b963.
土木殿御返事(ときどの ごへんじ).
日蓮大 聖人 52歳 御作.

 

ときどの ごへんじ.
土木殿 御返事.

ぶんえい 10ねん 7がつ 52さい おんさく.
文永 十年 七月 五十二歳 御作.

がもく 2かん たび そうらい おわんぬ.
鵞目 二貫 給 候い 畢んぬ、.

おおたどのと それと ふたりの おんこころ よろこび そうろう.
太田殿と 其れと 二人の 御心 喜び 候、.

いよぼうは きりょうものにて そうろうぞ.
伊与房は 機量物にて 候ぞ.

ことし とどめ そうらい おわんぬ.
今年 留め 候い 畢んぬ、.

ごかんき ゆりぬ こと おんなげき そうろう べからず そうろう.
御勘気 ゆりぬ 事・ 御歎き 候 べからず 候、.

とうせい にほんこく しさい これ ある べき よし これを ぞんず.
当世・ 日本国 子細 之れ 有る 可き 由 之を 存ず.

さだめて かんもんの ごとく そうろう べきか.
定めて 勘文の 如く 候べきか、.

たとい にちれん しじょう ふじょう なりと いえども.
設い 日蓮 死生 不定 為りと 雖も.

みょうほうれんげきょうの5じの るふは うたがい なきものか.
妙法蓮華経の 五字の 流布は 疑い 無き 者か.

でんぎょうだいしは ごほんいの えんしゅうを にほんに ひろめんとす.
伝教大師は 御本意の 円宗を 日本に 弘めんとす、.

ただし じょうえは ぞんしょうに これを ひろめ えんかいは しごに これを あらわす.
但し 定慧は 存生に 之を 弘め 円戒は 死後に 之を 顕す.

じほう たる ゆえに いちじゅう だいなん これ あるか.
事法 為る 故に 一重 大難 之れ 有るか、.

ほとけ めつご 2220よねん.
仏 滅後 二千二百二十余年.

いまに じゅりょうほんの ほとけと かんようの 5じとは るふ せず.
今に 寿量品の 仏と 肝要の 五字とは 流布 せず、.

とうじ かほうを ろんずれば おそらくは でんぎょう てんだいにも こえ.
当時 果報を 論ずれば 恐らくは 伝教・ 天台にも 超え.

りゅうじゅ てんじんにも すぐれたるか.
竜樹・ 天親にも 勝れたるか、.

もんり なくんば だいまん あに これに すぎんや.
文理 無くんば 大慢 豈 之に 過んや、.

しょうあんだいし てんだいを ほめて いわく.
章安大師天台を 褒めて 云く.

「てんじくの だいろん なお その たぐいに あらず.
「天竺の 大論 尚 其の 類に 非ず.

しんたんの にんし なんぞ わずらわしく かたるに およばん.
真旦の 人師 何ぞ 労しく 語るに 及ばん.

これ こように あらず ほっそうの しからしむる のみ」とう うんぬん.
此れ 誇耀に 非ず 法相の 然らしむる のみ」等 云云、.

にちれん またまた かくの ごとし.
日蓮 又復 是くの 如し.

りゅうじゅ てんじん とう なお その たぐいに あらず うんぬん.
竜樹 天親 等 尚 其の 類に 非ず 等 云云、.

これ こように あらず ほっそうの しからしむる のみ.
此れ 誇耀に 非ず 法相の 然らしむる のみ、.

ゆえに てんだいだいし にちれんを さして いわく.
故に 天台大師 日蓮を 指して 云く.

「ごの ごひゃくさい とおく みょうどうに うるおわん」とう うんぬん.
「後の 五百歳 遠く 妙道に 沾わん」等 云云、.

でんきょうだいし とうせいを こいて いわく.
伝教大師 当世を 恋いて 云く.

「まっぽう はなはだ ちかきに あり」とう うんぬん.
「末法 太はだ 近きに 有り」等 云云、.

さいわい なるかな わがみ「さくさくけんひんずい」の もんに あたること.
幸い なるかな 我が 身「数数見擯出」の 文に 当ること.

よろこばしいかな よろこばしいかな.
悦ばしいかな 悦ばしいかな、.

しょにんの ごへんじに これを もうす ゆえに いさい きょうきょう.
諸人の 御返事に 之を 申す 故に 委細、 恐恐。.

7がつ むいか にちれん かおう.
七月 六日 日蓮 花押.

ときどの ごへんじ.
土木殿 御返事.

 
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