b956から961.
佐渡御書 (さどごしょ)
日蓮大 聖人 51歳御作

 

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さど ごしょ.
佐渡 御書.

ぶんえい 9ねん 3がつ 51さい おんさく.
文永 九年 三月 五十一歳 御作.

あたう でし だんな.
与 弟子 檀那.

このふみは ときどのの かた さぶろうざえもんどの おおくら とうのつじ じゅうろうにゅうどうどの とう.
此文は 富木殿の かた 三郎左衛門殿 大蔵 たうのつじ 十郎入道殿 等.

さじきのあまごぜん いちいちに みさせ たもうべき ひとびとの おんちゅうへ なり.
さじきの尼御前 一一に 見させ 給べき 人人の 御中へ なり、.

きょう かまくらに いくさに しせる ひとびとを かきつけて たび そうらえ.
京 鎌倉に 軍に 死る 人人を 書付て たび 候へ、.

げてんしょう もんぐのに げんのよんのほんまつ かんもん せんじとう  これへの ひとびと もちて わたらせ たまえ.
外典抄 文句の二 玄の四の本末 勘文 宣旨等 これへの 人人 もちて わたらせ 給へ。.

せけんの ひとの おそるる ものは ほのおの なかと つるぎの かげと このみの しすると なるべし.
世間に 人の 恐るる 者は 火炎の 中と 刀剣の 影と 此身の 死すると なるべし.

ぎゅうば なお みを おしむ いわんや じんしんをや.
牛馬 猶 身を 惜む 況や 人身をや.

らいにん なお いのちを おしむ いかに いわんや そうにんをや.
癩人 猶 命を 惜む 何に 況や 壮人をや、.

ほとけ といて いわく.
仏 説て 云く.

「しっぽうを もって さんぜんだいせんせかいに しき みつるとも ての こゆびを もって ぶっきょうに くようせんには しかず」.
「七宝を 以て 三千大千世界に 布き 満るとも 手の 小指を 以て 仏経に 供養せんには 如かず」取意、.

せっせんどうじの みを なげし ぎょうぼうぼんじが みの かわを はぎし.
雪山童子の 身を なげし 楽法梵志が 身の 皮を はぎし.

しんみょうに すぎたる おしき ものの なければ これを ふせとして ぶっぽうを ならえば かならず ほとけと なる.
身命に 過たる 惜き 者の なければ 是を 布施として 仏法を 習へば 必 仏と なる.

しんみょうを すつる ひと ほかの たからを ぶっぽうに おしむべしや.
身命を 捨る 人・ 他の 宝を 仏法に 惜べしや、.

また ざいほうを ぶっぽうに おしまんもの まさる しんみょうを すつべきや.
又 財宝を 仏法に おしまん 物 まさる 身命を 捨べきや、.

せけんの ほうにも じゅうおんをば いのちを すて ほうずる なるべし.
世間の 法にも 重恩をば 命を 捨て 報ずる なるべし.

また しゅくんの ために いのちを すつる ひとは すくなき よう なれども そのかず おおし.
又 主君の 為に 命を 捨る 人は すくなき やう なれども 其数 多し.

だんしは はじに いのちを すて にょにんは おとこの ために いのちを すつ.
男子は はぢに 命を すて 女人は 男の 為に 命を すつ、.

さかなは いのちを おしむ ゆえに いけに すむに いけの あさき ことを なげきて いけの そこに あなを ほりて すむ.
魚は 命を 惜む 故に 池に すむに 池の 浅き 事を 歎きて 池の 底に 穴を ほりて すむ.

しかれども えに ばかされて はりを のむ.
しかれども ゑに ばかされて 釣を のむ.

とりは きに すむ きの ひききことを おじて きの ほつえに すむ.
鳥は 木に すむ 木の ひきき事を おじて 木の 上枝に すむ.

しかれども えに ばかされて あみに かかる.
しかれども ゑに ばかされて 網に かかる、.

ひとも また かくの ごとし.
人も 又 是くの 如し.

せけんの あさき ことには しんみょうを うしなえども だいじの ぶっぽう なんどには すつること かたし.
世間の 浅き 事には 身命を 失へども 大事の 仏法 なんどには 捨る 事 難し.

ゆえに ほとけに なる ひとも なかるべし.
故に 仏に なる 人も なかるべし。.

