.

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いまの かんじぼんは みらいは ふぎょうぼん たるべし.
今の 勧持品は 未来は 不軽品 為る可し、.

その ときは にちれんは すなわち ふぎょうぼさつ たるべし.
其の 時は 日蓮は 即ち 不軽菩薩 為る 可し、.

1ぶ 8かん 28ぽん てんじくの おんきょうは いちゆじゅんに しくと うけたまわる.
一部 八巻・ 二十八品・ 天竺の 御経は 一由旬に 布くと 承わる.

さだめて すうほん あるべし.
定めて 数品 有る 可し、.

いま かんど にほんの 28ほんは りゃくの なかの ようなり.
今 漢土 日本の 二十八品は 略の 中の 要なり、.

しょうしゅうは これを おく.
正宗は 之を 置く.

るつうに いたって ほうとうほんの さんこの ちょくせんは りょうぜん こくうの たいしゅうに こうらしむ.
流通に 至つて 宝塔品の 三箇の 勅宣は 霊山 虚空の 大衆に 被らしむ、.

かんじぼんの にまん はちまん はちじゅうまんおく とうの だいぼさつの ごせいごんは にちれんが せんちには およばず.
勧持品の 二万・ 八万・ 八十万億 等の 大菩薩の 御誓言は 日蓮が 浅智には 及ばず.

ただし 「くふあくせちゅう」の きょうもんは まっぽうの はじめを さすなり.
但し 「恐怖悪世中」の 経文は 末法の 始を 指すなり、.

この 「くふあくせちゅう」の つぎしもの あんらくぎょうほん とうに いわく.
此の 「恐怖悪世中」の 次下の 安楽行品 等に 云く.

「お まっせ」 とう うんぬん.
「於 末世」 等 云云、.

どうほん いやくの しょうほけきょうに いわく 「ねんご まっせ」.
同本 異訳の 正法華経に 云く 「然後 末世」.

また いわく 「ねんご らい まっせ」.
又 云く 「然後 来 末世」、.

てんぽん ほけきょうに いわく 「くふ あくせ ちゅう」とう うんぬん.
添品 法華経に 云く「恐怖 悪世 中」等 云云、.

ときにあたり とうせ さんるいの てきじんは これ あるに.
時に 当り 当世 三類の 敵人は 之れ 有るに.

ただ はちじゅうまんおく なゆたの しょぼさつは ひとりも みえた まわず.
但 八十万億・ 那由他の 諸菩薩は 一人も 見えた まわず.

ひたる みずうみの みたず.
乾たる 湖の 満たず.

つきの かけて みち ざるが ごとし.
月の 虧けて 満ち ざるが 如し.

みず きよめば つきを うかべ きを ううれば とり すむ.
水 清めば 月を 浮かべ 木を 植うれば 鳥 棲む、.

にちれんは 80まんおく なゆたの もろもろの ぼさつの だいかんとして これを もうす.
日蓮は 八十万億 那由他の 諸の 菩薩の 代官として 之を 申す.

かの もろもろの ぼさつの かびを こう ものなり.
彼の 諸の 菩薩の 加被を 請う 者なり。.

この にゅうどう さどの くにへ おとも なす べきの よしを もうす.
此の 入道 佐渡の 国へ 御供 為す 可きの 由 之を 申す.

しかる べき ようとと いい かたがた わずらい あるの ゆえに これを かえす.
然る 可き 用途と 云い かたがた 煩 有るの 故に 之を 還す、.

おんこころざし はじめて もうすに およばず そうろう ひとびとに かくの ごとく もうさせ たまえ.
御志し 始めて 申すに 及ばず 候 人人に 是くの 如く 申させ 給え、.

ただし れいそう とう のみ こころに かかり そうろう.
但し 囹僧 等 のみ 心に 懸り 候.

べんぎの とき はやばや これを きかす べし.
便宜の 時 早早 之を 聴かす 可し、.

あなかしこ あなかしこ.
穴賢 穴賢。.

10がつ 22にち とりの とき.
十月 二十二日 酉の 時 .

にちれん かおう.
日蓮 花押.

とき どの.
土木 殿.

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