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転重軽受法門 (てんじゅうきょうじゅ ほうもん) 背景と大意.

 
 
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ぶんえい 8ねん (1271ねん) 10がつ 5たち、にちれんだいしょうにん 50さいの おんとき、おおたさえもんのじょう、そやにゅうどう、かなはらほっきょうに あたえられた ごしょ。
どうねん、だいしょうにんが 9がつ 12にちの たつのくちのほうなんの のち、さがみの えちに ございじゅうの とき、3にんが みまい にきた ことに たいする ごへんじで、 ねはんきょうの てんじゅうきょうじゅの ほうもんを のべられている。
てんじゅうきょうじゅは かこせの ほうぼうに よって みらいに うけるべき じゅうざいを、ほけきょうを たもつ ことに よって こんじょうで かるく うけて しょうめつ する ことをいう。
ふきょうぼさつ、ふほうぞうの れいを ひいて 、ぶっせつの とおりに しゅぎょうする むずかしさを のべている。
とくに まっぽうで ほけきょうを しんどく しているのは だいしょうにん ひとりで あると のべられ、でしに たいし なんが きても しんじん つよく しゅぎょう するよう げきれい されている。



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文永8年(1271年)10月5日、日蓮大聖人 50歳の御時、大田左衛門尉、蘇谷入道、金原法橋に与えられた御書。
同年、大聖人が9月12日の竜の口法難の後、相模の依智にご在住の時、三人が見舞いに来たことに対する御返事で、涅槃経の転重軽受の法門を述べられている。
転重軽受は過去世の謗法によって未来に受けるべき重罪を、法華経を持つことによって今生で軽く受けて消滅することをいう。
不軽菩薩、付法蔵の例を引いて、仏説の通りに修行する難しさを述べている。
特に末法で法華経を身読している者は大聖人一人であると述べられ、弟子に対して難が来ても信心強く修行するよう激励されている。

 
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