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ぶっぽうは しょうじゅ しゃくぶく ときに よるべし.
仏法は 摂受・ 折伏 時に よるべし.

たとえば せけんの ぶん ぶ にどうの ごとし されば むかしの だいしょうは ときに よりて ほうを ぎょうず.
譬ば 世間の 文・ 武 二道の 如し されば 昔の 大聖は 時に よりて 法を 行ず.

せっせんどうじ さったおうじは みを ふせとせば ほうを おしえん ぼさつの ぎょうと なるべしと せめしかば みを すつ.
雪山童子・ 薩タ王子は 身を 布施とせば 法を 教へん 菩薩の 行と なるべしと 責しかば 身を すつ、.

にくを ほしがらざる とき みを すつ べきや.
肉を ほしがらざる 時 身を 捨つ 可きや.

かみ なからん よには みの かわを かみとし.
紙 なからん 世には 身の 皮を 紙とし.

ふで なからん ときは ほねを ふでと すべし.
筆 なからん 時は 骨を ふでと すべし.

はかい むかいを そしり じかい しょうほうを もちいん よには しょかいを かたく たもつべし.
破戒・ 無戒を 毀り 持戒・ 正法を 用ん 世には 諸戒を 堅く 持べし.

じゅきょう どうきょうを もって しゃっきょうを せいしせん ひには.
儒教・ 道教を 以て 釈教を 制止せん 日には.

どうあんほっし えおんほっし ほうどうさんぞう とうの ごとく おうと ろんじて いのちを かろうすべし.
道安法師・ 慧遠法師・ 法道三蔵 等の 如く 王と 論じて 命を 軽うすべし、.

しゃっきょうの なかに しょうじょう だいじょう ごんきょう じっきょう ぞうらんして みょうじゅと がりゃくと ごろの ににゅうを わきまえざる ときは.
釈教の 中に 小乗 大乗 権経 実経・ 雑乱して 明珠と 瓦礫と 牛驢の 二乳を 弁へざる 時は.

てんだいだいし でんぎょうだいし とうの ごとく だいしょう ごんじつ けんみつを ごうじょうに ふんべつ すべし.
天台大師・ 伝教大師 等の 如く 大小・ 権実・ 顕密を 強盛に 分別 すべし、.

ちくしょうの こころは よわきを おどし つよきを おそる.
畜生の 心は 弱きを おどし 強きを おそる.

とうせいの がくしゃらは ちくしょうの ごとし.
当世の 学者等は 畜生の 如し.

ちしゃの よわきを あなずり おうほうの よこしまを おそる.
智者の 弱きを あなづり 王法の 邪を おそる.

ゆしんと もうすは これなり.
諛臣と 申すは 是なり.

ごうてきを ふくして はじめて りきしを しる.
強敵を 伏して 始て 力士を しる、.

あくおうの しょうほうを やぶるに.
悪王の 正法を 破るに.

じゃほうの そうらが かとうどを なして ちしゃを うしなわん ときは.
邪法の 僧等が 方人を なして 智者を 失はん時は.

ししおうの ごとく なる こころを もてる もの かならず ほとけに なるべし.
師子王の 如く なる 心を もてる 者 必ず 仏に なるべし.

れいせば にちれんが ごとし.
例せば 日蓮が 如し、.

これ おごれるには あらず しょうほうを おしむ こころの ごうじょうなる べし.
これ おごれるには あらず 正法を 惜む 心の 強盛なる べし.

おごれる ものは かならず ごうてきに あいて おそるる こころ しゅったいする なり.
おごれる 者は 必ず 強敵に 値て おそるる 心 出来する なり.

れいせば しゅらの おごり たいしゃくに せめられて むねっちの はちすの なかに しょうしんと なりて かくれしが ごとし.
例せば 修羅の おごり 帝釈に せめられて 無熱池の 蓮の 中に 小身と 成て 隠れしが 如し、.

しょうほうは いちじ いっく なれども じきに かない ぬれば かならず とくどう なるべし.
正法は 一字・ 一句 なれども 時機に 叶い ぬれば 必ず 得道 なるべし.

せんきょう ばんろんを しゅうがくすれども じきに そういすれば かなう べからず.
千経・ 万論を 習学すれども 時機に 相違すれば 叶う 可らず。.

