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1089.
兵衛志殿御返事 (ひょうえのさかんどの ごへんじ) 背景と大意.

 
 
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けんじ がんねん(1275ねん)8がつ 21にち、にちれんだいしょうにん 54さいの おんとき、みのぶから むさしのこく(とうきょうと)の いけがみえもんのたゆう むねながに あたえられた ごしょ。
こうぎょくてんのうの だいに そがのいるかを うつことが できたのは、ふじわらのかまたりが しゃかの ぞうを こんりゅうし ていのった からであり、いけがみきょうだいが げんざいまで しんじんを つづけられたのは、しゃかぶつ、ほけきょうの ちから、くどくで あると しどうされ、いかなる なんが こようとも、たいてん すること なく しんこうに はげむように げきれい されている。



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建治元年(1275年)8月21日、日蓮大聖人54歳の御時、身延から武蔵国(東京都)の池上兵衛志宗長に与えられた御書。
皇極天皇の代に蘇我入鹿を討つことができたのは、藤原鎌足が釈尊の像を建立して祈ったからであり、池上兄弟が現在まで信心を続けられたのは、釈迦仏、法華経の力、功徳であると指導され、いかなる難が来ようとも、退転することなく信仰に励むように激励されている。

 
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