c
1059から1065.
曾谷殿御返事 (そやどの ごへんじ) 背景と大意.

 
 
a
けんじ がんねん (1275ねん) 11がつ はつか、にちれんだいしょうにん 54さいの おんとき、そやにゅうどうの しそく、なおひで (にゅうどうして どうそうと しょうした)に あたえられた ごしょ。
はじめに くように たいする しゃいを あらわし、いのちと こめとの かんけいを のべ、あぶらと ともしびとの たとえで ほけきょうの ぎょうじゃと だんなの かんけいを とかれている。
ほけきょうは いっさいきょうの あるじで あり、ほけきょうの だいもくは いっさいきょうの たましいで ある、しょてんぜんじんは だいもくを となえる こえを しょくとして いこうせいりょくを ます ことを、りんだおうと はくばの いつわで ごきょうじ されている。
さらに ぜん、ねんぶつ、しんごん とうの あくほうが さかんで しょてんの かごが えられないが、 だいもくを となえる ものには かならず かごが あると はげまされて いる。



b
弘安2年(1279年)8月17日、日蓮大聖人58歳の御時、曾谷入道の子息、直秀(入道して道宗と称した)に与えられた御書。
はじめに供養に対する謝意を表し、命と米との関係を述べ、油と灯との譬えで法華経の行者と檀那の関係を説かれている。
法華経は一切経の主であり、法華経の題目は一切経の魂である、諸天善神は題目を唱える声を食として威光勢力を増すことを、輪陀王と白馬の逸話で御教示されている。
さらに禅、念仏、真言等の悪法が盛んで諸天の加護が得られないが、題目を唱える者には必ず加護があると励まされている。

 
→a1059
→b1059
 ホームページトップ
inserted by FC2 system