ほうじの かっせん すでに 26ねん.
宝治の 合戦 すでに 二十六年.

ことし 2がつ 11にち 17にち また かっせんあり.
今年 二月 十一日 十七日 又 合戦あり.

げどう あくにんは にょらいの しょうほうを やぶりがたし.
外道・ 悪人は 如来の 正法を 破りがたし.

ぶつでしら かならず ぶっぽうを やぶるべし.
仏弟子等・ 必ず 仏法を 破るべし.

しししんちゅうの むしの ししを はむ とう うんぬん.
師子身中の 虫の 師子を 食 等 云云、.

だいかほうの ひとをば たの てき やぶりがたし.
大果報の 人をば 他の 敵 やぶりがたし.

したしみより やぶるべし.
親しみより 破るべし、.

やくしきょうに いわく「じかいほんぎゃくなん」と これなり.
薬師経に 云く「自界叛逆難」と 是なり、.

にんのうきょうに いわく「しょうにん さるとき しちなん かならず おこらん」 うんぬん.
仁王経に 云く「聖人 去る 時 七難 必ず 起らん」云云、.

こんきょうみょうきょうに いわく.
金光明経に 云く.

「さんじゅうさんてん おのおの しんこんを しょうずるは その こくおう あくを ほしいままにし じせざるに よる」とう うんぬん .
「三十三天 各 瞋恨を 生ずるは 其の 国王 悪を 縦にし 治せざるに 由る」等 云云、.

にちれんは しょうにんに あらざれども ほけきょうを せつの ごとく じゅじすれば しょうにんの ごとし.
日蓮は 聖人に あらざれども 法華経を 説の 如く 受持すれば 聖人の 如し.

また せけんの さほう かねて しるに よて しるし おくこと これ たがう べからず.
又 世間の 作法 兼て 知るに よて 注し 置くこと 是 違う 可らず.

げんせに いいおく ことばの たがわざらんを もて ごしょうの うたがいを なすべからず.
現世に 云をく 言の 違はざらんを もて 後生の 疑を なすべからず、.

にちれんは この かんとうの ごいちもんの とうりょうなり にちがつなり ききょうなり がんもくなり.
日蓮は 此 関東の 御一門の 棟梁なり・ 日月なり・ 亀鏡なり・ 眼目なり・.

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にちれん すてさるとき しちなん かならず おこるべしと いぬる 9がつ 12にち ごかんきを こうむりし とき.
日蓮 捨て 去る 時・ 七難 必ず 起るべしと 去年 九月 十二日 御勘気を 蒙りし 時.

だいおんじょうを はなちて よばわりし こと これなるべし.
大音声を 放て よばはりし 事 これなるべし.

わずかに 60にち ないし 150にちに このこと おこるか.
纔に 六十日 乃至 百五十日に 此事 起るか.

これは けほう なるべし.
是は 華報 なるべし.

じつかの じょうぜん とき いかが なげかわしからん ずらん.
実果の 成ぜん 時 いかが なげかはしからん ずらん、.

せけんの ぐしゃの おもいに いわく 「にちれん ちしゃ ならば なんぞ おうなんに あうや」なんと もうす.
世間の 愚者の 思に 云く 「日蓮 智者 ならば 何ぞ 王難に 値うや」なんと 申す.

にちれん かねての ぞんちなり.
日蓮 兼ての 存知なり.

ふぼを うつ こあり あじゃせおう なり.
父母を 打つ 子あり 阿闍世王 なり.

ほとけ あらかんを ころし ちを いだす ものあり.
仏 阿羅漢を 殺し 血を 出す 者あり.

だいばだった これなり.
提婆達多 是なり.

ろくしん これを ほめ くぎゃり とう これを よろこぶ.
六臣 これを ほめ 瞿伽利 等 これを 悦ぶ、.

にちれん とうせいには この ごいちもんの ふぼなり.
日蓮 当世には 此 御一門の 父母なり.

ほとけ あらかんの ごとし.
仏 阿羅漢の 如し.

しかるを るざいし しゅじゅう ともに よろこびぬる.
然を 流罪し 主従 共に 悦びぬる.

あわれに むざんなる ものなり.
あはれに 無慚なる 者なり.

