b972から973.
観心本尊得意抄 (かんじんの ほんぞん とくいしょう).
日蓮大 聖人 54歳 御作.

 

b972

かんじんの ほんぞん とくいしょう.
観心 本尊 得意抄.

けんじ がんねん 11がつ 54さい おんさく.
建治 元年 十一月 五十四歳 御作.

がもく 1かんもん あつわたの しろこそで ひとつ.
鵞目 一貫 文厚綿の 白小袖 一つ.

ふで 10かん すみ 5ちょう たび おわんぬ.
筆 十管 墨 五丁 給び 畢んぬ。.

みのぶさんは しろしめす ごとく.
身延山は 知食 如く.

ふゆは あらし はげしく ふり つむ ゆきは きえず.
冬は 嵐 はげしく ふり 積む 雪は 消えず.

ごっかんの ところにて そうろう あいだ.
極寒の 処にて 候 間・.

ちゅうやの ぎょうほうも はだうすにては たえがたく しんくにて そうろうに.
昼夜の 行法も はだうすにては 堪え 難く 辛苦にて 候に.

この こそでを きては おもい ある べからず そうろう なり.
此の 小袖を 著ては 思い 有る 可からず 候なり、.

しょうなわしゅうは ふほうぞうの だい3の しょうにん なり.
商那和修は 付法蔵の 第三の 聖人 なり、.

この いんいを ほとけ といて いわく.
此の 因位を 仏 説いて 云く.

むかし かこに やまいの びくに ころもを あたうる ゆえに.
「乃往 過去に 病の 比丘に 衣を 与うる 故に.

しょうじょう よよに ふしぎ じざいの ころもを えたり」.
生生・ 世世に 不思議 自在の 衣を 得たり」、.

いまの おんこそでは かれに にたり.
今の 御小袖は 彼に 似たり.

この くどくは にちれんは これを しる べからず.
此の 功徳は 日蓮は 之を 知る 可からず.

しかし ながら しゃかぶつに まかせ たてまつり おわんぬ.
併 ながら 釈迦仏に 任せ 奉り 畢んぬ。.

そもそも いまの ごじょうに いわく.
抑も 今の 御状に 云く.

きょうしんの ごぼう かんじんのほんぞんしょうの みとくらの もじに ついて.
教信の 御房・ 観心本尊抄の 未得らの 文字に 付て.

しゃくもんを よまじと ぎしんの そうろう なること.
迹門を よまじと 疑心の 候 なる事・.

ふそうでんの びゃっけんにて そうろうか.
不相伝の 僻見にて 候か、.

さる ぶんえい ねんちゅうに この しょの そうでんは せいそくして.
去る 文永 年中に 此の 書の 相伝は 整足して.

きへんに たてまつり そうらいしが その とおりを もって ごきょうくんあるべく そうろう.
貴辺に 奉り 候しが 其の 通りを 以て 御教訓 有る 可く 候、.

しょせん ざいざい しょしょに しゃくもんを すてよと かきて そうろう ことは.
所詮・ 在在・ 処処に 迹門を 捨てよと 書きて 候 事は.

いま われらが よむ ところの しゃくもんにては そうらわず.
今 我等が 読む 所の 迹門にては 候はず、.

えいざん てんだいしゅうの かじの しゃくを はし そうろうなり.
叡山 天台宗の 過時の 迹を 破し 候なり、.

たとえ てんだい でんきょうの ごとく ほうの ありの まま ありとも.
設い 天台 伝教の 如く 法の まま ありとも.

いま まっぽうに おいては きょねんの こよみの ごとし.
今 末法に 至ては 去年の 暦の 如し.

いかに いわんや じかく より いらい だいしょう ごんじつに まよいて だいほうぼうに おなじきをや.
何に 況や 慈覚 自り 已来 大小 権実に 迷いて 大謗法に 同じきをや、.

しかる あいだ ぞうほうの ときの りやくも これ なし.
然る 間・ 像法の 時の 利益も 之 無し.

まして まっぽうに おけるをや.
増して 末法に 於けるをや。.

1ほくけの のうけ なんじて いわく.
一北方の 能化 難じて 云く.

にぜんの きょうをば みけんしんじつと すてながら.
爾前の 経をば 未顕真実と 捨て乍ら.

あんこくろんには にぜんの きょうを ひき もんしょうと する こと.
安国論には 爾前の 経を 引き 文証と する 事.

じごそういと ふしんの こと さきざき もうせし ごとし.
自語相違と 不審の 事・ 前前 申せし 如し、.

そうじて いちだいせいきょうを だいに わかって 2と なす.
総じて 一代聖教を 大に 分つて 二と 為す.

1には たいこう 2には もうもく なり.
一には 大綱 二には 網目 なり、.

はじめの たいこうとは じょうぶつ とくどうの きょう なり.
初の 大綱とは 成仏 得道の 教 なり、.

