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治病大小権実違目 (ちびょう だいしょう ごんじつ いもく)
.別名、治病抄 (ちびょう しょう) .
日蓮大 聖人 61歳 御作.

 

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ちびょう だいしょう ごんじつ いもく.
治病 大小 権実 違目.

こうあん 5ねん 6がつ 61さい おんさく.
弘安 五年 六月 六十一歳 御作.

ときにゅうどうどの ごへんじ にちれん.
富木入道殿 御返事 日蓮.

さえもんどのの べんぎの おんかたびら たまい おわんぬ.
さへもん殿の 便宜の 御 かたびら 給い 了んぬ。.

こんどの ひとびとの かたがたの ごさいども.
今度の 人人の かたがたの 御さいども.

さえもんのじょうどのの おんにっきの ごとく たまい おわんぬと もうさせ たまい そうらえ.
佐衛門尉殿の 御日記の ごとく 給い 了んぬと 申させ 給い 候へ。.

おおたにゅうどうどのの かたがたの もの ときどのの にっきの ごとくたまい そうらい おわんぬ.
太田入道殿の かたがたの もの・ ときどのの 日記の ごとく 給い 候了んぬ.

この ほうもんの かたづらは さえもんのじょうどのに かきて そうろう.
此の 法門の かたづらは 佐衛門尉殿に かきて 候、.

こわせ たまいて ごらん あるべく そうろう.
こわせ 給いて 御らむ 有るべく 候。.

ごしょうそくに いわく.
御消息に 云く.

およそ えきびょう いよいよ こうじょう とうと うんぬん.
凡そ 疫病 弥 興盛 等と 云云、.

これ ひとに 2の やまい あり.
夫れ 人に 二の 病 あり.

1には みの やまい.
一には 身の 病・.

いわゆる ちだい 101 すいだい 101 ふうだい 101 いじょう 404びょう なり.
所謂 地大 百一・ 水大 百一・ 火大 百一 風大 百一・ 已上 四百四病 なり、.

この やまいは たとい ほとけに あらざれども これを じす.
此の 病は 設い 仏に 有らざれども・ 之を 治す.

いわゆる じすい るすい ぎば へんじゃくらが ほうやく.
所謂 治水・ 流水・ 耆婆・ 扁鵲等が 方薬・.

これを じするに ゆいて いえず という こと なし.
此れを 治するに ゆいて 愈えず という 事 なし、.

2には こころの やまい いわゆる さんどく ないし 84000の やまい なり.
二には 心の 病・ 所謂 三毒 乃至 八万四千の 病 なり、.

この やまいは 2てん 3せん 6し とうも じし がたし.
此の 病は 二天・ 三仙・ 六師 等も 治し 難し.

いかに いわんや しんのう こうてい とうの ほうやく およぶ べしや.
何に 況や 神農・ 黄帝 等の 方薬 及ぶ べしや、.

また こころの やまい じゅうじゅうに せんじん しょうれつ わかれたり.
又 心の 病・ 重重に 浅深・ 勝劣 分れたり、.

ろくどうの ぼんぷの さんどく 84000の しんびょうは.
六道の 凡夫の 三毒・ 八万四千の 心病は.

しょうぶつ しょうじょうあごんきょう くしゃ じょうじつ りっしゅうのろんし にんじ.
小仏・ 小乗阿含経・ 倶舎・ 成実・ 律宗の 論師・ 人師.

これを じするに ゆいて いえぬべし.
此れを 治するに ゆいて 愈えぬべし、.

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ただし この しょうじょうの ものら しょうじょうを ほんとして.
但し 此の 小乗の 者等・ 小乗を 本として.

あるいは だいじょうを そむき あるいは こころには そむかざれども.
或は 大乗を 背き 或は 心には 背かざれども.

だいじょうの くにに かたを ならべ なんどする.
大乗の 国に 肩を 並べ なんどする.

その くに その ひとに しょびょう おこる.
其の 国 其の 人に 諸病 起る、.