ほうぼうの ほっしらが みずから とがの すでに あらわるるを なげきしが かくなるを いったんは よろこぶ なるべし.
謗法の 法師等が 自ら 禍の 既に 顕るるを 歎きしが かくなるを 一旦は 悦ぶ なるべし.

のちには かれらが なげき にちれんが いちもんに おとる べからず.
後には 彼等が 歎き 日蓮が 一門に 劣る べからず、.

れいせば やすひらが せうとを うち くろう ほうがんを うちて よろこびしが ごとし.
例せば 泰衡が せうとを 討 九郎 判官を 討ちて 悦しが 如し.

すでに いちもんを ほろぼす だいきの この くにに いるなるべし.
既に 一門を 亡す 大鬼の 此 国に 入るなるべし.

ほけきょうに いわく「あっきにゅうごしん」と これなり.
法華経に 云く「悪鬼入其身」と 是なり。.

にちれんも また かく せめらるるも せんごうなきに あらず.
日蓮も 又 かく せめらるるも 先業なきに あらず.

ふぎょうほんに いわく「ございひっち」とう うんぬん.
不軽品に 云く「其罪畢已」等 云云、.

ふぎょうぼさつの むりょうの ほうぼうの ものに めりちょうやく せられしも せんごうの しょかん なるべし.
不軽菩薩の 無量の 謗法の 者に 罵詈打擲 せられしも 先業の 所感 なるべし.

いかに いわんや にちれん こんじょうには びんぐげせんの ものと うまれ せんだらが いえより いでたり.
何に 況や 日蓮 今生には 貧窮下賤の 者と 生れ 旃陀羅が 家より 出たり.

こころ こそ すこし ほけきょうを しんじたる よう なれども みは じんしんに にて ちくしんなり.
心 こそ すこし 法華経を 信じたる 様 なれども 身は 人身に 似て 畜身なり.

ぎょちょうを こんがんして せきびゃく にたいと せり.
魚鳥を 混丸して 赤白 二タイと せり.

そのなかに しきしんを やどす.
其中に 識神を やどす.

じょくすいに つきの うつれるが ごとし.
濁水に 月の うつれるが 如し.

ふんのうに こがねを つつめる なるべし.
糞嚢に 金を つつめる なるべし、.

こころは ほけきょうを しんずる ゆえに ぼんてん たいしゃくをも なお おそろしと おもわず.
心は 法華経を 信ずる 故に 梵天 帝釈をも 猶 恐しと 思はず.

みは ちくしょうの みなり.
身は 畜生の 身なり.

しきしん ふそうおうの ゆえに ぐしゃの あなずる どうりなり.
色心 不相応の 故に 愚者の あなづる 道理なり.

こころも また みに たいすればこそ つき こがねにも たとうれ.
心も 又 身に 対すればこそ 月 金にも たとふれ、.

また かこの ほうぼうを あんずるに だれか しる.
又 過去の 謗法を 案ずるに 誰か しる.

しょういびくが たましいにもや だいてんが たましいにもや.
勝意比丘が 魂にもや 大天が 神にもや.

ふきょう きょうきの るるい なるか しっしんの よざん なるか.
不軽 軽毀の 流類 なるか 失心の 余残 なるか.

ごせんじょうまんの けんぞくなるか  だいつう だいさんの よりゅうにもや あるらん.
五千上慢の 眷属なるか 大通 第三の 余流にもや あるらん.

しゅくごう はかりがたし.
宿業 はかりがたし.

くろがねは きたいてうてば つるぎとなる けんせいは めりして こころみる なるべし.
鉄は 炎打てば 剣となる 賢聖は 罵詈して 試みる なるべし、.

われ こんどの ごかんきは せけんの とが いちぶんも なし.
我 今度の 御勘気は 世間の 失 一分も なし.

ひとえに せんごうの じゅうざいを こんじょうに けして ごしょうの さんあくを まぬがれんずる なるべし.
偏に 先業の 重罪を 今生に 消して 後生の 三悪を 脱れんずる なるべし、.

はつないおんきょうに いわく.
般泥オン経に 云く.

「とうらいの よ かりに けさを きて わが ほうの なかに おいて しゅっけがくどうし らんだ けたいにして.
「当来の 世 仮りに 袈裟を 被て 我が 法の 中に 於て 出家学道し 懶惰 懈怠にして.