じょうぶつの きょうとは ほけきょう なり.
成仏の 教とは 法華経 なり、.

つぎに もうもくとは ほっけ いぜんの しょきょう なり.
次に 網目とは 法華 已前の 諸経 なり、.

かの しょきょう とうは ふじょうぶつの きょう なり.
彼の 諸経 等は 不成仏の 教 なり、.

じょうぶつ とくどうの もんごん これを とくと いえども.
成仏 得道の 文言 之を 説くと 雖も.

ただ みょうじ のみ あって その じつぎは ほけきょうに これ あり.
但 名字 のみ 有て 其の 実義は 法華に 之 有り、.

でんぎょうだいしの けつごんじつろんに いわく.
伝教大師の 決権実論に 云く.

ごんちの しょさは ただ な のみ あって じつぎ ある こと なし」うんぬん.
「権智の 所作は 唯 名 のみ 有て 実義 有ること 無し」云云、.

ただし ごんきょうに おいても じょうぶつ とくどうの ほかは しょそう むなしかる べからず.
但し 権教に 於ても 成仏 得道の 外は 説相 空しかる 可からず.

→a972

b973

ほっけの ため もうもく なるが ゆえに.
法華の 為の 網目 なるが 故に、.

いわゆる じょうぶつの たいこうを ほっけに これを とき.
所詮 成仏の 大綱を 法華に 之を 説き.

その よの もうもくは しゅうてんに これを あかす.
其の 余の 網目は 衆典に 之を 明す、.

ほっけの ための もうもく なるが ゆえに ほっけの しょうもんに これを ひき もちゆ べきなり.
法華の 為の 網目 なるが 故に 法華の 証文に 之を 引き 用ゆ 可きなり、.

その うえ ほけきょうにて じつぎ ある べきを.
其の 上 法華経にて 実義 有る 可きを.

にぜんの きょうにして みょうじ ばかり ののしる こと まったく ほっけの ためなり.
爾前の 経にして 名字 計り ののしる 事 全く 法華の 為なり、.

しかる あいだ もっとも ほっけの しょうもんと なるべし.
然る 間 尤も 法華の 証文と なるべし。.

とう ほっけを たいこうと する あかし いかん.
問う 法華を 大綱と する 証 如何、.

こたう てんだいは まさに しるべし.
答う 天台は 当に 知るべし.
この きょうは ただ にょらい せっきょうの たいこうを ろんじて もうもくを いさいに せざるなりと.
此の 経は 唯 如来 説教の 大綱を 論じて 網目を 委細に せざるなりと、.

とう にぜんを もうもくと する あかし いかん.
問う 爾前を 網目と する 証如 何、.

こた うみょうらくの いわく.
答う 妙楽の 云く.

「ひふもうさいしゅうてんに しゅつざい せり」うんぬん.
「皮膚毛綵衆典に 出在 せり」云云、.

とう じょうぶつは ほっけに かぎると いう あかし いかん.
問う 成仏は 法華に 限ると 云う 証如 何、.

こたう きょうに いわく.
答う 経に 云く.

ただ いちじょうの ほう のみ あって 2も なく また 3も なし」.
「唯 一乗の 法 のみ 有て 二も 無く 亦 三も 無し」.

とう にぜんは ほっけの ためとの あかし いかん.
問う 爾前は 法華の 為との 証如 何.

こたう きょうに いわく.
答う 経に 云く.

「しゅじゅの みちを しめすと いえども ぶつじょうの ため なり」.
「種種の 道を 示すと 雖も 仏乗の 為 なり」.

いさい もうし たく そうろうと いえども しんち いれいして そうろう ほどに.
委細 申し 度く 候と 雖も 心地 違例して 候 程に.

しょうりゃく せしめ そうろう.
省略 せしめ 候、.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言。.

11がつ 23にち にちれん かおう.
十一月 二十三日 日蓮 花押.

ときどの ごへんじ.
富木殿 御返事.

そつどのの ものがたりしは しもうさに もくれんじゅと いう きの そうろう よし もうし そうらいし.
帥殿の 物語りしは 下総に 目連樹と 云う 木の 候よし 申し 候し、.

その きの ねを ほりて じゅうりょう ばかり.
其の 木の 根を ほりて 十両 ばかり.

りょうほうの きれめには やきがねを あてて かみに あつく つつみて.
両方の 切目には 焼金を 宛てて 紙に あつく・ つつみて.

かぜ ひかぬ ように こしらえて.
風 ひかぬ 様に こしらへて.

たいふ じとうが べんぎに たび そうろう べきよし.
大夫 次郎が 便宜に 給び 候 べきよし.

おつたえ あるべく そうろう.
御伝え あるべく 候。.

→a973

 
→a972
→c972
 ホームページトップ
inserted by FC2 system