しょうじょう とうを もって これを じすれば しょびょうは ますともじせらるる こと なし.
小乗 等を もつて 此れを 治すれば 諸病は 増すとも 治せらるる 事なし、.

しょだいじょうきょうの ぎょうじゃを もって これを じすれば すなわち へいゆ す.
諸大乗経の 行者を もつて 此れを 治すれば 則ち 平愈 す、.

また けごんきょう じんみつきょう はんにゃきょう だいにちきょう とうの ごんだいじょうの ひとびと.
又 華厳経・ 深密経・ 般若経・ 大日経 等の 権大乗の 人人・.

おのおの れつい しょうけんを おこして わが しゅうは あるいは ほけきょうと ひとし.
各各 劣謂 勝見を 起して 我が 宗は 或は 法華経と 斉等.

あるいは すぐれたり なんども もうす ひと おおく しゅったいし.
或は 勝れたり なんど 申す 人 多く 出来し.

あるいは こくしゅ とう これを もちいぬれば これに よって さんどく 84000の やまい おこる.
或は 国主 等 此れを 用いぬれば 此れに よつて 三毒・ 八万四千の病 起る、.

かえって この えきょうを もって じすれども いよいよ ばいぞう す.
返つて 自の 依経を もつて 治すれども・ いよいよ 倍増 す、.

たとい ほけきょうを もって おこなうとも しるし なし.
設い 法華経を もつて 行うとも 験 なし.

きょうは すぐれ たれども ぎょうじゃ びゃっけんのもの なる ゆえなり..
経は 勝れ たれども 行者・ 僻見の者 なる 故なり。..

ほけきょうに また 2きょう あり..
法華経に 又 二経 あり..

いわゆる しゃくもんと ほんもんと なり.
所謂 迹門と 本門と なり.

ほんじゃくの そういは すいか てんちの いもく なり.
本迹の 相違は 水火 天地の 違目 なり、.

れいせば にぜんと ほけきょうとの いもく よりも なお そうい あり.
例せば 爾前と 法華経との 違目 よりも 猶 相違 あり.

にぜんと しゃくもんとは そうい ありと いえども そうじの へんも ありぬべし.
爾前と 迹門とは 相違 ありと いへども 相似の 辺も 有りぬべし、.

しょせつに はっきょう あり.
所説に 八教 あり.

にぜんの えんと しゃくもんの えんは そうじ せり.
爾前の 円と 迹門の 円は 相似 せり.

にぜんの ほとけと しゃくもんの ほとけは れつおう しょうおう ほうしん ほっしん ことなれども.
爾前の 仏と 迹門の 仏は 劣応・ 勝応・ 報身・ 法身 異れども.

しじょうの へんは おなじき ぞかし.
始成の 辺は 同じき ぞかし、.

いま ほんもんと しゃくもんとは きょうしゅ すでに くしの かわりめ.
今 本門と 迹門とは 教主 已に 久始の かわりめ.

100さいの おきなと いっさいの ようじの ごとし.
百歳の をきなと 一歳の 幼子の ごとし、.

でし また すいか なり どの せんご いう ばかり なし.
弟子 又 水火 なり 土の 先後 いう ばかり なし、.

しかるを ほんじゃくを こんどう すれば すいかを わきまえざる ものなり.
而るを 本迹を 混合 すれば 水火を 弁えざる 者なり、.

しかるを ほとけは ふんみょうに とき わけ たまいたれども.
而るを 仏は 分明に 説き 分け 給いたれども.

ほとけの ごにゅうめつ より いまに 2000よねんが あいだ.
仏の 御入滅 より 今に 二千余年が 間.

さんごく ならびに いちえんぶだいの うちに ふんみょうに わけたる ひと なし.
三国 並びに 一閻浮提の 内に 分明に 分けたる 人 なし、.

ただ かんどの てんだい にほんの でんぎょう.
但 漢土の 天台・ 日本の 伝教・.

この ふたり ばかり こそ ほぼ わけ たまいて そうらえども.
此の 二人 計り こそ 粗 分け 給いて 候へども.