これらの ほうどうかいきょうを ひぼうすること あらん.
此れ等の 方等契経を 誹謗すること 有らん.

まさに しるべし これらは みな これ こんにちの もろもろの いどうの やからなり」とう うんぬん.
当に 知るべし 此等は 皆 是 今日の 諸の 異道の 輩なり」等 云云、.

この きょうもんを みん もの じしんを はずべし.
此 経文を 見ん 者 自身を はづべし.

いま われらが しゅっけして けさを かけ らんだ けたい なるは.
今 我等が 出家して 袈裟を かけ 懶惰 懈怠 なるは.

これ ほとけ ざいせの ろくしげどうが でしなりと ほとけ しるし たまえり.
是 仏 在世の 六師外道が 弟子なりと 仏 記し 給へり、.

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ほうねんが いちるい だいにちが いちるい ねんぶつしゅう ぜんしゅうと ごうして.
法然が 一類 大日が 一類 念仏宗 禅宗と 号して.

ほけきょうに しゃへいかくほうの よじを そえて せいしを くわえて.
法華経に 捨閉閣抛の 四字を 副へて 制止を 加て.

ごんきょうの みだ しょうみょう ばかりを とりたて.
権教の 弥陀 称名 計りを 取立て.

きょうげべつでんと ごうして ほけきょうを つきを さす ゆび ただ もじを かぞうるなんど わらう ものは.
教外別伝と 号して 法華経を 月を さす 指 只 文字を かぞふるなんど 笑ふ 者は.

ろくしが まつりゅうの ぶっきょうの なかに しゅったいせる なるべし.
六師が 末流の 仏教の 中に 出来せる なるべし、.

うれえなるかなや.
うれへなるかなや.

ねはんきょうに ほとけ こうみょうを はなって ちの した 136じごくを てらし たまうに つみびと ひとりも なかるべし.
涅槃経に 仏光明を 放て 地の 下 一百三十六地獄を 照し 給に 罪人 一人も なかるべし.

ほけきょうの じゅりょうほんにして みな じょうぶつせる ゆえなり.
法華経の 寿量品にして 皆 成仏せる 故なり.

ただし いっせんだいにんと もうして ほうぼうの もの ばかり じごくもりに とどめられたりき.
但し 一闡提人と 申して 謗法の 者 計り 地獄守に 留られたりき.

かれらが うみ ひろげて いまの よの にほんこくの いっさいしゅじょうと なれるなり.
彼等が うみ ひろげて 今の 世の 日本国の 一切衆生と なれるなり。.

にちれんも かこの しゅし すでに ほうぼうの もの なれば.
日蓮も 過去の 種子 已に 謗法の 者なれば.

こんじょうに ねんぶつしゃにて すうねんが あいだ ほけきょうの ぎょうじゃを みては.
今生に 念仏者にて 数年が 間 法華経の 行者を 見ては.

みういちにんとくしゃ せんちゅうむいち とうと わらいしなり.
未有一人得者 千中無一 等と 笑いしなり.

いま ほうぼうの よいさめて みれば さけに よう もの ふぼを うちて よろこびしが よいさめて のち なげきしが ごとし.
今 謗法の 酔さめて 見れば 酒に 酔る 者 父母を 打ちて 悦びしが 酔さめて 後 歎しが 如し.

なげけれども かいなし この つみ けしがたし.
歎けども 甲斐なし 此 罪 消がたし、.

いかに いわんや かこの ほうぼうの しんちゅうに そみけんをや.
何に 況や 過去の 謗法の 心中に そみけんをや.

きょうもんを み そうらえば からすの くろきも さぎの しろきも せんごうの つよく そみける なるべし.
経文を 見 候へば 烏の 黒きも 鷺の 白きも 先業の つよく そみける なるべし.

げどうは しらずして しぜんと いい.
外道は 知らずして 自然と 云い.

いまの ひとは ほうぼうを あらわして たすけんとすれば わがみに ほうぼうなき よしを あながちに ちんとうして.
今の 人は 謗法を 顕して 扶けんとすれば 我身に 謗法なき 由を あながちに 陳答して.

ほけきょうのもんを とじよと ほうねんが かけるを とかく あらかいなんどす.
法華経の 門を 閉よと 法然が 書けるを とかく あらかひなんどす.

