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1095.
兵衛志殿御書 (ひょうえのさかんどの ごしょ) 背景と大意.

 
 
a
けんじ 3ねん(1277ねん)9がつ ここのか、にちれんだいしょうにん 56さいの おんとき、いけがみむねながに あたえられた ごしょ。
ひょうえのさかんとは ひょうえふ(きょうちゅうの けいびを する やくしょ)の かんしょくで、さかんは 4かいきゅうの さいかい。
いけがみきょうだいの ちち、やすみつは、ごくらくじりょうかんの ねっしんな しんじゃで、きょうだいを はくがいして たいてん させようと したが、きょうだいしょうなどで げきれいを うけた きょうだいは、ついに ちちを にゅうしん させた。
このことを だいしょうにんは しょうさんされ、つぎに もうこ しゅうらいに たいし しんごんしゅうで ちょうふく することは くにを やぶる ことに なると、あんとくてんのうや じょうきゅうの らんの れいを ひいて けいこく されている。
さいごに しょうほうを ひろめる ものを はくがい することは、ぶつばちを こうむると はしゃく されている。



b
建治3年(1277年)9月9日、日蓮大聖人56歳の御時、池上宗長に与えられた御書。
兵衛志とは、兵衛府(京中の警備をする役所)の官職で、志(さかん)は四階級の最下位。
池上兄弟の父、康光は、極楽寺良観の熱心な信者で、兄弟を迫害して退転させようとしたが、兄弟抄などで激励を受け、ついに父を入信させた。
このことを大聖人は称賛され、次に蒙古襲来に対し真言宗で調伏することは国を破ることになると、安徳天皇や承久の乱の例を引いて警告されている。

 
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