ほんもんと しゃくもんとの だいじに えんかい いまだ ふんみょう ならず.
本門と 迹門との 大事に 円戒 いまだ 分明 ならず、.

せんずる ところは てんだいと でんぎょうとは うちには かんがみ たまうと いえども.
詮ずる 処は 天台と 伝教とは 内には 鑒み 給うと いへども.

1には とき きたらず 2には き なし 3には ゆずられ たまわざる ゆえなり.
一には 時 来らず 二には 機なし 三には 譲られ 給はざる 故なり、.

いま まっぽうに いりぬ じゆ しゅつげんして ぐつう あるべき ことなり.
今 末法に 入りぬ 地涌 出現して 弘通 有るべき 事なり、.

いま まつぽうに いって ほんもんの ひろまらせ たまう べきには.
今 末法に 入つて 本門の ひろまらせ 給う べきには.

しょうじょう ごんだいじょう しゃくもんの ひとびと たとい とが なくとも.
小乗・ 権大乗・ 迹門の 人人・ 設い 科 なくとも.

かれがれの ほうにては しるし ある べからず.
彼れ彼れの 法にては 験 有る べからず、.

たとえば はるの くすりは あきの くすり ならず.
譬へば 春の 薬は 秋の 薬と ならず.

たとい なれども はる なつの ごとく ならず.
設い なれども 春 夏の ごとく ならず.

いかに いわんや かの しょうじょう ごんだいじょう ほけきょうの しゃくもんの ひとびと.
何に 況や 彼の 小乗・ 権大乗・ 法華経の 迹門の 人人.

あるいは だいしょう ごんじつに まよえる うえ じょうだいの こくしゅ.
或は 大小 権実に 迷える 上・ 上代の 国主.

かれがれの きょうぎょうに つきて てらを たて でんぱたを きしん せる.
彼れ彼れの 経経に 付きて 寺を 立て 田畠を 寄進 せる.

ゆえに かの ほうを くだせば もうし のべがたき うえ.
故に 彼の 法を 下せば 申し 延べがたき 上・.

えこ すでに うせるかの ゆえに だいしんにを おこして
依怙 すでに 失るかの 故に 大瞋恚を 起して

あるいは じっきょうを ぼうじ あるいは ぎょうじゃを あだむ こくしゅも また.
或は 実経を 謗じ 或は 行者を あだむ 国主も 又.

いちには たにんに つき.
一には 多人に つき.

あるいは じょうだいの こくしゅの すうちょうの ほうを あらため がたき ゆえ.
或は 上代の 国主の 崇重の 法を あらため 難き 故・.

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あるいは じしんの ぐちの ゆえ.
或は 自身の 愚癡の 故・.

あるいは じっきょうの ぎょうじゃを いやしむ ゆえ とうの ゆえ.
或は 実教の 行者を 賤しむ ゆへ 等の 故.

かの そにん とうの ことばを おさめて じっきょうの ぎょうじゃを あだめば.
彼の 訴人 等の 語を・ をさめて 実教の 行者を あだめば.

じっきょうの しゅごしんの ぼんしゃく にちがつ してん とう その くにを ばっする ゆえに.
実教の 守護神の 梵釈・ 日月・ 四天等・ 其の 国を 罰する 故に.

せんだい みもんの さんさい しちなん おこるべし.
先代 未聞の 三災・ 七難 起るべし、.

いわゆる こぞ ことし いぬる しょうか とうの やくびょう とう なり.
所謂 去 今年・ 去ぬる 正嘉 等の 疫病 等 なり。.

うたがって いわく なんじが もうすが ごとく ならば.
疑つて 云く 汝が 申すが ごとく ならば.

この くに ほけきょうの ぎょうじゃを あだむ ゆえに.
此の 国 法華経の 行者を あだむ 故に.

ぜんじん この くにを じばつ する とう ならば しょにんの やくびょう なるべし.
善神 此の 国を 治罰 する 等 ならば 諸人の 疫病 なるべし.