ねんぶつしゃは さておきぬ.
念仏者は さてをきぬ.

てんだい しんごん とうの ひとびと かれが かとうどを あながちに するなり.
天台 真言 等の 人人 彼が 方人を あながちに するなり、.

ことし むつき 16にち 17にちに さどの くにの ねんぶつしゃら すうひゃくにん.
今年 正月 十六日 十七日に 佐渡の 国の 念仏者等 数百人.

いんしょうぼうと もうすは ねんぶつしゃの とうりょうなり.
印性房と 申すは 念仏者の 棟梁なり.

にちれんが もとに きて いわく.
日蓮が 許に 来て 云く.

ほうねんしょうにんは ほけきょうを なげうてよと かかせ たもうには あらず.
法然上人は 法華経を 抛よと かかせ 給には 非ず.

いっさいしゅじょうに ねんぶつを もうさせたまいて そうろう.
一切衆生に 念仏を 申させ 給いて 候.

この だいくどくに ごおうじょう うたがいなしと かきつけて そうろうを.
此の 大功徳に 御往生 疑なしと 書付て 候を.

さんそう とうの ながされたる ならびに てらほっし とう よきかな よきかなと ほめ そうろうを いかが これを はし たまうと もうしき.
山僧 等の 流されたる 並に 寺法師 等・ 善哉 善哉と ほめ 候を いかが これを 破し 給と 申しき.

かまくらの ねんぶつしゃよりも はるかに はかなく そうろうぞ むざんとも もうす ばかりなり.
鎌倉の 念仏者よりも はるかに はかなく 候ぞ 無慚とも 申す 計りなし。.

いよいよ にちれんが せんじょう こんじょう せんじつの ほうぼう おそろし.
いよいよ 日蓮が 先生 今生 先日の 謗法 おそろし.

かかりける ものの でしと なりけん かかる くにに うまれけん.
かかりける 者の 弟子と 成けん かかる 国に 生れけん.

いかに なるべしとも おぼえず.
いかに なるべしとも 覚えず、.

はつないおんきょうに いわく.
般泥オン経に 云く.

「ぜんなんし かこに むりょうの しょざい しゅじゅの あくごうを つくらんに.
「善男子 過去に 無量の 諸罪・ 種種の 悪業を 作らんに.

この もろもろの ざいほう あるいは きょうい せられ あるいは ぎょうじょうしゅうる.
是の 諸の 罪報・ 或は 軽易 せられ 或は 形状醜陋.

えぶくたらず おんじきそそ ざいを もとめて りあらず.
衣服足らず 飲食ソ疎 財を 求めて 利あらず.

びんせんの いえ および じゃけんの いえに うまれ あるいは おうなんに あう」とう うんぬん.
貧賤の 家 及び 邪見の 家に 生れ 或は 王難に 遇う」等 云云、.

また いわく「および よの しゅじゅの にんげんの くほう げんせに かるく うくるは これ ごほうの くどくりきに よる ゆえなり」とう うんぬん.
又 云く「及び 余の 種種の 人間の 苦報 現世に 軽く 受くるは 斯れ 護法の 功徳力に 由る 故なり」等 云云、.

この きょうもんは にちれんが み なくば ほとんど ほとけの もうごと なりぬべし.
此 経文は 日蓮が 身なくば 殆ど 仏の 妄語と なりぬべし、.

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1には わくひきょうい 2には わくぎょうじょうしゅうる 3には えぶくふそく 4には おんじきそそ.
一には 或被軽易 二には 或形状醜陋 三には 衣服不足 四には飲食ソ疎.

5には ぐざいふり 6には しょうひんせんけ 7には ぎゅうじゃけんけ 8には わくぞうおうなん とう うんぬん.
五には 求財不利 六には 生貧賤家 七には 及邪見家 八には 或遭王難 等 云云、.

この はっくは ただ にちれん ひとりが みに かんぜり.
此 八句は 只 日蓮 一人が 身に 感ぜり、.

こうざんに のぼる ものは かならず くだり.
高山に 登る 者は 必ず 下り.

われ ひとを かろしめば かえって わがみ ひとに きょうい せられん.
我人を 軽しめば 還て 我が身 人に 軽易 せられん.

ぎょうじょうたんごんを そしれば しゅうるの むくいを え.
形状端厳を そしれば 醜陋の 報いを 得.