なんぞ なんじが でしら また やみ しぬるや.
何ぞ 汝が 弟子 等 又 やみ 死ぬるや、.

こたえて いわく なんじが ふしん もっとも その いわれ あるか.
答えて 云く 汝が 不審 最も 其の 謂 有るか.

ただし いっぽうを しりて いっぽうを しらざるか.
但し 一方を 知りて 一方を 知らざるか、.

ぜんと あくとは むしよりの さゆうの ほう なり.
善と 悪とは 無始よりの 左右の 法 なり.

ごんきょう ならびに しょしゅうの こころは ぜんあくは とうかくに かぎる.
権教 並びに 諸宗の 心は 善悪は 等覚に 限る.

もし しからば とうかく までは たがいに とが あるべし.
若し 爾ば 等覚 までは 互に 失 有るべし、.

ほっけしゅうの こころは いちねんさんぜん しょうあくしょうぜん みょうかくの くらいに なお そなわれり.
法華宗の 心は 一念三千・ 性悪性善・ 妙覚の 位に 猶 備われり.

がんぽんの ほっしょうは ぼんてん たいしゃく とうと あらわれ.
元品の 法性は 梵天・ 帝釈 等と 顕われ.

がんぽんの むみょうは だいろくてんのまおうと あらわれたり.
元品の 無明は 第六天の魔王と 顕われたり、.

ぜんじんは あくにんを あだむ あっきは ぜんにんを あだむ.
善神は 悪人を あだむ 悪鬼は 善人を あだむ、.

まっぽうに いりぬれば しぜんに あっきは くにじゅうに じゅうまんせり.
末法に 入りぬれば 自然に 悪鬼は 国中に 充満せり.

がしゃく そうもくの ならび しげきが ごとし.
瓦石 草木の 並び 滋が ごとし.

ぜんきは てんかに すこし せいけん まれなる ゆえなり.
善鬼は 天下に 少し 聖賢 まれなる 故なり、.

この やくびょうは ねんぶつしゃ しんごんし ぜんしゅう りっそうら よりも.
此の 疫病は 念仏者・ 真言師・ 禅宗・ 律僧等 よりも.

にちれんが ほうに こそ おおく やみ しぬべきにて そうろうか.
日蓮が 方に こそ 多く やみ 死ぬべきにて 候か、.

いかにとして そうろう やらん.
いかにとして 候 やらん.

かれら よりも すくなく やみ すくなく しに そうろうは ふしぎに おぼえ そうろう.
彼等 よりも すくなく やみ・ すくなく 死に 候は 不思議に をぼへ 候、.

ひとの すくなき ゆえか また ごしんじんの ごうじょう なるか.
人の すくなき 故か 又 御信心の 強盛 なるか。.

とうて いわく.
問うて 云く.

にほんこくに この やくびょう せんだいに ありや.
日本国に 此の 疫病 先代に 有りや、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

にほんこくは じんむてんのう よりは 10だいに あたらせ たまいし すじんてんのうの みよに.
日本国は 神武天皇 よりは 十代に あたらせ 給いし 崇神天皇の 御代に.

やくびょう おこりて にほんこく やみ しぬる こと なかばに すぐ.
疫病 起りて 日本国 やみ 死ぬる 事 半に すぐ、.

おう はじめて てんしょうだいじん とうの かみを くにぐにに あがめしかば やくびょう やみぬ.
王 始めて 天照太神 等の 神を 国国に 崇 しかば 疫病 やみぬ.

ゆえに すじんてんのうと もうす.
故に 崇神天皇と 申す、.

これは ぶっぽうの いまだ わたら ざりし ときの こと なり.
此れは 仏法の いまだ わたら ざりし 時の 事 なり、.

にんのう だい30だい ならびに 1 2の 3だいの こくおう.
人王 第三十代・ 並びに 一 二の 三代の 国主.

ならびに しんか とう ほうそうと えきびょうに ごほうぎょ とう なりき.
並びに 臣下 等 疱瘡と 疫病に 御崩去 等 なりき、.

その ときは かみに いのれども かなわざりき.
其の 時は 神に いのれども 叶わざりき、.

いぬる にんのう 30だい きんめいてんのうの ぎょうに.
去ぬる 人王 三十代・ 欽明天皇の 御宇に.

くだらこくより きょう ろん そう とうを わたす.
百済国より 経・ 論・ 僧 等を わたす.

のみならず こんどうの きょうしゅ しゃくそんを わたし たてまつる.
のみならず 金銅の 教主 釈尊を 渡し 奉る、.

そがの すくね とう あがむべしと もうす もののべのおおむらじらの しょしん.
蘇我の 宿禰 等 崇むべしと 申す 物部の大連 等の 諸臣.

ならびに ばんみんらは いちどうに この ほとけは あがむ べからず.
並びに 万民等は 一同に 此の 仏は 崇む べからず.

もし あがむる ならば かならず わが くにの かみ いかりを なしてくに やぶれなんと もうす.
若し 崇むる ならば 必ず 我が 国の 神・瞋りを なして 国 やぶれなんと 申す、.

おうは りょうほう わきまえがたく おわせしに.
王は 両方 弁まえがたく をはせしに.

さんさい しちなん せんだいに こえて おこり ばんみん みな えきし す.
三災・ 七難・ 先代に 超えて 起り 万民 皆 疫死 す、.

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おおむらじら たよりを えて そうもん せしかば.
大連等 便りを 得て 奏問 せしかば.

そうにらを はじに およぼすの みならず.
僧尼等を はじに 及ぼす のみならず.

こんどうの しゃかぶつを すみを おこして やき たてまつる.
金銅の 釈迦仏を すみを をこして 焼き 奉る.

てら また おなじ.
寺 又 同じ、.

その ときに おおむらじ やみ しぬ.
爾の 時に 大連 やみ 死ぬ.

おうも かくれさせ たまい.
王も 隠れさせ 給い.

ほとけを あがめし そがの すくねも やみぬ.
仏を あがめし 蘇我の 宿禰も やみぬ、.

おおむらじが こ もりやの おとど いわく.
大連が 子・ 守屋の 大臣 云く.

この ほとけを あがむる ゆえに 3だいの こくしゅ すでに やみ かくれさせ たまう.
此の 仏を あがむる 故に 三代の 国主 すでに・ やみ かくれさせ 給う.

わが ちちも やみ しぬ.
我が 父も やみ 死ぬ、.

まさに しるべし.
まさに 知るべし.

ほとけを あがむる しょうとくたいし うまこらは おやの かたき.
仏を あがむる 聖徳太子・ 馬子等は をやの かたき.

きみの おんかたきなりと もうせ しかば.
公の 御かたきなりと 申せ しかば.

あなべの おうじ やかべの おうじ とう.
穴部の 王子・ 宅部の 王子 等・.

ならびに しょしん いか すう1000にん いちどうに よりきして.
並びに 諸臣 已下 数千人 一同に よりきして.

ほとけと どう とうを やきはらう のみならず かっせん すでに おこりぬ.
仏と 堂 等を やきはらう のみならず、合戦 すでに 起りぬ.

けっくは もりや うたれ おわんぬ.
結句は 守屋 討たれ 了んぬ、.

ぶっぽう わたりて 35ねんが あいだ ねんねんに さんさい しちなん えきびょう おこりしが.
仏法 渡りて 三十五年が 間・ 年年に 三災・ 七難・ 疫病 起りしが.

もりや うまこに うたるる のみならず.
守屋・ 馬子に 討たるる のみならず.

かみも すでに ほとけに まけ しかば さいなん たちまちに やみ おわんぬ.
神 もすでに 仏に まけ しかば 災難 忽に 止み 了んぬ、.

その あとの だいだいの さんさい しちなん とうは.
其の 後の 代代の 三災・ 七難 等は.