ひとの えぶく おんじきを うばえば かならず がきと なる.
人の 衣服 飲食を うばへば 必ず 餓鬼と なる.

じかいそんきを わらえば ひんせんの いえに しょうず.
持戒尊貴を 笑へば 貧賤の 家に 生ず.

しょうほうの いえを そしれば じゃけんの いえに しょうず.
正法の 家を そしれば 邪見の 家に 生ず.

ぜんかいを わらえば こくどの たみと なり おうなんに あう.
善戒を 笑へば 国土の 民と なり 王難に 遇ふ.

これは つねの いんがの さだまれる ほうなり.
是は 常の 因果の 定れる 法なり、.

にちれんは この いんがには あらず.
日蓮は 此 因果には あらず.

ほけきょうのぎょうじゃを かこにきょういせしゆえに.
法華経の 行者を 過去に 軽易せし 故に.

ほけきょうは つきと つきとを ならべ ほしと ほしとを つらね かざんに かざんを かさね たまと たまとを つらねたるが ごとくなる おんきょうを.
法華経は 月と 月とを 並べ 星と 星とを つらね 華山に 華山を かさね 玉と 玉とを つらねたるが 如くなる 御経を.

あるいは あげ あるいは くだして ちょうろうせし ゆえに この はっしゅの だいなんに あえるなり.
或は 上げ 或は 下て 嘲弄せし 故に 此 八種の 大難に 値えるなり、.

この はっしゅは じんみらいさいが あいだ ひとつづつ こそ げんずべかりしを.
此 八種は 尽未来際が 間 一づつ こそ 現ずべかりしを.

にちれん つよく ほけきょうの てきを せめるに よって いちじに あつまり おこせるなり.
日蓮 つよく 法華経の 敵を 責るに よて 一時に 聚り 起せるなり.

たとえば たみの ごうぐん なんどに あるには いかなる りせんを じとうらに おおせたれども いたく せめず ねんねんに のべゆく .
譬ば 民の 郷郡 なんどに あるには いかなる 利銭を 地頭 等に おほせたれども いたく せめず 年年に のべゆく.

その ところを いずる ときに きそいおこるが ごとし.
其 所を 出る 時に 競起が 如し.

「これ ごほうの くどくりきに よる ゆえなり」 とうは これなり.
「斯れ 護法の 功徳力に 由る 故なり」 等は 是なり、.

ほけきょうには「もろもろの むちのひと あり あっくめり とうしとうじょうがしゃくを くわうる ないし だいじん ばらもん こじに むかって ないし しばしばひんずい せられん」とう うんぬん.
法華経には「諸の 無智の 人 有り 悪口罵詈 等し 刀杖瓦石を 加うる 乃至 国王・ 大臣・ 婆羅門・ 居士に 向つて 乃至 数数擯出 せられん」等 云云、.

ごくそつが ざいにんを せめずば じごくを いずる もの かたかりなん.
獄卒が 罪人を 責ずば 地獄を 出る 者 かたかりなん.

とうせいの おうしん なくば にちれんが かこ ほうぼうの じゅうざい けしがたし.
当世の 王臣 なくば 日蓮が 過去 謗法の 重罪 消し難し.

にちれんは かこの ふきょうのごとく とうせいの ひとびとは かの きょうきのししゅうの ごとし.
日蓮は 過去の 不軽の 如く 当世の 人人は 彼の 軽毀の四衆の 如し.

ひとは かわれども いんは これ ひとつなり.
人は 替れども 因は 是 一なり、.

ふぼを ころせる ひと ことなれども おなじ むげんじごくに おつ.
父母を 殺せる 人 異なれども 同じ 無間地獄に おつ.

いかなれば ふきょうの いんを ぎょうじて にちれん ひとり しゃかぶつと ならざるべき.
いかなれば 不軽の 因を 行じて 日蓮 一人 釈迦仏と ならざるべき.

また かの しょにんは ばっだばら とうと いわれ ざらんや.
又 彼の 諸人は 跋陀婆羅 等と 云はれ ざらんや.

ただ せんごう あびじごくにて せめられん ことこそ ふびんには おぼゆれ.
但 千劫阿鼻地獄にて 責られん 事こそ 不便には おぼゆれ.

これを いかんと すべき.
是を いかんと すべき、.

かの きょうきのしゅうは ぼうぜしかども のちには しんぷく ずいじゅうせりき.
彼の 軽毀の衆は 始は 謗ぜしかども 後には 信伏 随従せりき.

つみ たぶんは めっして しょうぶん ありしが ふぼ せんにん ころしたる ほどの だいくを うく.
罪 多分は 滅して 少分 有しが 父母 千人 殺したる 程の 大苦を うく.

とうせいの しょにんは ひるがえす こころなし.
当世の 諸人は 翻す 心なし.

ひゆほんのごとく むすうこうをや へんずらん さんごのじんてんをや おくらんずらん.
譬喩品の 如く 無数劫をや 経んずらん 三五の塵点をや おくらんずらん。.

これは さて おきぬ.
これは さて をきぬ.

にちれんを しんずるよう なりし ものどもが にちれんが かくなれば うたがいを おこして ほけきょうを すつる のみならず.
日蓮を 信ずるやう なりし 者どもが 日蓮が かくなれば 疑を をこして 法華経を すつる のみならず.

かえりて にちれんを きょうくんして われ かしこしと おもわん びゃくにんらが ねんぶつしゃよりも ひさしく あびじごくに あらん こと ふびんとも もうす ばかりなし.
かへりて 日蓮を 教訓して 我賢しと 思はん 僻人等が 念仏者よりも 久く 阿鼻地獄に あらん 事 不便とも 申す 計りなし、.

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しゅらが ほとけは 18かい われは 19かいと いい.
修羅が 仏は 十八界 我は 十九界と 云ひ.

げどうが いわく ほとけは 1くきょうどう われは 95くきょうどうと いいしが ごとく.
外道が 云く 仏は 一究竟道 我は 九十五究竟道と 云いしが 如く.

にちれんごぼうは ししょうにて おわせども あまりに こわし.
日蓮御房は 師匠にて おはせども 余に こはし.

われらは やわらかに ほけきょうを ひろむべしと いわんは.
我等は やはらかに 法華経を 弘むべしと 云んは.

ほたるびが にちがつを わらい ありづかが かざんを くだし.
螢火が 日月を わらひ 蟻塚が 華山を 下し.

せいこうが かかいを あなずり かささぎが らんほうを わらうなるべし わらうなるべし.
井江が 河海を あなづり 烏鵲が 鸞鳳を わらふなるべし わらふなるべし。.

なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経。.

ぶんえい 9ねん たいさいみずのえさる 3がつ はつか.
文永 九年 太歳壬申 三月 二十日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

にちれん でしだんな とう おんちゅう.
日蓮 弟子 檀那 等 御中.

さどのくには かみ そうらわぬ うえ めんめんに もうせば わずらいあり.
佐渡の 国は 紙 候はぬ 上 面面に 申せば 煩あり.

ひとりも もるれば うらみ ありぬべし.
一人も もるれば 恨 ありぬべし.

この ふみを こころざし あらん ひとびとは よりおうて ごらんじ りょうけん そうろうて こころ なぐさませ たまえ.
此 文を 心ざし あらん 人人は 寄合て 御覧じ 料簡 候て 心 なぐさませ 給へ、.

せけんに まさる なげきだにも しゅったいせば おとる なげきは ものならず.
世間に まさる 歎きだにも 出来すれば 劣る 歎きは 物ならず.

とうじの いくさに しする ひとびと じつ ふじつは おく.
当時の 軍に 死する 人人 実 不実は 置く.

いくばくか かなしかるらん.
幾か 悲しかるらん、.

いざわのにゅうどう さかべのにゅうどう いかに なりぬらん.
いざはの入道 さかべの入道 いかに なりぬらん.

かわのべやましろ とくぎょうどの らの こと いかにと かきつけて たもうべし.
かはのべ山城 得行寺殿 等の 事 いかにと 書付て 給べし、.

げてんしょの じょうがんせいよう すべて げてんの ものがたり はっしゅうの そうでん とう これらが なくしては しょうそくも かかれ そうらわぬに.
外典書の 貞観政要 すべて 外典の 物語 八宗の 相伝 等 此等が なくしては 消息も かかれ 候はぬに.

かまえて かまえて たび そうろうべし.
かまへて かまへて 給 候べし。.

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