だいたいは ぶっぽうの うちの みだれより おこる なり.
大体は 仏法の 内の 乱れより起る なり、.

しかれども あるいは ひとり ふたり あるいは いっこく にこく.
而れども 或は 一人・ 二人 或は 一国・ 二国.

あるいは いちるい にるい あるいは いっしょ にしょの こと なれば.
或は 一類・ 二類 或は 一処・ 二処の 事 なれば.

かみの たたりも あり ほうぼうの ゆえも あり たみの なげき よりも おこる.
神の たたりも 有り 謗法の 故も あり 民の なげき よりも 起る。.

しかるに この くにの 30よねんの さんさい しちなん とうは いっこうに たじを まじえず.
而るに 此の 三十余年の 三災・ 七難 等は 一向に 他事を 雑えず.

にほん いちどうに にちれんを あだみて.
日本・ 一同に 日蓮を あだみて.

くにぐに ぐんぐん ごうごう むらむら ひと ごとに.
国国・ 郡郡・ 郷郷・ 村村・ 人 ごとに.

かみ 1にん より しも ばんみんに いたるまで ぜんだいみもんの だいしんにを おこせり.
上 一人 より 下 万民に いたるまで 前代未聞の 大瞋恚を 起せり、.

けんじみだんの ぼんぷの がんぽんの むみょうを おこす これ はじめなり.
見思未断の 凡夫の 元品の 無明を 起す 事 此れ 始めなり、.

かみと ほとけと ほけきょうに いのり たてまつらば いよいよ ぞうちょう すべし.
神と 仏と 法華経に いのり 奉らば いよいよ 増長 すべし、.

ただし ほけきょうの ほんもんをば ほけきょうの ぎょうじゃに つけてのぞき たてまつる.
但し 法華経の 本門をば 法華経の 行者に つけて 除き 奉る.

けっくは しょうぶを けっせざらん ほかは この さいなん やみ がたかるべし.
結句は 勝負を 決せざらん 外は 此の 災難 止み 難かるべし、.

しかんの じっきょう じゅうじょうの かんぽうは てんだいだいし ときたまいて のち ぎょうずる ひと なし.
止観の 十境・ 十乗の 観法は 天台大師 説き 給いて 後・行ずる 人無し、.

みょうらく でんぎょうの おんとき すこし ぎょうずと いえども てきじん よわき ゆえに さてすぎぬ.
妙楽・ 伝教の 御時 少し 行ずと いへども 敵人 ゆわき ゆへに さてすぎぬ、.

しかんに さんしょうしまと もうすは ごんきょうを ぎょうずる ぎょうにんの さわりには あらず.
止観に 三障・四魔と 申すは 権経を 行ずる 行人の 障りには あらず.

いま にちれんが とき つぶさに おこれり.
今 日蓮が 時 具さに 起れり、.

また てんだい でんぎょうの ときの さんしょうしま よりも いま ひとしお まさりたり.
又 天台・ 伝教 等の 時の 三障・ 四魔 よりも いま ひとしを まさりたり。.

いちねんさんぜんの かんぽうに ふたつ あり.
一念三千の 観法に 二つ あり.

1には り 2には じ なり.
一には 理・ 二には 事 なり.

てんだい でんぎょう とうの おんときには り なり.
天台・ 伝教 等の 御時には 理 なり.

いまは じ なり.
今は 事 なり.

かんねん すでに まさる ゆえに だいなん また いろ まさる.
観念 すでに 勝る 故に 大難 又 色 まさる、.

かれは しゃくもんの いちねんさんぜん これは ほんもんの いちねんさんぜん なり.
彼は 迹門の 一念三千・ 此れは 本門の 一念三千 なり.

てんち はるかに ことなり ことなりと ごりんじゅうの おんときは おんこころえ あるべく そうろう.
天地 はるかに 殊なり ことなりと 御臨終の 御時は 御心へ 有るべく候、.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言。.

6がつ 26にちに ちれんか おう.
六月 二十六日 日蓮 花押.

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